阪神7001・7101形電車
テンプレート:鉄道車両 阪神7001・7101形電車(はんしん7001・7101がた電車)は、阪神電気鉄道が所有していた優等列車用の通勤形電車である。1970年から1973年にかけて製造された、日本初の営業用電機子チョッパ制御車として知られる。のちに全車が抵抗制御の7801・7901形3次車(7840・7940以降)と共に、1990年から1993年にかけて6両固定編成化・制御器の界磁添加励磁制御への換装といった改造を受けて2000系へ改番された。
本項では7001・7101形ならびに改造後の2000系について記述する。
本項では解説の便宜上、梅田側先頭車の車両番号 + F(Formation = 編成の略)を編成名として記述(例:7101以下6両編成 = 7101F)する。
目次
7001・7101形
初物尽くしの新車
電車の速度制御は、その登場以来単位スイッチやカム軸などで機械的にスイッチを入切することで回路をつなぎ、加減速時に余剰となった電流は抵抗器で熱に変えて放出するという抵抗制御方式が主流であった。この方式では、制御段数が少ないと加減速時にかかる衝撃が大きく、乗り心地にも悪影響を与えることから、電気技術が進歩するにつれて制御装置を多段化することによって乗り心地の向上を図るようになり、1930年代にアメリカで実用化されたPCCカーの情報が本格的に日本に伝わった1940年代末期から1950年代前半にかけて、カルダン駆動方式の実用化とともに、それに対応した超多段式の制御装置の開発が進められた。しかし、基本的な設計に大きな変化はなかったことから、今度は制御装置に多数の単位スイッチやカム軸を取り付けざるを得なくなるなど制御装置が複雑化してしまい、それを床下に置かざるを得なかったことから、保守整備に大きな手間がかかることになった。
このような制御装置の変遷の一方で、1960年代に入ると、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)2000・2300系などのように、1950年代後半から急速に発達してきたトランジスタなどの電子機器を活用する車両が登場したほか、制御装置本体にこれらの電子機器を活用して回路の無接点化を図る事例も現れた。その後の電子技術の急速な進展により、電車の速度制御にも耐えうる大容量のサイリスタが開発されるようになった。こうして鉄道車両への本格的なパワーエレクトロニクスの導入が開始され、1968年には電機子チョッパ制御の試作車として、帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)6000系1次試作車が登場した。
この時代は、同時に高度経済成長期の真っ只中でもあった。「3C時代」という言葉が当時流行したように、国民の生活水準の向上とともに、従来は贅沢品であった冷房も社会に普及してくるようになり、鉄道車両においても、日本国有鉄道(国鉄)の特急用車両をはじめ、近畿日本鉄道(近鉄)・東武鉄道・小田急電鉄など大手私鉄の有料特急用の車両も冷房装備が当たり前になっていたほか、マイカーとの競争の激しい名古屋鉄道(名鉄)では1959年に日本初の特別料金不要の冷房車両[1]である5500系を登場させたほか、パノラマカーで名高い7000系や7500系が冷房付で登場しただけでなく、旧型車の機器を有効活用した支線直通優等列車用の3780系も冷房付で登場した。また、国鉄においてはこの時期新造されていた急行用車両も冷房付で製造されていたほか、急行用電車・気動車の非冷房車の冷房改造も、新幹線に接続し、夏季の猛暑に見舞われることの多い西日本に配属された車両から推進されていた。さらに通勤用車両の冷房化も1968年に京王帝都電鉄(現・京王電鉄)5000系が初の通勤冷房車として登場したほか、関西地区でも1969年登場の京阪電気鉄道2400系が関西の鉄道事業者では初の通勤冷房車として登場した。
このような状況のもと、阪神においても5261形5269 - 5270で無接点式の制御装置を導入するなど、「技術の阪神」の伝統にふさわしく、制御装置のメンテナンスフリー化とパワーエレクトロニクスの導入には大きな関心を持っていた。また、冷房サービスの提供は並走する阪急神戸線、東海道本線との競争上有効であると判断したことから、「六甲の涼しさを車内に」をキャッチフレーズに、冷房付の新車として急行系に本形式と7801形3次車混成の5連を、普通系には5261形5271 - 5274の4連を登場させることとなり、その第1陣として1970年5月に7101 - 7001 - 7002 - 7940 - 7840の5連が登場した。そして新形式である本形式には力行専用ではあるが制御装置に電機子チョッパ制御を採用し、電機子チョッパ制御の研究では先を行っていた営団地下鉄より早い、日本初の営業用チョッパ制御車の登場となった。
概要
本形式は、1970年5月から1971年11月にかけて7101 - 7001 - 7002から7111 - 7011 - 7012までの制御車 (Tc) - 電動車 (M1) - 電動車 (M2) の3連×6本18両が製造され、神戸側に1970年4月から1971年4月にかけて製造された7801形3次車7940 - 7840から7950 - 7850までの2連×6本12両を連結して5連を組成した。引き続いて1972年1月から7月にかけて今度は神戸側にもTcを組み込んで4連化した7113 - 7013 - 7014 - 7114から7117 - 7017 - 7018 - 7118までの4連×3本12両が製造され、同年11月から1973年3月にかけて先に製造された3連を4連化するために、神戸側の偶数番号Tc7102・7104・7106・7108・7110・7112の6両が製造された。メーカーは全車武庫川車両工業である。
車体は先に製造された7801形2次車を引き継いで、側面窓配置は先頭車d1D3D3D2、中間車2D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉)、Rのついた車体裾部に、前面は阪神標準の埋め込み貫通幌を装着した3面折妻の3枚窓であるが、天井の低い7801形2次車から一転して、冷房風道を組み込んだために屋根は高く、幕板も広くなった。そのため後年追加された側面行先表示器は完全に外板内に収まっている。側窓は当初製造された3連グループは組立式の窓であったが、7113F以降の4連グループではユニットサッシを採用した。しかし、のちに増備した神戸向きTc車では、3連グループと一致させるためにもとの組立式の窓に戻っている。パンタグラフはM1車に冷房装置を搭載するため、阪神初採用の下枠交差式パンタグラフを2基搭載、冷房装置は国鉄制式の分散式AU-13をモデルとしたMAU-13Hを先頭車およびパンタグラフのないM2車に7基、パンタグラフのあるM1車には6基搭載した。内装は当時の阪神の他形式と同一で、座席はロングシートであり、化粧板は緑色の格子柄であった。この他、3連グループのM2車は、登場当初神戸寄りに簡易運転台を装備していた。
台車および電装品であるが、台車は7801形以来の住友金属工業製造のペデスタル式コイルばね台車であるFS-341およびFS-341Tを装着したが、台車枠はそれまでの鋳鋼製のものから鋼板プレス製のものとなった。主電動機は東洋電機製造製TDK−814-A, A1, TDK-814/2-A2[2]を4基搭載した。制御装置は既述のとおり電機子チョッパ制御であり、三菱電機製CFM-118-15Hを搭載した。このチョッパ装置の特徴は回生ブレーキを省略した力行専用のもので、のちに同社の5131・5331形などの普通系車両をはじめとした各社で採用されたものとはかなり異なるが、高速走行を旨とする阪神の急行系車両では高速からの回生ブレーキ特性に問題があることや、採用目的が制御装置のメンテナンスフリーを主眼として採用されたものであることから、あえて回生ブレーキの装備を割り切って力行専用としたものであった。実際、制御装置のメンテナンスフリー化と加速時に抵抗器で熱に変わる電力の節減には貢献している。
本形式で採用された車体構造は、改良を加えられつつ3801形以降、8000系タイプIまでの急行・普通系車両に継承されたほか、MAU-13H冷房装置は冷房改造車も含めて8000系タイプIIまで搭載されることとなっただけでなく、下枠交差式パンタグラフはその後の9300系までの各形式に採用され、冷房改造車では改造時に換装されるなど、本形式以降に登場、あるいは冷房改造した阪神各形式の標準仕様の起源となった。
登場後の変遷
本形式の第1編成である7101 - 7001 - 7002の3連は1970年5月27日に竣功、4月に登場していた7801形3次車の7940 - 7840を神戸側に連結して、7101 - 7001 - 7002 + 7940 - 7840の5連で試運転を行い、同年7月1日から特急・急行運用を中心に営業運転を開始した。当時のライバル各線の冷房車導入時期であるが、阪急神戸線に阪急初の冷房車である5200系が落成したのは同年6月であり、東海道・山陽本線の快速電車の主力であった113系の試作冷房改造が実施されたのが同じく6月で、どちらも営業運転開始は7月中旬以降となっただけでなく、阪急5200系にいたってはデモンストレーション走行のために宝塚線に一時貸し出されるなど、ライバル相手のクールサービス競争に専念することができなかった。翌1971年以降の冷房化競争は、阪神間限定の地の利を生かして7861形以降続々と急行系車両の冷房化を推進した阪神が[3]、神戸・宝塚・京都の3線均等に冷房車を導入する必要のある阪急や、新快速運用の113系を中心に冷房改造を実施するのが精一杯で快速・緩行の冷房化にまでなかなか手が回らない国鉄に対し、相当優位な位置に立った。そんな阪神の冷房車グループの中で新製冷房車として登場した本形式は、のちに登場した3801形ともども1970年代から1980年代前半にかけての阪神の代表車として広く知られるようになった。
一方、初採用の電機子チョッパ制御であるが、前述のようにメンテナンスフリーの面で効果があったことから、翌年の3601形の冷房改造時に制御器を本形式と同じものに換装され、形式も7601形に改められた。この頃になると特急運用の6連化が進行したことから、1972年に登場した7113F以降からは当初から4連で製造されたほか、3連グループも神戸寄りに偶数向きのTc車を組み込んで4連化を行い、M2車の簡易運転台を撤去した。こうなると併結相手も7801形3次車だけでなく冷房改造済みの7861形や7801形1次車も加わり、1976年以降は最後に冷房改造された7801形2次車も加わって、大阪側、神戸側のどちらかの車両の屋根高さが異なる凸凹編成を組んだ[4]。
4連化後の本形式は1976年に列車無線を誘導無線からVHFに切り替え、1983年には前面および側面に行先表示器を設置する改造を行ったほかは大きな変化はなかった。しかし、登場以来20年経過した1990年代に入ると車体更新を行うこととなったが、8000系の増備と3301・3501形などの初期高性能車の淘汰によって急行系車両の6連化が進行していたことから、1990年から1993年にかけて本形式および7801形3次車の車体更新を行った際に6連単位で制御器の換装や7801形の中間車化改造および7901形の電装を実施、新形式の2000系として再生して本形式は消滅した。2000系の詳細は次節で述べる。
2000系
大規模更新
前述のように、1985年以来の8000系の増備に伴い、初期急行系車両の淘汰と優等列車運用の6連化が進行していった。当初は3561形や3301・3501形などの直角カルダン車から淘汰が始まったが、1989年以降は7801形1次車や7601形も廃車対象になって置き換えが進行していた。7001形や7801形3次車はこれらの形式を主な併結相手としていたことから、置き換えが進行すると、4連および2連で運行されている両形式の併結相手の不足につながることとなった。
ただ、この時期になると7001形および7801形3次車は登場以来20年を経過したことから車体更新の時期を迎えており、この機会に7001形が搭載していた力行専用の電機子チョッパ制御装置を、7801形3次車の電動カム軸式制御装置ともども、より省エネルギー効率が高くメンテナンスフリーにも優れた制御器に換装することを計画していた。当時は各大手私鉄においてVVVFインバータ制御車の投入が始まっていたが、それでも省エネルギーの実績がありコスト的にも引き合う界磁チョッパ制御車を導入する会社が大半であった。阪神においても当時の最新だった8000系はもちろん、7801形1次車や3521形を改造した3000系で界磁チョッパ制御を採用したが、界磁チョッパ制御にした場合、主電動機を直巻式から複巻式に換装する必要があり、主電動機が流用できずに改造コストが上昇するというデメリットがあった。しかし、1970年代後半から1980年代前半にかけて直巻式モーターで界磁制御によって安定した回生ブレーキを可能とする界磁添加励磁制御の開発が進み、1985年から1986年にかけて登場した国鉄205・211系や山陽電気鉄道5000系などに採用されてその技術も確立されていた。そこで阪神においても7001形および7801形3次車の更新改造時に界磁添加励磁制御装置を採用することし、併せて6連化に伴う先頭車の中間車化改造や中間に組み込まれた付随車の電装改造など大規模な改造が行われたことから、新形式の2000系が与えられることとなった。
改造の概要
7001形および7801形3次車から本系列への改造の概要は以下のとおりである。
- それまでの7001形4連基本、7801形2連基本だったものを、8000系や先に改造された8801形同様、3両ユニットを2組組み合わせた6両固定編成とした。形式は、パンタグラフのないM車が2001形、パンタグラフのあるM車が2101形、Tc車が2201形で、末尾奇数番号が大阪寄り、偶数番号が神戸寄りである。
- 第1次車の2201Fから第6次車の2211Fまでは、7001形M2車と神戸側Tc車の間に7801形3次車を組み込み、旧T車の7940 - 7950に電装改造を実施して2001形2002 - 2012と改番し、旧Mc車の7840 - 7850の運転台を撤去して2101形2102 - 2112と改番した。
- 第7次車の2213Fと第8次車の2215Fは、残った7001形4連×3本のうち、7117Fを分解して7113F・7115Fに組み込んで6連×2本とした。その際、2213Fに組み込まれた7118、2215Fに組み込まれた7117は運転台を撤去のうえ電装改造を実施され、それぞれ2101形2114と2001形2016に改番された。なお、2016は種車の運転台の向きの関係から、中間車改造を受けた先頭車のうち、唯一旧運転台の向きが大阪側である。
- 検査入場時の整備の際、ユニット単位で整備を行うことから、2000形の奇数番号車は神戸寄り、偶数番号車は大阪寄りに簡易運転台を設置した。旧7001形M2車だった2001形奇数番号車にとっては簡易運転台が復活したことになる[5]。
- 運転台撤去改造を受けた車両の窓配置は、いずれも11D3D3D2である。また、運転台撤去部分は先に固定編成改造を実施された5001形(2代)および5131・5331形といった普通系車両同様、従来の運転台部分の三面折妻の形態を残している。
- 2201形の前面は、6連固定編成での運用を前提として、埋め込み式の貫通幌が撤去されてステンレス製の飾り帯が取り付けられたほか、ジャンパ栓受けや車掌台側の屋根に上るステップが撤去されるなど、こちらも先に固定編成改造を実施された普通系車両同様の改造を実施され、前面の見付がすっきりしたものとなった。
- パンタグラフは、2101形奇数番号車は2基搭載し、2101形偶数番号車は大阪側に1基搭載した。これは種車の大多数を占める旧7001形M1車および7801形3次車のパンタグラフ搭載位置を踏襲したものだが、旧7001形のみで編成された2113・2115Fでは少し異なり、旧7118の2114は電装改造時に大阪側にパンタグラフを1基搭載したが、旧7017の2116は改造時に神戸側のパンタグラフを撤去した。
- 連結器は、先頭車の運転台側と2001形のユニット間がバンドン式密着連結器を装備し、その他の中間部は棒連結器を装備した。
- 冷房装置はMAU-13Hで変更はないが、2201形の最前部の冷房装置のみ、乗務員室の冷房化を図るため、こちらも5001形(2代)および5131・5331形同様、CU-10Hに換装された。
- 車内の見付は、座席は従来からのロングシートであるが、化粧板が8000系タイプII以降と同じベージュ系のチェック模様となり、第2次車2203F以降では8000系8233Fで採用したLED式車内案内表示装置を、客用扉上部の山側2か所・海側1か所に配置している。また、第6次車2211F以降は、8000系タイプIIと同様にドアの内側に化粧板を張ったタイプに変更されている。
- 制御装置は、種車のCFM-118-15H(7001形)、ABFM-114-15-MC(7801形)から、三菱電機製の界磁添加励磁制御器であるABFM-118-15-MRHに換装し、2101形に搭載した。この制御器は1台のコントローラーで2両分8台の主電動機を制御する1C8M方式である。
- 主電動機は種車の東洋電機製造製TDK-814-A,A1,TDK-814/2-A2[2]を流用したが、第5次車の2209Fの電動車である2009・2010・2109・2110の4両は、出力124kWのTDK-8142-Aに換装しパワーアップを図った。
- 補助電源装置は、旧7101形奇数車、旧7001形M2および7901形が搭載していた出力70kVAの電動発電機 (MG) であるCLG-346Gから、出力140kVAの静止形インバータ (SIV) であるNC-FAT140Cに換装、2001形に搭載した。搭載基数は3基から2基に減少したが、トータルの出力では向上している。
7001形および7801形3次車から本系列への改番は下表のとおり。なお、表中の矢印は中間に組み込まれた運転台の向きを示す。
新/旧 | テンプレート:TrainDirection | 備考 | |||||
新形式 | Tc2201 | M2101 | M'2001 | M'2001 | M2101 | Tc2201 | |
旧形式 | Tc7101 | M7001 | M'7001 | T7901 | Mc7801 | Tc7101 | |
新 | 2201 | 2101 | 2001 | 2002 | 2102→ | 2202 | |
旧 | 7101 | 7001 | 7002 | 7940 | 7840→ | 7102 | |
新 | 2203 | 2103 | 2003 | 2004 | 2104→ | 2204 | |
旧 | 7103 | 7003 | 7004 | 7942 | 7842→ | 7104 | |
新 | 2205 | 2105 | 2005 | 2006 | 2106→ | 2206 | |
旧 | 7105 | 7005 | 7006 | 7944 | 7844→ | 7106 | |
新 | 2207 | 2107 | 2007 | 2008 | 2108→ | 2208 | |
旧 | 7107 | 7007 | 7008 | 7946 | 7846→ | 7108 | |
新 | 2209 | 2109 | 2009 | 2010 | 2110→ | 2210 | |
旧 | 7109 | 7009 | 7010 | 7948 | 7848→ | 7110 | |
新 | 2211 | 2111 | 2011 | 2012 | 2112→ | 2212 | |
旧 | 7111 | 7011 | 7012 | 7950 | 7850→ | 7112 | |
新形式 | Tc2201 | M2101 | M'2001 | M'2001 | M2101 | Tc2201 | |
旧形式 | Tc7101 | M7001 | M'7001 | M'7001 | Tc7101 | Tc7101 | |
新 | 2213 | 2113 | 2013 | 2014 | 2114→ | 2214 | |
旧 | 7113 | 7013 | 7014 | 7018 | 7118→ | 7114 | |
新形式 | Tc2201 | M2101 | M'2001 | M'2001 | M2101 | Tc2201 | |
旧形式 | Tc7101 | M7001 | M'7001 | Tc7101 | M7001 | Tc7101 | |
新 | 2215 | 2115 | 2015 | ←2016 | 2116 | 2216 | |
旧 | 7115 | 7015 | 7016 | ←7117 | 7017 | 7116 |
改造後
本系列は、第1次車の2201Fのうち、大阪側ユニットの2201 - 2101 - 2001が1990年9月に武庫川車両工業で竣功、11月に神戸側ユニットの2002 - 2102 - 2202が竣功して6連を組成、試運転後、年末から旧7001形時代と同様に優等列車運用に投入されて、当時阪神の急行系車両が運行されていた阪神本線 - 神戸高速鉄道東西線 - 山陽電気鉄道本線須磨浦公園までの全区間で、特急から準急まですべての急行系車両を使用する列車で幅広い運用を開始した。ただ、改造当初の本系列は6連貫通編成であることと新車に近い更新を受けたことから、特急や快速急行といった最優等列車を中心に投入された。
本系列への改造は順調に進み、1991年3月に登場した第2次車2203F以降も、大阪側ユニットの登場後2 - 3か月後に神戸側ユニットが登場して6連を組成するというパターンを繰り返し、1993年1月には6次車2211Fまで竣功して7801形3次車は消滅した。引き続いて7001形の残る3編成の改造も行われ、同年11月に2215Fの神戸側ユニットである2016 - 2116 - 2216が竣功して2000系への改造が完了、8編成48両が揃った。引き続いて翌1994年から2205Fを皮切りに先頭車にスカートの取付を開始、同時期にスカート取付を実施された8000系タイプIと類似した雰囲気の前面となった。
震災後
全車登場後、当時最新鋭の8000系とともに急行系車両の主力として運用されていた本系列であったが、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災によって8編成中5編成30両が被災した。被災編成と被災箇所およびその後の経過については以下のとおり。なお、本系列は同一系列中半数以上の車両が被災しており、全編成が被災した5261形1次車に次ぐ高い被災率である[6]。
- 2201F:三宮発高速神戸行き急行として運行中、三宮駅 - 元町駅間走行中に被災。車体を側壁および間柱に衝突させて全車破損。
- 2207F:御影駅1番線留置中に被災、脱線。
- 2211F:石屋川車庫11番線留置中に被災、脱線。
- 2213F:石屋川車庫7番線留置中に被災、脱線。
- 2215F:石屋川車庫9番線留置中に被災、脱線。
- 2201Fは神戸市内地下線復旧工事に伴い、西灘駅西方の地上区間に搬出。その後大阪市西淀川区の埋立地に設けられた仮設の被災車両置き場に搬入、7月6日付で廃車。
- 2207Fは脱線復旧後、青木駅 - 御影駅間の復旧に先んじて尼崎車庫に収容、5月15日復旧。
- 2211Fは仮設の被災車両置き場搬出後、尼崎車庫に搬送のうえ修繕。2012 - 2112 - 2212が4月19日に、2211 - 2111 - 2011が4月26日に復旧。石屋川車庫被災車の復旧第1号となった
- 2213F・2215Fは仮設の被災車両置き場搬出後、2213・2013・2014・2115が3月31日付で、2114・2214が7月6日付でそれぞれ廃車となった。2213F中ただ1両残った2113を、2215Fで唯一廃車となった2115の位置に組み込んで修繕を実施、2215 - 2113 - 2015が7月17日に、2016 - 2116 - 2216が7月20日に復旧して新2215Fを組成した。
なお、これら被災車両の復旧工事と崩壊した石屋川車庫や御影留置線の復旧工事期間が重なったため、尼崎車庫および尼崎駅構内の留置線だけでは在籍車両を留置するには容量が不足したことから[7]、不足分を千船駅や青木駅の待避線で代用している。
こうして被災30両のうち12両が廃車されたことから、震災後の本系列は2編成減の6編成36両となり、被災しなかった車両も復旧した車両も、震災後の車両不足の中、フル稼働で6月26日の全線復旧と8月13日の山陽電気鉄道本線への直通運転再開を迎えた。その後も苦しいやり繰りを続けながら、翌1996年3月20日のダイヤ改正では震災前のダイヤに復旧、本系列も震災後に緊急投入された9000系や8000・3000系などとともに従前どおり急行系車両の主力として運用された。この間、震災前から行われていた先頭車へのスカート取付工事は継続して施工され、全編成への装着が完了した。また、1997年から、集電状況の長期試験として、旧7001形M1車改造の2101形奇数車に2基搭載されているパンタグラフのうち、神戸寄りの1基を折りたたんだまま運用に従事させたところ、パンタグラフ離線による回生ブレーキ失効等の悪影響は発生しなかったため、同年以降全般検査に入場した車両から神戸寄りパンタグラフを撤去する改造を実施、全編成とも施行された。
終焉
1998年2月の直通特急運転開始に伴うダイヤパターンの12分ヘッドから10分ヘッドへの変更に伴う急行系車両の運用減に際しては大きな影響を受けなかったが、2001年3月の直通特急大増発に伴うダイヤ改正以降は、特急運用に充当される機会が減り、ラッシュ時の区間特急や快速急行、データイムの急行といった阪神線内で完結する運用に充当されることが多くなった。2006年からは2009年3月20日からの西大阪線(現・阪神なんば線)難波延長に伴う近畿日本鉄道奈良線との相互直通運転に備えて、バンドン式密着連結器から廻り子式密着連結器への換装を開始、本系列でも2205Fが連結器の換装を実施されたのを皮切りに連結器の換装を進めていたが、2007年中に連結器の換装が施工されなかった2203Fは、2006年に登場(2007年10月に営業運転開始)した1000系の代替として2008年3月に廃車された。また、2009年4月には2209Fが廃車・解体されている。同年6月には2215Fが廃車、2010年2月には1000系1211Fの代替として2205Fが廃車されている。2011年6月時点での在籍数は2編成12両となり、急行系車両の最少数系列となった[8]が、さらなる1000系の増備もあり同月末をもって全車が運用を離脱し、7月1日付で2211Fが、9月5日付で2207Fがそれぞれ廃車となり本系列は全廃となった[9][10][11]。
脚注
参考文献
- 『鉄道ピクトリアル』各号 1975年2月臨時増刊号 No.303 1997年7月臨時増刊号 No.640 「特集:阪神電気鉄道」 1999年3月号 No.666 「特集 電機子チョッパ車の30年」 電気車研究会
- 『鉄道ダイヤ情報』1995年3月号 No.131 「特集:阪神電車の研究」 弘済出版社
- 『関西の鉄道』No.34 「阪神間ライバル特集」 1997年 関西鉄道研究会
- 『サイドビュー阪神』 1996年 レイルロード
- 『車両発達史シリーズ 7 阪神電気鉄道』 2002年 関西鉄道研究会
- ↑ 特別料金不要の冷房車としては1936年に冷房改造された南海電気鉄道2001形があるが、新車としては名鉄5500系が日本初である。
- ↑ 2.0 2.1 端子電圧300V時1時間定格出力110kW。
- ↑ 同時に、851形などの急行系小型車を取り替えるときに大量製造した7801形1次車および3521形、7861形初期グループのアコモデーションのレベルが他社の同時期の新車だけでなく自社の車両に対しても低かったことから、冷房化と同時に接客レベルの向上を図る必要があった。
- ↑ 7801形3次車もこれらの形式のほか7601形とも併結して凹凸編成を組んでいる。
- ↑ 2001形偶数番号車のうち、2016は運転台撤去改造を受けたが、代わりに簡易運転台が設置されたことになる。
- ↑ 5261形1次車には、5269 - 5270に併結されていた5151形も含む。
- ↑ 一度に全編成を留置するわけではないが、震災前の石屋川車庫と御影留置線で6両編成を20本近く収容していたことから、これを一度に失ったことに加え、復旧工事を受ける車両は一定期間尼崎車庫および尼崎駅構内の留置線に留置せざるを得なかったことから、留置線の容量不足を窺い知ることができる。
- ↑ 2011年7月時点での1位は8000系19編成114両、2位は1000系(6両編成と2両編成を合わせて)96両、3位は9000系5編成30両、4位は9300系3編成18両。
- ↑ 【阪神】2000系2211F運用終了 RMニュース(ネコ・パブリッシング) - 2011年6月29日
- ↑ 【阪神】2000系残りの1編成も営業運転終了 RMニュース(ネコ・パブリッシング) - 2011年7月5日
- ↑ 阪神特急に高校野球看板 『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース(交友社) - 2011年8月13日