電波少年に毛が生えた 最後の聖戦
電波少年に毛が生えた 最後の聖戦(でんぱしょうねんにけがはえた さいごのせいせん)は、2002年10月12日から2003年1月11日まで日本テレビ系列で毎週土曜22:00 - 22:54(JST)に放送されたバラエティ番組。司会はチューヤンと松本明子。
目次
概要
本番組は『進め!電波少年』(初期は『笑撃的電影箱』枠)からそれまで日曜22時台後半にて放送されていた『進ぬ!電波少年』を、『THE夜もヒッパレ』の後番組として土曜22時台に改題・移動させた番組。
1クール(3か月)の平均視聴率が13%に載らなければ終了するという厳しい課題をつけて放送を開始。しかし番組自体のマンネリ化や相次ぐ不祥事(後述)でモラルが問われた上、視聴率が1桁を記録する回もあり、結局平均視聴率は目標の13%に達しなかった。そのため、公約通り1クールで終了する結果となった。
1月11日の最終回は『電波少年に毛が生えようが、抜けようが強引にでも全部ゴールさせるぞスペシャル』として放送枠を2時間に拡大しての生放送が行われた。オープニングでは松本明子とチューヤンに扮した(メガネとカツラをつけた)松本人志が登場し、中盤ではチューヤンに扮する矢部太郎に入れ替わった。『毛が生えた』の企画の最終回などが放送されたが、3か月という短い放送期間であったため、無理やりゴールという形にはしたものの全企画が満足いく形でゴールすることはできなかった。チューヤンは電波少年で唯一行っていない大陸・南極大陸を旅し(放送では天候不順により南極大陸付近の島で立ち往生しているところで終わっている)、最後には松本が番組に対する思いと関わった人物への感謝を涙ながらに語り番組は終了した。
番組終了から2か月後、後番組である『雲と波と少年と』の早期終了により、つなぎ番組として『恥ずかしながら帰って参りましたスペシャル』と題された総集編が3月1日・3月8日の2回にわたって放送された。これをもって1992年7月から実に10年9か月続いた「電波少年シリーズ」にピリオドを打った。同シリーズに携わった土屋敏男は後年、「またいつか『電波少年』みたいな番組をやりたいね」と雑誌で語っていた。また、『進め!電波少年』時代にMCをしていた松村邦洋のコメントも放送した。
主な企画
ボスはホームレス、人間は何度だって立ち上がれる
- 前身の「進ぬ!電波少年」より引き継がれた企画。ホームレスから社長候補を探し、資本金300万円を集めて有限会社を設立する。
- 3人の芸人が挑戦したが、山田(剣聖剣士)は企画の苛酷さと子どもが小銭を恵んでくれようとすることにショックを受けリタイア。ムネ(オーディン)はホームレス生活に馴染んでしまい、スタッフから番組の打ち切りと企画終了を告げられ「帰っていいよ」と言われたが、「帰らなくてもいいんですよね」とホームレスタウン残留を希望し、「ボクはホームレス」ともじられた。
- ハイテンション石原(現・THE石原)はまとまったお金(30万円)を持ってきたら社長就任も考えるという元会社経営者のホームレスに出会うが、そこで番組終了を告げられる。最後までやりたいと本人が希望したため、杉やんが最後のネタとして釣り上げたマグロで一攫千金を狙うという「回転寿司生活」との合同企画が行われた。しかしマグロは釣れず終了となった。
- 批判の多かったこの番組で珍しく評判のよい企画であり、当時は今ほど触れられることの無かったホームレスの生活などを結果としていち早く番組で取り上げたこととなった。なお、『進ぬ!…』時代の初回でショッカーが3人の芸人を拉致する演出が北朝鮮による日本人拉致問題が大きく取り上げられた時期と重なったことで遅れネットの地域(後述)では不適切と判断され放送されなかった。
- タイトル名は奥さまは魔女のパロディでオープニングのアニメやナレーションのコンセプトが少々似ている。
杉やんの回転寿司生活
- かっぱ寿司のCMに出ている杉やん(杉林功、カンカラ)がかっぱ寿司のネタを自ら漁や野菜畑で手に入れ、それを食料として生活する企画。ゴールはメニューの50品目を全て食べること。移動手段は原付だったが、企画開始直後に杉林は原付免許を取得していない事が発覚し、原付免許を取得することになってしまった。メニュー以外のものは食べてはいけないというルールだったが、お茶とガリは自由に食べてよいとされた。
- 14品目をクリアしたところで番組終了を告げられ、杉やんの希望で最後にマグロを釣って企画を締めることになった。青森の大間に出向き、「ボスはホームレス」に挑戦していた石原とともにマグロ釣りに挑んだが結局釣ることは出来なかった。最終回の生放送では杉やんがとある漁港で残りのネタを釣り上げる様子が中継された。そこではシーチキンの缶やパックの魚といった“ネタ”が釣り針にかかっており、最後はなぜかチューヤンに入れ替わっているというジョーク的な完結となった。
日本ポッチャリ党
- ぽっちゃりな女性が好みの若手芸人たちがポッチャリ党を設立し、グラビアアイドル葉川空美を5キロ太らせ“ぽっちゃりアイドル”にするという企画。過度な痩身至上主義やダイエットブームから女性を守るために企画された。挑戦した芸人はジャガーズ、TKOの木下隆行、魚でF、赤P-MAN、ビームなど。
- 富士山のふもとにある「ポッチャリ山荘」に軟禁された葉川のもとに、葉川がグルメ雑誌などで指定した料理を芸人たちが自転車で店まで買出しに行くという内容だった(自転車で買出しをするというのは葉川は知らない)。初めは東京など比較的近い場所だったが、次第に関西など距離が伸びていき、最終回では韓国にまで至った。最終回のお正月メニューで目標体重に到達してゴールとなり、自転車で買出しをしていたことが知らされるが、葉川は「そうなんだー」というリアクションをとるのみであった。
ママさんコーラス隊
- ママさんコーラス隊が話題となっているニュースの現場や人物のもとに赴き、それらを皮肉る内容の替え歌を合唱するという企画。初回は週刊誌『フライデー』への抗議だった(後述)。タマちゃん騒動や小柴昌俊、田中耕一のノーベル賞受賞、竹中平蔵などを取り上げた。後述の事情で解散となった。
その他の企画としては『進め!電波少年』以来久し振りに国境ダジャレが復活、カラテカが挑戦した。
本番組にまつわる事件
フライデー騒動事件
- 前身の「進ぬ!電波少年」で放送された「15か国少女漂流記」に出演したヨーロッパ人女性が、撮影で重度の火傷を負ったことやスタッフにやらせを強要されたことを写真週刊誌『フライデー』に公表。番組はこれに抗議する意味で、フライデーを発行している講談社の前で直接、ママさんコーラス隊は抗議の意を込めたコーラス(「グリーングリーン」の替え歌)を行った。フライデーは翌週それに反論する記事を、講談社前に来たママさんコーラス隊の写真共々掲載した。
コーラス隊騒動事件
- ママさんコーラス隊が明治学院大学で行われた当時の民主党・鳩山由紀夫代表の講演終了後に質疑応答の時間に本人を揶揄する合唱を行ったところ(「山口さんちのツトム君」の替え歌)、民主党と大学の主催者が抗議。これを受けそのVTRは放送中止となった(急ごしらえの街頭ロケでごまかした)。しかし、TBSの情報番組『ジャスト』が歌う様子を放送してしまったため、これを受けてママさんコーラス隊は事実上解散した。
カッパ騒動事件
- 河童伝説がある岩手県遠野市で2002年8月からお笑い芸人のモンモン[1]に河童の変装をさせて山で潜伏生活をさせた。目撃情報が地元のケーブルテレビ局である遠野テレビで紹介されたり、投稿写真が東京スポーツ(2002年10月23日付け)の一面を飾ったが、その写真を投稿したのが番組のスタッフといういわゆる“自作自演”だった。日テレ側は「不幸な出来事が続く世の中にロマンを提供したかった」と弁明したが関係者の怒りはおさまらず、日テレへの訴訟まで検討。番組打ち切りの遠因ともなった。また、小説家の京極夏彦は、この事件が報道された直後に公式サイトである大極宮内の自身のコーナーで、抗議文とも取れる内容の文章を掲載、同番組およびスタッフを激しく批判している[2]。
ネット局の状況
このシリーズを放送する土曜22:00枠はマストバイ局対象のネットセールス枠であったため、『進ぬ!…』時代に遅れ放送していた秋田放送、中京テレビ、読売テレビ、広島テレビ、福岡放送でも同時ネットに昇格した。ただし、上記の理由から、高知放送などネットスポンサーがつかず、ローカルスポンサーをつけて放送していた地域もある。反対に『進ぬ!…』時代に同時ネットで放送していたテレビ大分は『ゴールデンシアター』の同時ネットとなっていたため同時ネットは見送られた[3]。
『進ぬ!…』時代に遅れ放送していた福井放送と四国放送ではテレビ朝日の水曜9時枠ドラマの時差スポンサードネット枠となっていたため、この2局では引き続き遅れネットとなった[3]。
2003年1月11日に放送された『無理にでもゴールさせるぞSP』は、福井放送では同時ネットをせず放送されたものを後日一部編集し昼間に録画放送された[4]。
スタッフ(最終回時点)
- 企画・演出:土屋敏男
- 構成:海老克哉、小山薫堂、そーたに、田中直人、都築浩、鮫肌文殊、中野俊成、三俣麻弥、川中宏子、今関ちなつ
- TM:勝見明久
- SW:村松明
- CAM:榎本丈之
- MIX:加賀金重郎
- AUD:今野健
- VE:江頭恭二
- VTR:菅谷典彦
- LD:内藤晋
- 中継技術
- TD:鈴木修一
- SW:木村健
- CAM:岩見龍也
- ロケ技術:NTV映像センター、鴇田晴海
- 技術協力:青森放送
- 編集:須藤康則
- MA:番匠康雄
- 音効:花岡英夫
- ナレーション:木村匡也(KYOYA)、伊倉一恵(青二プロダクション)
- TK:山沢啓子
- 美術:小野寺一幸
- デザイン:本田恵子
- 広報:三浦剛
- デスク:小林圭子、藤島悦子、中野里英
- アシスタントディレクター:堀田康貴、酒井甚哉、辻正記、我妻哲也、立澤哲也、今泉昌子、宮本大輔、麻生聡、林竜太郎、中島彰人、原田浩司、川口香織、豊川かおり、金澤忠延、山口晶嗣、立川昇平、青木章浩、山下亜紀、阿部和孝、深谷圭二、岩崎誠、佐藤大輔、吉良哲平、前みゆき、藤原夕季江
- ディレクター:香川春太郎、〆谷浩斗、飯島冬貴、高谷和男、川邊昭宏、古立善之、鈴木淳一、松橋晃弘、近藤祐治郎、相田貴史、正久仁
- プロデューサー:鈴木雅人、関根崇史、長濱薫、池田秀一、西出康成、菱沼永司
- 制作協力:NTV映像センター、THE WORKS、EXCEL(現:エクセリング)
- チーフプロデューサー:吉田真
- 製作著作:日本テレビ
脚注
外部リンク
テンプレート:電波少年シリーズ- ↑ 前番組の『電波少年的ペナントレース』では横浜枠にいたが、連敗の影響で体調を崩し、途中リタイアとなっていた。
- ↑ 週刊大極宮 2002.11.15
- ↑ 3.0 3.1 テレビ大分は2006年10月以降の土曜21:00 - 23:30は日本テレビとの同時ネット枠となっている他(『土曜プレミアム』は時差ネットに降格)、四国放送は土曜22時台におけるテレビ朝日水曜21時枠刑事ドラマの放送は2007年9月で終了。2007年10月以降の四国放送の土曜22時台は日本テレビとの同時ネット枠となっている(現在は『嵐にしやがれ』を放送)。
- ↑ 『はみだし刑事情熱系』(第7シリーズ)の時差ネットを放送したため。21時台は穴埋め番組を放送した。ちなみに当時の福井放送の土曜21時台は『土曜ドラマ』の同時ネットだった(現在の土曜21時台ははテレビ朝日『木曜ドラマ』の時差ネット。『土曜ドラマ』は2008年4月から7日遅れに変更)。