FCバルセロナ
FCバルセロナ(テンプレート:Lang-ca)は、スペインカタルーニャ州・バルセロナを本拠地とするサッカークラブチームである。
概要
FCバルセロナは1899年に創設されたカンプ・ノウをホームスタジアムとし、リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属するサッカークラブである。愛称は「バルサ(カタルーニャ語: Barça)」、またはクラブカラーから「ブラウ・グラーナ(Blau Grana、青と臙脂)」と呼ばれる。数々のタイトルを獲得した世界でも屈指のビッグクラブ、名門クラブであり、リーガ・エスパニョーラの創立以来一度もプリメーラ・ディビシオンから降格したことがない。これは他にはレアル・マドリードとアスレティック・ビルバオの2クラブのみである。
「クラブ以上の存在(カタルーニャ語: MÉS QUE UN CLUB)」がクラブのスローガンでありユニフォームの後襟にもこの言葉がプリントされているほかカンプ・ノウの客席にも椅子の色を変えて示されている。これは1919年のカタールニャ自治憲章制定運動で登場したのがはじめであり、カタルーニャ民族主義の精神の現れだと言われる[1]。またスペイン屈指の商業都市バルセロナの市民社会の拠り所という意味も含まれる。
「攻撃的でスペクタクルなフットボール」をクラブのアイデンティティとしており、試合に勝ったとしても内容が伴わなければサポーターから容赦ないブーイングが浴びせられる。このような習慣はスペイン国内の多くのクラブチームに存在するものではあるが、FCバルセロナは特にこの傾向が顕著であり、結果よりも内容で遥かに大きいものを求められる面が強い。
運営について
クラブ運営上の特徴として一般市民などからの会員を募り、その会費でチームを運営している点が挙げられる。会員は現在世界中で14万に達しており、日本でも2004年6月より会員の募集が行われている。現在ソシオの会員はおよそ18万人に達している[2]。「カンテラ」と呼ばれる下部組織が非常に発達しており、現チームの選手も含め幾多の名選手を輩出してきた(詳細はカタルーニャ語版参照)。このカンテラ出身選手は生え抜きとしてサポーターから特に絶大な声援を受けることが多い。
2012年2月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグでは、2010-2011シーズンのクラブ収入は4億5070万ユーロであり、レアル・マドリードに次ぎ欧州第2位である[3]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、FCバルセロナの平均年俸は約868万ドルと推定されており、世界で最も平均年俸が高いクラブであることが判明し、ニューヨーク・ヤンキースやロサンゼルス・レイカーズなどアメリカのスポーツチームを含めて世界一である。[4]。
他クラブとの関係について
サッカーのみならず政治的、地域的に長年の対立関係にある首都マドリードのレアル・マドリードとは長年のライバルである。
このレアル・マドリードとの試合は『エル・クラシコ』(El Clásico)と呼ばれ、1902年の第1回コパ・デルレイ(スペイン国王杯)から因縁の対決を続けている。その背景には、1923年-1930年のプリモ・デ・リベーラ将軍による独裁政権時代、さらに1939年-1975年におけるフランコ独裁政権時代のカタルーニャに対する弾圧がある。当時、カタルーニャの人々は自分たちの言語であるカタルーニャ語を公の場で話すことが許されなかったが、スタジアムの中でのみそれが許された。
なお、バルセロナとレアル・マドリード間の移籍は「禁断の移籍」とされ、「裏切り」と呼ばれることも多い。また、第三者のクラブ選手の移籍においても競合することが多く、これまで幾多の選手をめぐって争奪戦を繰り広げている。
同じくバルセロナを本拠地とするRCDエスパニョールとの試合はバルセロナ・ダービーと呼ばれる。
政治性について
2012年9月11日、会長のサンドロ・ロセイは個人としてカタルーニャ独立を支持するデモに参加した。9月11日は、スペイン継承戦争の最後の戦いであるバルセロナ包囲戦で、カタルーニャがスペイン・フランス連合軍に敗北した日であり、カタルーニャではテンプレート:仮リンクとして特別な記念日となっている。カタルーニャの独立運動が勢いを増す中[5]、FCバルセロナは独立派勢力から距離を置くなど中立性を維持してきた。しかし、ロセイは今後、FCバルセロナが政治的中立性を保つことは出来ないだろうと語った[6]。
歴史
カタルーニャ民族主義の中の草創期
1899年にスイス人実業家ハンス・ガンパーら11名により創立された。この時、上記の「えんじと青」のチームカラーが決められたが、このチームカラーとなったのは、ガンパーの縁深かったFCバーゼルのチームカラーに由来すると一般的には信じられている[7]。初代会長はイギリス人のウォルター・ワイルド。設立から10年後の1909-10シーズンにはコパ・デル・レイで優勝した。1919年の『カタルーニャ自治憲章』制定運動がバルセロナを中心をするカタルーニャで起きたが、マドリードの中央政府が難色を見せるこの地方自治運動にFCバルセロナも参加した時に「クラブ以上の存在」というスローガンが初めて使用された。
スペイン内戦と独裁政権期
設立から30年目を迎えようとする1928-29シーズンにはリーガ・エスパニョーラで初めて優勝したが、その後勃発するスペイン内戦がチームの運命を暗転させた。スペイン内戦時にはカタルーニャはフランシスコ・フランコの独裁政権に強く抵抗した。1935年には会長J・スニョルは暗殺され、ソシオの会員数は2500人までに減少した。内戦後にはカタルーニャはフランコ政権の目の敵にされ、カタルーニャ語の使用の禁止など政治経済ののみならず文化面でも抑圧された。しかしバルセロナのブルジョワの独裁政権への運動もありFCバルセロナは「クラブ以上の存在」すなわちカタルーニャ民族主義の象徴として維持された。とはいえ1940年代にはフランコ政権の支援を受けたレアル・マドリードが力を伸ばしてきた時期であり、1943年の総統杯ではレアル・マドリードに11対0で敗北している。これはレアル・マドリードが中央政府の支援を受けており、審判も体制に抱き込まれた結果である。FCバルセロナとレアル・マドリードの「因縁」はこのころに形成された。またFCバルセロナのエンブレムにあるカタルーニャ国旗の部分はスペイン国旗に変更された。
しかしながら1960年代の本格化するバルセロナの経済発展と人口増は住宅需要をもたらし、FCバルセロナは「レス・コルツ」スタジアムを売却して、郊外に新しいスタジアムを建設した。1957年に落成した新スタジアムが現在の本拠地「カンプ・ノウ」である。カンプ・ノウの建設には当初予算を3倍も上回るものとなったが、周辺の土地にスポーツ関連施設を建設するなどの不動産経営で得た利益はクラブ経営の経済的基盤となった。1955-56シーズンはUEFAカップにてそれぞれ初優勝を果たした。
ホセ・ルイス・ヌニェス会長時代
1978年、初めてソシオテンプレート:要曖昧さ回避会員よる選挙を実施し、ホセ・ルイス・ヌニェス(任1978年-2000年)が会長に選出された。
ヌニェスは経営基盤を安定させることに努め、カンプ・ノウの改築による観客収容数の増加、有名選手の獲得によって収益を上げ、ソシオ会員数を大幅に増加させた。自ら公約に掲げた「若手育成の充実」を図るため、ラ・マシアと呼ばれる寮を開設し、カンテラに優秀な若者を集めるようになる。この時期のソシオ会員数の増加やカンテラの充実は現在のクラブ組織の基礎となっている。
1988年4月、ヌニェスと選手と対立、5月にヨハン・クライフを監督に迎え建て直しを図ったが、シーズン終了後に選手が大量退団、残留した選手は9人という異常事態に発展する。このため1987-88、1988-89、1989-90シーズンの成績は期待を大きく裏切るものであった。1989-90シーズン終了後、ソシオはクライフの解任を要求したが、クラブ側はクライフの続投を選択した。これは、ヌニェスと選手の対立を埋めるには、クラブのOBであるクライフ監督が最適であったと考えられていたことによる。
1990年代前半に入り、続投したクライフ監督の下、チームはリーガ4連覇とUEFAチャンピオンズリーグ初制覇を果たし、「エル・ドリーム・チーム」と呼ばれることになった。
1996-97シーズンは、ボビー・ロブソンを監督に招聘し、ロブソン監督の通訳として、ジョゼ・モウリーニョを起用している。このシーズンはロナウドが得点王に輝いた。
1997-98シーズンに、リバウドを獲得した他、アヤックス・アムステルダムで実績を残したルイ・ファン・ハールを監督に迎える。このシーズンはリーガと国王杯の2冠を達成し、翌1998-99シーズンも圧倒的な強さでリーグ優勝を果たした。
一方で、ファン・ハール監督はオランダ出身選手を重用し、地元カタルーニャ出身者を冷遇し続け、特にクライフ監督時代に活躍した選手を放出していった結果、「バルサ版アヤックス」と呼べるような布陣となった。この結果、1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選リーグ敗退、更には国王杯ボイコット事件などはソシオの反発を招き、2000年にヌニェスは会長を辞任し、シーズン終了後にファン・ハール監督はクラブを去った。
ジョアン・ガスパール会長時代
2000-01シーズンはファン・ハールに代わりロレンソ・セラ・フェレールが監督に就任したが、成績不振からシーズン途中に辞任しカルロス・レシャックがチームを受け継ぐも4位に終わった。2001-02シーズンもレシャックが引き続き指揮を執ったがやはり、4位に終わっている。
2002-03シーズンにファン・ハールが監督に復帰したものの、ファン・ハール自身のオランダ代表監督としての成績によるマイナスイメージに加えて、リバウドの退団、オランダ出身選手の高齢化もチームにとっては負担となった。結果、成績を残せずシーズン途中でファン・ハールは辞任、チームも15年ぶりの6位となった。
ジョアン・ラポルタ会長時代
2003-04シーズンはフランク・ライカールトが監督に就任。2003年夏の移籍市場ではロナウジーニョ、ルイス・ガルシア、ラファエル・マルケスらを獲得。さらに、2004年冬の移籍市場ではエドガー・ダービッツを獲得した。同シーズンはリーガ・エスパニョーラを2位で終えた。
2004年夏の移籍市場ではサミュエル・エトオ、ヘンリク・ラーション、デコらを獲得し、パトリック・クライファート、フィリップ・コクー、ハビエル・サビオラらを放出した。2004-05シーズンはリーガ・エスパニョーラ優勝を果たした。2005-06シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を達成する。2006年夏の移籍市場ではジャンルカ・ザンブロッタ、リリアン・テュラム、エイドゥル・グジョンセンらを獲得。2006-07シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ2連覇を達成した。2007年夏の移籍市場ではティエリ・アンリ、ガブリエル・ミリート、トゥーレ・ヤヤ、エリック・アビダルを獲得するも、2007-08シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後にライカールトは監督を退任した。
その後、ジョゼップ・グアルディオラが監督に就任。2008年夏の移籍市場ではダニエウ・アウヴェス、セイドゥ・ケイタ、ジェラール・ピケらを獲得し、ロナウジーニョ、デコらを放出した。2008-09シーズンはスペイン史上初めてリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグの全てで優勝を達成した。2009年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、マクスウェル、ドミトロ・チグリンスキーを獲得し、イブラヒモビッチとのトレードでエトオを放出した。2009-10シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2009、リーガ・エスパニョーラで優勝を達成した[8]。2009-10シーズン終了後、ダビド・ビジャを獲得。また、2010年6月30日をもってラポルタは任期満了に伴い会長職を退任した。
サンドロ・ロセイ会長時代
2010年夏の移籍市場ではアドリアーノ、ハビエル・マスチェラーノを獲得。2010-11シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、リーガ・エスパニョーラ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を達成した[9][10][11][12][13]。なお、当シーズンはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、UEFAチャンピオンズリーグにて計5試合のエル・クラシコが行われ、特に2011年4月16日から同年5月3日までの間に行われた計4試合はクアトロ・クラシコ(Cuatro Clásico、4回のクラシコという意味)と呼ばれた。2011年夏の移籍市場ではアレクシス・サンチェス、フランセスク・ファブレガスを獲得。2011-12シーズンはコパ・デル・レイ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ[14]、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ2011にて優勝を達成するも、シーズン終了後にジョゼップ・グアルディオラが監督を退任した。
フランセスク・ビラノバが監督に就任。2012年夏の移籍市場ではジョルディ・アルバ、アレクサンドル・ソングを獲得。2012-2013シーズンはリーグ史上最多タイ記録となる勝ち点100を達成してリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。
2013-2014シーズン直前の7月、ビラノバは健康上の理由から監督を退任した。後任にヘラルド・マルティーノが就任。2013年夏の移籍市場ではネイマール、デニス・スアレス・フェルナンデスを獲得。
ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長時代
2014年1月27日のマラガ戦ではリーグ史上最多記録となる59週連続首位を達成。2013-14シーズンではスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得するも主要タイトルでは6シーズンぶりの無冠に終わった。シーズン終了後、監督のヘラルド・マルティーノが今季限りでの退団を発表。また、キャプテンのカルレス・プジョルも今季限りで退団することが決定。
2014-2015
2014-2015シーズンには新監督の座にクラブOBのルイス・エンリケが就いた。チームの戦力面ではGKを3人、DFを2人、MFを2人、FWを1人補強した。守護神であったビクトール・バルデスの抜けた穴にチリ代表正GKのクラウディオ・ブラーボ、ドイツの新鋭GKのマルク=アンドレ・テア・シュテーゲン、さらに下部組織からジョルディ・マシップ。長年チームの弱点として考えられていたCBの駒不足を補う目的でアーセナルからトーマス・ヴェルメーレン、バレンシアからはジェレミー・マテューを獲得した。MFはセビージャからイヴァン・ラキティッチ、レンタル移籍から戻ったラフィーニャ。プレミアリーグ2013-2014シーズンの得点王に輝いたルイス・スアレスを獲得。
下部組織
概要
FCバルセロナも他のスペイン国内クラブ同様、カンテラと呼ばれるユースチームを所有している。FCバルセロナの下部組織はヨーロッパのクラブチームの中でも予算面などで充実している。ラ・マシアと呼ばれる選手寮には、カタルーニャ出身の子弟か、家族とともにカタルーニャに移住した外国人しか入れない。そのため生え抜きの選手は自然とカタルーニャ人が多数派となる。このようなカタルーニャ人選手が優勢な状況もまた、このチームをバルセロナ市民、カタルーニャ人をして「クラブ以上の存在」言わしめるものである。
スペインでは法律により18歳になるまではプロ契約ができないため、近年では育成した選手がトップチームに昇格する直前にプレミアリーグのクラブに引き抜かれる事件がしばしば起きている。アーセナルにはセスクとフラン・メリダ、リヴァプールにはパチェコ、マンチェスター・ユナイテッドにはジェラール・ピケが引き抜かれ批判を起こしている。しかしFCバルセロナ自身、当時12歳だったアルゼンチン・CAリーベル・プレートのエリク・ラメラを家族ごとスペインに連れてこようとし、アルゼンチン国内で批判の声が上がるなど、特に安価で選手を揃えられる南米などの貧困地域で類似の問題を引き起こしている。
組織形態
ユースチームは能力や年齢によって、以下の11チームに分けられている。
名称 | 対象年齢 | 責任者 |
---|---|---|
FCバルセロナB[15] | 全年齢 | エウセビオ・サクリスタン・メナ |
フベニルA | 17歳〜20歳 | オスカル・ガルシア |
フベニルB | 17歳〜18歳 | ガルシア・ピミエンタ |
カデーテA | 15歳〜16歳 | キケ・アルバレス |
カデーテB | ||
インファンティルA | 13歳〜14歳 | |
インファンティルB | ||
アレビンA | 12歳 | |
アレビンB | 11歳 | |
ベンジャミンA | 10歳 | |
ベンジャミンB | 9歳〜10歳 |
ユニフォーム
- 1999-2000シーズン後半は、クラブ創立100周年ユニフォームが使用された。
- 2005-06、2010-11シーズンのファーストユニフォームのパンツはえんじ色だった。
- 2ndユニフォームの配色は毎年異なる。2007-08シーズンはシャツ、パンツ共に水色、2006-07シーズンはシャツ、パンツ共にオレンジ色だった。
- 例年、前年の2ndユニフォームはサードユニフォームとして使用される。
- バスケットボールなど、サッカー以外のチームでも青色とえんじ色の縦ストライプのユニフォームを用いている。こちらはフットボール部門とは違い、商業的な胸スポンサーロゴ契約が結ばれている。
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一般に多くのサッカークラブではユニフォームにスポンサーのロゴを入れているが、FCバルセロナはソシオテンプレート:要曖昧さ回避により運営していることから、スポンサーのロゴを入れないことがクラブの伝統となっていた。歴史的な背景もあり、ソシオの会員はクラブに非常に誇りを持っている。上記のような伝統があるが、2006年に児童福祉活動への支援という観点から、ユニセフに対して5年契約で毎年190万ドルの寄付、総額950万ドルの寄付をすることで合意した[16]。これにより、2006年9月12日から史上初めて胸にロゴを入れたユニフォームを着用している。ロゴ本来の色は白であるが、白は宿敵であるレアル・マドリードのチームカラーでもあるため、ホームは黄色、アウェイは水色のロゴになった。2011-12シーズンから5年間の契約でカタール財団とスポンサー契約を結び、1899年のクラブ創設以来初の商用ロゴ入りユニホームを着用している。「カタール財団」が胸スポンサーになったことにより、2011-12シーズンからユニセフのロゴは背番号下に入る。カタール財団のロゴの導入に当たっては、ソシオやクラブOBなどの反対も強く、元選手であり名監督であったヨハン・クライフは「シャツにしみをつけるなんてまっぴらだ。クラブ収益の一割にも満たない金のためにクラブの独立性を捨てるのか!」と反対した。また、スタジアムには「カタールにNO!」と抗議のポスターを掲げるサポーターも現れた。しかし、前会長の就任後にはクラブは4億ユーロの負債を抱えており、その前の4年間はタイトルから離れていた上にライバルのレアル・マドリードの後塵を拝していた。最終的には、現会長の尽力もあって2011年、秋のソシオの総会で承認を得た。現会長のサンドロ・ロセイは「皆さんが反対なら契約は結ばない。しかし、クラブには前会長の残した多大な負債がある」と語った。[2]。2013-14シーズンからはカタール財団とともにスポンサーとなっていたカタール航空のロゴが胸に掲示される。また2013年12月には半導体メーカーのインテルともスポンサー契約を結んだが、スポンサーロゴはユニホームの内側にプリントされており、選手がシャツをたくし上げると見えるようになっている。
年度 | メーカー | 胸スポンサー |
---|---|---|
1982–1992 | Meyda | なし |
1992–1998 | Kappa | |
1998–2006 | Nike | |
2006–2011 | UNICEF | |
2011–2013 | Qatar Foundation | |
2013– | Qatar Airways |
現所属メンバー
- 2014年8月14日現在
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レンタル移籍
- in
テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 開始 テンプレート:サッカークラブチーム選手一覧 終了
- out
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クラブ成績
シーズン | 国内 | UEFA | 監督 | 会長 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝 | 分 | 負 | カップ | CL | カップ[17] | |||
1899-1900 | リーグ存在せず | 存在せず | 存在せず | 不明 | ウォルター・ワイルド | |||||
1900-1901 | ||||||||||
1901-1902 | 準優勝 | バルトミュー・テラデス | ||||||||
1902-1903 | ポール・ハース | |||||||||
1903-1904 | アルサー・ウィティー | |||||||||
1904-1905 | ||||||||||
1905-1906 | ジョセップ・ソラー | |||||||||
1906-1907 | ジュリ・マリアル | |||||||||
1907-1908 | ||||||||||
1908-1909 | ヴィセン・レイグ ⇒ハンス・カンパー | |||||||||
1909-1910 | 優勝[18] | ハンス・カンパー | ||||||||
1910-1911 | オット・グメリン | |||||||||
1911-1912 | 優勝 | ハンス・カンパー | ||||||||
1912-1913 | 優勝[18] | |||||||||
1913-1914 | フランシス・デ・モホ | |||||||||
1914-1915 | フランシス・デ・モホ ⇒アルバー・プレスタ ⇒ホアキン・ペリス・デ・バーガス | |||||||||
1915-1916 | ラファエル・ロパート | |||||||||
1916-1917 | ジョン・バロー | ガスパー・ロセス | ||||||||
1917-1918 | ジャック・グリーンウェル | ハンス・カンパー | ||||||||
1918-1919 | 準優勝 | |||||||||
1919-1920 | 優勝 | リカルド・グラエルス | ||||||||
1920-1921 | ガスパー・ロセス | |||||||||
1921-1922 | 優勝 | ハンス・カンパー | ||||||||
1922-1923 | ||||||||||
1923-1924 | エリック・カルドナ | |||||||||
1924-1925 | 優勝 | ジェスツァ・ポスゾニー | ハンス・カンパー | |||||||
1925-1926 | 優勝 | ラルフ・カービー | アラディー・バラガー | |||||||
1926-1927 | ジャック・デムビー | |||||||||
1927-1928 | 優勝 | ローマ・フォルンス | ||||||||
1928-1929 | 優勝 | 18 | 11 | 3 | 4 | |||||
1929-1930 | 2位 | 18 | 11 | 1 | 6 | ジェームス・ベラミー | トーマス・ロセス | |||
1930-1931 | 4位 | 18 | 7 | 7 | 4 | ガスパー・ロセス | ||||
1931-1932 | 3位 | 18 | 10 | 4 | 4 | 準優勝 | ジャック・グリーンウェル | アントニ・オリバー ⇒ジョアン・コマ | ||
1932-1933 | 4位 | 18 | 7 | 5 | 6 | ジョアン・コマ | ||||
1933-1934 | 9位 | 18 | 8 | 0 | 10 | ジャック・デムビー | ||||
1934-1935 | 6位 | 22 | 9 | 6 | 7 | フェレンツォ・プラトコ | エステベ・サーラ | |||
1935-1936 | 5位 | 22 | 11 | 2 | 9 | 準優勝 | パトリック・オコーネル | ジェセップ・スニョール・ガリーガ | ||
1936-1937 | 開催されず | 不明 | 不明 | |||||||
1937-1938 | ||||||||||
1938-1939 | ジョセップ・プラナス | |||||||||
1939-1940 | 9位 | 22 | 8 | 3 | 11 | |||||
1940-1941 | 4位 | 22 | 13 | 1 | 8 | エンリケ・ピネイロ | ||||
1941-1942 | 12位 | 26 | 8 | 3 | 15 | 優勝 | ラモン・グスマン | |||
1942-1943 | 3位 | 26 | 14 | 4 | 8 | ジョアン・ジョセップ・ノゲス | ジョセフ・ヴィダル・リバス ⇒エンリケ・ピネイロ | |||
1943-1944 | 6位 | 26 | 10 | 8 | 8 | ジョセフ・アントニ・デ・アルベルト ⇒ジョセフ・ヴェンドレル | ||||
1944-1945 | 優勝 | 26 | 17 | 5 | 4 | テンプレート:Flagicon ホセ・サミティエール | ジョセフ・ヴェンドレル | |||
1945-1946 | 2位 | 26 | 14 | 7 | 5 | |||||
1946-1947 | 4位 | 26 | 14 | 3 | 9 | 不明 | ||||
1947-1948 | 優勝 | 26 | 15 | 7 | 4 | エンリケ・フェルナンデス | ||||
1948-1949 | 優勝 | 26 | 16 | 5 | 5 | |||||
1949-1950 | 5位 | 26 | 13 | 3 | 10 | エンリケ・フェルナンデス ⇒ラモン・ローレンス | ||||
1950-1951 | 4位 | 30 | 16 | 3 | 11 | 優勝 | フェルナンド・ダウシク | |||
1951-1952 | 優勝 | 30 | 19 | 5 | 6 | 優勝 | ||||
1952-1953 | 優勝 | 30 | 19 | 4 | 7 | 優勝 | アグスティ・モンテリ・ガロバルト | |||
1953-1954 | 2位 | 30 | 16 | 4 | 10 | 準優勝 | エンリック・マルティ | |||
1954-1955 | 2位 | 30 | 17 | 7 | 6 | サンドロ・プッポ | ||||
1955-1956 | 2位 | 30 | 22 | 3 | 5 | ---- | 優勝 | フェレンツォ・プラトコ | ||
1956-1957 | 3位 | 30 | 16 | 7 | 7 | 優勝 | ---- | ドメネク・バルマナヤ | ||
1957-1958 | 3位 | 30 | 17 | 4 | 9 | ---- | ドメネク・バルマナヤ ⇒テンプレート:Flagicon エレニオ・エレーラ | |||
1958-1959 | 優勝 | 30 | 24 | 3 | 3 | 優勝 | ---- | 優勝 | テンプレート:Flagicon エレニオ・エレーラ | |
1959-1960 | 優勝 | 30 | 22 | 2 | 6 | ベスト4 | ||||
1960-1961 | 4位 | 30 | 13 | 6 | 11 | 準優勝 | リュビサ・ブロチッチ ⇒エンリケ・オリサオラ | |||
1961-1962 | 2位 | 30 | 18 | 4 | 8 | ---- | 準優勝 | ルイス・ミロ | エンリック・ラウデ | |
1962-1963 | 6位 | 30 | 11 | 9 | 10 | 優勝 | ---- | ラディスラオ・クバラ ⇒ジョセップ・ゴンサルボ | ||
1963-1964 | 2位 | 30 | 19 | 4 | 7 | ---- | テンプレート:Flagicon セサル・ロドリゲス | |||
1964-1965 | 6位 | 30 | 14 | 4 | 12 | ---- | テンプレート:Flagicon セサル・ロドリゲス ⇒ヴィセンツォ・サソ | |||
1965-1966 | 3位 | 30 | 16 | 6 | 8 | ---- | 優勝 | ロケ・オルセン | ||
1966-1967 | 2位 | 30 | 20 | 2 | 8 | ---- | ||||
1967-1968 | 2位 | 30 | 15 | 9 | 6 | 優勝 | ---- | サルバドール・アルティガス | ||
1968-1969 | 3位 | 30 | 13 | 10 | 7 | ナルシス・デ・カレーラス | ||||
1969-1970 | 4位 | 30 | 13 | 9 | 8 | ジョセップ・セゲール | アグスティ・モンタル | |||
1970-1971 | 2位 | 30 | 19 | 5 | 6 | 優勝 | 優勝 | ビク・バッキンガム | ||
1971-1972 | 3位 | 34 | 17 | 9 | 8 | ---- | テンプレート:Flagicon リヌス・ミケルス | |||
1972-1973 | 2位 | 34 | 18 | 10 | 6 | 初戦敗退 | ||||
1973-1974 | 優勝 | 34 | 21 | 8 | 5 | 準優勝 | ---- | 初戦敗退 | ||
1974-1975 | 3位 | 34 | 15 | 7 | 12 | ---- | ||||
1975-1976 | 2位 | 34 | 18 | 7 | 9 | ベスト4 | テンプレート:Flagicon ヘネス・バイスバイラー ⇒ラウレアノ・ルイス | |||
1976-1977 | 2位 | 34 | 18 | 9 | 7 | ベスト8 | テンプレート:Flagicon リヌス・ミケルス | |||
1977-1978 | 2位 | 34 | 16 | 9 | 9 | 優勝 | ベスト4 | レイモン・カラスコ | ||
1978-1979 | 5位 | 34 | 16 | 6 | 12 | ---- | ---- | テンプレート:Flagicon ルシアン・ミュラー | ホセ・ルイス・ヌニェス | |
1979-1980 | 4位 | 34 | 13 | 12 | 9 | ---- | ホアキム・リフェ | |||
1980-1981 | 5位 | 34 | 18 | 5 | 11 | 優勝 | 2回戦敗退 | エレニオ・エレーラ | ||
1981-1982 | 2位 | 34 | 19 | 7 | 8 | ---- | テンプレート:Flagicon ウド・ラテック | |||
1982-1983 | 4位 | 34 | 17 | 10 | 7 | 優勝 | ---- | ---- | テンプレート:Flagicon ウド・ラテック ⇒ジョセップ・ルイス・ロメロ | |
1983-1984 | 3位 | 34 | 20 | 8 | 6 | 準優勝 | ---- | テンプレート:Flagicon セサル・ルイス・メノッティ | ||
1984-1985 | 優勝 | 34 | 21 | 11 | 2 | テンプレート:Flagicon テリー・ヴェナブルズ | ||||
1985-1986 | 2位 | 34 | 18 | 9 | 7 | 準優勝 | 準優勝 | |||
1986-1987 | 2位 | 44 | 24 | 15 | 5 | |||||
1987-1988 | 6位 | 38 | 15 | 9 | 14 | 優勝 | テンプレート:Flagicon ルイス・アラゴネス | |||
1988-1989 | 2位 | 38 | 23 | 1 | 4 | テンプレート:Flagicon ヨハン・クライフ | ||||
1989-1990 | 3位 | 38 | 23 | 5 | 10 | 優勝 | ---- | |||
1990-1991 | 優勝 | 38 | 25 | 7 | 6 | ---- | ||||
1991-1992 | 優勝 | 38 | 23 | 9 | 6 | 優勝 | ||||
1992-1993 | 優勝 | 38 | 25 | 8 | 5 | |||||
1993-1994 | 優勝 | 38 | 25 | 6 | 7 | 準優勝 | ||||
1994-1995 | 4位 | 38 | 18 | 10 | 10 | ベスト8 | ||||
1995-1996 | 3位 | 42 | 22 | 14 | 6 | 準優勝 | ---- | |||
1996-1997 | 2位 | 42 | 28 | 6 | 8 | 優勝 | ---- | テンプレート:Flagicon ボビー・ロブソン | ||
1997-1998 | 優勝 | 38 | 23 | 5 | 10 | 優勝 | グループステージ敗退 | テンプレート:Flagicon ルイ・ファン・ハール | ||
1998-1999 | 優勝 | 38 | 24 | 7 | 7 | グループステージ敗退 | ||||
1999-2000 | 2位 | 38 | 19 | 7 | 12 | ベスト4 | ジョアン・ガスパール | |||
2000-2001 | 4位 | 38 | 17 | 12 | 9 | 1次グループリーグ敗退 | ロレンソ・セラ・フェレール ⇒テンプレート:Flagicon カルロス・レシャック | |||
2001-2002 | 4位 | 38 | 18 | 10 | 10 | 初戦敗退 | ベスト4 | ---- | テンプレート:Flagicon カルロス・レシャック | |
2002-2003 | 6位 | 38 | 15 | 11 | 12 | 初戦敗退 | ベスト8 | ---- | テンプレート:Flagicon ルイ・ファン・ハール ⇒テンプレート:Flagicon ラドミル・アンティッチ |
ジョアン・ガスパール ⇒エンリック・レイナ |
2003-2004 | 2位 | 38 | 21 | 9 | 8 | ベスト8 | ---- | ベスト16 | テンプレート:Flagicon/テンプレート:Flagicon フランク・ライカールト | ジョアン・ラポルタ |
2004-2005 | 優勝 | 38 | 25 | 9 | 4 | 初戦敗退 | ベスト16 | ---- | ||
2005-2006 | 優勝 | 38 | 25 | 7 | 6 | ベスト8 | 優勝 | ---- | ||
2006-2007 | 2位 | 38 | 22 | 10 | 6 | ベスト4 | ベスト16 | ---- | ||
2007-2008 | 3位 | 38 | 19 | 10 | 9 | ベスト4 | ベスト4 | ---- | ||
2008-2009 | 優勝 | 38 | 27 | 6 | 5 | 優勝 | 優勝 | ---- | テンプレート:Flagicon ジョゼップ・グアルディオラ | |
2009-2010 | 優勝 | 38 | 31 | 6 | 1 | ベスト16 | ベスト4 | ---- | ||
2010-2011 | 優勝 | 38 | 30 | 6 | 2 | 準優勝 | 優勝 | ---- | サンドロ・ロセイ | |
2011-2012 | 2位 | 38 | 28 | 7 | 3 | 優勝 | ベスト4 | ---- | ||
2012-2013 | 優勝 | 38 | 32 | 4 | 2 | ベスト4 | ベスト4 | ---- | テンプレート:Flagicon ティト・ビラノバ | |
2013-2014 | 2位 | 38 | 27 | 6 | 5 | 準優勝 | ベスト8 | ---- | テンプレート:Flagicon ヘラルド・マルティーノ | サンドロ・ロセイ ⇒ジョゼップ・マリア・バウトメウ |
合計 | 優勝22回 | 優勝26回[19] | 優勝4回 | 優勝4回[20] |
クラブタイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン : 22回
- 1928-29, 1944-45, 1947-48, 1948-49, 1951-52, 1952-53, 1958-59, 1959-60, 1973-74, 1984-85, 1990-91, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1997-98, 1998-99, 2004-05, 2005-06, 2008-09, 2009-10, 2010-11, 2012-13
- コパ・デル・レイ : 26回
- 1909-10, 1911-12, 1912-13, 1919-20, 1921-22, 1924-25, 1925-26, 1927-28, 1941-42, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1956-57, 1958-59, 1962-63, 1967-68, 1970-71, 1977-78, 1980-81, 1982-83, 1987-88, 1989-90, 1996-97, 1997-98, 2008-09, 2011-12
- スペインスーパーカップ : 11回
- 1983, 1991, 1992, 1994, 1996, 2005, 2006, 2009, 2010, 2011, 2013
- スペインリーグカップ : 2回
- 1982–83, 1985–86
- コパ・カタルーニャ : 6回
- 1990-91, 1992-93, 1999-00, 2003-04, 2004-05, 2006-07
国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ : 4回
- 1991-92, 2005-06, 2008-09, 2010-11
- UEFAカップウィナーズカップ : 4回
- 1978-79、1981-82、1988-89、1996-97
- UEFAスーパーカップ : 4回
- 1992, 1997, 2009, 2011
- FIFAクラブワールドカップ : 2回
- 2009, 2011
- ラテン・カップ : 2回
- 1949, 1952
- インターシティーズ・フェアーズカップ : 3回
- 1955-58、1958-60、1965-66
歴代所属選手
(カンテラ出身選手は、公式戦でのトップチーム・デビュー年度から表記)
GK
- テンプレート:Flagicon リカルド・サモラ 1919-1923
- テンプレート:Flagicon アントニ・ラマレッツ 1947-1962
- テンプレート:Flagicon サルバドール・サドゥルニ 1960-1976
- テンプレート:Flagicon ミゲル・レイナ 1966-1973
- テンプレート:Flagicon アンドニ・スビサレッタ 1986-1994
- テンプレート:Flagicon カルレス・ブスケ・バロッソ 1990-1999
- テンプレート:Flagicon ビトール・バイーア 1996-1999
- テンプレート:Flagicon ルート・ヘスプ 1997-2000
- テンプレート:Flagicon フランセスク・アルナウ 1998-2001
- テンプレート:Flagicon リシャール・ドゥトルエル 2000-2002
- テンプレート:Flagicon ホセ・マヌエル・レイナ 2001-2002
- テンプレート:Flagicon ロベルト・ボナーノ 2001-2003
- テンプレート:Flagicon ロベルト・エンケ 2002-2004
- テンプレート:Flagicon ビクトル・バルデス 2003-2014
- テンプレート:Flagicon リュシュテュ・レチベル 2003-2004
- テンプレート:Flagicon ルーベン・マルティネス 2004-2007
- テンプレート:Flagicon アルベルト・ジョルケラ 2004-2009
- テンプレート:Flagicon ホセ・マヌエル・ピント・コロラド 2008.1-2014
DF
- テンプレート:Flagicon ミゲリ 1973-1989
- テンプレート:Flagicon ラモン・アレサンコ 1980-1993
- テンプレート:Flagicon ロナルド・クーマン 1989-1995
- テンプレート:Flagicon アルベルト・フェレール 1990-1998
- テンプレート:Flagicon ミゲル・アンヘル・ナダル 1991-1999
- テンプレート:Flagicon セルジ 1993-2002
- テンプレート:Flagicon アベラルド 1994-2002
- テンプレート:Flagicon ウィンストン・ボハルデ 1997-2001.1
- テンプレート:Flagicon ミハエル・ライツィハー 1997-2004
- テンプレート:Flagicon カルレス・プジョル 1999-2014
- テンプレート:Flagicon フランク・デ・ブール 1999-2003
- テンプレート:Flagicon フィリップ・クリスタンヴァル 2001-2003
- テンプレート:Flagicon パトリック・アンデション 2001-2004.1
- テンプレート:Flagicon ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト 2003-2007
- テンプレート:Flagicon オレゲール 2003-2008
- テンプレート:Flagicon ラファエル・マルケス 2003-2010
- テンプレート:Flagicon ジュリアーノ・ベレッチ 2004-2007
- テンプレート:Flagicon シウビーニョ 2004-2009
- テンプレート:Flagicon リリアン・テュラム 2006-2008
- テンプレート:Flagicon ジャンルカ・ザンブロッタ 2006-2008
- テンプレート:Flagicon ガブリエル・ミリート 2007-2011
- テンプレート:Flagicon エリック・アビダル 2007-2013
- テンプレート:Flagicon マクスウェル} 2009-2012.1
- テンプレート:Flagicon ドミトロ・チグリンスキ 2009-2010
MF
- テンプレート:Flagicon ジョゼップ・サミティエール 1919-1933
- テンプレート:Flagicon ドメネク・バルマーニャ 1935-1937
- テンプレート:Flagicon ルイス・スアレス 1954-1961
- テンプレート:Flagicon ペドロ・マリア・ザバルザ 1968-1974
- テンプレート:Flagicon ヨハン・ニースケンス 1974-1979
- テンプレート:Flagicon ベルント・シュスター 1980-1988
- テンプレート:Flagicon アイトール・ベギリスタイン 1988-1995
- テンプレート:Flagicon エウセビオ 1988-1995
- テンプレート:Flagicon ホセ・マリア・バケーロ 1988-1997
- テンプレート:Flagicon ギジェルモ・アモール 1988-1998
- テンプレート:Flagicon ヨン・アンドニ・ゴイコエチェア 1990-1994
- テンプレート:Flagicon ジョゼップ・グアルディオラ 1990-2001
- テンプレート:Flagicon ゲオルゲ・ハジ 1994-1996
- テンプレート:Flagicon イバン・デ・ラ・ペーニャ 1995-1998, 2000-2002.1
- テンプレート:Flagicon アルベルト・セラーデス 1995-1999
- テンプレート:Flagicon ジオヴァンニ 1996-1999
- テンプレート:Flagicon エマニュエル・アムニケ 1996-2000
- テンプレート:Flagicon ルイス・エンリケ 1996-2004
- テンプレート:Flagicon リバウド 1997-2002
- テンプレート:Flagicon ボウデヴィン・ゼンデン 1998-2001
- テンプレート:Flagicon フィリップ・コクー 1998-2004
- テンプレート:Flagicon ロナルド・デ・ブール 1999.1-2001.1
- テンプレート:Flagicon ヤリ・リトマネン 1999-2001.1
- テンプレート:Flagicon シモン・サブローザ 1999-2001
- テンプレート:Flagicon ガブリ 1999-2006
- テンプレート:Flagicon エマニュエル・プティ 2000-2001
- テンプレート:Flagicon ジェラール・ロペス 2000-2004
- テンプレート:Flagicon マルク・オーフェルマルス 2000-2004
- テンプレート:Flagicon ティアゴ・モッタ 2001-2007
- テンプレート:Flagicon エドガー・ダービッツ 2004
- テンプレート:Flagicon エジミウソン 2004-2008
- テンプレート:Flagicon デコ 2004-2008
- テンプレート:Flagicon マルク・ファン・ボメル 2005-2006
- テンプレート:Flagicon ヤヤ・トゥーレ 2007-2010
- テンプレート:Flagicon セイドゥ・ケイタ 2008-2012
- テンプレート:Flagicon ティアゴ・アルカンタラ 2009-2013
- テンプレート:Flagicon セスク・ファブレガス 2011-2014
FW
- テンプレート:Flagicon テンプレート:Flagicon パウリノ・アルカンタラ 1912-1916, 1918-1927
- テンプレート:Flagicon マリアーノ・マルティン 1939-1946
- テンプレート:Flagicon セサル 1939-1954
- テンプレート:Flagicon エスタニスラオ・バソラ 1946-1958
- テンプレート:Flagicon ラディスラオ・クバラ 1951-1961
- テンプレート:Flagicon サンドール・コチシュ 1958-1965
- テンプレート:Flagicon ペドロ・ザバラ 1961-1967
- テンプレート:Flagicon ホセ・アントニオ・ザルドゥア 1961-1971
- テンプレート:Flagicon カルロス・レシャック 1965-1981
- テンプレート:Flagicon ヨハン・クライフ 1973-1978
- テンプレート:Flagicon キニ 1980-1984
- テンプレート:Flagicon ディエゴ・マラドーナ 1982-1984
- テンプレート:Flagicon ラウル・アマリージャ 1985-1988
- テンプレート:Flagicon ゲーリー・リネカー 1986-1989
- テンプレート:Flagicon フリオ・サリナス 1988-1994
- テンプレート:Flagicon ミカエル・ラウドルップ 1989-1994
- テンプレート:Flagicon フリスト・ストイチコフ 1990-1995, 1996-1998
- テンプレート:Flagicon ロマーリオ 1993-1995
- テンプレート:Flagicon ルイス・フィーゴ 1995-2000
- テンプレート:Flagicon ロナウド 1996-1997
- テンプレート:Flagicon ソニー・アンデルソン 1997-1999
- テンプレート:Flagicon パトリック・クライファート 1998-2004
- テンプレート:Flagicon ダニ 1999-2004
- テンプレート:Flagicon アルフォンソ・ペレス 2000-2003
- テンプレート:Flagicon ハビエル・サビオラ 2001-2004, 2006-2007
- テンプレート:Flagicon ロナウジーニョ 2003-2008
- テンプレート:Flagicon ヘンリク・ラーション 2004-2006
- テンプレート:Flagicon リュドヴィク・ジュリ 2004-2007
- テンプレート:Flagicon サミュエル・エトオ 2004-2009
- テンプレート:Flagicon サンティアゴ・エスケーロ 2005-2008
- テンプレート:Flagicon エイドゥル・グジョンセン 2006-2009
- テンプレート:Flagicon ティエリ・アンリ 2007-2010
- テンプレート:Flagicon ボージャン・クルキッチ 2007-2011
- テンプレート:Flagicon ズラタン・イブラヒモヴィッチ 2009-2010
- テンプレート:Flagicon ダビド・ビジャ 2010-2013
- テンプレート:Flagicon アレクシス・サンチェス 2011-2014
脚注
参考文献
- 岡崎明子『バルセロナ地中海都市の歴史と文化』(中央公論新社、2010年)
- 田澤耕『カタルーニャを知る辞典』(平凡社、2013年)
関連項目
- FCバルセロナB
- バルサTV
- サッカー スーパーレッスン〜バルサのテクニックをキミたちに!〜
- サッカーカタルーニャ代表
- ジミー・ジャンプ
- バルセロナSC
- キャプテン翼 - 作中で主人公の大空翼がバルセロナに所属している。クラブ公認であり、入団セレモニーも行われた。
外部リンク
テンプレート:FCバルセロナのメンバー テンプレート:Navbox テンプレート:Navbox テンプレート:欧州クラブ協会メンバー テンプレート:ローレウス世界スポーツ賞年間最優秀チーム テンプレート:トレブル達成チーム
- ↑ FCバルセロナはカタルーニャ民族主義の象徴であるが、クラブ側はカタルーニャ独立運動には選手に自制を促すなど抑制的である。
- ↑ 2.0 2.1 「転機のサッカービジネス」『朝日新聞グローブ』2012年4月1日発行通巻84号
- ↑ Deloitte Football Money League 2012(2012年2月9日に国際監査法人『デロイト』が公表した2010-2011シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
- ↑ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 圧倒的な強さで連覇を達成しても、バルサの攻撃サッカーは発展途上。 -NumberWeb: 2010年5月19日
- ↑ モウリーニョとレアルを完全凌駕した、グアルディオラとバルサの戦術と能力。 -NumberWeb: 2011年4月28日
- ↑ レアルの敵はバルサ+疑惑の判定!?激闘のクラシコ最終戦を読み解く。 -NumberWeb: 2011年5月5日
- ↑ 「熟成」のマンUと「進化」のバルサ。2年前とは似て非なるCL決勝の風景。 -NumberWeb: 2011年5月28日
- ↑ バルサ4度目のCL制覇を陰で支えた、プジョルとアビダルの見えない功績。 -NumberWeb: 2011年5月30日
- ↑ 最新トレンドは「ポジションレス」!? CL決勝にみる、バルサ究極の進化形。 -NumberWeb: 2011年6月12日
- ↑ 同大会の3連覇はレアル・マドリードが1988-89シーズンから1990-91シーズンにかけて達成したが、1989年は1988-89シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイをいずれも優勝したことで認定されたため、3年とも試合を行っての3連覇は史上初である。
- ↑ 2007年までバルサCが存在していたが、バルサB(当時)のテルセーラ・ディビシオン降格にともない、消滅した。
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 1955-1956シーズンから1970-1971シーズンまではインターシティーズ・フェアーズカップ、1971-1972シーズンから2008-2009シーズンまではUEFAカップ、2009-2010シーズン以降はUEFAヨーロッパリーグ
- ↑ 18.0 18.1 1909-1910シーズン、1912-13シーズンはスペインサッカー連盟主催の大会とスペインサッカークラブ連合主催の大会が並存しており、FCバルセロナが優勝したのはスペインサッカークラブ連合の大会
- ↑ うち2回はスペインサッカークラブ連合主催
- ↑ ただし、全てUEFAカップの前身となったインターシティーズ・フェアーズカップ