ヘンリク・ラーション
ヘンリク・ラーション(Henrik Edward Larsson、1971年9月20日 - )は、スウェーデン・ヘルシンボリ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはフォワード。スウェーデン国内では「ヘンケ」の愛称で親しまれている。
経歴
父はカーボベルデ出身で、母はスウェーデン人である。22歳の時、1994年のアメリカW杯にスウェーデン代表として出場し、同国の3位入賞に貢献。ブロンドのドレッドヘアーという独特な風貌も相まって、一躍世界にその名を知られるようになる。
1997年にスコットランドのセルティックに移籍後、本格的にその才能を発揮。2000-01シーズンには35得点(カップ戦も合わせると計50得点)を記録し、欧州のトップスコアラーに与えられるESMゴールデンシューを受賞している。
一時スウェーデン代表への招集を拒否していたが、息子の「なぜ代表で試合しないの?」という言葉を受け、代表へ復帰。2002年の日韓W杯では再び攻撃の中心として活躍し、ベスト16入り。自身も3得点を挙げた。2002年W杯終了後、代表引退を表明し離脱するも国民から代表復帰の要望があり、ユーロ2004を前に代表復帰。ブルガリア戦では2ゴールを決め、ベスト8に大きく貢献。2006年ドイツW杯でも中心選手として活躍し、グループリーグのイングランド戦で試合終了間際に同点弾を決めるなどしてチームは決勝トーナメントへ進出した。決勝トーナメント1回戦の開催国のドイツとの試合ではPKを外し、チームも敗退。7月17日、代表引退を決意した。
ゴールを決めた後、両手を広げて舌を出すゴールパフォーマンスも有名である。
2005年に歴代の名選手を抑さえ、スウェーデン歴代最優秀選手に選出された。
2005-06シーズンにFCバルセロナでリーグ優勝を経験。2005-06年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝(対アーセナル戦)では1点をリードされていたが、後半途中から投入され、ポストプレーを生かした2アシストでバルセロナを優勝に導いた。
2005年12月28日に、2005-06シーズンいっぱいでバルセロナを退団し、母国スウェーデンへ戻ることを発表した。2006年7月から古巣ヘルシンボリIFに復帰。ハビエル・サビオラ、サミュエル・エトオ、リオネル・メッシの3名のフォワードを欠くバルセロナが再獲得を目指すとの報道がなされたが、2006年12月にマンチェスター・ユナイテッドが3ヶ月間の期限付きで獲得することが発表された。これはスウェーデン国内リーグの開催期間が4月~10月と短い点を突いた「裏ワザ」的な獲得であり、前線の駒不足に悩んでいたマンチェスター・ユナイテッドの救世主となった。ファーガソン監督からは直接残るように要請を受け、サポーターからも残留を希望する声が聞こえていたが、退団後はヘルシンボリでプレーした。
2007-08シーズンのスウェーデンリーグでの活躍で、代表監督のラーシュ・ラーゲルベックに説得されEURO 2008の同国代表に選出、代表復帰を果たした。大会終了後には、「代表チームが必要としてくれるのであれば、引退はしない。」と、今後も代表でプレーしていく意向を示した。2009年、南アW杯予選敗退をもって改めて代表から引退した。
2009年11月1日、リーグ最終節のIFエルフスボリ戦をもって現役を引退。 試合終了後の引退セレモニーではマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督や元同僚のカルレス・プジョル、シャビ・エルナンデス、そしてスウェーデン代表でチームメイトだったズラタン・イブラヒモビッチから贈られたビデオレターがスクリーンに映し出され、それを観たラーションの目には涙が浮かんでいた。
逸話
00-01シーズンにESMヨーロッパゴールデンシューを獲得した際のインタビューでリーグのレベルの低さを指摘されたことについて、「スコットランドリーグは世界一ではないかもしれないが、世界最低のリーグからはかけ離れていると思う。どこでプレーしていようとも、ストライカーの仕事は変わらない、ゴールを決めることじゃないか」と答えた。
2004-2005シーズンバルセロナに入団した際、最初の背番号は17だったが、同オフ中にサビオラがASモナコにレンタル移籍したため背番号7に変更になった。そのためジャパンツアーでは17番をつけて試合に出場していた。
引退後のインタビューで「唯一後悔していることといえば、マンチェスター・ユナイテッドに残らなかったことだ。監督、チームメイト、サポーターから信頼されていたし、もう少し残ってチームの手助けをすればよかった」と漏らしており、ファーガソンのことを「3か月しか一緒に仕事をしなかったが、私の人生にとって偉大な人だ。監督としても私の中ではベストだ」とも語っている。
所属クラブ
- 1989年-1991年 テンプレート:Flagicon ヘイヤボリBK
- 1992年-1993年 テンプレート:Flagicon ヘルシンボリIF
- 1993年-1997年 テンプレート:Flagicon フェイエノールト
- 1997年-2004年 テンプレート:Flagicon セルティック
- 2004年-2006年 テンプレート:Flagicon バルセロナ
- 2006年-2007年1月 テンプレート:Flagicon ヘルシンボリIF
- 2007年1月-3月 テンプレート:Flagicon マンチェスター・ユナイテッド (on loan)
- 2007年3月-2009年11月 テンプレート:Flagicon ヘルシンボリIF
個人タイトル
- スコティッシュ・プレミアリーグ得点王 5回:1998-99, 2000-01, 2001-02, 2002-03, 2003-04
- ゴールデンブーツ 1回:2000-01
- スコットランドPFA年間最優秀選手賞 2回:1999, 2001
- スコットランド・サッカー記者協会年間最優秀選手賞 2回:1999, 2001
- スウェーデン年間最優秀選手賞 2回:1998, 2004
- スコティッシュ・プレミアリーグ歴代最多得点記録(158得点)
- スコティッシュ・プレミアリーグ1シーズン最多得点記録(35得点)
- スコティッシュ・プレミアリーグ歴代最多ハットトリック記録(12回)
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1989||rowspan="3"|ヘイヤボリ||||||21||1|||||||||||| |- |1990||||||21||7|||||||||||| |- |1991||||||22||15|||||||||||| |- |1992||rowspan="2"|ヘルシンボリ||||||27||32|||||||||||| |- |1993||||||25||16|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1993-94||rowspan="4"|フェイエノールト||||||15||1|||||||||||| |- |1994-95||||||23||8|||||||||||| |- |1995-96||||||32||10|||||||||||| |- |1996-97||||||31||7|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1997-98||rowspan="7"|セルティック||rowspan="7"|7||||35||16|||||||||||| |- |1998-99||||35||29|||||||||||| |- |1999-00||||9||8|||||||||||| |- |2000-01||||37||35|||||||||||| |- |2001-02||||33||29|||||||||||| |- |2002-03||||35||28|||||||||||| |- |2003-04||||37||30|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2004-05||rowspan="2"|FCバルセロナ||rowspan="2"|7||||12||3|||||||||||| |- |2005-06||||28||10|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2006-07||ヘルシンボリ||||||15||8|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2006-07||マンチェスター・U||17||||7||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2007||rowspan="3"|ヘルシンボリ||rowspan="3"|17||||22||9|||||||||||| |- |2008||||27||16|||||||||||| |- |2009||||11||6|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始176||102|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行101||26|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行221||175|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行40||13|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行7||1|||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終551||319|||||||||||| |}