フジキセキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox フジキセキ日本競走馬種牡馬である。1994年朝日杯3歳ステークスに優勝し、同年のJRA賞最優秀3歳牡馬[注 1]に選出。翌1995年の4歳クラシック戦線における最有力馬と目されたが、その初戦・皐月賞を前に屈腱炎を発症して引退した。その後種牡馬となり、GI級競走7勝のカネヒキリをはじめとして8頭のGI級競走優勝馬を輩出している。産駒の通算JRA勝利数・通算JRA重賞勝利数は内国産種牡馬の歴代トップである。

経歴

※2000年以前の出来事については、馬齢を旧表記(数え年)で記述している。

デビューまで

1992年4月15日、北海道千歳市社台ファーム千歳に生まれる。父・サンデーサイレンスは1989年の全米年度代表馬であり、種牡馬として日本に輸入された後に12年連続のリーディングサイアー(首位種牡馬)を獲得、「日本競馬に革命を起こした種牡馬」と言われた。本馬はその初年度産駒である。馬産地ライターの後藤正俊によれば、父に似た馬が活躍する傾向にあったヘイロー系(サンデーサイレンスの父)にあって、同年に生まれた67頭の中で最も父に似た馬であり、サンデー産駒が続々と誕生していた頃、牧場に対して「一番の期待馬」を尋ねた際、「躊躇なく挙げられたほど傑出した馬」であった[1]

出生直後に馬主の齋藤四方司が購買し、社台ファーム千歳場長(当時)・吉田照哉の勧めで、渡辺栄への預託が決まった。渡辺は直後に北海道へ飛び、実馬を見た際の印象を「垢抜けした、均整の取れた良い馬」と語っている[2]。2歳時から始まった育成調教においても、牧場スタッフからの評判は高かった[3]。競走年齢の3歳に達した1993年6月、「フジキセキ」と命名されて滋賀県栗東トレーニングセンターの渡辺厩舎に入った。馬名の「フジ」は富士山を意味し、「キセキ」には奇跡、輝石、軌跡といった様々な意味が込められている[4]。馬名登録の時は『富士奇石』として申請した。鉱物に詳しい友人の勧めで静岡県富士市出身の齋藤四方司は「富士山とキセキ(輝石、奇跡、軌跡)輝くような、ミラクルを起こして欲しい、栄光の軌跡を残して欲しい」そんな心情をこめて付けた。『石』の文字が付いたことで当時、渡辺栄調教師は「ちょっと重そうな名前ですね」と言って笑っていた。

調教でも良好な動きを見せて渡辺に期待を抱かせたが、デビュー前の必修審査であるゲート試験(発馬機からの発走試験)には手こずり、合格までに5回を要した[5]

戦績

同年夏から始まった新馬戦では、サンデーサイレンス産駒が続々と勝ち上がり、「サンデーサイレンス旋風」と評された。こうした中、フジキセキは8月20日の新潟開催新馬戦でデビュー。蛯名正義を鞍上に、当日2番人気の評価であった。スタートで大きく出遅れて最後方からのレースとなったが、最後の直線で先行勢を捉えると、そのまま独走態勢となり、2着に8馬身差を付けて勝利を挙げた。

消耗を防ぐため[6]に夏はこの1戦のみに留めて調整に入り、2戦目は10月8日のもみじステークスとなった。本競走から、騎手は渡辺厩舎に所属していた角田晃一に替わった。レースでは全くの馬なり[注 2]のまま、レコードタイムでの勝利を挙げた。2着馬は翌年の東京優駿(日本ダービー)を制するタヤスツヨシであった。

12月11日に臨んだ3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。レースでは引っ掛かる素振りを見せながらの先行策となった[4]が、最後の直線では楽に先頭に立った。ゴール前では最後方から追い込んだスキーキャプテンが馬体を接したが、クビ差退けての勝利となった。僅差にも関わらず、鞭を使うことなくレースを終えた角田は、「とにかくエンジンが違うという感じ。加速する時なんか凄いですよ。楽勝でした。まだ今日で3戦目、今後どのように成長するのかとても楽しみです[4]」と、翌年に向けての期待を口にした。

1995年、クラシックに向けて弥生賞(皐月賞トライアル)から始動。前走から16kg増という馬体重であったが、直前の調教では坂路コースで一番時計を出し、当日の単勝オッズは1.3倍を示した[7]。レースは前半1000m通過62秒5というスローペースの中で先行2番手を進み、第3コーナーから早々と先頭に立った。しかし後続との差を広げることができず、一旦は追い込んできたホッカイルソーに交わされかけた。しかし残り100mの地点から同馬を一気に突き離し、2馬身半差を付けて勝利。並ばれてから僅か100mで2馬身半差を付けた瞬発力は二段ロケットにも喩えられ[8][9]大阪日刊スポーツ記者の蔵内哲爾は、「ターフを沸かせた過去のスーパーホースたちをも超えかねない資質を感じる。まさに"輝石"そのものだ」と賞賛した[10]

名実共にクラシックへの本命と目されたが、3月24日、左前脚に屈腱炎を発症していることが判明した。復帰までには1年以上を要すると診断され、馬主、生産者、調教師の協議の結果、そのまま引退・種牡馬入りが決定した[11]

当年のクラシック三冠各競走は、皐月賞をジェニュイン(サンデーサイレンス産駒)、日本ダービーをタヤスツヨシ(同前)、菊花賞マヤノトップガンが優勝した。これらの競走へ不出走に終わったフジキセキであったが、無事ならば三冠を達成していた、または故障の前に三冠達成を予感していたとする者も存在する。

例えば、血統評論家の吉沢譲治は弥生賞を回想し、以下のように語っている。 テンプレート:Quotation

また、後藤正俊は以下のように語っている。 テンプレート:Quotation

騎乗した角田晃一は、「菊花賞は分からないですけど、皐月賞、ダービーまではたぶん大丈夫だったんじゃないかと思います」と語った一方で、「順調に使えていれば……って言いますけど、順調に使って勝った馬には敵わないです」とも語っている[12]

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)

騎手
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1994. 8. 20 新潟 3歳新馬 8 2 2 2.9 (2人) テンプレート:Color 蛯名正義 53 芝1200m(良) 1.09.8 (34.8) -1.3 (シェルクイーン)
10. 8 阪神 もみじS 9 7 7 1.2 (1人) テンプレート:Color 角田晃一 53 芝1600m(良) 1.35.5 (35.2) -0.2 タヤスツヨシ
12. 11 中山 朝日杯3歳S テンプレート:Color 10 1 1 1.5 (1人) テンプレート:Color 角田晃一 54 芝1600m(良) 1.34.7 (35.7) -0.1 スキーキャプテン
1995. 3. 5 中山 弥生賞 テンプレート:Color 10 8 9 1.3 (1人) テンプレート:Color 角田晃一 54 芝2000m(重) 2.03.7 (36.4) -0.4 ホッカイルソー

種牡馬時代

引退後は種牡馬として社台スタリオンステーションで繋養された。繁殖シーズン途中の種牡馬入りだったが、父サンデーサイレンスの代用としても人気を集め、初年度から118頭の交配相手を集めた[13]。しかし初年度産駒は勝ち上がり率こそ悪くなかったが、GI戦線で目立った成績を挙げるものは現れなかった。2年目の産駒からはダイタクリーヴァが重賞で活躍、GI競走でも2着2回を記録したが、デビュー前に故障した期待馬も数多く、他に同等以上の活躍馬は出なかった[13]

吉沢譲治は、日本国内における2005年頃までのフジキセキ産駒の一般的評価として、主に以下の4点を挙げている[14]

  • 早熟のマイラー[注 3]
  • 大レースの底力が足りない
  • 牝馬しか活躍しない
  • 脚部不安を抱えた産駒が多い

種牡馬入り4年目には、日本初のシャトル種牡馬としてオーストラリアに渡り、南北半球で異なる繁殖シーズンを最大限に利用した。しかし、フジキセキ産駒はオーストラリアの競馬スタイルに合わず、同地では長距離向きの種牡馬と評価されたこともあって、オーストラリア産のフジキセキ産駒は南アフリカなどへ分散していった[15]

社台スタリオンステーションの徳武英介は、初期の不振の原因を以下のように分析している。 テンプレート:Quotation

故障が多いというイメージは、重要な牝馬の交配相手としては敬遠され、その質を下げる原因ともなっていた[13]。他方、吉沢譲治は初期のフジキセキの成績を、同じくサンデーサイレンス産駒のダンスインザダークと合わせて以下のように擁護している。 テンプレート:Quotation

その後、2005年にカネヒキリジャパンダートダービーを制して産駒のGI競走初勝利を挙げると、翌2006年にはドリームパスポートが、勝利こそなかったもののクラシック競走や国際招待競走のジャパンカップで好走した。2007年からはGI級競走の優勝馬が相次ぎ、オーストラリア産馬からも、2008年のドバイシーマクラシックを制した南アフリカ調教馬・サンクラシーク高松宮記念を連覇したキンシャサノキセキなどが現れた。徳武英介は産駒の変化の要因として、フジキセキの血統的特徴が把握され始めたこと、東西のトレーニングセンターや民間の調教設備の充実により、産駒の故障が減った点などを挙げ、「時代がフジキセキに向いてきた」と語っている[16]。 数々のGI馬を輩出しながらクラシック競走には中々手が届かなかったが、2014年にイスラボニータが皐月賞を制し、16世代目にして悲願の産駒クラシック初制覇を果たした。

現時点ですべての出走世代から重賞勝ち馬を輩出している。2010年5月9日のNHKマイルカップで産駒のJRA通算重賞勝利数が50となり、49勝のシンザンを抜いて歴代単独10位、戦後の内国産種牡馬ではトサミドリに次ぐ歴代2位となった。さらに2012年3月10日の阪神スプリングジャンプでバアゼルリバーが勝利したことで55勝のトサミドリを抜いて戦後の内国産種牡馬では単独1位となった。また、2011年5月7日の新潟競馬第12競走で産駒のJRA通算勝利数が1136となり、1135勝のトサミドリを抜いて歴代単独11位、内国産種牡馬では歴代トップとなった[17]

こうした産駒の活躍から、例年200頭前後、多い年は250頭以上に種付けをおこなう人気だったが、2011年以降は種付けが行われなかった。社台スタリオンステーションから正式なアナウンスはなく、一部報道では「体調不良」と伝えられていた[18]。その後イスラボニータが皐月賞を勝った際、腰痛のため前年の2013年に種牡馬を引退し、社台スタリオンステーションの功労馬専用馬房で余生を送っていることが明らかにされた[19]

年度別種牡馬成績(中央+地方)

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
1998年 32 109 13 16 235 0.69 9748万5000円
1999年 112 565 49 66 35 1.18 5億8207万5000円
2000年 188 1078 79 128 7 1.90 15億6036万4000円
2001年 224 1454 114 199 6 1.81 17億1359万1000円
2002年 217 1408 89 183 5 1.96 16億8424万2000円
2003年 235 1425 111 195 8 1.67 15億3019万6000円
2004年 299 1775 121 193 4 1.71 19億6548万0000円
2005年 310 1929 146 247 3 1.98 23億2780万1000円
2006年 318 1955 146 240 2 2.21 27億7407万6000円
2007年 308 1915 127 224 5 1.82 22億5224万3000円
2008年 332 1987 118 209 2 1.91 25億5545万3000円
2009年 330 2193 134 234 6 1.73 22億9622万1000円
2010年 357 2179 160 265 2 1.89 27億0576万6000円
2011年 332 2007 154 293 7 1.74 22億6162万3000円
2012年 343 2370 153 265 6 1.65 21億5602万9000円
2013年 352 2470 160 270 10 1.50 20億6119万4000円
  • 2013年終了時点。

GI級競走優勝馬

英字馬名は日本国外の調教馬。

ファイル:Kane Hekili.jpg
カネヒキリ(2002年産)
ファイル:Kinshasa-no-Kiseki20100328.jpg
キンシャサノキセキ(2003年産)
ファイル:Fine Grain 20080330P1.jpg
ファイングレイン(2003年産)
ファイル:Asian Winds 20080518P1.jpg
エイジアンウインズ(2004年産)
ファイル:Danon-Chantilly20091122.jpg
ダノンシャンティ(2007年産)
ファイル:Sadamu-Patek20120105.jpg
サダムパテック(2008年産)

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

母父としての主な産駒

※太字はGI級競走(各国の国内限定格付けの競走も含む)。英字馬名は日本国外の調教馬。

血統表

血統背景

主流血脈は5代前にボールドルーラー(あるいは6代前にナスルーラ)がいる程度で、5代以内にクロスを持たず、また1980年代以降に世界的な主流血脈となったノーザンダンサーミスタープロスペクターの血を含んでおらず、配合選択肢が広い。サンデーサイレンス産駒の種牡馬としては、アグネスタキオンと共通する特徴である[20]

フジキセキ血統サンデーサイレンス系 / アウトクロス

*サンデーサイレンス
Sunday Silence 1986
青鹿毛 アメリカ
Halo 1969
黒鹿毛 アメリカ
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Wishing Well 1975
鹿毛 アメリカ
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

*ミルレーサー
Millracer 1983
鹿毛 アメリカ
Le Fabuleux 1961
鹿毛 アメリカ
Wild Risk Rialto
Wild Violet
Anguar Verso
La Rochelle
Marston's Mill 1975
黒鹿毛 アメリカ
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Millicent Cornish Prince
Milan Mill F-No.22-d

上記のほか、曾祖母の半兄にミルリーフ、母の従弟にアメリカのクラシック三冠競走で全て3着となった記録を持つメインミニスターがいる。

脚注

注釈

テンプレート:Reflist

出典

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 『競馬名馬&名勝負読本 - ファンのファンによるファンのための年度代表馬'95』(宝島社、1996年)ISBN 978-4796692533
  • 『優駿』1994年10月号、12月号、1995年2-4月号、1996年11月号、2002年10月号(日本中央競馬会)
  • 『優駿』2000年4月号(日本中央競馬会)
    • 阿部珠樹「サラブレッド・ヒーロー列伝#64 衝撃の春 - 1995年弥生賞」
  • 『優駿』2008年8月号(日本中央競馬会)
    • 吉沢譲治「グレートファーザー物語 フジキセキ」

関連項目

外部リンク

テンプレート:JRA賞最優秀2歳牡馬 テンプレート:朝日杯フューチュリティステークス勝ち馬


引用エラー: 「注」という名前のグループの <ref> タグがありますが、対応する <references group="注"/> タグが見つからない、または閉じる </ref> タグがありません
  1. 『競馬名馬&名勝負読本』209頁。
  2. 『優駿』1995年2月号、75頁。
  3. 『優駿』2000年4月号、92頁。
  4. 4.0 4.1 4.2 『優駿』1995年2月号、149頁。
  5. 『優駿』2000年4月号、93頁。
  6. 『優駿』1994年12月号、25頁。
  7. 『優駿』2000年4月号、94頁。
  8. 『優駿』2000年4月号、95頁。
  9. 『競馬名馬&名勝負読本』85頁。
  10. 『優駿』1995年4月号、126頁。
  11. 中央競馬を振り返る 1995年3月(競馬ニホン)
  12. 『優駿』1996年11月号、53頁。
  13. 13.0 13.1 13.2 『優駿』2008年8月号、69頁。
  14. 『優駿』2008年8月号、67頁。
  15. 『優駿』2008年8月号、69-70頁。
  16. 『優駿』2008年8月号、70頁。
  17. フジキセキ産駒がJRA勝利数単独7位、内国産ではトップに - 競馬ブックweb 2011年5月7日
  18. ふるさと定期便 フジキセキ産駒、悲願のクラシックホース誕生なるか
  19. 【皐月賞】フジキセキ産駒 デビューから17年目のクラシックV
  20. 『優駿』2002年10月号、31頁。