女川町
テンプレート:Infobox 女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。
目次
概要
町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。
また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所があるが、現在は運転停止中。
地理
自然
主要な地形
- 山地 :高梨山、石投山、黒森山、高崎山、唐松山、大六天山、袴ヶ岳
- 河川系 :国土地理院の広域地図に掲載されるほどの規模の川や湖沼は町域に存在しない。町名の由来とされる「女川」は小川である。
- 近海・沿岸地形 :御前湾、女川湾、五部浦湾、大貝崎、万石浦、出島、江島、足島
広域地域区分
宮城県内の地勢的な地方区分である、北部・中部・南部のうち、中部地方に属し、その北東部に位置する。
- cf. 宮城県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
21世紀の宮城県の広域行政圏としては、石巻市・東松島市とともに、広域石巻圏を形成する。
- cf. 宮城県地域区分図 :≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
隣接している自治体
- cf. 宮城県の市町村全図 :≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
- 石巻市が女川町を取り囲むかたちで北部・西部から南部にかけて幅広く隣接する(西部の一部と東部は太平洋に開ける)。
町内の地域
- cf. ≪外部リンク≫テンプレート:Cite web
- cf. ≪外部リンク≫ テンプレート:Cite web
歴史
女川町の由来
女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。平安時代、安倍貞任の軍勢が隣村・稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになった。
1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行された際、藩政時代の女川組20浜の各村を合併して女川村と称した。テンプレート:要出典範囲1926年(大正15年)4月1日に町制へ変更され、女川町となる。
女川湾の歴史
女川湾は比較的水深が深く、宮城県に寄港する大型船舶の碇泊地になることが多かった[1]。なかでも、塩釜港や石巻港が浚渫整備される以前は、大日本帝国海軍の艦船の入港が多く、商港の整備に当たって軍港誘致の請願が行われたことがある[1]。第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空・対潜任務のため、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」が設置され、艦艇が配置された[2]。また、大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日には連合国軍機による空襲を受けて大日本帝国海軍艦艇7隻が撃沈されている[3][2]。 テンプレート:Main
年表
近代以降
- 1939年(昭和14年)10月7日:国鉄(JRの前身)石巻線で女川駅が開業。
- 1945年(昭和20年)8月9日:第二次世界大戦中、連合国軍機による空襲があり、大日本帝国海軍艦艇7隻が女川湾で撃沈される[3]。
- 1951年(昭和26年)12月13日:女川漁港が第3種漁港に指定される。
- 1956年(昭和31年)2月12日:国鉄石巻線で浦宿駅が開業。
- 1956年(昭和31年)4月21日:町章を制定する。[4]
- 1971年(昭和46年)4月1日:有料道路「牡鹿コバルトライン」(宮城県道220号牡鹿半島公園線)が開通。
- 1980年(昭和55年)7月8日:女川原子力発電所、着工。
- 1984年(昭和59年)6月1日:女川原子力発電所、運転開始。
- 1994年(平成6年):町営の観光物産施設「マリンパル女川」が開業。
- 1996年(平成8年)4月:「牡鹿コバルトライン」(宮城県道220号牡鹿半島公園線)が無料化される。
- 2002年(平成14年)10月14日(鉄道の日):女川駅が「東北の駅百選」の一つに選定される。
- 2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生
行政区域の変遷(市町村制施行以後)
行政
女川町の財政は、東北電力の女川原子力発電所によって「原子力発電施設等周辺地域交付金」および「電力移出県等交付金」からなる「電源立地特別交付金」が交付されるため、近隣の市町村と比べると潤沢な財政を持つ。また、地方交付税交付金が支給されていない地方公共団体である。そのため、石巻市など周辺市町村との合併には消極的である。
歴代町長
歴代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
|
須田善明 | 2011年(平成23年)11月13日 | <center>(現職) | 平成11年~宮城県議会議員 |
<center>? | 安住宣孝 | 1999年(平成11年)9月19日 | 2011年(平成23年)11月12日 | 東日本大震災が発生。 |
<center>? | 須田善二郎 | 1983年(昭和58年)5月 | 1999年(平成11年) | 在任中に他界。2人目の名誉町民 |
<center>? | 木村主税 | 1947年(昭和22年)4月 | 1983年(昭和58年)5月 | 83年2月、初当選以来十期連続での当選を果たす。しかし、体調を崩しながらの選挙で無理をしたことがたたり、当選後間もなく入院。同年5月、他界する。初めての名誉町民。 |
警察
- 石巻警察署 女川交番 :東日本大震災で被災後、女川浜字大原190(女川総合グラウンド内)で仮設交番として機能中[5]。
- 石巻警察署 指ヶ浜駐在所 :震災で被災後、閉設中(所在地:指ヶ浜字指ヶ浜1)[5]。
郵便事業
- 女川郵便局
経済
産業
- 企業
地域
人口
教育
中学校
小学校
- 女川町立女川小学校
廃止された学校
- 宮城県女川高等学校(2014年3月31日閉校)
- 女川町立女川第一中学校(2013年3月31日、女川中学校に改称して第二中と統合された。)
- 女川町立女川第二中学校(閉校)
- 女川町立女川第一小学校(2013年3月31日、女川小学校に改称して他の町立小と統合された。)
- 文部科学省が推進する学力向上フロンティア事業[7]の指定校(フロンティアスクール)。
- 女川町立女川第二小学校(閉校)
- 女川町立女川第三小学校(震災より以前に、第二小に統廃合されて閉校。)
- 女川町立女川第四小学校(閉校)
交通
港湾
鉄道
- ※かつては金華山軌道が走っていた。
- 隣接市町村への連絡
- 石巻線 石巻駅から女川駅まで約30分
- 都道府県庁への連絡
- 都道府県庁への連絡
路線バス
道路
一般国道
県道
道の駅
- 町内に道の駅は存在しない。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡・観光スポット
- マリンパル女川:観光物産施設。
- 女川町総合運動公園
- 女川原子力PRセンター
- 三十三観音碑
- コバルトライン(宮城県道220号・牡鹿半島公園線)
- 足島:国の天然記念物「陸前江ノ島のウミネコ及びウトウ繁殖地」のうち。
- 鳴り砂(=鳴き砂)の浜辺
祭事・無形文化財等
- 女川みなと祭り:7月最終土日。
- おながわ秋刀魚収獲祭:9月中旬。
- 江島法印神楽:県指定重要無形文化財。
ゆかりのある著名人
出身著名人
- 大正生まれ
- 昭和生まれ
- 生年未確認
- 高橋愛美:歌手(音楽ユニット「sunny-side up」のメンバー)。
その他のゆかりある著名人
- マイケル・アリアス:アメリカ人CGクリエイター。映画監督(代表作『鉄コン筋クリート』)。妻が女川町出身ということもあって、マイケル・アリアス本人の希望で2007年(平成19年)3月24日、『鉄コン筋クリート』の舞台挨拶付き上映会を女川町の隣りの石巻市にある岡田劇場で開催した経緯がある。1968年2月2日生まれ。
- 勝又英樹:プロバスケットボール選手(bjリーグ仙台89ERS所属)。両親が女川町出身で本人も生まれてから6歳まで女川町で過ごす。1980年6月16日生まれ。
東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した[9][10](町内の検測所は津波で流失)。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った[11](東日本大震災)[12][注 1][注 2]。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高[注 3])は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した[13][14]。
津波で3階建ての町庁舎も冠水した[11]が、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システム[注 4]が壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った[15]。
女川湾から約100mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた[16]。
東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した[17]。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した[17]。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた[17]。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという[17]。
町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた[12][18]。また、女川-石巻間では線路が損傷した[19]。
更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている[20][21]。
- 3月12日:津波被害で損壊著しい町庁舎に代えて、女川町立第一中学校(現・女川中学校)の校舎2階に女川町災害対策本部が置かれる[6]。
- 3月23日:この時点で判明した人的被害は死者473人・行方不明者620人、物的被害はほとんど詳細不明[11]。
- 3月31日:女川町公式ウェブサイトのホームページが臨時の状態ながら回復する[22]。
- 4月21日:町の有志により、町内をエリアとする臨時災害放送局(FMラジオ 79.3MHz)「おながわさいがいエフエム」が開局し、女川町立第二小学校校庭に設置されたスタジオから24時間体制で放送を開始する[23]。
- 5月26日:この時点で判明した人的被害は死者476人・行方不明者567人・重軽傷者2人、物的被害は全壊3,021棟・半壊46棟・一部破損86棟[24]。
- 6月6日:この時点で判明した人的被害は死者488人・行方不明者454人[25]。
- Carried cars.JPG
津波によってビルの屋上に横転した状態で打ち揚げられた自動車。2011年3月30日撮影(以下同じ)。
- Rescue team from India.JPG
女川町内で行方不明者の捜索に当たるインドの捜索救助隊。
- Damage of Tsunami at Onagawa 01.JPG
高台にある女川町立病院から女川駅方向を撮影しているが、震災時は撮影者の位置まで津波が押し寄せた。
- Broken medical equipment.JPG
避難場所に指定されていた女川町立病院も1階が浸水し、多数の医療機器が使用不可能となった。
- Carried train in Ishinomaki Line.JPG
女川駅から200mほど流された列車。1両は丘の中腹(画像左上)に打ち揚げられた。
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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- テンプレート:Anchorテンプレート:Cite web
- テンプレート:Cite web宮城県の市町村全図。
- 国土地理院、地形図閲覧システム
- ↑ 1.0 1.1 1.2 女川町誌。
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 大内(2009)
- ↑ 図典 日本の市町村章 p35
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 6.0 6.1 テンプレート:Cite web および2013年9月に女川町からも同様の回答をメール返信で受けた
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 11.0 11.1 11.2 テンプレート:Cite news:被災状況全図。
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 テンプレート:Cite news
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- ↑ テンプレート:Cite web:原典は国土地理院提供資料。
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