国鉄EF64形電気機関車
EF64形は、日本国有鉄道(国鉄)が1964年に開発した、勾配線区用向け直流電気機関車である。
目次
製造の経緯
1960年に国鉄の大型電気機関車としては最初の近代化形であるEF60形が完成して以後、本線の列車牽引用としては東海道・山陽本線向けのEF61形と信越本線用のEF62形・EF63形が開発されていた。
EF60形・EF61形は平坦路線牽引用、またEF62形は信越本線横川駅 - 軽井沢駅間の国鉄最急勾配に対応した本務機、EF63形は碓氷峠用補機という特殊設計となっており、他の一般勾配路線では、EF62形・EF63形が備える急勾配用の装置は必要としなかった。
しかし一方で、奥羽本線の板谷峠(当時直流電化、後に交流化し当形式は撤退)越え区間や、中央本線[* 1]など、20パーミルから33パーミル程度の中勾配区間に対応する発電ブレーキ搭載の新型F級電気機関車が必要とされる直流電化路線も多く、これに対応するために開発され1964年に登場したのが本形式である。
1964年から1976年の間に基本番台(1 - 79)が79両、1980年から1982年の間に大幅な設計変更を行った1000番台(1001 - 1053)が53両の計132両が製造された。
構造
※全車に共通的な事柄のみ記す。
車体
重連運転を行うことからEF62形・EF63形と同様の前面貫通形となっているが、前面窓部分の傾斜をなくしているためEF62形・EF63形とは若干印象の異なる前面形状となった。
また本形式では車体塗装をぶどう色2号(茶色)ではなく、青15号に前面下半部のみクリーム1号の新塗装としている。従来は寝台特急列車牽引用のEF60形500番台のみが青色とクリーム色のツートンカラーであったが、本形式以降、直流新形電気機関車はすべてこの塗装が採用[* 2]されることとなった。
搭載機器
EF62形をベースに、軸配置を2軸ボギー3台車の一般的な配置「Bo - Bo - Bo」に戻し、併せて歯車比をEF62形の16:71=1:4.44から高速性能をやや重視した18:69=1:3.83に変更した。碓氷峠用特殊装備は未搭載である。
制御方式は、直列・直並列・並列の3段組み合わせ弱め制御である[1]。制御装置として、電動カム軸式抵抗制御器(CS22)、電動カム軸式転換・バーニア制御器(CS23)、電動カム軸式界磁制御器(CS24)を搭載する[1]。
主電動機は設計当時の国鉄電気機関車で標準的に採用されていた直流直巻整流子電動機のMT52(端子電圧750V時1時間定格定格出力425kW)を6基搭載する。総定格出力は2,550kWである。
重連運転を想定し、重連総括制御装置と正面貫通扉を備え、また下り坂での安全対策のため発電ブレーキを搭載する。発電ブレーキの特性上、本形式の逆転器は界磁電流の向きを変える界磁転換方式[* 3]ではなく、電機子電流の向きを変えるという電機子転換方式を採用した。
客車列車に使用するため電気暖房装置(EG)[* 4]を搭載した車両と、未搭載の貨物列車専用機が存在する。
番台区分別概説
基本番台
テンプレート:Vertical images list 勾配線用で発電ブレーキを常用する設計であることから、抵抗器の放熱を効率よく行うため、車体側面のエアフィルタ部の開口面積を大きく設計してあるのが特徴である。79両が製造された。
台車は、同じ軸配置B-B-BかつMT52系電動機搭載のEF70形用をベースとした、DT120A(両端台車)およびDT121A(中間台車)を装着する[2]。
制御器および補機の動作用電源として、MH81B-DM44B二相交流式電動発電機を搭載する。交流60Hz、5kVAの容量を備え、交流24V、交流50V、交流100Vのほか、整流器を介して直流100Vを供給する。加えて、EG搭載機にはMH107A-DM69A電動発電機を搭載する。
空気ブレーキなどで使用される圧縮空気を供給する電動空気圧縮機は、シロッコファン式のMH92B-C3000を1基搭載する。
電動機などの冷却に使用する電動送風機は、MH91A-FK34Aを2基搭載する。内訳は、第1 - 第4電動機用が1基、第5・6電動機・ブレーキ抵抗器用が1基である。
- 1・2
- 1964年11月に落成した量産試作車。
- 3 - 12
- 1965年7月から9月にかけて落成した1次量産車。
- 29・30
- 1968年9月に落成した3次量産車。
- 31 - 36
- 1970年1月から4月にかけて落成した4次量産車。
- 37 - 43
- 1971年3月から5月にかけて落成した5次量産車。
- 抵抗制御器をCS22BからCS22Cに変更。
- バーニア制御器をCS23BからCS23Cに変更。
- 界磁制御器をCS24AからCS24Bに変更。
- 単位スイッチをSR114からSR124に、SR117からSR125に変更。
- 前面貫通扉ステップの形状変更。
- 前面窓がデフロスタから熱線入りガラスに変更。
- 空転滑走検知装置を車軸発電機方式から電機子電流の変化を検知する方式へ変更。
- 44・45
- 1971年9月に落成した6次量産車。仕様は5次量産車と同一。
- 46 - 75
- 1973年3月から7月にかけて落成した7次量産車。
- 抵抗制御器をCS22CからCS22Dに変更。
- バーニア制御器をCS23CからCS23Dに変更。
- 界磁制御器をCS24BからCS24Cに変更。
- 制御器前面に観音扉を取付。
- 以上4点は雪害対策の一環[4]。
- 76 - 79
- 1976年1月に落成した8次量産車の76・77と同年11月に落成した9次量産車の78・79に大別される。
なお、各製造次別の製造メーカー・EG搭載・新製配置・名目は下記表を参照。
製造次 | 車両番号 | 製造メーカー | 電気暖房用EG | 予算 | 製造名目 | 新製配置 |
---|---|---|---|---|---|---|
量産試作車 | 1 | 東芝 | 搭載 | 昭和38年度第3次債務 | 奥羽本線板谷峠対応EF16形取替 | 福島機関区 |
2 | 川崎車輛 川崎電機製造 | |||||
1次量産車 | 3 - 7 | 東芝 | 昭和39年度第5次債務 | |||
8 - 12 | 川崎車輛・</br>川崎電気製造 | |||||
2次量産車 | 13 | 東芝 | 未搭載 | 昭和40年度第2次民有 | 中央東線および既電化区間輸送力増強用 | 甲府機関区 |
14・15 | 川崎車輛</br>川崎電気製造 | |||||
16 - 20 | 東芝 | 昭和40年度第1次債務 | 中央西線名古屋 - 瑞浪間電化開業[* 6] | |||
21 - 28 | 川崎車輛</br>川崎電気製造 | |||||
3次量産車 | 29・30 | 昭和42年度第3次債務 | 中央西線瑞浪 - 中津川間電化開業 | 稲沢第二機関区 | ||
4次量産車 | 31・32 | 川崎重工業</br>富士電機[* 7] | 搭載 | 昭和44年度民有 | 新東京国際空港資材運搬 | 甲府機関区 |
33 - 36 | 昭和44年度第2次債務 | 中央東線・飯田線・身延線貨物列車輸送力増強 | ||||
5次量産車 | 37 - 39 | 汽車製造</br>東洋電機製造 | 昭和45年度第1次債務 | 飯田線・身延線等貨物列車輸送力増強および 中央東線電気機関車新性能化 | ||
41 - 43 | 川崎重工業</br>富士電機 | |||||
6次量産車 | 44 | 汽車製造</br>東洋電機製造 | 昭和45年度第3次債務 | 中央東線石油専用列車増発 | ||
45 | 川崎重工業</br>富士電機 | |||||
7次量産車 | 46 - 50 | 川崎重工業[5]</br>東洋電機製造 | 昭和48年度民有 | 中央西線中津川 - 塩尻間および 篠ノ井線松本 - 篠ノ井間電化開業 |
篠ノ井機関区 | |
51 - 55 | 川崎重工業</br>富士電機 | 長野運転所[* 8] | ||||
56 - 64 | 川崎重工業</br>東洋電機製造 | 未搭載 | 甲府機関区[* 9]</br>長野運転所[* 10] | |||
65 - 75 | 川崎重工業</br>富士電機 | 稲沢第二機関区[* 11]</br>長野運転所[* 12] | ||||
8次量産車 | 76 | 昭和49年度第3次債務 | 飯田線旧型電気機関車代替[* 13] | 甲府機関区 | ||
77 | 川崎重工業</br>東洋電機製造 | |||||
9次量産車 | 78・79 | 昭和50年度第2次債務 |
1000番台
1000番台は1970年代末期に開発され結果的に国鉄最後の開発となった直流電気機関車である。上越線や高崎線で当時使われていたEF58形・EF15形・EF16形の置き換え用に1980年より投入された。ラストナンバーの1053は国鉄が最後に製造した直流電気機関車である。
性能は基本番台とほぼ同様であるが、各部仕様は基礎から再検討がなされたため、基本番台との差異は大きい。計画にあっては形式の変更もあり得たが、労働組合との間で新型機関車導入に関わる難しい折衝を行う必要があるので在来機のマイナーチェンジ(新規番台区分)扱い[* 14]とした。
主な投入予定線区である上越線の沿線が国内有数の豪雪地帯であったことから、雪害対策を特に重視し、車内機器配置方法は大きく変更された。車体側面の一端に大型のブロアールーバーがあり、ここが第2機器室、その前後が第1機器室、第3機器室と3分割にされた。主抵抗器とその送風機や主電動機送風機など冷却空気の必要な機器を第2機器室に集中して配置し、主抵抗器の排熱風をルーバーとその内側のフィルタの間に還流することで防雪対策としているほか、運転室の防音にも配慮している。第1機器室と第3機器室には発熱の少ない機器が配置されているが、主電動機送風機で室内をわずかに与圧することで粉雪や塵埃の侵入を抑止し、防雪・防塵対策としている。この結果、他の国鉄電機では見られない側面左右非対称の車体になった。
耐雪装備を大幅に強化し、本形式基本番台やEF65形の一部、EF81形の一部に搭載されている発熱体付きの砂管は、通常の塗装では熱により塗膜が劣化、剥離するため、アルミ粉が含まれた耐熱塗料で塗装されている。
制御装置は基本番台最終増備車に準じたCS22D抵抗制御器・CS23Dバーニア制御器・CS24C界磁制御器を搭載しており、1000番台・基本番台双方との重連総括運転[* 15]が可能である。
制御器および補機の動作用電源として、電動発電機はDM104ブラシレス直流電動機を採用してブラシレス化を行い、電気暖房用電源(EG)はサイリスタを使用したSC14静止形インバータ[* 16]とした。
主抵抗器は基本番台のMR74では発電ブレーキ時の容量が不足することから新設計のMR146に、主電動機は電機子軸径とブラシ保持器改良などを図ったMT52Bに、集電装置はPS22B下枠交差式パンタグラフとなった。
車体が長くなった結果、基本番台の台車では両端台車の首振り角および中間台車の左右動幅が不足するため、EF81形にて実績のある揺れ枕省略形のDT138・DT139に勾配途中での長時間停車時に使用するブレーキシリンダロック装置を追加した、DT138A(両端台車)/DT139A(中間台車)とした。
空気ブレーキなどで使用される圧縮空気を供給する電動空気圧縮機は、MH3064A-C3000形を1基搭載する。これはEF66形0番台2次車と同様のものである。
電動機などの冷却に使用する電動送風機は、主電動機用としてMH3084-FK144を、抵抗器用としてMH3085-FK145を、それぞれ1基ずつ搭載する。
なお、2次車からは集電装置がPS22Cに変更され、上越線水上 - 石打間補機運用に充当する際、深夜に重連総括制御用ジャンパ連結器などを着脱する際の照明の設置が求められたことから、正面ジャンパ連結器上部に斜め下向きの作業灯[* 17]が追加設置されている。
- 1000番台番号別分類
製造次 | 車両番号 | 製造メーカー | 電気暖房用EG | 予算 | 新製配置 |
---|---|---|---|---|---|
1次車 | 1001 - 1007 | 川崎重工業</br>東洋電機製造 | 搭載 | 昭和54年度第2次債務 | 長岡運転所 |
1008 - 1016 | 川崎重工業</br>富士電機 | ||||
2次車 | 1017 - 1023 | 川崎重工業</br>東洋電機製造 | 昭和55年度第1次債務 | ||
1024 - 1032 | 川崎重工業</br>富士電機 | ||||
3次車 | 1033 - 1041 | 川崎重工業</br>東洋電機製造 | 未搭載 | 昭和56年度第1次債務 | |
1042 - 1053 | 川崎重工業</br>富士電機 |
現状
- JR貨物
2014年2月15日現在[6]
- 愛知機関区
- 51・59・60・61・67・72
- 1002-1006・1008-1028・1033-1050
- JR東日本
2012年4月1日現在[7]
廃車
2012年度までに57両(基本番台55両・1000番台2両)が廃車された。</br> ※この書体は更新施工車
- 2003年度:11両
- JR東日本:1029
- JR貨物:3・5・6・7・8・14・21・24・25・26
- 2004年度:7両
- JR貨物:11・16・17・18・19・23・32
- 2005年度:2両
- JR貨物:13・65
- 2006年度:5両
- JR東日本:42
- JR貨物:12・27・28・29
- 2007年度:14両
- JR貨物:22・30・40・44・45・46・48・49・50・52・54・55・58・62
- 2008年度:17両
- JR東日本:41
- JR東海:2・35・66
- JR西日本:1・9
- JR貨物:4・15・20・56・57・64・69・71・73・78・79
- 2012年度:1両
- JR貨物:1007
運用
国鉄時代
1964年から1965年にかけて落成した最初の12両は直流電化区間だった奥羽本線板谷峠越え(福島 - 米沢間)のEF16形置換え用として福島機関区に配置された。これらは1968年の同線交流化に伴い、全機が稲沢第二機関区に転出した。
1966年から製造された基本番台増備車は甲府機関区・長野運転所・篠ノ井機関区・稲沢第二機関区などに配置され、主に中央本線・篠ノ井線で運用された。
上越線への1000番台投入の前には乗務員訓練・営業運転などで、基本番台5両が長岡運転所に転出し上野 - 長岡間で急行「能登」や寝台特急「北陸」などを牽引するなど1000番台と共用されたが、計画両数が出揃った後に再び転配された。
1000番台53両は落成時点では全車が長岡運転所に配置され、増備車が落成すると一部は高崎第二機関区(現・高崎機関区)に転出したが、いずれも上越線で使用された。
1980年には伯備線電化に備え、基本番台の一部が岡山機関区に転出したほか、1987年には長岡運転所から1000番台も転出した。また1984年に青梅線・南武線の貨物列車で使用していたED16形の取替えのため基本番台・1000番台の一部が八王子機関区(現・八王子総合鉄道部)に転出した。
58は1978年10月に長野県で開催されたやまびこ国体の際に、77は1986年10月に山梨県で開催されたかいじ国体の際にそれぞれお召し列車を牽引した。77は国鉄最後のお召し列車牽引機となった。この2両とお召し予備機の62は供奉車との電話用栓受けが残っていたほか、塩尻機関区篠ノ井派出に配置されていた58[* 18]は、連結器および解放テコ・手すりなどが篠ノ井総合鉄道部(当時)の一般公開の際に銀色に塗られていた。
JR発足後
1987年の国鉄分割民営化では本形式は基本番台・1000番台とも製造された全車がJRに承継された。貨物列車牽引用に使用されていた車両が多く日本貨物鉄道(JR貨物)に全体の85%に及ぶ113両(基本番台68両・1000番台45両)が、東日本旅客鉄道(JR東日本)に14両(基本番台6両・1000番台8両)が、東海旅客鉄道(JR東海)に基本番台3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に基本番台2両がそれぞれ承継された。
会社 | 所属 | 車両番号 | 総数 | |
---|---|---|---|---|
JR東日本 | 高崎運転所 | 36 - 39・1001 | 5両 | 14両 |
北長野運転所 | 41・42 | 2両 | ||
長岡運転区 | 1029 - 1032・1051 - 1053 | 7両 | ||
JR東海 | 名古屋車両区 | 2・35・66 | 3両 | 3両 |
JR西日本 | 下関運転所 | 1・9 | 2両 | 2両 |
JR貨物 | 高崎機関区 | 3・8・1002 - 1028・1033 - 1047 | 44両 | 113両 |
塩尻機関区 | 10・13 - 26・43 - 55・58 - 64・68 - 70 | 27両 | ||
稲沢機関区 | 4 - 7・11・12・27 - 34・56・57・65・67・71 - 79 | 38両 | ||
岡山機関区 | 40・1048 - 1050 | 4両 |
JR東日本
テンプレート:Double image aside 現在に至るまで定期運用を持ち、以下に記す寝台列車の牽引・臨時列車・ジョイフルトレイン・工臨・配給列車(#電車牽引用特殊装備の設置も参照)で運用される。
寝台特急運用はいずれも上野駅 - 長岡駅間で、民営化時は「北陸」と「出羽」を担当。1990年9月からは「鳥海」が加わり3往復体制になるが、「出羽」「鳥海」は1997年3月までに廃止。本運用は1000番台が充当されていたが、2009年3月14日から冬季定時性確保のため「あけぼの」がEF81形より振り替えられ、翌2010年3月12日の「北陸」廃止までの1年間だけ0番台(37・38)も運用に投入された。
JR東海
ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の牽引や工臨に充当された。
民営化時は名古屋車両所に配置されていたが、後に静岡車両区に転属した。2005年の「ユーロライナー」消滅後は、もっぱら工臨運用に充当されるケースが多かったが、2008年にレール輸送用キヤ97系が登場。本系列による工臨運用も置換えられ、2009年1月16日付で2が廃車されJR東海所有の本形式は消滅した。
JR西日本
民営化時には下関運転所に配置されていたが、後に岡山電車区に転属した。
稼動状態にあったのは9のみで山陽本線・伯備線・山陰本線などで臨時列車や工臨運用のほか、JR貨物岡山機関区の代走運用にも投入された。
2009年までに2両とも廃車となり、JR西日本所有の本形式は消滅した。
JR貨物
テンプレート:Vertical images list 後継形式開発遅れのため基本番台初期車には製造後35年以上の経年車が存在するものの1000番台とともに2002年まで廃車は発生していなかった。しかし、2003年に後継機であるEH200形が開発されたことから初の廃車が発生した。
基本番台はその後もEH200形の増備進展に伴い淘汰が進行しており、2007年3月18日のダイヤ改正では、塩尻機関区篠ノ井派出が担当する中央東線運用の大半をEH200形で代替した。さらに2008年3月15日のダイヤ改正では篠ノ井派出の運用が消滅。同派出所属で全般検査期限に余裕がある更新機と高崎機関区所属の1000番台4両が愛知機関区へ転出した。
2010年3月のダイヤ改正では、上越線での定期運用が終了。岡山機関区・高崎機関区所属車が愛知機関区に転出し集中配置となった。
- 元岡山機関区所属車(1046 - 1050)は伯備線での重連総括運用が存在しないことから、空気元ダメ管や釣り合い管ホースなどが撤去されていたが、配置統合後の2010年後半から重連運用を可能とするために再設された[8]。
2011年3月からJR東海管内でATS-PTが運用開始されたため、中央西線・篠ノ井線運用が1000番台に置換えられた[9]。
- 0番台はATS-PF未搭載のため伯備線のみで運用。
2012年3月ダイヤ改正以降の運用線区は、東北本線(黒磯以南)・高崎線・東海道本線・成田線・鹿島線・中央西線・篠ノ井線・伯備線である。
- このうち成田線・鹿島線は、新鶴見機関区所属EF65形が担当していた運用移管によるものである[10]。
- 首都圏送り込みを兼ねていた中央東線運用および高崎線重連運用がEH200形に統一されたため首都圏での重連運用が消滅[11]。代替の送り込み運用として東海道本線1往復が設定された[12]。
2013年現在、重連運用は東海道本線(稲沢 – 名古屋)・中央西線・篠ノ井線のみである。
2014年3月ダイヤ改正では、中央東線での運用が復活した。
改造・塗色変更など
塗装変更機
- 37・41(ぶどう色塗装機)
- 37は、2003年に茶色(ぶどう色2号)[13]一色塗装とされた。2009年3月までは高崎車両センター高崎支所配置・甲府運転区常駐の形で、おもに中央東線の工事列車や団体臨時列車に使用されていた。2009年3月14日のダイヤ改正時に長岡車両センターに転属し寝台特急「あけぼの」[* 19]の牽引にも充当されるようになったが、「北陸」の廃止による必要車両数減により2010年3月13日付で高崎車両センターへ転属となった。
- 2006年5月、同年6月に中央本線塩尻 - 辰野 - 岡谷間で運転される「たつのぴっかり号」「くりちゃん号」にあわせて、長野総合車両センター配置の41も37と同様にぶどう色塗装となり、同時に車両番号表記と製造銘板の文字が金色になった。折しも同センターに配置されている客車ジョイフルトレイン「浪漫」もこのころに運用離脱の噂が立っており、同車が運用離脱するまでの間は僚機の42よりも41が運用されるようになった。「浪漫」と42の運用離脱後も工事列車やJR西日本所有のジョイフルトレイン「あすか」の牽引に用いられたが、41は2008年7月に運用を終え廃車解体された。
- 1001(ぶどう色塗装機)
- 高崎車両センターに配置されている1001は、1987年3月にお座敷客車「くつろぎ」をはじめとするイベント列車牽引ならびに、EF55 1の補機としてぶどう色1色に白帯を配した塗装に変更された。同機は主に高崎・上越線の工事列車・臨時列車で使用されているほか、団体臨時列車の牽引などで東海道・中央・信越・伊東線・日光線などに入線した事例もある。また、きわめて稀な例だがブルートレインの臨時牽引も担当し、廃止される以前の「北陸」や、故障により使えなくなった国鉄EF81形電気機関車などの代理として「あけぼの」に臨時運用されたこともある。同センターに配置されているD51 498蒸気機関車の無火回送の牽引仕業に充てられる場合もある。
- 35・66(元「ユーロライナー」専用機)
- 1985年8月に登場した12系ジョイフルトレイン「ユーロライナー」の専用機として、66が当時は稲沢機関区(現・愛知機関区)に所属していた。(塗色変更は鷹取工場で実施)DD51形とともに塗色変更されたもので、本形式としては初の塗色変更機である。同機は国鉄分割民営化後はJR東海に承継された。追加として35が1990年の全般検査で塗装変更された。
JR貨物更新機
- 0番台
- 1995年から0番台の更新工事が広島車両所で67への施工を皮切りに大宮車両所でも開始された。更新車の塗装は、ライトパープルをベースにディープブルーとスカイブルーで3色に塗り分け、乗務員扉はからし色のJR貨物標準色[* 20]に変更するとともに広島車両所施工車は、貫通扉もからし色に塗られ鎧戸はディープブルー一色とされた。走行装置が改良された37以降を対象に施工されたが、現在は行われていない。
- その後の全般検査は全車大宮車両所施工となったが、57は大宮式更新塗装に変更されたものの67は広島式更新塗装を継承した塗色するなどの差異が存在する。
- 2004年頃から大宮施工車は、塗装がライトパープル+ディープブルーの2色に簡略化された。
- 2008年4月現在以下の車両に実施。
- 43・47 - 51・53・56・57・59 - 65・67・68・70・72 - 77・79
- 1000番台
- 高崎機関区配置の1000番台が更新時期を迎えたため、2003年から施工を開始した。その後もJR貨物所属車に対する更新工事は進行中である。
- 最初に竣工した1015の車体塗装はEF65形・EF66形などと共通のJR貨物標準色であったが、遠目にEF65 1000番代と区別が付かないと現場には不評であり、識別を容易にするため2003年夏以降に更新された1009以降は青を基調に白の斜めストライプを配した大宮車両所独自のデザインに変更された。
- 本塗装はさらに改良が加えられ、前後ストライプ間のエアフィルター上部屋根肩にも白が入るようになり、以降このスタイルとなった。
- 岡山機関区配置車は、1047が2006年7月に、1049が同年11月に、1046が2007年2月に広島車両所で施工された。塗装は大宮車両所施工車と異なる独自デザインとされたが、1047は2012年全般検査の際、大宮式更新塗色に変更された。1049は2013年5月・1046は2013年10月に大宮車両所で全般検査を受けたが、広島車両所デザインを踏襲した塗色で出場した[* 21]。
- 2009年4月現在以下の車両に実施。
- 1002 - 1005・1007 - 1011・1013・1015・1017・1018・1020 - 1028・1033 - 1036・1038・1039・1042 - 1047・1049
電車牽引用特殊装備の設置
JR東日本では新津車両製作所で首都圏向け通勤形・一般形電車を製造しているが、同所で落成した車両を首都圏へ配給回送[* 22]するため、電車牽引用装備を長岡車両センター配置の1030・1031・1032が装備する。
また、廃車車両の解体作業が従来の大宮総合車両センターから長野総合車両センターに移管されたために長野までの牽引回送、各総合車両センターで改造落成した車両の配給回送でも運用される。
保存機
- EF64 18:勝沼ぶどう郷駅前・鉄道遺産記念公園
脚注
出典
参考文献
- 「EF64形のプロフィール」『鉄道ピクトリアル』2009年3月号(通巻815号)、電気車研究会
- 「EF64形 車歴表」同上
- 「JRグループ車両のデータバンク 2008/2009」『鉄道ファン』2009年7月号(通巻579号)、交友社
- 『JR気動車客車情報/JR気動車客車編成表』各号、ジェー・アール・アール編
関連項目
テンプレート:国鉄の新性能電気機関車 テンプレート:JR東日本の車両リスト テンプレート:JR東海の車両リスト テンプレート:JR西日本の車両リスト テンプレート:JR貨物の車両リスト テンプレート:Sister
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タグがありません- ↑ 1.0 1.1 『Rail Magazine』338、ネコ・パブリッシング、2011年、p.110
- ↑ 『J-train』vol.35、2009年、イカロス出版、p.19
- ↑ 3.0 3.1 3.2 『Rail Magazine』339、2011年、ネコ・パブリッシング、p.91
- ↑ 『Rail Magazine』339、2011年、ネコ・パブリッシング、p.95
- ↑ 汽車製造は1972年に川崎重工業に合併。
- ↑ 『JR貨物時刻表』2014年 機関車配置表(2014年2月15日現在) - 鉄道貨物協会
- ↑ 『鉄道ファン』2012年7月号 JR旅客各社の車両配置表(2012年4月1日現在) - 交友社
- ↑ 『J-train』Vol.42、イカロス出版、2011年、pp.20 - 21
- ↑ 『Rail Magazine』338、ネコ・パブリッシング2011年、p.41
- ↑ 『J-train』Vol.46、イカロス出版、2012年、p.8
- ↑ 『J-train』Vol.46、イカロス出版、2012年、p.7
- ↑ 『J-train』Vol.46、イカロス出版、2012年、p.9
- ↑ EF64形は登場時から全機青15号とクリーム色1号の塗り分けであるが、2落成時に試験塗装としてごくわずかの期間だけぶどう色を纏った時期があった。