タイム (雑誌)
テンプレート:Redirect テンプレート:基礎情報 雑誌 『タイム』(TIME、雑誌名は大文字で商標登録されている)は、1923年に創刊したアメリカ合衆国のニュース雑誌。世界初のニュース雑誌としても知られている。
目次
概要
政治・経済・最先端科学・エンターテイメントなどあらゆる情報を網羅している。
2006年中頃から現在まで、リチャード・ステンゲルが編集長を務めている。
ヨーロッパ版『タイム・ヨーロッパ』(以前は『タイム・アトランティック』として知られていた)はロンドンで発表され、2003年以降、中東、アフリカ、ラテンアメリカもカバーしている。一方、アジア版『タイム・アジア』は香港に拠点を置く。2009年現在、『タイム』はカナダの広告出版を発表していない。南太平洋版『タイム・サウスパシフィック』はシドニーに拠点を置きオーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島で発売されている。
歴史
テンプレート:仮リンクとテンプレート:仮リンクによって1923年に創刊。アメリカにおける初の週刊ニュース雑誌であった[1]。ハッデンとルースは以前にも、『エール・デーリーニューズ』において議長と編集幹部を務めたことがある。
当初は題号を『Facts』とする考えもあった[2]が、結局『TIME』となり、1923年3月3日に初号が発売された。このとき表紙を飾ったのは、46年間米下院議員を務め(下院議長も7年以上務めて)、創刊号発売日当日に引退した共和党の政治家テンプレート:仮リンク。この第1号は、創刊15周年記念の際に1938年2月28日号で複製による再版もされた[3]。
1989年には、タイム社とワーナー・コミュニケーションズが合併し、タイム・ワーナーとなった。
2000年代
2001年には、タイム・ワーナーとAOLが合併し、AOLワーナーとなる(2003年に、再び「タイム・ワーナー」へ改名)。
2007年には、月曜日の会費/新聞市場送出から金曜日に発売が移行され、土曜日に雑誌が読者に届けられる(1923年の創刊時も金曜日の出版だった)。2007年前半、年の最初の号は発売が1週間遅れた。この改革に伴い、タイム社では49人の従業員削減を行っている[4]。
2009年には、広い読者層を狙った新雑誌『Mine』を発行。しかし、あまりにもその焦点が広すぎると批判され、否定的な反応を受けた[5]。
2014年6月6日には、タイム・ワーナーを分離・売却してしまった。
発行部数
年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
発行部数(単位:百万) | 4.2 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.0 | 4.0 | 4.1 | 3.4 | 3.4 | 3.4 |
2008年末には、60年以上続いたカナダ版の発行を中止した。
スタイル
1936年にウルコット・ギブズによって『ザ・ニューカー』でパロディ化された。1970年代中頃まで[6]『タイム』はセレクションした重要な映画、脚本、ミュージカル、テレビ番組と文学的なベストセラーなどに要約や批評を行う「リスト」という『ザ・ニューヨーカー』の「Current Events」のようなコーナーがあった。
『タイム』の表紙は赤い縁取りが特徴である。この態勢は創刊号から一貫して変わらないものの、例外として以下の2つのケースがある。
- 2001年9月14日特別増刊号[7]:9.11テロ事件を伝えた号で、表紙は追悼の意を込めて黒い縁取りになった。この号は「特別版」であり、次の定期的な号では赤い縁取りに戻った。次に『タイム』が特別版をリリースしたのは、マイケル・ジャクソンが死亡した後の2009年6月である。
- 2008年4月28日号:地球温暖化防止への取り組みを特集した号で、表紙は緑の縁取りとなった。
2007年には、大幅な紙面リニューアルを行う。これは、赤い縁取を減らしてコラムタイトルを大きくし、特集記事の数を減らして記事の周囲の余白を増やし、意見部分に作家の写真を加えるというものであった。この変化は賛否両論となった[8][9][10]。
法的論争
2007年9月10日に、インドネシアの最高裁判所は、ジャカルタ地方裁判所と控訴院の判断を覆し、インドネシアのスハルト元大統領に対する『タイム・アジア』の名誉毀損を認定、損害賠償1兆ルピアの支払いを命じた。訴えの対象となったのは、スハルトが270億米ドル以上(320億ドル)の金を海外に移したとする記事であった[11]。
パーソン・オブ・ザ・イヤー
『タイム』がその年で最も活躍した人を決定するもの。その年のニュースに最も影響を与えた個人または団体が選ばれる。受取人が必ずしも個人または人間であるとは限らない。例えば1983年1月3日にコンピュータが「マシーン・オブ・ザ・イヤー」と認められた。1989年には“危険にさらされた地球”が「プラネット・オブ・ザ・イヤー」と名づけられた。1999年にはアルバート・アインシュタインが「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」に選ばれた。
時折、嫌疑のかかった独裁者や主戦論者が選ばれるため論争となる。良かれ悪かれ、その年のニュースで最も話題をさらった人物が選ばれると思われる。それが必ずしも名誉または報酬であるとは限らない。過去にアドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンのような人物も「マン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。フィリピンで民主主義を回復させ、スピーチをアメリカの連邦議会に印象付けたコラソン・アキノは「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
2006年のパーソンは「You(あなた)」が選ばれたが、概念が創造的であると考える人がいた一方、その年の実在の人物を望んだ人もいた。またベネズエラのウゴ・チャベス大統領であると述べた人もいる[12]。
2009年はバラク・オバマが選ばれ、次点はサラ・ペイリンであった。
タイム100
『タイム』は近年、その年で最も有力な100人のリストを発表し始めた。当初は20世紀の最も有力な100人のリストを作成した。リストが発表される号のフロントカバーはリストアップされた人たちの写真が載り、特集としてリストアップされた人々の各々の記事が掲載される。この記事は雑誌の相当なページ数を占める。場合によっては100人以上がリストアップされるが、その際は2人一緒のリストを作成し、1つの記事で共有する。
タイム・フォー・キッズ
若いリポーターによって書かれる『タイム・フォー・キッズ』(以下、TFK)は、特に子供のために発売されて、主に教室に置かれる分割誌である。『TFK』は大衆文化に関するニュースと若干の国内ニュース、「今週の漫画」など色々な記事がある。1年の環境に関する号はアメリカの学期の終わり近くに発売される。ページ数はカバーと裏表紙を合わせても15ページを超えることが滅多にない。多くの図書館に置かれる。
著名な寄稿者
- アラヴィンド・アディガ(2008年ブッカー賞受賞) - 3年間、通信員を務めた。
- ジェイムズ・エイジー
- マーガレット・カールソン - 『タイム』初の女性コラムニスト。
- ウィットティカー・チェムバーズ - しばらく編集者であった。
- リチャード・コルリスとリチャード・シッケル - 雑誌のための映画批評家である。シッケルが1972年、コルリスが1980年から務めている。
- アナ・マリー・コックス - 雑誌のために「アナ・ログ」(政治的なさわりの編集)を書く。彼女は称賛されたブロガーと著者でもある。
- ナンシー・ギブス - エッセイストとエディター・アット・ラージ。100以上のカバーストーリーを書いた。
- レヴ・グロスマン – 主に本について書く。
- ロバート・ヒューズ - 1970年以降、芸術批評家であった。
- マイケル・キンズレー – よく移動するアメリカのジャーナリストであり、『タイム』のエッセイストである。
- ジョー・クライン – コラムニスト。
- チャールズ・クラウトハマー – 『ワシントン・ポスト』の解説者である。『タイム』ではエッセイを書いた。
- ナサニエル・ランデ – 著者、映画製作者で元クリエイティブ・ディレクター。
- ウィル・ロング・ジュニア
- マイケル・シャーマン – アジアの経済学、政治と歴史を専門とするアメリカのジャーナリスト。彼は現在、香港に拠点を置く『タイム・アジア』のアジアビジネス通信員である。
- ロバート・D・サイモン
- ジョエル・スタン – 時々、論争の的となる作家で2006年の「Most Influential」号で“ジョエル100”という記事を書いた。
表紙を飾った日本人
パーソン・オブ・ザ・イヤーに限らず、アメリカの政治家・実業家・ジャーナリストなどは、タイム誌の表紙に載ったか否かを一つの格付けの目安ともしている。
『タイム』はあくまでもアメリカの雑誌であり、その視点はアメリカを中心としている。それでもアメリカの国策や外交、経済や文化などに大きな影響を及ぼす海外の話題や人物が特集されることはたびたび見られる。
1923年の創刊以来、このタイム誌の表紙には日本人が38回取り上げられている。このうち昭和天皇が6回、近衛文麿と米内光政が各2回載っており、また「アジア系の高知能児」や「広島の被爆者」といった人々を代表する不特定の人物として掲載された者が2例あることから、実際に「カバーパーソン」にとして表紙に取り上げられた日本人は29名を数えるのみとなっている。
以下、号日付は各号の表紙、その下のタイトルはカバーパーソンを特集した記事へのリンク。肩書は選出された当時の代表的なものをあげた。
厳密には日本「人」ではないが、1999年11月22日号「Beware of the Poke Mania」では日本発祥のキャラクターである『ポケモン』が表紙を飾った。
なお『アジア版』の発刊以後、日本人表紙への門戸はそちらで開放されている傾向がある。しかし『アジア版』においても日本人が表紙を飾る機会は稀である。例として、2002年3月25日号のアジア版「Ayumi Hamasaki」の表紙に浜崎あゆみ(音楽アーティスト)が、2002年4月29日号のアジア版「Asian Heroes」の表紙(4種の表紙の中の1種)にイチロー(プロ野球選手)と中田英寿(プロサッカー選手)が、2003年4月28日号のアジア版「Asian Heroes」の表紙(5種の表紙の中の1種)に松井秀喜(プロ野球選手)が、2003年8月11日号のアジア版「Japan Rules OK!」の表紙に椎名林檎(音楽アーティスト)が、2009年8月31日号のアジア版・オセアニア版「Young japan」の表紙に今村久美(特定非営利活動法人NPOカタリバ代表理事)が、2012年7月30日・8月6日号のアジア版「Summer Olympics Special」の表紙に澤穂希(プロサッカー選手)が登場している。
脚注
関連項目
外部リンク
- TIME Magazineテンプレート:En icon
- TIMEasia.comテンプレート:En icon
- TIME's Man of the Year List (About)テンプレート:En icon
テンプレート:タイム・ワーナー テンプレート:Book-stub
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ "Henry R. Luce", in Current Biography 1941, p530
- ↑ Instant History: Review of First Issue with Cover
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ http://www.time.com/time/archive
- ↑ 7.0 7.1 2001年は、9月10日号と9月17日号の間に、9月14日特別号と9月15日特別号が増刊されている。9月14日特別号は9/11テロ事件の速報、9月15日特別号は当初9月17日号に掲載される予定だった特集記事を前倒しにして9/11テロ事件関連記事に紙面を譲ったもの。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ News.com.au, Suharto wins $128m in damages
- ↑ テンプレート:Cite web