たのきんトリオ
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テンプレート:ウィキプロジェクトリンク たのきんトリオとは、田原俊彦(トシちゃん)、近藤真彦(マッチ)、野村義男(ヨッちゃん)の3人のジャニーズアイドルによるグループ名で、1980年代前半に活躍した。ただし正式なユニット名ではない。いずれも『3年B組金八先生』の第1シリーズに生徒役で出演していた。
名称の由来は、田原の「田(た)」、野村の「野(の)」、近藤の「近(きん)」のそれぞれの文字より抜粋している。
メンバー
プロフィール | 愛称 | イメージカラー | |
---|---|---|---|
田原俊彦 (リーダー) (たはら としひこ) |
テンプレート:生年月日と年齢、B型、山梨県出身 | トシちゃん |
テンプレート:Colorレッド |
野村義男 (のむら よしお) |
テンプレート:生年月日と年齢、A型、東京都出身 | ヨッちゃん |
テンプレート:Colorブルー |
近藤真彦 (こんどう まさひこ) |
テンプレート:生年月日と年齢、O型、神奈川県出身 | マッチ |
テンプレート:Colorイエロー |
概要
- 1979年10月~1980年3月に放映されたTBS系ドラマ『3年B組金八先生』に生徒役で出演したことにより注目される。1980年4月1日にジャニーズ事務所がよく利用していた六本木フォンティーヌ地下で、3人の初イベント『金八トリオ・ファンの集い』を開催する予定だったが、会場より六本木の駅までファンで埋め尽くされるほどの予想をはるかに上回るファンが来場したため、イベントは中止となった[1]。続いて1980年5月26日に放映を開始したフジテレビ系ドラマ『ただいま放課後』でますます人気は加熱していき、放映回数も当初の予定より延長された。ジャニーズ事務所所属のアイドルグループとして結成され、相次いで歌手デビューする。前述したように「たのきんトリオ」として正式な音楽ユニットを編成していた訳ではない。 3人が揃ってレコーディングに参加した楽曲は、映画「グッドラックLOVE」の挿入歌『ときめきはテレパシー』と田原俊彦の『哀愁でいと』のB面曲『君に贈る言葉(アフター・スクール)』のみである。“たのきん”の名はジャニー喜多川が発案し、「プチセブン」誌上で広められた。しかし、ライバル誌の「セブンティーン」は旧来の「悪ガキトリオ」の呼称を通し続けていたという。1983年8月28日の大阪球場コンサートをもって解散した。
- 1970年代のトップアイドル新御三家に例えると、田原俊彦が郷ひろみ(軟派)、近藤真彦が西城秀樹(硬派)、野村義男が野口五郎(ごく普通)の路線をそれぞれ受け継いでいる(郷ひろみもジャニーズ事務所出身)。たのきんトリオの登場直前まで、ジャニーズ事務所においてエース格の扱いを受けていた所属タレントは、ブロマイド売上NO.1にもかかわらずアイドル冬の時代もありヒット曲には恵まれなかった川崎麻世だった。テレビ番組や雑誌では他事務所所属の渋谷哲平(川崎とはNHK『レッツゴーヤング』でサンデーズの一員として共演していた)とセット売りされる事も多く、合同コンサートも幾度か開催していた。1980年初頭には「80年代に期待できる男性アイドルはこの二人」と彼らの合同コンサートを取り上げた雑誌記事もあった。しかし1980年初夏ごろを境に、テレビや雑誌などメディアにおけるプッシュ及び、マスコミやファンからの注目や人気の対象が一斉にたのきんトリオに切り替った。結果、郷ひろみの移籍に始まり、ニューミュージック時代到来による新御三家以外の男性アイドルに逆風が吹いていた状況、フォーリーブスの解散、VIPの主要メンバーの脱退及び退所や解散、豊川誕の退所、新人や新ユニットの不発が重なっていたジャニーズ事務所の低迷期を一気に打破する事となった。ジャニーズ事務所低迷期に、自転車で各テレビ局間を移動して自社タレントを売り込む毎日だったジャニーズ事務所副社長のメリー喜多川が獲得した仕事が『3年B組金八先生』であった。
- 松田聖子と共に賞レースでも活躍し、1970年代後半のニューミュージック一辺倒の風潮を一気に塗り替えた、新たなる時代への幕開けの象徴であった。たのきんの3人それぞれが、デビューした年の『日本レコード大賞』などの音楽賞で最優秀新人賞を受賞している。以後のジャニーズ事務所は急成長を遂げ、ジャニーズJr.が人気アイドルのバックでの顔見せを経てデビューするという一時期途絶えていたシステムも復活。後続するシブがき隊や少年隊などが次々とデビューし、1980年代の芸能界を驀進する事になる。
- 日本雑誌協会主催の『ゴールデン・アロー賞』では、トリオとして第18回(1980年度)話題賞、第20回(1982年度)20周年記念特別表彰スーパーアイドル賞を受賞している。
- 2012年現在は、近藤のみがジャニーズ事務所の所属だが、野村については円満に退社したことと近藤と仲が良いこともあってか現在も両者が共演することがある。一方、田原については円満な退社でなかったためか、90年代後半以降2人との共演はなくなっている(2012年11月12日のSMAP×SMAPには田原のみ出演していない)。
主な出演作品
テレビ
バラエティ
映画
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ
- 「青春グラフィティ スニーカーぶる〜す」(シリーズ第1弾・1981年)主演:近藤真彦
- 「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」(シリーズ第2弾・1981年)主演:近藤真彦
- 「グッドラックLOVE」(シリーズ第3弾・1981年)主演:田原俊彦
- 「ハイティーン・ブギ」(シリーズ第4弾・1982年)主演:近藤真彦
- 「ウィーン物語 ジェミニ・YとS」(シリーズ第5弾・1982年)主演:田原俊彦
- 監督:河崎義祐、出演:ヒロコ・グレース、生田智子、津島恵子、檀ふみ、長谷直美、山村聰、他
- 【同時上映】「三等高校生」主演:野村義男
- 監督:渡邊祐介、出演:田中邦衛、岡田奈々、樹木希林、川﨑麻世、早見優、シブがき隊、鈴木ヒロミツ、荒井注、西村晃、他
- 「嵐を呼ぶ男」(シリーズ第6弾・1983年)主演:近藤真彦
- 監督:井上梅次、出演:坂口良子、相田寿美緒、白川由美、植草克秀、おりも政夫、あおい輝彦、中尾彬、フランキー堺、他
- ※石原裕次郎主演の同名映画を近藤主演でリメイク
- 【同時上映】「Love Forever」主演:田原俊彦
- 監督:井上梅次、友情出演:近藤真彦、野村義男
ステージ
- サヨナラ日劇FESTIVAL (1981年2月11日、日本劇場)
- たのきん3球コンサート (1981年8月、1983年8月)
歌
- 君に贈る言葉 (アフター・スクール)(田原俊彦の「哀愁でいと」のB面)
- ときめきはテレパシー(映画「グッドラックLOVE」挿入曲)
ビデオ
- たのきんHOTライブ(1980年11月5日、ポニーキャニオン)
- 3球コンサート 1983・8・28 大阪球場(1983年)
カセットテープ&写真集
- たのきんライブ'81(1981年7月8日、集英社)
- side A
- 哀愁メドレー(哀愁でいと~レッツゴー・ダンシング~ファンキー・モンキー・ベイビー~ルイジアナママ~哀愁トゥ・ナイト~哀愁でいと)
- スニーカーぶる~す
- 月の灯り
- ある日曜日の出来事
- Rockn Rollメドレー(恋のゴーカート~悲しき雨音~ハッピーバースデースウィート16~ダイアナ)
- side B
- コール・ミー
- 雨が降ってきた
- ラストダンスは私と
- しらけちまうぜ
- ハッとして Good!
- ヨコハマ・チーク
- 恋はDo!
- 君にこのうたを
- side A
脚注
関連項目
- たのきんトリオをパロディとして派生したトリオ
- 音楽番組でロケが行われた鉄道駅
- そのほかに現NMB48の山本彩を中心とした「MAD CATZ」も北脇央子以外が阪急宝塚駅を発着とした阪急路線の駅名(宝塚線の山本駅と今津線の小林駅)が苗字であることも明らかになっている(小林駅は「こばやし」ではなく「おばやし」である)。他にMr.Childrenも鈴木以外のメンバーの苗字が近畿日本鉄道の駅に苗字が入っていることが明らかになっている。
- ↑ TBS『中居正広の金曜日のスマたちへ 3時間スペシャル』 2010年3月26日放送