福岡県立八幡高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:混同 テンプレート:日本の高等学校 福岡県立八幡高等学校(ふくおかけんりつ やはたこうとうがっこう, Fukuoka Prefectural Yahata[1] High School)は福岡県北九州市八幡東区清田にある県立高等学校。通称「八高」(はちこう)。文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校。
概要
- 歴史
- 1919年(大正8年)に開校した「福岡県立八幡中学校」を前身としており、2009年(平成21年)に創立90周年を迎えた。
- 学区
- 第三学区(旧第四学区)- 北九州市若松区、八幡東区、八幡西区、遠賀郡、中間市
- 課程・学科
- 全日制課程 普通科・理数科
- 施設
- 校舎の中央階段にはフーコーの振り子を展示[3]している。
- 制服
- 男子は黒の学生服(学ラン)、女子は紺色のブレザー。女子の夏服にはリボンがつく。リボンは赤・緑・紺の3色があり、入学年度によって異なる。
象徴
- 校訓
- 初代校長の芹沢政衛が詠んだ以下の二首の短歌が校訓となっており、卒業式などの重要な行事で高唱[4]される。
- 「ちよろづの教えのもととまもれ人 誠ひとつのひとすじの道」
- 「朝夕に磨けとてこそ仰ぐなれ 心の鏡くもりなきまで」
- 校章
- 1948年(昭和23年)の新制高等学校発足時に制定。校訓の「鏡」にちなんだ「八稜鏡」[5]と学問を表すペン先3本を組み合わせ、中央に「高」の文字(旧字体)を置いている。なお、背景の3本のペン先は、校名(Yahata)のイニシャルYに見えるように並べられている。
- 校歌・讃歌
- 校歌は戦前の旧制中学時代に制定(作詞:八幡中学国漢部)。3番まであり、各番に校名の「八幡」が登場する。「御国のためにいざ雄飛せん」というくだりがあるが戦後も変更されていない。また、これとは別に「八高賛歌」(作詞:上野登史郎、作曲:南弘明)がある。これは、創立60周年を迎えた1979年(昭和54年)に制作され、文化祭などの主な行事で校歌とともに歌われる。3番まであり、2番の歌詞には学校の創立からの年数が歌われている。制定当時の歌詞では「60年」だったが10年ごとに年数を改められ、2012年(平成24年)現在、「90年」となっている。
- 同窓会
- 校訓にちなみ、「誠鏡会」(せいきょうかい)と称している。北海道、関東、中京、関西、福岡、肥後(熊本)、宮崎に支部を置く。
沿革
創立から大蔵校舎時代
- 1918年(大正7年)3月27日 - 文部省告示第67号により、福岡県立八幡中学校の開校が認可。
- 1919年(大正8年)4月15日 - 尾倉尋常小学校[6]の一部を仮校舎に、「福岡県立八幡中学校」が開校。(創立年)
- 1920年(大正9年)8月6日 - 尾倉尋常小学校から天神尋常小学校[6]仮校舎に移転。
- 1921年(大正10年)9月1日 - 大蔵に新校舎が完成し、移転。
- 1931年(昭和6年)9月27日 - 野球部を新設。
- 1933年(昭和8年)3月29日 - 福岡県立八幡夜間中学を併設。
- 1934年(昭和9年)10月 - 創立15周年を記念し、記念館が完成。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 併設夜間中学を福岡県立北筑中学に改称。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 福岡県立北筑中学を福岡県立北筑中学校に改称。
- 1948年(昭和23年)
- 4月 - 学制改革により、「福岡県立八幡高等学校」(現校名)に改称(当初は男子校)。北筑中学校を夜間課程とする。
- 7月 - 定時制課程を併置。
- 1949年(昭和24年) - 男女共学化。
- 1950年(昭和25年)
- 3月25日 - 第3回選抜高校野球大会(現・第22回選抜高等学校野球大会)に出場。
- 11月 - 記念館が焼失。
- 1953年(昭和28年)
- 6月28日 - 昭和28年西日本水害で大蔵川が氾濫、校舎一部、プール、工作教室流失。
- 7月4日 - 国務大臣大野伴睦一行が水害被害調査のため来校。
- 1954年(昭和29年)3月 - 体育館が完成。
- 1965年(昭和30年)9月1日‐音楽部合唱コンクール入賞により九州朝日放送株式会社よりハモンドオルガンの贈呈。
- 1958年(昭和33年)8月 - 第2グラウンドが完成。
- 1959年(昭和34年)5月 - 誠鏡会館(同窓会館)が完成。
清田校舎時代から現在
- 1970年(昭和46年)3月 - 清田町に新校舎が完成し、全面移転[7]。
- 1972年(昭和47年)2月 - 新体育館、プールが完成。創立50周年を記念し、庭園が完成。
- 1977年(昭和52年)7月 - 学校食堂が完成。
- 1979年(昭和54年)1月 - クラブハウスが完成。
- 1982年(昭和57年)3月 - 定時制課程の生徒募集を停止。
- 1985年(昭和60年)3月 - 定時制課程を廃止。
- 1986年(昭和61年)3月 - 第2体育館が完成。
- 1989年(平成元年)4月 - 全学年11学級、計33学級となる。(最大数)
- 1991年(平成3年)4月 - 理数科を設置。
- 1995年(平成7年)10月31日 - 西鉄バス北九州、玄関前まで乗り入れる臨時便の運行開始。乗り入れ式を行う。
- 1996年(平成8年)9月 - 「叡智の泉」が完成。
学校行事
1学期
- 4月 - 後期春季課外、始業式、入学式
- 5月 - PTA総会、中間考査、克己心育成のための宿泊研修(新入生合宿)
- 6月 - 文化祭、期末考査
- 7月 - クラスマッチ、保護者会、終業式、前期夏季課外
- 8月 - 筑波研修旅行(2年理数科生徒)、後期夏季課外、始業式
2学期
- 9月 - 体育大会
- 10月 - 中間考査、中学生体験入学
- 11月 - 同窓生職業セミナー(1・2年)、期末考査
- 12月 - 保護者会、終業式、前期冬季課外
3学期
- 1月 - 後期冬季課外、始業式、修学旅行(2年)
- 2月 - 期末考査、推薦入試
- 3月 - 卒業式、終業式、前期春季課外
部活動
運動部
文化部
- インターアクト部
- 演劇部
- 合唱部
- 華道部
- 茶道部
- 写真部
- 新聞・文芸部
- 吹奏楽部
- 放送部
- 美術部
- 書道部
- 科学部
- ESS部(English Speaking Society)
- イラストアニメ同好会
- 園芸同好会
- フォーク同好会
- 囲碁・将棋同好会
著名な出身者
- 松永怜一 - 元法政大学野球部監督、JOC選手強化本部長など
- 江藤晴康 - 元プロ野球選手
- 野村浩 - 元プロ野球選手
- 森下整鎮 - 元南海ホークス内野手、中日ドラゴンズ元コーチなど - 中退
- 中田賢一 - 中日ドラゴンズ投手
- 舛添要一 - 東京都知事、元新党改革代表、元参議院議員、国際政治学者、元厚生労働大臣
- 箕内拓郎 - 元ラグビー日本代表キャプテン、NTTドコモレッドハリケーンズ所属
- 津村禮次郎 - 能楽師、人間国宝
- 田畑竜介 - RKB毎日放送アナウンサー
- 古山かおり - 南日本放送アナウンサー
- 仲谷一志 - 福岡を中心に活躍するローカルタレント
- 野田知佑 - 作家、エッセイスト。日本のツーリングカヌーの草分けでもある
- 椿井亘 - シャンソン歌手
- 村上祥子 - 料理研究家
- 清田雄司 - 木版画家
- 南弘明 - 作曲家
- 藤川信夫 - 大阪大学大学院人間科学研究科教授
- 原徹 - 元スタジオジブリプロデューサー
- 上野英信 - 記録文学作家。京都大学中退後、炭鉱労働者として作家活動へ。
- 菅本裕子 - HKT48の元メンバー。AKSを経て、現在はオフィスアウイに所属している。
アクセス
- 最寄りの鉄道駅
- JR 鹿児島本線「スペースワールド駅」、「八幡駅」。
- 両駅とも八幡高等学校から比較的距離が離れており、大半の学生は八幡駅で路線バスに乗り換えて通学している。
- 最寄りのバス停
- 西鉄バス北九州 「八幡高校」バス停、「七条」バス停
- 最寄りの道路
- 福岡県道296号大蔵到津線、「七条橋」交差点
- 福岡県道51号曽根鞘ヶ谷線、「清田2」交差点
- 市道、「八幡高下」交差点
- 北九州高速4号線 山路出入口
周辺
- 北九州市立槻田小学校
- 北九州市立槻田中学校
- 高見神社
- 八幡東ニュータウン