石川直宏
テンプレート:サッカー選手 石川 直宏(いしかわ なおひろ、1981年5月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属、ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。日本プロサッカー選手会副会長テンプレート:Refnest。
目次
来歴
プロ入り前
5歳の時にサッカーを始める[1][2]。小学校時、地元の少年少女サッカークラブである横須賀シーガルスに所属。出身地の近い鈴木達也や[3]、神奈川県内の大会で対戦した茂庭照幸とはこの頃から面識があった[2]。中学に入ると横浜マリノスジュニアユース追浜に所属し、高校進学時に横浜マリノスユースに昇格。成長の遅れによる体格差[4][5][6]やクラムジー[注 1]の発生[7]、当時得意としたトップ下のポジションを争う同期・大橋正博の台頭[8][2]、樋口靖洋監督による不慣れな右サイドへのコンバート[9][4]、加えて横浜フリューゲルスとの合併による選手層拡大[10][2]が重なるなど困難が続いたが[11]、徐々にスピードを身に付け[8]サイドアタッカーとしての能力を開花させ始めた[4]。
横浜F・マリノス
2000年には横浜F・マリノスのトップチームに昇格となり、Jリーグデビュー。同年、U-19日本代表としてアジアユースに出場。
翌2001年にはU-20日本代表としてワールドユース アルゼンチン大会に背番号10を背負って出場。グループリーグで敗退するも、鋭い切り込みでゴールへ迫る姿勢[12]は高い評価を得た[5]。この大会のテレビ解説を原博実が担当していたことが後にサッカー人生の契機となるテンプレート:Refnest。
しかし、横浜FMでは出場機会を失っていく。パスの出し手であるMF中村俊輔との呼吸がかみ合わず[13][1][14]、チームの成績も低迷、監督交代が相次いだ。ラザロニ監督とは特に相性が合わず、石川は紅白戦での「Bチームの控え」にも入れてもらえず[10][14]、2002年も引き続いてラザロニが指揮を執ることになった状況に危機感を持ち、自ら横浜FM強化部に出場機会を直訴[10]。サンフレッチェ広島が移籍先の有力候補に挙がったが[10][15]、この年にFC東京の監督に就任した原博実が石川の獲得を熱望したこともあり[10]、4月にFC東京へのレンタル移籍が決定[16]。
FC東京
移籍発表からわずか3日後の駒沢でのナビスコカップ・清水戦で早速右のサイドアタッカーとして先発出場すると、ずば抜けたスピードによる突破で得点をアシスト。早々にチームにフィットし[5]、同時期にFC東京の右サイドバックとして出場機会を与えられたDF加地亮とのコンビネーションで[2]右サイドからの攻撃を担い[注 2]、レギュラーを確保した。U-21日本代表としては、10月の釜山アジア大会では準優勝に貢献。
2003年8月、FC東京に完全移籍[17]。同年のJリーグフェアプレー個人賞を受賞[18]。また、アテネオリンピックを目指すU-22日本代表として活動する一方で、この年のキリンカップのためのA代表に初選出される。同年の東アジア選手権でもA代表に選出され、香港戦において国際Aマッチ初出場を記録[19](U-22代表から抜擢されたのは大久保嘉人、松井大輔と石川の3人)。
2004年には再び日本代表候補合宿に招集されていたが、日本サッカー協会のオリンピック優先という方針によりU-23日本代表に合流、アテネオリンピックアジア最終予選を突破する。アテネオリンピック本大会では、強豪イタリアと同組だったこともあり、山本昌邦監督は守備重視の戦術テンプレート:Refnestで大会に臨んだため、出場機会を得たのは消化試合となったグループリーグ第3戦からだった。この試合では攻撃を牽引したにもかかわらず[20]後半早々に交代[21]。消化不良のままグループリーグでの敗退が決定。競技場のサポーターに挨拶する際には号泣し[20]、失意の帰国となった[1]。クラブでは、リーグ戦での得点はなかったが、初選出されたオールスター戦でゴールを決め、MVPを受賞[22]。ナビスコ杯では優勝を体験するが、決勝の浦和戦では退場者を出したことで更に運動量が求められ、自身初となる延長戦までの120分フル出場テンプレート:Refnestで走り回り奮闘したため足がつっており[23]、決着をつけるPK戦のメンバーには入らなかった。
2005年8月にイタリア・セリエAに昇格したトレヴィゾから獲得オファーを受けるも[24]、FC東京の苦戦が続いた時期と重なっていたこともあり、交渉最終段階にきてオファーを断った[25][26]。その決断の直後の9月、日産スタジアムでの古巣・横浜FM戦の試合後半に右膝を傷め途中退場。検査の結果、右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷[27]・全治8ヶ月との診断を受け、長期のリハビリテーション期間を過ごすことになった。
2006年にガーロ監督が就任したが、その在任期間が右膝のリハビリの時期と重なっており、ガーロ体制下でのプレーは少ない。同年7月19日のアビスパ福岡戦で305日ぶりの復帰を果たした[27]。
2007年に倉又寿雄監督体制下から原監督が復帰したシーズンは、以前までのサイドから仕掛けるスタイルを求めた原に対し、石川は中へ切れ込んだり、引いてボールを受けたりという自身のプレーの幅の広がりを模索していたこともあってか[28][29][30]調子が上がらず[14]、出場機会が減った時期もあった[31]。
2008年に就任した城福浩監督は攻撃の選手に流動性を求めており[30]自由度が増した結果、苦し紛れのパスは減り、課題であったパスやクロスの精度が向上し、安定感が増した。同タイプのプレーをする鈴木達也の新加入や大竹洋平などの台頭によるチーム内での競争の活性化もあってか、再び生き生きとしたプレーが見られるようになった。
2009年は、平山相太のポストプレーや羽生直剛の労を惜しまない運動量といったチームメートとの長所が噛み合い[32][33]、5月2日のJ1大宮戦でプロ入り後初のハットトリックを決めるなど[34](この日は、年に一度しか来ない家族が見に行った日でもあった)、一時磐田のFW前田遼一と得点王の座を争う程ゴールを量産。チームのリーグ5位、ナビスコカップ決勝進出の原動力となり、同年10月には約5年半ぶりに日本代表に招集された[13]。岡田武史代表監督からは切り札に指名され[13]「ゲームの流れを変えるのに使える」と評価を得たが[35][36]、同月17日の柏戦で得点直後に相手選手と接触し負傷離脱。チームが2度目の優勝を決めたナビスコカップ決勝には出場できなかった。12月のJリーグアウォーズでは活躍を評価され、初めてJリーグベストイレブンに選出されたテンプレート:Refnest。
2010年、FIFAワールドカップ登録メンバー発表前の最後の国際Aマッチで「国内組(Jリーガー)の最終見極め[37]」となったセルビア戦では、途中出場ながらチーム最多タイのシュートを放つなど[38]前線を活性化させた[39]テンプレート:Refnestが、予備登録の7名に入るにとどまったテンプレート:Refnest。
2011年は、FC東京のベテラン代表として[40]副主将を務めた[41]。この年は「シーズンの終わりまで石川を(負傷離脱などさせることなく)チームに置いておきたい[42]」という大熊清監督の起用法により、出場時間は多くなかったものの[43]、FC東京の連勝記録を塗り替える得点を挙げるなど[44]勝負所での活躍を見せた。
2012年、アルベルト・ザッケローニ日本代表監督から、攻撃面での「Velocità(スピード)」と「Imprevedibilità(en)(予測不可能性)」を併せ持つ選手として指名され[45][4]、日本代表に復帰。FC東京では新監督のランコ・ポポヴィッチによって戦意を新たにし[46]、AFCチャンピオンズリーグと並行する過密日程の中でも好調を維持[43]。ゴールへ向かう積極性を発揮した[46][47]。
2013年はFWルーカスが右SHに配されたことによって定位置を失い[48]、「(東京加入以来)怪我以外で一番試合に出ていない」という苦しい1年を過ごす中[49]、控え組を牽引し、チームを突き上げた[50]。2014年は腰椎椎間板ヘルニアにより[51]前半戦の大半の欠場を余儀なくされる。夏場にかけて復調し[52][53]後半戦より復帰。
エピソード
- 趣味はサーフィン[1][8]。プロサーファー・鍋島庵莉との親交が厚い[54][55]。
- スタジアムでは東京スカパラダイスオーケストラの「Down Beat Stomp」のサビ部分に独自の歌詞をつけたものが応援歌となっている[31]。石川とスカパラのベーシスト川上つよしは交友関係があり、それが縁で2003年、2004年シーズンの開幕戦ではスカパラがゲストとしてミニライブを行なったり、FC東京の応援ソング「スタジアムへ行こう」を楽曲提供するなどの交流が派生した[56]。
- 雑誌「サッカーai」のあなたが選ぶBEST11で7号連続第1位を獲得している。
所属クラブ
- ユース経歴
- テンプレート:0 - 1993年 横須賀シーガルス (横須賀市立粟田小学校)[1]
- 1994年 - 1996年 横浜マリノスジュニアユース追浜 (横須賀市立野比中学校)[1]
- 1997年 - 1999年 横浜F・マリノスユース (横須賀市立横須賀高等学校)[1]
- プロ経歴
- 2000年 - 2003年7月 テンプレート:Flagicon 横浜F・マリノス
- 2002年4月 - 2003年7月 テンプレート:Flagicon FC東京 (期限付き移籍)
- 2003年8月 - 現在 テンプレート:Flagicon FC東京
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2000||rowspan="3"|横浜FM||28||rowspan="12"|J1||2||0||1||0||2||0||5||0 |- |2001||rowspan="2"|18||13||1||2||0||0||0||15||1 |- |rowspan="2"|2002||0||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||0||0 |- |rowspan="13"|FC東京||36||19||4||3||0||1||0||23||4 |- |2003||rowspan="12"|18||29||5||7||3||1||0||37||8 |- |2004||17||0||4||0||3||2||24||2 |- |2005||23||3||6||1||0||0||29||4 |- |2006||20||5||0||0||1||0||21||5 |- |2007||27||4||7||1||3||0||37||5 |- |2008||21||2||6||1||3||0||30||3 |- |2009||24||15||8||3||0||0||32||18 |- |2010||31||2||5||0||3||3||39||5 |- |2011||J2||23||3||colspan="2"|-||6||1||29||4 |- |2012||rowspan=3|J1||28||5||4||2||1||0||33||7 |- |2013||22||2||3||1||4||0||29||3 |- |2014|||||||||||||||| テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始276||48||56||12||22||5||354||65 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行23||3||colspan="2"|-||6||1||29||4 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終299||51||56||12||28||6||383||69 |} その他の公式戦
- 2012年
- スーパーカップ 1試合0得点
テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |- |2012||FC東京||18||6||0 |- !通算!!colspan="2"|AFC |6||0 |} その他の国際公式戦
- 2010年
- スルガ銀行チャンピオンシップ2010 1試合0得点
- 2000年[[4月1日|テンプレート:04月テンプレート:01日]]:Jリーグ初出場 - J1 1st第4節 vs 鹿島アントラーズ (国立霞ヶ丘競技場)
- 2001年[[3月17日|テンプレート:03月17日]]:Jリーグ初得点 - J1 1stステージ第2節 vs ガンバ大阪 (万博記念競技場)
- 2003年[[8月2日|テンプレート:08月テンプレート:02日]]:J1・50試合出場 - J1 1stステージ第15節 vs ジュビロ磐田 (ヤマハスタジアム)
- 2005年[[8月27日|テンプレート:08月27日]]:J1・100試合出場 - J1第21節 vs ジュビロ磐田 (ヤマハスタジアム)
- 2008年[[3月8日|テンプレート:03月テンプレート:08日]]:J1・150試合出場 - [[2008年のJリーグ|J1第テンプレート:01節]] vs サンフレッチェ広島 (味の素スタジアム)
- 2010年[[4月4日|テンプレート:04月テンプレート:04日]]:J1・200試合出場 - [[2010年のJリーグ|J1第テンプレート:05節]] vs 川崎フロンターレ (等々力陸上競技場)
- 2012年10月27日:J1・250試合出場 - J1第30節 vs コンサドーレ札幌 (味の素スタジアム)
タイトル
- ジャパンユースカップ (2001年)
- Jリーグカップ (2001年、2004年、2009年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ (2010年)
- Jリーグ ディビジョン2 (2011年)
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会 (2011年)
個人
- Jリーグ優秀選手賞 (2003年、2009年)
- Jリーグフェアプレー個人賞 (2003年[18])
- JOMOオールスターサッカー 最優秀選手賞(MVP) (2004年)
- Jリーグベストイレブン (2009年)
選抜・代表歴
- 2003年12月7日:国際Aマッチ初出場 - 東アジアサッカー選手権2003 vs 香港代表 (埼玉スタジアム2002)[19]
出場大会など
- 神奈川県選抜
- 1998年 国民体育大会
- U-19日本代表
- 2000年 SBSカップ (優勝)、AFCユース選手権2000 (準優勝)
- U-20日本代表
- 2001年 ジャパンユースカップ2001 (優勝)、2001 FIFAワールドユース選手権 (グループリーグ敗退)
- U-21日本代表
- 2002年 トゥーロン国際大会 (3位)、2002年アジア競技大会 (準優勝)
- U-22日本代表
- 2003年
- U-23日本代表
- 2004年 アテネオリンピック (グループリーグ敗退)
- 日本代表
- 2003年 東アジアサッカー選手権2003 (準優勝)
- 2004年
- 2009年 アジアカップ2011予選
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ 予備登録
- 2011年 2014 FIFAワールドカップ・アジア予選 予備登録
- 2012年
試合数
- 国際Aマッチ 6試合 0得点 (2003年 - 2012年)[19]
テンプレート:サッカー代表個人成績 |2003||1||0 |- |2004||1||0 |- |2009||2||0 |- |2010||1||0 |- |2012||1||0 |- !通算 |6||0 |}
書籍
関連書籍
- テンプレート:Anchors『アンチ・ドロップアウト 簡単に死なない男たちの物語』 (2010年3月、集英社、小宮良之) ISBN 4087805646
- テンプレート:Anchors『石川直宏 ― まっすぐに平常心』 (2010年5月、出版芸術社、馬場康平) ISBN 4882933934
- テンプレート:Anchors『プロフットボーラーの家族の肖像』 (2013年7月、カンゼン、いとうやまね) ISBN 4862551904
作品
DVD
- 『スピードスター・石川直宏』(2010年)
脚注
- 注釈
- 出典
関連項目
外部リンク
- 公式
- 石川直宏オフィシャルサイト
- 石川直宏 オフィシャルブログ 「70TV」
- テンプレート:Twitter
- テンプレート:Youtube - FC東京公式チャンネル
- TOKYO PLAYER INTERVIEWS #1 石川直宏 - ENEOS TV (2013年3月18日)
- TOKYO PLAYER INTERVIEWS extra 05 徳永×石川 - ENEOS TV (2013年12月4日)
- TOKYO PLAYER INTERVIEWS extra 06 徳永×石川 - ENEOS TV (2013年12月11日)
- The F.C.TOKYO TIMES #2 Speed - ENEOS TV (2014年4月9日)
- 個人成績
- テンプレート:FIFA playerテンプレート:En icon
- テンプレート:Nfteamsテンプレート:En icon
- テンプレート:Soccerwayテンプレート:En icon
- テンプレート:ESPN Soccernetテンプレート:En icon
- テンプレート:SportsReference
- 特集
- 石川直宏「覚醒したスピードスター」 (1/2) , (2/2) - Sports Graphic Number (2009年7月10日)
- J1 6月度MIP受賞インタビュー 石川直宏選手 (F東京) - J's GOAL (2009年7月30日)
- J1 3月度MIP受賞インタビュー 石川直宏選手 (F東京) - J's GOAL (2012年5月29日)
- 駆ける魂 (上)、(下) - 日本経済新聞 (2010年3月2日、3日)
- 石川直宏のちょっと「清清しい」話 (サッカー/FC東京)(1/2) , (2/2) - OCNスポーツ (2010年4月16日)
- 石川直宏(FC東京)特別な存在 (1/3) , (2/3) , (3/3) - OCNスポーツ、Jリーグサッカーキング (2011年10月31日)
- 石川直宏 (FC東京) 運命の日を前にしてもスピードスターは自然体 - チケットぴあ (2010年5月6日)
- 【Jリーグ】石川直宏「代表に関しての時間は止まったままだった」(1/2) , (2/2) - Sportiva (2012年5月12日)
- 石川直宏選手[FC東京](1/2) , (2/2) - 中高生部活応援マガジン ヒーローインタビュー (2013年1月15日)
- FC東京 石川直宏選手から学ぶドリブル上達の極意 (1/3) , (2/3) , (3/3) - ジュニアサッカーを応援しよう! (2013年2月22日)
- 生と死を強く考えさせられた石川直宏選手の「2011」(1/9) , (2/9) , (3/9) , (4/9) , (5/9) , (6/9) , (7/9) , (8/9) , (9/9) - ジュニアサッカーを応援しよう! (2014年3月11日)
- FC東京・石川直宏選手が紹介するファンとの交流を楽しむアプリ =前編=、=後編= - R25 (2013年10月4日、11日)
- 赤すぐ20周年記念 Jリーグ 石川直宏選手 - 赤すぐ (2014年3月26日)
テンプレート:FC東京のメンバー テンプレート:Jリーグベストイレブン (MF) テンプレート:Jリーグフェアプレー個人賞
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 テンプレート:Cite book
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- ↑ Tokyo Mania 第33回 石川直宏選手ロングインタビュー 182ch.net (2009年4月8日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 Jリーガーたちの原点 vol.4 サカママ (2012年12月12日)
- ↑ 5.0 5.1 5.2 そして世界へ!アテネ五輪代表候補紹介 第5回 石川 直宏 (東京) 日刊スポーツ
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- ↑ 馬場・2010年 130-131,136-137頁
- ↑ 8.0 8.1 8.2 引用エラー: 無効な
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- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 J開幕見た石川、20年後も同じ国立に立つ 日刊スポーツ (2013年5月14日)
- ↑ 21世紀の骨のあるヤツ 第144回 石川直宏 (Jリーグ) ぴあ (2002年10月29日)
- ↑ FIFAワールドユース選手権アルゼンチン2001 西村昭宏監督 日本-アンゴラ戦後の会見コメント スポーツナビ (2001年6月23日)
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- ↑ 14.0 14.1 14.2 馬場・2010年 156頁 引用エラー: 無効な
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- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2002年4月23日)
- ↑ テンプレート:Wayback FC東京 (2003年8月7日)
- ↑ 18.0 18.1 テンプレート:Wayback FC東京 (2003年12月16日)
- ↑ 19.0 19.1 19.2 引用エラー: 無効な
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タグです。 「komiya35-37
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ テンプレート:PDFlink 日本サッカー協会
- ↑ 【2004JOMOオールスターサッカー】日本海側初のオールスターサッカーは、3-3の引き分けに。MVPはJ-EAST 石川直宏選手が受賞! Jリーグ (2004年7月3日)
- ↑ 【ヤマザキナビスコカップ:決勝】FC東京 vs 浦和:試合終了後のFC東京選手コメント J's GOAL (2004年11月3日)
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- ↑ 新主将・今野が舵取り 「J1復帰内閣」 東京中日スポーツ (2011年2月23日)
- ↑ 【J2:第34節 湘南 vs FC東京】大熊清監督記者会見コメント J's GOAL (2011年11月6日)
- ↑ 43.0 43.1 【Jリーグ】石川直宏「ポポヴィッチ監督の言葉に本能を刺激された」(2/3) Sportiva (2012年5月11日)
- ↑ 石川直宏が7連勝弾 vs.横浜FC 東京中日スポーツ (2011年10月20日)
- ↑ 石川“切り札”だ!ザック監督がほれた突破力 スポーツニッポン (2012年2月22日)
- ↑ 46.0 46.1 【Jリーグ】石川直宏「ポポヴィッチ監督の言葉に本能を刺激された」(1/3) Sportiva (2012年5月11日)
- ↑ 【Jリーグ】石川直宏「ポポヴィッチ監督の言葉に本能を刺激された」(3/3) Sportiva (2012年5月11日)
- ↑ FC東京 負傷ルーカスの分も!“代役”石川が闘志高める スポーツニッポン (2013年12月22日)
- ↑ 【第93回天皇杯 準決勝 F東京 vs 広島】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2013年12月29日)
- ↑ 15日の練習試合・川崎F戦に向け、鼻息荒いサブ組 blogola (2013年12月13日)
- ↑ 石川直宏選手の腰の状態について FC東京 (2014年4月21日)
- ↑ ナオ 練習フル参加「まずは試合に出る」 東京中日スポーツ (2014年6月16日)
- ↑ ナオ 復活の一撃 東京中日スポーツ (2014年6月25日)
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