党の指導性
テンプレート:共産主義のサイドバー 党の指導性(とうのしどうせい、テンプレート:Lang-de、テンプレート:Lang-en)とは、レーニン主義の原則の一つ[1][2][3]。
マルクス・レーニン主義を掲げる多くの社会主義国の憲法などに明記され、共産党が国家・政府・軍・司法・宗教団体・大衆団体など社会のあらゆる組織・組織活動を「指導」する根拠とされた。国家を指導する党を指導政党とも呼ぶ[4]。
目次
概要
テンプレート:See also 別に「前衛党の指導性」、「共産党の指導体制」[5]、「共産党の指導原理」[6]、「共産党の指導的地位」[7]、「共産党の指導的役割」などとも呼ばれる。また中国や北朝鮮、ベトナムなどでは「党の領導」とも表記される[8][9]。ソ連共産党のウラジーミル・レーニンによる原則を、ヨシフ・スターリン時代に1936年のソビエト連邦憲法で初めて憲法に記載した。
以後、ソビエト連邦の各共和国や、東欧諸国や、中国など多くのマルクス・レーニン主義を掲げる社会主義国で、憲法などの基本法に共産党による国家への指導が明記されている。
マルクス主義の原則とされているプロレタリア独裁では社会主義革命後の過渡期ではプロレタリアートによる独裁が必要とされているが、さらにレーニンの前衛党論ではプロレタリアートを指導するのは少数精鋭の共産党である。この一党独裁の理論を、ロシア革命によって権力を獲得したボリシェヴィキが国家の憲法に明記し制度化したものが「党による指導(性)」である。
「党による指導」は通常、「社会主義社会」全体に必要とされるため、その対象は政府だけでは無く、軍部、司法、更には職場・労働組合・地域・学校・文化団体(各種の集まり)などのあらゆる社会的組織も含まれる。実際には、あらゆる階層の社会集団に共産党が「細胞」(基礎組織)を置き、意思決定を「助言」し、あるいは行う。
例えば中国では、憲法に「中国共産党が国家を領導する」と明記されており、国防法にも「中華人民共和国の武装力は中国共産党の領導を受ける」と明記されている[10][11]。このため中国人民解放軍は、国家機関の中華人民共和国中央軍事委員会と党機関の中国共産党中央軍事委員会の両方の指導を受ける形だが、国家は党の指導を受けるため、党機関の指導が優先される。実際、国家の指導層と党の指導層はほぼ同一であり、国家による支配(または国家と党の分離)は形骸化している。このため人民解放軍は「国家の軍隊(国軍)ではなく、党の軍隊(党軍)」と呼ばれることが多い[12]。
また、旧ソ連やキューバの一党制[13]に対して、中国や北朝鮮などには複数政党が存在するが、他の政党(衛星政党)は指導政党からの指導を受ける(ヘゲモニー政党制)事が憲法に明記されており、いずれも実質的には一党独裁である。
また、党の指導に従わない者は通常、「反党分子」「反革命分子」などと呼ばれ弾圧や粛清の対象となった[14][15]。このため憲法が存在して言論・報道・集会などの自由や権利が明記されている場合でも、実際には全ての組織で共産党の支配が徹底される。この結果として、政府組織と党組織の間の役割分担の曖昧化(ホーネッカー体制初期の東ドイツ(1971-1976)、カーダール時代後半のハンガリー、2014年現在のベトナムのように、国家元首や首相と党の指導者が分離されている場合、元首や首相よりも一政党の指導者である支配政党の書記長が国家の最高指導者となって実権を掌握することになる)、国家組織の形骸化と党の肥大化、実権や出世や利権を求める層が共産党に大量流入する事による党幹部の汚職や腐敗、軍が「党の軍」であるか「国家の軍」であるかの位置づけの曖昧化などが発生しうる。
例
憲法等で公式に「党の指導性」を明記した主な国には以下がある。
現在の社会主義国
- テンプレート:Flagicon 中華人民共和国 - 憲法に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記[16][17]。更に「四つの基本原則」にも含まれている。
- テンプレート:Flagicon ベトナム社会主義共和国 - 憲法(1992年)に「社会主義」、「党の領導」を明記[18] 。
- テンプレート:Flagicon 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) - 憲法(2009年改定)に「社会主義」、「独裁」、「党の領導」を明記[19]。
- テンプレート:Flagicon ラオス人民民主共和国 - 憲法第3条に「ラオス人民革命党を主軸とする政治制度」と規定[20]。
- テンプレート:Flagicon キューバ共和国 - 憲法第5条に「キューバ共産党は,社会及び国の優れた指導力」と規定されている[21]。
過去の社会主義国
- テンプレート:Flagicon ハンガリー人民共和国 - 1989年2月、ハンガリー社会主義労働者党が「党の指導的役割」の放棄と複数政党制の容認を決定。1990年、人民共和国からハンガリー共和国に移行。
- テンプレート:Flagicon ソビエト連邦 - 1990年、憲法から「共産党の指導的役割」の条項を削除し、複数政党制を容認[22]。1991年解体。
- テンプレート:Flagicon ドイツ民主共和国 - 1968年の憲法改正で第1条に「労働者階級とそのマルクス・レーニン主義政党(ドイツ社会主義統一党)の指導の下に置かれる」[23]と規定。1989年12月、憲法第1条から上述の部分を削除[24]。1991年、ドイツ連邦共和国に編入される形で消滅。
過去のイスラム社会主義国
- テンプレート:Flagicon シリア・アラブ共和国 - 1970年以降、イスラム社会主義を掲げるシリア・バアス党による事実上の一党独裁[25]で、憲法にバアス党を「指導政党」と明記していた[26][27]。しかし2011年からのシリア騒乱により、2012年に憲法改正し「指導政党」の条項を削除し、複数政党制を認めた[28]。
一党優位制
テンプレート:Main 憲法等で公式に「党の指導性」が記されていないが、一政党の支配力が強く、選挙による政権交代の見込みが少ない体制の例を示す。
現在
- テンプレート:Flagicon シンガポールの憲法上は指導政党の概念はなく[29]、選挙は複数政党の競合で行われるが、勝者総取り方式のテンプレート:仮リンクを主とする選挙制度や与党落選地区への行政による報復などにより、建国以来人民行動党が議会議席のほとんどを占め続けている。例えば2006年の総選挙では、66.6%の得票である与党人民行動党が97.6%の議席を獲得している[30]。
過去
- テンプレート:Flagiconイタリア王国はファシスト党による事実上の一党独裁制になったが、制度上は「党の指導」は明記されていない。イタリアのファシズムは国家主義を掲げ、国家指導者であるベニート・ムッソリーニが独裁を行った。ファシスト党に有利に選挙制度を改正し、イタリア共産党を非合法化したが、イタリア社会党など他の政党は弾圧されながらも存続した。
- テンプレート:Flagicon ドイツ国は国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の一党独裁だったが、国家に対する党の位置づけは明確ではない。アドルフ・ヒトラー個人を党および民族共同体の指導者(フューラー、総統)とした。1933年、ナチ党は政権獲得後に選挙を行い、その勝利を「ナチ党及びその指導者であるヒトラーが民族とライヒを指導する」体制が確立されたものと喧伝し、ヒトラーとナチ党が国家を指導すると主張した[31]。1933年7月31日には「政党新設禁止法」によりナチ党を単独の政党とし、12月1日には「党と国家の統一を保障するための法律」が公布され、党と国家は一体のものであると定義されたが、1942年の「ナチス党の法的地位に関する指導者命令」でこの定義は削除されることになった[32]。ただし、ナチス・ドイツ時代は法よりもフューラーの意思が重要視された時代であり、明確に党の指導性を認めた成文法制定や、憲法改正は行われなかった。このためマルティン・ボルマンは「ナチス党の地位は法律の規定によっては正しく把握しうるものではなかった」と評している[33]。1933年11月の選挙からはナチ党に対する信任投票となり、36年、38年ともいずれも高率での信任を得、全議席をナチ党が占めている。以降、国家崩壊まで議会選挙は行われていない。
- テンプレート:Flagicon 大日本帝国末期の1940年、すべての合法政党が解散し大政翼賛会に合流した。厳密には政党ではなく、治安警察法第3条に規定する「公事結社」とされる。翼賛会を幕府になぞらえる批判も朝野に根強かったため、当初意図されたような指導的役割を担う存在にはならなかった。1942年の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会からの推薦のない候補に対して官憲からの圧迫が加えられ、当選者の大多数は推薦候補であったが、当選者の2割弱を非推薦候補が占めている。1945年の敗戦にともない解散。
- テンプレート:Flagicon イラク共和国 (1979-2003年、サッダーム・フセイン統治下) - 1963年以降、イスラム社会主義を掲げるバアス党による事実上の一党独裁であったが、憲法に「指導政党」とは明記されていなかった。1970年憲法では「最高の国家機関」は「革命司令部評議会」(第37条)で、その議長が「共和国大統領」(第38条)だが、その構成員の一部は「社会主義アラブ・バアス党」の地域指導者から選出する事が明記されていた[34]。しかしイラク戦争でバアス党政権は崩壊し、2005年憲法ではバアス党は「犯罪組織」とされ、再結成や支持の禁止が明記された(第7条)。
議論
- カール・カウツキーは社会主義の立場から議会制民主主義を主張し、レーニンの一党独裁を批判した。
- ローザ・ルクセンブルクはプロレタリア独裁を肯定したが、プロレタリア独裁は階級の独裁であって一党一派の独裁では無いとして、レーニンの前衛党論を批判した。
- レフ・トロツキーは、ヨシフ・スターリン支配下のソビエト連邦を「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」と呼び、複数政党制の必要性を主張した[35]。
- 日本共産党は綱領で、日本における社会主義では「さまざまな思想・信条の自由、反対政党を含む政治活動の自由は厳格に保障される」とし、また、特定の政党に「「指導」政党としての特権」を与えることは「きびしくしりぞけられる」[36]としている。また、日本共産党系の青年団体「日本民主青年同盟」は、かつては同盟の目的について「日本共産党のみちびきをうけ」と党の指導性を明確に期していたが、1980年代以降は日本共産党は「相談相手」となり、表現が変わっている[37]
- 中華人民共和国の政府系サイト(Show China)では「中国共産党の指導と執政」が必要な理由を、(1)社会主義現代化建設を推し進め、中華民族の偉大な復興を実現させる (2)中国の国家の統一と社会の調和・安定を守る (3)政権の安定を保証する (4)数億の人民を団結、凝集させ、共同ですばらしい未来を建設する、と記している[7]。
- 朝鮮労働党の機関紙の労働新聞等は2011年1月の新年共同社説で「今年の総進軍を成功裏に促すための決定的担保は、党の領導的役割をあらゆる面で高めること」として、党の指導の強化を主張した[38]。
関連書籍
- "The Communist Party leadership in Poland: a study in elite stability" (Richard Felix Staar, 1961)
- "The Communist Party leadership in Albania" (Jani I. Dilo, Institute of Ethnic Studies, Georgetwon University, 1961)
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
- 中国の民主政治建設 - 中華人民共和国 政府白書
- 【新年共同社説】2011年「今年もう一度軽工業に拍車をかけ、人民生活向上と強盛大国建設で決定的転換を起こそう」- 『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説全文
- ↑ 「資本主義の最終段階とする帝国主義観、労農同盟によるプロレタリア独裁、一国社会主義の可能性、民族・植民地問題と国際プロレタリア革命の関連、前衛党の指導性と組織原則などを中核理論とする。」大辞林(三省堂)「レーニン主義」の項
- ↑ "He advocated the organization of the working class by a disciplined and centralised Communist Party believing, unlike Marx, that class consciousness could only develop under the guidance and direction of party leadership. "Leninsm - sociologyindex.com
- ↑ What Is To Be Done?
- ↑ 戦後の日本外交と1984年の我が国の主要な外交活動 - 各国との関係の増進(外務省)
- ↑ 中華人民共和国 - 外務省
- ↑ 国際社会の変化とわが国の外交課題 - 外務省
- ↑ 7.0 7.1 中国共産党は人民を指導して国の主人公にさせる - Show China(中華人民共和国大使館からリンクされているサイト)
- ↑ 中国共産党中央の権力構造の分析
- ↑ [http://www.wowkorea.jp/news/Korea/2009/0213/10053601.html 統一部の北朝鮮権力機構図改正版、「党の領導」明示 - 韓国新聞
- ↑ 領導者としての中国共産党(権力執行機関の掌握:軍の場合) - 比較文化論
- ↑ 中華人民共和国国防法(中文)
- ↑ 「現代アジア事典」(長谷川啓之、文眞堂、2009年)1384p[1]
- ↑ 単一政党しか存在しない理由はなにか - キューバ大使館
- ↑ 「現代中国の政治と文学: 批判と粛清の文学史」(小山三郎、東方書店、1993年)274p
- ↑ 「朝鮮民主主義人民共和国の法と司法制度」(金圭昇、日本評論社、1985年)306p
- ↑ 中華人民共和国憲法を読む(2004年、抜粋)
- ↑ 中華人民共和国憲法(1999年修正)
- ↑ ベトナム社会主義共和国憲法(1992年)
- ↑ 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法
- ↑ ラオス人民民主共和国憲法(日本語訳)(PDF 法務省 ICD NEWS 第13号)
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ ソ連 - 外務省
- ↑ Verfassungen der Deutschen Demokratischen Republik (1968)
- ↑ Verfassungen der Deutschen Demokratischen Republik (1974)
- ↑ シリア・アラブ共和国 - 外務省
- ↑ シリアの政治 - maxtie.com
- ↑ 第9回バアス党地域指導部大会 - 中東経済研究所
- ↑ シリアで新憲法の国民投票 反体制派は不参加呼びかけ
- ↑ シンガポール憲法の改正
- ↑ シンガポールの選挙制度 ~与党が議席の95%を占める選挙制度とは?~ 北海道シンガポール駐在員事務所 2009年7月20日
- ↑ 南、指導者-国家-憲法体制の構成、4p
- ↑ 南、指導者-国家-憲法体制の構成、7-11p
- ↑ 南、指導者-国家-憲法体制の構成、11p
- ↑ イラク共和国暫定憲法 - 国立情報学研究所
- ↑ 資本主義の死の苦悶と - 第4インターナショナルの任務(トロツキー) オーストラリア国立大学マルキストインターネットアーカイブ
- ↑ 日本共産党綱領(2004年)
- ↑ 「民青同盟の活動と主張」日本民主青年同盟中央委員会(1984年、p71)
- ↑ 【新年共同社説】2011年「今年もう一度軽工業に拍車をかけ、人民生活向上と強盛大国建設で決定的転換を起こそう」- 『労働新聞』『朝鮮人民軍』『青年前衛』共同社説全文(翻訳:主宰者)