平成教育テレビ
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テンプレート:超長時間番組 テンプレート:参照方法 テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『平成教育テレビ』(へいせいきょういくテレビ)とは、1992年、1993年に放送された長時間スペシャル番組(FNS27時間テレビ)。また、この項では1994年についても扱う。
目次
番組概要
番組タイトルは、当時フジテレビ系列で放送されていたクイズバラエティ番組『平成教育委員会』をもじったもの。1991年まで『テレビ夢列島』と題して放送されてきたものを全面的に見直し、当時の高視聴率番組『平成教育委員会』をメイン企画に据えて放送された。
FNS各局対抗の「全国一斉模擬試験」があった。土曜深夜から日曜夕方にかけて4回にわたって『平成教育委員会』のクイズを実施。河田町・フジテレビの第6スタジオにいるFNS各局女性アナと中継先のFNS各局代表一般解答者20人の合計点を競い、もっとも優秀な成績を修めた系列局を決めた。
総合司会は北野武、逸見政孝が務めた。ただし、逸見が逝去した1994年以降も『平成教育テレビ』の内容を一部受け継ぎ、たけしがメイン司会をしている。
スタッフ
- 製作総指揮:鹿内宏明(1992年)、日枝久(1993年・1994年)
- 演出:三宅恵介(フジテレビ)、上川伸廣(イースト)/今井康之(イースト)、坪田譲治(フジテレビ)
- 総合プロデューサー:王東順
- プロデューサー:波多野健(イースト・1993年)、角井英之(イースト・1993年&1994年)、越真一(イースト・1992年)/山縣慎司(フジテレビ)、丸山史(フジテレビ)、桜井郁子(フジテレビ)ほか
- コーナープロデューサー:森英昭、西山仁紫、松永剛、杉浦優子、永山耕三、加藤友和、佐藤義和/梅本満(イースト)、吉田宏(イースト)、阿部恒久(4/g)、中山和記(共同テレビ)ほか
- コーナーディレクター:手塚久、加田光宏、内田宏昌、吉田正樹、中村則之、丹羽信幸、高橋鉄、加茂裕治、豊島浩行、鈴木恵悟、木村基子、天野晃宏、小杉雅博、田辺恵造、片岡飛鳥/つきざわけんじ(MEN'S)、安藤正俊(イースト)、河合優(イースト)、小島俊一(4/g)、黒河博之(4/g)、藤田明二(共同テレビ)ほか
- 構成:高平哲郎/原すすむ、川崎良、下尾雅美、恒川省三、大岩賞介、詩村博史、岩立良作、高橋秀樹、ダンカン、石黒ムーミン精司、小笠原英樹、大田一水、山田順子、中澤恵二、長田充 ほか
- フジテレビ技術:笹川一男/堀田満之、佐藤五十一、大嶋隆、馬場直幸、伊佐憲一、大河真、大西幸二、和田千穂、池田昌隆、岡田正穂 ほか
- フジテレビ照明:澤田篤宏 ほか
- フジテレビ美術:永本充、水上啓光、山本修身、伊藤則緒、樋口雄一郎/金子俊彦(アックス)、丸山覚(アックス)、青沼哲雄、菊地誠 ほか
- 衣裳:高野知子 ほか
- タイトル:山形憲一
- タイムキーパー:土田芳美、三田真奈美
- VTR編集:大内一学(RVC)、石丸健一(RVC)、井戸清(ヴィジュアルベイ)、IMAGICA ほか
- 音響効果:有馬克己(東京サウンド企画)、川崎恵介(東京サウンド企画)、OCBプロ、OKK、第一音響、プロジェクト80、4-Legs、佳夢音
- 技術協力:ニューテレス、八峯テレビ、共同テレビ、渋谷ビデオスタジオ(ビデオスタッフ)、バスク、中部システム(TUBE)、共立照明、FLT、東新、DELICIOUS、SATT SOFTWARE、フジミック ほか
- 制作協力:MEN'S、4/g(フォーグラムビジュアルデパートメント)、メビウス、マンダラハウス、スペースエムワイ、共同テレビ、日能研、日本教育アカデミー、フォーチュンスープ
- 企画協力:オフィス北野、三木プロダクション
- 制作:イースト
- 制作著作:FNSネットワーク26社
主なコーナー
BIG3
1992年 『タモリ・たけし・さんまビッグ3世紀の教育スペシャル』「車庫入れ」「タモリ・たけし・さんまの小中高時代」
視聴者参加クイズ
- 夜明けの全国一斉模擬試験・教科編(1992年、1993年)
- 夜明けの全国一斉模擬試験・地方編(1994年)
プロ野球ニューススペシャル
- 中継場所ラインナップ
各年度のダイジェスト
第6回(1992年)FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ
- 司会:北野武、逸見政孝
- 各時間を「教科」とし、授業を行った。
- 同じ答えばかりの解答者がいた。
- 逸見政孝と岡本夏生の司会で『NEWSCOMスペシャル』。夕方は、『スーパータイムSP』。
- ウッチャンナンチャン・ダウンタウンによる深夜の保健体育(司会進行はなぎら健壱)。
- 『北野ファンクラブ』(SPの題名は「北野武の平成ファンクラブ」)、『カルトQ』など当時の深夜番組がスペシャルで生放送。
- 『北野ファンクラブ』はゲストに玉置浩二が来るなど華やかなものになり、最後は「Let it be」の替え歌で歌詞はともかく、非常に盛り上がったエンディングとなった。はずであったが、歌詞の内容がアトピー患者をけなしているとも捉えられかねない内容であったため、後刻、謝罪した。このほか、トークゲストとして山田邦子が出演した。
- 夜明けの一般公開模擬試験
- 全20問出題。全20問正解した応募者に奨学金100万円山分け。また全20問正解以外の応募者から抽選で100人に『平成教育委員会』の本をプレゼントした。
- 応募総数・1910通、うち全20問正解した人は2人。よって50万円ずつ進呈。
- 全国秘湯・グルメ列島リレー中継
- 朝の大運動会
- 『平成教育委員会』NG名場面集
- 『あっぱれさんま大先生』スペシャル
- BIG3コーナー「世紀の教育スペシャル」(前半「車庫入れ」は『主なコーナー』に)
- (前半のあらすじ)昨年度の仕返しとばかりにたけしの車にブロックをぶつけようと待ち構えるさんまの前に現れたのは、助六姿で自転車に乗ってやって来たたけし。あ然とするさんまを尻目にさんまの車に尺八を叩きつけ、自転車をぶつけるたけし。結局この年もさんまの車はボロボロに・・・
- 逸見の仕切りでBIG3の小中高時代を振り返る・・・はずだったが、最初は前半「車庫入れ」を振り返るトーク。タモリ「自転車をぶつけた程度では保険は降りないよ」、たけし「あそこで止めたら「意気地なし!」と言われる」、さんま「自転車が入ってきた時、チャップリンの映画かな?と思った」。続いて本題に入り、それぞれの小中高時代を秘蔵写真等で振り返る。
- タモリ:学級委員をクビになる(小学校)、片思いの人現る(中学校)、長崎までヒッチハイク(高校)
- たけし:「ダッタマン」(小学校。「~だった」だらけの卒業文集の文体を、さんまが「ダッタマン」と呼んでからかった)、坊主にされる(中学校)、坊主にされる。教頭先生を5円玉で引っ掛ける(高校)
- さんま:ムササビを捕まえる(小学校。以前からデタラメ説が唱えられていたが、証拠写真提出)、相撲部で準優勝(中学校。当該記事をスタッフが奈良まで調べに行ったがなかった)、失恋。リレー事件(高校)
- 締めは「(話の流れから)性格は変わるってことですね」という逸見の発言に対し、三人が「変わったわけじゃないと思うなぁ」「いや、性格はかわらんでしょ」と発言。また、たけし関連の物は翌年以降もしばしばネタにされ、2001年にたけしが『さんまのまんま』に出演した際にもダッタマンネタを指摘され、「こんなバカな小学生が世界の北野だなんだ言われて」と言われた。
- 放送時間は土曜夜7:00~日曜夜7:58。この年から1995年までの4回、番組の終了時間が夜7時58分までに。因みに、番組の終了時間が夜7時58分までになったのは、前後や他の番組との放送時間の関係(『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』と被らせないため)。
- この年を最後に山形テレビが放送を打ち切る(翌年ANNにネットチェンジ、1997年のさくらんぼテレビの開局まで山形では放送なし)。
- 鹿児島テレビは1992年・1993年の2年間、『たけし・逸見の平成教育委員会』時差ネットでありながら、唯一このスペシャル番組を同時ネットしていた局である。
- 全国一斉模擬試験
- この年の全国一斉公開模試の優勝局は関西テレビ。2位は富山テレビ、3位は山陰中央テレビ、最下位はテレビくまもと、26局中25位のブービーだったのがフジテレビ。特にテレビくまもとの出張アナだった尾谷いずみアナは1問も解けなかった。
- また問題開始当初は関西テレビの独走だったが、いったんは富山テレビにトップを譲り、最終的には再びトップとなった。
- 当時解答モニターは解答用紙に局名、名前を明記しなければならなかった。翌年以降『平成教育委員会』と同様、モニターにライトペンで書くものに変わった。ただ、翌年(1993年)は局名をコンピューター表記になり、1994年には名前も同様になった。
- 個人での最優秀は北海道文化放送代表の中村弘志。
- 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは小島奈津子(埼玉県)、福原直英(東京都)、西山喜久恵(広島県)の男性1人/女性2人の合計3人。
- 画面下の提供スーパーアニメは、勉強小僧と緑色の鉛筆が登場して、鉛筆がしなったり、勉強小僧がジャンプしたりする所でスポンサー名表示が切り替わった。
- 番組本編とは異なるが、この番組の前日に放送された『笑っていいとも!』のタモリ・さんまのトークコーナーに総合司会のたけしが参加している。BIG3の三人が『FNSの日』と正月の『世紀のゴルフマッチ』以外で集まった数少ない例である。
- 鹿内宏明が製作総指揮を務めたのはこの年が最後となった(2日後の7月21日の産経新聞社の社内クーデターで同社会長を解任され、フジサンケイグループの経営から退いたため。詳しくは鹿内の項目を参照)。
- エンディングではクラッカーと紙テープと紙吹雪が舞う中でのエンディングとなった。
- 瞬間最高視聴率がFNSの日史上最高となる38.3%を記録した。
第7回(1993年)FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ
※マルチ画面には『FNSの日 1億2450万人の平成教育テレビ』と書かれていた。
- 司会:北野武、逸見政孝
- 逸見はこの年が最後のFNSの日への出演となった(同年12月25日逝去)。
- 逸見の療養もあった為、この回からインフォメーションアナが導入(導入しない回はこの回の進行アナが担当することがあれば、導入しても内容や進行(主にコーナー進行する準備があるアナも居る)によってはこの回の進行アナが加わることもある)。
- 接近した台風4号により、前番組のつなぎ予定だったナイター中継の中日-巨人戦(ナゴヤ球場)が中止。番組中も随時台風情報を入れることに。
- ちなみにナイター中継枠は『火曜ワイドスペシャル』などで放送された『いたずらウォッチング!!』(タレントではなく一般素人をだます企画)を放送。また、『平成教育委員会』の筆頭スポンサーであるツムラは『平成教育テレビ』の番組宣伝に差し替え。
- オープニング直後、各地で行われるプロ野球の様子を中継する予定であったが、前述した台風4号の影響で中日 - 巨人戦(ナゴヤ球場)の他、ヤクルト-阪神戦(明治神宮野球場)、横浜-広島戦(横浜スタジアム)が雨天中止。試合が行われた近鉄-西武戦(藤井寺球場)、オリックス-日本ハム戦(グリーンスタジアム神戸)、ダイエー-ロッテ戦(北九州市民球場)も揃って9時前に試合が終了してしまうという散々な中継となってしまった。特に、藤井寺球場は関西テレビの塩田利幸アナウンサーが何を言っているかわからない状況の騒がしさであり、たけしが「少しは人の話を聞け」と突っ込んでいた。逸見がグリーンスタジアム神戸に中継を振った際、応対した関西テレビの岡林豊明アナウンサーが「静かなグリーンスタジアム神戸です」と閑静な中で試合が終了したことを告げると、たけし・逸見の2人が大コケした。
- 前年に優勝した関西テレビに中継を振った時に中継の締めで、梅田淳アナが「お約束通り、たけしさん逸見さんにむかってズームイン!」。
- 「全国一斉模擬試験」の結果は、優勝・秋田テレビ/準優勝・福島テレビ/第3位・長野放送。優勝した秋田テレビには、ゲージツ家の篠原勝之(クマさん)が製作した「鉄のモニュメント・≪楽天速度≫」が贈られた。
- 『平成教育委員会スペシャル』終了時の挨拶で逸見が「起立!」と「礼!」を続けて言ってしまい爆笑を誘う。どんとには、「続けて言って如何するのよ!」と突っ込まれた。
- 深夜は北野ファンクラブをベースとした『平成ファンクラブスペシャル 深夜のカラオケステージ』。所ジョージをゲストに迎えてのカラオケ大会となった。逸見がカラオケ(千昌夫・君がすべてさ)を歌ったが、出だしをはずしたときに逸見にマイクを渡したガダルカナル・タカにたけし・高田両名から「だから歌わせるなって言ったろ!」と突っ込みを受けた。更に2番も入ろうとしたが逸見自身から「やめよう、やめよう・時間が勿体無い!1番で充分だよ」とどちらかと言えば怒る声に近い声で自ら強制終了させたがたけしは何故だか布団に入っていた。それを見ていた逸見はたけしに指を指しながら笑みを浮かべて大笑いしていた。
- 『夜明けの一般公開模試試験』開始時に逸見が映っている事を知らずにスタッフに「入っていますよ!」と突っ込まれてスタジオ中が拍手と笑いに包まれた。この回では全問正解者は5人おり、1人ずつに20万円が進呈された。ちなみに全問正解者の中には『アメリカ横断ウルトラクイズ』の優勝者の名前も含まれていた。
- BIG3コーナーで明石家さんまの愛車レンジローバーのボンネットとバンパーが篠原勝之の作品になった。さんまの曲「ウイスキー・コーク」(オリジナルは矢沢永吉)も頻繁にかかった。また前年のたけしの「ダッタマン」もクイズとなって登場していた。
- 夕方は『奥山佳恵&辰巳琢郎のスーパータイムSP』(安藤優子キャスターと共に)
- この年(1993年)と翌年(1994年)の2年間に渡って「平成GIダービー」が開催された。実況には元関西テレビアナウンサーの杉本清、解説に芸能界一の競馬通でお馴染みの山田雅人を迎えてこの年は群馬県の高崎競馬場で1400Mの距離で開催された。優勝はゲンポイント、2着はミホノゴリボシだった。
- 杉本アナが中継中、全員が3コーナーに行ったかと思ったら、まだ2コーナーの手前に到達できず、結局実況生活で初めてCMを入れることに。また、CM中にチャック・ウィルソンが足をけいれんしてリタイアした。
- 『あっぱれさんま大先生SP』でさんまは帽子を反対向きにスポーツの球技をデザインしたTシャツを着たため、終盤に「ここから御覧の皆さん、うじきつよしじゃないですよ」と話した。
- この年から1995年までの三回、23時間番組(土曜夜9:00 - 日曜夜7:58)に。いずれも9:00まで野球中継があったためだが、毎年30分遅れて放送開始。
- この年は、事前に視聴者が葉書で局対抗戦の優勝局及び準優勝局を連勝単式で予想する、「優勝キョクカルチョ」を実施(予想的中者で100万円の賞金を山分け・もし的中者が101通以上あった場合は抽選で100名に1万円)。応募総数は7万2250通。一番人気がフジテレビ・関西テレビの組み合わせで1301通、二番人気が関西テレビ・フジテレビ、三番人気がフジテレビ・東海テレビ、大穴はテレビ長崎・テレビ愛媛と沖縄テレビ・テレビくまもとの46通で、結果、上記の通り、秋田テレビ・福島テレビの組み合わせで72通だった。一方の福島テレビ・秋田テレビの組み合わせで73通あった。
- 「全国一斉模擬試験」個人戦は、全国500人が優勝賞品である『フランス・パリ 留学の旅』を目指して、4回に分けて出題された問題に挑んだ。
- 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは奥寺健(東京都)、関戸めぐみ(東京都)、濱田典子(東京都)、平松あゆみ(東京都)の男性1人/女性3人の合計4人。
- この年の提供CGは、勉強小僧が登場して、ジャンプする度に社名が切り替わった。
- この年から製作総指揮は日枝久に交代した。
第8回(1994年)FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー
※マルチ画面には『FNSの日 1億2500万人の平成夏休みバラエティー』と書かれていた。
- 司会:北野武(事実上、1992、1993年と同様、平成教育委員会がメイン)
- この年は前年までの「全国一斉模試」がメインだったが、この年は「各局対抗クイズ」がメインとなり、1992年の「全国一斉模試」から続いた「女子アナコース」は継続し、地元タレントのみの「タレントコース」とタレント・女子アナがタッグを組む「混合コース」の3パートに分け、『平成教育委員会』からの問題、FNS系列局からの問題など数十問、それに「平成G1ダービー」「BIG3クイズ」に「全国○×王決定戦」の3パートを含めて行い、総合得点で争う形式だった。また、「最優秀生徒」は地元タレント25名から最高得点者1名を決めた。
- オープニングで明石家さんまが発言「僕、この番組3時間出番頼まれてたんですよ。で、昨日台本見たら13時間!だったんですよ」
- 総合司会は北野武の単独体制だが、さんまほか所ジョージや楠田枝里子、ヒロミ、中井美穂アナらがかわるがわる、たけしとともにMC席に入るスタイルで放送された(1993年夏の企画を立て始めから冬あたりまでは、この年もたけし&逸見を司会に「平成教育テレビ」を行う予定だったものの、12月に逸見が逝去したため、たけしメインに、さんま・所・楠田というたけしと親交の深い3人がサブとして参加したという経緯がある)。またこの年以降○×クイズ王決定戦など今までは逸見が進行していた部分は代理としてラサール石井が務めた。ラサールは全国一斉模試にも出演(ただし進行は、学級委員の中井アナが担当)。この年からメイン司会が、たけし&逸見体制からたけし&さんま体制へ変わる。
- フジテレビ駐車場で23時間かけてジミー大西が巨大アートに挑戦
- 各局対抗クイズの長崎の問題の答えでグリーンスタジアム神戸に居た桂三枝(現・六代目桂文枝)が「その答えに異議有り!」を申した。ただし、たけしはそれをボケる形で退けて長崎の正解を認めた(ちなみにこの問題は長崎が唯一正解となった)。
- 深夜企画「夜のチョットスタジオ」は云わずと知れた往年の同局の看板音楽番組「夜のヒットスタジオ」のパロディ。芳村真理(芳村ムリー)役には細川ふみえ、井上順(井上不順)役にはヒロミ、指揮者のダン池田役にはガダルカナル・タカがそれぞれ扮装。たけしは『北野ファンクラブ』でのキャラクター「亀有ブラザーズ」ボーカルとして、下ネタメインの替え歌を数曲披露した。なお、この時間帯に、臨時ニュース「女性宇宙飛行士・向井千秋が地球に帰還する」が挿入され、このコーナーと後続のコーナーがそれぞれ時間短縮。
- 「オールナイトフジリターンズ」スタッフによる「オールナイトFNSスペシャル」枠内のゲームに負けたため、同枠最後に、今田耕司がフジテレビ社屋前の駐車場で複数回逆バンジーされる。
- 前年(1993年)に続いて平成GIダービーを開催。この年は「第2回平成GIダービー・北野大障害」と銘打って、様々な障害を越えて進む1000mのレースを実施。なお、前回の上位3頭にはハンデキャップが与えられた。第3障害の手前で先頭にたったダイカツノブリンが最終障害も楽々と越え、スタジオにいた各局女子アナの面々の驚嘆の声を浴びつつ、そのまま逃げ切って1着でゴール。奇しくもこの年の2着も、前年同様ミホノゴリボシ。ゴール前はダイカツノブリンとミホノゴリボシの一騎打ちと成りゴール板までもつれ込む大接戦となったがたけしの判断でダイカツに軍配が上がった。
- ○×王は第2回全国○×王座決定戦として開催!試合は3人の決勝戦となったが最後はサガテレビが一気に優勝を決めて○×王を獲得した。
- この年のBIG3枠はホールインワン対決だったが、例のごとくたけしの暴走でさんまの車はボコボコになり、あげくの果てに車のキーも折られてしまった。またこの年からBIG3枠の司会は、亡くなった逸見に代わり川端健嗣アナが正月特番同様に担当。またこのコーナーのオープニングで川端アナに「来年はどうやって(総合司会を)逃げようかと、今から真剣に考えているたけしさんです。」と紹介されたたけしだが、結局来年も逃げられず司会をすることになる。
- 夕方は「露木茂&安藤優子&大塚範一のオールキャスターニュース」。
- 視聴者参加クイズはこの年はFNS各局の問題で難しかったため、92年の企画始まって以来の全問正解者なし(20問正解が最高成績)これがきっかけに翌年内容・ルールを大幅に変更されるようになった。
- この年の『全国一斉模擬試験』は、各局のアナが地元出身のタレントとタッグを組んで挑むルール。優勝したのは、前年に引き続いて秋田テレビで、これにより史上初の連覇が達成された。優勝賞品であるジミー大西の巨大壁画アート「夏休み」を獲得。前年賞品の篠原勝之作モニュメントは1年間展示された別の所で展示となった。また、小倉智昭&宮越暁子アナにも「ハワイ旅行」がペアで贈呈られた。ちなみに最下位は沖縄テレビ(渡嘉敷勝男&仲地恵アナペア)。
- そのとき、たけしは「沖縄は(この年から)4年連続最下位になるな。とかちゃんが居るから」と話したが、翌年(1994年)は異なっていた。
- 第1問である「十勝レース予想クイズ」の山陰中央テレビのモニターがトラブルで書けなくなりその第1問自体もコンピューターのトラブルによって放送時間内で結果を出せず、この問題が無かった事として扱われた(後に結果は2位と番組終了後に発表された)。また、この問題予想タイムで山陰のモニターが書けなくなり後に口頭で解答する形で解決。現地の塩原恒夫アナはノーヒント状態で東京のスタジオに渡す。そして現在3位と言うヒントが後に来てノーヒントでスタジオに振った塩原アナは「もう一寸、上の方に書いて欲しかった」と正直な気持ちを言った所に・スタジオは半信半疑状態に(その後は所ジョージの独演会状態になっていた)。他にも、渡嘉敷勝男のモニターが書けなくなるトラブルが起きる等とトラブルに泣かされた大会と成った。
- 大坪千夏アナ(当時)がロケ先から問題出題中にザーメンと発言したりするなど、ハプニングの多い放送だった。
- 提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは木佐彩子(鳥取県)、佐野瑞樹(静岡県)、武田祐子(山形県)、富永美樹(千葉県)の男性1人/女性3人の合計4人。
- この年の提供CG:画面下に水槽が表示され、たけし先生が試薬のようなものをたらすと、提供社名が切り替わっていく。
- この年のテーマ曲は東京音頭。