「カルーセル麻紀」の版間の差分
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2014年8月22日 (金) 21:37時点における最新版
テンプレート:女性モデル カルーセル 麻紀(カルーセル まき、Carrousel, Maki、1942年[1]11月26日 - )は、日本のニューハーフタレント。本名:平原 麻紀(ひらはら まき)、旧名および出生名:平原 徹男(ひらはら てつお)。所属芸能事務所は、オフィスカルーゼル。
元男性であることをネタにした痛快なトークが売りで、お笑い芸人の演芸と歌謡ショーを組み合わせたステージを繰り広げる。また、芸能界を始め、各界に友人、親友が数多く幅広い人脈を持つことでも知られる。
目次
経歴
生い立ち
1942年(昭和17年)[1]、北海道釧路市で厳格な父親の二男として生まれる。「(太平洋戦争で)アメリカやイギリスなどの敵国と『徹底的に戦う男』となるよう」との願いから、「徹男(てつお)」と命名された。しかしながら、幼少時から女性的趣味嗜好を持っていた。また、弟がいるが「徹男に次ぐように」という願いを込めて次男(つぐお)と命名されたとの事。
ゲイバーへ
北海道釧路北陽高等学校中退。父親への反目から15歳で家出し、札幌市のゲイバーに勤務。その後は、青森県弘前市のショーパブ勤務を経て、大阪の『カルーゼル』という店に勤めたが、この際に用いた源氏名が『麻紀』であった。また、作家の山口洋子が経営していた東京・銀座のクラブ 『姫』に在籍していたこともある。
札幌市のゲイバーに勤務していた19歳のときに去勢手術を受けた。その後、一年間仕事を休業をして1973年(昭和48年)にはモロッコに渡り、性転換手術を受けた[2]。手術後には40度以上の高熱が続き死にかけたことも麻紀本人が語っている。左足の太腿に薔薇の刺青を入れている。
芸能界へ
25歳のとき、楽曲『愛して横浜』で歌手デビュー[2]。日劇ミュージックホールに出演する際に「麻紀」だけでは短すぎると言われ、勤めていた店の名前から「カルーセル」を頭に付けたのが現在の芸名となった。名付け親は放送作家の新野新である。
2001年(平成13年)9月、大麻とコカインを自宅に隠し持っていたとして、大麻取締法、及び麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕された。容疑は何れも不起訴となったものの、拘留中の留置場では戸籍上の理由で男子房に入れられていた[2]。また、普段はTバックの下着を愛用していたが、留置場内では男性として扱うため下着は男性物の着用しか認められなかったためトランクスをはいていたと、後日の会見で話している。
2002年(平成14年)、半生を綴った自伝『私を脱がせて』(ぶんか社)を出版した。
2006年12月8日には自宅が空き巣被害にあい、腕時計などの宝飾品約800万円相当や現金約10万円、外国紙幣約320万円相当を盗まれている。被害直後に自宅で記者会見に応じている。
2014年5月28日に『徹子の部屋』出演時に、2011年に閉塞性動脈硬化症を患い右足の切断の危険もあったことを番組内で告白した。幸いなことに手術も無事に成功したが、翌年の2012年には左足が同じ病気になってしまい再び手術を行ったそう。
女性へ
2004年(平成16年)10月の性同一性障害者特例法施行を受けて性別の変更が認められて戸籍上も女性(続柄は二女)となり、本名も「平原麻紀」と改名した。親類の子供たちからは、「おじちゃんだったおばちゃん」と呼ばれていたという[3]。本人はいまだに元男性であることをネタにしており、「怒るとオッサンになる」、「男に徹すると書いて徹男なのに、女になってしまった」などと、しばしば語る。
趣味
プロ野球、北海道日本ハムファイターズのファンであり、特に投手・ダルビッシュ有の大ファンである。
年に一度はヨーロッパ各国へ休暇を取って旅行へ行くほどヨーロッパ好きで有名である。自宅内にもヨーロッパのアンティークな家具、装飾品などが多数あり、自宅紹介時には公開している。プライベートでも親交の深い黒柳徹子と一緒にヨーロッパ旅行へ出かけたこともある。豪華なドレスなどの舞台衣装や高級ブランドのバックや靴、洋服、毛皮等を多数所有していて自宅に収まりきらなくなり自宅の近所にクローゼット代わりに家を一軒購入したとTV番組で視聴者に紹介した。
交友関係
芸能界でも友人、親友は多いが、石原裕次郎は麻紀を本物の女性として接していて実妹のようにたいへん可愛がられていたそうで、石原まき子も公認で普段から飲食や遊びに連れて行ってもらったり温泉も一緒に入ったりなどしていたという[4]。石原は本来兄である慎太郎同様に同性愛者を嫌っており、麻紀のようなケースは非常に珍しかった。
太地喜和子とは数多い友人の中でも特に親交が深くて大親友であった。2011年4月19日放送の『徹子の部屋』のゲスト出演時には太地の形見である帯と帯締を着けて着物姿で登場した。『徹子の部屋』には番組開始から現在まで定期的に出演している。
関口宏とは互いの芸能界デビューが同時期で当時から交流があり『宏』、『麻紀』と呼びあっていて仲良しだと『関口宏の東京フレンドパークII』出演時に語っている。
デヴィ夫人や美川憲一、あき竹城とはプライベートでも親交の深い旧友である。大黒摩季も友人の一人である。
オリックスSDの中村勝広と旧知の間柄であったことが縁で、2008年(平成20年)3月1日、オリックス・バファローズ対阪神タイガースのオープン戦で始球式を行なった。
オネエ系タレントのパイオニアでもあり、後輩たちから慕われているが特にニューハーフタレントの後輩はるな愛をプライベートでも可愛がっている。愛は、麻紀の誕生日パーティーに招待された際、当時多忙だった愛がうっかり行くのを忘れてしまい、麻紀に男口調で激怒されたと語っている。また2011年2月6日放送の「クイズ☆タレント名鑑」のコーナー「芸能人!このオファー引き受けた?引き受けなかった?クイズ」で「カルーセル麻紀のエアあやや」のオファーを承諾し披露しているが、引き受けた理由は愛に見てもらいたかったとの事。タレントでもあり京都祇園カルシウムハウスの梶浦梶子ママからは師匠と呼ばれている。
出演作品
映画作品
- 喜劇 競馬必勝法 大穴勝負(1968年)
- 新宿育ち(1968年)
- 異常性愛記録 ハレンチ (1969年) - 出演予定だったが諸事情により出演せず、代役が立てられた。
- 残酷・異常・虐待物語 元禄女系図 (1969年)
- 夜の最前線 東京女地図(1969年)
- コント55号 宇宙大冒険 (1969年)
- 野蛮人のネクタイ(1969年)
- 女の警察 国際線待合室(1970年)
- 不良番長 暴走バギー団 (1970年)
- 性転換の神秘/ストレンジハー(1971年、アメリカ映画) - 日本公開版にインタビュー出演
- 谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座(1971年)
- 影狩り ほえろ大砲 (1972年)
- 女子大生 SEX方程式(1973年)
- 喜劇 特出しヒモ天国 (1975年)
- くの一忍法 観音開き (1976年)
- 俺は上野のプレスリー (1978年)
- 俺は田舎のプレスリー (1978年)
- 火の鳥 (1978年) 実写版映画
- 道頓堀川 (1982年)
- ルパン三世 バビロンの黄金伝説 (1985年) 声の出演
- 苺の破片 (2004年)
- 自虐の詩 (2007年)
- ピューと吹く!ジャガー (2008年)
- 劇場版 SPEC〜天〜 - 境 役
テレビ作品
- 女殺し屋 花笠お竜(1969年) お巻役(レギュラー)
- 特別機動捜査隊 第399話「緋牡丹の女」(1969年)
- プレイガール
- 第71話「怪談・怨霊館の妖女」(1970年)
- 第161話「真夜中の技くらべ」(1972年)
- お耳役秘帳 第25話「人斬り毒婦」(1976年、関西テレビ) お歌役
- 大都会 PARTII 第52話「追跡180キロ」(1978年)
- 西遊記 第1話「石猿誕生す」(1978年) 乙姫役
- 土曜ワイド劇場
- 「天才・神津恭介の推理 高木彬光の刺青殺人事件」(1983年)
- 「京都マル秘仕置帖1」(1999年)
- SPEC〜翔〜 - タロット占いおばさん 役
バラエティー番組
- 11PM レギュラーコーナーを持っていた。
- 花の新婚!カンピューター作戦(関西テレビ)
書籍
著書
- 私を脱がせて(2002年11月、ぶんか社)ISBN 978-4821108015
- 女は一日にしてならず(2005年11月、幻冬舎)ISBN 978-4344010727
- 私は女(ぶんか社文庫)(2007年9月5日、ぶんか社)ISBN 978-4821151172