常陸宮正仁親王

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常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年昭和10年)11月28日 - )は、日本皇族昭和天皇香淳皇后の第二皇子。今上天皇の弟宮にあたる。御称号は義宮(よしのみや)。身位親王皇室典範における敬称殿下お印黄心樹(おがたま)。勲等大勲位皇位継承順位第4位。

名誉学位ジョージ・ワシントン大学名誉博士ミネソタ大学名誉博士。その他、ドイツがん学会名誉会員

概要

生い立ち

1935年昭和10年)11月28日昭和天皇香淳皇后の第二男児として誕生。幼少期に、軽い小児麻痺を患う。

1939年(昭和14年)12月、満4歳で宮中を出て移居し、傅育官のもとで育てられる。移居に際して昭和天皇は「移居先を明るい気持ちの良い場所とするよう」要求し、移居を「淋しい」と述べている。移居後の12月7日には「英国王室に於ては宮中にて皇子傅育をしてゐるが、日本では何故出来ぬか」との言葉を残した。

戦後は、皇太子明仁親王(当時)とともに、開かれた皇室のイメージを自ら演出。正仁親王をモデルとして描かれたとされる漫画の主人公から命名された「火星ちゃん」(表題・キャラクターと同名)の愛称で、国民に親しまれる。

成年・結婚

1955年(昭和30年)11月28日成年に達し、大勲位に叙され、菊花大綬章を授けられる。1958年(昭和33年)学習院大学理学部化学科を卒業し、理学士称号を取得。その後東京大学大学院理学研究科研究生となり、動物学を専攻。

1964年(昭和39年)2月20日徳川義寛侍従邸で、彼の姪・津軽華子見合い。2月22日に津軽家が縁談を受諾し、2月28日の皇室会議で婚約が内定。4月14日納采の儀9月15日告期の儀を経て、9月30日結婚の儀。沿道には5万人が集まり、祝福した。

宮家創設

結婚の儀にともなって、同日、常陸宮家が創設される。常陸宮家は、戦後初の宮家創設であり、宮号は、律令時代より、親王国司に任じた(親王任国常陸国から選ばれた。華子妃との間に子女は無い。

住居(常陸宮邸)は東京都渋谷区常磐松町(現在の四丁目)の常盤松御殿に定められた。常盤松御殿はそれまで皇太子明仁親王(当時)の御殿で、第二次世界大戦前までは東伏見宮邸であったところである[1]

常陸宮正仁親王は公務のかたわら病理学的研究をつづけ、1969年(昭和44年)から財団法人癌研究会癌研究所の客員研究員を務め、2001年(平成13年)1月から癌研究会名誉総裁に、2012年(平成24年)12から高松宮妃癌研究基金総裁にそれぞれ就任した。

人物像

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常陸宮邸(常盤松御用邸)の森 (東京・渋谷)

皇族らしい風格の持ち主と言われ、父帝昭和天皇の学究肌の性格をよく受け継いでいるとも言われる。皇室では叔父の三笠宮崇仁親王とともに学者として豊富な研究成果を挙げており、高い評価を受けている。英語も堪能。海外の学会にもたびたび参加している。その温和な性格を示すものとして、「昼食の際、女官がナプキンの用意を忘れたことに気付いたが、彼女を気遣って何も言わず自分のハンカチを膝に載せていた」というエピソードがある[2]。また一時無教会派の教義に触れた時期があったこともありキリスト教にも理解が深く[2][3]1965年昭和40年)にはバチカンで教皇パウロ6世と面会している。

白内障を患っている。2008年に治療を行ったが、2012年には後発白内障の症状が出始めたため、2013年3月19日に再手術を受けた[4][5]

備考

政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では「皇太子」を除いて皇族に宮号が冠されることはないため、それらの告示が掲載される官報での表記は「正仁親王」とされ、「常陸宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「常陸宮」の表記も用いられる。

系譜

正仁親王 父:
昭和天皇
祖父:
大正天皇
曾祖父:
明治天皇
曾祖母:
柳原愛子
祖母:
貞明皇后
曾祖父:
九条道孝
曾祖母:
野間幾子
母:
香淳皇后
祖父:
邦彦王(久邇宮)
曾祖父:
朝彦親王久邇宮
曾祖母:
泉萬喜子
祖母:
俔子
曾祖父:
島津忠義
曾祖母:
山崎寿満子

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脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』 名著出版 昭和53年9月30日発行 p248
  2. 2.0 2.1 河原敏明『天皇裕仁の昭和史』(文春文庫、1986年
  3. 「三笠宮、兄・天皇を語る」(「サンデー毎日」1977年5月15日号)、ただし常陸宮がクリスチャンである、という説は明確に否定している。
  4. テンプレート:Cite news
  5. テンプレート:Cite news