白井克彦
白井 克彦(しらい かつひこ、1939年9月24日 - )は、日本の工学者。放送大学学園理事長(2011年4月 -)。日本電信電話株式会社取締役(2012年6月 -)。第15代早稲田大学総長(2002年 - 2010年)。専門は知能情報学。学位は工学博士(早稲田大学)。
目次
略歴
- 1939年 - 中国の大連に生まれる
- 1952年 - 国立学園小学校卒業
- 1955年 - 北多摩郡国立町立国立中学校卒業(現在の国立市立国立第一中学校)
- 1958年 - 東京教育大学附属駒場高等学校卒業(現在の筑波大学附属駒場高等学校)
- 1963年 - 早稲田大学第一理工学部電気工学科卒業
- 1965年 - 早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了 早稲田大学第一理工学部助手
- 1968年 - 早稲田大学大学院理工学研究科博士課程単位取得満期退学 早稲田大学理工学部専任講師
- 1970年 - 早稲田大学理工学部助教授
- 1973年 - 工学博士(早稲田大学)の学位を取得 学位論文名 「雑音の加わった非線形系に関する研究」[1]
- 1975年 - 早稲田大学理工学部教授
- 1992年 - 早稲田大学理工学部教務主任
- 1994年 - 早稲田大学理工学部教務部長、早稲田大学国際交流センター所長
- 1998年 - 早稲田大学常任理事
- 2001年 - 電子情報通信学会よりフェロー称号(情報・システム ソサイエティ)を授与[2]
- 2002年 - 人工知能学会功績賞受賞[3]
- 2002年 - 早稲田大学第15代総長
- 2005年 - 第56回日本放送協会放送文化賞を受賞[4]。中国の復旦大学より名誉教授の称号を授与[5]。上海大学より名誉博士号を授与。
- 2006年 - 総長の任期満了(2006年11月4日)に伴う総長選挙の結果、再選(~2010年11月4日)。
- 2010年3月 - 早稲田大学を定年退職
- 2010年11月 - 早稲田大学総長退任、早稲田大学学事顧問
- 2011年4月 - 放送大学学園理事長(任期:2013年4月1日 - 2015年3月31日)[6]
- 2012年6月 - 日本電信電話株式会社取締役、株式会社ジャパンディスプレイ取締役就任 [7][8]
人物
総長就任後は、自ら理事長を務める早稲田実業学校の入試面接における寄付金強要問題や(後に都による私立学校助成金が停止)、理工学部における松本和子教授の研究費流用疑惑など難問を抱えたが、改革推進と同時に大学運営の正常化に傾注・苦慮した。但し流用疑惑に関しては、疑惑の出ている別の助教授の事実関係を「調査前にもかかわらず、総長自身が『シロ』と断定していた」との指摘も読売新聞紙上社説などでなされたテンプレート:要出典。
大学時代には男声合唱団「早稲田大学グリークラブ」に所属。
早稲田大学第15代総長
前任者の奥島孝康と同様に大学改革に積極的であり、就任後様々な改革に取り組んだ。
- 総長就任後の主な出来事
大学再編・新設
総長就任後、スポーツ科学部、国際教養学部、政治経済学部国際政治経済学科、大学院公共経営研究科、大学院情報生産システム研究科、大学院法務研究科、大学院会計研究科、大学院スポーツ科学研究科を新設。
2007年には第一文学部及び第二文学部を統合再編し、文化構想学部と文学部を新設。また理工学部を分割し、基幹理工学部、創造理工学部及び先進理工学部に再編した。
2008年、東京都中野区の警察大学校の跡地一部を取得し、新たに「中野キャンパス」を2012年に開設する予定であることを表明した[9]。 実際は、留学生の大規模受入れに伴い、「早稲田大学中野国際コミュニティプラザ」として、2014年度から開設されることとなった。
医学部設置構想
かねてから慶應義塾大学と対比され、「医学部設置構想」たるものが度々沸き上がるものの、現段階では東京女子医大との「医工連携」に留まっている。また、総長自身が「医学部は持っていないほうがメリットがある。様々な大学と得意分野で連携が出来る」と発言しており、医学部を設置する予定は現段階では無いようである[10]。
2008年、筑波大学と教育・研究における包括的協定を結んだ。早大の理工学及び筑波大の医学の両者を履修することで、両方の学士を取得できるプログラムを検討している。実現した場合、医学部のない早稲田大学を卒業した者が医学士号を取得できることになる[11]。
国際化・留学生の大規模受入れ
アジア、とりわけ中国への進出が目立つ。2004年には、北京大学との共同教育研究機構の共同設置を表明し、また同大との「ダブルディグリー課程(両大学の学士を取得可能なプログラム)」を設置している[12]。
大学の国際化に傾注しており、2007年には「5年以内に留学生を8000人受け入れる」計画があることを表明した[13]。
直属専門学校の再編・新設
2001年の早稲田大学専門学校から早稲田大学芸術学校への組織再編を継承し、就任直後の2003年に早稲田大学川口芸術学校を新設するなど、直属専門学校に力を入れ、芸術分野への進出を試みるものの、経営不振により、2010年に早稲田大学川口芸術学校は閉校が発表され、早稲田大学芸術学校も規模が縮小されての存続となった。
中学校・高等学校の新規系属校化
2009年4月から大阪府茨木市の「摂陵中学校・高等学校」を系属校化し、校名を「早稲田摂陵中学校・高等学校」に変更した。また、佐賀県唐津市に「早稲田佐賀中学校・高等学校」を2010年度に新設し系属校とした。
前者は「学校法人早稲田大阪学園」、後者は「学校法人大隈記念早稲田佐賀学園」がそれぞれ設置し、早稲田大学を設置する「学校法人早稲田大学」とは別法人である。卒業生のそれぞれ約1割と半数が早稲田大学へ進学できる[14]。
学外活動
- 内閣府 沖縄振興審議会会長(2003年度-)
- 文部科学省 大学設置・学校法人審議会(大学設置分科会)委員委員(2006年5月12日-)
- 文部科学省 スーパーCOE「先端科学と健康医療の融合拠点の形成」代表(2004年度-)
- 文部科学省 中央教育審議会大学分科会大学院部会専門委員(2003年-)
- 文部科学省 科学技術・学術審議会委員(2003年2月1日-)
- 日本学術振興会 グローバルCOEプログラム委員会委員(2007年度)
- 日本学術振興会 21世紀COEプログラム委員会委員(2004年度-)
- 社団法人 日本私立大学連盟副会長(2004年2月28日-)
- 社団法人 私立大学情報教育協会常務理事(1999年-2001年)、副会長(2002年-)
- 財団法人 大学基準協会会長(2005年5月26日-)
- 有限責任中間法人 大学技術移転協議会代表理事会長(2004年-)
- 日本放送協会 放送技術審議会委員(2001年度-)
- 国立大学法人 東京農工大学経営協議会委員(2006年4月1日-2008年3月31日)
- 学校法人早稲田実業学校理事長(2002年-2010年)
著書
- 『早稲田はいかに人を育てるか 「5万人の個性」に火をつけろ』(2007年、PHP研究所、ISBN 4569659969)
- 『大学力 早稲田の杜から「変える力」を考える 生きることは楽しい!』(共著、2005年、サイビズ、ISBN 4072488755)
- 『早稲田大学世界への飛翔』(編著、2003年、東洋経済新報社、ISBN 4492222278)
- 『信号解析とディジタル処理』(共著、1999年、培風館、ISBN 456301494X)
- 『岩波講座 言語の科学〈2〉音声』(共著、1998年、岩波書店、ISBN 4000069020)
- 『RISCプロセッサ 32ビットプロセッサの新しい流れとAm29000』(共著、1989年、産業図書、ISBN 4782855303)
- 『事務システム標準化マニュアル 1~5』(編著、1986年、日刊工業新聞社、ISBN 4526020753)
- 『トランスデュ-サ・インタフェ-スハンドブック』(共著、1984年、産業図書、ISBN 4782856318)
受賞歴
脚注
- ↑ 博士論文書誌データベース
- ↑ 電子情報通信学会 平成13年フェロー称号贈呈者
- ↑ 人工知能学会受賞者
- ↑ 白井総長、第56回NHK放送文化賞を受賞
- ↑ 白井総長、復旦大学より名誉教授の称号を授与
- ↑ 学園の基本情報について (放送大学)
- ↑ 役員の人事について (日本電信電話株式会社プレスリリース)
- ↑ 役員紹介(日本電信電話株式会社)
- ↑ 「中野キャンパス構想」を発表 早稲田大学
- ↑ 〈学長力〉「世界のワセダ」へ導く 早稲田大学 白井克彦総長
- ↑ 医学部のない早大で医学学士号が取れる
- ↑ 早稲田大学と北京大学、北京大学内に共同教育研究機構を開設
- ↑ 早稲田大学、5年以内に8000人の留学生受け入れを計画
- ↑ 早稲田大、大阪と佐賀にグループ中高校
外部リンク
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