モナコグランプリ
テンプレート:Redirect4 テンプレート:Infobox F1 race
モナコグランプリ(モナコGP、テンプレート:Lang-en-short, テンプレート:Lang-fr-short)は、モナコ公国のモンテカルロ市街地コースで行われるF1世界選手権レースの一戦。
インディ500、ル・マン24時間レースと並び「世界3大レース」の1つに数えられ、F1およびモナコのシンボルともいえる名物レースとなっている。
概要
1929年に第1回大会を開催し、第二次世界大戦前後の中断(1938年 - 1947年、1949年)と、1950年代前半[1]を除き毎年開催されてきた。1950年のF1世界選手権発足時よりイギリスGP、イタリアGP、ベルギーGPと並んで同シリーズに組み込まれている。この内、同じコースで開催され続けているのはモナコGPのみである。
グランプリ期間中、普段は人口3万人の小国に、およそ20万人の観客が訪れる[2]。モナコ王室を始めとして、政財界の協力によって行われる国家的な観光イベントでもある。多くの観客を招き入れるため、キリスト昇天祭の祝日となる5月の2週目か3週目の木曜日に日程を合わせるのが慣わしである[3]。近年はF1カレンダーの過密化により、キリスト復活祭と一致しないこともあるが、木曜日からスケジュールが始まるという伝統は続いており、他のグランプリでは初日となる金曜日がモナコGPでは休息日となる。
レースの舞台となるのは、モナコのモンテカルロ区とラ・コンダミーヌ区の公道を閉鎖して造られた1周3,340mのモンテカルロ市街地コースである。現在のF1レースでは「305kmを超える最低の周回数」がレースの規定周回数・総走行距離として定められているが、このコースでは例外として、総走行距離が1968年から約260km(約78周。それまでは約318km(約100周))に減らされている。この約260kmという距離は、このコースをF1マシンで走行し続けるとこれぐらいの距離で2時間以内に収まるから、という理由で決められている[4]。コースの設営準備には6週間、レース後の撤去作業には2週間を要する[2]。
コース幅が非常に狭いためレース中の追い抜きは困難であり、他のコースに増して予選結果が重要視される。レース中はペースの遅いマシンの後方に数台が数珠繋ぎとなり、無理な追い抜きで接触する場面がよく見られる。ポールポジションを獲得したドライバーがそのまま優勝することが多く、2011年現在で24回ポール・トゥ・ウィンが達成されている。なお、1933年からグリッドの決め方がくじ引きから現在の方式である予選タイムの早い順に変更されたが、これもこのコースが追い抜き困難で不公平であるからという理由から来たものである。
伝統と華やかさに加え、高い技量と集中力を要する難コースであることから、「モナコGPの優勝は3勝分の価値がある[5]」といわれる。ここで際立って強いドライバーは「モナコ・マイスター」と賞賛されることがある。過去3勝以上を挙げたドライバーには、スターリング・モス(3勝)、グラハム・ヒル(5勝)、ジャッキー・スチュワート(3勝)、アラン・プロスト(4勝)、アイルトン・セナ(6勝)、ミハエル・シューマッハ(5勝)といった名手が名を連ねている。
ファン・マヌエル・ファンジオは出走4戦中2勝をあげ、4戦全てでポールポジションとファステストラップを記録している。一方、ジム・クラークは出走6戦中4回ポールポジションを獲得しながら、4位が最高で1勝もできなかった。
事故の起きやすい環境や、マシンにも過酷でメカニカルトラブルが発生しやすいことから、優勝候補がリタイアするなど波乱の展開が繰り広げられることもあり、意外なチームやドライバーが優勝することもある。過去9名のドライバーがこのコースでF1初優勝を遂げており、初優勝が出やすいコースでもある。
起源
モナコGPの主催者であるモナコ自動車クラブ (Automobile Club de Monaco,ACM) は、1890年にモナコ自転車クラブとして発足した。1925年に自動車クラブに改名し、国際自動車連盟 (FIA) の前身である国際自動車公認クラブ協会 (AIACR) に登録申請を行った。1911年よりラリー・モンテカルロを開催していたため、問題なく加盟できると考えていたが、ラリーで使用しているコースのほとんどは隣国のフランス国内で行われており、レース開催経験の無さを理由に申請を却下された。
ACM会長アレクサンドル・ノゲの息子アントニー・ノゲ (Anthony Noghès) は、モナコの街路を使用してレースを開催する計画を立てた。当時の公道レースはもっぱら郊外の田舎道で行われており、市街地でのレース運営は無謀に思われた。しかし、モナコ大公ルイ2世や、高級ホテル・カジノを経営するソシエテ・デ・バン・ド・メール社 (Société des bains de mer de Monaco,SBM) の理解を得て1929年の第1回開催にこぎつけ、モナコ自動車クラブはAIACRに加盟を認められた。功労者であるノゲの名は、英語読みの「アントニー・ノウズ」として最終コーナーの名称に残されている。
コースデザインにはモナコ出身のドライバールイ・シロンが協力した。シロンはインディ500出場を優先したため第1回大会は不参加だったが、第3回大会で優勝している。また、引退後は競技委員長を務め、シグナル式スタートが採用されるまでスタート/チェッカーフラッグを振った。シロンの名もプールサイドベントの入口のコーナーに残されている。
チェッカーフラッグに見られる現在の白黒市松模様は細かく指定されているが、1970年代以前のかつては今より荒い模様が使われていたことが過去のVTR映像で確認できる。シグナルも、現在はブラックアウト方式に改定された。
権威
上流階級の世界
通例では、各国のGP主催者はF1の商業管理団体であるフォーミュラワン・マネージメント (FOM) に莫大な開催権料を支払い、コースサイドの看板広告の収入もFOMに納めねばならない。モナコGPの主催者であるACMは、特例として開催権料を免除されている上に、看板広告収入も手にしている[2]。モナコGPは2007年まで、ヨーロッパで唯一たばこ広告規制のないレースであった。
高級リゾートという土地柄、富裕層の人々は高級ホテル・マンションのバルコニーや、港に停泊する豪華なクルーザーの甲板といった特等席からレースを観戦している。期間中、ホテルの宿泊料金は軒並み跳ね上がるが、予約の時点で満室になる。一般観戦者は近隣のニースやイタリア方面の街に宿をとり、フランス国鉄 (SNCF) に乗ってモナコ入りする。一番安い観戦ポイントは、最終コーナーを見下ろす断崖の立見席である。
モナコ公国は所得税非課税のタックスヘイブンとして知られる。外国人が居住するためには審査が必要となるが、F1ドライバーは名士として優遇されている。税金対策の他、治安が良い、プライバシーが守られる(有名人でも特別視されない)などの理由から、スイスと並んで居住地として人気があり、モナコGP期間中はマンションから「自宅通勤」する光景が見られる。2000年と2002年のウィナーであるデビッド・クルサードは、最高級ホテル「コロンバス・モンテカルロ」の共同経営者という副業を持っていた。
レースウィークの休息日となる金曜日にはモナコ大公主催のパーティが開かれ、ドライバーやチーム関係者をはじめ、世界中のセレブリティが参加する。また、モータースポーツシーズンの終了後には、FIA傘下の各カテゴリのチャンピオンを集めての表彰式がモナコで行われる(2011年はインドで開催)。
表彰式
モナコGPはモナコ王室が観覧する御前レースであり、かつては大公レーニエ3世と大公妃グレース・ケリーがオープンカーでパレード走行を行っていた。レース後の表彰式もロイヤルファミリーが出席するため、他のグランプリとは手順が大きく異なる。
- ホームストレートのスタート地点付近に2階建てのロイヤルボックスがあり、階下に表彰ステージが設けられている。
- レース終了後、4位以下はピットの車両保管所にマシンを止めるが、1~3位の3台はロイヤルボックスの前にマシンを停める。ドライバー3名はコースから階段を上って表彰ステージに立つ。
- ロイヤルファミリーの前に3名が並び、プレゼンターである大公(現在はアルベール2世)からトロフィーを受け取る。
- シャンパンは表彰ステージ上で開封してはいけない。シャンパンファイトはステージからコースに下りてから行い、ステージ方向へシャンパンを向けることは厳禁。
表彰台に関しては、大公よりも高い位置にドライバーが立つことが失礼であるとして、特別な台は設けず表彰ステージの最前列に、通常の表彰台と同じ配置でドライバーと優勝コンストラクター代表者が整列する。シャンパンに関しては、大公夫妻にシャンパンがかからないようにするため、大公の目の前での乱痴気騒ぎは失礼にあたるため、である。一国の元首から栄誉を称えられるというところも、このレースの優勝が価値あるものと見做されている理由の一つである。
1987年の優勝者アイルトン・セナは、事前にチーム側から上記の注意をされていたが、モナコ初優勝の喜びにそのことを忘れ、トロフィー授与終了直後にステージ上でシャンパンを開封した。さらに、背後に居たレーニエ3世らロイヤルファミリーに向かってシャンパンを引っ掛けてしまい、式典終了後に各方面からお叱りを受けた。
2009年の優勝者ジェンソン・バトンは手順を知らず、ウィニングラップ後ピットに戻ってしまった(後にマーシャルの誘導ミスと判明)。バトンは車両保管所でそのことを知らされ、ホームストレートを駆け足で表彰ステージに向かった。
過去のおもな出来事
- 1929年 - 初開催。ブガッティに乗るウィリアム・グローバー=ウィリアムズが優勝し、のちにサン・デボーテコーナーに彼の銅像が立てられた。
- テンプレート:F1 - F1世界選手権開幕2戦目として開催。1周目にブラインドコーナーで多重事故が発生したが、優勝したファン・マヌエル・ファンジオはコースサイドの群集の動きから危険を察知し、接触を回避した。
- 1952年 - スポーツカーレースとして開催。トンネルでの事故で負傷したルイジ・ファジオーリが入院中に死亡。
- テンプレート:F1 - アルベルト・アスカーリのマシンがシケイン付近で海中に転落したが、無事救助される。
- テンプレート:F1 - スターリング・モスがフェラーリの2台を振り切り、モナコ通算3勝目を達成。モスのレースキャリアにおいてベストレースのひとつにあげられる。
- テンプレート:F1 - グラハム・ヒルがモナコ初優勝。以後1964、1965、1968、1969年と5勝を獲得し、「ミスターモナコ」と呼ばれる。
- テンプレート:F1 - ポール・ホーキンスのマシンがアスカーリと同様にシケインから海に転落。
- テンプレート:F1 - ロレンツォ・バンディーニのマシンがシケインで炎上。バンディーニは火傷により3日後に死亡。
- テンプレート:F1 - 最終ラップの最終コーナーでジャック・ブラバムが痛恨のスピンを喫し、ヨッヘン・リントが大逆転優勝。
- テンプレート:F1 - 終盤に上位が次々脱落し、リカルド・パトレーゼがF1初優勝。
- テンプレート:F1 - 大雨により赤旗終了。ルーキーアイルトン・セナとステファン・ベロフの追走が注目される。
- 1988年 - トップ独走中のセナがポルティエコーナーで単独クラッシュ。
- テンプレート:F1 - タイヤ交換で後退したナイジェル・マンセルがセナを猛追し、モナコGP史に残るデッドヒートを展開。
- テンプレート:F1 - セナがモナコGP5連覇、並びにヒルの記録を塗り替えるモナコ通算6勝目を達成。
- 1994年 - 予選中、カール・ヴェンドリンガーがシケインのバリアに激突。一時意識不明となる。ミハエル・シューマッハが自身初のポールポジションからモナコGP初制覇。
- 1995年 フリー走行でマシンがストップしたために、井上隆智穂が乗車しながらロープで牽引されている最中、突然飛び出してきたオフィシャルカー(ジャン・ラニョッティがドライブしていた)に激突されマシンが横転した。その様子をモニターで見ていたミハエル・シューマッハは爆笑した。またそのミハエル・シューマッハのドライブによりルノーエンジンが念願のモナコ初制覇を達成した。
- 1996年 - 雨中の乱戦でオリビエ・パニスがF1初優勝。リジェに搭載された無限エンジンにとってもF1初優勝。
- 2004年 - ヤルノ・トゥルーリがF1初優勝。
- 2006年 - 予選中、ミハエル・シューマッハがラスカスに故意にマシンを停車し、後続のアタックを妨害したとして予選記録を無効とされる。
- 2007年 - ワンツーフィニッシュしたマクラーレンにチームオーダー疑惑発生。
- 2013年 - ニコ・ロズベルグが優勝し、父ケケ・ロズベルグが1983年に優勝してから30年越しで親子二代でのモナコ優勝を達成。
過去の結果
- F1世界選手権外として
年 | 決勝日 | 勝者 | 所属チーム | |
---|---|---|---|---|
1929 | 4月21日 | ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ | ブガッティ | 詳細 |
1930 | 4月20日 | レネ・ドリュフュス | ブガッティ | 詳細 |
1931 | 4月19日 | ルイ・シロン | ブガッティ | 詳細 |
1932 | 4月17日 | タツィオ・ヌヴォラーリ | アルファ・ロメオ | 詳細 |
1933 | 4月23日 | アキレ・ヴァルツィ | ブガッティ | 詳細 |
1934 | 4月2日 | ギ・モル | アルファ・ロメオ | 詳細 |
1935 | 4月22日 | ルイジ・ファジオーリ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1936 | 4月13日 | ルドルフ・カラツィオラ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1937 | 8月8日 | マンフレート・フォン・ブラウヒッシュ | メルセデス・ベンツ | 詳細 |
1948 | 5月16日 | ジュゼッペ・ファリーナ | マセラティ | 詳細 |
1952 | 6月2日 | ヴィットリオ・マルゾット | フェラーリ | 詳細 |
- F1世界選手権として
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | |
---|---|---|---|---|---|---|
1950 | 5月21日 | 2 | モンテカルロ | ファン・マヌエル・ファンジオ★■ | アルファ・ロメオ | 詳細 |
1955 | 5月22日 | 2 | モンテカルロ | モーリス・トランティニアン★ | フェラーリ | 詳細 |
1956 | 5月13日 | 2 | モンテカルロ | スターリング・モス | マセラティ | 詳細 |
1957 | 5月19日 | 2 | モンテカルロ | ファン・マヌエル・ファンジオ☆■ | マセラティ | 詳細 |
1958 | 5月18日 | 2 | モンテカルロ | モーリス・トランティニアン | クーパー | 詳細 |
1959 | 5月10日 | 1 | モンテカルロ | ジャック・ブラバム★☆ | クーパー | 詳細 |
1960 | 5月29日 | 2 | モンテカルロ | スターリング・モス■ | ロータス | 詳細 |
1961 | 5月14日 | 1 | モンテカルロ | スターリング・モス■ | ロータス | 詳細 |
1962 | 6月3日 | 2 | モンテカルロ | ブルース・マクラーレン | クーパー | 詳細 |
1963 | 5月26日 | 1 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1964 | 5月10日 | 1 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | BRM | 詳細 |
1965 | 5月30日 | 2 | モンテカルロ | グラハム・ヒル■ | BRM | 詳細 |
1966 | 5月22日 | 1 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート | BRM | 詳細 |
1967 | 5月7日 | 2 | モンテカルロ | デニス・ハルム★☆ | ブラバム | 詳細 |
1968 | 5月26日 | 3 | モンテカルロ | グラハム・ヒル☆■ | ロータス | 詳細 |
1969 | 5月18日 | 3 | モンテカルロ | グラハム・ヒル | ロータス | 詳細 |
1970 | 5月10日 | 3 | モンテカルロ | ヨッヘン・リント☆ | ロータス | 詳細 |
1971 | 5月23日 | 3 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート☆■ | ティレル | 詳細 |
1972 | 5月14日 | 4 | モンテカルロ | ジャン=ピエール・ベルトワーズ★ | BRM | 詳細 |
1973 | 6月3日 | 6 | モンテカルロ | ジャッキー・スチュワート☆■ | ティレル | 詳細 |
1974 | 5月26日 | 6 | モンテカルロ | ロニー・ピーターソン | ロータス | 詳細 |
1975 | 5月11日 | 5 | モンテカルロ | ニキ・ラウダ☆■ | フェラーリ | 詳細 |
1976 | 5月30日 | 6 | モンテカルロ | ニキ・ラウダ■ | フェラーリ | 詳細 |
1977 | 5月22日 | 6 | モンテカルロ | ジョディー・シェクター | ウルフ | 詳細 |
1978 | 5月7日 | 5 | モンテカルロ | パトリック・ドゥパイエ★ | ティレル | 詳細 |
1979 | 5月27日 | 7 | モンテカルロ | ジョディー・シェクター☆■ | フェラーリ | 詳細 |
1980 | 5月18日 | 6 | モンテカルロ | カルロス・ロイテマン | ウィリアムズ | 詳細 |
1981 | 5月31日 | 6 | モンテカルロ | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 詳細 |
1982 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | リカルド・パトレーゼ★ | ブラバム | 詳細 |
1983 | 5月15日 | 5 | モンテカルロ | ケケ・ロズベルグ | ウィリアムズ | 詳細 |
1984 | 6月3日 | 6 | モンテカルロ | アラン・プロスト■ | マクラーレン | 詳細 |
1985 | 5月19日 | 4 | モンテカルロ | アラン・プロスト☆ | マクラーレン | 詳細 |
1986 | 5月11日 | 4 | モンテカルロ | アラン・プロスト☆ | マクラーレン | 詳細 |
1987 | 5月31日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | ロータス | 詳細 |
1988 | 5月15日 | 3 | モンテカルロ | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1989 | 5月7日 | 3 | モンテカルロ | アイルトン・セナ■ | マクラーレン | 詳細 |
1990 | 5月27日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1991 | 5月12日 | 4 | モンテカルロ | アイルトン・セナ☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1992 | 5月31日 | 6 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1993 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1994 | 5月15日 | 4 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆■ | ベネトン | 詳細 |
1995 | 5月28日 | 5 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆ | ベネトン | 詳細 |
1996 | 5月19日 | 6 | モンテカルロ | オリビエ・パニス★ | リジェ | 詳細 |
1997 | 5月11日 | 5 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
1998 | 5月24日 | 6 | モンテカルロ | ミカ・ハッキネン☆■ | マクラーレン | 詳細 |
1999 | 5月16日 | 4 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2000 | 6月4日 | 7 | モンテカルロ | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2001 | 5月27日 | 7 | モンテカルロ | ミハエル・シューマッハ☆ | フェラーリ | 詳細 |
2002 | 5月26日 | 7 | モンテカルロ | デビッド・クルサード | マクラーレン | 詳細 |
2003 | 6月1日 | 7 | モンテカルロ | ファン・パブロ・モントーヤ | ウィリアムズ | 詳細 |
2004 | 5月23日 | 6 | モンテカルロ | ヤルノ・トゥルーリ★■ | ルノー | 詳細 |
2005 | 5月22日 | 6 | モンテカルロ | キミ・ライコネン■ | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 5月28日 | 7 | モンテカルロ | フェルナンド・アロンソ☆■ | ルノー | 詳細 |
2007 | 5月27日 | 5 | モンテカルロ | フェルナンド・アロンソ■ | マクラーレン | 詳細 |
2008 | 5月25日 | 6 | モンテカルロ | ルイス・ハミルトン☆ | マクラーレン | 詳細 |
2009 | 5月24日 | 6 | モンテカルロ | ジェンソン・バトン☆■ | ブラウンGP | 詳細 |
2010 | 5月16日 | 6 | モンテカルロ | マーク・ウェーバー■ | レッドブル | 詳細 |
2011 | 5月29日 | 6 | モンテカルロ | セバスチャン・ベッテル☆■ | レッドブル | 詳細 |
2012 | 5月27日 | 6 | モンテカルロ | マーク・ウェバー■ | レッドブル | 詳細 |
2013 | 5月26日 | 6 | モンテカルロ | ニコ・ロズベルグ■ | メルセデス | 詳細 |
2014 | 5月25日 | 6 | モンテカルロ | ニコ・ロズベルグ■ | メルセデス | 詳細 |
脚注
関連項目
- モータースポーツ
- F1選手権レースの一覧
- モンテカルロ市街地コース
- ラリー・モンテカルロ - WRC(世界ラリー選手権)開幕戦。1月開催。
- マカオグランプリ - 「東洋のモナコGP」と呼ばれる。
外部リンク
- Official Monaco Grand Prix F1(フランス語・英語)
- Automobile Club de Monaco(フランス語)
- ↑ 1951・1953・1954年は開催せず。1952年はF1ではなくスポーツカーレースとして開催。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 尾張正博 "F1ピットストップ「メルセデスのテストは違反行為か!?魔の金曜日にF1界騒然の事件発覚。」". Number Web.(2013年5月31日)2013年6月29日閲覧。
- ↑ 現在の競技規則では規定周回数に達するか、2時間を超えた最初の周でレースが成立する。
- ↑ テンプレート:Cite news