独占!女の60分
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『独占!女の60分』(どくせん おんなのろくじっぷん)は、1975年10月4日から1992年3月28日までテレビ朝日(放送開始当初はNETテレビ)で放送された昼のバラエティ番組。放送時間は毎週土曜 12:00 - 13:00 (JST) 。
目次
概要
主婦をターゲットにしていた番組で、「女だらけの、女による、女のための60分」をキャッチフレーズに掲げていた。しかしながら、企画内容はラブホテルの紹介、夜の日比谷公園の取材、日活ロマンポルノの撮影現場潜入など、土曜昼のテレビ番組としては過激なものもあった。当初は水の江瀧子がメイン司会を、丹下キヨ子と宮城千賀子がサブ司会(ご意見番)を務めていた。取材リポートを「アタック」、リポーターを「アタッカー」と称していた。
しかし、放送開始から7年半後の1983年春にサブ司会の丹下が降板。それから4年後の1987年春にはメイン司会の水の江とサブ司会の宮城も降板し、以後は岩井友見がメイン司会を、アタッカーOGのキャシー中島ら数人がサブ司会を務めるようになった。と同時に、冒頭のキャッチフレーズの口上も廃止された。この頃から内容も柔和なもの(例えば、トライアスロンなどのスポーツに挑戦した企画など)が多くなっていった。この内容変更により、男性視聴者層からの人気は一時期よりも低下していったものの、それまでは「色物」としてこの番組を敬遠してきた視聴者層にも見やすい内容へと変わった。
この長年持続してきた好評ぶりを買われ、1992年春の改編で帯番組に昇格。当時「鬼門」枠となっていた平日12時台へ移動し、『お昼の独占!女の60分』と題して放送されるようになった。しかし、半年で終了し、17年間の歴史に幕を幕を下ろすことになった。
この番組は原則関東ローカルながらも、一部のテレビ朝日系列局や独立UHF局にもネットされていた。
歴代司会者
メイン司会者
サブ司会者(ご意見番)
- 丹下キヨ子(1975.10 - 1983.3) - 体調不良により降板し、同時に芸能界を引退。
- 宮城千賀子(1975.10 - 1987.3)
- 松崎悦子(チェリッシュ、1987.4 - 1988.3)
- 今陽子(1988.4 - 1990.3)
- 山谷えり子(1989) - 「助っ人ご意見番」として数回出演。
- キャシー中島(1990.4 - 1991.3)
- 清水由貴子(1991.4 - 1992.3)
歴代アタッカー(リポーター)と代表的なアタック
岩井友見時代
- 山岸真弓…わんこそば大食い
- 五味保恵…女みこし
- KUROKO…モトクロス
- 朝井夏海…サーカス綱渡り
- 市川かおり…トライアスロン
- 鴨美鈴…スノーボード
- 早加奈央…タコ釣り
- 原江梨子(現・原めぐみ)…バルセロナオリンピック聖火ランナー
- 紅理子…女ラグビー
- 相馬ひろみ…鹿の角きり
- 杉田こゆり…つらいアスロン
- 井上明子…スパゲッティ早食いコンテスト
- ペコちゃん(現・オオタスセリ)…トド狩り
- 立原友香…浜名湖うなリンピック
- 柏木みどり…ガタリンピック
- 村上真弓…雪上モトクロス
- 中安みゆき…マツタケ狩り
- 前川美子里…スキー
- 内田あゆみ…マラソン
- 冨永みーな…映画紹介
- 野沢貴子…レディス駅伝
- 水嶋理恵…テニス
- ほか
放送時間
- 土曜日/12:00 - 13:00(テレビ朝日)
- 日曜日/19:00 - 20:00(近畿放送/末期)→野球中継や特番でほとんど放送されない。
- 火曜日/24:20 - 25:20(サンテレビジョン/末期)→野球中継延長時繰り下げて放送。
- 放送日不明(テレビ和歌山/末期)→どのような事情があったかは不明だが、ABCがネットせず、KBS京都やサンテレビが見られないための救済措置と思われる。
放送局
◎=は後継番組である『お昼の独占!女の60分』も放送していた局。○は『お昼の独占!女の60分』を同一地域の他局で放送していた局。
- 系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日 | テレビ朝日系列 | ◎制作局 |
北海道 | 北海道テレビ | ◎1989年3月打ち切り | |
青森県 | 青森朝日放送 | ◎1991年10月開局から | |
宮城県 | 東日本放送 | ◎ | |
山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | ○途中打ち切り 1980年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局[1] |
福島県 | 福島放送 | テレビ朝日系列 | ◎ |
新潟県 | 新潟総合テレビ | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 |
1983年9月まで 1981年3月までは日本テレビ系列とのトリプルネット局 |
新潟テレビ21 | テレビ朝日系列 | ◎1983年10月開局から | |
長野県 | テレビ信州 | テレビ朝日系列 日本テレビ系列 |
1991年3月まで |
長野朝日放送 | テレビ朝日系列 | ◎1991年4月開局から | |
静岡県 | 静岡けんみんテレビ | ◎現・静岡朝日テレビ | |
石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | 途中打ち切り[2] |
北陸朝日放送 | テレビ朝日系列 | ◎1991年10月開局から | |
中京広域圏 | 名古屋テレビ | ◎ | |
京都府 | 近畿放送 | 独立UHF局 | ○現・京都放送[3][4] |
和歌山県 | テレビ和歌山 | ○[4][5] | |
兵庫県 | サンテレビ | ○1990年に打ち切られたが1991年再開[4] | |
広島県 | 広島ホームテレビ | テレビ朝日系列 | ◎1983年6月打ち切り[6] |
香川県 岡山県 |
瀬戸内海放送 | ◎ | |
福岡県 | 九州朝日放送 | ◎ | |
長崎県 | 長崎文化放送 | ◎1990年4月開局から | |
熊本県 | 熊本朝日放送 | ◎1989年10月開局から | |
大分県 | 大分放送 | TBS系列 | ○途中打ち切り[7] |
宮崎県 | 宮崎放送 | ◎途中打ち切り | |
鹿児島県 | 鹿児島放送 | テレビ朝日系列 | ◎1982年10月開局から |
ネット局に関する備考
- 関西地区での独占!女の60分は、朝日放送ではなく近畿放送(KBS京都)、サンテレビ、テレビ和歌山の独立UHF3局で放送されていたが、時間帯移動に伴い近畿放送(KBS京都)・サンテレビ・テレビ和歌山では1992年3月を以ってシリーズの放送打ち切りを余儀なくされた。
- KBS京都では同時ネットだった頃は編成の都合上、5分前で終了していた( - 1987年)。後に競馬中継(土曜日/12:35 - 16:30)の関係上別時間帯(土曜日19:00 - )で一周遅れの時差放送になった。その後放送時間は土曜日の18:30 - →17:55 - →日曜日19:00 - と何回か変更しており、1回だけ日曜日の朝10:00 - 放送したこともあった。
- サンテレビでも同様に、番組途中にも関わらず「また来週…」というテロップが入り、飛び降り。12:55 - 「SUN-TVニュース」を放送した。また、1986年からは放送時間が競馬中継終了後の16:30 - の当日時差放送となり飛び降りは解消した。その後、一旦打ち切られたものの末期には火曜日深夜0:20 - 放送再開。野球中継が大幅に伸び(サンテレビでは試合終了まで放送、以降の番組繰り下げ)深夜3時に放送されたこともあった。
- 名古屋テレビでも、番組終盤の(まだレポートをしている)途中に”また来週”のテロップが入り、突然番組を終了していた。
- テーマ曲は渡辺宙明が作曲を担当した。番組初期から中期までは、エンディングのスタッフロールに「(音楽)渡辺宙明」とクレジットがあった。
- オープニングのタイトルバックは局によって全く違い、基本的には「独占!女の60分」のロゴとその下に独占のハートマークが付くものを採用している局が殆どだったが、KBS京都では手書きの見難いもので、サンテレビではタイトルバックが無かった。
脚注
関連項目
- お昼の独占!女の60分 - 後継番組。
- 渡辺宙明 - 番組のテーマ曲を作曲。
- 西部警察 - 地方ロケ編が放送される前日にロケ現場の舞台裏をよく取り上げていた。
- 独占!ももクノ60分 - ももいろクローバーZの行うライブシリーズの1つ。本番組のタイトルロゴを模したグッズも販売されている。
- ↑ ただし、『お昼の独占!女の60分』は当時日本テレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局だった山形放送で時差ネットで放送された。また、山形テレビは1993年4月からテレビ朝日系列にネットチェンジした。
- ↑ 中断と再開を繰り返していた。
- ↑ 1987年より放送時間が19:00 - に変更してからは、野球中継や特番で年間15回ほどしか放送されなかった。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 ただし、『お昼の独占!女の60分』については朝日放送で同時ネットで放送され、本番組が未ネットだった大阪府・奈良県・滋賀県でも放送された。
- ↑ 夏は高校野球中継のため放送中止
- ↑ 自社制作番組「独占!ひろしま60分」(本番組のフォーマットによるローカル版企画ネット番組)開始のため打ち切り。
- ↑ ただし、『お昼の独占!女の60分』については当時フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列のトリプルネット局だったテレビ大分で同時ネットで放送された。