伊予市
伊予市(いよし)は、愛媛県の中予地方に位置する市。中予地方の最西に位置し、以西は南予地方となる。
2005年(平成17年)4月1日、道後平野に位置する旧伊予市を中心に、山間部の伊予郡中山町、瀬戸内海に面した同郡双海町と合併(新設合併)し、新たに伊予市となった。
複数の削り節工場が立地し、国内に出荷される6割のシェアを占めている。また、五色浜をはじめとした海水浴場や、ゆうやけこやけラインなど、美しい瀬戸内海が本市の観光資源として支えている面も大きい。
地理
地名の由来
- 地名の由来については、伊予国の項目参照。
市名について
(旧)市名は「伊豫市」であるが、一般には旧字体の「伊豫市」・新字体の「伊予市」共に通用していた。1992年には部長通達で、正式文書以外では「伊予市」表記にするものとし、2004年に正式表記も「伊予市」となった。さらに今回の合併でも「伊予市」が正式市名になった。
人口
歴史
- 古代・中世
- 弥生時代 弥生式の土器が出土していることから、このころ人が住み着き生活していたと考えられる。
- 6世紀 山のふもとで農業が営まれ、伊予岡古墳などがつくられたと推定される。
- 藩政期
- 1634年(寛永10年) 松山藩の蒲生氏が急死、跡継ぎなく絶家。大洲藩主・加藤氏のお城預かりとなる。
- 1635年(寛永11年) 松山藩領に編入された風早郡、桑村郡の御替地として伊予郡、浮穴郡を大洲藩領に編入。
- 大洲藩主・加藤氏の願いにより、松山藩の伊豫・浮穴郡の37か村と、大洲藩領地の桑村、風早郡の57か村が対象となった。このため郡中地方は御替地と呼ばれるようになった。
- 1635年(寛永11年) この頃、郡中の灘町で商人が事業を営み始める。
- 1636年(寛永12年) 宮内九右衛門、清兵衛兄弟、御替地入殖。旧郡中を中心とする地域の開発に着手する。
- 1774年(安永2年) 本郡に塩田ができる。
- 1812年(文化8年) 岡文四郎、郡中港を作る。万安港(ばんあんこう)という。
- 1817年(文化13年) 大洲藩の布達により御替地から郡中に改称。
- 喜多地方(後の喜多郡)が郡内と呼ばれていたのにならって「郡中」としたものであろうといわれる。
- 近代(伊予市発足まで)
- 1871年(明治4年) 廃藩置県により、大洲、新谷県となる。後に宇和島県となる。
- 1872年(明治5年) 宇和島県が神山県と改称。
- 1872年(明治5年) 学制施行。各地に小学校ができる。
- 1878年(明治11年) 役所ができ、各村に戸長役場をおく。
- 1889年(明治22年) 町村制施行。郡中町、郡中村、南山崎村、北山崎村、南伊豫村ができる
- 郡中町 1889年(明治22年)に、郡中灘町の一部、郡中湊町を合併して発足。
- 郡中村 1889年(明治22年)に、郡中灘町の一部、米湊町、上吾川村、下吾川村、南黒田村の一部が合併。
- 北山崎村 1281年(弘安4年)、河野通有が元寇の功により山崎の荘を賜り、1635年(寛永11年)大洲藩に属す。1889年(明治22年)の町村制実施に際して、三秋村、中村、市場村、森村、本郡村、尾崎村、三島村、稲荷村を合併し北山崎村となった。
- 南山崎村 1889年(明治22年)に、大平村、鵜崎村、両澤村、上唐川村、下唐川村が合併して南山崎村となる。
- 南伊豫村 1885年(明治18年)に上野村、上三谷村、宮下村、八倉村を合併し発足。1889年(明治22年)に下三谷(しもみたに)村を合わせて南伊豫村となる。
- 1896年(明治29年)7月4日 松山と郡中との間を汽車が走り始める(南予鉄道→伊予鉄道)。
- 1905年(明治38年) 郡中と中山(後の伊予郡中山町)とをつなぐ道ができて乗合馬車が走り始める。
- 1909年(明治42年) 郡中に電灯がともる。
- 1911年(明治44年) 郡中に公衆電話が通じる。
- 1917年(大正6年) 郡中で花かつおの製造始まる。
- 1929年(昭和4年) 各地にバスが通じる。
- 1930年(昭和5年)2月27日 国鉄予讃線が郡中へ延伸、南郡中駅ができる(現在の伊予市駅)。
- 1939年(昭和14年)5月10日 伊予鉄道の汽車が郡中港駅へ延びる。
- 1940年(昭和15年) 郡中村と郡中町とが合併して郡中町となる。
- 1945年(昭和20年) 大谷池が完成。
- 1950年(昭和25年)5月10日 伊予鉄道郡中線が電化、坊っちゃん列車姿を消す。
- 伊予市の発足
- 1955年(昭和30年)1月1日 伊豫郡郡中町、北山崎村、南伊豫村、南山崎村が合併(昭和の大合併)し、市制施行し、伊豫市となる。
- 1957年(昭和32年) 市庁舎落成。
- 1958年(昭和33年) 伊豫郡中山町平岡地区の一部を編入。
- 1961年(昭和36年)4月15日 国鉄伊予横田駅設置。
- 1961年(昭和36年) 集団赤痢発生。
- 1962年(昭和37年) 港南中学校落成。
- 1969年(昭和44年) 寿東産業立地。
- 1973年(昭和48年) タケチ工業ゴム工場立地。
- 1981年(昭和56年) 愛媛厚生年金休暇センター開業。
- 1984年(昭和59年) えひめ森林公園開園。
- 1986年(昭和61年)3月3日 国鉄予讃本線向井原〜内子間開業。内子線と直結することにより、松山方面〜伊予大洲・宇和島方面が短絡化される。
- 1986年(昭和61年)11月1日 国鉄鳥ノ木駅設置。
- 1988年(昭和63年) 下三谷工業団地造成完了。
- 1989年(平成元年) 五色姫復活祭開始。
- 1990年(平成2年)11月21日 JR予讃線電化される(伊予市駅以東)
- 1990年(平成2年) 愛媛県中予水産試験場落成。
- 1991年(平成3年) 台風19号の被害多数。
- 1993年(平成5年) 全国豊かな海づくり大会開催(愛媛県中予水産試験場ほか)
- 1994年(平成6年) 異常渇水により113日間給水制限。
- 1995年(平成7年)7月7日 高速船スピーダー就航(伊予港〜大分港)
- 2005年(平成17年)4月1日 伊予郡中山町、双海町と合併(新設合併)し、新たに伊予市となる。
(資料)伊予市(旧市)市勢要覧ほか
行政
市長
- 歴代市長(旧・伊予市)
- 初代 - 城戸豊市(1955年〜 1期)
- 第2代 - 玉本善三郎(1959年〜 4期)
- 第3代 - 岡本要(1975年〜 5期)
- 第4代 - 増野英作(1995年〜 1期)
- 第5代 - 中村佑(1999年〜2005年3月31日、2期)
- 歴代市長(新・伊予市)
庁舎
本庁舎は旧伊予市からのものであり、旧市の頃から既に狭隘と、それにより周辺の建物への各課等の分散を余儀なくされており、非効率が指摘されており、財政に厳しさを増すなか、新庁舎の設置が課題となっている。
経済
かつては郡中港や郡中三町(灘町、湊町、三島町)を中心とした中継交易地として発展した。 郊外では鳥ノ木団地等、松前町同様に松山市のベッドタウン化が進んでいるが、郡中駅を中心とする旧市街地は高齢化による空洞化現象が進行中である。 伊予市では木村邸、宮内邸など市内各所に残る旧家や豪商(もしくは庄屋)宅を町家(一般概念で定義される京町屋ではないが、同市教や観光事業では町屋と定義付ている)として県内に対する観光誘致にも積極的である。伊予市駅前には地域振興のため、商家を模した町家と称する商業コミュニティーが存在する。
- 産業人口:約7000人(旧伊予市のデータ)
第一次産業
- 農業 米、麦、野菜、花き、栗、梅、養鶏、養豚など
- 漁業 沿岸漁業中心で零細規模のものが多い。
第二次産業
- 水産加工食品(削り節、調味料、チルド加工食品、煮干など)
- 農産加工食品(かんきつ加工品)
- JAえひめ中央 伊予工場
- 印刷業
- セキ伊予工場
- 製紙業
- 四国森紙業伊予工場 森紙業株式会社〈京都〉の地域子会社。王子製紙株式会社〈東京〉との提携により、王子製紙グループの一員に
- 製造業
- 岐阜プラスチック工業愛媛工場
- 入江工研中山工場
第三次産業
小売店
郡中駅を核とする旧市街地には商店街が形成されているほか、市庁舎近くにチェーンストア、郊外型飲食チェーンが展開されている。また、国道56号沿道の伊予警察署近辺はロードサイド型の小売店舗や飲食店、サービス業店、遊技場等が立地している。
金融業
卸売業
- ヰセキ四国本社
本社を置く主要企業
教育
高等学校
- 愛媛県立伊予農業高等学校
- 愛媛県立中山高等学校(2012年3月にて廃校)
中学校
- 伊予市立港南中学校
- 伊予市立伊予中学校
- 伊予市立中山中学校
- 伊予市立上灘中学校(2010年4月統合のため廃校)
- 伊予市立下灘中学校(2010年4月統合のため廃校)
- 伊予市立双海中学校(2010年4月開校、旧上灘中)
小学校
隣接している自治体
交通
鉄道路線
JR四国
- 予讃線(内子経由)
- 予讃線(伊予長浜経由)
伊予鉄道
路線バス
道路
高速道路
一般国道
都道府県道
- 愛媛県道214号八倉松前線
- 愛媛県道215号郡中港線
- 愛媛県道218号北伊予停車場線
- 愛媛県道219号砥部伊予松山線
- 愛媛県道221号広田双海線
- 愛媛県道222号中山双海線
- 愛媛県道223号中山砥部線
- 愛媛県道224号永木内子線
- 愛媛県道225号中山伊予線
- 愛媛県道226号串中山線
- 愛媛県道241号池田中山線
- 愛媛県道243号内子双海線
- 愛媛県道307号野中長沢線
- 愛媛県道329号石畳中山線
道の駅
船舶
- 郡中港 県管理港湾。
定期旅客航路なし。かつては大分ゆき高速船(スピーダー)が発着したがすぐに廃止された。 さらに昔には大洲藩の物資の積出港としても栄えた。これに由来する「米湊」(こみなと)の地名が残る。また、現在県営ヨットバースになっている内港は、在郷の豪商木村氏、元大洲藩士で郡中町長だった藤谷氏の個人資産で整備された交易港の名残である。内港脇の神社に経つ藤谷氏胸像はそれを記念して建てられたもので、本来は全身像であったが、前大戦時に供出させられたため胸像となっている。また台座の碑文は陸軍大将秋山好古の筆によるものである。
公共施設
- ウェルピア伊予
- 伊予市民体育館(しおさい公園)
- 伊予市民テニス場(しおさい公園)
- 伊予市民球場(しおさい公園)
- 伊予市民競技場(しおさい公園)
- わくわく子ども王国(しおさい公園)
- 五色浜グラウンド
- 五色浜プール
- 伊予市民会館(2013年4月1日老朽化により閉館)
主要観光資源
施設・観光地
- 五色浜
- 五色浜神社
- 五色浜公園
- 五色姫海浜公園
- 萬安港の旧灯台
- 彩浜館
- ウェルピア伊予(都市総合文化施設)
- 谷上山(たがみさん)
- 大谷池
- 栗の里公園
- 道の駅ふたみ(ふたみシーサイド公園)
- 町家
- 秦皇山(しんこうざん)森林公園
- ふたみ潮風ふれあい公園
- 福田寺
- えひめ森林公園
名産
祭り・芸能
伊予地区
- 伊予市駅伝大会(2月上旬)
- 花まつり(3月中旬、しおさい公園)
- 女性の祭典「五色姫復活祭」(3月最終日曜、五色姫海浜公園)
- 公園まつり(4月上旬、谷上山公園)
- 五色浜夜桜まつり(4月上旬、五色浜公園)
- 伊予市花まつり(4月中旬、しおさい公園)
- HIMEカップビーチバレー大会(5月〜9月上旬、五色姫海浜公園)
- 伊予市ふれあい土曜夜市(6月第1・第2・第3土曜日、灘町商店街)
- しおさいカップ・レクバレー大会(6月下旬、しおさい公園)
- 唐川びわまつり(6月下旬、唐川コミュニティセンター)
- 海開き(6月最終日曜、五色姫海浜公園)
- 五色浜プール開き(7月1日、五色浜プール)
- 五色姫海浜公園サマーフェスティバル(7月海の日前日、五色姫海浜公園)
- 住吉まつり(7月28日・29日、五色浜、灘町商店街)
- マドンナカップビーチバレー大会(8月下旬、五色姫海浜公園)
- みなみ商店街土曜夜市(8月下旬土曜、みなみ商店街)
- 五色浜いもたき(9月1日〜9月30日、五色姫海浜公園)
- しおさいファミリーコンサート(10月中旬、しおさい公園)
- しおさいクリテリウム駅伝(10月中旬、しおさい公園)
中山地区
- 棚田の里 漆の梅まつり(3月上旬、漆地区)
- 伊予中山ホタルまつり(6月上旬、愛媛県立中山高等学校グラウンド)
- 中山夏まつり(7月最終金曜・土曜、中山地域各所)
- 中山栗まつり(9月23日、栗の里公園)
- なかやまふるさとまつり(11月第3土曜・日曜、伊予市立中山小学校グラウンドほか)
双海地区
- 初春水仙まつり(1月第2土曜・日曜、ふたみシーサイド公園)
- しおかぜウォークなのはな大会(3月下旬、ふたみシーサイド公園〜長浜町赤橋)
- 「ホタルの里ふたみ」ほたる祭り(6月第1土曜、伊予市立翠小学校周辺)
- 下灘みなと祭り(海の日前日、下灘漁港周辺)
- ふたみの夏祭り(8月第1日曜、ふたみシーサイド公園周辺)
- 夕焼け音楽祭(8月14日、ふたみシーサイド公園)
- 夕やけプラットホームコンサート(9月第1土曜、JR下灘駅)
- シーカヤックフェスタinえひめ(10月中旬、ふたみシーサイド公園周辺および伊予灘)
- 夕やけカップふたみ牛ノ峯パラグライダー大会
- 上灘地区公民館まつり(11月上旬、双海地域事務所)
- 下灘地区公民館まつり(11月上旬、下灘地区公民館・下灘コミュニティセンター)
- シーサイドロマンチック・クリスマス空からサンタがやってきた(12月23日、ふたみシーサイド公園)
出身有名人
- 浅見八瑠奈(柔道家。48kg級世界チャンピオン)
- 佐伯矩(栄養学の創始者)
- 岡部仁左衛門(花かつおの創始者)
- 福岡正信(自然農法の生みの親)
- 坪内道典(元中日球団監督・野球殿堂入り)
- 二宮直輝 (NHKアナウンサー)
- 隅田航(サッカー選手)
- 武田大作(ボート)
- 福井清計(極洋社長)
- 藤井秀悟(プロ野球投手・横浜DeNAベイスターズ)
- 槇江山(陶芸家。伊予市湊町大師堂金剛力士像(伊予市有形文化財))
- 武智邦典(伊予市長、元伊予市議会議員)