田口昌徳

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テンプレート:Infobox baseball player 田口 昌徳(たぐち まさのり、1970年8月26日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現:取手市)出身(生まれは、茨城県常陸大宮市)の元プロ野球選手捕手)。

経歴

藤代紫水高から駒澤大学へ進学。東都大学リーグ通算49試合出場、130打数37安打、打率.285、8本塁打、26打点。ベストナイン2度受賞。1992年ドラフト会議日本ハムファイターズに4位指名され入団。

駒澤大学では1年上に後に阪神タイガースに入団した関川浩一(現:阪神タイガースコーチ)がおり、4年になるまで出番は少なかった。中日ドラゴンズに入団した鶴田泰とは同期で、学生時代はよくバッテリーを組んでいた。

3年目の1995年に監督就任した上田利治からリード面を評価され抜擢、次第に試合数を伸ばした。95年オフにそれまで不動の正捕手だった田村藤夫千葉ロッテマリーンズへ移籍しため、1996年には正捕手として101試合に出場するなどチーム2位の躍進に貢献する。しかし、それまで課題だった打撃と盗塁阻止率が向上しなかった為、1998年ヤクルトスワローズから野口寿浩が移籍してくると、次第に控えに回ることが多くなった。

2002年途中、福岡ダイエーホークスの正捕手城島健司がケガで戦線離脱し、捕手難に悩んでいた福岡ダイエーホークス林孝哉との交換トレードで移籍した。以後も、アテネ五輪などで城島が抜ける際には、捕手として活躍した。

また、明るい性格でベンチに控えていることも多いため、同じくベンチにまわることの多くなった鳥越裕介(現・一軍コーチ)とともに、チームのムードメーカーとなり、地元のテレビ番組にもそのキャラクターを生かして数多く出演した。キャラクター・顔つき・喋り方などがかつてのプロ野球界爆笑男であるギャオス内藤とそっくりである。

一軍捕手としては城島の存在感もあって酷評されることも少なくなかったが、二軍でマスクをかぶった際には、若手投手への硬軟自在な指示を行うことから、投手育成という面もあった。2005年限りで引退し、2006年からはチームスタッフ(管理部・育成担当)に就任し2009年から2010年までは2軍バッテリーコーチを務め、2011年からはスカウトに就任している[1]

2006年12月に行われた「NPB12球団ジュニアトーナメント ENEOS CUP 2006」では自身初の監督業として福岡ソフトバンクホークスジュニアチームの指揮をとり、優勝はならなかったが、現役時代のようにベンチから大声を出して選手を盛りたてるなど、未来の監督候補としての頭角を現した。なお、この時の背番号は、現役時代につけていた「22」であった。

人物

  • ダイエー移籍後の試合で、誤ってマウンド上の渡辺正和投手のユニフォームを着て試合に出場してしまう珍プレーを演じる。このプレーで、その年の日本テレビの『勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー』では、珍プレー大賞に選ばれる。また、同年の7月9日の西武戦でホークスに来て最初のヒーローインタビュー(事実上最初で最後のヒーローインタビューである)では、インタビュアーのアナウンサーからマイクを奪って「田口です!」と自己紹介した。
  • 2003年、ダイエーの春季キャンプ恒例の「声出し」で「1試合でも多く捕手で試合に出る」という目標を立てるが、正捕手の城島は「全試合フルイニング出場」を目標に掲げた。しかしその年、城島が捕手としては史上2人目の全試合フルイニング出場を果たし、田口は捕手として試合に出ることはなかった。結果、2003年初マスクは長嶋ジャパンの壮行試合となった日本代表vs日本選抜(監督:王貞治)であった。
  • 2003年の日本一祝勝会で、「よう見とけ!これがホントの顔面シャワーじゃ!」と言いチームメイトにビールを浴びせ、フジテレビの『すぽると!』で生中継中だった三宅正治から注意を受けた。
  • 2003年の日本一記念で『関口宏の東京フレンドパークII』に「お笑い隊長」としてチームメイトとともに出演。しかしアトラクションに精一杯で、渡辺正行に「面白いことをやっていない」と突っ込まれ、さらに番組の最後、ダーツのルーレットにて「たわし」を当ててしまった。
  • 後輩の加藤領健は入団発表時「目標は田口さんのようなムードメーカー」と言っていた。
  • 2006年7月、2軍の打撃練習でバッティングピッチャーを務めた際、投げた球が井手正太郎の顔面に直撃、鼻を骨折させてしまう。大きな責任を感じ、井手が病院から帰ってくるまでユニフォームも着替えずに待ち、さらに数日「大丈夫か?」と声をかけ続けた。井手本人は「そんなに気にしなくても」と恐縮しきりであった。
  • 歌唱力がかなり高い。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 日本ハム 25 45 44 1 7 0 0 0 7 2 0 0 1 0 0 0 0 17 2 .159 .159 .159 .318
テンプレート:By2 82 220 200 15 40 6 0 5 61 13 0 1 4 1 14 1 1 68 10 .200 .255 .305 .560
テンプレート:By2 101 327 286 22 60 12 0 5 87 22 0 2 13 0 17 0 11 92 6 .210 .280 .304 .584
テンプレート:By2 81 212 188 8 37 5 0 4 54 20 0 1 9 1 12 0 2 52 4 .197 .251 .287 .538
テンプレート:By2 60 139 118 7 24 2 0 1 29 12 0 1 12 0 7 0 2 29 4 .203 .260 .246 .506
テンプレート:By2 52 52 42 2 4 1 0 1 8 5 0 0 4 0 4 0 2 13 0 .095 .208 .190 .399
テンプレート:By2 19 14 11 1 1 0 0 0 1 0 0 0 1 0 1 0 1 1 0 .091 .231 .091 .322
テンプレート:By2 31 71 60 8 12 2 0 0 14 3 1 0 6 0 4 0 1 20 1 .200 .262 .233 .495
テンプレート:By2 4 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
ダイエー
ソフトバンク
35 102 87 10 20 4 0 1 27 7 1 0 8 0 4 0 3 15 3 .230 .287 .310 .598
'02計 39 103 88 10 20 4 0 1 27 7 1 0 8 0 4 0 3 16 3 .227 .284 .307 .591
テンプレート:By2 10 13 10 2 2 1 0 1 6 2 0 0 0 0 3 0 0 3 1 .200 .385 .600 .985
テンプレート:By2 28 77 67 6 15 6 0 0 21 6 0 0 7 0 1 0 2 23 2 .224 .257 .313 .571
テンプレート:By2 6 12 10 0 2 0 0 0 2 2 0 0 2 0 0 0 0 4 0 .200 .200 .200 .400
通算:12年 534 1285 1124 82 224 39 0 18 317 94 2 5 67 2 67 1 25 338 33 .199 .259 .282 .541
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績

テンプレート:節stub


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1994 23 9 5 4 .444
1995 57 37 25 12 .324
1996 100 560 43 5 9 4 .992 81 60 21 .259
1997 80 322 43 5 11 5 .986 73 49 24 .329
1998 60 31 24 7 .226
1999 51 13 8 5 .385
2000 19 6 5 1 .167
2001 31 9 7 2 .222
2002 4 1 1 0 .000
2004 23 13 8 5 .385
2005 6 30 2 0 0 0 1.000 4 3 1 .250
通算 454 277 195 82 .296

記録

背番号

  • 31 (1993年 - 2002年途中)
  • 57 (2002年途中 - 2003年)
  • 22 (2004年 - 2005年)
  • 96 (2006年 - 2008年)
  • 72 (2009年 - 2010年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:日本ハムファイターズ1992年ドラフト指名選手
  1. 週刊ベースボール2014年3月24日号 P19