中山町 (愛媛県)

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テンプレート:Infobox 中山町(なかやまちょう)は、愛媛県中予地方にあったである。 2005年4月1日に伊豫市,双海町と合併して伊予市の一部となり、地方自治体としては消滅した。ただし、新市になっても、地域名としての『中山町』は残存している。具体的には住所表記において、旧表記:伊予郡中山町大字○△が、新表記では伊予市中山町○△と、「中山町」が地域名に付されることとなった。(大字は省くことになった。なお、同時に合併した旧:伊予郡双海町についても同様の住所表記である)

地理

愛媛県中部の山間、松山市中心部から国道56号の犬寄峠を越えて約27km南下した地点にある。大洲市中心部からも約27kmと、ほぼ中間に位置する。肱川の上流の一つである中山川流域にほぼ相当する。地域としては、愛媛県中予地域に含まれるが、水系としては肱川水系に属する。

他の町村と隔てる山は高いところで標高が約800メートルある。

役場のある出渕(いずぶち)という集落に各種公共施設や商店街、JR駅、JA、高等学校があり、中心集落となっている。そのほか、山の中腹に永木、佐礼谷、栗田、野中等の集落が存在している。

気候は盆地の影響により松山市より若干気温が低い。

歴史

明治以降

  • 1871年 - 廃藩置県により大洲県に属する。
  • 1873年 - 臨泉小学校開校(中山小学校の前身)
  • 1875年 - 野中小学校開校
  • 1875年 - 神渓小学校開校(永木小学校の前身)
  • 1876年 - 至誠小学校開校(佐礼谷小学校の前身)
  • 1876年 - 出淵出聖小学校開校
  • 1876年 - 大小区制が廃止、中山村は喜多郡、出淵(いずぶち)、佐礼谷(されだに)、栗田の各村は下浮穴郡に属する。
  • 1889年 - 中山村が喜多郡から下浮穴郡に編入
  • 1897年 - 下浮穴郡廃止、伊予郡となる。
  • 1907年 - 中山村・出淵村合併により中山村となる。
  • 1913年 - 泉町、豊岡に電灯ともる。

中山町発足

  • 1925年 - 町制実施、中山町となる。
  • 1929年 - 広田村から栗田が分離、中山町へ編入。
  • 1941年 - 戦時体制。大日本青少年団結成。

戦後

  • 1947年 - 中山中学校、佐礼谷中学校創立。
  • 1955年 - 中山町と佐礼谷村とが合併、新・中山町発足。
  • 1956年 - しいたけ栽培始まる
  • 1956年 - テレビ視聴始まる
  • 1958年 - 佐礼谷平岡地区、分離し伊予市に編入。
  • 1966年 - 国鉄内山線起工
  • 1970年 - 伊予中山電報電話局開局
  • 1970年 - 中山町簡易水道事業完成
  • 1986年 - 国鉄内山線開通
  • 1995年 - 鳥取県中山町(現大山町)との交流開始
  • 2005年3月31日 - 自治体としての中山町の歴史に終止符。
  • 2005年4月1日 - 新・伊予市発足。

中山町町勢要覧等から抜粋

行政

  • 平成の市町村合併
    中山町としては、双海町とともに、伊豫市と合併することについて町内からは特に強い反対意見は出なかった。

経済

産業

農林業が主体である。三大栗として知られる中山の生産で知られるほか、梅、畜産等が営まれている。

このほか、プラスチック製品製造、食品加工業、機械部品製造等がある。

地域

教育

交通

バス

松山自動車道開通で経由するバス便が激減した。松山方面からは伊予鉄バス八幡浜三崎ゆきの一般道経由の1日4往復のみ。

鉄道路線

JR四国(四国旅客鉄道)

道路

高速道路

松山自動車道が走るものの町内にICはない。
最寄りICは伊予IC(伊豫市)または内子五十崎IC(内子町)。

一般国道

県道

名産・名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 名産
    • 中山栗 - 日本三大栗とすることもある
    • そば - クラフトの里内にそば打ちの体験施設がある。
  • 名所
    • 栗の里公園
    • クラフトの里
    • 駅隣に物産センターもある。
  • 祭事
    • 漆梅祭り - 漆という地区の祭り
    • 栗祭り

関連項目

外部リンク