礼文島
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礼文島(れぶんとう)は、北海道の北部、稚内の西方60キロメートルの日本海上に位置する礼文郡礼文町に属する島。地名語源はアイヌ語のレプン・シリ(沖の島)。礼文水道を挟んで利尻島の北西に位置する。0メートル地帯から200種類以上の高山植物が咲き乱れていることから別名花の浮島と呼ばれている[1]。人口は2013年(平成26年)4月1日現在、2,760人(『広報れぶん』より)。
目次
気候
ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に属している[1]。海洋性気候という立ち位置で冬場は-16℃を下回らないかわりにリマン海流の影響で日中でも気温が上がらず最高気温は1月~2月で-3℃ほど。2010年2月3日には最高気温が-12.5℃という日中の冷え込みを記録している。
地理
東西約7.9km、南北約25.8km、周囲約72km。スコトン岬と金田ノ岬の間に直径5kmの半円形の船泊湾がある。最高地点は礼文岳(標高490m)。
海蝕崖、低標高の寒地であり、高山性植物群落が見られ、地形は周氷河地形である。丘陵性地形の離島である。島の北部と南部に標高100m前後の第四紀更新世の海岸段丘が見られる[2]。 集落は東海岸と北部・南部にまとまっており、西海岸には元地・宇遠内・西上泊・鉄府の各集落がある。中心集落である香深(かふか)・船泊(ふなどまり)をはじめ島の東海岸・北部は比較的開けている。島を縦断する車道は東海岸にあり北部 - 東部 - 南部に通じているが、西海岸を縦断する道は車両の通行が不可能な林道のみとなっている。
地形
白亜紀 - 新第三紀中新世に海底で堆積した砂岩や泥岩、火山岩の地層が見られる。また地蔵岩の周辺から1億1150万年前のアンモナイトの化石が見つかっており、新第三紀中新世の地層は、主に海底火山の残骸からで、スコトン岬や知床に露出が見られる。白亜紀の地層は、礼文岳を中心とした島のほぼ中心に露出し、また桃岩は、約1300万年前のマグマが海底下で個結したものである。以上のことから、礼文島の形成場所は海底と考えられている。 礼文島が南北に伸びているのは島の骨格をなす白亜紀の地層が南北に褶曲したためである[3]。
自然
西海岸は地形が険しく、また西からの強い季節風が年中吹き付けて気候が厳しいため、高い木の生えない荒涼とした笹地が多い。
至る所に安山岩、玄武岩の柱状節理が岩脈として現れている。また化石やケイ岩、火打石(レブンメノウ)を数多く産出している。
- 過去最高気温:31.0℃(1989年7月26日)船泊地区
- 過去最低気温:-19.4℃(1978年2月16日) 船泊地区
- 年間降水量:最多1247ミリメートル(1999年)船泊地区、最少709ミリメートル(1979年)船泊地区
- 日最大降水量:最多111ミリメートル(2007年8月1日)幌泊地区
- 最大瞬間風速:29.9m/s(2010年9月29日)香深地区
気象庁過去の気象データより
動植物
動物相
鳥類はコマドリ、ノゴマ、ウグイス、エゾセンニュウ、シマセンニュウがおり、久種湖周辺にはアマサギ、オオジシギ、タゲリ、ヤツガシラなどが見られるときもある。海岸ではウミウ、ウミネコ、オオセグロカモメが生息している。
哺乳類では、ヒグマやエゾシカ、キツネは生息しておらず[1]、ニホンイタチ(移入種)、シマリス、ヤチネズミ、トガリネズミ、コウモリが島内にはいる。以前は、エゾリス、エゾモモンガ、ニホンイイズナ、ニホンカワウソ、ニホンアシカ、ヒレナガゴンドウも生息していたが現在では絶滅した。礼文島はかつてのニホンアシカの生息地の一つで、縄文時代からニホンアシカの狩りが行なわれていたが竹島以外での最後の記録はこの島での1974年の記録である[4]。また、ヒレナガゴンドウが国内で出土しているのは本島と千葉県のみである。現在、鰭脚類ではトドやゴマフアザラシなどが棲息する。トドは環境省により絶滅危惧種に指定されているが、漁業被害を考慮し捕殺が行われている。クジラ類も現在では滅多に見れなくなったが、ミンククジラ、ツチクジラ、オウギハクジラ、シャチ、カマイルカ、イシイルカ、ネズミイルカなどは時節確認され、シロイルカも稀にだが来遊する。[5]考古学上での発見[6][7]や捕獲記録から、捕鯨時代の以前はコククジラ[8]やセミクジラ[9]、ザトウクジラ、ナガスクジラなどの大型種も豊富だったと思われる。
植物相
針葉樹のほとんどはトドマツ。落葉広葉樹はダケカンバ、オノエヤナギ、低標高でもハイマツが見られる。草原にはチシマザサが主としており、樹林下のササはネマガリダケとよばれるほど大きくなり、ツルウタシに覆われていることも多い[10]。花類は、レブンソウ、レブンウスユキソウ、レブンアツモリソウ、チョウノスケソウ、フタナミソウ、レブンコザクラ、レブンハナノシブ、チシマフウロ、レブンカラマツ等が見られる。
歴史
- 島の形成は新生代第三紀或いはそれ以前とされている。
- 先史時代のオホーツク文化期の遺跡が香深井や船泊で発見されている。
- アイヌ時代のチャシ跡が確認されている。
- 1456年(康正2年)、香深井アイヌと磯谷アイヌの戦いが現在の桃岩付近で起きた。
- 1685年(貞享2年)、松前藩直轄のソウヤ場所の付属場所となる。
- 1765年(明和2年)、礼文、利尻、宗谷が独立場所となる。
- 1819年(文政2年)、藤野伊兵衛が松前藩宗谷場所の請負人となる。
- 1846年(弘化3年)、陸奥国(青森)人が初めて漁場を開く。
- 1885年(明治18年)、小樽-利尻-礼文間に航路が開かれる。以後の詳細は香深港を参照。
- 1919年(大正8年)ごろ、石炭を採取。
- 1924年-1926年に千島列島の新知島から野ネズミ駆除と毛皮養殖目的で移入したベニギツネが感染源となり、1963年頃までに約200人の島民がエキノコックス症で死亡した。現在では、密猟者によるキツネ狩りがキツネを根絶した結果、エキノコックス症も根絶され非汚染地域となっている[11]。
観光
最北部スコトン岬(須古頓岬)から西岸沿いを縦断するトレッキングコース「愛とロマンの8時間コース」や島内には「岬めぐりコース(旧花の4時間コース[12])」「フラワーロード」などの高山植物を観察できるコースが整備されている。冷涼な気候のため、最高峰の礼文岳(490m)から島の西半分にかけてはレブンアツモリソウなど約300種類の高山植物が分布し、利尻礼文サロベツ国立公園にも指定されている。
島内の各漁港のテトラポッドの穴釣りでは、30cmから40cm超の黒ソイ・ガヤ・カジカ・アブラコ等がよく釣れる。ソイ・ガヤなどは夜行性のため、日中より夕方以降の方がよく釣れる。
2007年に温泉(礼文島温泉)掘削に成功した。近年は船泊湾など島の北端を中心に野生のアザラシが生息しており一年中観察することが出来る。トド島の名の由来となったトドも、捕獲圧のために数は少ないが稀に現れる。
礼文島には富士見ヶ丘スキー場、久種湖畔スキー場の二ヵ所スキー場がある[13]。久種湖畔スキー場は、日本最北端のスキー場である。
日本最北端の湖久種湖がある。礼文滝も存在するが、観光ルートから離れており、あまりツアー客が訪れない秘境となっている。
アクセス
航路
- ハートランドフェリー(旧・東日本海フェリー)
空路
登場作品
- テレビドラマ『Dr.コトー診療所』のエンディング曲である、中島みゆき『銀の龍の背に乗って』のプロモーションビデオが撮影された。登場しているのは「澄海岬」。
- NHKドラマ「礼文島」(1986年)や日本テレビの熱中時代(教師編)の舞台となった。
- 映画「北のカナリアたち」。2012年公開。利尻島や稚内市とともに舞台になっている。
関連項目
脚注
参考資料
- 財団法人日本離島センター『SHIMADAS(シマダス)』1998.8
- 日本アソシエーツ『山嶼大事典』1991.12