通天閣
テンプレート:建築物 通天閣(つうてんかく)は、大阪府大阪市浪速区にある新世界界隈の中心部に建つ展望塔である。2007年5月15日に、国の登録有形文化財となった[1]。観光名所として有名である。公式キャラクターは「ビリケン」。
目次
設計・構造
- 本体:鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)[2]
- 展望台:鉄骨鉄筋コンクート造(周囲ガラス張り2階建て)[2]
- 高さ:4階床まで84m、5階床まで87.5m[2]
- 補助棟:鉄骨鉄筋コンクリート造[2]
- 性能:関東大震災級の地震テンプレート:要出典、風速80メートルの強風[3]に耐えられる
概要
現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成した(初代通天閣については後述)。通天閣観光株式会社(つうてんかくかんこう、Tsutenkaku Kanko Co., Ltd.)により運営されている。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲[4]。建設を施工したのは奥村組である[4]。「通天閣」とは、「天に通じる高い建物」という意味[5][2]で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳である[2]。
1943年に初代通天閣が火災で焼け落ちたが[6]、1953年頃、地元新世界の有志らにより再建話が持ち上がり、「通天閣再建委員会」へと発展した[6]。当初は笑い話として地元では相手にもされなかったが、再建話は徐々に現実味を帯びてゆく[6]。だが初代通天閣の有った場所には既に民家が建ち並んでおり、ほど近い公園に再建することとなった[* 1][6]。設計の内藤が紹介した竹中工務店とは予算面で折り合いがつかず、2億7000万円で奥村組が施行することとなった(その後の追加工事で、最終的に建築費総額は3億4000万円となった)[4]。1955年8月17日に起工された建築工事については死者などは出なかったが[7]、事務所スペースの確保をすっかり忘れており、工事の途中にあわてて中2階を付け足すといったトラブルがあった[7]。構造材の鉄骨は溶融亜鉛めっきされた品質の高い物で、1996年の改修工事時に確認したところ、びくともしていなかったという[8]。
運営会社については資金調達に難儀し、資本金として3500万円を予定したところ2500万円足らずしか集められず[4]、再建に携わった人員の一部が個人的に高利貸しから資金を調達し、それに充てることとなった[4]。さらに登記の2-3日前に他の人物が「通天閣株式会社」を登記しており、やむなく「通天閣観光株式会社」として発足した[4]。
完成翌年の1957年(昭和32年)から、塔の側面に総合電機企業の日立製作所が広告を出している[* 2]。当時松下電器社長の松下幸之助は広告を断った件を後悔したという[9]。なおかつては広告上部に日立の社章である「亀の子マーク」が付けられていたが日立が使用をやめた2001年に取り外され(下述記事も参照)、その当時はマークなしの看板に違和感を覚える市民も少なくなかったテンプレート:要出典。毎日正午には日立の樹のCMソングが流れる。なお西面だけは日立の広告ではなく、公共性に配慮したものとなっている[9][10]。日立のネオンは地元の名物であり、オイルショックで一時期消灯を強いられていた後の全面再点灯時には祝賀カーニバルが催されたという[11]。
二代目通天閣に建替えられた1956年(昭和31年)は10月28日の開業日に10,496人の入場を記録するなど[12]人気を博し年間入場者が155万人を越えていたものの、1965年(昭和40年)に100万人を割込み、大阪万博のあった1970年(昭和45年)には一時的に持ち直したものの、光化学スモッグ等の環境汚染等も要因となって1975年(昭和50年)には20万人前後へと激減した。
その後は緩やかに回復傾向を示し、通天閣を舞台としたテレビ番組や串カツ人気の高まりもあって2006年(平成18年)に90万人、2007年度(平成19年度)に100万人超へと回復した。通天閣の入場者数増加について、通天閣観光は「若い人が新世界に大阪らしい情緒を求めているのだろう」とコメントしている[13]。
入場者の減少のほか、昭和40年代頃には役員の使い込みもあり[14]経営は悪化。このため玄関の周囲にテナントを入れる[15]、役員報酬と不良社員を大幅に削減する[16]などの対策を行った。
1994年から1996年には約9億円をかけて改修工事を実行[17]。開業54年目の2010年(平成22年)6月30日入場者数3500万人を突破した。
特徴
地上と2階を結ぶエレベーターの乗りかごは円柱形であるが、この形状のエレベーターが設置されたのは通天閣が世界で最初とされている。2001年(平成13年)にこのエレベーターは更新されたが、形状は現在もそのままである。
2階は、5階展望台へのエレベーター乗り場、売店、ゲームコーナーがある。貸卓球台など、一風変わったものもかつて設置されていたが現在は撤去されている。3階はイベントホール、4階および5階には展望台、喫茶室、売店がある。
5階の展望台には、足の裏を撫でると幸運が訪れるという言い伝えがある幸運の神様「ビリケン(Billiken)」の像が安置されている。これは新世界にかつて存在していた遊園地である「ルナパーク」が開業した1912年(明治45年)当時、世界的に流行していたビリケンの像をルナパーク内に作られたビリケン堂に安置したのが始まりである。1923年(大正12年)にルナパークが閉園した時期を境に像の行方がわからなくなっていたが、1979年(昭和54年)、通天閣の3階に「通天閣ふれあい広場」が作られたのを機に復元された。また毎年末には干支の引き継ぎ式、というイベントが執り行われている[18][19]。 また、現在では見える風景や建造物の説明を展望ガラス上部に掲げた写真で行っているが、つい最近までは展望ガラスに直接赤ペンキで山や建造物の形と名前が描かれていた。
塔直下の地下にはかつて通天閣地下劇場があり、松竹芸能が毎週土曜日と日曜日に演歌歌手の歌謡ショーを「通天閣歌謡劇場」の名称で催していた。なお、ここには映画やテレビドラマのロケにも使われた「通天閣囲碁将棋センター」が2001年(平成13年)まで併設されていた。なお「通天閣歌謡劇場」は、2008年(平成20年)春、道頓堀にあったB1角座が閉鎖されたのに伴い、これに代わる施設として、同年7月3日から「STUDIO210(スタジオ・ニーイチマル)」と名称を変更。月曜日はこれまで土・日曜日に行っていた歌謡ショーを「通天閣歌謡劇場」の名称で行い、土・日曜日は松竹芸能に所属する芸人による落語や漫才の興行を「通天閣劇場 TENGEKI」の名称で行っていた。2013年6月28日をもって、松竹芸能は撤退。演芸興行は「松竹芸能DAIHATSU MOVE道頓堀角座」に移転し、歌謡ショーも新世界串かつ振興会の斡旋で近隣のビルに移転の予定。
なおこのスペースには1968年に大小200の水槽を擁した水族館がオープンし[20]相応の人気を博したが、オイルショックの影響により水槽暖房用の灯油を調達できなくなり[20]、飼育していた魚類はコイやフナを残して壊滅[20]、1973年10月に閉鎖を余儀なくされた[20]。
また展望台のさらに上、テレビ中継室と呼ばれる部屋には放送用の機材は特になく、天井から「通天閣再建由来記」の入った茶壺がつり下げられていると言う[21]。由来記は巻物状であり、2012年現在は茶壺から出され、4階で展示されている[2]。
展望台の下、高さ75mの位置から長さ9mの鉄骨製の錘状突起が4方向に突き出ているが、これは季節やイベントに応じて万国旗や鯉のぼりなどを吊り下げるためのアームに使われる[22]。
夜間は、黄金色と白色を基調とするネオンの光で塔全体が彩られ、さらに毎時0分になると、塔東側面にある大時計の文字盤が鮮やかなグラデーションで光る。ネオンはおよそ5年毎に模様替えされており、現在のものは12代目である。また、塔頂上には翌日の天気予報を4つの色の組み合わせで示すネオンサインが点灯する(晴=白、曇=橙、雨=青、雪=ピンク)。このネオンサインの装置は大阪管区気象台と専用回線で接続されており、そこからの情報に基づいてが予報が表示される仕組みになっていて、1979年(昭和54年)に日立製作所により制作、設置されたものである。
2001年(平成13年)までは展望室下に日立製作所のモノグラム社章が掲げられていたが、この年のネオン更新時に撤去され、その後に横3本線の帯が取り付けられた。
二代目が完成した当時のエレベーターは、東洋オーチス・エレベータ(現・日本オーチス・エレベータ)製であったが、2001年(平成13年)に日立製に更新された。
2006年(平成18年)に再建50周年を迎えるに当たり、改修工事が行われた。大時計の形が丸から八角形に変更されたほか、ネオンの色も変更され、より目立つようになった。
2011年(平成21年)7月からネオンサインの改修工事が進められ、今回の工事ではネオン管をLED管に変更して消費電力を抑えつつ多彩なイルミネーション(4色から6色に変更)を実現した。同年10月28日より点灯。
2012年(平成24年)4月27日、100周年を迎えるにあたり5階展望台が金色に全面改装され「黄金展望台」となり一般公開された。[23][24]。
2012年5月23日より3代目ビリケン像(高さ60cm幅38cm奥行41cm、クスノキの一木彫)が設置された[25]。
この100周年を記念して、通天閣史上初のオフィシャルバンド『通天交響楽団(イーゼル芸術工房)』が結成された。引退となった2代目のビリケン像は『通天交響楽団(イーゼル芸術工房)』のメンバーとして加入した。
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営業状況
入場料
- 大人600円
- 大学生500円
- 高校生400円
- 小学生(満五歳以上)300円
- その他団体割引、障害者割引あり。
- 大阪市交通局のエンジョイエコカード提示で割引。
営業時間
- 9:00-21:00(入場は20:30まで)
- 年中無休
初代通天閣
1903年(明治36年)に開催された第5回内国勧業博覧会の会場跡地に、パリの凱旋門にエッフェル塔の上半分を乗せたような初代通天閣が1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設された[5]。設計は設楽貞雄。建設費用は約9万7000円で、当為の入場料は10銭。300尺(91メートル)という触れ込み(実際は250尺/約75メートル[26][27])で、その当時東洋一の高さを誇っていた。通天閣は、ルナパークと「ロープ・ウエィ」で結ばれており、人々に親しまれていた。大阪で2番目(非貨物専用としては最初)の昇降機が設置され評判となった。現在の二代目と同じように塔側面に巨大ネオン広告があった時期があり(1920年(大正9年)に導入)、当時の広告は「ライオン歯磨」であった[28]。
通天閣の電灯工事には当時大阪電灯に勤務していた松下幸之助(後にパナソニック創業者、当時17歳)が配線工として参加している。
吉本興業に買収された後、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)1月16日に直下にあった映画館・大橋座の火災で通天閣の脚部が加熱により強度不足となる。そのため、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で同年2月13日から塔は解体され、初代通天閣は姿を消した。なお終戦後赤錆となった残骸が明石市の浜辺で見つかっている。
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落成式典、1912年
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通天閣とルナパークを結んだ「ロープ・ウエィ」、1912年
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夕暮れ時のルナパーク、1912年
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ルナパークの夜景、1912年
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新世界から、1920年
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新世界から、1920年
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新世界・恵比寿門から、1920年
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新世界から、1920-1943年頃
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ルナパークの一号館から、1920-1943年頃
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ジャンジャン横町から、1920-1943年頃
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脚下の映画館の火災により損傷、1943年
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解体工事中、1943年
通天閣が登場する作品
大阪を代表する施設として大阪を舞台にした様々な作品の舞台で使われている
- 『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』1966年
- 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』1970年
- 『野獣刑事』(監督:工藤栄一)、1982年
- 『王手』(監督:阪本順治)、1991年
- 『ビリケン』(監督:阪本順治、二代目通天閣40周年記念映画)、1996年
- 『名探偵コナン 世紀末の魔術師』(監督:こだま兼嗣)、1999年
- 『SHINSEKAI ~あなたの愛を見つける街~』、2011年
- 『初代熱血硬派くにおくん』 テクノスジャパン、1992年
- 『通天閣』 ソニー・ミュージックエンタテインメント、1995年
- 『龍が如く2』 セガ、2006年
- 『心はいつもラムネ色』(NHK、NHK大阪放送局・制作)
- 『ふたりっ子』(NHK、NHK大阪放送局・制作)
- 『ウルトラマンダイナ』(毎日放送、円谷プロ・制作)
- 『仮面ライダーW』第30話(テレビ朝日、東映・制作)
- 『 花影忍法帳コミ☆トレ』(NHK教育テレビ、NHK大阪放送局・制作)
- 『ウルトラマン列伝』(テレビ東京、円谷プロ・制作)
- 『スマイルプリキュア!』第14話(ABC、東映アニメーション・制作)
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』143巻
通天閣のニックネームが登場するケース
- マンガ『ドカベン』の登場人物・坂田三吉は投球を天高く放物線を描く「通天閣投法」や「通天閣打法」「通天閣捕球」など一連の秘技にこの塔の名を関している(ちなみに坂田は「通天閣高校」という架空の高校の出身という設定)。
- 女子プロレスラーのダイナマイト・関西は、ジャンピング系パワーボムの一種である「スプラッシュマウンテン」をフィニッシュホールドとして確立する以前、スプラッシュマウンテンと同様の体勢からジャンプせずに投げっぱなし式パワーボムを打つ技を「通天閣スペシャル」と称してフィニッシュホールドに用いていた。
- 2013年後期の連続テレビ小説・ごちそうさんの登場人物・「西門悠太郎」は大阪弁を話すことと主人公・め以子を上回る長身から「通天閣」と言うあだ名を付けられた。
アクセス
注釈
出典
参考文献
関連文献
- 木下博民著『通天閣 第七代大阪商業会議所会頭・土居通夫の生涯』創風社出版、2001年5月、ISBN 4915699986
- 文献あり
- 阪本順治、豊田利晃脚本、丹後達臣ノベライズ『ビリケン』(『扶桑社文庫』)、扶桑社、1996年7月、ISBN 4594020356
- 下元信行著『通天閣の歌姫伝説・叶麗子物語』現代書館、1992年9月、[1]、ISBN 4768466109
- 通天閣観光編『通天閣30年のあゆみ』通天閣観光、1987年3月
- 年表: p111~128
- 二鬼薫子著『通天閣物語』鳥影社、1997年1月、ISBN 4886293123
- 橋爪紳也著『大阪モダン 通天閣と新世界』(『気球の本 Around the world library』)、NTT出版、1996年7月、ISBN 4871886239
- NHKプロジェクトX制作班、『プロジェクトX 挑戦者たち〈12〉起死回生の突破口』、日本放送出版協会、ISBN 978-4140806807
外部リンク
テンプレート:日立グループ- ↑ 2007年(平成19年)5月29日文部科学省告示第89号「文化財を登録有形文化財に登録する件」
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 『通天閣 人と街のものがたり』 p.140
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 『通天閣 人と街の物語』 p.15 「3.笑い話みたいな夢 形に」
- ↑ 5.0 5.1 『通天閣 人と街のものがたり』 p.141
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 『通天閣 人と街の物語』 p.9 「2.図面広げ『ほな進めよか』」
- ↑ 7.0 7.1 『通天閣 人と街の物語』 p.20 「4.開業 気分は『七人の侍』」
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 p.102
- ↑ 9.0 9.1 『通天閣 人と街のものがたり』 p.55
- ↑ テンプレート:Cite web - 1957年の箇所。
- ↑ テンプレート:Cite web - 1979年の箇所。
- ↑ 『通天閣 人と街の物語』 p.35。pp.37-39によれば、エレベーターだけでは入場者を捌ききれず、非常階段を利用していたという。
- ↑ 朝日新聞(2008年3月29日付)テンプレート:リンク切れ
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 p.88
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 pp.92-93
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 pp.94-95
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 p.101、p.103
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 p.63「12.ご対面ハプニング続き」
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 『通天閣 人と街のものがたり』 p.58「11.社員4人"即席飼育員"」
- ↑ 『通天閣 人と街のものがたり』 pp.137-138
- ↑ NHK『歴史秘話ヒストリア』2012年9月26日放送テンプレート:出典無効
- ↑ 新世界・通天閣100周年に向けて「黄金の展望台」堂々完成!:公式サイト2012年4月23日
- ↑ 通天閣:改装 天空の黄金茶室:毎日新聞2012年4月27日
- ↑ 金髪の3代目ビリケン登場 通天閣で32年ぶり交代スポニチ 2012年5月23日
- ↑ 初代通天閣 交通科学博物館
- ↑ NHKプロジェクトX制作班『プロジェクトX 挑戦者たち〈12〉起死回生の突破口』日本放送出版協会 ISBN 978-4140806807、NHK「プロジェクトX」制作班 『プロジェクトX 挑戦者たち 起死回生の突破口 通天閣 熱き7人/商店主と塔博士の挑戦』日本放送出版協会 電子書籍(参考)
- ↑ 『通天閣 人と街の物語』 p.52
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