中子修

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中子修(なかこ おさむ、1954年8月20日 - )は三重県尾鷲市出身の元レーシングドライバー。父は元市議会議員中子幸男

レース戦歴

  • 1977年 - 鈴鹿シルバーカップレース第4戦FL500でレースデビュー7位。最終戦2位
  • 1978年
    • 鈴鹿シルバーカップレースFL500(シリーズチャンピオン)
    • レース・ド・ニッポン筑波<スポット参戦>(#20 KS-07)
  • 1979年
    • 鈴鹿FL500(#21 ワークエクイプ07B)
    • 日本F3チャレンジカップ(現・全日本F3選手権)<Rd.1〜3>(鴻池スピード #23 ワークエクイプKS-06C)(シリーズ11位)
  • 1980年 - 日本F3チャレンジカップ(ハヤシレーシング #21 ハヤシ803)(シリーズ3位、第7戦 初優勝)
  • 1981年
    • 全日本F3選手権(テクノレーシングチーム #6 テクノ320)(シリーズチャンピオン) 
    • 全日本フォーミュラパシフィック(FP)<Rd.7〜9>(ハヤシレーシング #21 ハヤシ220P)(シリーズ8位)
  • 1982年
    • 全日本FP選手権<Rd.1~4>(ハヤシレーシング #6 ハヤシ220P)(シリーズ7位)
    • イギリスF3選手権<Rd.7~10>(ハヤシレーシング)
  • 1983年
  • 1984年 - 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#26 LM04C日産 パナスポーツ日産)(ノーポイント、パートナー・鈴木利男
  • 1985年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#15 無限 Civic Si)(後半戦に出場シビックに初優勝をもたらす。パートナー・中嶋悟
    • 全日本F2選手権(#18 オロナミンC高橋車輪ラルトR/H6)(3ポイント・シリーズ17位)
    • 富士グランチャンピオンレース(#21 FALCON パワーラビットマーチ832 DL BMW MCSⅤ)(12ポイント・シリーズ10位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#26/#12 パナスポーツ 日産ターボC LM04C日産)(15.5ポイント・シリーズ21位)
    • 世界耐久選手権第9戦WEC-JAPAN(#12 LM05C日産)(2位)
  • 1986年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 Civic Si)(1勝、パートナー・佐藤浩二
    • 富士グランチャンピオンレース(#2 OLIO FIAT 85S マーチ842 BS BMW MCSⅥ)(38ポイント・シリーズ3位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権<Rd.2〜5>(#23 MARCH R86V NISSANニチラ)(1ポイント、パートナー・星野一義
  • 1987年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(クラス1全勝120ポイント・クラス1シリーズチャンピオン獲得 総合2位、パートナー・岡田秀樹
    • 全日本F3000選手権(#22 BEST HOUSE87B BS DFV)(39ポイント・シリーズ6位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(#7 OLIOFIAT 07 TOYOTA)(8.5ポイント・シリーズ32位、パートナー・マウリシオ.サンドロ.サラ
  • 1988年 - 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(2勝・クラス3シリーズチャンピオン 総合7位、パートナー・岡田秀樹)
  • 1989年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 無限 MOTUL Civic)(2勝・クラス3シリーズ3位 総合26位、パートナー・鈴木利男)
    • 全日本F3000選手権(#2 CHERENA LOLA-T88,89 BS)(1ポイント・シリーズ17位)
  • 1990年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限 Civic)(2勝・クラス3シリーズ2位 総合13位、パートナー・岡田秀樹
    • 全日本F3000選手権(#2 CHEREN LOLA T89,90 BS)(3ポイント・シリーズ17位)
    • 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権 CABIN R90V)(6ポイント・シリーズ29位、パートナー・和田孝夫
  • 1991年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限 Civic BS)(2勝・クラス3シリーズチャンピオン 総合16位、パートナー・岡田秀樹)
    • 全日本F3000選手権<Rd.1〜9>(#2 CHERENA LOLAT90,91 BS)(ノーポイント)
  • 1992年 - 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限Civic BS)(4勝・クラス3シリーズチャンピオン、パートナー・岡田秀樹)
  • 1993年 - 全日本ツーリングカー選手権(#100 出光 MOTION 無限Civic BS)(3勝・クラス3シリーズチャンピオン、パートナー・岡田秀樹、この年でGr.Aは終了)
  • 1994年 - 全日本ツーリングカー選手権<Rd.3~18>(TEAM Castlol無限HONDA #16 Castlol 無限 シビックフェリオ) (28ポイント・シリーズ11位)
  • 1995年 - 全日本ツーリングカー選手権(#16 カストロール無限シビックフェリオ)( 28ポイント・シリーズ13位)
  • 1996年
    • 全日本ツーリングカー選手権(#16 カストロール 無限Accord)(2勝・シリーズ2位)
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM TAISAN #34 STPタイサン ポルシェGT2)(シリーズ15位)
  • 1997年 - 全日本ツーリングカー選手権(TEAM 無限HONDA #16 Castrol 無限 Accord)(ポールポジション2回 4勝・シリーズチャンピオン)[1]
  • 1998年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(CASTROL MUGEN #16 Castrol 無限 NSX)(2勝・4位、パートナー・道上龍
  • 1999年 - 全日本GT選手権・GT500クラス(MUGEN・DOME PROJECT #16 Castrol 無限 NSX)(3位2回・9位、パートナー・道上龍)
  • 2000年 - 全日本GT選手権・GT500クラス<Rd.1〜4>(MUGEN DOME PROJECT #16 Castrol 無限 NSX)(2位2回・10位、パートナー・道上龍はシリーズチャンピオン獲得)

全日本F3000

所属チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1987 BEST HOUSE RACING TEAM SUZ
7
FUJ
5
MIN
7
SUZ
Ret
SUZ
10
SUG
5
FUJ
5
SUZ
9
SUZ
7
6位 39
1989 NAKAJIMA PLANNING SUZ
NC
FUJ
10
MIN
7
SUZ
11
SUG
6
FUJ
9
SUZ
15
SUZ
13
18位 1
1990 NAKAJIMA PLANNING SUZ
5
FUJ
7
MIN
Ret
SUZ
Ret
SUG
Ret
FUJ
16
FUJ
7
SUZ
9
FUJ
9
SUZ
6
17位 3
1991 NAKAJIMA PLANNING SUZ
10
AUT
11
FUJ
Ret
MIN
8
SUZ
Ret
SUG
Ret
FUJ
20
SUZ
DNQ
FUJ
C
SUZ
FUJ
DNQ
NC 0

JTCC

色の意味はこちらを参照→key

所属チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1994 TEAM 無限 ホンダ・シビックフェリオ OAR1 OAR2 SUG1
テンプレート:Small
SUG2
テンプレート:Small
TOK1
テンプレート:Small
TOK2
テンプレート:Small
SUZ1
テンプレート:Small
SUZ2
テンプレート:Small
MIN1
テンプレート:Small
MIN2
テンプレート:Small
TAI1
テンプレート:Small
TAI2
テンプレート:Small
TSU1
テンプレート:Small
TSU2
テンプレート:Small
SEN1
テンプレート:Small
SEN2
テンプレート:Small
FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
11位 28
1995 TEAM 無限 ホンダ・シビックフェリオ FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
SUG1
テンプレート:Small
SUG2
テンプレート:Small
TOK1
テンプレート:Small
TOK2
テンプレート:Small
SUZ1
テンプレート:Small
SUZ2
テンプレート:Small
MIN1
テンプレート:Small
MIN2
テンプレート:Small
TAI1
テンプレート:Small
TAI2
テンプレート:Small
SEN1
テンプレート:Small
SEN2
テンプレート:Small
FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
13位 28
1996 TEAM 無限 ホンダ・アコード FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
SUG1
テンプレート:Small
SUG2
テンプレート:Small
SUZ1
テンプレート:Small
SUZ2
テンプレート:Small
MIN1 MIN2 SEN1
テンプレート:Small
SEN2
テンプレート:Small
TOK1
テンプレート:Small
TOK2
テンプレート:Small
[[富士スピードウェイ|テンプレート:Color]]
テンプレート:Small
[[富士スピードウェイ|テンプレート:Color]]
テンプレート:Small
2位 115
1997 TEAM 無限 ホンダ・アコード FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
TAI1
テンプレート:Small
TAI2
テンプレート:Small
SUG1
テンプレート:Small
SUG2
テンプレート:Small
SUZ1
テンプレート:Small
SUZ2
テンプレート:Small
MIN1
テンプレート:Small
MIN2
テンプレート:Small
SEN1
テンプレート:Small
SEN2
テンプレート:Small
TOK1
テンプレート:Small
TOK2
テンプレート:Small
FSW1
テンプレート:Small
FSW2
テンプレート:Small
1位 107

JGTC

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 順位 ポイント
1996 TEAM TAISAN ポルシェ・911 GT500 SUZ
9
FSW
9
SEN
Ret
FSW
12
SUG
12
MIN
6
15位 10
1998 無限×童夢 プロジェクト ホンダ・NSX GT500 SUZ
Ret
FSWJ
C
SEN
Ret
FSW
5
TRM
1
MIN
11
SUG
1
4位 48
1999 無限×童夢 プロジェクト ホンダ・NSX GT500 SUZ
14
FSW
12
SUG
3
MIN
3
FSW
9
TAI
16
TRM
4
10位 36
2000 無限×童夢 プロジェクト ホンダ・NSX GT500 TRM
2
FSW
8
SUG
2
FSW
10
TAI MIN SUZ 10位 34

引退後の活動

  • 2000年ツインリンクもてぎにてホンダ・コレクションホールの車の第2回動態確認テスト(8月)に参加。McLAREN MP4/6(1991年)やRA300[2]などをドライブ。
  • 2001年
    • 4月第1回動態確認テストに参加。Williams Honda FW11(1986年)やブラバムHonda BT18(1966年,F2マシン)、自らのチャンピオンカーであるCastrol 無限 ACCORD SiR(1997年)、McLAREN MP4/6(1991年)などをドライブ。
    • 4月ツインリンク茂木のヒストリックドリームランに参加。6月同サーキットにてグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード遠征事前テストに参加。
    • 9月同サーキットにて「エンジョイHONDA2001」に参加。
    • 11月同上第2回動態確認テストに参加。RALT Honda RT20(1986年)、Honda F-1 RA301(1968年)、RA301T(1968年)をドライブ。
  • 2002年
    • 同上第1~3回動態テストに参加。1.Mclaren HONDA MP4/6、Honda F-1 RA301T 2.Lotus HONDA 100T(1988年)、Honda F-1 RA301 3.Williams Honda FW11、RC-F1 2.0X(HONDA F-1のプロトタイプ)、Ralt Honda RT20をドライブ。同サーキットのヒストリック・ドリームランとエンジョイホンダ2002サウンドライブに参加。
  • 2009年スーパー耐久第3戦からスプーンS2000で参戦。

脚注

  1. 富士スピードウェイで行われたこの年の最終戦インターTEC第2レースにおいて、16周目のヘアピン進入で本山哲のインを突いた中子がタイヤをロックさせてしまい、本山に接触させるアクシデントが発生した。その後、18周目の100Rで本山がアウトから来た中子のリアに接触させる形で報復し、中子はリタイアとなった。これにより、中子には5万円の罰金が科せられた他、報復行為に出た本山には50万円の罰金などのペナルティが科せられた。
  2. 1967年のHONDA F-1、実際にはこの時は走行出来なかった。

関連項目

テンプレート:全日本ツーリングカー選手権歴代チャンピオン テンプレート:Sportspeople-stub