本山哲
テンプレート:Otheruseslist 本山 哲(もとやま さとし、1971年3月4日 – )は、東京都出身のレーシングドライバー。
目次
プロフィール
- 身長 : 171cm
- 体重 : 62kg
- 血液型 : RH+O型
- 愛車 : 日産・GT-R/日産・シーマ/日産・フェアレディZ ロードスター/メルセデス・ベンツ/ポルシェ・911ターボ(加藤大治郎が生前に所有していた車)/フーガ(Y50/Y51)
経歴
両親がレーシングカートのサーキット場、サーキット秋ヶ瀬(埼玉県さいたま市桜区)を経営していたことから、幼少時よりポケバイやレーシングカートに乗っており、少年時代にはポケバイやレーシングカートの全国大会で優勝も果たしている。
1998年、2001年、2003年、2005年のフォーミュラ・ニッポンおよび、2003年、2004年、2008年の全日本GT選手権(現SUPER GT)・GT500クラスのチャンピオンである。ここ一番の爆発力と安定した堅実な走法を兼ね備え、精神的な逞しさもある日本を代表するトップドライバーの一人。夫人は元レースクイーンの小寺雅子。
以前は海外進出に消極的だったが、親友だった加藤大治郎(MotoGPライダー)の事故死を機に積極的な海外進出を試みる姿勢に転換。2003年にはワールドシリーズ・バイ・ニッサンのテストに参加したほか、同年のF1日本GPでは、ジョーダン・フォードから金曜日のテスト走行に出走するなど、機会があれば海外のレースに参戦したいとの姿勢を見せていた。なお、加藤の事故死以降、搭乗するレーシングカーにはMotoGPにおける永久欠番となっている彼のゼッケン「74」が記されたステッカーを貼付している。
実際2003年末から2004年初頭にかけて、ジョーダン等のF1プライベートチームと交渉を持つも契約締結には至らなかった。日本人ドライバーがF1に進出するためには、
が必要とされており、海外実績が非常に乏しく、日産自動車の開発ドライバーを務めていた本山は、トヨタやホンダとの有力なコネを持っておらず、F1でのシート獲得は非常に厳しいものであった。さらに日産とルノーの資本提携関係を基にルノーF1のシートを目指し、スペインのヘレスサーキットで、ルノーのセレクションを受けているが、当時既に30代に突入していた本山の年齢なども含めて、ルノー側のニーズに合わず交渉は不調に終わっている。また、思うように持参金が集まらない現実もあり、断念せざるを得なかった。
現在は年齢的な問題もあって、国内レースに専念する方向に方針を切り替えており、前述のように2005年のフォーミュラ・ニッポンと2008年のSUPER GTでチャンピオンを獲得した。また、この年の開幕戦において、ブノワ・トレルイエとのコンビでサーキットへとカムバックした日産・GT-Rのデビューウィンを果たし、その後シーズン3勝を挙げている。
2009年には、フォーミュラ・ニッポンにエントリーしないこと(引退ではない)を自身のホームページなどで発表し、SUPER GTに集中することとなった。開幕戦ではGT参戦通算100戦目を迎え、またシーズン2勝を挙げ、最終戦までチャンピオン争いをしたものの、最終戦のもてぎでのレースで、トレルイエのドライブ中にタイヤバーストに見舞われてマシンが損傷。シリーズ連覇を果たせなかった。
2010年は、この年に装着していたミシュランタイヤとのマッチングに苦しみ不調に陥った。さらに、チーム側が巻き返しを狙っていた第7戦(富士)では、直前に上陸した台風により富士スピードウェイ周辺の道路が被害を受け中止となったこともあり、未勝利に終わった。
2011年は、再び装着タイヤをブリヂストンに戻し、第2戦(富士)で勝利を挙げるが、それ以降2戦連続ノーポイントに終わり、同じGT-Rを駆るMOLAの柳田真孝とロニー・クインタレッリに先行を許す形になった。しかし、第7戦(オートポリス)では、12番手スタートから怒濤の追い上げを見せて優勝した。最終戦では、ポールポジションからスタートしたMOLAを5番手から追い、終盤に本山が柳田をかわし、トップに立ち、そのまま逃げ切って優勝し2連勝をあげ、本山自身は3年ぶりとなるシーズン3勝を記録したたものの、チャンピオンは2位に入ったMOLAのコンビが手にした。
2012年は、世界耐久選手権(WEC)参戦のために離脱したトレルイエに代わって、ミハエル・クルムと8年ぶりにパートナーを組んだが、2年ぶりの未勝利に終わった。一方、ニッサンのデルタウイングを駆って久々にル・マンに参戦したが、自身のドライブ中に中嶋一貴に接触され、リタイアしている。
2013年は、柳田真孝とロニー・クインタレッリに譲る形で長年在籍したNISMOを離れ、関口雄飛を育成する形でMOLAへ移籍してコンビを組む。
1997年JTCC最終戦
1997年、本山はJTCCで中子修、黒澤琢弥とチャンピオン争いを繰り広げていた。中子がポイントリーダーで迎えた最終戦のインターTEC(富士)第2レースで、16周目のヘアピン進入時に本山のインを突いた中子がタイヤをロックさせ本山に接触、本山のマシンは損傷・スピンして順位を落とした。この接触でタイトルの望みが消えた本山は、中子に報復するため、1周のスロー走行の後、18周目の100Rでアウトから来た中子に接触し、中子はコースアウト・クラッシュした。その後、本山はピットに戻りレースを終えた。
この件で中子に罰金5万円、本山に罰金50万円のペナルティが科せられ、本山は後に行われたフォーミュラニッポン最終戦とGTオールスター戦への出場を停止された。この際競技ライセンスの剥奪も検討されたが、その才能を惜しんだニスモやチーム・ルマンの尽力により、何とか免れることとなった。モータージャーナリストの林溪清は著書「F1の秘密」内でこの事件について触れ、名指しはしなかったものの「このようなドライバーにはF1に乗る資格はない」と評している。
レース戦績
- 1984年
- SLカート全国大会・Aクラス優勝
- 地方選手権・NA2クラス(シリーズ6位)
- 1985年 - 地方選手権・NA2クラス(シリーズ3位)
- 1986年 - 全日本カート競技選手権・A1クラス(シリーズチャンピオン)
- 1987年 - 全日本カート競技選手権・A2クラス(シリーズチャンピオン)
- 1988年
- 全日本カート競技選手権・FKクラス(シリーズ6位)
- JAPAN KART GP(決勝2位)
- カート世界選手権・スーパー100クラス(決勝2位)
- 1989年 - 全日本カート競技選手権 A2クラス(シリーズチャンピオン)
- 1990年
- 全日本F3選手権(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)
- 日本グランプリ記念レース Panasonic F3 スーパーカップレース(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
- インターナショナルF3リーグ(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
- 1991年
- 全日本F3選手権(TEAM TAKEONE #5 /ラルトRT35 MF204)(シリーズ6位)
- インターナショナルF3リーグ(TEAM TAKEONE #99 /ラルトRT35 MF204)(決勝21位)
- SUGO INTER FORMULA・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝7位)
- 91'レース・ド・ニッポン・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝6位)
- SUGO INTER 500km・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝DNF)
- 1992年
- 全日本F3選手権(#11 J-TRIAL ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(シリーズ8位)
- フジテレビジョン日本グランプリレース記念 F3 スーパーカップレース(#11 BESTEX ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(決勝6位)
- 1993年
- 全日本F3選手権<Rd.5-7>(#12 DALLARA 無限/ダラーラF393 MF204)<Rd.8-10>(#12 DALLARA FIAT/ダラーラF393 FIAT)
- SUGO耐久500kmレース(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(総合32位)
- 1994年
- 全日本F3選手権<Rd.7->(TEAM 5ZIGEN #50/ダラーラF393 3S-G)(シリーズ7位)
- N1耐久シリーズ<Rd.1 スポット参戦>(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(決勝26位)
- 第11回SUGO 300km耐久レース(#11 レッツオ・BP・トランピオ・GTR/スカイラインGT-R)
- 1995年
- 全日本F3選手権(DOME RACING #6 ANABUKI・童夢・無限/ダラーラF395 MF204)(シリーズ2位・1勝)
- 全日本ツーリングカー選手権(#51 BPオイル・トランピオエクシヴ/コロナ エクシヴ ST202)
- NICOS CUP 十勝24時間レース(#11 RAZO TRAMPIO GT/スカイラインGT-R BCNR33)(総合7位)
- 1996年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード95D MF308)(シリーズ10位)
- 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.3->(HOSINO RACING #12 パーソンズシルビア/シルビア S14 SR20DET)(シリーズ29位)
- 全日本ツーリングカー選手権<Rd.1-8>(NISMO #32 ザナヴィ・サニー)<Rd.9->(NISMO #32 ザナヴィ・カミノ/プリメーラ カミノ HP11)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-9>(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード97D MF308)(シリーズ11位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(HOSINO RACING #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BCNR33 RB26DETT)(シリーズ11位)
- 全日本ツーリングカー選手権(NISMO #23 ザナヴィカミノ/プリメーラ カミノ HP11)(2勝)
- 1998年
- 全日本選手権フォーミュラニッポン(LEMONed Le Mans #8/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・3勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(オートバックスレーシングチームアグリ #50 ARTAスカイライン/スカイラインGTR BCNR33 RB26DETT)(シリーズ12位)
- ル・マン24時間レース(NISMO # JOMO日産R390GT1)(総合10位)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラニッポン(UNLIMITED Le Mans #1/レイナード99L MF308)(シリーズ2位・3勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 ペンズオイル ニスモ GTR/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
- ル・マン24時間レース(NISMO # 日産R391)
- ル・マン富士1,000km・LMPクラス(NISMO #23 NISSAN R391)(優勝)
- Pokka1000km(#23 ロックタイトニスモ GT-R/スカイラインGT-R)(決勝DNF)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM IMPUL #19/レイナード99L MF308)(シリーズ3位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
- 2001年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(excite TEAM IMPAL #1/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・4勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 RB26DETT)(シリーズ11位)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(XBOX TEAM IMPAL #1/レイナード01L MF308)(シリーズ2位・5勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 XANAVI NISMO GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ8位)
- 2003年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM IMPAL #19/ローラB351 MF308)(シリーズチャンピオン・4勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO GT-R/スカイラインGT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン)
- 第10回十勝24時間レース・クラス3(#23 C-WESTアドバンZ33/フェアレディZ Z33)(総合12位)
- 2004年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ADiRECT TEAM 5ZIGEN #1/ローラB351 MF308)(シリーズ6位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 第11回十勝24時間レース(#245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33)(総合3位)
- 2005年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #23/ローラB351 MF308) (シリーズチャンピオン・3勝)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ3位 ・1勝)
- 2006年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #1/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ5位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ6位・1勝)
- 第13回十勝24時間レース・GTクラス(#74 アラビアンオアシスZ/フェアレディZ Z33)(総合7位・クラス優勝)
- 2007年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #19/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ4位・3勝)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ8位・1勝)
- 2008年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Le Mans/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ11位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズチャンピオン・3勝)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ3位・2勝)
- 2010年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A)(シリーズ7位)
- 2011年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A→VRH34B)(シリーズ2位・3勝)
- 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
主なシリーズタイトル
- 全日本カート選手権・A1クラス
- シリーズチャンピオン・1回(1986年)
- 全日本カート選手権・A2クラス
- シリーズチャンピオン・2回(1987年,1989年)
- フォーミュラ ニッポン
- シリーズチャンピオン・4回(1998年,2001年,2003年,2005年)
- 通算勝利数・27勝・・・歴代1位
- 通算PP獲得数・21回・・・歴代1位
- JGTC&SUPER GT・GT500クラス
- ドライバーズチャンピオン・3回(2003年,2004年,2008年)・・・歴代1位
- 通算勝利数・15勝・・・歴代1位
JTCC
色の意味はこちらを参照→key
JGTC,SUPER GT
フォーミュラ・ニッポン
WEC
年 | 所属チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | NISMO | 日産・ZEOD RC | Garage 56 | SIL |
SPA |
LMN Ret |
COA |
FSW |
SHA |
BHR |
SÃO |
NC | 0 |
脚注
関連項目
- NISMO
- 星野一義
- 鈴木亜久里
- 加藤大治郎
- 日本人ドライバー一覧
- 炎神戦隊ゴーオンジャー(第2話で本人役で出演)
外部リンク
テンプレート:フォーミュラ・ニッポン歴代チャンピオン テンプレート:SUPER GT歴代チャンピオン テンプレート:2008年フォーミュラ・ニッポン出走ドライバー テンプレート:2014年NISSAN・SUPER GTチーム テンプレート:Sportspeople-stub