M2ブラッドレー歩兵戦闘車

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テンプレート:戦闘車両 M2 ブラッドレー歩兵戦闘車(M2 Bradley Infantry Fighting Vehicle)は、アメリカ合衆国で開発された歩兵戦闘車(IFV)である。

M3 ブラッドレー騎兵戦闘車(M3 Bradley Cavalry Fighting Vehicle)という装甲偵察車(CFV)型も存在する。


来歴

アメリカ陸軍による歩兵戦闘車の開発は、1958年に開始されていた。これは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが開発した実験的な歩兵戦闘車の影響を受けたものである。しかし、同様に影響を受けた西ドイツフランスソビエト連邦に比べると、その開発は遅々たるものであった。1954年には、フランス陸軍AMX-VCI装甲兵員輸送車に実験的に20mm機関砲を搭載し、1950年代後半には、西ドイツが世界初の歩兵戦闘車であるHS.30を開発・配備していた。アメリカ陸軍もこれらの影響を受けて開発を加速し、1965年より、MICV-65(Mechanized Infantry Combat Vehicle 1965)計画を開始した。なお、当時進められていたMBT-70計画になぞらえて、この計画はMICV-70と呼ばれることもあった。

MICV-65計画のもとでは、M109 155mm自走榴弾砲をもとにパッカー社が開発したXM701と、M113装甲兵員輸送車をもとにFMC社が開発したXM734が試験されていた。この試験ではパッカー社のXM701が勝利したが、結局、アメリカ空軍が新しく主力としたC-141輸送機で輸送できないことが判明して、採用はされなかった。一方、XM734が退けられたFMC社はさらに開発を続け、1967年にはM139 20mm機関砲を搭載するとともに車体にも小改正を施したXM765を発表したが、XM765もやはりアメリカ陸軍の試験を合格できなかった[1]

そして1967年、ソ連が開発したBMP-1が公開されて、アメリカ陸軍に大きなショックを与えた。BMP-1は、73mm低圧砲と9M14対戦車ミサイルを搭載して重武装であり、また、歩兵兵員室に収容して放射能などから守りつつ(NBC防護)、ガンポートから小銃を射撃して戦えるように設計されていた。アメリカがMICV-65計画で乗車戦闘能力を重視する一方でドイツとフランスの同種車両にはまだその種の能力が備わっていなかったことから、これはアメリカ陸軍がとくに感銘を受けた点であった。ソ連が既に乗車戦闘能力と重武装を備えた歩兵戦闘車を実用化しているのに対して、アメリカ陸軍のMICV-65は依然として計画段階に留まっており、実用化の目途は立たずにいた。

ファイル:XM723 tank.JPEG
XM723歩兵戦闘車。M2以前のプロトタイプのひとつである

1972年、アメリカ陸軍はMICV-65計画の失敗を踏まえて、新しい歩兵戦闘車の開発計画を発表し、FMC社はこれに対してXM723を提示した。XM723は、海兵隊向けのLVTP7装甲兵員輸送車をベースにしており、重量21トン、ソ連の標準的な車載機関銃であるKPV 14.5mm重機関銃に耐えられる装甲を備え、3名の乗員と8名の歩兵を輸送できた。XM723は当初、M139 20mm機関砲を備えた1名用砲塔を搭載していたが、1976年、これはM242 25mm機関砲TOW対戦車ミサイルを備えた2名用砲塔に換装され、この改正型はMICV TBAT-IIと呼ばれるようになった。また、車内では標準的なM16自動小銃では長すぎて扱いづらいことから、乗車戦闘専用の小銃として、M231 FPW(Firing Port Weapon)の開発も進められた。

この時期、歩兵部隊が歩兵戦闘車を要請していたのと同様、騎兵部隊も新しい装甲偵察車を必要としていた。このことから、XM723と同時に、軽量の装甲偵察車の要求がなされ、M139 20mm機関砲を搭載したXM800装甲偵察車が開発された。しかし、XM800計画で提示された2つの案はいずれも期待外れで制式採用には至らなかったことから、1975年、装甲偵察車の計画はMICV計画と合流することとなった。

1977年、MICV TBAT-IIはXM2と改名され、その騎兵戦闘車バージョンはXM3と呼ばれるようになった。1977年、議会はこれらの車両の能力に疑問を抱き、一時的に予算を差し止めたものの、陸軍は、コストと開発期間の不足を訴えてXM2/3計画の推進を主張し、1978年10月、議会は陸軍の主張を受け入れた。1979年12月、XM2/3は最終試験に合格して制式化され、1980年2月1日、量産が認可された。M2/3は、第二次大戦のヨーロッパ戦線で活躍したオマー・N・ブラッドレー元帥にちなんで、ブラッドレーと命名された[出典 1]アメリカ軍での運用が開始された1981年以降、6,724両が生産された[出典 2]

1980年に量産が認可されて以降、1994年までにIFV/CFVの2種で総数6,724両[2]が生産された[出典 3][出典 2]アメリカの兵器製造委託企業ユナイテッド・ディフェンス(United Defence)が製造を請け負っていたが、2005年にユナイテッド・ディフェンスを買収したBAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツで製造と改修がなされている。なお、平均単価は317万USドルである。 テンプレート:-

設計

基本となった"M2 IFV"は、固有乗員と下車戦闘兵員の合計9名を搭載できる輸送能力と共にM242 25mm機関砲TOW対戦車ミサイルを搭載している。

1982年に採用された初期量産型のM2(M2A0)では、C-141輸送機での輸送が可能であることも必要条件であった。これは、1988年に採用されたM2A2において、C-141の後継であるC-17戦略戦術輸送機での輸送可能であることが必要条件となった[出典 4]

また、設計における主要目的の一つが、M1エイブラムス主力戦車に随伴可能なスピードを維持できることであったため、走破性能は非常に優れている。車体の外部装甲アルミニウム溶接で、車内の重要な部分にはラミネート装甲という構造になっている[出典 1]。しかし、これが欠点の一つとして挙げられることもあり、アルミニウム装甲は成形炸薬弾(HEAT)の直撃を受けると蒸発・消失しやすく、弾薬の搭載量が多いことから、生存性は低下していると考えられた。

湾岸戦争での実戦経験を経て、後に装甲の強化など大幅に改良されたM2A1、M2A2が登場した。M2A2からは戦場での生存性を高めるために、アップリケ装甲(爆発反応装甲)の装備が可能なようにされており、徹底した試験と評価を経て採用され、イラク戦争に実戦参加した[出典 1]。M2A3では重量も33トンに達し、行動距離は402kmへと短くなっているが、搭載兵員数が6名から7名に増えるなど、車体も再設計された[出典 4]

車体・走行系

アルミニウム合金(Al, Mg, Zn)の全溶接の装甲履帯を備えた車体に、カミンズ製VTA-903ディーゼルエンジン(500馬力)と662リットルの燃料を搭載して、最大速度65km/h、航続距離480kmという性能である。

車内は右前部がエンジン室、左前部に操縦士が座り、車体中央の砲塔には右に車長、左に砲手が位置し、(A2型以降は)後部空間内に下車戦闘する兵員6名がほぼ互い違いに前後を向く5名と左の壁に背を付け右を向く1名とやや変則的に座乗する[3]

固有武装

ファイル:M2 Bradley Armament.JPEG
M242 25mm機関砲とTOW2連装発射機
M242 25mm機関砲
M242 25mm機関砲は、毎分約200発の連射が可能で、射角+60°~-10°、有効射程2.5kmで、単発/100発/200発が切り替えられる。
弾種:徹甲弾APDS-T、榴弾HET-T。
弾数:900発(IFV)、1,500発(CFV)[4]
TOW対戦車ミサイル
M242機関砲砲塔左側にTOW対戦車ミサイルの2連装発射機を搭載。最大射程は3,750m。重装甲車両に対する攻撃が可能になっている。
弾数:発射機内2発+予備3発。
M240C 7.62mm機関銃
M240C 7.62mm機関銃はM242機関砲の右側に同軸に備える。
弾数:2,200発(IFV)、9,460発(CFV)[5]
M231 5.56mm FPW
ガンポートより射撃するための小銃。専用に開発されたM16自動小銃の派生型で、銃身が短縮されているほか、ガンポートに固定して使用することから、銃床も省かれている。ガンポートの廃止以後は搭載されていない。

乗車歩兵

アメリカ陸軍では4輌のIFVで機械化歩兵小隊を組み、M1戦車とIFVに随伴して下車した歩兵分隊チームが互いの弱点を補いながら戦闘に臨む体制をとっている。

A2型以降のM2ブラッドレー歩兵戦闘車(IFV)は、各車輌ごとに下車戦闘する歩兵分隊6名が搭乗しており、歩兵分隊24名に加えて機械化歩兵小隊の小隊長でもあるIFVの1号車の車長が下車して戦闘指揮を行なうことが多く、同様に他の3輌の車長も下車する。IFVの車長が欠けた4輌のIFVはそれぞれ残る2名の内、砲手が車長代行となり予備砲手が砲手を務める。

下車戦闘歩兵の27名は9名ずつ3つの歩兵分隊となり、3名の元車長が分隊長となって戦う事になる[出典 3]テンプレート:-

実戦使用

湾岸戦争では、M1エイブラムスよりも多くのイラク軍車両を破壊したが、12輌のブラッドレーが損傷し、20輌が失われた。敵の砲火で失われたのは3輌で、友軍による誤射が最も多かったことを受け、赤外線識別パネルの追加と識別マーキングを施された。

イラク戦争やその後の占領下では、RPG-7(ロケット推進擲弾)やIEDによる攻撃を頻繁に受けている。RPGやIEDによる攻撃のみなら完全な破壊には至らないので、車体を犠牲にして乗員は難を逃れるという方針があるものの、死者の数が増えていることも事実である。

アメリカ陸軍ではこの他、1990年代半ば以降、ボスニア派遣軍でブラッドレーが使用されており、2006年の時点で損失したブラッドレーの数は55輌である[出典 5]

車種

主要な車種として、M2ブラッドレー歩兵戦闘車(IFV)とM3ブラッドレー騎兵戦闘車(CFV)の2つのファミリーがあり、これらは同一の基本車体(シャーシ)を使用しているが、細部の装備などが異なっている。また、対空型や車台の他への利用もある。

M2ブラッドレー歩兵戦闘車

ファイル:M2a3-bradley07.jpg
M2A3ブラッドレー

M2ブラッドレー歩兵戦闘車(IFV)は、3名の固有乗員に加えて下車戦闘する歩兵分隊6名が完全武装で搭乗できる。 テンプレート:-

M3ブラッドレー騎兵戦闘車

ファイル:Two M-3 Bradleys.jpg
M3 ブラッドレー

M3ブラッドレー騎兵戦闘車(CFV)は、3名の固有乗員に加えて偵察チーム2名が搭乗可能であり、追加の無線装備や対戦車ミサイルTOWドラゴンジャベリン)が搭載可能である。

なお、M3ブラッドレー騎兵戦闘車の搭載機関砲は30mm機関砲という情報もあった。 テンプレート:-

M6 ラインバッカー

M2A2 ODSの派生型で、砲塔横にFIM-92 スティンガー地対空ミサイル4連装発射機を装備した対空型。

アメリカ陸軍では退役する予定。 テンプレート:-

BSFV

BSFV(Bradley Stinger Fighting Vehicle)は、SAMを携行する歩兵(対空特技兵)の輸送と支援を行うために設計された。

ウォーハンマー・ブラッドレー

M2A2 ODSの派生型で、対戦車戦闘力の向上型。FGM-148 ジャベリン対戦車ミサイルを2基搭載し、照準器を改修した。

M7 ブラッドレー FSV

既存の観測車両と交代するため、ブラッドレーをFSV(火力支援車)に改修。慣性航法装置、コトロールパネルと目標指示システムなどが追加されている。

他への利用

MLRS
ブラッドレーの基本車体の設計がM270 多連装ロケットシステム発射機にも利用されている。

テンプレート:Main

基本型と改良型

M2とM3のいずれも約25年の間に4回の改良型が生み出され、基本型と合わせて5種類の車輌が作られた。

M2A0 - M3

1982年に採用されたシリーズの基本となった初期量産型である。赤外線画像処理装置とM242 ブッシュマスター機関砲照準器を統合したシステムが標準装備された。全長6.45m、全幅3.2m、全高2.97m、戦闘重量22.7トンであった。

M2A1 - M3A1

1986年に採用された。ミサイルをTOW II対戦車ミサイルに換装し、消火システムなど防御力を意識したシステムを導入。NBC排ガスフィルターも装備された。

M2A2 - M3A2

1988年に採用された。エンジンの出力向上やサスペンションの改良を受け、弾薬保管庫の改善や防弾ライナーと爆発反応装甲の追加など防御が大きく改善された。防弾鋼板が最大で25mm、エンジンも強化され600馬力となった。

M2A2 ODS/ODS-E - M3A2 ODS

名称のODSは"Operation Desert Storm"(砂漠の嵐作戦)を意味しており、湾岸戦争での教訓から改良が施された。1996年から運用開始。1,423輌がODSへと改良された。

戦術インターネットを利用するためのアップリケ・コンピュータ、レーザー測距器(ELRF)、戦術ナビゲーション(TACNAV)、GPSレシーバー(PLGR)、デジタルコンパス(DCS)、有線誘導ミサイル妨害用にサンダース製AN/VLQ-8A電子光学妨害装置、車間情報システム(IVIS) などが追加された。他にも内部のシステムや構造も大幅に改造され、下車戦闘チームの座席は1名分減って両側2つで定員6名となった。戦闘重量は27.2トンとなった。

M2A3 - M3A3

目標捕捉能力と火器管制能力を改善するため完全デジタル化、あるいは電子機器のアップグレードが行われた。車長用独立旋回式映像装置(CIV)、TRW製コンピュータによるFBCB2戦闘指揮システム、第2世代FLIR、下車チーム用と砲塔操縦席の平面ディスプレイも加えられた。

改修は1997年より開始され、1,902台がA3にアップデートされる予定である。戦闘重量は30.4トンとなった[出典 3]

採用国

登場作品

映画
終盤で対ディセプティコン特殊部隊NESTを援護するために登場。
ペンタゴンで行われている兵器開発M2ブラッドレー歩兵戦闘車の開発にまつわる腐敗など実話に基づいて描かれている。
漫画
 関ヶ原の戦いにおいてタイムスリップし、東軍についたアメリカ海兵隊が使用。西軍及び自衛隊に打撃を与えるも最終的に全滅、以後は登場しない。
ゲーム
独立拡張パック"Operation Arrowhead"にM2、M2A3、M6の各タイプが登場し、プレイヤーやAIが操作可能。
アメリカ軍の装備としてM2A2と架空のモデルのM2A10が登場。
日本版では未実装。
アメリカ軍の戦闘車両として登場。シナリオでは序盤などで多用することになる。
日本を占拠したアメリカ陸空軍の車両として登場。プレイヤーも購入して使用できる。
第2章最終ステージ「自らの意思」において、ワシントンモニュメント近辺を防衛するアメリカ陸軍の車輌として登場。主人公達の突入路をこじ開けるため、建物に陣取るロシア軍兵士らに機関砲掃射を行う。
アメリカの基本装備として組み込まれる。
 M2、M3、M6がアメリカの基本装備として組み込まれる。
マルチプレイにて、砂漠塗装と雪上塗装タイプが登場。
国連軍歩兵戦闘車として登場する。
「重APC」という名称で登場する。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 M2A3 and M3A3 Bradley Fighting Vehicle Systems (BFVS), Federation of American Scientists (FAS) 2000-05-05 テンプレート:En icon
  2. 2.0 2.1 M2 and M3 Bradley Fighting Vehicle Systems (BFVS), GlobalSecurity.org 2005-06-24テンプレート:En icon
  3. 3.0 3.1 3.2 河津幸英著 『イラク戦争』 アリアドネ企画 2005年7月10日第一版発行、ISBN 4-384-03400-8
  4. 4.0 4.1 M2 Bradley Fighting Vehicle, Gary's Combat Vehicle Reference Guide 2007-10-25テンプレート:En icon
  5. Thompson LB, Korb LJ, Wadhams CP. テンプレート:PDFlink Lexington Institute and Center for American Progress. 2008-10-30

注記

  1. ただし、XM765をもとにエリコンKBA 25mm機関砲を搭載したAIFVは、輸出用途では一定の成功を収めた
  2. M2 ブラッドレー歩兵戦闘車が4,641両でM3 ブラッドレー騎兵戦闘車が2,083両である
  3. A1型までは下車戦闘兵の座席は7名分あり後部の6名に加えて操縦士の後ろ、砲塔の左前に1名の機関銃手席があった
  4. 高速徹甲弾を発射する砲に共通の危険だが、本機関砲でも徹甲弾発射時には砲口前方にサボが超音速で放たれるため、友軍歩兵などはその前方100m左右17度の範囲には立ち入らないように求められる
  5. 下車戦闘部隊の携行する機関銃もM240Cの同種のM240B 7.62mm汎用機関銃(650発/分-850分/分、11.1kg)である。初期型のM2には車体後部側面に兵士が乗車戦闘を行うための銃眼(ガンポート)が設けられていたが、後に装甲強化のため廃止された

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:第二次世界大戦後のアメリカの装甲戦闘車両テンプレート:Link GA