吉田照美のてるてるワイド
テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 吉田照美のてるてるワイド(よしだてるみのてるてるワイド)は、文化放送で、1980年10月6日から1987年4月3日まで放送された、夜のワイド番組。当初のタイトルは『吉田照美の夜はこれから てるてるワイド』(よしだてるみのよるはこれから てるてるワイド)。1985年4月からは、番組のタイトルが『新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな』(しんてるてるワイド よしだてるみのふッかいあな)に変わった。
目次
パーソナリティ
放送時間
- 毎週月曜 - 金曜 21:00 - 24:00(タイトルが「 - ふッかいあな」と変わった1985年4月~1986年9月は、21:30 - 24:00 → 1986年10月~1987年4月3日は、21:00 - 24:00)
概要
「ノッてる」「ウケてる」と「吉田照美」をキーワードに放送開始。当時の首都圏の中高生に絶大な人気を博し、首都圏の夜ワイドの支配権を独占し続けた。
当番組の開始以前の若者向けの夜ワイド番組は、「ブロックワイド」と呼ばれる形式が主流で、内包しているコーナー番組との間の時間帯を、メイン パーソナリティが自らのトークで埋めていくのが、定番となっていた。その一方で、内包しているコーナー番組の多さの影響から、フリートークの時間が短すぎて、メイン パーソナリティの個性が発揮されにくい、といった弊害も生まれて来ていた。
当番組は、コーナー番組との間の時間帯を緩やかな物にして、吉田のトークが多少延びてしまったとしても、自由に調整する事が可能となっていた。
番組内で取り上げる内容は、中高生たちが関心を引く流行・事柄と同時に、吉田がそれまでの担当番組(『桂竜也の夕焼けワイド』『吉田照美のセイ!ヤング』)で培って来た、突撃レポートや隠しマイク潜入記などのバカバカしい聴いて笑える、ゲリラ企画に徹した。
また、当時のアイドルブームの波に乗って、番組内に松田聖子、岩崎良美、近藤真彦、野村義男、松本伊代など、人気アイドルが担当するコーナー番組が内包されていた。
番組開始2ヶ月目(1980年11月)の聴取率調査で、月曜日~金曜日のうち、3曜日で、全番組のトップに立つという、異例の記録を打ち立てた。さらに、翌年の1981年5月の聴取率調査では、同時間帯の若者向け番組の中で、聴取率トップの数字を獲得した[1]。その後、それまで首都圏夜ワイドで高聴取率を獲得していた『大入りダイヤル まだ宵の口』(ニッポン放送)は、終了へと追い込まれた。
1985年4月からは『新てるてるワイド 吉田照美のふッかいあな』としてリニューアル。ニッポン放送の夜ワイドが『三宅裕司のヤングパラダイス』となってからは、『てるてるワイド』 → 『ふッかいあな』と互角の聴取率争いを繰り広げた[2]。
1987年4月に「てるてるワイド」から続いた6年半の歴史に幕を下ろし、吉田は平日帯の昼ワイド番組『吉田照美のやる気MANMAN!』のパーソナリティとなった。後番組は『東京っ子NIGHT お遊びジョーズ!!』。
主なタイムテーブル(1982年10月)
- 21:00 オープニング
- 21:03 ルミちゃんのノッケからマルモウケ(シャープ)
- 21:13 マッチとデート(日産自動車)
- 21:25 シュガーのバイキン少女とSISTER BOY(KKベストセラーズ)
- 21:35 てるてる情報局 チャレンジ探偵団(富士フイルム)
- 21:48 スポーツ ニュース(日刊スポーツ)
- 21:50 ユーミン ランド(PT)
- 22:00 松本伊代のチャレンジ名作ライブラリー(福武書店(現・ベネッセコーポレーション))
- 22:10 ヨッちゃんの青春ド真ん中(森永製菓 東京ニューモード)
- 22:20 アイ・ラブ・シティ(小学館)
- 22:30 今晩は! 神津カンナです(神田外語学院)
- 22:45 めざせ! アメリカンヒーロー(東京商科学院)
- 23:00 青春キャンパス(花王)
- 23:30 松田聖子のピンクのスニーカー(学習研究社(現・学研ホールディングス) 月星化成(現・株式会社ムーンスター))
- 23:40 バナナくらぶとアップルちゃん(角川書店)
- 23:50 吉田照美のなにげない感動(読売広告社 東京ソワール)
主なタイムテーブル(吉田照美のふッかいあな 1985年4月)
- 21:30 オープニング
- 21:33 吉田照美がいきなりしましょ(学習研究社(当時、現・学研ホールディングス) バンビ時計バンド)
- 21:45 桃子ぽいね(KKベストセラーズ)
- 21:55 スポット ニュース
- 21:56 スポーツ ニュース(日刊スポーツ)
- 22:00 富田靖子のチャレンジ名作ライブラリー(福武書店(当時、現・ベネッセコーポレーション))
- 22:10 ルミちゃん天気 今週のうた(コカ・コーラボトラーズ(当時、現・日本コカ・コーラ株式会社))
- 22:12 とんねるずの二酸化マンガンくらぶ(旺文社)
- 22:22 吉田エンタープライズ テラピナゴックン(味の素株式会社)
- 22:32 千倉真理の地球はまあーるいよ(三菱自動車 神田外語学院)
- 22:47 めざせ! アメリカンヒーロー(東鳩製菓(当時、現・東ハト) 豊島園 角川書店)
主なコーナー
- ルミちゃんのノッケからマルモウケ
- 不良少年探偵団
- 『吉田照美のセイ!ヤング』の人気コーナーを移行したもの。
- 後に、独立コーナーから「アイ・ラブ・シティ」(後述)枠内の曜日別コーナーに変更された。
- バスルームより愛をこめて
- しあわせ仮面
- てるてる情報局 チャレンジ探偵団
- めざせ! アメリカンヒーロー
- 聴取者参加型のクイズコーナー。7問正解すると、アメリカ旅行と、旅行費用として、10万円がプレゼントされた。
- アイ・ラブ・シティ
- 集え 美少年
- 毎週木曜日の11時台後半に放送。ハガキ採用者には、吉田のヌード写真がプレゼントされた。
- バナナくらぶとアップルちゃん
- 聴取者(男性チームと女性チームに分かれる)をスタジオに呼び、「先生」と呼ばれるゲストに対して、照美の進行によるトークが繰り広げられていた。
- 吉田照美のなにげない感動
- リスナーからの「何気なく感動した出来事」を綴ったお便りを紹介するコーナー
- 吉田照美のコットンクラブ
この他、11時台後半の『マッチとデート』(後に『松田聖子のピンクのスニーカー』と交代)が始まる直前に放送される、『ミスDJリクエストパレード』のパーソナリティと吉田の掛け合いのコーナーも評判だった。
内包していた主な番組
- チャレンジ名作ライブラリー(武田鉄矢→松本伊代→富田靖子が担当)
- 谷村新司の青春キャンパス(NRN番組)
- マッチとデート(NRN番組)
- ヨッちゃんの青春ド真ん中(NRN番組)
- 松田聖子のピンクのスニーカー(NRN番組)
- オリエント サウンド・エクスプレス 岩崎良美(NRN番組)
- ジャンピングジャニー 少年隊(NRN番組)
- 松任谷由実 ユーミン ランド(NRN番組)
- シュガーのバイキン少女とSister Boy
- ヤングジャーナル 世界は今(神田外語学院提供)
- 今晩は! 神津カンナです
- 千倉真理の地球はまあーるいよ
- 毎週月曜日、各国に駐在する日本大使と国際電話で直接話し、現地の最新事情を、ホットライン形式で紹介した。
- 後に「何でもベスト5」のコーナーが、『とんねるずのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に引き継がれる。
※NRN番組は21時台に裏送りにてライン配信され、ネット各局は時間遅れで放送していた。『青春キャンパス』はテープネット。ただし、パーソナリティの谷村新司とばんばひろふみの関係で、大阪地区は金曜日のみ、ネット局の朝日放送が別内容を放送した。
エピソード
- 吉田照美は番組開始前、当番組の出演を打診された際、「正直言って、嫌だった」と述べている。打診時、担当していた深夜放送『セイ!ヤング』が好調で、もう少し続けたいという気持ちがあった。しかし、当番組の開始後、当時、文化放送の無名アナウンサーであった自分が、中高生からの人気を得たとわかった時は信じられなかった、と話している[3]。
- それまでの夜ワイド番組とは一線を画し、スタジオから飛び出しての中継や生放送を行ったり、番組内で言葉遊びを流行らせたりと、新しい放送形態を確立した。
- 首都圏エリアのみならず、他の地域の若者向け番組にも、大きな影響を与えた。当番組のノウハウを取り入れる形で、CBCラジオの『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス」と、KBCラジオの『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』がスタート。両番組とも、当番組のコーナータイトルを模擬したコーナーを作り、次第に、それぞれの個性を確立させ、地元ローカルの夜ワイド番組を定着させる要因を作った[4]。
- 当番組を聴いていた、中高生のリスナーから「名古屋で、てるてるワイドに似た番組が放送されている」との投書があった。1982年中にも、吉田が『わ!WIDE』側に「てるてるワイドのパクリじゃないですか?」という電話を入れたことがあった[4]。詳しくは「小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス#エピソード」を参照。
- 当番組の構成作家として、『カノッサの屈辱』『料理の鉄人』などの企画、構成で著名な小山薫堂。岸田國士戯曲賞を受賞/現・早稲田大学教授の宮沢章夫。80年代後半のお笑い/サブカル・シーンをリードしていた加藤芳一など、錚々たる顔ぶれが揃っていた[5]。