清水建設
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清水建設株式会社(しみずけんせつ)は、1804年(文化元年)に創業、東京都に本社がある大手総合建設会社(ゼネコン)。
目次
概要
スーパーゼネコン5社(鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店、大林組)の一角。民間の建築工事に強みがある。受注活動では、大手他社と異なり採算度外視の大型工事をさけ、中小の物件の受注にも積極的である。得意分野は、建築では医療機関、土木ではLNGタンクの施工であるといわれている。さらに、歴史的な経緯から、伝統的な社寺建築にも豊富な実績を有している。
伝統的な建築儀式である手斧始め(ちょうなはじめ)を仕事はじめの1月4日に本社で執り行っている。建設業で手斧始めを受け継いでいるのは、清水建設と金剛組(大阪)だけである。
創業家である清水家の現在の当主は、清水満昭で、清水地所社長、清水建設取締役を務めている。
同社のコーポレートメッセージは「子どもたちに誇れるしごとを。」(日本語)「Today's Work, Tomorrow's Heritage」(英語)である。
沿革
- 1804年(文化元年) 初代清水喜助が江戸の神田で創業(喜助は現在の富山出身で、大工となり、日光東照宮の修理に参加した後、江戸に下る)。
- 1838年(天保9年) 江戸城西の丸焼失後の再建工事に参加 。
- 1858年(安政5年) 井伊直弼より、開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負う。
- 1859年(安政6年) 初代喜助死去。養子の清七が2代清水喜助となる。
- 1868年(明治元年) 幕府の依頼で建設を始めた築地ホテル館(外国人旅館)が完成。
- 1872年(明治5年) 三井組ハウスが完成 。
- 1881年(明治14年) 2代喜助死去、養子の清水満之助が跡を継ぐ。
- 1887年(明治20年) 満之助死去、未亡人や支配人が経営を引き継ぐ。
- 1892年(明治25年) 澁澤榮一の仲介で法律学者、穂積陳重の案により家法を定める。
- 1915年(大正4年) 合資会社清水組となる。
- 1925年(大正14年) 鶴見騒擾事件起こる。(清水と間組の下請けの喧嘩)
- 大正から昭和にかけて大建築を多く手掛け、建設業のトップの地位を築く。
- 1937年(昭和12年)8月25日 あらたに株式会社清水組を設立、合資会社清水組を合併する。
- 1948年(昭和23年) 清水建設株式会社に商号変更。
- 1961年(昭和36年)4月 株式を東京店頭市場に公開。
- 1961年(昭和36年)10月 東証2部に上場。
- 1962年(昭和37年)2月 東証1部に上場。
- 1962年(昭和37年)10月 名証・大証各1部に上場。
- 1971年(昭和46年)不動産事業に進出
- 1987年(昭和62年)アイマーク、コーポレートカラーを制定
- 1991年(平成3年)本社を宝町から東京都港区浜松町のシーバンスに移転
- 1995年(平成7年)阪神大震災で被害調査、復興活動
- 2008年(平成20年)7月1日 旧京橋本社の場所に新本社ビル新築と平成23年秋の本社移転計画を発表。平成21年4月着工。平成23年9月高層棟、平成25年2月低層棟完成予定。[1]
- 2012年 (平成24年) 東日本大震災で津波被害を受けた仙台市内に復興活動と事業展開の一環として、他企業と合同でスマートシティー開発を進める事を発表。
- 2012年(平成24年)8月 本社をシーバンスから中央区京橋に移転
経営理念
- 地球社会への貢献 Socio-dynamism
- 環境保全活動、文化活動等の活動のみならず、環境とバランスのとれた社会的、文化的に価値のある優れた品質の建造物・施設をグローバルに建設する。
- 人間尊重 Humanity
- 従業員が快適で意欲をもって働けるような環境を作りだす。
- 革新志向 Innovation
- 役員、従業員全員が常に革新的姿勢で業務にあたり、事業展開、営業活動、研究・開発、業務・経営革新に取り組むことにより、絶えず企業として成長・発展を図っていく。
- 顧客第一 Market-in
- 常に顧客の立場に立って考え行動し、顧客に役立つことにより当社も適正な利潤を頂くことを基本とする。
- 情熱 Zeal
- 何事にも情熱をもって取り組む。
施工物件
歴史的にも数多くの名建築を手掛けている。例えば国立屋内総合競技場(主体育館:1964年 設計・丹下健三)など枚挙に暇がない。
詳しくは清水建設の歴史を参照のこと。
以下はほんの一例である。
- 東京大学安田講堂(東京都文京区)
- 市政会館・日比谷公会堂(東京都千代田区)
- DNタワー21(旧第一生命館)(東京都千代田区)
- 大阪富国生命ビル (大阪府大阪市)
- 東京競馬場スタンド(東京都府中市)
- 大阪国際空港ターミナルビル(大阪府豊中市)
- 横浜市開港記念会館(神奈川県横浜市)
- 横浜スタジアム(神奈川県横浜市)
- サンシャイン60(東京都豊島区)
- 警視庁本部庁舎(東京都千代田区)
- みずほ銀行内幸町本部ビル(旧第一勧業銀行本店)(東京都千代田区)
- 服部時計店(現:銀座和光)本店(東京都中央区銀座)
- 大石寺客殿(静岡県富士宮市)
- 新都庁第一本庁舎(東京都新宿区)
- ヒルトン東京ベイ(千葉県浦安市舞浜)
- 癌研究会有明病院(東京都江東区有明)
- 平安神宮(京都府京都市左京区)
- 奈良国立博物館本館(奈良県奈良市)
- シャープ亀山工場(三重県亀山市)
- 東京モード学園コクーンタワー(東京都新宿区)
- 日本テレビ放送網本社「日テレタワー」(東京都港区)
不祥事
- 2008年1月25日 2007年11月7以来中断していたA棟ザ・タワーズ・ウエストの工事を再開した。25~30階の補強工事と最上階までの本体工事を併せて行い、補強工事は2008年3月中に完了予定とし、2009年1月当初の予定通り完成を目指す。
- 詳細と顛末は市川市の市川駅南口地区再開発を参照。
- 2006年(平成18年)12月 大連の大型商業施設、「マイカル大連商場」の工事費用の残金支払いなどを巡り中国で争われていた裁判で、敗訴、逆に約1590万ドルを国貿大厦に支払った。[2]
- 2007年1月 名古屋市営地下鉄桜通線の延長工事で、大手ゼネコンが談合。2月28日に、幹部が独占禁止法違反で逮捕。
- 2008年(平成20年)1月 シャープ堺工場の建設工事に、暴力団との関係を指摘された業者が、清水建設の下請けに参入していたことが発覚し、元請の同社が、契約解除の方向に。また、2件の談合事件に関与し、指名停止処分を受けていながら、この新工場の周辺工事について、随意契約を交わしていたことが判明している[3]。
- 2010年(平成23年)6月 西日本高速道路が発注した新名神高速道路のうち、神戸市北区内での建設において、入札前に清水建設に工事価格の情報が漏洩していたことが判明し、この疑惑を請け西日本高速道路は工事の入札を中止しており、兵庫県警が事実解明に向け捜査を行っている[1]。
宅地開発実績
- パストラルタウン美しが丘 - 札幌市豊平区(清水建設総合開発と)
- 旭ヶ丘 - 茨城県鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市、清水建設総合開発と)
- パストラルヒルズ佐倉・城 - 千葉県佐倉市(清水建設総合開発と)
- 高南台パストラルヒルズ - 千葉県東葛飾郡沼南町(清水建設総合開発と)
- 柏・藤ノ台パストラルヒルズ - 千葉県柏市(清水建設総合開発と)
- 佐倉白銀ニュータウン/パストラル・アベニュー - 千葉県佐倉市(清水建設総合開発と)
- パストラルヒルズ流山平和台 - 千葉県流山市(清水建設総合開発と)
- パストラルヒルズ相模原 - 神奈川県相模原市(清水建設総合開発と)
- 大磯松韻 - 神奈川県中郡大磯町、旧清水家別荘跡地(三菱商事、スタジオランドジャパンらと)
- パストラルヒルズ五月台 - 川崎市麻生区(清水建設総合開発と)
- パストラルびゅう桂台 - 山梨県大月市(東日本旅客鉄道、清水建設総合開発と)
- 大津美咲野ニュータウン - 熊本県菊池郡大津町(清水建設総合開発と)
- 二宮町土地宅地分譲 - 神奈川県中郡二宮町(清水建設総合開発と)
- 新崎宅地分譲すみれ野ニュータウン - 新潟県新潟市(清水建設総合開発と)
- パストラルヒルズ波木南台 - 三重県四日市市(清水建設総合開発と)
- 五日市ニュータウン彩が丘 - 広島市佐伯区(清水建設総合開発と)
- 氏神工業団地分譲 - 広島県山県郡千代田(清水建設総合開発と)
- ガーデンシテイ美咲野 - 熊本県大津町(九州旅客鉄道、西松建設と)
清水建設総合開発が開発した住宅地は以下の通り
- グランディタウン河原町 - 宮城県仙台市(清水不動産 他)
- ヴィークテラス世田谷桜丘 - 東京都世田谷区桜丘
- ヴィークテラス浜田山 - 東京都杉並区
- ネイシア津田沼 - 千葉県習志野市
- 東金工業団地 - 千葉県東金市
- 波木南台宅地分譲 - 三重県四日市市
- ほほえみタウン時津 - 長崎県時津町(清水不動産 他)
グループ企業
建設関連事業
- エスシー・プレコン
- エスシー・マシーナリ
- 片山ストラテック
- シミズ・ビルライフケア
- シミズ・ビルライフケア関西
- シミズ・ビルライフケア東海
- シミズ・ビルライフケア九州
- 第一設備工業
- テクネット
- 東京コンクリート
- 東京鐵骨橋梁
- 日本道路
- ファインスタッフ
- ピーディーシステム
- フィールドフォー・デザインオフィス
- ミルックス
開発・不動産関連事業
サービス関連事業
経営者
- 清水店店主
- 清水組社長・清水建設社長
提供番組
- 春夏秋冬(日本テレビ) - 一社提供番組。
- ロボつく(テレビ東京) - 同上。
- 世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ) - 同社を含む複数社提供の謎とき冒険バラエティー番組。
- とんねるずの生でダラダラいかせて!!(日本テレビ) - 同社を含む複数社提供のお笑いバラエティー番組。
イメージソング
- 1990年代前半には、テレビCMのイメージソングとして忌野清志郎の「パパの歌」が使われた。因みに「パパの歌」の発売は1991年5月だが、発売前に行われた清水建設の社内パーティーに於いて、パーティーに参加した社員及び招待された社員の家族全員にシングルCDと、重機のキャタピラを模したボールペンが配られた。このシングルのジャケットは裏面に清水のロゴマークが使用された特別バージョンである。また1992年には、忌野の「パパの手の歌」を起用した、CM第2弾も放映された。
関連する人物
- 渋沢栄一 相談役。「論語と算盤」の理念を導入。
- 佐野利器 東京帝国大学教授(建築構造学)。副社長として迎える。
- 田辺淳吉 技師長
- 堀越三郎
- 近藤芳美 アララギ派の詩人。設計技師として在籍。
- 桜井眞一郎 スカイラインの開発者。一時、清水建設に在籍
- 大崎順彦 東京大学名誉教授(耐震構造学)。副社長として迎える。
- 中谷礼仁 早稲田大学准教授(建築史)。設計部に在籍していた。
脚注
- ↑ 新名神工事価格漏えいか…清水建設社員宅を捜索 読売新聞 2012年2月26日
参考文献
- 清水建設百五十年史編纂委員会『清水建設百五十年』 清水建設 1954
- 清水建設兼喜会五十年史編纂委員会『清水建設兼喜会五十年』 清水建設東京兼喜会 1969
- 清水建設編『清水建設百七十年』清水建設 1973
- 清水建設編『清水建設百八十年』清水建設 1984
- 清水建設設計本部編『清水建設のディテール―風土と結ばれた技術展開』彰国社 1992
- 初田亨『職人たちの西洋建築』(講談社メチエ)講談社 1997 (ちくま学芸文庫から2002再版)
- 清水建設編『清水建設二百年』経営編 清水建設 2003(鈴木博之監修)
- 清水建設編『清水建設二百年』生産編 清水建設 2003(鈴木博之監修、中谷礼仁執筆)
- 清水建設編『清水建設二百年』作品編 清水建設 2003
- 菊岡倶也監修『棟梁から総合建設業へ―清水建設200年の歴史』 清水建設 2003
- 「清水建設 新たなる棟梁」『新建築』臨時増刊 新建築社 2004
関連項目
外部リンク
- 清水建設
- 清水地所
- 技術研究所 -1943年設置。ゼネコンで最古の研究所。ホームページには研究成果のデータベース等がある。
- 東京木工場 -1884年設置。木工技術を継承している。
- 財団法人住宅総合研究所-清水康男社長の私財によって、住宅問題研究のために設立された財団法人。