天野ひろゆき

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テンプレート:Infobox お笑い芸人 天野 ひろゆき(あまの ひろゆき、1970年3月24日 - )は、日本のお笑い芸人俳優声優司会者映画監督映画評論家。お笑いコンビ「キャイテンプレート:〜ン」のツッコミおよびネタ作り担当。相方はウド鈴木。本名、天野 博之(読み同じ)。愛称は天野っち(アマノッチ)。

愛知県岡崎市出身。浅井企画所属。岡崎市立南中学校愛知教育大学附属高等学校日本大学国際関係学部国際文化学科(現・国際教養学科)卒。

人物・来歴

来歴

  • 1991年に事務所の先輩・ウド鈴木(年齢と学校の学年は同じ)とともにキャイテンプレート:〜ンを結成。
  • 1995年、ニッポン放送ラジオ番組『[[キャイ〜ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!|キャイテンプレート:〜ン天野ひろゆきのMEGAうま!ラジオバーガー!!]]』でコンビを離れての初の単独レギュラー出演。
  • 映画監督としての一面もあり、2001年に『B5』でデビューし、2009年現在3作品を撮っている(詳しくは後述)。
  • 2003年7月、TBS元カレ』でテレビドラマ初出演。
  • 2003年に、ミュージカル『天使は瞳を閉じて』に出演。そのテーマソングを杏里とのデュエットでCDシングルとして発売。
  • 2014年2月22日、フリーアナウンサーの荒井千里と結婚したことを同日公表[1]

人物

エピソード

  • 高校時代は皆勤賞。大学進学は東京進出を希望し日本大学に指定校推薦で合格したが、よく調べもしないで希望した国際関係学部は三島市にあった。仕方なく都心へ小田急線一本でいける小田原市内に住んだ。
  • お笑い芸人になろうと思い、沼津市内の書店でタレント名鑑を立ち読みし、所属している浅井企画へとりあえず電話したところ即OKをもらった。
  • 萩本欽一には「お前売れない。ウドはいいけど」と言われ、その言葉に対抗すべく努力したという。
  • 3年B組金八先生』シリーズで直江喜一が演じる加藤優が好きで、1995年には第4シリーズの生徒役のオーディションを実際に受けたが落選している。[3]
  • 学生時代は学業が優秀で、成績は常に学内では平均以上であった。
  • キャイ〜ン結成前に『コンビ解消』という名のコンビを組んでいた。そのときの元相方とは今でも親交があり、ウドが『100%キャイ〜ン!』で天野の携帯電話アドレス帳メモリー100件を暗記したとき、その100件の中に登録されていた。また『クイズモンスター』(NHK総合)にゲスト出演したときには、チームメンバーの一人として呼んだこともある。
  • アイドル水泳大会』に出演したときも「俺はこんなことをするために芸人になったんじゃない!」とマネージャーに怒った。ちなみに一緒に出ていた相方ウドは「俺はこういうことがしたかった」という顔で騎馬戦の馬役などを生き生きとやっていた。(番組・書籍等で本人が語ったエピソードだが放送局・番組名は明かしていない。)[4][5]
  • デビュー当時、自分が「芸人」ということにこだわりがあり、アイドルのようにキャーキャー言われる吉本印天然素材メンバーやよゐこが嫌いだった(本人談)。しかし、よゐこの有野晋哉が楽屋で漫画『ドラえもん のび太の海底鬼岩城』を真剣に読んでいるのを見て「いい奴かも」と思ったのがきっかけで、よゐこと仲良くなる。また天然素材メンバーだったナインティナインとも、何度も共演することで仲良くなっていった。
  • 1997年1月、テレビ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』(以下『ウリナリ』)において南原清隆、ビビアン・スーと音楽ユニット「ブラックビスケッツ」を結成(『ウリナリ』終了後はユニットは活動停止中ではあるが、ビビアンが来日した際には千秋や相方・ウド鈴木を誘い食事に誘うなど、現在でも交流は続いている。)
  • もともとは声優を目指していたが断念。しかし、『ウリナリ』にて『ウリナリ声優部』の部長になり、『金曜ロードショー』では『マーヴェリック』の吹き替えで声優デビューを果たした。しかし後に、学校の先生がやたら通知表に「天野君は声がいい!」と書くので「声優になりたい」と言っていただけで、実はそんなになりたいわけではなかったと発言している[6]

(下記「出演」 - 「アニメなど」欄参照)。

  • 眼鏡に関するエピソード
    • コンビを結成した最初の頃は眼鏡を掛けておらず、顔に特徴をつけるため眼鏡を付けるようになった。視力は実際に悪く、黒ぶち眼鏡になった後も1998年までは眼鏡にレンズが入っていたが、現在はレンズが入っていない伊達眼鏡をかけている。レンズをはずした理由は、写真撮影の際にレンズが光を反射したために撮り直しになるのが面倒だから。[7]
    • 自分の伊達眼鏡を自分でネタにしていたり、他人にネタにされたりしている。
    • 2007年6月頃、1996年末頃から使用していたメガネをついに変更した。本人はメガネドレッサー賞を狙うためと言っている。しかし案外評判がいいので、新しいメガネの方もレンズをはずしている。
  • 顔立ちがハリセンボン近藤春菜と似ており、近藤が間違われるとつっこむ一人である。
    • 伊達眼鏡に変えた後はコンタクトレンズを使用していたが、レーシックを受けたことを明かした。視力は0.06から1.5に回復しているとのこと。[8]
    • メガネを外した時の顔が新垣仁絵 (SPEED) 似であることをネタにしていた時代があった。[9]
  • 料理に関するエピソード
  • 聖飢魔IIのデビュー時の構成メンバー・ジェイル大橋は、自身の卒業した高校の先輩であることが判明した。
  • 自身のブログ「amablo」にコメントをくれるファンの名称を同ブログで募集し、候補から投票を募った結果「天党(あまとう)」に決定した。
  • 2011年12月に行われたTHE MANZAI 2011では審査員を務めた。以後、ABCお笑いグランプリR-1ぐらんぷりなどの全国的なお笑い賞レースの審査員を務めている。ちなみにTHE MANZAIでは、唯一天野だけが最終決戦を含め、4回の審査すべてで勝利した組(ナイツHi-Hiパンクブーブー千鳥)に投票している。

出演

バラエティ・情報番組など

現在

過去

※ 天野単独のみ

ドラマ

ナレーション

アニメなど

吹き替え

ラジオ

CM

その他

作品

映画(監督)

漫画

映画(出演)

書籍

単行本

  • ゲームでキャイ〜ン (1999年08月、二見書房) ISBN 978-4576991498
  • 天才シェフ!?アマノッチのダジャレDEクッキング(2006年3月、講談社)ISBN 978-4062133463
  • キャイ〜ン天野ひろゆきのとっておきオレシピ(2010年8月、INFASパブリケーションズ)ISBN 978-4904843093
  • な〜に、ウドちゃん? (2011年11月25日、マイナビ新書)ISBN 978-4-8399-4038-6

雑誌連載

  • 天職(あましょく)(講談社『週刊ヤングマガジン』、連載終了) - 仕事を持って輝いている女性を毎回ゲストに呼び、その職業について対談をするコーナー。最終回には職業「芸能人」として小池栄子をゲストに呼んで、カラーページで最後を飾った。
  • ダジャレdeクッキング(講談社『TOKYO★1週間』、連載終了)- 「はなまるマーケット」火曜日の「天才シェフ!?アマノッチのリストランテ食べてみ亭」で天野自らが作った創作料理を紹介するコーナー。2006年2月28日、雑誌連載の内容をまとめた本が発売された。※発売日には相方ウドが「食べてみ亭」にゲスト出演した。
  • MAGA-1 グランプリ(講談社『週刊少年マガジン』、連載終了) - 『マガジン』50周年特別企画。毎回ゲストを呼び天野と漫画について対談するコーナー。
  • アマんが道(講談社『週刊少年マガジン』、連載終了) - 天野が原作者として週間少年マガジンに読み切り漫画掲載決定までを追うコーナー。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク


テンプレート:キャイ〜ン

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  1. テンプレート:Cite news
  2. キャイ〜ンのクダラン♪(2010年7月25日放送分)にて発言
  3. 「amablo」(2012年3月10日掲載)より
  4. ごきげんよう(2010年8月23日放送「デビュー20周年トリオフェア」)より
  5. 書籍「な〜に、ウドちゃん?」 (2011年11月25日、マイナビ新書)ISBN 978-4-8399-4038-6
  6. 1999年1月放送 さんま・所のオシャベリの殿堂(秘)仰天豪華版にて発言
  7. キャイ〜ンのクダラン♪(2011年2月6日放送分)他にて発言
  8. 2007年10月21日放送分『行列のできる法律相談所』にて
  9. これがキャイ〜ンだろ!?踊る!さんま御殿!!MUSIX!など
  10. 「amablo」(2012年8月31日掲載)より