ホンダ・シティ
シティ(City)は、本田技研工業が生産・販売している小型自動車である。
主に日本国内で販売された初代、2代目の3ドアハッチバック等のコンパクトカーは、1993年で一度生産・販売を終了していたが、1996年に東南アジア地域向けに開発されたサブコンパクト4ドアセダンとして復活した。 国内向け初代では、商用モデルがシティプロ(City PRO)として発売された(本稿ではこれについても記述する)。
目次
日本および欧州向けハッチバック
初代 AA/VF型(1981-1986年)
- 1981年11月11日に発売開始。「トールボーイ」と呼ばれるユニークな背の高い[1]デザインを採用し、人気車種となった。
- 開発は発売3年前の1978年までにさかのぼる。当時ホンダでは小型乗用車でシビックを発売していたが、次第に大型化してきたことや地方ディーラーからの要望もあり(当時、ホンダは軽乗用車製造から撤退していたため)更に廉価な小型車の開発に至ったという。当時、背の高い車は自動車業界でタブー視されていたが、小型車の欠点である居住性を補う点から車高を高くしたという経緯がある[2]。
- 搭載されたエンジンは、COMBAX(COMPACT BLAZING-COMBUSTION AXIOM:高密度速炎燃焼原理)エンジンと名付けられた ER型 1.2L 直4 SOHC CVCCのみ。同時に商用バンとしてシティプロも発売された。乗車定員は「T」が2名で「F」が5名。
- 1982年8月25日に、低燃費仕様の「EI」を追加。クラストップの低燃費 21.0km/L(10モード)を実現。
- 1982年9月20日に、ターボチャージャー付きの「シティターボ」を追加。
- 現在の軽自動車よりも全長が短く[3]車重も軽い車でありながら、最高出力100PS/5,500rpmというスペックであり、そのルックスに加速とパワーが加わった事から当時の若者を中心に人気を博した。このエンジンには、ホンダ独自の高感度な電子燃料噴射装置「PGM-FI」が初めて採用されている(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社 107頁参照)。
- 1982年11月26日に、ハイルーフ仕様の「マンハッタンルーフ」を追加。
- オプションで「マンハッタンサウンド」[4]か、電動サンルーフが設定されていた。
- インタークーラーの追加により、最高出力は110PS/5,500rpmとなった。エンジン回転数が3,000rpm以下の時にアクセルを全開にすると10秒間だけ過給圧が10%アップする「スクランブルブースト」と呼ばれる機能も装備されていた。また、このモデルによるワンメイクレースは人気を集め、1/1タカラチョロQ号の参戦などでも話題となった。
- ピニンファリーナがスタイリングを手がけ、岐阜県の東洋工機(現・パジェロ製造) で生産されていた。日常の使用にも耐えうる実用的なデザインということもあり、マツダ・ロードスターが発売されるまで、国産乗用オープンカーの中でもトップクラスの販売台数だった。また、少量生産の特徴を生かし、当時としては非常に多い、12色ものボディーカラーが用意されていた。
- 1985年3月14日に、量産車で世界初のF.R.M.アルミコンロッドを採用した低燃費仕様の「E III」を追加。リッターカークラスでも上位の低燃費 24.0km/L(10モード)を実現。
- 1985年4月24日に、副変速機付4速MTの「ハイパーシフト」を追加。副変速機はハイ / ローの2段で、走行状況に応じて自動的に選択される。なお、この機構は2、3、4速で作動するため、4速トランスミッションでありながら、変速段数は7速となる。
- ヨーロッパでは1982年から1986年の間販売されたが、「CITY」の商標がすでにオペルに所有されていたため、Honda Jazzの名で販売された。
- ムカデダンスに井上大輔作曲、マッドネス演奏・歌唱の「シティ・イン・シティ(In The City)」に「ホンダ ホンダ ホンダ ホンダ…」の合いの手が入ったCMでも有名になった。このCMで使われた歌やムカデダンスは、当時の人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」で加藤茶と志村けんがギャグのネタにするほどであった。
- 折りたためば荷室にピッタリ入る、50ccバイクのモトコンポも同時に発売された。
2代目 GA1/2型(1986-1993年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1986年10月31日、2代目シティが発表/発売された。キャッチコピーは「才能のシティ」。
このモデルチェンジにおいて、コンセプトに大きな変化があり、「クラウチングフォルム」と呼ばれたロー&ワイドなデザインとなり、軽量な車重(ベーシックグレードは680kg)と相まって、走行性能の向上がなされた。エンジン構成はD12A型 1.2L 直4 SOHC16バルブ(1986年当時、国産車としては初のメカニズム)シングルキャブのみで、装備品等の違いによって「GG」/「EE」/「BB」の3グレードで商品展開を行った。
1988年10月、マイナーチェンジが行なわれ,主力エンジンはD13C型 1.3L 直4 SOHC16バルブ(ハイパー16バルブ)に変更された。このときに、従来のシングルキャブ仕様に加え、PGM-FI仕様が追加された。シングルキャブ仕様は、1.2Lの「BE」の他1.3Lの「CE」/「CG」が設定され、PGM-FI仕様は、「CR-i」/「CZ-i」の2グレード構成となった。
中期には販売力強化を目的に、「CE」の装備を充実させたお買い得グレード「CE Fit」、PGM-FI仕様では「CR-i」ベースの限定高級グレードである「CR-i Limited」が投入され、後期には「CZ-i」グレードにマイナーチェンジが施される。
最終的に販売終了時点では、グレードの統廃合により「Fit」[5]/「CR-i」/「CZ-i」の3グレード構成となる。
1993年末、生産中止。シティという名称を持つ国内モデルはこの代で途絶え、GA系車両としては1996年に「ロゴ」(GA3/5)が実質的な後継車種として発売された[6]。
日本国外向けセダン
初代 3A2/3型(1996-2002年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1996年、東南アジアをターゲットに開発された(いわゆるアジアカー)小型セダンで「シティ」の車名が復活した。
EK型シビックセダン(シビックフェリオ)をベースにしているが、さまざまな改良、コストダウンが図られている。1996年4月にタイのアユタヤ市に建造した新工場で、70%の部品を現地調達により生産が開始された。1997年2月までには14,352台がタイ国内で販売され、1996年の45万バーツ以下のセグメントにおいて66%のシェアを得ている[7]。タイでの生産を手始めに、台湾、フィリピン、マレーシア、パキスタン、インドで次々に生産が開始された。
エンジンは当初1.3Lのみであったが、後に1.5Lが追加された。グレードは主に「LXi」、「EXi」の2種類がある。下位グレードの「LXi」はパワーステアリングやパワーウィンドウ、カーラジオなどが省かれた最低限の仕様となっている。前期型のバンパーは輸送コストを抑えるため3分割構造となっていた。
2000年にフェイスリフトが行われ、「City Type Z」と名称が変更された。3分割バンパーは一般的な一体成形に変更される。2001年に登場した「VTi」は、115hpのSOHC16バルブ VTECエンジンが搭載され、四輪ディスクブレーキや、リアスタビライザーが付くなどスポーティな仕様となっている。
- Honda City (third generation) (rear), Kajang.jpg
前期型リア
2代目 GD6/8/GE1/4型(2002-2008年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 テンプレート:Main2 2002年発表。フィットをベースに、東南アジアのみならず中国市場などもターゲットにした国際戦略車種として開発された。ホンダオートモービル(タイランド)カンパニー・リミテッドや広汽ホンダなどで生産され、日本でもタイからの輸入車がフィットアリアの名前で販売されていた。タイとインドではフェイスリフト後は「City ZX」とネーミングされているが、その他地域は「City」のままである。当初は1.5L SOHC8バルブ i-DSIモデルのみであったが、後に1.5L SOHC16バルブ VTEC、1.3L SOHC8バルブ i-DSIが追加された。それぞれMTとCVTがあり、グレード構成は国によって異なる。 ウルトラシートがベースとなったフィットから継承されているが、インド向けではコストダウンおよびLPGタンク搭載を前提とし固定式に変更されている。
2005年9月にはフェイスリフトを行った新型が発表され、10月にタイ、マレーシアで発売された。一番の変更点は新しいエクステリアで、フロントグリル、ヘッドライト、フォグライト、テールライト、バンパーが新しくなり、フロントエンドが65mm、リアエンドが15mm長くなった。ドアミラーは電動格納式に変更。i-DSI、VTECの両グレードとも15インチのアルミホイールが標準となった。インテリアの変更点はわずかだが、ドライバーアームレストの改良やマップライトの追加がある。
エンジンは変わらないが、インテークマニホールドが改良され、吸入空気の温度が10%下がっている。サスペンションもアップグレードされた。 タイ、フィリピン、パキスタン、シンガポール、マレーシアではi-DSI、VTEC 両グレードにCVTを用いている。CVTは7速マニュアルモードを持つ、パドルシフトが付く。
2008年5月末には全世界での累計販売台数が100万台を超え、ホンダの基幹車種[8]と位置付けられている。
中国では、現地合弁会社の広汽本田が自主ブランド「理念」(Everus)の最初の市販車として、シティをベースにした理念・S1を2010年末の広州国際モーターショーにて発表し[9]、2011年4月18日に発売した[10]。
- Honda City (fourth generation) (rear), Serdang.jpg
前期型リア
- Honda City (fourth generation, first facelift) (rear), Serdang.jpg
後期型リア
3代目 GM2型(2008-2013年)
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 2008年9月10日発表に先立ち、ホンダオートモービル(タイランド)カンパニー・リミテッドのホームページにおいて、ティザー広告を開始した。 エクステリアはコンパクトながら存在感のあるフォルムを、インテリアは開放感と安心感との両立を目標にデザインされた。 エンジンは、2代目フィットと共通のL15A型 1.5L SOHC16バルブ i-VTECエンジンを搭載し、出力・燃費・環境性能の進化を目指した。フィリピン、パキスタンなどでは1.3L i-DSI仕様、中国では1.8L SOHC16バルブ i-VTEC仕様もラインナップされる。
インドではシティが2008年の発売以来中型セダンのベストセラーとなり[11]、これまでシティの最大のマーケットであったタイを凌ぐまでになった。2010年10月には内装にレザーシートなどを装備するラグジュアリー仕様の「エクスクルーシブ」が発表された。なお、先代型のインド仕様において省略されていたウルトラシートは、今回も採用されていない。
2009年2月オーストラリアにおいてシティが発表された。1.5Lの「VTi」と「VTi-L」の2モデルが用意されタイから輸入される。2009年からブラジルでも生産が開始され、[12]。搭載されるエンジンは1.5L SOHC16バルブ i-VTECのみで、フレックスフューエル対応が施されている。
南アフリカでは2011年より新型バラードとしてシティを販売する[13]。
2011年9月にフェイスリフトが行なわれ、フロントグリルや前後バンパー、テールランプデザインが変更されたほか、全長が20mm伸び、最低地上高が160mmから165mmになった。内装にも手が加えられている。デュアルエアバッグが標準装備となった。
4代目(2014年 - )
テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 ホンダが進めるグローバルオペレーション改革の一翼を担う車両として、3代目フィットをベースに開発され[14]、2013年11月25日にインドで発表された。インド向けの生産はホンダカーズインディア・リミテッド(HCIL)で行なわれ翌2014年1月より発売を開始した[15]。
コンセプトは「Advanced and Cool Stunner」で、クールでスポーティなデザインと広い室内、クラストップの燃費と快適性を持った車を目指した。ボディサイズは大きく変わらないもののホイールベースが先代より50mm伸び、結果室内空間が歴代最大に広くなった。
このモデルに搭載されるエンジンは、1.5L SOHC16バルブ i-VTECに加えシティとしては初めてとなる1.5L DOHC16バルブ i-DTEC ディーゼルエンジンも設定されている。ディーゼルエンジンはアメイズに次いで採用されたもので、エンジンオイルはホンダ 3Dオイルという専用品を使用する。
インドでは「E」、「S」、「SV」、「V」、「VX」の5グレードの展開で、それぞれディーゼルとガソリンエンジンが選択できる。トランスミッションはガソリンモデルが5速MT、ディーゼルモデルが6速MTが標準装備となり、ガソリンエンジンの上位グレード、V、VXのみにCVTが設定される。
全グレードにマルチインフォメーションコンビネーションメーターという多機能メーターが装備され、上位モデルではタッチパネル操作エアコンや、後部座席用充電ポート付エアコンベントなども装備される。
2014年1月23日にはタイでも販売が開始された[16]。E85燃料に対応、インド仕様にはない6エアバッグ、VSA、ヒルスタートアシストなどの安全装備が用意される[17]。
生産
現在シティはアユタヤ(タイ)、グレイターノイダ(インド)、ラホール(パキスタン)、アローガジャ(マレーシア)、広州(中国)、サンタローザ(フィリピン)、アダパザル(トルコ)などで生産されている。 2011年よりアルゼンチンカンパーナの新工場での生産を開始。2011年まではブラジルのスマレーでも生産していた。
モータースポーツ
初代の「ターボII」によるワンメイクレース「シティブルドッグレース」が開催されていた。重心の高さ、ホイールベースとトレッドとのバランス及びタイヤの設定[18]等から転倒する車両が相次いだ。
2代目後期モデル「CR-i」(GA2型)は、軽快なエンジンフィール、軽量なボディと低重心、四隅に配置されたタイヤやシンプルなサスペンション構成を活かして、レース、ラリー、ジムカーナ、ダートトライアルなどの競技、圧倒的な省燃費性とコーナリングスピードを活かした「N1耐久シリーズ(スーパー耐久の前身)」などの耐久レース等で活躍した。
コーナースピードと脱出加速能力がものを言う中小規模サーキットでの走行では、上位クラスにとっても侮れない存在であり、特にジムカーナでは、2003年にレギュレーションが変更されるまでのA1クラス[19]において、この車でなければ勝てなかった[1]と言われていた。
現在も、競技ライセンスを必要としない非公式競技では参加台数も少なくない。
この頃のホンダ車は『紙のボディ』であるとよく言われていたが、本車もボディ剛性が高いとはいえない。
東南アジア向け初代は、タイで「City-R」ワンメイクレースが行われていた。
エピソード
- ルノー・トゥインゴとの関連
- 車両のサイズや形状、シティ・コミューターとして開発されるという車両コンセプトがルノー・トゥインゴと非常に似かよっており、関連性について指摘されることがある。 しかし、トゥインゴと2代目シティに直接の関連性はない。
- ゲームのモデルに
- AA型をモデルとして、ジャレコがアーケードゲーム「シティコネクション」を制作している。
- プラモデル
- 田宮模型から初代のプラモデルが発売された際、自動車模型は実車と見る視点が違うため精悍さを演出するよう実車よりも低めの比率に作られることが通例であるが、特徴的な車高の高さを強調するためにあえて高めに作られていた。
販売店
初代は発売時からホンダ店で、1985年にホンダプリモ店、ホンダクリオ店設立後はプリモ店、クリオ店の併売となり、2代目はクリオ店専売車として取り扱っていた。
脚注
関連項目
外部リンク
- ホンダ・シティ(ホンダオートモービル タイ)
- Honda | 今まで販売したクルマ | シティ(国内向けハッチバック)
- Honda | 四輪製品アーカイブ「シティ」
- Honda社史・50年史 ホンダのチャレンジングスピリット50 第13回
- ↑ 車高は1,470mm。機械式立体駐車場への入庫も可能に作られた
- ↑ 保育社「世界の名車2 HONDA」より
- ↑ 発売当時の軽自動車の規格は初代シティより全長が200mm弱短い3,200mm以下に定められていた。
- ↑ 天井吊り下げスピーカーユニット。
- ↑ シングルキャブ仕様を全て統合。Fitの名称はその後ロゴの後継車フィットに使用された。
- ↑ GA系の形式を持つ車両としては他に「キャパ」(GA4/6)がある。
- ↑ The Honda City Success Story:Honda Worldwide News releases
- ↑ 世界7か国で生産され、39か国で販売された。
- ↑ 2010年広州モーターショーで広汽ホンダ自主ブランド初のモデルとなる「理念S1」を発表、本田技研工業プレスリリース、 2010年12月20日
- ↑ 広汽ホンダ自主ブランド「理念S1」を発売、本田技研工業プレスリリース、 2011年04月18日
- ↑ NNA.ASIA:VW、ホンダ「シティ」に挑戦状
- ↑ ブラジルで「シティ」を生産・販売開始
- ↑ Honda South africa:Ballade is Back!
- ↑ 2012年9月 社長会見 骨子
- ↑ 新型「City(シティ)」をインドで世界初公開 本田技研工業公式サイト、2013年11月26日
- ↑ ホンダ、タイで新型シティ発売
- ↑ Anthony Lim (23 January 2014) http://paultan.org/2014/01/23/2014-honda-city-launched-in-thailand/ 2014-07-22 閲覧
- ↑ フロントに、当時のF3のリアタイヤを装着していた。
- ↑ ナンバープレート付き改造車両で、排気量は1,400cc以下