安彦良和

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テンプレート:Sidebar with collapsible lists 安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年12月9日 - )は、日本アニメーターキャラクターデザイナー漫画家イラストレーター小説家北海道遠軽町出身。神戸芸術工科大学メディア表現学科教授。「安彦良和」は本名。

経歴

1947年北海道遠軽町生まれ。北海道遠軽高等学校の2学年下に湖川友謙がいたが、当時は面識がなかった。

学生運動

1966年、北海道遠軽高等学校卒業、弘前大学人文学部西洋史学科に入学。1968年、ベトナム戦争に反対する学生団体「ベトナムの平和を守る会」を結成し、リーダーとして学内外で反戦運動を展開。教師を志望していたが、学生運動参加が原因で1970年弘前大学から除籍処分を受ける[1]。マッチ屋でのアルバイトでマッチラベルを描いていた。その後、上京した当初は写植屋に勤めていたが、目にした虫プロの求人に子供の頃に漫画家になりたかった事を思い出し応募した。

アニメーター時代

1970年に旧虫プロダクション虫プロ養成所の2期生として入社。『さすらいの太陽』、『新ムーミン』、『ワンサくん』などにアニメーターとして制作に関わった。

1973年虫プロの倒産と共に、オフィス・アカデミーサンライズの前身の創映社に移る。オフィスアカデミーでは、『宇宙戦艦ヤマト』の絵コンテ、創映社(日本サンライズ)では『勇者ライディーン』、『ゼロテスター』(1973年-1974年)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』などのロボット、SF作品、『ろぼっ子ビートン』『わんぱく大昔クムクム』といったファンタジー、ギャグ作品などに携わる。

その後、創映社が日本サンライズになり制作された『無敵超人ザンボット3』ではキャラクターデザイン、『機動戦士ガンダム』ではキャラクターデザインおよび作画ディレクターを務めた。なお、『機動戦士ガンダム』ではテレビシリーズ制作中に病気のため後半外れることとなった。

漫画家時代

1979年に『リュウ』誌(徳間書店)に『アリオン』を発表し漫画家デビュー。1986年には劇場用アニメ『アリオン』を自ら監督。数年間アニメと漫画の二足のわらじをはいていたが、1989年に『ヴイナス戦記』を監督した以降は専業漫画家になる。

アニメ業界をやめた理由は二つあり、一つは『風の谷のナウシカ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見て、そのクオリティの高さにとても敵わないと思ったこと。もう一つは自ら監督した『巨神ゴーグ』を演出的に盛り上げられず、能力の限界を感じたためであるという[2][3]。その後も、キャラクターデザイナーとしていくつかのアニメに参加。イラストや小説も手掛ける。

1982年に『アニメージュ』に連載したエッセイ「月づきの雑記帳」の中で、当時その内容をめぐって議論を呼んでいた東映動画の劇場アニメ『FUTURE WAR 198X年』について批判的な意見を記した。これに対する読者からの反応の多くが、安彦の主張を確認した上でそれが正しいかどうかは自分で考えてみるという「真摯なもの」であることが嬉しかったと連載の最終回で記している[4]。また、安彦は「事が政治というようなことになると、どうしても自分の30‥年の人生、その中での政治体験というようなものが、発言の中身にならざるを得ない。そういう発言は(中略)若い人たち(読者の方たち)に向けたものとしてはついつい高飛車なモノいいになってしまう」とも記している[4]

アニメーター時代に主要スタッフとして関わった作品『機動戦士ガンダム』をコミカライズした『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を、ガンダム専門の月刊誌『ガンダムエース』に2001年6月号から2011年8月号まで連載した。

2006年:神戸芸術工科大学メディア表現学科教授に就任。

2012年3月、北海道新聞夕刊において、自らの半生について語った「私のなかの歴史」を連載[5]

2013年11月11日から12月28日まで中日新聞東京新聞夕刊などで連載されている自身の半生やエピソードを綴るコラム「この道」を執筆。

作風

漫画作品には、歴史や神話を題材としたものが多い。『王道の狗』、『天の血脈』、『虹色のトロツキー』のように近現代史を舞台として、実在の人物を実名で登場させた作品もある[6]。雑誌連載のほかに、イエス・キリストジャンヌ・ダルクを題材に全ページ彩色した漫画を描き下ろしで発表している。

本人曰く筆圧が高いので、ペンではなく削用筆を使って作画を行なっている。『THE ORIGIN』では作品の性格上から一部にCG処理も導入されているものの、数々のイラストレーターの作画が急速にコンピューター化されていく中、独特のタッチとアナログで力強い彩色を行なう。その卓越した画力は、画家ピエール=オーギュスト・ルノワールリトグラフ制作者を驚嘆せしめた。漫画作品の多くは、政治劇を中心とした骨太のストーリーテリングで人気を得ている。

劇画は嫌いだが、手塚治虫の画風も駄目だと考えており、永井豪の画風が近いと述べており、劇画調の『科学忍者隊ガッチャマン』や『ゼロテスター』は苦手であった[7]

S字型に腰を前方突出させた立ち姿を描き、その独特の色気のある立ち姿は、ファンから「やすひ腰」「安彦立ち」(主に「ガワラ立ち」、「カトキ立ち」との対比で呼ばれる)と親しまれているが、本人曰く「虫プロ在籍時代に習った」とのこと。

受賞歴

作品リスト

漫画作品

中公文庫コミック版で、多く再刊されている。

小説

  • 『シアトル喧嘩エレジー』徳間書店、1980  
  • 『蒼い人の伝説―ルウは風の中で』カドカワノベルズ、1988 のち文庫 
  • 『鋼馬章伝(ドルーしょうでん)』全5巻 カドカワノベルズ徳間デュアル文庫
    • ボナベナの騎士 鋼馬章伝I 1988
    • ザオの騎士王 鋼馬章伝II 1988 
    • ガンゴトリの疾風(かぜ) 鋼馬章伝III 1989 
    • ノルブの光輪 鋼馬章伝IV 1990 
    • クルガンの竜 鋼馬章伝V 1990 
    • 伝説の鋼馬(ドルー) 鋼馬章伝後章 - ファンタジー王国II(カドカワノベルズ) 所収
  • テングリ大戦 全4巻 カドカワノベルズ
  • 聖王子ククルカン

対談集

『安彦良和対談集 アニメ・マンガ・戦争』 角川書店、2005

アニメーション作品

監督作品

デザイン


作画・演出スタッフとして参加の作品

カバーイラスト・挿絵

その他

その他

プロ野球では広島東洋カープのファンでアンチ巨人[11]

弟子

アニメーターとしての弟子の一人に板野一郎がある。

脚注

  1. この時代の学生運動を描いた山本直樹の漫画『レッド』の登場人物・安田は安彦がモデルとされている。
  2. 『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン G20』☆Vol.4 特集:安彦良和-アニメの終わりと物語の始まり(エンターブレイン、2005年)
  3. そもそもアニメ業界に入ったきっかけというのも「絵を描くだけでとりあえずは食える」というものだった『ガンダム者』(講談社、2002年)
  4. 4.0 4.1 『アニメージュ』1982年12月号、徳間書店、p144 - 145。
  5. 北海道新聞』2012年3月5日付夕刊
  6. 登場人物には、李香蘭(大鷹淑子)のように存命の人物も含まれる。
  7. 『動画王』vol.7 キネマ旬報社、1998年、162-183頁
  8. 西崎義展プロデューサーのブレインとして、白色彗星や新造戦艦等のアイディアを提出している。これらは会議の席上では西崎義展名義で発表された。(「松本零士・初期SF作品集 限定版BOX」のインタビューより)
  9. 西崎義展プロデューサーの指名で巨大戦艦出現からヤマト特攻までの一連の原画を担当。作画監督には「一切修正を加えるな」との厳命が下された。(「アニメ大好き!~ヤマトからガンダムへ~」での氷川竜介(中谷達也名義)の解説による)
  10. 西崎義展プロデューサーの依頼によって、脚本陣とともにテレビ用の構成と設定の変更を行ったとのこと。(「松本零士・初期SF作品集 限定版BOX」のインタビューより)
  11. 『アニメージュ』1982年11月号、徳間書店、p148 - 149

参考文献

外部リンク

テンプレート:ガンダムシリーズ