中村吉右衛門 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Mboxテンプレート:歌舞伎役者

二代目中村吉右衛門(にだいめ なかむら きちえもん、1944年昭和19年)5月22日 - )は俳優、歌舞伎役者。屋号播磨屋定紋揚羽蝶、替紋は村山片喰

人物

1944年昭和19年)5月22日東京都千代田区出身。暁星高等学校卒業。早稲田大学第一文学部仏文学科中退。

堂々たる体躯、陰影に富む演技をもって歌舞伎立役の第一人者として活躍。義太夫狂言時代物世話物から新歌舞伎喜劇にいたるまで全てのジャンルで高い評価を得ている。

特に、後述するように、『勧進帳』や『義経千本桜』などでの武蔵坊弁慶役が十八番で、1986年NHK新大型時代劇武蔵坊弁慶』でも、主人公・弁慶役を演じた。また、テレビでの当たり役、フジテレビ時代劇シリーズ『鬼平犯科帳』で演じた主役・鬼平こと長谷川平蔵役の成功によって、お茶の間でもお馴染みの顔となった。

絵画やスケッチを描くのが上手く、画集を出版したほか、画廊で個展も開いている。加えて、クイズ番組等では博学ぶりを発揮している。

出生名は「藤間久信」だったが、「波野久信」その後「波野辰次郎(初代の本名と同じ名)」へと改名した。

いまや春の恒例行事となっている四国金丸座こんぴら歌舞伎大芝居復活に深い関わりをもつ。吉右衛門は第一回目に出演し、演出・脚本も担当した。(プロデューサー的な役割は澤村藤十郎が担当)その様子はNHK特集『再現!こんぴら大芝居』として1985年7月19日に放送された。(2006年2月4日にNHKアーカイブスとして再放送)

歌舞伎作者としての筆名は、松 貫四(まつ かんし)。これは祖先にあたる人形浄瑠璃作者・松 貫四(初代)名跡を踏襲したものである。

また、関西学院大学客員教授を務めており、日本芸術院会員にも推薦され、就任している。

2011年平成23年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された(認定の官報告示は同年9月5日付け)。

来歴

五代目市川染五郎(後の八代目松本幸四郎)の次男に生まれる。

母・正子は初代中村吉右衛門の一人娘。兄は当代の九代目松本幸四郎

初代吉右衛門は一人娘の正子に婿養子を取ろうと考えており、なかなか嫁に行くことを許さなかったが、いよいよ結婚する際、正子は「男子を二人は産んで、そのうちの一人に吉右衛門の名を継がせます」と約束した。その通り二人の男の子が生まれ、約束に基づき、次男の久信は初代吉右衛門の養子となった。

1948年(昭和23年)、中村萬之助を名乗って初舞台。この芸名は吉右衛門の祖先・萬屋吉右衛門にちなんだものだった。吉右衛門は、孫である萬之助を「坊」と呼び、目に入れても痛くないほど可愛がったが、こと芝居となるとその性格は一変し、非常に厳しい師匠になり、ヤンチャな萬之助を一喝することもしばしばだったという。

1954年(昭和29年)、養父・初代吉右衛門が死去。翌年萬之助は『山姥』の怪童丸の演技で毎日演劇賞を受賞。天才俳優として注目される一方、思春期の頃は、実の母が戸籍上は姉にあたるという複雑さなどから自己確立に悩む日々だったという。

1961年(昭和36年)、実父と兄と共に、松竹から東宝に移籍。1966年(昭和41年)、二代目中村吉右衛門襲名した。

歌舞伎では外祖父の初代吉右衛門と祖父の七代目松本幸四郎の両者の当たり役を継承。時代物では『仮名手本忠臣蔵』の由良助、『勧進帳』『義経千本櫻』の弁慶平知盛、『菅原伝授手習鑑』の松王丸や武部源蔵、『平家女護島』「俊寛」の俊寛、『梶原平三誉石切』の梶原平三、『絵本太功記』の武智光秀、『松浦の太鼓』の松浦公、世話物では『籠釣瓶花街酔醒』(籠釣瓶)の佐野次郎左衛門、『天衣紛上野初花』(河内山)の河内山宗俊など。そのいずれもが口跡の良さと重厚な演技で存在感があるが特に時代物に本領を発揮する。また、新しい脚本の創作をはじめ1982年(昭和57年)には『勧善懲悪覗機関』(村井長庵)の復活上演を国立劇場小劇場で行っており、埋もれた作品の発掘にも力を入れている。

夫人との間に女児達に恵まれ、四女が五代目尾上菊之助の妻となる[1][2]が、男児はいない。しかし、「歌舞伎が子ども」と公言して『秀山祭』を精力的に開催するなどといった活動を続けている。

社会的活動

  • 文部科学省中央教育審議会委員(第4期)
  • 文化庁『次代を担う子どもの文化芸術体験事業』巡回公演事業ワークショップ「歌舞伎の世界で遊ぼう」「実際に舞台をみてみよう」(2006年~)全国の小学校を巡り、歌舞伎を身近で楽しく体験してもらうため活動している。構成・演出・出演・監修を担当、休憩時間には吉右衛門自らが筆を執り教師に隈取りを施すことも。

歌舞伎以外の舞台

父・兄らとともに東宝劇団に約10年間移籍しており、東宝劇団は歌舞伎をメインにしていたが、当然ながらそれ以外の舞台(ストレートプレイミュージカルなど)の出演機会もあった。

萬之助時代の1964年『さぶ』(原作:山本周五郎)で、兄演じる二枚目の主役・栄二に対し、朴訥なさぶを演じた(同じく兄弟共演で1968年1975年にも再演)。この時期は、歌舞伎以外の舞台公演や、またテレビドラマ映画にも進出。新派公演へも度々客演し、水谷八重子の相手役を多く勤めた。

吉右衛門襲名後の歌舞伎以外の舞台公演は『太宰治の生涯』、『風林火山』、『蜘蛛巣城』など。

テレビドラマ

テレビドラマでは『有間皇子』(1966)、『ながい坂』(1969/山本周五郎作品)、『右門捕物帖』(1969/全26回)などにそれぞれ主演。

1970年代以降も歌舞伎および、テレビなどで活躍。1980年からはテレビで、時代劇『斬り捨て御免!』に主演(82年まで3シリーズ製作)。

1986年にはNHK新大型時代劇武蔵坊弁慶』(全32回)で主役・弁慶を演じた。

1989年、池波正太郎原作『鬼平犯科帳』4度目のテレビドラマ化にあたっては、かねてより原作者から直々に出演依頼があったものの長い間固辞し続けていたが、実年齢が平蔵と同じになったこともあり満を持しての出演となった。火付盗賊改方長官・長谷川平蔵役として主演。同年から2001年まで毎年、9シリーズと数本のスペシャル版を製作、その後2001年のスペシャル版放映もあわせ、全138本の長期人気シリーズとなり、吉右衛門にとって鬼平役が文句なしの当たり役となった(実父である八代目幸四郎も、初代版鬼平犯科帳で長谷川平蔵を演じた。ちなみに池波は平蔵を描くにあたり八代目幸四郎の風貌をモデルとしたという逸話がある。また、吉右衛門も初代版では平蔵の息子、辰蔵を演じている)。

2003年にはテレビ『忠臣蔵~決断の時』で、長年のラヴコールに応えてテレビで初めて大石内蔵助を演じ、重厚な演技を見せた。なお、テレビ時代劇の『忠臣蔵』物では、1989年のテレビ東京12時間超ワイドドラマ大忠臣蔵』(原作:森村誠一「忠臣蔵」)で徳川綱豊を演じている(大石内蔵助役は実兄の幸四郎)。

「弁慶」、「鬼平」などのテレビ時代劇での活躍や、歌舞伎での充実した仕事ぶりにより、幅広い分野で活躍する兄・幸四郎に劣らぬ存在感を発揮している。

年譜

受賞歴

出演作品

歌舞伎

二代目吉右衛門の当たり役として知られるものは以下のとおり。

テレビドラマ

映画

バラエティ

博学ぶりを発揮し、黒柳徹子らレギュラー陣から「親分」と愛称される。

CM

創作作品

歌舞伎

松貫四という筆名で以下の歌舞伎台本を書いている。

  • 『再桜遇清水』(さいかいざくら みそめの きよみず)
  • 『昇龍哀別瀬戸内・藤戸』(のぼるりゅう わかれの せとうち・ふじと)
  • 『巴御前』(ともえ ごぜん)
    • 内容:舞踊劇
    • 初演:平成11年 (1999) 10月、琴平町金丸座
  • 『日向嶋景清』(ひにむかう しまの かげきよ)
  • 『閻魔と政頼』(えんまと せいらい)
    • 内容:能狂言の『政頼』を下敷きにした舞踊劇
    • 初演:平成19年 (2007) 6月、東京歌舞伎座、再演:平成20年(2008)4月、名古屋御園座

著書

作詞

  • ザ・マイクス『ランブリン・マン』作詞:波野久信(改名前の本名) 作曲:村井邦彦

写真集・関連書籍

  • 『中村吉右衛門』(1992年/用美社)稲越功一
  • 『播磨屋一九九二~二〇〇四 中村吉右衛門』(2004年/求龍堂)稲越功一
  • 『夫婦の階段』(1999年/日本放送出版協会)谷口桂子
  • 『“手”をめぐる四百字―文字は人なり、手は人生なり』(2007年/文化出版局)季刊「銀花」編集部
  • 『二代目 聞き書き 中村吉右衛門』(2009年/毎日新聞社)小玉祥子
  • 『名演名作選 初代 二代目 中村吉右衛門の芸 (小学館DVD BOOK―シリーズ歌舞伎名演名作選)』(2010年/小学館)朝田富次、中村吉右衛門事務所

出典

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite news