丸の内
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丸の内(まるのうち)は、東京都千代田区の町。丸の内一丁目から丸の内三丁目がある。人口は、2人[1]。郵便番号は、100-0005。
概要
皇居外苑と東京駅に挟まれた地区で、東京駅を中心に、北に隣接する大手町と共にオフィス街として発展している。丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング、三菱東京UFJ銀行本店ビル、郵船ビルなどの大手銀行や大企業のビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっている。歴史的な経緯から三菱グループの本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれる。
丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定されている。帝国劇場もこの地区にある。1991年に新宿区西新宿2丁目に移転するまで東京都庁もこの地区にあった。
昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴で、平日の昼間はサラリーマンでにぎわうが、夜間や休日は東京駅周辺以外は行き交う人も疎らで閑散としている。サラリーマン関係のニュースが報道される際、東京駅丸の内北口から多くのサラリーマンが歩いているニュース映像が流れることが多い。朝の気象情報では東京駅近辺の映像が流れるが、これは豊田通商丸の内ビルから撮影しているものである。
西側の新宿副都心の台頭から、1997年8月3日に「漂流するオフィスビル超1等地-黄昏の街、丸の内」という特集が日本経済新聞夕刊9面[2]で報じられるなど、盛んに地盤沈下が指摘されたが、2000年代に入ってからは丸の内ビルディングなど老朽化したビルの建て替えや、地区の中心を通る丸の内仲通りに高級ブランド・ショップや飲食店を誘致するなど三菱地所主導の再開発で盛り返している。
無料巡回バスである丸の内シャトルが本地区を中心に、大手町地区から有楽町地区までの範囲を周回している。
地理
西は千代田区皇居外苑、北は同区大手町、南は同区有楽町・日比谷、東は中央区(銀座・八重洲)との境界にあたる。 大手町・有楽町と合わせて「大丸有(だいまるゆう)エリア」と呼ばれることもある。
歴史
徳川家康が1590年に江戸城を居所とする前は、東京湾の一部で日比谷入江と呼ばれていた。1592年からこの入り江が埋め立てられて江戸城が拡張された。新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。親藩や譜代大名の藩邸が24あったため「大名小路」とも呼ばれた。南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれた。
明治維新後に武家屋敷は取り壊されて官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などになった。陸軍兵営が移転した後の1890年、三菱の2代目当主・岩崎弥之助に150万円で払い下げられた。当時の丸の内は草の生い茂る原野と化しており、三菱ヶ原と呼ばれた。1894年に丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が竣工、これを皮切りにロンドンのロンバード街に倣った赤煉瓦街が建設され、一丁倫敦(いっちょうろんどん)といわれるようになった。三菱の手でオフィス街が築かれたこの地区は、現在に至るも三菱グループ各社の本社や三菱地所所有のオフィスビルが集中する。
三菱一号館の竣工と同じ1894年、高知藩屋敷跡地に東京府庁舎(のちの東京都庁舎)が完成した。1914年に三河吉田藩・信濃松本藩の屋敷跡地が東京駅となり、以降1923年に丸ビルが完成するなど、ビジネス街として急速に発展した。1959年からの三菱地所による「丸ノ内総合改造計画」により煉瓦街は急速に建て替えられ、1970年代前半には建物の高さ(100尺・約30m)の揃った近代的なビルが整然と立ち並ぶ街に生まれ変わった。1974年の三菱重工爆破事件ではテロの標的ともなった。
1991年に東京都庁舎は新宿副都心に移転し、跡地は1997年に東京国際フォーラムや豊田通商東京本社(旧・東京都庁第三庁舎)となった。2005年から東京国際フォーラムを中心に開催されているラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭は、ゴールデンウィークの一大イベントとなりつつある。
2000年代に入って丸の内の再開発が急速に進み、2002年8月に竣工した丸の内ビルディングは開業から4か月足らずで入場者数が200万人を突破するなど、一躍観光スポットとなった。その後も2004年9月14日に日本国有鉄道(国鉄)本社跡地、JTB本社跡地、東京中央ビルヂングの跡地に丸の内オアゾが、その3日後の9月17日に重要文化財の明治生命館を保存しつつ周囲を再開発した明治安田生命ビル(丸の内MY PLAZA)が、さらに2007年4月27日には新丸の内ビルディングがオープンした。2009年4月30日、丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が解体から41年を経て三菱一号館美術館の建物としてレプリカ再建された。
沿革
- 1878年11月2日 - 東京府麹町区の一部となる。
- 1889年5月1日 - 東京府東京市麹町区の一部となる。
- 1943年7月1日 - 東京都麹町区の一部となる。
- 1947年3月15日 - 東京都千代田区の一部となる。
- 1970年1月1日 - 住居表示を実施する[3]。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ各町名ともその一部) |
---|---|---|
丸の内一丁目 | 1970年1月1日 | 丸ノ内一丁目(全域)、丸ノ内二丁目 |
丸の内二丁目 | 丸ノ内二丁目 | |
丸の内三丁目 | 丸ノ内三丁目(全域) |
地域
企業
- 出光興産 - 本社所在地
- AIU保険会社 - 東京本店
- 東京會舘 - 本社所在地
- 東京商工会議所 - 事務局所在地
- 豊田通商 - 東京本社
- 三菱グループ各社本社・本店
- 日新製鋼-新国際ビル
- 古河グループ各社本社
- 三井住友銀行
- 三井住友フィナンシャルグループ
- 日本生命保険 - 東京本部
- 野村総合研究所 - 本社所在地
- バイエル ホールディング - 本社所在地
- 日立製作所 - 本店所在地
- ゆうちょ銀行 - 本店所在地(本社は霞が関)
- カルビー - 本社所在地
観光
名所・旧跡・商業施設
- 東京駅丸の内駅舎(重要文化財)
- 東京ステーションホテル
- 東京ステーションギャラリー
- 新丸の内ビルディング
- 帝国劇場
- ディーン・アンド・デルーカ
- 東京国際フォーラム
- TOKIA(東京ビルディング)
- フォーシーズンズホテル丸の内東京(パシフィックセンチュリープレイス丸の内内)
- パレスホテル東京
- 出光美術館
- 丸善 - 丸の内本店
- 丸の内オアゾ
- 丸の内ビルディング
- 明治生命館(重要文化財)
- 三菱一号館美術館(丸の内ブリックスクエア内)
- 丸ノ内ホテル
- 有楽町インフォス(ビックカメラ有楽町店テレビ館、無印良品有楽町店、コメ兵有楽町店)
- JPタワー
交通
- 都営地下鉄 大手町駅(I 三田線)
- 東京地下鉄(東京メトロ) 大手町駅(M 丸ノ内線、T 東西線、C 千代田線、Z 半蔵門線) - 出入口が設けられている。(所在地:大手町)
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)東京駅(テンプレート:Color中央線、テンプレート:Color京浜東北線、テンプレート:Color山手線、テンプレート:Color東海道線、テンプレート:Color京葉線、テンプレート:Color横須賀線、テンプレート:Color総武快速線、15px 東北・山形・秋田・上越・長野新幹線)
- 東海旅客鉄道(JR東海)東京駅(15px 東海道・山陽新幹線)
- 東京地下鉄 東京駅(M 丸ノ内線)
- 東京地下鉄 二重橋前駅(C 千代田線)
- 都営地下鉄 日比谷駅(I 三田線) - 出入口が設けられている。(所在地:有楽町)
- 東京地下鉄 有楽町駅(Y 有楽町線) - 出入口が設けられている。(所在地:有楽町)
- 都営バスS-1 東京駅丸の内 北口
- 都営バス東20 東京駅丸の内 北口
- 都営バス東20乙 東京駅丸の内 北口 - 平日のみの運行
- 都営バス東22 東京駅丸の内 北口
- 都営バス東43 大手町/東京駅丸の内 北口
- 都営バス都04 東京国際フォーラム前/東京駅丸の内 南口
- 都営バス都05 東京国際フォーラム前/東京駅丸の内 南口
- 都営バス東98 馬場先門/東京国際フォ ーラム前/東京駅丸の内 南口
- 東急バス東98 馬場先門/東京国際フォーラム前/東京駅南口
- はとバス 東京駅丸の内 南口
- 丸の内シャトル 新丸ビル/郵船ビル/丸の内マイプラザ/東京會舘/新国際ビル/三菱ビル
- スカイバス東京
- 内堀通り
- 東京都道404号皇居前東京停車場線(行幸通り)
- 日比谷通り
- 丸の内仲通り
首都高速道路・出入口
脚注
外部リンク
テンプレート:千代田区の町名 テンプレート:東京23区の地域 テンプレート:大手町・丸の内・有楽町高層ビル群
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