スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)

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スーパーサッカー』(SUPER SOCCER)は、TBS系列1993年10月2日から放送されているサッカー情報番組

開始当初からの1年間はネスレ日本1社提供のネスレ(ネッスル)・スーパーサッカー Jリーグエクスプレス」1994年10月から2002年3月30日まではスポンサーの冠を外した「スーパーサッカー Jリーグエクスプレス」として放送された。2002年4月6日から2009年3月28日までは「J-SPORTS SUPER SOCCER PLUS」(2008年以降はタイトルロゴから「J-SPORTS」の文字が消えている)、2009年4月4日から2010年3月27日まではスポーツニュース番組『S☆1』に内包され『S☆1・スパサカ』として、2010年4月2日から2011年3月25日までは『スーパーサッカーJ』として放送されていた。

概要

日本国内や海外のサッカー情報を紹介する番組で、Jリーグの土曜日開催試合ダイジェストや、海外リーグの強豪チームの試合のダイジェストを放送するほか、選手インタビュー・選手たちにスポットを当てたバラエティ企画なども放送。

1993年5月15日(Jリーグ開幕日[1]から9月26日まで、TBS、静岡放送毎日放送などJリーグチーム所在地のJNN系列局で放送されていた『速報Jリーグ』をリニューアルする形で放送を開始。当時からベースボール・マガジン社の「サッカーマガジン」が協力し、同誌編集長(当時)の千野圭一や伊東武彦、元編集長の大住良之などがたびたび出演している[2]

人気司会者の生島ヒロシを起用、西田ひかるビートたけしが出演するなど、「バブル」とも揶揄されたJリーグの爆発的人気拡大への貢献度は高かった。その後、観客動員の減少などで現れた人気の衰退に伴って他テレビ局のJリーグ番組が終了しても同番組は継続して、三井ゆり白石美帆などの人気タレントを輩出し、徳永英明加藤浩次など異色のキャスターを起用するなど、視聴率競争の激しい週末のスポーツ番組の中でも異彩を放つ番組であった。単に試合の詳細を伝えるだけでなく、ビートたけしをレギュラー(ビデオ出演)させるなどして、サッカーバラエティの要素を兼ね備えた体裁を整えたことも番組の繁栄につなげた。

2009年3月までは、深夜0時からの放送(野球中継をはじめとするスポーツ中継の延長など、都合によっては1時か2時を過ぎることもある)にもかかわらず、安定した視聴率を維持し続けていた。

2009年4月の大型番組改編で週末の一般ニュースとスポーツニュースが『S☆1』に統合されたことに伴い、1年間は『S☆1スパサカ』として放送。しかし、28分間という短い時間に、サッカー情報とスポーツニュースはおろか一般ニュースまで詰め込まれたことによりサッカー報道は質量とも低下し、視聴率は低迷した。サッカーファンからは単独番組としての復活を求める声が高まったが、逆にTBS局内では番組終了が検討され、一時は正式決定の寸前まで至ったが、Jリーグからの公認番組認定などの支援が得られる事になり、辛うじて番組の存続が決まった[3]

2010年4月からは金曜日深夜に枠異動して単独番組として復活したが、番組がローカルセールス枠扱いになったため、ネット局が減少している。5大都市圏ではTBS以外は放送終了。それ以外の基幹都市では宮城県東北放送のみで、他の各局もJリーグのチームが属する一部の地域の系列局だけに留まった[4]。2011年4月からは更に月曜日深夜に枠移動させ、タイトルも従来の『スーパーサッカー』に戻し、ネット局も関東・東海の3局のみ[5]の事実上の「ブロックネット」に再縮小となった。

2012年4月16日から放送時間が9分繰り下げになる。

番組タイトルロゴに描かれた星は、放送を100回迎えるごとに増えた。2009年3月に単独番組としての放送を終了した時の星の数は7つ。なお、星を冠したロゴは『S☆1スパサカ』にも引き継がれた。

収録は、かつては、生放送だったが、現在は加藤の出演する朝のワイド番組「スッキリ!!」との関係もあり、現在は月曜日の昼に収録(加藤は「スッキリ!!」終了後にTBSに移動して収録)、放送日付上の当日(実際は翌日未明)に撮って出し<完全パッケージ>放送となっている。

出演者

歴代キャスター・コメンテーター

『スーパーサッカー』歴代のキャスター・コメンテーター一覧
期間 キャスター コメンテーター
メイン 女性サブ 男性サブ
1993.10 1993.12 生島ヒロシ 西田ひかる1 清水大輔 金田喜稔小見幸隆
1994.01 1994.03 (不在)
1994.04 1994.09 (不在)[6]
1994.10 1996.11 三井ゆり
1996.12 1998.9 水沼貴史
1998.10 2000.12 白石美帆2 土井敏之3
2001.01 2001.05 徳永英明
2001.06 2001.09 (不在)[7]
2001.10 2002.03 加藤浩次
2002.04 2003.03 土井敏之、初田啓介4
2003.04 2004.03 佐藤文康有馬隼人3・4
2004.04 2006.01 佐藤文康 水沼貴史、高木琢也
2006.01 福田正博
2006.02 2006.03 福田正博、相馬直樹
小島伸幸小倉隆史
2006.04 2006.12 小倉隆史
2007.01 2009.03 加藤未央
2009.04 2010.03 枡田絵理奈5 山本匠晃5
2010.04 2011.01 枡田絵理奈
木下優樹菜
(不在)
2011.02 現在 枡田絵理奈

備考
  • 1 レギュラーゲストとして出演。
  • 2 2002年12月までは『サンデースーパーサッカー』のコーナーのみの担当。2003年1月より正式にMCとなる。
  • 3 『ブロードキャスター』スポーツコーナーを兼務。
  • 4 サッカー関連の話題以外の土曜日のスポーツニュースを担当。
  • 5 『S☆1』2日間レギュラーとして出演(枡田は2012年3月まで)。
  • コメンテーターが複数の時期は週替わりで出演していた。

ナレーター

過去
  • 辻谷耕史 - 2009年3月まで(担当開始時期は不明)
VTRの内容によっては、辻谷・安元以外のナレーターが担当する場合もあった。
全国ネット時代は「SS THE WORLD」のみ担当
全国ネット時代は生ナレーション(顔出し)も担当

放送時間の変遷

期間 放送日
(TBS)
放送時間
日本時間
備考
1993.10.02 2002.03.30 土曜日 24:00 - 24:30(30分)
2002.04.06 2009.03.28 土曜日 24:00 - 24:45(45分) 『J-SPORTS スーパーサッカーPLUS』として放送。
2009.04.04 2010.03.27 土曜日 24:30 - 24:58(30分) 『S☆1スパサカ』として放送。
2010.04.02 2011.03.25 金曜日 24:55 - 25:25(30分) TBS・東北放送テレビユー山形テレビ山梨静岡放送山陽放送山陰放送大分放送の8局でのみ放送。
2011.03.28 2012.04.02 月曜日 25:25 - 25:55(30分) TBS・テレビ山梨・静岡放送・中部日本放送の4局でのみ放送。
2012.04.16 現在 月曜日 25:34 - 26:04(30分) TBS・テレビ山梨・静岡放送の3局でのみ放送。

沿革

  • 1993年5月15日 『速報Jリーグ』が放送開始。
  • 1993年9月26日 同番組が放送終了。
  • 1993年10月2日 同番組をリニューアルし、全国ネットの番組『ネスレ・スーパーサッカー Jリーグエクスプレス』として放送開始。ネスレマニュファクチャリング(当時はネッスル日本、現在はネスレ日本)の一社提供で、生CMも挿入された。
  • 1993年12月 レギュラーゲストの西田が卒業。
  • 1994年1月 ビートたけしがVTR出演。金田喜稔山際淳司と絡み、笑える番組として下地が出来た[8]
  • 1994年8月 ビートたけしが交通事故のため降板。
  • 1994年10月 ネスレの冠提供撤退を含めたスポンサーの変更(このときから複数提供になる)により、企業冠なしの『スーパーサッカー』に改題。三井がアシスタントキャスターに就任。
  • 1995年10月 水沼がゲストコメンテーターに就任(現役時代に初回のゲストとして出演)。当初は1~2ヶ月に1回の出演であったが、1996年12月よりレギュラーとなる。
  • 1998年10月 アシスタントキャスターが三井から白石に、サブキャスターが清水から土井に交代。白石はこの番組でタレントデビュー。
  • 2000年12月 生島が卒業。
  • 2001年1月 徳永がメインキャスターに就任。
  • 2001年7月 徳永がもやもや病脳血管障害)のため降板(5月から休養中)。
  • 2001年10月 極楽とんぼ(当時)の加藤浩次がメインキャスターに就任。
  • 2002年4月6日JNNスポーツ&ニュース』のスポーツニュースを『J-SPORTS』として内包するため放送時間を30分から45分に延長し、『J-SPORTS・スーパーサッカーPLUS』にタイトルを変更。(スポーツニュースを内包する構成は『S☆1・スパサカ』時代も踏襲)。スポーツニュース担当として初田が参加。
  • 2003年4月 土井が『ウォッチ!』メインキャスターとなるため佐藤に交代。初田がスポーツ実況に専念するため有馬に交代。
  • 2003年9月27日 通算500回。タイトルの星の数は5つとなった。
  • 2004年3月 有馬がアメリカンフットボールの選手に復帰するためにTBSを退社したため降板。以後、2009年3月末まではサッカー以外のスポーツニュースも佐藤が担当する。
  • 2004年4月 水沼とのローテーション(月1・2回程度)で高木が参加。
  • 2003年10月4日 放送開始10周年。この頃から水沼のS級ライセンス取得に密着取材したコーナーがスタート(S級ライセンス取得後に伴い終了するが、後に監督に就任した際に一時的に復活した)。
  • 2004年7月24日 メインキャスターである加藤浩次がフジテレビの『27時間テレビ』で27時間マラソンに挑戦中だったが出演(同行していた介助犬バリーも出演)。ただし、そのためもあって時間内にゴールできなかった。
  • 2004年10月23日 同日夜に発生した新潟県中越地震の報道特別番組を放送するため、放送中止。
  • 2005年10月15日 通算600回。
  • 2006年1月7日 水沼が横浜F・マリノスコーチ、高木が横浜FCコーチ(その後、ともに監督に就任)に就任するため卒業。これで、番組初期からのレギュラー出演者が全て卒業。
  • 2006年1月14日 福田がコメンテーターに就任。
  • 2006年2月 相馬、小島、小倉がコメンテーターに就任し、週替わりで出演。
  • 2006年4月 小倉がレギュラーコメンテーターに就任。
  • 2006年12月23日 8年3ヶ月間にわたってレギュラーを務めた白石が卒業。
  • 2007年1月6日 加藤未央がアシスタントキャスターに就任。
  • 2007年9月29日 通算700回。
  • 2008年5月31日 この日から期間限定で、ユーロ2008キャスターのベッキーがレギュラー出演。
  • 2009年3月28日 単独番組としての放送を終了。加藤未央と佐藤が卒業。
  • 2009年4月4日 スポーツニュース番組『S☆1』開始に伴い、『S☆1スパサカ』にリニューアル。放送時間は28分に縮小。同番組キャスターの枡田と山本が出演。
  • 2010年3月28日 『S☆1スパサカ』としての放送を終了(1993年の番組開始から第823回、『S☆1』は継続)。
  • 2010年4月2日 金曜日に移動し、単独番組として復活。『スーパーサッカーJ』として再スタート。番組開始当初の原点に立ち返って、Jリーグと参加各クラブの全面監修・協力のもと、週末のJリーグ観戦に役立つ情報や選手のプレー技術解説、また選手の素顔の一面を披露するコーナーを設けた[9]
  • 2011年1月28日 前年4月以来「Jリーグ特命PR部長」として出演していた木下が卒業。
  • 2011年3月11日 同日午後に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の報道特別番組を放送のため、放送中止。
  • 2011年3月28日 月曜深夜に枠移動・改題。一部地域では同年3月25日を以ってネット打ち切り。

番組内容

現在の内容

  • Jリーグ試合ダイジェスト
開催された試合の展開をそれぞれ事細かに放送。土曜放映時は同日開催のJ1の全試合(通常は6-7試合)をフォローし、日曜開催分は予告のみ。金曜への移動後は全試合を放送している。また、カップ戦や週半ばのJリーグの情報も放送される。
J2は注目試合を1-2試合選んで放送し、他は結果・予定を字幕のみで表示。
1993年の番組開始以来、「Jリーグ(J1)の全ゴールを放送する」事を原則としていた。『S☆1・スパサカ』時代にはこれが崩れたが、『スーパーサッカーJ』では再開している。
  • 得点・アシストランキング
  • 崖っぷちランキング
Jリーグ後半になる8月~9月ごろから設けられる、J1残留争いにスポットをあてたコーナー。
  • SSザ・ワールド(海外サッカー情報)
かつては放映権の制約が比較的緩い欧州各国の国内リーグ戦を中心に紹介していたが、現在はUEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグのグループリーグも映像で紹介している。
  • Jリーグ以外の国内サッカーに関する企画
2010年3月の『S☆1・スパサカ』最終回では、同年にJFLツエーゲン金沢へ移籍した久保竜彦への取材を、その時の対戦相手だったFC町田ゼルビア相馬直樹監督(当時)へのインタビューを交えて行った。
  • 日本代表の試合ダイジェスト
  • 日本代表を検証する企画
  • 選手へのインタビュー企画
シーズンオフなどJリーグの試合のない時には選手らがゲストに駆けつける場合もある。1997年はJリーグ(J1)が17チームだったので、シーズン中でも試合のないチームから1名をゲストに招いた時期もある。
同企画で横浜F・マリノス久保竜彦が加藤浩次相手に行ったインタビューでは、久保の極端な寡黙さにより異例の長時間収録となった。『S☆1・スパサカ』最終回では再び加藤による久保へのインタビューが行われた(既述)。
  • ボレーの虎
小倉隆史と現役サッカー選手のボレーシュート対決。センタリングマシン(初代は“ベッカム君”、二代目は“くりろな君”)がゴール前に上げるボールを5回ずつ打ってゴール数の多い方が勝者(5回で決着がつかない場合は延長サドンデス)。ゴールキーパーが立つため、枠内に飛んでも止められた場合はゴールと認められない。(アニメ「タイガーマスク」のオープニング曲・エンディング曲をコーナー内で使用している。)
同コーナーに登場してボレーシュートを披露した柏レイソル李忠成は、サンフレッチェ広島移籍後に出場したAFCアジアカップ2011の決勝戦(オーストラリア戦)で同様のボレーシュートにより決勝点を挙げ、同番組内などで話題となった。
この企画は、2012年1月に番組初のDVDソフト化されることが決定。
また、2012年Jリーグ中継TBSチャンネルで放送される日の一部で、このボレーの虎を15分に編集したスピンオフの番組が放送される。小倉側のセンタリングを三浦淳寛が担当し、相手側はチームスタッフなどが担当する。
  • フットサル企画
加藤浩次・小倉などの同番組出演者にラモス瑠偉などのゲストを交えて編成された「スパサカオールスターズ」チームと、現役選手などのスペシャルチームとの対戦。かつての番組チームは「コモエスタ赤坂」[10]という名称を使っていた。2011年の年頭企画では澤穂希などのサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)チームと対戦した。

過去の内容

サッカー関連以外の土曜日のスポーツニュース。なお日曜日深夜に同タイトルの単独番組もあり、白石は3年近く野球キャスターを担当した。
  • ビートたけしのスーパースター列伝
  • ビートたけしのサッカー小僧
山際淳司金田喜稔とのトーク。司会進行は渡辺真理
  • 越前屋俵太のサッカー向上委員会
  • 三井ゆりのサッカー審判への道
日本サッカー協会の公認3級審判員資格を取得した。

備考

提供クレジット

  • 番組開始当初から2006年9月30日放送分までは番組冒頭の提供クレジットは画面全面に表示されアナウンスコメントもあったが、2006年10月7日放送分から提供クレジットは右下4分の1に縮小され、スポンサー読みは廃止となった。提供クレジットの時間は司会者の雑談や見所の紹介コメントなどを入れている。
  • スポンサーは当初1年間はネスレ日本の一社提供だったが、1994年10月からしばらくは富士通日産自動車が1分提供の筆頭スポンサーに加え、その他の30秒スポンサー数社で放送された。その後は筆頭スポンサーがなくなり、30秒スポンサーのみが提供するようになったため「ご覧のスポンサー」のコメントしか流さなくなった。
  • 2007年4月からは前半のネットスポンサー枠の協賛を1パートから2パートに分けるようになった。いずれも30秒ずつ提供で、4社1チームのパートと3社1チームのパートが週ごとに前半と中盤を入れ替えて放送している。なおJ SPOのコーナー(2004年4月以後)がある後半パートは従来と同じく各局ローカルスポンサーセールスとなる。
  • 2010年4月のリニューアル後はヤマザキナビスコがメインスポンサーとなった。同社はJリーグヤマザキナビスコカップの冠スポンサーで、同番組の存続にも助力する事になった。

TBSテレビ及びその関連放送局のJリーグ中継体制

  • TBSテレビと系列BS放送のBS-TBSでは、2002年度からJリーグの民間放送における包括的テレビ中継権(J.リーグ・パートナーTV)を持っており、「J-LEAGUE WIDE」という表題でBS-TBSでは毎節1~3試合(土曜日1~2試合、日曜日1試合)を中継しているほか、不定期で地上波でも中継が行われている。
  • CS放送では、2002年度から2004年度までは「JNNニュースバード(現・TBSニュースバード)」から試合当日の録画中継(TBS、BS-TBSの生中継素材をそのまま使用)を中心に各節3・4試合中継していたが、2005年度からは「JNNニュースバード」に代ってTBSチャンネルで各節2・3試合の生中継(再放映あり)を中心に放送された(一部は従来同様TBS、BS-TBSの中継素材を利用する)。
  • 2007年以後、Jリーグ中継の優先権がスカパー!に委譲し、主としてスカチャンでの生放送に特化された関係で、BS-TBS、TBSチャンネルとも原則的には各節1・2試合程度に縮小された。(基本的にはBS-TBSとTBSチャンネル同時。TBS地上波での中継がある時はBS-TBSは生中継せず、地上波とTBSチャンネルの同時中継)
  • TBSのJリーグ中継の際はスパサカメンバーとゲストによる副音声の放送が行われることがある。その時TBSチャンネルでの放送の場合は別の解説者、実況アナウンサーに差し替えて放送することがある。

兄弟番組

取材での出来事

ウェブサイト

  • 2001年に本番組の公式サイトを開設し、現在も更新している。同サイト内では同年からのJリーグ(J1・J2)とJリーグカップの全試合の公式記録が記載されている。

JNNニュースとの関係

  • 番組中期は、前時間に放送「JNNニュース」のエンディング部分で画面左下部に「JNN(改行)ニュース(改行)終」のテロップに5秒ジャンクションを流していた。

スーパーサッカー・THE MATCH SP

  • TBSチャンネル(1・2)において、主に国際Aマッチにおいてのヨーロッパや南米の主要国の試合についての試合を随時放送するスピンオフ番組が実施されている。

スタッフ

  • 構成:河合秀仁、吉村幹彦、牧田英士
  • タイトル:加藤幸男(ユキオ)
  • オープニングテーマ:海野勝久
  • TM:京屋知行
  • TD:斉藤哲也(以前は、CAM)
  • VE:平子勝隆
  • CAM:笹原健吾
  • 音声:朝日拓郎
  • 美術プロデューサー:杉浦仁
  • 美術制作:町山克洋
  • スタジオデザイン:岡嶋正浩
  • TK:岸田純子
  • 音効:ZACK
  • MA:松元裕二
  • 編集:七條健司、小峰一輝
  • 編成:長尾昇、佐々木威憲
  • 宣伝:小山陽介
  • 制作デスク:竹林桂子、薄井透江
  • ディレクター:佐渡潤、川上崇文、七澤徹、露木哲、米田祐輔、園田永吉、早野綾馬/秦野宙、和栗宏紀
  • サッカーデスク:清水政夫
  • 演出:平田匡(以前は、ディレクター)
  • プロデューサー:佐藤慶太
  • 制作:清水等
  • 製作著作:TBS

過去のスタッフ

  • TM:長谷川晃司
  • TD:伊東修
  • VE:橋ヶ谷美帆
  • 音声:浜崎健
  • MA:津田のぞみ
  • 編成:菅原興二、金沢景敏
  • ディレクター:飯村雅之、岡光真吾、金森泰宏、古川祥平
  • 海外取材:原田政樹
  • 演出:後藤健雄
  • プロデューサー:鈴木秀一
  • チーフプロデューサー:名鏡康夫
1993年の番組開始以来関わり、2度の離脱を経て、2010年4月のリニューアル時に復帰している。W杯南アフリカ大会ではTBS系列で放映された日本-パラグアイ戦のチーフプロデューサーも担当し、平均視聴率57.3%、瞬間最高視聴率64.9%といずれも同局の最高値を記録した。

関連グッズ

コメンテーターである小倉が進行・レギュラープレーヤーとして登場するボレーシュート合戦の中から、FC東京柏レイソル名古屋グランパスエイトヴィッセル神戸ヴァンフォーレ甲府の5チームと対戦した時の模様を完全収録したもので、更にDVDオリジナルの特典としてパトリック・エムボマと対戦した未放送対決を収録した。

脚注

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関連項目

外部リンク

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テンプレート:スーパーサッカーキャスター
  1. 深夜番組だったため、正確な放送の日付は5月16日。
  2. 千野は『速報Jリーグ』にも出演していた。
  3. この経緯は、番組公式サイト内のスタッフブログで説明されている。2010年4月6日付「再出発」[1]
  4. TBSが視聴可能な関東圏以外のチームでは、ベガルタ仙台モンテディオ山形ヴァンフォーレ甲府清水エスパルスジュビロ磐田ガイナーレ鳥取ファジアーノ岡山大分トリニータの各ホームタウンで同番組の試聴が可能。
  5. 関東圏以外のJリーグクラブでは甲府・清水・磐田の本拠地に相当。東北と西日本(中京以西 2011年はCBCもネットされていた)は完全に打ち切りとなった
  6. この時期はレギュラーの解説者を置かなかったが、1995年11月以降水沼が1~2ヶ月に1回の割合で出演。
  7. 徳永は2001年5月19日の放送を最後に出演を見合わせ、そのまま降板。この期間は白石が実質上のメインを担当。
  8. 週刊サッカーダイジェスト」2007年2月20日号
  9. 出典・読売新聞2010年3月17日
  10. ロス・インディオスによる同名のヒット曲にちなんだもの。
  11. 『スポーツニッポン』 2005年7月25日