武田一浩
テンプレート:Infobox baseball player 武田 一浩(たけだ かずひろ、1965年6月22日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。現在はNHKの野球解説者。
目次
来歴・人物
プロ入り前
調布リトルから明大中野中(軟式)を経て明大中野高に進む。高校3年の夏の甲子園の出場に当たって、5月には前年の夏の選手権及び次の春の選抜大会で夏春連覇した徳島県立池田高に練習試合で勝利し、甲子園への出場が期待されていた。しかし、西東京大会準決勝で小野和義を擁する創価高に敗れ甲子園の出場はならなかった。なお、高校の同級生にプロモーターの金平桂一郎がいる。
その後明治大学へ進学。東京六大学リーグ通算56試合登板、20勝8敗、防御率2.40、208奪三振。3年生秋のリーグでは7勝無敗の活躍でベストナインに選ばれた。1987年のドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。
現役時代
プロでは1年目から1軍で登板した。テンプレート:Byからテンプレート:Byはリリーフエースとして活躍し、テンプレート:Byに最優秀救援投手のタイトルを獲得。テンプレート:By先発で初の二桁10勝を上げチームリーグ2位に貢献。
1年目に大阪球場での南海ホークス戦でトニー・バナザードと対戦した際、バナザードが空振りしたバットがすっぽ抜け、マウンド上の武田の後ろまで飛んで行った。この時バナザードは、なぜか武田をにらみつけながらマウンド方向へ歩き、自らバットを拾いに行った(ほとんどの場合は攻撃側チームのベースコーチが拾いに行く)。この場面は、テレビ報道用の映像上では、まるで接近するバナザードに対して武田が激しく動揺しているかのように写っているために非常にユーモアを誘うものとなり、特に『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』で広く知られることとなって、武田は同番組の「珍プレー大賞」を受賞した。
テンプレート:Byに就任した上田利治監督と衝突し、同年オフに下柳剛・安田秀之とのトレードで松田慎司とともに福岡ダイエーホークスへ移籍[1][2]。
テンプレート:Byに先発投手としてチーム最多、リーグ3位の15勝を挙げた。開幕投手を務めたテンプレート:Byは不調に終わるもテンプレート:Byには黒木知宏、西口文也と並んで13勝で最多勝利のタイトルを獲得し、同年オフにFAで中日ドラゴンズへ移籍(FA宣言当初はダイエーに残留するつもりであったが、同じく明治大学出身の星野仙一監督が突如獲得に名乗りを上げたことにより一転して移籍を決断した)[2]。先発ローテの一員として活躍し、1999年のリーグ優勝に貢献した。同年、古巣であるダイエー相手の日本シリーズ第4戦に先発するも前年までの同僚たちに打ち込まれ敗戦投手となる。
テンプレート:Byオフに星野の辞任とともに戦力外通告を受け、テンプレート:Byに読売ジャイアンツへ移籍。5月27日の対中日戦(ナゴヤドーム)で勝利投手となり、史上3人目の全球団勝利を達成[3][4]。 同年に引退。なお、日本プロ野球史上最多勝利と最優秀救援投手の両方を獲得した投手は、武田以外では江夏豊、金城基泰、村田兆治、山沖之彦(このうち村田のみ、獲得したのは厳密には最優秀救援ではなく最多セーブ)のみである。
中日時代には明治大学の後輩である川上憲伸をことあるごとに呼びつけては細かく指導しており、今中慎二曰く「自分が知る限りでは武田さんが在籍していた1999年から2001年までの期間が一番いいボールを投げていたという印象を持っている」とのこと[5]。また、ダイエー時代の同僚である城島健司からは師と仰がれている[6]。
日本プロ野球にカットボールを広めたのは武田であると言われている。日本ハム時代にチームメイトだったマット・ウインタースからカットボールの存在を聞き習得し、武田の中日移籍後に川上がこれを習得、日本屈指のカットボーラーとなった[7]。
引退後
テンプレート:ByにはWBC日本代表の投手コーチに選ばれた。また、テンプレート:Byの秋季キャンプでは福岡ソフトバンクホークスの臨時投手コーチを務め[8]、テンプレート:Byの春季キャンプでもソフトバンクの臨時投手コーチを務めた。
現在はNHKプロ野球、メジャーリーグ中継で解説者を務めている。また、競馬番組にゲストとして出演することがある。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 日本ハム | 20 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 159 | 37.1 | 37 | 2 | 14 | 1 | 2 | 23 | 0 | 0 | 16 | 14 | 3.38 | 1.37 |
テンプレート:By2 | 36 | 18 | 5 | 2 | 0 | 6 | 8 | 0 | -- | .429 | 610 | 143.0 | 128 | 22 | 56 | 5 | 3 | 108 | 4 | 0 | 72 | 67 | 4.22 | 1.29 | |
テンプレート:By2 | 37 | 2 | 0 | 0 | 0 | 10 | 5 | 13 | -- | .667 | 329 | 81.2 | 63 | 8 | 17 | 2 | 1 | 73 | 2 | 0 | 37 | 27 | 2.98 | 0.98 | |
テンプレート:By2 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 8 | 18 | -- | .333 | 272 | 64.2 | 69 | 11 | 14 | 3 | 1 | 45 | 2 | 0 | 31 | 29 | 4.04 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 22 | 10 | 3 | 1 | 0 | 4 | 9 | 0 | -- | .308 | 413 | 97.2 | 102 | 10 | 29 | 3 | 1 | 63 | 63 | 2 | 0 | 42 | 3.87 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 27 | 25 | 9 | 1 | 3 | 10 | 8 | 0 | -- | .556 | 721 | 170.1 | 181 | 16 | 53 | 2 | 1 | 125 | 2 | 0 | 65 | 63 | 3.33 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 18 | 17 | 2 | 0 | 0 | 5 | 9 | 0 | -- | .357 | 390 | 84.1 | 102 | 8 | 37 | 0 | 4 | 56 | 4 | 0 | 63 | 56 | 5.98 | 1.65 | |
テンプレート:By2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 24 | 5.1 | 8 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.06 | 1.69 | |
テンプレート:By2 | ダイエー | 26 | 26 | 6 | 4 | 0 | 15 | 8 | 0 | -- | .652 | 722 | 171.0 | 167 | 16 | 56 | 1 | 4 | 114 | 6 | 0 | 77 | 73 | 3.84 | 1.30 |
テンプレート:By2 | 26 | 26 | 3 | 2 | 0 | 4 | 9 | 0 | -- | .308 | 699 | 163.2 | 177 | 17 | 39 | 2 | 3 | 102 | 3 | 0 | 85 | 70 | 3.85 | 1.32 | |
テンプレート:By2 | 28 | 28 | 4 | 0 | 0 | 13 | 10 | 0 | -- | .565 | 751 | 176.1 | 173 | 16 | 68 | 3 | 2 | 103 | 3 | 2 | 82 | 71 | 3.62 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 中日 | 25 | 25 | 5 | 3 | 1 | 9 | 10 | 0 | -- | .474 | 679 | 162.0 | 166 | 17 | 43 | 2 | 4 | 92 | 1 | 1 | 65 | 63 | 3.50 | 1.29 |
テンプレート:By2 | 15 | 15 | 1 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | -- | .333 | 370 | 85.0 | 96 | 12 | 23 | 2 | 1 | 48 | 2 | 0 | 45 | 44 | 4.66 | 1.40 | |
テンプレート:By2 | 11 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | -- | .333 | 231 | 54.0 | 60 | 2 | 14 | 0 | 1 | 36 | 3 | 0 | 32 | 29 | 4.83 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 巨人 | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 91 | 21.1 | 26 | 3 | 3 | 2 | 0 | 16 | 2 | 1 | 12 | 10 | 4.22 | 1.36 |
通算:15年 | 341 | 210 | 38 | 13 | 3 | 89 | 99 | 31 | -- | .473 | 6461 | 1517.2 | 1555 | 160 | 467 | 28 | 28 | 1008 | 36 | 4 | 727 | 661 | 3.92 | 1.33 |
---|
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
表彰
記録
- 初記録
- 初登板:1988年6月8日、対阪急ブレーブス9回戦(東京ドーム)、8回表に3番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に藤田浩雅から
- 初先発:1988年7月3日、対阪急ブレーブス12回戦(東京ドーム)、6回3失点で敗戦投手
- 初勝利:1988年8月3日、対ロッテオリオンズ18回戦(川崎球場)、6回裏2死に3番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初先発勝利・初完投勝利:1989年5月3日、対福岡ダイエーホークス5回戦(平和台野球場)、9回2失点
- 初完封勝利:1989年7月2日、対西武ライオンズ13回戦(東京ドーム)
- 初セーブ:1990年5月6日、対近鉄バファローズ4回戦(藤井寺球場)、6回裏1死に2番手で救援登板・完了、3回2/3を無失点
- 節目の記録
- 1000投球回数:1997年9月10日、対日本ハムファイターズ24回戦(福岡ドーム) ※史上273人目
- 1500投球回数:2002年5月7日、対中日ドラゴンズ7回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に井上一樹を投手ゴロで2死目をとり達成 ※史上149人目
- 1000奪三振:2002年5月22日、対阪神タイガース9回戦(阪神甲子園球場)、6回裏にデリック・ホワイトから ※史上108人目
背番号
- 15 (1988年 - 1991年)
- 4 (1992年 - 1995年)
- 17 (1996年 - 1998年)
- 18 (1999年)
- 17 (2000年 - 2001年)
- 30 (2002年)
関連情報
出演番組
脚注
関連項目
- 東京都出身の人物一覧
- 明治大学の人物一覧
- 北海道日本ハムファイターズの選手一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 中日ドラゴンズの選手一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 荒木大輔 - 調布リトルで1期先輩
外部リンク
テンプレート:2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 テンプレート:Navboxes
テンプレート:日本ハムファイターズ1987年ドラフト指名選手- ↑ 当初は星野仙一が監督を務める中日ドラゴンズへのトレードが内定していたが、ダイエーが下柳をトレード要員に提示したことにより中日とのトレード話は反故にされた。これに激怒した武田はトレードを拒否しようとしたが、「それだと任意引退になるだけだ」と告げられ渋々ながらもこれを受け入れた。日本ハムの要望は山本昌だったが、中日からのトレード要員は井手元健一朗、与田剛だっため折合いが付かなかった。
- ↑ 2.0 2.1 プロ野球 FA宣言「天国と地獄」 (洋泉社MOOK) より
- ↑ セ・パ交流戦開始前では最後の達成
- ↑ 記録メモ(個人投手編)パリーグ公式サイト
- ↑ 同氏著「中日ドラゴンズ論」より
- ↑ ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P43
- ↑ 名古屋テレビ 光る!スポーツ研究所2006年8月12日放送分バックナンバー
- ↑ ソフトバンク 武田氏が臨時投手コーチに