日産・パルサー

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パルサーPulsar )は、日産自動車1978年から2000年まで日本で販売していた小型乗用車である。2013年からタイ王国オセアニア市場で再び車名が復活している。

概要

4ドアセダンからスタート。その後ハッチバッククーペライトバンが設定された。その生涯を一貫してヨーロピアンイメージの小型車として開発/生産された。

歴史

初代 N10型系(1978年 - 1982年)

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  • 1978年5月 チェリーF-II(F10型、1974年発売)の後継車種としてN10型パルサー登場。サニーの弟分の位置づけであり、一部ヨーロッパ市場では(ダットサン)チェリーの名を引き継いだが、その他のヨーロッパ・アジア市場ではダットサン・100A/120A/130A/140A/150A、北米市場ではダットサン・310、オーストラリアではパルサーの名称で販売された。日本国内ではチェリー店で販売。発売当初はファストバック(2ボックス)スタイルながら、独立したトランクを持つ4ドアセダンのみ。エンジンは直列4気筒OHV1.2L/1.4LのA12/A14型。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを上下(2階建て)に配するイシゴニス式。サスペンションは前ストラット、後フル・トレーリングアーム式独立懸架の四輪独立で、スプリングは前後ともコイルスプリングを用いるなど機構的には先代のチェリーF-IIを踏襲している。また、1.4L車には独特のH形ゲートを持つクラッチレス[1]MT(あるいはセミAT)「スポーツマチック」車も引き続き設定された。デビュー時の広告では、パルサーを中心に、背後に欧州を代表する小型FF車フォルクスワーゲン・ゴルフアルファロメオ・アルファスッドルノーサンクミニを後向きに並べ、「パルサー・ヨーロッパ。」と謳っていた。
  • 1978年9月 3ドアハッチバック、3ドアクーペ及びA14E電子制御燃料噴射(ニッサンEGI)付きエンジン搭載車を追加発売する。
  • 1978年11月VN10型型パルサーバン発売。コストと耐久性を重視してリアサスペンションをリーフ・リジット式とするのが常であるバンモデル(前身のチェリー・バンもリーフ・リジット式であった)としては珍しく、横置きトーションバー・スプリングを用いたフル・トレーリングアーム式独立懸架を採用していた。スペース効率に優れたこのサスペンションにより、超低床レイアウトを実現し、荷室は、小さな外寸にそぐわない天地に広い空間を構築していた。またその超低床レイアウトを生かすべくバックドアは開口見切りを大きく下げており、結果リアバンパーは極端に天地に薄いものとなっていた。後に初代プレーリーエスカルゴのベースに使用された。
  • 1979年8月 パルサーバンが昭和54年排出ガス規制適合によりVN11型となる。
  • 1979年9月 5ドアハッチバックを追加。基本的に4ドアセダンと同じスタイルのボディに、3ドアハッチバックと同じリアゲートを組み合わせたもので、4ドアセダンに比べリアシートのバックレストが可倒式になり実用性が増した。またトランクの開口部が上方向に広がったが、開口部下端は4ドアセダンのバンパーレベルからテールランプ上端に上がった。
  • 1980年2月 サンルーフ付車追加。
  • 1980年5月 マイナーチェンジ。角型ヘッドランプを採用。4ドアセダン廃止。
  • 1981年3月 2度目のマイナーチェンジを実施。エンジンが、直列4気筒SOHCE型に変更される。排気量は1.3Lと1.5Lで、型式はそれそれE13、E15型である。駆動系の配置は、エンジン、トランスアクスルを直線状に配するジアコーサ式となる。同時にトルクコンバータプラネタリーギアを用いた一般的な構造の3速フルATが開発され、「スポーツマチック」は廃止。また、バンの基本型式がN10型に戻った。モデル末期に大掛かりな機構の変更がなされたが、これは同年10月に発売のB11型サニー(同車初の前輪駆動)のパイロットモデルとしての役割を果たすためであった。
モータースポーツ

パルサーはレース活動が活発で、クーペによるワンメイクレースが開催された。1981年にはRACラリーに参戦。

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2代目 N12型系(1982年 - 1986年)

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  • 1982年4月 N12型にモデルチェンジ。ボディタイプは3ドアおよび5ドアハッチバック、2ドアノッチバッククーペのラインナップ。クーペはグレード名を「エクサ」(EXA )シリーズとした。ヨーロッパ市場では引き続きチェリーの名を引き継いだ。北米市場にはB11サニーが日産・セントラとして投入されたため、クーペのエクサのみがパルサーNXとして投入された。マレーシア南アフリカ共和国ではラングレー、その他のアジア諸国・オーストラリアでは「日産パルサー」(中文:日産彗星)の名称で販売された。オーストラリアではバトン・プランによって現地メーカーであるGMホールデンホールデン・アストラという名称でOEM供給もした。
  • 1982年6月 4ドアサルーン(セダン)を追加発売(バイオレットリベルタの後継車・リベルタビラ姉妹車である)。エンジンはE13S/E15S(キャブレター仕様)/E15E(EGI仕様)を搭載。
  • 1983年5月 E15ET(ターボ仕様)とディーゼルのCD17を追加及び一部改良。一部グレードに日本初のドアミラーを装備。
  • 1983年7月 日産とイタリア アルファ・ロメオとの技術提携により「アルファロメオ・アルナ」(合弁会社名「Alfa Romeo e Nissan Automoveicoli S.p.A」に由来)が登場しヨーロッパで販売された。ボディ形状は3ドア/5ドアハッチバックのみで、フロントおよびリアの意匠がパルサーと異なるほか、エンジンはアルファ・ロメオ製で「スッド」由来の水平対向4気筒・SOHCエンジンを搭載していた。
  • 1984年3月 マイナーチェンジ。3ドアハッチバックの1.5L車をアルファ・ロメオと提携したモデル「ミラノX1」シリーズとする。
  • 1985年2月 特別仕様車1300 5ドア TCスペシャルXV及びTS-GスーパーエクストラXV発売。
  • 1985年5月 「3ドアハッチバック1300ELLE-S」、および「3ドアハッチバック1500ミラノX1 ホワイト・ミラノ仕様」を設定。ターボチャージャーの冷却方式を水冷式に変更。
  • 1985年9月 特別仕様車1300 4ドアTCスペシャルXV発売。
  • 1985年12月 アルファシリーズ追加。
  • 1986年 アルファ・ロメオ アルナ生産終了。
  • 1986年5月 N13型にモデルチェンジされる。

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3代目 N13型系(1986年 - 1990年)

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  • 1986年5月 N13型にモデルチェンジ。4ドアセダン、3ドア/5ドアハッチバックの3タイプのボディをラインナップ。クーペは新車種「エクサ」として独立したため(型式上はKEN13となっており、後記の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞にも含まれていた)パルサーのバリエーションとしては廃止。エンジンはE13S、E15S、E15E、CD17に加えてCA16DEを搭載。フルライン化されつつあったターボエンジンを廃止する。また、量産車世界初となるビスカスカップリング式4WD「フルオート・フルタイム4WD」搭載車をラインナップ。上級グレードのスピーカーには世界ブランドのJBL製をオプション設定し、運転席ドア開口後部に専用の傘が収納できる“アンブレラポケット”を3ドアに設定。姉妹車ラングレーリベルタビラ、エクサと共に日産初の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。ギリシアを除く欧州市場ではこの代から「日産サニー」、マレーシアを除くアジア向けとオーストラリア市場では「日産パルサー」マレーシア、ニュージーランドでは「日産セントラ」として販売された。なおオーストラリア現地生産車は、フロントマスクが姉妹車であるラングレーのもので、GMファミリーIIエンジンが搭載され、日本国内仕様にはなかった1.8Lも存在した。また香港向けについてはフロントグリルおよび速度メーターなども日本国内と同一であった。
  • 1987年1月 トリプルビスカス・フルオート・フルタイム4WD搭載車を発売。後のアテーサへの橋渡し的モデル。
  • 1987年2月 1300 3ドアハッチバックにM1仕様追加。
  • 1988年4月 マイナーチェンジで1.5LのエンジンがGA15SGA15Eという通称「スーパーインテークエンジン」(4気筒SOHC12バルブ)へ変更された。同時に新グレードM1'NとR1ツインカムを設定、ミラノ系のフルカラースポーツ仕様にダークグリーン色を設定。トリプルビスカス・フルオート・フルタイム4WD搭載車がカタログモデルになる。
R1ツインカムとはラリー競技参加を主眼としたグレードで、4点式ロールバーやクロスレシオミッションが搭載されている一方、パワーウインドーやカラードドアミラーなどの快適装備が省かれ、外装は最廉価グレードV1と同等である。富士スピードウェイ等でSp(スポーツプロダクション)クラスやフレッシュマンレース参戦車両としても使用された(X1ツインカム)。
  • 1988年9月 AT車にシフトロック追加及びパルサー10周年記念特別仕様車1600 3ドアハッチバック ブラックミラノχ発売。
  • 1989年1月 AT車のシフトロックをPレンジ保持機構付に変更し特別仕様車1500 3ドアハッチバック ミラノ X1χ発売。
  • 1990年1月 トレンダシリーズ追加。

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4代目 N14型系(1990年 - 1995年)

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  • 1990年8月 N14型にモデルチェンジ。N13型まで存在していた姉妹車のリベルタビラとラングレーがN14型へのモデルチェンジを機にパルサーに統合されたことに伴い、取扱系列が従来のチェリー系列販売会社に加えて、リベルタビラ取扱の日産店系列販売会社とラングレー取扱のプリンス店系列販売会社も加わった。
  • グレード/バリエーションが多い。グレード名は V1M1M1-DJ1JK1K1-DX1X1RGTGTIGTI-R の11種類となる。エンジンは、ガソリンエンジンが、この代から全てDOHC16バルブ化されて、1.3L/1.5L/1.6L/1.8L/2.0Lターボの5種類、これに 1.7L のディーゼルを加えて計6種類となる。ボディタイプは3ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアセダン[2]の3種類である。これらに MT/AT や 2WD/4WD の別も組み合わせると極めて多くのバリエーションとなった。中でも目玉は4連スロットルバルブ等を搭載し、ハイチューン化されたSR20DET型 2.0L 230ps ターボエンジン[3]と、U12型ブルーバードSSS-Rから熟成されたフルタイム4WDシステム「ATTESA」を3ドアハッチバックに搭載したホットモデル「GTI-R」である(後述)。
  • 1991年4月 WRC参戦記念特別仕様車発売。
  • 5ドアセダンのデザインは、前澤義雄が語ったところによると、日本車をヨーロッパの奥座敷に上げようと言う意図で、3ドアハッチバックでなく4ドアセダンベースにしたという。事実、このデザインは、オペルなどに影響を与えた。
  • 1992年 九州工場での生産を開始。
  • 1992年8月 - 後期型へのマイナーチェンジで、フロントエンブレムがパルサー独自のPマークから、日産のCIマークに置き換えられ、リアにもエンブレムがついた。
GTI-R

GTI-R」はN14型パルサーのイメージリーダーとして開発初期の段階から企画され、WRCへの参戦を前提に設計された。日本テレビよみうりテレビ系で放送された「EXテレビ」でも、WRC出場前から多数の生CMを打つなど、派手な広告戦略を取った上で、日産の新しいラリーウェポンとしてかなりの自信と期待を持ってリリースされた。

  • FF最上級の3ドアGTIと比べ、エアコンがオプション。パワーウインドーと集中ドアロックは標準装備

代わって外観では、特徴的なボンネット状のエンジンバルジと巨大なリアテールスポイラーが付与される。ビスカスカップリングLSDなど仕様から読み取れる差異があった。また、標準仕様の他に、ラリー等への参戦を目的とした競技用ベースグレード(軽量化のためさらにレスオプションが増え、クロスレシオミッションやスポット増し・機械式LSD・ホイルもスチールとなったもの)がカタログモデルとして存在した。他には標準仕様にニスモ製ロールバーやショックアブソーバー等が装着されたGTI-R NISMOが限定販売された。

  • 当初ハイパワーエンジンに対して小さな車体はラリーフィールドでの強力な武器となると考えられていたが、改造範囲の狭いグループAであることが災いし、タイヤサイズの拡大ができずにパワーをもてあまし、エンジンルームの狭さからラジエーターインタークーラーの冷却が十分に行えないなど、競技車両として様々な問題が露呈した。1992年のスウェディッシュラリーで総合3位を獲得、グループNクラスでは年間タイトルを獲得する一方、早々とWRCからの撤退を発表した。なお、英国ラリー選手権(BRC)では、SR20DE型を搭載したFFのGTI(現地名・サニー・GTI)がNMEからF2クラスに参戦し、1996年1997年、チャンピオンを獲得している。このように競技車両としては短命であったが、市販車はN15型にモデルチェンジするまで廃止とならず、堅調な販売を続けていた。
  • 大きなレースからは撤退したものの、小さなボディーにハイパワーエンジンというコンセプトは、夜中の峠道を疾走するローリング族や、ラリーイメージを好むユーザーからの人気を獲得することとなる。また、GTI-Rのエンジンは当時の多くの日産車に採用されているSR20DE系エンジンではあるが、通常とは異なる特殊パーツを備えていたため、ほかのSR20DETエンジンへパーツを流用したり、P10型プリメーラ等SR20DE系エンジン搭載FF/FFベースの4WD車[4]へのエンジンスワップも多く見られた。

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5代目 N15型系(1995年 - 2000年)

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  • 1995年1月 N15型発売。この代から欧州市場では車名がアルメーラに改められた。ボディタイプは当初、3ドアハッチバック(パルサーセリエ)と4ドアセダン。スポーティ系のX1/X1R/GTI(GT)と、ラグジュアリー/ベーシック系のCJ-I/CJ-II(セリエはREZZO等)の2系統のラインナップ。エンジンはガソリン車が1.5LのGA15DE型(X-1/CJ-I/CJ-II)、1.6LのGA16DE型(X1R)、プレミアムガソリン仕様の1.8LのSR18DE型(GT)、ディーゼル車が2.0LのCD20型をそれぞれ搭載していた。4WDは2仕様があり、フルオートフルタイム式(GA15DE型搭載)とアテーサ(CD20型搭載)がラインナップされた。前輪駆動車のリアサスペンション固定車軸トーションビーム式(マルチリンクビーム)となった。
  • 1996年5月 RV5ドアワゴンのパルサーセリエS-RVを発売。姉妹車はルキノS-RV
  • 1996年9月 マイナーチェンジ(中期型)。全車運転席及び助手席のSRSエアバッグを標準化した。また、ABSを標準装備化した。車名ロゴ変更、日産CIマークのサイズと取り付け位置変更が行なわれた。また、中期型からは搭載されるエアコンが変更され、エアコンフィルターの装着が可能になった。
  • 1997年9月 マイナーチェンジ(後期型)。主に外観がリニューアルされた。マルチリフレクタータイプのヘッドランプを採用し、フロントグリル、リアコンビネーションランプ、前後バンパー形状が変更されたほか、全シリーズハンドル形状の変更が行われた。また、オドメータートリップメーターを液晶化した。SR18DEエンジン搭載車がAT車のみに廃止。1.6L 175仏馬力プレミアムガソリン仕様のNEO VVL可変バルブタイミング&リフト機構)を採用したSR16VE(通称青ヘッド)を搭載したVZ-Rを追加発売。型番はセダン、セリエともにJN15。組み合わされるトランスミッションは5速MTのみ。VZ-RにはRNN14パルサーGTI-Rと共通のフロント・リアブレーキが採用された。「S-RV」のRV風装飾を排除した5ドアモデル「F」追加。
  • 1998年 ニュージーランドでの現地生産終了に伴い車名を「セントラ」から「パルサー」(日本からの輸入)に変更。
  • 1999年4月 パルサー、パルサーセリエ3ドアのCD20型ディーゼル車廃止。
  • 2000年8月 パルサー/パルサーセリエ/パルサーセリエS-RV、すべて販売終了。
カスタマイズモデル
  • 1996年6月 SR18DE搭載のパルサーセリエGTIの5速MT車をベースに、オーテックジャパンが開発を行った「オーテック・バージョン」(AUTECH VERSION )を発売。型式はHN15改。先行して発売していたHP10改プリメーラに準ずるチューン(但しエキゾーストマニホールドのみFF車用SR20DE標準車のもの)を施したプレミアムガソリン仕様175仏馬力のSR20DE改良型(2.0L)を搭載し、一部クロス化した専用ビスカスLSD付き5速MTとの組み合わせでスポーティな走りを可能とした。外観上の特徴は大型フォグランプ内蔵のフロントエアロバンパーと、専用大型ルーフスポイラー、専用サイドステップ、RNN14パルサーGTI-Rと共通の専用フロント・リアブレーキ、藤壷技研製マフラー、専用センターマフラー、スポーツサスペンション、205/50R15 85VのブリヂストンGグリッドタイヤを装備していた。内装はブラックを基調にオーテックジャパンのロゴが入ったホワイトメーターを装着。専用のシート地とドアトリムクロスを採用していた。ボディカラーはブラック(#KH3)とブルーイッシュシルバー(#KG1)の2色。
  • 1996年9月 オーテック・バージョンをマイナーチェンジ(後期型)。ベース車両のマイナーチェンジに準じ、前席デュアルSRSエアバッグとABS搭載。
  • 1997年 SR16VE搭載のVZ-Rベース(FF・5速MTのみ)のエアロセレクションとSR20DE搭載のエアロスポーツ(4WD・5速MTとOD付き4速AT)を追加。ともにオーテックジャパンが開発を担当した。
エアロセレクション

大型フォグランプ内蔵のフロントエアロバンパーと、専用大型ルーフスポイラー、藤壺技研製専用マフラー、205/50VR15のブリヂストンポテンザRE710Kaiタイヤを組み合わせたゴールドの専用アルミホイールが外観上の特徴。赤ステッチの入った専用モモ製本革巻シフトノブ&専用パーキングブレーキレバー、ホワイトメーター、専用のシート地とドアトリムクロスを内装に採用していた。

エアロスポーツ

IPF製の大型フォグランプと大型フェンダーが外観上の特徴で、大型フェンダー採用によりシリーズ唯一の3ナンバー車となっている。背面スペアタイヤキャリア付車と無車が選べた。内装には専用のシート地とドアトリムクロス、ホワイトメーター、本革巻ステアリングを採用していた。

  • 1997年 パルサーセリエ3ドアに当時参戦していたスーパー耐久(S耐)レース向けとしてVZ-R・N1および同レース仕様車を追加発売。ルキノハッチの同グレードと合わせ200台の限定生産。専用のSR16VEエンジン(通称青ヘッド)は専用シリンダーヘッドや吸排気を採用し、クランクシャフトとフライホイールのバランス取り、ポートと燃焼室、吸排気マニフォールドの研磨などのチューンを施し、当時1.6Lクラス最強の200仏馬力を発生した。1.6L NAエンジンには珍しく、追加インジェクター(インマニ裏側)や吸入口の可変フラップなどを装備。またSR16VEエンジン自体がSR20エンジンのショートストローク版であることから、ピストンやスロットルボディなどがSR20系の有用なカスタムパーツとして知られている。組み合わされるトランスミッションはベース車のVZ-Rと同仕様の5速MTのみ。サスペンションはVZ-R標準車と同様のものが使われていた。
  • 1998年10月 パルサーセリエ3ドアにVZ-R・N1バージョン2および同レース仕様車を追加発売。ルキノハッチの同グレードと合わせ1999年3月末までの限定受注、300台の限定生産。バージョン2は前年型から細かな改良が行なわれており、サスペンションはスタビライザー径を太くするなどバージョン2専用のものに変更され、それに合わせてタイヤサイズを変更(195/55VR15から205/50VR15へ、銘柄はダンロップ製FORMULA W-10を採用)している。藤壷技研製専用メインマフラーを標準装備。内装が大幅にグレードアップされ、モモ製本革巻スポーツステアリング、R32スカイラインGT-Rタイプ(フレームが共通)の専用モノフォルムバケットシート、専用シート地(座面のみオレンジ)とドアトリムクロス(オレンジ)を採用していた。このほか、オーテックジャパン扱いのオプションとして、エンケイ製の専用15インチアルミホイールと専用大型ルーフスポイラーが用意されていた。
モータースポーツ
  • 1999年 VZ-R・N1バージョン2に、スポーツオプションとして東名スポーツ製エキゾーストマニフォールドや大型ブレーキキャリパーを設定し、スーパー耐久(S耐)に参戦。シリーズランキング2位、3位を飾る。このクラスでは最もポピュラーなシビックタイプRと同じ排気量ながらエンジン出力が大きく、またボディ剛性も高いことがチューニング業界では知られている。

6代目 N16型系(2000年 - 2005年)

日本では2000年8月に後継車種がブルーバードシルフィとして登場したが、オーストラリアおよびニュージーランドでは引き続き「パルサー」の車名と「N16」の型式名が使用された。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックで前者はG10型ブルーバードシルフィを、後者はN16型アルメーラをそれぞれベースにしていた。2006年初めにC11型ティーダが後継車種としパルサーの車名は世界的にここで一旦消滅した。

車名復活後 (2012年 - )

B17 (2013年 - )

2012年10月16日、日産オーストラリアは「パルサー」の車名を復活させると発表し、オーストラリア国際モーターショーにセダンとハッチバックを出展した[5]。セダンはB17型シルフィ/セントラと基本的に同一車種で、オーストラリアでは2013年1月29日に登場[6]タイ日産からの輸入で、エンジンはMRA8DE。グレード展開はSTとST-LにCVTまたは6MTが、TiにはCVTのみが設定されている。ニュージーランドではSTとTiの2種でこちらではCVTのみの設定。

C12 (2013年 - )

ハッチバックはC12型ティーダと基本的に同一車種で、セダンに約半年遅れて2013年6月11日に発売された[7]。こちらもタイ日産からの輸入で、グレード展開は4種で、STとST-LはMRA8DEエンジンにCVTまたは6MTが、ST-SとSSSにはMR16DDTエンジンにCVTまたは6MTが設定されている。ニュージーランドではST、ST-S、SSSの3種でCVTのみの設定。


また、タイ王国でも2013年3月7日にパルサーが発売された[8]。こちらではセダンはシルフィとして発表済みのため、ハッチバックのみがパルサーを名乗る。

C13 (2014年 - )

2014年5月16日、欧州日産は欧州市場の激戦区であるCセグメントに2006年に消滅したアルメーラ以来復活することを発表し、車種名はパルサーとすることを発表した。これは前年に登場しているC12型を置き換えるものではなく欧州専用としてC13型が用意された。

車名の由来

  • パルス状の可視光線、電波、X線を発生する星・天体の総称から(パルサー参照)。

脚注

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  1. クラッチペダルはないが、電磁クラッチを用いており、シフトレバーに触れるとクラッチが切れる。変速は手動で行う。また、トルクコンバータも併用していた
  2. 一般的には「5ドアハッチバック」であるが、このモデルでは4ドアセダンをベースにリアハッチを付けたタイプとしたため「5ドアセダン」として設定していた
  3. スカイラインGT-Rが復活していなければ250psだったともいわれる。
  4. 縦置きのFR車に対しては同じSRエンジンでも横置きとは形状が異なり互換性が低い。
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. テンプレート:Cite web

関連項目

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外部リンク

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