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- チームスローガン:氣力×機力
田坂体制3年目。リーグ戦チーム最多タイの14得点の三平和司と石神直哉が湘南からのレンタル終了で退団し、他にも作田裕次、イ・ドンミョン等がチームを離れた。一方、補強では神戸より元日本代表の高木和道、大宮より2009年以来の古巣復帰となる深谷友基を獲得。その他にも児玉新、小松塁、辻尾真二と30代手前~前半の年齢の選手を中心に、合わせて9選手が加入した。また、シーズン途中に今季加入の金永基が福岡に、小松が長崎にそれぞれ期限付き移籍した一方、北京五輪日本代表であった梶山陽平をFC東京から期限付き移籍で獲得した。
J1リーグ戦は第8節終了時以降最下位から抜け出せなかった。公式戦の勝利は5月18日のJ1第12節アウェー新潟戦、5月22日のヤマザキナビスコカップBグループ第7節アウェー鳥栖戦、9月8日の天皇杯2回戦のHOYO大分の3試合のみであった。10月5日の第28節C大阪戦に0-2で敗れ、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。更にシーズン最後のホームゲームとなる第33節・川崎戦に0-1で敗れた事でリーグ戦ホームゲームの戦績が4分13敗となり、Jリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利(ヤマザキナビスコカップでも1分2敗だったためJリーグのチーム相手の公式戦総計は5分15敗)となった。[3]。結局終わってみれば上記の記録に加え、勝利数がJ1リーグ最低新の2(過去の最低記録は2010年湘南の3勝)、勝点もJ1リーグ最低タイ記録の14(2012年札幌と同点)を記録した[4]。
天皇杯はクラブ史上初のベスト8の成績を残した(準々決勝は横浜FMに延長戦で敗北)。
2014年-(J2)
- 2014年
- チームスローガン:前進×全心
田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった森島康仁が川崎に、丹野研太が古巣・C大阪にそれぞれ完全移籍。主将・宮沢正史は契約満了に伴いFC岐阜に移籍。その他には梶山陽平、松原健など計16人が退団した。補強面では鳥栖から室拓哉、C大阪から武田洋平、千葉から伊藤大介をいずれも完全移籍で、鳥栖から末吉隼也とクラブ初のコロンビア人となるジョナサン、新潟から増田繁人、名古屋から田中輝希、神戸からカン・ユングをいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として大阪体育大学から伊佐耕平が加入した。また、前年から期限付き移籍中の松本怜の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ[5]、6月21日の愛媛戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については20周年記念試合を参照)。
また2014 FIFAワールドカップでは、大分U-18に在籍し今季より2種登録選手としてトップチームに登録されている坂井大将が、名古屋の杉森考起と共にトレーニングパートナーとしてサッカー日本代表に直前合宿から大会終了まで帯同した[6][7]。
成績
テンプレート:Main
タイトル
国内タイトル
個人別
経営問題
大分トリニータを運営する株式会社大分フットボールクラブ(以下「大分FC」と記す。)には、1999年の会社設立以来、住宅リフォームメーカーのペイントハウスが筆頭株主として経営に参加していた(日経ビジネスオンラインによると、同社の創業者だった星野初太郎の肝いりだったという[8])。しかし、ペイントハウスの拡大路線が行き詰まり、同社の経営に投資コンサルタントの阪中彰夫が関与し始めた頃から、ペイントハウス、ひいては大分FCの経営が揺らぎはじめ、これをきっかけとなって様々な問題が生じ、クラブ経営が翻弄され続けることになった。
2004年から2005年
2004年、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが年度途中で撤退。これをきっかけとして大分FCは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の債務超過となった[9]。また、これと相前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりにユニフォームの胸スポンサーに就いた、ミュージシャンの小室哲哉が役員を務めるイベント会社「トライバルキックステンプレート:Refnest」が年間スポンサー料7,000万円の滞納が発覚した[10]。大分FCの経営諮問委員会は2005年9月14日にとりまとめた答申で「極めて厳しい状況。運転資金確保が緊急の課題」と結論づけ、大分FCが9月21日までに2億円の調達が必要であるとし、大分県に公的支援を要請した[9]。
これを受け、大分FCは大分県の外郭団体である大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、6月にユニフォーム胸スポンサーとなったパチンコホール運営会社のマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入し、資金繰りを乗り切った。マルハンのスポンサードに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、このときは特例として認められた。
2006年12月、Jリーグから、「(マルハンをはじめとする)ホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーであたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できない」との方針が示された[11]テンプレート:Refnestことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」としてトリニータの支援を行うことになる。
2009年以降
2009年9月14日、大分FCは、マルハンが「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由にスポンサーを完全撤退したことを発表[11][12][13]。加えて、2006年以降スポンサーに名を連ねていたフロンテック(「BOWS」表記)、オメガプロジェクト(現・ソーシャル・エコロジー・プロジェクト)が役員逮捕テンプレート:Refnestを起因とする経営難などから2009年までに相次いで撤退[14]、さらに一度はスポンサー継続を決めていたジョイフル[15] も、業績悪化で代表取締役の交代が決まった直後の3月にユニフォームスポンサーから撤退。そのうえ2009年途中からユニフォームの胸スポンサーとなったフォーリーフジャパンはそのビジネス手法などを巡り当初からサポーターの反発を受けていたこともあってに同年限りでスポンサーから降板するなど、大口スポンサーの撤退が相次いだことで再度の経営危機が一気に表面化した。
具体的には、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5,800万円[16]となっており、更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加もあって、翌2010年度の運営費を前倒しで使う自転車操業のような経営方針もあいまって[17]、2009年11月からのリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難となった。
2009年11月11日、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請した[18](J1所属クラブが同基金からの融資を申請するのは史上初[19])。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた[19] が、大分県は本年度のみで約4億円不足すると発表した[17]。11月17日、Jリーグ理事会にて合計6億円の融資(当初3億5,000万円、2010年1月末に2億5,000万円)を決定。Jリーグは大分FCについて「経営破たんに近い、あってはならない経営」と指摘[20]。11月20日、大分FC社長の溝畑宏が12月5日の公式戦終了後に引責辞任して、副社長の皇甫官が社長代行に就任することを発表[21]。12月12日には、皇甫および強化部長の原靖が辞任し、大分県経営企画部長の青野浩志が代表取締役代行に就任した[22]。
当初の緊急融資を受け、大分FCは再建計画書をJリーグに提出したが、「経費削減が不十分」として[23][24] 12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決。12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、大分FCは地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保した[25]。これを受け、大分県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足[26]。また大分市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5,000万円を目標」として募金を募った[27]。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もあった[28]。
2010年1月19日、大分FCが再提出した運営予算を削減した計画書に基づき、Jリーグ理事会は更なる予算圧縮を要望しつつ残り2億5,000万円の追加融資を決定[29]。2月16日には、大分FCが再度提出した予算を更に修正した計画書に基づき、Jリーグ理事会は追加融資を正式に了承した[30]。大分県は再建支援のため、これまで半額免除であった大分銀行ドームの使用料を、2010年シーズンは全額免除することを決定。その後、全額免除は2012年シーズンまで続いている[31]。
なお、債務超過額については、2009年1月期時点での5億8千万円あまりから、2009年12月の調査時点で大分FCによる調査で実質9億円以上になると判明[23]。2010年1月末時点では11億6,700万円の債務超過額であることが4月27日の大分FCの株主総会で明らかにされた[32]。
2010年5月、ティエムシー(旧・ペイントハウス)が保有していた大分FCの株式を買い取った大分商工会議所が筆頭株主となった[33][34][35]。
2011年、ダイハツ九州が胸スポンサーとなった[36]。
2010年11月17日、2011年1月までに必要な運転資金5億円のうちの1億9,000万円が不足する可能性が出たため、大分FCは大分県文化スポーツ振興財団から2億円の追加融資を受けた(この時点で、2005年の融資のうち8,000万円が未返済であった[37])。
2012年1月31日、Jリーグの公式試合安定開催基金から融資を受けていた5億円の内の2億円を返済[38]。その一方で、10月12日までに公式試合安定開催基金からの融資の残り3億円の返済を完了しなければ、成績上の条件(2位まで自動昇格、3-6位は今年度から採用される「J1昇格プレーオフ」進出権利)を満たしても2013年度からJ1昇格をすることができないという条件が課せられた。同年5月、3億円のうちの1億円を目標に、市民・団体などから寄付(1口5,000円、上限なし)を募る「J1昇格支援金」の募集を開始。支援金は、8月17日に目標の1億円に到達し[39]、最終的には約1億2,380万円に達した。この支援金に、地元経済界からの支援約1億920万円、大分県等の行政からの支出1億円を合わせて、支援の総額は約3億3,300万円となり、大分FCは10月12日に基金からの融資を完済した[40]。なお、2012年10月12日時点の債務超過額は約5億8,500万円である[40]。
下部組織
2005年の経営危機の際に「育成重視」の方針を打ち出したことから大分U-18からトップチームに上がって活躍した選手も多く、大分U-18出身の選手では西川周作、梅崎司、清武弘嗣、東慶悟が日本代表に選出経験がある。また、福元洋平(2005年)、小手川宏基(2007年)、松原健、為田大貴(共に2010年)がユース在籍中にトップチームに2種登録され、公式戦に出場した。為田は現在大分史上最年少公式戦及びリーグ戦出場記録を保持している。
大分U-18は、2013年プリンスリーグ九州1部にて初優勝。プレミアリーグ参入戦に臨んだが、愛媛FC U-18に敗れ参入は見送りとなった。
また、Jサテライトリーグの廃止に伴い、サテライト選手については、2011年より九州地区のJリーグチーム等で構成される九州チャレンジャーズリーグに参加している。
将来的な日本女子サッカーリーグ参入を視野に入れ、女子サッカーチームの「大分トリニータレディース」を2007年4月に創設。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグおよび九州各県女子リーグ決勝大会で優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに所属している。
クラブ記録
試合記録
- J1リーグ戦連続無敗記録
- J1リーグ戦ホーム連続無敗記録
- 連続無失点試合
- ホーム最多連勝記録
- リーグ戦最多連敗記録
- 14連敗 (2009年4月4日J1第4節 浦和レッズ戦 〜 7月13日第13節 ジュビロ磐田戦) ※J1ワースト3位、延長戦廃止後ワースト1位
得失点記録(Jリーグ加盟後)
最多得点試合
- ホーム
- J1:5得点
- J2:5得点
- 5-0 (2002年第17節 川崎フロンターレ戦) 他4試合
- アウェー
最多失点試合
- ホーム
- J1:4失点
- 0-4 (2003年第12節 ジュビロ磐田戦) 他5試合
- J2:4失点
- 2-4 (1999年第20節 FC東京戦) 他2試合
- アウェー
- J1:6失点
- 0-6 (2007年第23節 ジェフユナイテッド市原・千葉戦、2013年第25節 ベガルタ仙台戦)
- J2:5失点
- 0-5 (1999年第3節 大宮アルディージャ戦、2010年第19節 ジェフユナイテッド市原・千葉戦)
その他
- 年間総失点数
- 24失点 (1試合平均 0.706点、2008年) ※J1最少記録
- ホーム 9失点 (1試合平均 0.529点)、アウェー 15失点 (1試合平均 0.882点)
- リーグ戦年間完封試合数
ホームスタジアム・練習場
ホームスタジアム
- 大分銀行ドーム(旧名称:大分スポーツ公園総合競技場)がホームスタジアムである[1]。過去の開催スタジアムは下表を参照のこと。
- 大分スポーツ公園総合競技場の芝の養生などの関係から2007年まで熊本県民総合運動公園陸上競技場(現:うまかな・よかなスタジアム)で年1-2回ホームゲームを開催していた。
- 2007年10月20日はKKWINGで13時からロッソ、19時30分からトリニータが同日開催した。
- 2004年は雷雨により中止となったが、この時に熊本県民総合運動公園屋内運動広場(パークドーム熊本)南側の駐車場が冠水し、駐車していた約150台が動かなくなった。ところが、この駐車場はもともと洪水を防ぐために雨水を一時的に貯める貯水池だったことから、後日トリニータの補償問題に発展した。
- 2008年、J1第26節の札幌戦は第63回国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)の関係で鹿児島県立鴨池陸上競技場を使用した。
練習場
練習場は大分スポーツクラブおよび大分スポーツ公園サッカー・ラグビー場である[1]。なお、2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行っていた。
年度・競技場別の試合数
- ※1999年のJリーグ加盟以後。[41]
年度 |
リーグ戦 |
ナ杯 |
備考
|
大分ス |
大分市陸 |
その他
|
1999 |
- |
16 |
佐伯2 |
大分市陸2 |
|
2000 |
- |
17 |
佐伯2 水前寺1 |
大分市陸1 |
|
2001 |
6 |
15 |
水前寺1 |
大分市陸1 熊本陸1 |
大分ス完成。登録本拠地を大分ス・大分市陸の2か所併記に
|
2002 |
12 |
8 |
熊本陸1 長崎県立1 |
不参加 |
J1昇格
|
2003 |
14 |
0 |
熊本陸1 |
大分ス2 |
この年より登録本拠地を大分ス一本に絞る
|
2004 |
14 |
0 |
熊本陸1 |
大分ス3 |
|
2005 |
16 |
0 |
熊本陸1 |
大分ス3 |
|
2006 |
16 |
0 |
熊本陸1 |
九石ド3 |
大分ス=命名権採用により「九州石油ドーム(九石ド)」に変更
|
2007 |
16 |
0 |
熊本陸1 |
九石ド3 |
|
2008 |
16 |
0 |
鴨池1 |
九石ド5 |
(ナ杯)九石ド=決勝T2を含む ナビスコ杯優勝
|
2009 |
17 |
0 |
|
九石ド3 |
J2降格
|
2010 |
17 |
0 |
鴨池1 |
不参加 |
大分ス=命名権スポンサー変更により「大分銀行ドーム(大銀ド)」に変更
|
2011 |
19 |
0 |
|
|
2012 |
21 |
0 |
|
J1昇格(J1昇格プレーオフ優勝)
|
2013 |
17 |
0 |
|
大銀ド3 |
J2降格
|
ユニフォーム
テンプレート:ユニフォームの色
チームカラー
フィールドプレーヤー用
- 1stユニフォームはブルーを基調としている。
- 2006年まではイエローも配色されていたが、2007年にプーマの世界戦略ユニフォームを採り入れて以降は、イエローに変わりブラックと組み合わされた配色が多い。
- 2ndユニフォームは、2005年まではシャツ、パンツ、ソックス共にホワイトを基調としていたが、2006年からはシャツがグレーに、2008年からは更にパンツがブラックになった。ただ、2009年は前年のユニフォームに比べグレーが濃くなり(例:テンプレート:Color box)、特に青系の色を基調としているチームとの対戦では区別しづらいという意見もでた。しかし、2010年はさらにグレーが濃くなり、殆どブラックに近い色となった(例:テンプレート:Color box)。2011年はホワイトのソックスを試合によっては着用したが、視認性の問題の大きな改善には至らなかった。2012年より色を上下ともにホワイトに変更したため視認性での問題は無くなった。
ゴールキーパー用
- 1stユニフォームについては2006年まではイエローを基調としていたが、2007年よりブラック若しくはダークグレーを基調としたユニフォームとなっており、イエローは2nd以降のユニフォームとして使われている。2010年~2013年は1stはレッドを基調としたものであり、2nd以降に使われていたイエローは廃止となった。
ユニフォームあれこれ
- 2010年から2012年まで、ユニフォームの右袖部分のJリーグロゴマークの下に「LOVE 大分」の文字を入れていた。2013年からは同じ箇所に「OITA」の文字が入っている。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 |
スポンサー名 |
表記 |
掲出年 |
備考
|
胸
|
ダイハツ九州 |
ダイハツ九州 |
2011年- |
2013年より「ダイハツ」と「九州」が2行に分かれる表記を使用
|
背中
|
ネットワンシステムズ |
net one |
2010年- |
2009年は袖 2013シーズン第19節までは「Net One Systems」表記
|
袖
|
ジェイリース |
ジェイリース |
2014年- |
|
パンツ
|
九州乳業 |
みどり牛乳 |
2014年- |
1998年は背中
|
ユニフォームサプライの遍歴
- 1994年 - 1997年 ミズノ
- 1998年 - 現 在 プーマ
歴代ユニフォームスポンサー年表
スポンサー
テンプレート:Main2
エピソード
テンプレート:内容過剰
開幕戦
- 2003年にJ1昇格から2007年までの5年間、年間開幕試合に勝ち星を挙げることができなかったが、2008年の清水エスパルスとの対戦で開幕戦初勝利を挙げた。
カラーボード
開幕戦など重要な試合ではサポーターがカラーボードを掲げて(コレオグラフィー、人文字)試合を盛り上げる。
- 過去にはサポーターの背番号である「12」や「GO!2006」、「OITA」などの人文字を作っている。
- アウェーではバトルオブ九州などで行っている。
- 2008年、国立競技場でのナビスコカップ決勝戦でも掲げている。これまでで最大規模であり、カラーボードも決勝進出にあわせて有志が追加作成した。
守備放棄試合
2003年のJリーグカップの京都戦(3月8日、西京極)で、1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都側はボールを一旦フィールドの外に出した。試合再開後に大分も京都の選手に向かって蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットし、そのままゴールを決めてしまった。ルール上は大分の得点として認められるが、京都側はマナーに反する行為であるとして猛烈に抗議し、会場は一時騒然となった。
その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二は選手に対し守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。
奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合だった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、日本サッカー協会・川淵三郎キャプテンは大分の守備放棄という行為に対して「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。
リベンジ16
2007年のJリーグの第18節の横浜F・マリノス戦(6月30日、九州石油ドーム)で0-3と惨敗。連敗続き、そして自動降格圏17位でチームに対し、約1,000人のサポーターがスタジアムに試合終了後2時間居残り、不甲斐ないチームや経営陣への不満を爆発させた。サポーターに対し、一度はスタッフが説明を行ったが、「社長出て来い」とサポーターは収まらず、最終的には社長の溝畑宏が「近日中に話し合いの場を設ける」ことを約束。7月8日に経営陣とサポーター代表との話し合いが持たれた。
チームは2007年リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打ち、「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾・ホベルト・エジミウソンを獲得、即戦力の補強を行なうと、「リッジー」がこのプロジェクトのキャラクターとして登場し、これを盛り上げた。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、「前半戦で降格圏内にいるチームはJ2に降格する」というジンクスを見事に破り、J1残留を果たした。
「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜FMについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)だったことから、2008年のホームゲームで「リベンジ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。
ナビスコカップ優勝記念リング
2009年2月25日
前年のナビスコカップ優勝を受けて製作され、この日2008年在籍した、選手・監督・コーチ・職員(いわゆる「裏方」さん)に配られた。
ナビスコカップ優勝時の記念品として、優勝メダルが決勝戦ベンチ登録されたメンバー全員に主催者により送られた。
しかしメダルはその試合に登録されたメンバーしかもらえず、選手や監督・コーチ・裏方さんみんなの力で優勝できた、みんなで優勝の喜びを分かち合いたいと言うことで、当時の社長・溝畑宏の発案、SOPH代表取締役清永浩文のデザインによって製作された。
夜8時キックオフ
2009年第23節の神戸とのホームゲームは、当初本来開催されるべき8月22日・8月23日を含めた8月19日から8月24日まで、大分ビッグアイで全国中学陸上競技大会が開催されたため、開催日時未定で当初発表されたが、その後8月24日の中学陸上最終日の競技終了後、会場の観客入れ替えや設営作業などのため20時からと、通常のナイターでは異例の時刻での開催となった。
スタジアムDJ
男女1人ずつが交代で担当している。原則的にクラブと協力関係にあるエフエム大分のDJが担当する場合が多い。
- 過去のスタジアムDJ
20周年記念試合
2014年にクラブ創立20周年を迎えた大分は特設サイトを開設し[42]、更には同年6月21日の愛媛FC戦を「20周年記念試合・大分県民DAY」と銘打ち開催した。試合前には大型ビジョンにて歴代ベストイレブンが発表された他、サプライズで過去に大分に在籍した西川周作、森重真人、清武弘嗣からのお祝いメッセージも公開された。歴代ベストイレブンは以下の通り。
脚注
- 注釈
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- 出典
テンプレート:Reflist
関連項目
テンプレート:表2列
外部リンク
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テンプレート:J2オリジナル10
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