仙台市地下鉄
仙台市地下鉄(せんだいしちかてつ。テンプレート:Lang-en-short、英略称:SS)は、仙台市交通局高速電車部が運営する地下鉄である。シンボルカラーは紺青色としている。
仙台市交通局は以前「仙台市営地下鉄」と案内していたが、2007年(平成19年)頃から「仙台市地下鉄」に変更され、ペデストリアンデッキの案内板やきっぷ売り場、車内放送もすべて「仙台市地下鉄」に統一されている。これは福岡市交通局と同様である。
2012年現在、日本の地下鉄で唯一駅ナンバリングおよびIC乗車カードを導入していない。
路線
路線名 | 営業キロ | 事業名[1] | 事業延長[1] |
---|---|---|---|
テンプレート:Color 南北線 | 14.8km | 仙塩広域都市計画都市高速鉄道 第1号 仙台市高速鉄道南北線 |
15.56km (地表式 テンプレート:03.91km) (地下式 11.65km) |
テンプレート:Color 東西線 (2015年開業予定) |
13.9km | 仙塩広域都市計画都市高速鉄道 第4号 仙台市高速鉄道東西線 |
14.38km (地表式 テンプレート:00.55km) (地下式 13.83km) |
車両
運賃
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。対キロ区間制。2014年(平成26年)4月現在[2]。
区間 | 運賃(円) |
---|---|
1区 (1 - 3km) | 200 |
2区 (4 - 6km) | 250 |
3区 (7 - 9km) | 300 |
4区 (10 - 12km) | 330 |
5区 (13km - ) | 360 |
運賃、所要時間については、公式サイトも参照。
乗車券
- 乗継乗車券:指定された駅で地下鉄と仙台市営バスもしくは宮城交通の路線バスを当日中に乗り継ぐ際に使用できる乗車券で、40円(子供20円)の割引が適用される。詳細は「仙台市営バス」を参照。なお、東西線開通時に指定駅・停留所の制限は撤廃される予定[3]。
- プリペイドカード:バス・地下鉄で使用できるプリペイド式乗車カードで、自動改札機に直接投入して使用できる。詳細は各記事を参照のこと。
- 一日乗車券
- 地下鉄一日乗車券(大人840円、小児420円。)
- 地下鉄土・日・休日一日乗車券(大人620円、小児310円。土・日・休日のみ有効。)[注 1]
- 仙台まるごとパス
- 仙台周辺の鉄道・バスが自由に乗り降りできる(宮城交通は一部路線を除いて使用できない)。
- 学都仙台 市バス +地下鉄フリーパス
- 定期乗車券
- 地下鉄線内のみのほか、仙台市営バス、宮城交通バスとの連絡定期券がある。
備考
- 現金で購入した乗車券に限り、自動券売機に挿入すると払戻しされる。
- チケットフリー式
- 切符を自動改札機に通すことによって、初めて乗車券の表面に駅名が印字されるもので、普通乗車券では日本全国の地下鉄で唯一導入している[注 2]。このため有効期間内に限り、乗車券を購入した駅以外の駅でその乗車券を使って入場することができる。例えば広瀬通駅で購入した乗車券でも有効期間内に限り長町南駅などでも使用できる。また、チケットフリー制であるという利点を生かし、往復乗車券としても利用できるため、ユアテックスタジアム仙台でのサッカー開催日や定禅寺通りなどでイベントが行われる日には「きっぷは2枚お買い求め下さい」という案内がされる。過去に発券していた回数乗車券も駅名区間式ではなく金額式で線内のどの駅でも使用できた。現在はジョイカードが回数乗車券と同じ割引率のため、回数乗車券は販売されていない。
- icsca(イクスカ)
- 東西線開業後は仙台市中心部に200円均一区間が設定されるほか[6][3]、乗継割引制度の指定駅・停留所を撤廃する予定である[3]。
歴史
年 | 仙台市 | 現・泉区域 |
---|---|---|
1955年 | テンプレート:037万5844人 | テンプレート:01万3878人(泉村) |
1960年 | テンプレート:042万5272人 | テンプレート:01万3652人(泉町) |
1965年 | テンプレート:048万0925人 | テンプレート:01万9061人(泉町) |
1970年 | テンプレート:054万5065人 | テンプレート:03万3190人(泉町) |
1975年 | テンプレート:061万5473人 | テンプレート:07万0087人(泉市) |
1980年 | テンプレート:066万4868人 | テンプレート:09万3016人(泉市) |
1985年 | テンプレート:070万0254人 | 12万4216人(泉市) |
1990年 | テンプレート:091万8398人 | 15万6356人(泉区) |
1995年 | テンプレート:097万1297人 | 18万2601人(泉区) |
2000年 | 100万8130人 | 20万0429人(泉区) |
2005年 | 102万5098人 | 20万8813人(泉区) |
2010年 | 104万5986人 | 21万1183人(泉区) |
高度経済成長期に入ると仙台市では、産業におけるモータリゼーション進展によって仙台市都心部の事業所の業務車両(社用車・貨物自動車)やバス・タクシーなどが増加して渋滞や排気ガスによる環境悪化が問題になった。まず、流入車両の減少を期待して1959年度(昭和34年度)より国道4号仙台バイパスの事業に着手し、都心部からの事業所の移転先として沿道に流通・工業地区の造成を始めた。しかし、同時期より人口のドーナツ化現象も発生し、特に北部の七北田丘陵や南西部の青葉山丘陵で大型宅地開発が急速に進んだため、都心部と新興の郊外ニュータウンとの間のバスや自家用自動車による通勤・通学ラッシュ時の渋滞も大きな都市問題となってきた。
1964年(昭和39年)、仙台市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定されると市は、1966年(昭和41年)に都心部を中心とする同心円状の環状道路、および、都心部と郊外とを結ぶ放射状道路を配置した都市計画道路網を策定した(→3環状12放射状線、仙台都市圏環状自動車専用道路)。しかし、高度経済成長末期には市北部に隣接する宮城郡泉町(1971年より泉市、1988年より仙台市の一部、1989年より仙台市泉区)にまで宅地開発が進むようになり、渋滞問題は抜本的な対策が急務となった。さらに交通戦争とも呼ばれた交通事故による死傷者の増加も社会問題化した。
このような仙台の都市構造の変化により、古くからの市街地を路線とした仙台市電は1960年(昭和35年)をピークとして乗客数が減少の一途を示すようになり、道路の一部を占拠している市電は渋滞の元凶ともみなされるようになった。すると宮城県は、1972年度(昭和47年度)に仙台都市圏を対象にした(第1回)総合都市交通体系調査を実施し、翌1973年度(昭和48年度)から1974年度(昭和49年度)にかけて都市圏レベルでの総合都市交通計画を策定した[9]。同計画における公共交通機関計画では大量輸送機関(Mass Rapid Transit、MRT、マストラ)についても言及し、1980年(昭和55年)には「南北線」、1990年(昭和65年[注 3])には「南北線+東西線」、さらに将来的には「南北線+東西線+環状線」のマストラ網を整備すべきと提案した[9]。これに呼応するように仙台市では、1973年(昭和48年)に市電の廃止を決定し、1976年(昭和51年)3月末に廃止した。
マストラ網、すなわち地下鉄網計画[10]では当初、以下のような路線が想定された[11]。
番号 | 路線名 | 区間 | 主な経由地 | 延長キロ |
---|---|---|---|---|
1 | 北仙台線 | 仙台駅前~七北田 | 市役所前 - 北仙台駅前 - 瓦山 - 黒松団地 | 7.34km |
2 | 長町線 | 仙台駅前~鍋田 | 五ツ橋 - 河原町 - 広瀬橋 | 4.98km |
3 | 川内線 | 仙台駅前~泉ヶ丘 | 西公園 - 川内亀岡 - 八幡町 | 8.09km |
4 | 七北田線 | 七北田~桂島 | 市名坂 - 七北田 - 将監団地 | 4.76km |
5 | 鶴ケ谷線 | 瓦山~鶴ケ谷 | 旭ヶ丘 - 鶴ケ谷 | 3.67km |
6 | 茂庭線 | 鍋田~茂庭 | 西多賀 - 鈎取 - 旗立 | 8.82km |
7 | 名取線 | 鍋田~小泉 | 大野田 - 柳生 - 名取ニュータウン | 7.90km |
- ※ 鶴ケ谷と茂庭は、仙台市による新住宅市街地開発事業施行地。
「北仙台線」および「長町線」は現在の仙台市地下鉄南北線の八乙女 - 長町南に相当するが、現台原駅付近から当時の国道4号(都市計画道路3.3.28元寺小路七北田線。現宮城県道22号仙台泉線)を北上する想定であった。また、北仙台線の七北田(八乙女)に「七北田線」が接続して北方向に、瓦山(台原)に「鶴ヶ谷線」が接続して東方向に、鍋田(長町南)に「名取線」および「茂庭線」が接続して富沢から南および西方向に分かれる計画である。さらに、仙台駅では仙石線を西に延長するように「川内線」が接続し、北部の郊外ニュータウン同士を横方向に繋ぐ計画である。
オイルショックが発生するなど社会情勢の変化はあったが、地下鉄網計画のうち、「名取線」および「茂庭線」の鍋田 - 泉崎を加えた「南北線」が1975年(昭和50年)に運輸省の仙台地方陸上交通審議会で認可された。1978年(昭和53年)に地下鉄の免許申請が行われ、1980年(昭和55年)5月30日に免許が交付され、1981年(昭和56年)に狭軌架空線方式の南北線が着工された。工事では、地上区間や山岳トンネル区間の多い区間が日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)に委託された。これは一時的な地下鉄建設のために仙台市が人員補充を避けるための方策であったが、公団も上越新幹線で発展させたNATM工法を応用するなど、経済的な路線建築が実現した。
1982年度(昭和57年度)に宮城県は、仙台都市圏における第2回の総合都市交通体系調査を実施し、翌1983年度(昭和58年度)から1984年度(昭和59年度)にかけて都市圏レベルでの新たな総合都市交通計画を策定した[9]。同計画における公共交通機関計画では、1995年(昭和70年[注 3])には「南北線+東西線+南西線+北西線」、2005年(昭和80年[注 3])には「南北線+東西線+南西線+北西線+南小泉方向+環状方向」のMRT網を整備すべきとを提案した[9]。
1987年(昭和62年)7月15日、南北線富沢 - 八乙女間の全線13.6kmが開通した。八乙女駅ではバスとの乗り継ぎ施設が併設され、その他の駅でもバスとの乗り継ぎ運賃が設定された。
1989年(平成元年)4月1日、仙台市が県とほぼ同格の政令指定都市に移行すると、仙台市内の公共交通機関は市の管轄となったため、県からJR仙石線の地下化事業が移管され、地下鉄計画も市の主導に大きく変化した。宮城県は、1992年度(平成4年度)に第3回の総合都市交通体系調査を実施し、翌1993年度(平成5年度)から1994年度(平成6年度)にかけてまた新たな総合都市交通計画を策定した[9]が、県は新設部分が仙台市外となる仙台空港アクセス鉄道に注力するようになった。
1992年(平成4年)7月15日には泉中央駅へ1駅延伸した(総延長14.8km)。過去の計画における「七北田線」では七北田宿のある市名坂を経由する想定であったが、その西側に新たに造成された泉中央副都心に向かってそのまま北に延伸した。同年度に、泉区泉ヶ丘まで延伸するかどうかの調査が行われたが、延伸しないことで決着した(詳細は「仙台鉄道#黒川郡の鉄軌道構想」を参照)。
2007年(平成19年)5月26日に南北線の運行管理システムが更新され駅内放送も変更された。
仙台市では2015年度(平成27年度)を開業予定として、東西線(八木山動物公園 - 荒井間13.9km)事業を進めている。東西線はリニアモーターを採用、トンネル径の小さい「ミニ地下鉄」方式で建設される。東西線の仙台駅より西側の区間は、過去の計画の「川内線」および「茂庭線」を踏襲した仙台市営モノレール南西線や仙台トンネルへの直通案などの構想を経て、費用対効果が高い区間に短縮された。
年表
- 1962年(昭和37年) - 新産業都市建設促進法制定。
- 1963年(昭和38年)9月 - 仙台市交通対策委員会が設置された[12]。
- 1964年(昭和39年)3月3日 - 仙台市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定[12]。
- 1966年(昭和41年)10月 - 自動車の渋滞対策として、仙台市電の軌道内への自動車の進入が解禁された[13]。これにより、市電の定時運行が困難となった[13]。
- 1967年(昭和42年)12月 - 仙台市交通対策委員会が、高速大量輸送機関の必要性を指摘する答申を出した[12]。
- 1969年(昭和44年)7月 - 仙台市交通計画委員会が設置[12]。
- 1970年(昭和45年)
- 1972年(昭和47年)
- 1975年(昭和50年)8月19日 - 運輸省仙台陸運局の仙台地方陸上交通審議会が、大量高速輸送機関(ルート:七北田周辺~仙台駅付近~長町周辺)の整備を急ぐべきと答申し、事実上、国から地下鉄南北線建設の認可を得た[12][13]。
- 1976年(昭和51年)2月23日 - 高速鉄道建設促進協議会が設置[12]。
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)3月1日 - 地下鉄開業準備室を開設[12]。
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)12月19日 - 仙台高速鉄道サービス株式会社を設立[12]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)4月1日 - 仙台市が政令指定都市に移行。
- 1991年(平成4年)
- 3月 - JR仙石線と接続する仙台~西公園間の地下鉄東西線、および、仙台市営モノレール南西線の断念を発表。
- 7月15日 - 仙台市営地下鉄南北線・八乙女駅 - 泉中央駅間が開通[12]。
- 1993年(平成5年)
- 2000年(平成12年)
- 2003年(平成15年)9月 - 地下鉄東西線事業が許可された。
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)11月 - 地下鉄東西線本体工事が着工。
- 2011年(平成23年)
- 2012年(平成24年)
- 2月 - 軌道の敷設工事に着手[19]。
- 2013年(平成25年)
- 2014年
- 2月26日 - IC乗車券イクスカのデザインが決定[22]。
経営状況
会計年度 | 単年度純損益額 | 累積欠損額 |
---|---|---|
2007年度 | ▲3億8667万円 | 1099億5183万円 |
2008年度 | 13億6822万円 | 1085億8361万円 |
2009年度 | 18億9852万円 | 1066億8509万円 |
2010年度 | 24億7987万円 | 1042億テンプレート:0523万円 |
2011年度 | 24億7827万円 | 1017億2696万円 |
2012年度 | 40億6765万円 | テンプレート:0976億5931万円 |
開業から2007年度までの単年度純損益は赤字が続いていたが、2008年度から黒字に転換。2011年度は東日本大震災の影響によって前年度比+285,467%の特別損失を計上したが、24億7827万円の黒字[23]。2012年度は、過去最高の40億6765万円の黒字となった。累積損益は976億5931万円の赤字[24]。
脚注
注釈
出典
関連項目
テンプレート:Sister テンプレート:Multimedia
外部リンク
テンプレート:日本の地下鉄- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:XLSlink - 国土交通省
- ↑ テンプレート:PDFlink 仙台市交通局
- ↑ 3.0 3.1 3.2 地下鉄東西線開業に合わせて新たな運賃制度を導入します - 仙台市交通局、2014年1月27日。
- ↑ ICカード乗車券「イクスカ」の利用開始時期が決まりました 仙台市交通局(2014年1月23日)
- ↑ [[[:テンプレート:PDFlink]] 仙台市交通局・宮城交通・東日本旅客鉄道 共同リリース
- ↑ 「仙台市地下鉄 中心部に200円均一区間 東西線の運賃決定」(河北新報、2014年1月21日)
- ↑ e-Stat(総務省統計局)
- ↑ 統計データ/宮城県推計人口(月報)(宮城県)
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 テンプレート:PDFlink(宮城県)
- ↑ 「これからの地方都市交通」(運輸省運輸経済研究センター。1974年)
- ↑ 「鉄道・軌道プロジェクトの事例研究 21 仙台市の高速鉄道整備の歴史」(佐藤信之著。鉄道ジャーナル第422号(2003年8月号)P.140-143)
- ↑ 12.00 12.01 12.02 12.03 12.04 12.05 12.06 12.07 12.08 12.09 12.10 12.11 12.12 12.13 12.14 12.15 12.16 12.17 12.18 12.19 12.20 『仙台市史 資料編5 近代現代1 交通建設』(発行:仙台市、編集:仙台市史編さん委員会、発行日:1999年3月31日) p.246~p.262
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 『仙台市史 通史編9 現代2』(発行:仙台市、編集:仙台市史編さん委員会、発行日:2013年3月31日) p.186~p.198
- ↑ 【図解・社会】交通事故死者数の推移(時事通信)
- ↑ 道路交通事故の長期的推移(内閣府「平成23年交通安全白書」)
- ↑ 16.0 16.1 協議会の概要(仙台都市圏広域行政推進協議会)
- ↑ テンプレート:PDFlink(交通局東西線建設本部建設課、2011年6月2日)
- ↑ 仙台市交通局 地下鉄東西線工事情報(2011年9月9日更新)
- ↑ 事業再評価(仙台市交通局)
- ↑ テンプレート:PDFlink 仙台市交通局(2013年11月8日)
- ↑ 地下鉄東西線の正式な駅名が決まりました(仙台市 2013年12月24日)
- ↑ テンプレート:PDFlink 仙台市交通局(2014年2月26日)
- ↑ テンプレート:PDFlink(仙台市交通局)
- ↑ テンプレート:PDFlink(仙台市交通局)
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