ランディ・ジョンソン
テンプレート:Infobox baseball player ランドール・デイヴィッド・ジョンソン(Randall David Johnson, 1963年9月10日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国カリフォルニア州ウォールナットクリーク出身。ニックネームは「Big Unit」。
目次
経歴
プロ入りまで
6歳のときに野球を始め、同時に一番好きなスポーツとなった[1]。本格的に野球をするため、8歳の時にリトルリーグ入団のオーディションを受けたが、体が大きすぎるため年齢詐称を疑われ、母親が身分証明書を見せて入団が許可された[2]。
1982年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから4巡目に指名を受け、契約金48,000ドルを提示されるが[3]、「今プロに行っても将来的な保証が何もない」という父の意向により[2]、契約せずに南カリフォルニア大学へ進学。大学では2年生まで野球とバスケットボールをしていたが、3年生から野球に集中する[3]。
モントリオール・エクスポズ
1985年のMLBドラフトでモントリオール・エクスポズから2巡目に指名を受け入団。テンプレート:ByはA級で119.2イニングで133奪三振の一方で94四球、テンプレート:ByはAA級で140イニングで163奪三振ながら128四球を記録する。テンプレート:Byは有力誌ベースボールアメリカの選ぶ期待の若手第3位に選出される[4]。AAA級で継投でのノーヒッターを達成するも、敗戦投手となる珍記録を残す(7回を無安打に抑えるが、初回に四球で出した走者に2つの盗塁を許し、次打者の内野ゴロで失点)[4]。セプテンバー・コールアップでメジャーに昇格し、9月15日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。9月20日のシカゴ・カブス戦で11三振を奪ってメジャー初完投を記録するなど3勝0敗・防御率2.42の成績だった。テンプレート:Byは開幕から先発ローテーション入りするが制球が悪く、0勝4敗・防御率6.67と低迷し[5]、5月9日にマイナー降格。5月25日にマーク・ラングストン、後日発表のマイク・キャンベルとの交換トレードでジーン・ハリス、ブライアン・ホルマンと共にシアトル・マリナーズに移籍[5]。
シアトル・マリナーズ
移籍後も制球難は変わらなかったが、7勝を挙げる。テンプレート:By6月2日のデトロイト・タイガース戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成[6]するなど6月は5勝0敗・防御率2.40の好成績でピッチャー・オブ・ザ・マンスを初受賞[6]。前半戦で9勝3敗・防御率3.68を記録し[6]、登板機会はなかったがオールスターゲームにも初めて選出された。14勝11敗・防御率3.65、リーグワーストの120四球を記録。オフの日米野球でMLB選抜として来日。メジャー選抜は負け越したが、最終第8戦で先発してチャック・フィンリーとの継投でノーヒッターを達成し、意地を見せた[7]。テンプレート:Byは13勝10敗・防御率3.98、リーグ2位の228奪三振、リーグワーストの152四球を記録。テンプレート:Byは初の開幕投手を務める。9月27日のテキサス・レンジャーズ戦で18奪三振を記録し、ロン・ギドリーが持つ左投手としてのリーグ記録に並び[8]、9月16日からの3試合で45奪三振は史上2位となった[8]。12勝14敗、3年連続リーグワーストの144四球だったが、241奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。同年ノーラン・ライアンと、当時レンジャーズ投手コーチでライアンと二人三脚でトレーニング方法を開発したトム・ハウスの2人と出会い、メンタルトレーニングの指導を受けて制球難を改善させる[9]。
テンプレート:By5月16日のオークランド・アスレチックス戦では8回まで無安打に抑えるも9回に安打を打たれノーヒッターを逃した[10]。19勝8敗・防御率3.24、リーグ最多となる308奪三振を記録し、トレード相手のラングストンがテンプレート:Byに記録した262奪三振の球団記録を更新[11]。3年連続で100以上だった四球も99に留めた。サイ・ヤング賞の投票ではジャック・マクダウェルに次ぐ2位に入った[12]。オフに4年総額2025万ドル(5年目は600万ドルのオプション)で契約を延長[13]。
ビル・クリントン大統領が始球式を務めたテンプレート:By4月4日のクリーブランド・インディアンスとの開幕戦で、8回にサンディ・アロマー・ジュニアに打たれるまでノーヒットに抑えた[14]。5月15日から6月20日にかけて3連続完封を含む7連勝[14]。7月7日のボストン・レッドソックス戦でラングストンの球団記録を更新する通算75勝目を挙げる[14]。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、13勝6敗・防御率3.19、リーグ最多の204奪三振・9完投・4完封を記録。サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。テンプレート:Byは開幕から6連勝を記録し、オールスターゲームでは先発投手を務めた。チームはカリフォルニア・エンゼルスと同率で並び、10月2日のワンゲームプレイオフでは中3日で先発、3安打12奪三振で完投勝利を挙げて球団創設以来初の地区優勝をもたらす。18勝2敗・防御率2.48・294奪三振、歴代7位の勝率.900[15]を記録し、初の最優秀防御率、4年連続の最多奪三振を獲得。ニューヨーク・ヤンキースとのディヴィジョンシリーズでは緊急登板の影響で第3戦に先発し勝利投手。最終第5戦では同点の9回にリリーフ登板し、延長11回表に1失点するが、その裏2点を挙げて逆転サヨナラ勝利。インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発するが勝てず、チームは2勝4敗で敗退した。オフに自身初、球団史上初のサイ・ヤング賞を受賞。
テンプレート:Byは椎間板ヘルニアと背中の故障のため5勝にとどまる。テンプレート:Byは復活を果たし[1]、6月24日のアスレチックス戦で19奪三振を記録して自身の持つ左腕投手としてのリーグ記録を更新[16]するが敗戦投手。前半戦で12勝を挙げ、2年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、2回にラリー・ウォーカーと対戦した際に頭部後方へ暴投し、その後ウォーカーはヘルメットを前後逆に被り右打席に入るというパフォーマンスを行った。8月8日のシカゴ・ホワイトソックス戦でも19奪三振を記録し完封勝利。その後故障者リスト入りするが、9月27日のアスレチックス戦でリリーフ登板してベン・グリーヴから三振を奪い、通算2000奪三振を達成。同時に20勝目を挙げ、球団史上初の20勝投手となった[16]。最終的に20勝4敗・防御率2.28・291奪三振を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。ボルチモア・オリオールズとのディヴィジョンシリーズでは第1戦と第4戦に先発したが共に敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では勝利数・防御率・奪三振の3部門全てで上回ったロジャー・クレメンスに次ぐ2位だった[17]。テンプレート:Byは不調で7月までに9勝10敗・防御率4.33。7月31日にフレディ・ガルシア、カルロス・ギーエン、後日発表のジョン・ハラマとの交換トレードでヒューストン・アストロズに移籍。
ヒューストン・アストロズ
移籍後は11試合に先発し、内7試合で2桁奪三振を記録するなど[18]、10勝1敗・防御率1.28・116奪三振、グレッグ・マダックスの5完封に次ぐ4完封と復調し、チームの地区優勝の原動力となる。サンディエゴ・パドレスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦と第4戦に先発し、好投したが共に敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では7位。329奪三振で自己最多を更新し、20試合で2桁奪三振を記録した。オフにフリーエージェントとなり、12月10日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年5300万ドルで契約。
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
テンプレート:Byは援護に恵まれず17勝9敗と勝利数は伸びなかったが、いずれもリーグトップの防御率2.48・364奪三振・271.2イニング(自己最高)・12完投。23試合で2桁奪三振を記録し、サンディ・コーファックスがテンプレート:Byに記録したリーグ記録の21を更新、テンプレート:Byのライアンに並ぶMLB記録となった[19]。チームは100勝を挙げて史上最速の創設2年目で地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発、9回途中まで11三振を奪ったが7失点と打ち込まれ敗戦投手。チームは1勝3敗で敗退した。オフに2度目のサイ・ヤング賞を受賞。テンプレート:Byは開幕から7連勝を記録するなど前半戦で14勝2敗・防御率1.80の好成績を挙げ、オールスターゲームでは先発投手を務めた。9月10日のフロリダ・マーリンズ戦でマイク・ローウェルから三振を奪い、史上12人目の3000奪三振を達成。後半戦は5勝にとどまるが、19勝7敗・防御率2.64・347奪三振で2年連続のサイ・ヤング賞を獲得した。
テンプレート:By3月24日、スプリングトレーニングでのサンフランシスコ・ジャイアンツ戦の7回に、投球が偶然飛んできた鳩を直撃するハプニングが起きた。投球はノーカウントになったが、ショックを受けてその後打ち込まれた。この場面は全米に放送され、後日動物愛護団体から訴えられた。5月8日のシンシナティ・レッズ戦で史上4人目の1試合20奪三振を達成するなど、前半戦で11勝・202奪三振を記録し、2年連続でオールスターゲームの先発投手を務めた。7月19日、前日照明の故障により3回表終了後にサスペンデッドゲームとなったパドレス戦が再開され、3回からリリーフとして登板。7イニングを1安打無失点に抑え、リリーフ投手としての新記録となる16三振を奪った。21勝6敗、共にリーグトップの防御率2.49・372奪三振を記録。23試合で2桁三振を奪い[20]、奪三振率は13.41でペドロ・マルティネスが1999年に記録したMLB記録の13.2を更新した[20]。同年チームメイトのカート・シリングが293奪三振を記録し、同一チームの2投手合計の奪三振は665で、エンゼルスのライアンとビル・シンガーがテンプレート:Byに記録した624を上回った[20]。シリングと2人で計43勝を挙げて2年ぶりの地区優勝に貢献。セントルイス・カーディナルスとのディヴィジョンシリーズでは第2戦に先発したが、アルバート・プーホルスに本塁打を浴びるなど8回3失点で敗戦投手。ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦で3安打11奪三振完封勝利。第5戦でも勝利投手となり、初のリーグ優勝に導いた。自身にとっても初出場となったヤンキースとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、3安打11奪三振完封勝利。その後2試合連続でサヨナラ負けを喫するなど2勝3敗と王手をかけられるが、第6戦で勝利投手となりタイに戻す。最終第7戦ではリードを許した8回途中からリリーフとして登板し、無失点に抑える。チームは9回裏にルイス・ゴンザレスのサヨナラ安打で勝利し、史上最速の創設4年目でワールドチャンピオンとなった。3勝を挙げてシリングと共にシリーズMVPを受賞。3年連続でサイ・ヤング賞を獲得し、スポーツ・イラストレイテッド誌の2001年度スポーツマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、表紙を飾った。
テンプレート:Byは開幕から6連勝。いずれもリーグトップの24勝(5敗)・防御率2.32・334奪三振・260.0イニング・8完投を記録し、ナショナルリーグではテンプレート:Byのドワイト・グッデン以来の投手三冠を達成。シリングと揃って300奪三振を記録し、計47勝を挙げて2年連続の地区優勝に大きく貢献する。カージナルスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発したが6失点と打ち込まれて敗戦投手となり、チームは3連敗で敗退した。オフに4年連続でサイ・ヤング賞を受賞。テンプレート:Byは開幕直後に右膝を痛め、4月11日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では10失点を喫するなど不調。4月21日に故障者リスト入りし、5月1日に内視鏡手術を受ける。7月下旬に復帰したが本調子とは程遠かった。9月19日のブルワーズ戦ではメジャー初本塁打を記録[21]。テンプレート:By5月18日[22]のブレーブス戦で13三振を奪い、史上17人目の完全試合を達成。両リーグでのノーヒッターは史上5人目の快挙で、40歳8ヶ月での達成はテンプレート:Byのサイ・ヤングの37歳1ヶ月を100年ぶりに更新する史上最年長記録となった。6月29日のパドレス戦でジェフ・シリーロから三振を奪い、史上4人目の通算4000奪三振を記録。9月15日のコロラド・ロッキーズ戦でビニー・カスティーヤから三振を奪って通算4137奪三振となり、スティーヴ・カールトンを抜いて単独3位に浮上し、左腕投手としては歴代1位となった。111敗を喫して地区最下位に低迷したチームの中で孤軍奮闘し、16勝14敗・防御率2.60・290奪三振を記録した。打線の援護に恵まれず勝利数は伸びなかったが制球力が向上し、投球内容は20勝を挙げた2001年や2002年よりも良かった[23]。サイ・ヤング賞の投票ではクレメンスとの一騎打ちとなったが、勝利数以外の全項目で上回ったにも関わらず2位に終わった。7月にヤンキース、エンゼルス、ボストン・レッドソックスなど数球団と移籍交渉をしたが実現せず[24]。12月にヤンキース、ロサンゼルス・ドジャースとの間でジョンソンを含めた10選手が絡む三角トレードが計画されたが、ドジャースのポール・デポデスタGMが「メリットが少ない」として締結寸前で撤退し、破談となった[24]。テンプレート:By、ヤンキースはワールドチャンピオン奪回の切り札として新しいオファーを行い[25]、1月11日にハビアー・バスケス、ブラッド・ハルシー、ディオナー・ナバーロプラス900万ドルの金銭との交換トレードが成立し、移籍。背番号51はバーニー・ウィリアムスが着けていたため41に決定し[26]、テンプレート:Byから2年3200万ドルで契約を延長した[24]。
ニューヨーク・ヤンキース
移籍1年目ながら開幕投手に選ばれ、勝利投手となる。正捕手ホルヘ・ポサダとは相性が合わず、ジョン・フラハティとバッテリーを組むことが多かった。ポサダと組んだ15試合では5勝6敗防御率4.70だったのに対し、フラハティと組んだ21試合は12勝2敗防御率3.18だった[27]。激しい地区優勝争いを演じたレッドソックス戦では5勝0敗を挙げるなど[28]17勝8敗・防御率3.79、ともにリーグ2位の211奪三振、WHIP1.13を記録し、故障者が続出した先発陣の中で、唯一ローテーションを守り切った。チームはレッドソックスを振り切って地区9連覇を果たす。エンゼルスとのディヴィジョンシリーズでは第3戦で先発したが3回5失点で降板。第5戦でマイク・ムッシーナをリリーフして無失点に抑えたがチームは敗れ、2勝3敗で敗退した。
2006年は1996年に痛めた背中の故障が再発し、17勝を挙げたが防御率5.00と不本意な成績だった。チームは地区10連覇を果たし、タイガースとのディヴィジョンシリーズでは第3戦で先発したが6回途中5失点で敗戦投手となり、1勝3敗で敗退。10月に球団は手術を発表した。
ダイヤモンドバックス復帰
ファンやメディアに辟易して自らトレードを志願し[25]、テンプレート:By1月9日にルイス・ビスカイーノ他3選手との交換トレードで古巣ダイヤモンドバックスに復帰した。6月5日のジャイアンツ戦で8三振を奪って通算4605奪三振となり、クレメンスを抜いて歴代単独2位に浮上。6月9日にクレメンスがヤンキースで復帰し7三振を奪ったため抜かれたが、6月10日のレッドソックス戦で9三振を奪って再び2位となった。しかし椎間板ヘルニアが再発して手術を受けることとなり、6月28日のドジャース戦を最後に戦線離脱し、4616奪三振でシーズンを終えた。テンプレート:Byは開幕には間に合わなかったが、4月14日に復帰。6月3日のブルワーズ戦でクレメンスを抜いて再び歴代単独2位となった[29]。その試合から6連敗を喫するが、7月に5連勝と巻き返す。大きな故障もなくシーズンを投げ抜き、11勝10敗・防御率3.91を記録した。オフにフリーエージェントとなり、12月26日にジャイアンツと1年800万ドルで契約[30]。ティム・リンスカム、バリー・ジトと共にサイ・ヤング賞投手が同一チームに3人在籍することとなり、これは2002年のブレーブス(マダックス、トム・グラヴィン、ジョン・スモルツ)以来だった[30]。
サンフランシスコ・ジャイアンツ
6月4日のワシントン・ナショナルズ戦で6回を1失点に抑え、史上24人目の300勝を達成[31]。300勝初挑戦で到達したのは、1985年のトム・シーヴァー以来、45歳での達成はフィル・ニークロの46歳に次ぐ2番目の高齢記録となった。しかし打撃の際に左肩を痛め、故障者リスト入り。終盤に復帰したが全てリリーフでの登板だった。テンプレート:By1月5日に現役引退を表明[32]。
引退後
引退後はフォトグラファーに転身。ロックフェスティバル『オズフェスト』にてカメラマンとしてフォトグラファーピットで幾つものカメラを首にぶら下げている姿を『BURRN!』誌の写真家ジョン・ハーレルに目撃されている。2011年にはインディカー・シリーズ第3戦(ロングビーチ市街地コース)に報道カメラマンとして取材に訪れた様子が日本のスポーツ紙にも掲載された[33]。 2010年4月20日に、東京ドームで東北楽天ゴールデンイーグルス主催ゲーム(対千葉ロッテマリーンズ)が初めて行われた際、始球式を行うために来日した。 テンプレート:-
2014年5月18日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地チェイス・フィールドで行われたロサンゼルス・ドジャース戦の試合前の始球式を務めた。ちょうど10年前のこの日に完全試合を達成したことを記念にしたもので、当時のユニフォームを着ての投球だった。
投球スタイル
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 メジャーリーグでも稀な2m8cmの長身から、最速102mph(約164km/h)のフォーシームと2種類のスライダー、スプリッター、ツーシームを投げ分ける。身長の分だけ腕も長く、しかもサイドスローに近いスリー・クォーターであることに加えて、横に変化する高速スライダーを投げるため、左打者にとっては背中越しにボールが現れる上に至近距離まで球筋が見極められず、非常に打ちづらい事で知られる。
通算投球回数2000回以上の投手が対象である、投球回数9回に対する通算の奪三振率が9.0以上の投手4人のうちの1人であり、投球回数9回に対する通算の奪三振率10.61はMLB史上1位である[34]。
若い頃は制球難で与四球が多かったが徐々に克服し、奪三振(4,875)と与四球(1,497)の比率(奪三振÷与四球)は3.26である。これを歴代の奪三振上位の投手と比較すると、シリング(4.38)、マルティネス(4.15)、マダックス(3.37)らには及ばないものの、ライアン(2.04)、クレメンス(2.96)、カールトン(2.26)、シーヴァー(2.62)、ボブ・ギブソン(2.33)、ドン・ドライスデール(2.91)、コーファックス(2.93)らを上回る。ただし1992年まではこの比率は1.58であった。
マリナーズ在籍時から慈善事業に積極的に関わっており、Strikeout Homelessnessプログラムにて1勝を挙げる毎に$1,000、奪三振1つ毎に$100を寄付していた[35]。
趣味
ドラムを趣味としており、自宅にドラムの練習室を作るほど。日本のTV番組で紹介された際には加藤茶とのドラムバトルを披露した。レッド・ツェッペリンのファンであり、来日の際にはブートレグCDを買い漁る。
獲得タイトル・表彰・記録
- サイ・ヤング賞 5回:1995年, 1999年 - 2002年
- 投手三冠 1回:2002年
- 最多勝利 1回:2002年
- 最優秀防御率 4回:1995年, 1999年, 2001年, 2002年
- 最多奪三振 9回:1992年 - 1995年, 1999年 - 2002年, 2004年
- ワールドシリーズMVP 1回:2001年
- ベーブ・ルース賞 1回:2001年
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス 8回:1990年6月, 1997年6月, 1998年8月・9月, 1999年7月, 2000年4月, 2002年4月・9月
- プレイヤー・オブ・ザ・ウィーク:10回
- シアトル・マリナーズ球団MVP 3回:1993年, 1995年, 1997年
- アリゾナ・ダイヤモンドバックス球団MVP 1回:2004年
- アリゾナ・ダイヤモンドバックス年間最優秀投手 5回:1999年 - 2002年, 2004年
- ウォーレン・スパーン賞 4回:1999年 - 2002年
- プレイヤーズ・チョイス・アワード
- AL Outstanding Pitcher 1回:1995年
- NL Outstanding Pitcher 1回:2000年
- MLB.com This Year in Baseball Awards
- Performance of the year:2004年
- Sports Illustrated
- Sportsman of the year:2001年
- All-Decade Team:2000年代左投手
- The Sporting News
- AL Pitchers of the Year 1回:1995年
- AL All-Star Team 2回:1995年, 1997年(左投手)
- NL All-Star Team 2回:2001年, 2002年(左投手)
- All-Decade team:2000年代左投手
- ESPN
- All-Decade team:2000年代左投手
- Yahoo! Sports
- All-Decade team:2000年代左先発投手
- Baseball Digest
- Pitcher of the Year 1回:2002年
- MLBオールスターゲーム選出 10回:1990年, 1993年 - 1995年, 1997年, 1999年 - 2002年, 2004年
- 完全試合 1回:2004年5月18日
- ノーヒッター 1回:1990年6月2日
- 5年連続300奪三振:1998年 - 2002年
年度別投手成績
テンプレート:By2 | MON | 4 | 4 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 109 | 26.0 | 23 | 3 | 7 | 0 | 0 | 25 | 3 | 0 | 8 | 7 | 2.42 | 1.15 |
テンプレート:By2 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | -- | .000 | 143 | 29.2 | 29 | 2 | 26 | 1 | 0 | 26 | 2 | 2 | 25 | 22 | 6.67 | 1.85 | |
SEA | 22 | 22 | 2 | 0 | 0 | 7 | 9 | 0 | -- | .438 | 572 | 131.0 | 118 | 11 | 70 | 1 | 3 | 104 | 5 | 5 | 75 | 64 | 4.40 | 1.44 | |
'89計 | 29 | 28 | 2 | 0 | 0 | 7 | 13 | 0 | -- | .350 | 715 | 160.2 | 147 | 13 | 96 | 2 | 3 | 130 | 7 | 7 | 100 | 86 | 4.82 | 1.51 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:By2 | 33 | 33 | 5 | 2 | 0 | 14 | 11 | 0 | -- | .560 | 944 | 219.2 | 174 | 26 | 120 | 2 | 5 | 194 | 4 | 2 | 103 | 89 | 3.65 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 33 | 33 | 2 | 1 | 0 | 13 | 10 | 0 | -- | .565 | 889 | 201.1 | 151 | 15 | 152 | 0 | 12 | 228 | 12 | 2 | 96 | 89 | 3.98 | 1.50 | |
テンプレート:By2 | 31 | 31 | 6 | 2 | 0 | 12 | 14 | 0 | -- | .462 | 922 | 210.1 | 154 | 13 | 144 | 1 | 18 | 241 | 13 | 1 | 104 | 88 | 3.77 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 35 | 34 | 10 | 3 | 0 | 19 | 8 | 1 | -- | .704 | 1043 | 255.1 | 185 | 22 | 99 | 1 | 16 | 308 | 8 | 2 | 97 | 92 | 3.24 | 1.11 | |
テンプレート:By2 | 23 | 23 | 9 | 4 | 0 | 13 | 6 | 0 | -- | .684 | 694 | 172.0 | 132 | 14 | 72 | 2 | 6 | 204 | 5 | 0 | 65 | 61 | 3.19 | 1.19 | |
テンプレート:By2 | 30 | 30 | 6 | 3 | 1 | 18 | 2 | 0 | -- | .900 | 866 | 214.1 | 159 | 12 | 65 | 1 | 6 | 294 | 5 | 2 | 65 | 59 | 2.48 | 1.05 | |
テンプレート:By2 | 14 | 8 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | -- | 1.000 | 256 | 61.1 | 48 | 8 | 25 | 0 | 2 | 85 | 3 | 1 | 27 | 25 | 3.67 | 1.19 | |
テンプレート:By2 | 30 | 29 | 5 | 2 | 1 | 20 | 4 | 0 | -- | .833 | 850 | 213.0 | 147 | 20 | 77 | 2 | 10 | 291 | 4 | 0 | 60 | 54 | 2.28 | 1.05 | |
テンプレート:By2 | 23 | 23 | 6 | 2 | 1 | 9 | 10 | 0 | -- | .474 | 685 | 160.0 | 146 | 19 | 60 | 0 | 11 | 213 | 7 | 2 | 90 | 77 | 4.33 | 1.29 | |
HOU | 11 | 11 | 4 | 4 | 1 | 10 | 1 | 0 | -- | .909 | 329 | 84.1 | 57 | 4 | 26 | 1 | 3 | 116 | 0 | 0 | 12 | 12 | 1.28 | 0.98 | |
'98計 | 34 | 34 | 10 | 6 | 2 | 19 | 11 | 0 | -- | .633 | 1014 | 244.1 | 203 | 23 | 86 | 1 | 14 | 329 | 7 | 2 | 102 | 89 | 3.28 | 1.18 | |
テンプレート:By2 | ARI | 35 | 35 | 12 | 2 | 3 | 17 | 9 | 0 | 0 | .654 | 1079 | 271.2 | 207 | 30 | 70 | 3 | 9 | 364 | 4 | 2 | 86 | 75 | 2.48 | 1.02 |
テンプレート:By2 | 35 | 35 | 8 | 3 | 4 | 19 | 7 | 0 | 0 | .731 | 1001 | 248.2 | 202 | 23 | 76 | 1 | 6 | 347 | 5 | 2 | 89 | 73 | 2.64 | 1.12 | |
テンプレート:By2 | 35 | 34 | 3 | 2 | 1 | 21 | 6 | 0 | 0 | .778 | 994 | 249.2 | 181 | 19 | 71 | 2 | 18 | 372 | 8 | 1 | 74 | 69 | 2.49 | 1.01 | |
テンプレート:By2 | 35 | 35 | 8 | 4 | 0 | 24 | 5 | 0 | 0 | .828 | 1035 | 260.0 | 197 | 26 | 71 | 1 | 13 | 334 | 3 | 2 | 78 | 67 | 2.32 | 1.03 | |
テンプレート:By2 | 18 | 18 | 1 | 1 | 0 | 6 | 8 | 0 | 0 | .429 | 489 | 114.0 | 125 | 16 | 27 | 3 | 8 | 125 | 1 | 1 | 61 | 54 | 4.26 | 1.33 | |
テンプレート:By2 | 35 | 35 | 4 | 2 | 3 | 16 | 14 | 0 | 0 | .533 | 964 | 245.2 | 177 | 18 | 44 | 1 | 10 | 290 | 3 | 1 | 88 | 71 | 2.60 | 0.90 | |
テンプレート:By2 | NYY | 34 | 34 | 4 | 0 | 2 | 17 | 8 | 0 | 0 | .680 | 920 | 225.2 | 207 | 32 | 47 | 2 | 12 | 211 | 3 | 1 | 102 | 95 | 3.79 | 1.13 |
テンプレート:By2 | 33 | 33 | 2 | 0 | 1 | 17 | 11 | 0 | 0 | .607 | 860 | 205.0 | 194 | 28 | 60 | 1 | 10 | 172 | 3 | 2 | 125 | 114 | 5.00 | 1.24 | |
テンプレート:By2 | ARI | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 233 | 56.2 | 52 | 7 | 13 | 3 | 4 | 72 | 1 | 0 | 26 | 24 | 3.81 | 1.15 |
テンプレート:By2 | 30 | 30 | 2 | 0 | 0 | 11 | 10 | 0 | 0 | .524 | 778 | 184.0 | 184 | 24 | 44 | 6 | 6 | 173 | 2 | 1 | 92 | 80 | 3.91 | 1.24 | |
テンプレート:By2 | SF | 22 | 17 | 0 | 0 | 0 | 8 | 6 | 0 | 0 | .571 | 412 | 96.0 | 97 | 19 | 31 | 2 | 2 | 86 | 5 | 1 | 55 | 52 | 4.88 | 1.33 |
通算:22年 | 618 | 603 | 100 | 37 | 19 | 303 | 166 | 2 | 0 | .646 | 17067 | 4135.1 | 3346 | 411 | 1497 | 37 | 190 | 4875 | 109 | 33 | 1703 | 1513 | 3.29 | 1.17 |
- 各年度の太字はリーグ最高
脚注
外部リンク
テンプレート:Navboxes テンプレート:3000奪三振クラブ テンプレート:300勝クラブ
テンプレート:2001 アリゾナ・ダイヤモンドバックス- ↑ 1.0 1.1 鉄矢多美子 「豪腕復活インタビュー ランディー・ジョンソン [マリナーズ]」『月刊メジャー・リーグ』 1997年9月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-9、3 - 8頁。
- ↑ 2.0 2.1 アキ猪瀬 「300勝――絶滅種の金字塔ランディ・ジョンソン [ジャイアンツ]」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、71頁。
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite book
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 6.0 6.1 6.2 テンプレート:Cite web
- ↑ ベースボールマガジン2012年11月号74ページ
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- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ May 16, 1993 Seattle Mariners at Oakland Athletics Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
- ↑ Seattle Mariners Pitching Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
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- ↑ 14.0 14.1 14.2 テンプレート:Cite web
- ↑ Single-Season Leaders & Records for Won-Loss % - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
- ↑ 16.0 16.1 テンプレート:Cite web
- ↑ Baseball Awards Voting for 1997 - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
- ↑ Randy Johnson 1998 Pitching Gamelogs -Baseball-Reference PI 2008年1月11日閲覧.
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- ↑ 20.0 20.1 20.2 テンプレート:Cite web
- ↑ Randy Johnson 2003 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月11日閲覧.
- ↑ 奇しくも10年前の1994年の同じ日に、NPBで槙原寛己(巨人)が完全試合を達成している。
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- ↑ 24.0 24.1 24.2 「ランディ・ジョンソン[ヤンキース]/“41歳の若者”が挑む大舞台」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボール・マガジン社、2003年、雑誌コード08625-3、8-9項。
- ↑ 25.0 25.1 三尾圭「リベンジ! 新天地で燃える男たち」『スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-8、34 - 35頁
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- ↑ Randy Johnson 2005 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月11日
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- ↑ 30.0 30.1 テンプレート:Cite web
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- ↑ 東京中日スポーツ・2011年4月22日付 19面
- ↑ MLB>Stats>All-Time Totals>Pitching>9_K
- ↑ テンプレート:Cite web