ルノーサムスン自動車

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ファイル:RENAULT SAMSUNG MOTORS.JPG
ルノーサムスン釜山工場
ファイル:SN3N0118.JPG
ルノーサムスン大路を示す標識

ルノーサムスン自動車(ルノーサムスンじどうしゃ、略称:RSM)は、韓国釜山に本社を置く自動車メーカーである。

釜山は本社(釜山の他にソウル本社もある)のほか、製造工場(敷地面積約165.000㎡)とR&Dセンター、ならびにギャラリーをもち、その周辺にはルノーサムスン大路(Renault Samsung-daero、르노삼성대로)と名付けられた幹線道路が通っている。また、京畿道にルノーデザインアジア(旧・中央研究所、デザインセンター)を有する。後述の商標使用許諾契約によりサムスンの名称がついているが、実質的にはルノーグループの一員であり、サムスングループから見ると関連企業のひとつである。

CIマーク(通称:ダイナモエンブレム)は台風の目を形象化したものであり、「顧客中心の経営方針を確固たるものにする」「先んじた考えの下でのクルマ造り」という原動力を表現したものである。また、上下左右対称のデザインは「信頼性の追求」を示し、カラーは「プレミアムイメージの主張」である[1]。CIマークは三星自動車設立当初より採用されていたが(その当時のカラーは青も使用されていた)、社名変更後も踏襲されている。

尚、CMなどを通じて2010年からは「Discover the Difference」、2013年からはそれに加えて「Good is not enougfh」というスローガンを掲げている。

経営方針(経営理念)

RIGHT(=正しい)というキーワードを掲げ、全員一丸となって仕事に取り組んでいる。

Reliable(=信頼できる)」
Idential(=同一の→一定品質)」
Genuine(=本物の)」
Honest(=正直な)」
Transparent(=ありのままの)」

歴史

三星自動車発足までの経緯~経営破綻

三星グループの自動車業界への進出計画は以前からあったが、長年にわたり自動車産業への参入を時々の政権に阻害され続けてきた。
しかし、当時会長であった李健煕の強い意志のもと、1990年代より計画実現が徐々に現実味を帯びていくこととなり、当時の大統領である金泳三の支持基盤である釜山を工場建設地に指定し、1994年末に日本日産自動車からの技術導入による自動車産業への参入を申請した。
政府内部では自動車産業の過剰投資を憂慮する反対論が根強かったが、既存の政府主導による産業政策から産業自由化政策へ転換すべきとの自由化論が優勢となり、三星は自動車産業参入の認可を手に入れた。
1997年末の通貨危機を経て、1998年3月から同社初の乗用車であるSM5の生産が始まり、同年に約4万台が生産されるも、通貨危機で内需と輸出が激減し1998年末には大宇電子との事業交換で合意し、その後の6か月は操業中断状態にあった。そして2000年、三星自動車は会社設立から約6年、操業から1年4か月で経営破綻した。

ルノー=日産アライアンス[2]とルノーサムスンの誕生

1990年代後半にデザインや商品戦略などの相次ぐ失敗で販売不振が深刻化し、経営危機がささやかれた日産自動車が1999年3月にフランスのルノーと企業同盟を結び資本提携した。その後のアジア経済危機により三星自動車も上述のような形で経営破綻し、ルノーが株式の80.1%を取得して筆頭株主となった(残りの19.9%は三星グループが保有)ルノーから引き受けを拒否された商用車部門(=サムスン商用車。工場は大邱広域市達西区にあった)が大邱地方裁判所から破産宣告を受けて事実上倒産し、撤退する[3]と同時にルノーグループとサムスングループの間で合弁契約とサムスンブランドの商標使用許諾契約を締結したことでルノーの傘下となり、社名を「ルノーサムスン自動車」に変更して現在に至る。このアライアンスによってすべてのルノーサムスン車には(エンジンプラットフォーム4WDシステムなど)日産自動車の技術が多用されてはいるものの、実は日産とルノーサムスンの間に直接の資本関係はない。

なお、ルノー傘下に入った後も当面は日産車のバッジエンジニアリング車を作り続けていたが、QM5以後の新車種はルノーと日産との共同開発としている。

合弁契約と商標使用許諾契約

2000年、ルノーグループとサムスングループの間で合弁契約とサムスンブランドの商標使用許諾契約を締結したことで「ルノーサムスン自動車」に社名変更し、ルノーの傘下となったが、その理由はルノーサムスンにとっては「サムスンという絶大なブランド力を生かし、韓国市場で高いブランドイメージを維持できるから」であり、三星グループにとっては「ルノーサムスンと自動車用電子部品分野で開発や生産などにおける協力関係を拡大していくことができるから」という双方にとってプラスとなる要素が合致したためである。
この契約は本来、2010年まであったが、国内生産ならびに2006年から本格的に開始した輸出とも非常に好調であったことと、サムスンとルノーサムスン双方のブランド力堅持のため、2009年6月には契約期間を2020年まで延長させている。よって、サムスンの商標は少なくとも2020年までは使用可能となった。

なお、ルノーサムスンは最終利益が発生した場合、売上高の0.8%を商標使用料として三星グループに支払う契約となっている。

海外への輸出

従来、ルノーサムスンブランドの車種は主に国内向けに出荷されており、海外への輸出はチリなどごく一部の国・地域に留まっていた。
しかし、2代目社長であるジャン・マリー・ウェルティジェがCEO就任後はカルロス・ゴーンの指示の下、ルノー・日産グループはルノーサムスンで製造した車種を日産およびルノーブランドにリバッジして輸出を拡大する方針を採ることにし、まず2006年からSM3が日産ブランドの「アルメーラクラシック」として輸出開始された。
続いて、ルノー/日産と共同開発したSUVルノー・コレオスの製造が全量ルノーサムスンで行われることになり(国内向けはルノーサムスン・QM5)、2008年から2010年までは2代目SM5ルノー・サフランとしても輸出された。また、2010年からはSM3 CEがルノー・スカラとして、3代目SM5がルノー・ラティテュード/3代目サフランとして輸出が開始されている。

近年はエンジンやトランスミッションを日本からの輸入に頼りすぎたことによる(他社ライバルと比較しての価格高騰が原因の)赤字体質に悩まされており、そこからの脱却を図るべく2012年上半期に発表された「RSM 2012 リバイバルプラン」に応える形で、ルノー=日産アライアンスが1億6.000万ドルの出資をするとともに、工場の稼働率と生産能力の増強を図るべく、現在、日本の日産自動車九州で生産されているクロスオーバーSUV「ローグ」の次期型を北米日産スマーナ工場に加え、2014年より年間8万台規模で釜山工場にも移管生産することを発表[4]。韓国国内市場はもちろん、主要市場である北米にも供給されるため、同社にとっては初の北米市場への輸出となる。

また、車両としての輸出ではないが、ルノー=日産アライアンスとルノーサムスンの部品供給網を活かし、日産の商用車NV350キャラバン」(いすゞの商用車「コモ」も含む)のドアミラー部品や内装部品など200余の部品をサプライヤーを通じて日産車体九州に供給している[5]

沿革

  • 1994年 日本の日産自動車の技術協力を受け、三星自動車として誕生した。
  • 1998年 同社初の中型乗用車「サムスン・SM5」を発売開始。
  • 1999年 3月に経営不振に陥った日産自動車がルノーと資本提携をしてルノー傘下に入る。
  • 2000年 アジア経済危機のため三星自動車も経営破綻。同年7月、社名を「ルノーサムスン自動車」に変更し、9月に再スタートを切った。同時にルノー傘下となる。初代CEOにジェローム・ストール(:Jerome Stall、現:ルノーグル―プCPO(最高成果責任者))が就任。
  • 2002年 ルノー三星文化館(のちにルノー三星ギャラリーに改名)がオープン。
  • 2002年 初の準中型車「SM3」を発売開始。
  • 2004年 初の準大型車「SM7」を発売開始。
  • 2006年 4月、ストールに代わりジャン・マリー・ウェルティジェ(:Jean Marie Hurtiger)がCEOに就任[6]。日産車がベースであるSM3が日産のバッジを付けて日産ブランドで海外に輸出され始める。
  • 2007年 12月、初めて「ルノー・日産アライアンス」に基づいて開発された同社初の4WDであり、同時に同社初のクロスオーバーSUVでもある「QM5」を発売。
  • 2008年 9月、累計生産台数が100万台を突破。
  • 2009年 2月16日、ルノー三星ギャラリー(含、釜山工場見学)の入場者数が20万人を突破。
  • 2009年 5月22日、韓国の自動車メーカーとして初めてモーターだけで走る電気自動車を2011年10月から量産化する計画を発表[7]
  • 2009年 6月25日、2000年に締結した合弁契約と商標使用許諾契約を10年延長することで合意。
  • 2010年 3月、ウェルティジェ自らが「ルノーサムスンはルノー・日産グループのアジアにおけるハブであり輸出前進基地」と述べた上で、「生産ラインを拡大し、SM3よりもコンパクトな車種(準小型車もしくは軽車)の開発準備をしている」ことを示唆[8]
  • 2010年 4月20日、ルノー三星ギャラリー(含、釜山工場見学)の入場者数が25万人を突破。また、同月には韓国日産の初代社長を務めたグレッグ・フィリップスがマーケティングセールス担当副社長に就任(しかし翌年、クライスラーコリア社長となったため退職。現在はフレデリック・アルトが同ポジションを務める)。
  • 2010年 10月4日、親会社ルノーの韓国F1GP参戦におけるPRのため、光化門前の通りを封鎖し、マシンを時速300km/hでデモ走行させた。 
  • 2010年 12月8日、年間輸出台数10万台を初めて突破[9][10]。記念すべき10万台目はルノー・ラティテュードだった。
  • 2011年 5月25日、輸出台数累計40万台を突破。記念すべき40万台目は2010年の年間輸出累計10万台突破時同様、ラティテュード。
  • 2011年 7月、公式サイトを一新。
  • 2011年 9月1日、CEOがウェルティジェからフランソワ・プロボに交代[11][12]。尚、2013年現在、ウェルティジェはルノー本社で商用車部門の統括部長を務めている。
  • 2012年 5月、釜山モーターショーで未来形を提唱するコンセプトカー「キャプチャー」を出品。これは2011年、ジュネーブモーターショー東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「ルノー・キャプチャー」のルノーサムスン版である。
  • 2012年 7月20日、「RSM 2012 リバイバルプラン」の一環として「日産ローグ」の次期型を2014年より年間8万台規模で釜山工場で生産することを発表。
  • 2013年 4月18日、デザインセンターをルノーグループにおけるアジア地域のデザイン作業を統括管理する「ルノーデザインアジア」へ格上げ[13]
  • 2013年 6月1日、ルノーサムスン初となる直噴ガソリンターボエンジン・MR190DDTを搭載した「SM5 TCE」を発売開始。
  • 2013年 6月13日、韓国東西発電との協業で自動車製造工場としては世界最大規模となる太陽光発電ステーション「釜山新湖太陽光発電所」を釜山工場内に竣工。設備容量は20万メガワットである[14]
  • 2013年 9月1日、全モデルに特別仕様「アートコレクション」を設定。特別仕様を全モデルにおいて同時発売するのはルノーサムスン史上初である。
  • 2013年 10月2日、累計生産台数が200万台を突破[15]
  • 2013年 11月5日、ルノー=日産アライアンスと三菱自動車工業が生産・技術・生産を共用するプロジェクトに合意。ルノーサムスンもアメリカカナダ市場向けの三菱ブランドのDセグメントセダンの生産を任される予定、と発表された[16][17]
  • 2013年 12月11日、6年ぶりの新規投入となる小型クロスオーバーSUV「QM3」をプレス向けに発表。同月28日に正式発表・公式サイトへの本掲載を開始。
  • 2014年4月21日、2009年10月28日から2013年5月2日まで製造されたL43型SM5(計161.700台)が走行中にエンジンが止まる恐れがあるとしてリコールを発表[18]。社史最大規模のリコール台数である。

ストライキ

2012年8月10日、極度の業績不振に対応すべく、会社設立以来初めて希望退職者を募集。対象人数は技術職約1.000人を除いた約4.500人としている[19]。 しかし、2011年8月に結成された労働組合がこの募集に猛反発し、13日にストライキに突入することを発表。 労働組合側はこの日、午後2時45分から午後4時45分まで釜山工場で昼夜勤がそれぞれ1時間ずつストライキに突入した。

車種一覧

現行生産/販売車種

生産予定車種

過去の生産車種

三星/ルノーサムスン車

サムスン商用車

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株主

販売台数

2009年の販売台数は189,813台で前年比3.7%の減少となった。世界経済の低迷によって新車需要が伸び悩んだためである[20]

輸出では、2010年第1四半期に過去最高となる2万2,408台を出荷。2前年比171.5%の増加で2009年の輸出台数の40%に匹敵する。ルノーサムスンは「海外市場において日産とルノーブランドで我々の車を売ることは販売に寄与している。しかし、ルノーサムスン製車種の注文が増加しているという事実は我が社が高品質の車によって顧客の信用を獲得している表れである」という声明を出している[21]。上述にもあるように2010年はルノーサムスン史上初めて年間輸出台数が10万台を突破。2000年の同台数の500倍以上の成長率を記録している。

2011年の輸出分を含めた販売台数は11万8135台となっており、2010年の16万1917台から約27%と大幅に落ち込んだ[22]。原因の一つに、東日本大震災によって日産自動車いわき工場が甚大な被害を受けたことにより、同工場で生産されるVQエンジンジヤトコで生産されるトランスミッションの納入が遅れたことが挙げられる。

2012年6月の月間販売台数は4.008台で(前年同月比58%減)、4位の双竜自動車の4.033台に負け、会社創立以来の業界最下位となった。これはSM7の販売低調とキア・フォルテの後継として9月に発売予定のK3に対する期待で同クラスの準中型車・SM3の買い控えが起きてしまったためである[23]。これ以降、双竜とは4位・5位の座が度々入れ替わるようになる。

2013年1月の販売台数は3,850台と創立以来の最低台数をマーク。これは同月のBMWの韓国における全販売台数(3,600台)に近い[24]

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:自動車
  1. CI紹介ルノーサムスン自動車公式サイト内
  2. ルノー=日産アライアンスルノーサムスン自動車公式サイト内
  3. ルノーは日産ディーゼルをこうする!? ---サムソン商用車の末路response.jp 2000年12月12日
  4. ルノー・日産アライアンス、韓国へ1億6,000万ドルを投資TOP > ニュース > 2012年 >7月-9月  日産自動車 ニュースリリース 2012年7月20日(2012年8月3日 閲覧)
  5. 韓国産部品を大量使用する日産ミニバン「NV350キャラバン」中央日報2012年01月20日(2012年7月1日 閲覧)
  6. ダチア・ロガン開発時のプロジェクトリーダーであり、ロガンが商業的に大成功を収めた実績を買われ、2006年よりジェローム・ストールに代わり就任。尚、ジェロームは2013年現在、ルノーの副社長を務めている。
  7. ルノーサムスン・電気自動車の量産計画発表東洋経済日報 2009年5月22日
  8. ルノー三星車「SM3より小さい車を準備中」(1)中央日報 2010年3月23日
  9. テンプレート:Cite web
  10. テンプレート:Cite web
  11. ルノー三星自のウェルティジェ社長「韓国企業経営はF1マシーンの運転と同じ」 東亞日報 2011年8月25日
  12. 르노삼성자동차 프로보 CEO 시대 개막(和訳:ルノーサムスン自動車、プロボCEO時代開幕)Yahoo!KOREAニュース 2011年9月2日
  13. ルノー本社、韓国の能力を認める…「SM5の後続車開発はルノーサムスンに」中央日報2013年4月19日 (2013年4月26日 閲覧)
  14. ルノーサムスンの自動車工場に太陽光発電設備…世界最大規模中央日報 2013年6月13日(2013年9月2日 閲覧)
  15. ルノーサムスン、累計生産台数200万台超える中央日報 2013年10月3日
  16. ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討三菱自動車工業 プレスリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  17. ルノー・日産アライアンスと三菱自動車 広範囲に及ぶグローバルな商品・技術における協力関係を検討日産自動車 ニュースリリース 2013年11月5日(2013年11月7日 閲覧)
  18. ルノーサムスン「SM5」16万台をリコール中央日報2014年4月22日(2014年6月5日 閲覧)
  19. テンプレート:Cite news
  20. テンプレート:Cite web
  21. テンプレート:Cite web
  22. ルノーサムスン、国内調達率を80%に引き上げ国際自動車ニュース 2012年1月23日(2012年2月21日閲覧)
  23. ルノーサムスン、韓国自動車業界で最下位に朝鮮日報2012年7月3日(2012年7月5日 閲覧)
  24. 韓国市場で輸入車が躍進、一部で韓国車抜く 朝鮮日報日本語版(2013年4月7日)