児島地域

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テンプレート:Otheruseslist テンプレート:日本の地区・地域 児島(こじま)は、岡山県倉敷市の行政上の地域区分。同市南東部に位置し、倉敷市役所児島支所の管内にあたる[1]。かつての児島市に相当し、1967年2月1日、旧倉敷市・玉島市との3市による新設合併で新倉敷市となった。

本項では児島市についても述べる。

概要

児島は瀬戸内海に面した岡山県最南端(島嶼部を除く)の児島半島西部に位置する面積約80km²、人口約7万5千人の地域である。また、1988年4月10日に完成した瀬戸大橋本州四国連絡橋のうちの「児島・坂出香川県)ルート」)の本州側の起点でもある。古くから海運業や製塩業、繊維業が栄え、現在も学生服ユニフォームジーンズ等を代表とする繊維(アパレル)産業が盛ん。日本産ジーンズ発祥の地としても知られている。[2]

観光面では瀬戸内海国立公園の主要景勝地の一つである鷲羽山や王子が岳、中世からの港町である下津井などを有する。なかでも、鷲羽山は瀬戸大橋と瀬戸内の多島海を眺めることのできる絶景ポイントとして県内有数の観光地となっており、市内の観光客数でも倉敷美観地区に次ぐ。[3]近年ではジーンズの生産工房や鷲羽山、歴史を巡る定期観光バスを走らせるなどして全国にアピールしている。

地理

児島の立地する児島半島は近世初頭の干拓により本州と陸続きとなる以前はであった。倉敷市内でも自然豊かな地域であり、市内の緑地の大半が、また、数少なくなった砂浜などの自然海岸を有し、地域中央部を占めるからへ小河川が四方に流れる複雑な地形景観を見せる。海に囲まれた地形的特徴から大きな河川は発達せず、古くから多くの溜池が作られた。大部分は現在でも維持されており、地域の景観的特徴の一つとなっている。地域を地形的に区分すると、北西側の鴨ヶ辻山系から北東の由加山系を境に大きく二つに分けることができ、北側で児島湾へ向かって東流する郷内川、南側で瀬戸内海(味野湾)へ向かって南北に長い児島丘陵の西側を南流する小田川、同じく東側を南流する下村川といった数キロの小河川沿いに比較的まとまった平野が見られる。これら3つの平野部を除いて水田に適した低地に乏しい一方で、その地理的な条件を生かして古くから塩業や漁業、海運業、織物業などの産業が発達し、交易や信仰の拠点として経済的にも周辺地域より優越する場であるいわゆる都市的な場であったといえる。

現在の児島市街は、地域南東部の味野湾に面する近世からの市街地を基盤とする味野や下の町・田の口などを中心として海沿いや丘陵間の低地を流れる小田川・下村川沿いを中心に形成され、海に沿って約7キロ途切れなく続く。市内でも高密度なまとまりとなっており、[4]一部は沿岸部北側のなだらかな丘陵にも広がる。また、半島の付け根の郷内川沿いには中世に繁栄した熊野権現を中心とする郷内地区が、児島の東半分を占める由加山山上には近世に繁栄し現在も地域の参詣客を集める瑜伽大権現がそれぞれ社寺とその門前町を残しており、さらに、半島西部の水島灘に面して古代の荘園と港の風景を今に伝える通生が、南端の備讚瀬戸に面して古い港町の下津井が立地する。

ファイル:Shimotsui-seto-oohashi.JPG
備讚瀬戸と瀬戸大橋

地名の由来

「こじま」あるいは「こしま」という地名は有史以来一貫して当地を含む現在の児島半島一帯を示す呼称として使用されており、歴史のある地名といえる。最古の正史である『日本書紀』の国生み神話では、吉備子洲(きびのこじま)あるいは子洲(こしま)と記され、『古事記』では吉備兒島という呼称で登場する。これらが史書における「こじま」の初見といえ、児島は本州や九州などに次いで古代日本列島を構成する主要な島の一つとして認識されていたことが伺える。以上のように過去には種々の漢字表記が混在し、「児」は、兒・子・仔など、「島」は洲や嶋などと表記されることもあった。1946年の当用漢字表告示以降は「児島」と表記される。

主な自然地形

海域

瀬戸内海のほぼ中央に位置する児島の海は、四国との間にかけて広がる備讚瀬戸海域に属し、また、鷲羽山を境として、東側の主に児島市街が面する海域は味野湾、西側で通生や塩生が面する海域は水島灘と呼ばれている。また味野湾は、近年、魚の産卵場所としての重要性が認識されているアマモ場として瀬戸内海最大のものが存在する貴重な海域でもある。

島嶼
  • 六口島(面積1.09km²、人口11人)
  • 松島(面積0.08km²、人口4人)
  • 釜島(面積0.4km²、無人島)
  • 竪場島(面積0.12km²、無人島)
半島
  • 児島半島
山岳・丘陵

児島の山は概ね300m以下の山からなっており、岡山県内で見ると瀬戸内丘陵群に区分され、倉敷市の地形地域区分では児島山地に属している。

  • 由加山山系
    • 奥ケ峰(由加 300.4m)
    • 妙見山(由加 283.2m)
    • 福南山(福江 281.9m)
    • 瑜伽山(由加 273.1m)
    • 仙随山(田の口 273.4m)
    • 佐渡山(由加 272.5m)
    • タコラ山(木見 215.5m)
    • 龍王山(木見 194.0m)
    • 由加平山(福江 184.0m)
    • 岩滝山(田の口 169.7m)
  • 鴨ケ辻山〜石鉄山山系
  • 鴨ケ辻山(福江 283.9m)
    • 松楠山(福江 235.0m)
    • 大山(塩生 223.5m)
    • 石鉄山(柳田 220.6m)
    • 神山(稗田 220.6m)
    • 高山(柳田 196.0m)
  • 竜王山山系
    • 竜王山(味野 203.4m)
    • 祇園山(塩生 161.0m)
    • 城山(味野 146.2m)
  • 熊野神社山系
    • 蟻蜂山(林 232.0m)
    • 熊山(木見 237.5m)
  • 王子ケ岳
    • 新割山(唐琴 234.4m)
    • 王子ケ岳(唐琴 227.8m)
  • 下津井丘陵
    • 神道山(吹上 144.3m)
    • 鷲羽山(大畠 133.5m)
    • 三百山(菰池 124.8m)
    • 大向山(菰池 111.0m)
  • 児島丘陵
    • 児島丘陵(小川、下の町、上の町、稗田 50〜60m)

河川
  • 小田川(水源地 稗田、5.410km)
  • 下村川(水源地 上の町、2.012km)
  • 郷内川(水源地 林・木見、6.137km)
湖沼

児島地域には、1994年時点で614か所の溜池が存在し、その数は市内でも突出して多い。 そのうち約300か所は、17世紀中頃に児島郡奉行の石川善右衛門により築造または拡張整備されたものであると伝えられている。

  • 小田川水系
    • 大池(稗田 127,800m³)
    • 馬渡木池(小川 50,400m³)
    • 小原池(柳田 47,000m³)
    • 扇池(味野城山 35,600m³)
    • 宮池(赤崎 32,000m³)
    • 祈祷池(柳田 31,300m³)
  • 下村川水系
    • 長谷池(上の町 213,600m³)
    • 砂池(上の町 125,800m³)
    • 蓼ノ尾池(上の町 78,800m³)
    • 積泉池(上の町 41,000m³)
  • 郷内川水系
    • 福林湖(福江 229,000m³)
    • 森池(木見 222,000m³)
    • 硯池(尾原 49,300m³)
    • 相引池(福江 46,400m³)
    • 見池(尾原 40,800m³)
    • 皆谷上池(串田 34,500m³)
    • 山の下池(曽原 33,300m³)
  • その他
    • 加茂路池(田の口 98,700m³)
    • 鴻の横山池(通生 90,800m³)
    • 大池(通生 90,700m³)
    • 鴻の新池(塩生 35,200m³)

管内の町字など

本荘地区
  • 児島通生
  • 児島塩生
  • 児島宇野津
下津井地区
  • 下津井
  • 下津井一丁目~五丁目
  • 下津井吹上
  • 下津井吹上一丁目・二丁目
  • 下津井田之浦
  • 下津井田之浦一丁目・二丁目
  • 大畠 大畠一丁目・二丁目
赤崎地区
  • 児島赤崎
  • 児島赤崎一丁目~四丁目
  • 児島阿津一丁目~三丁目
  • 菰池
  • 菰池一丁目~三丁目
  • 児島元浜町
味野地区
  • 児島味野
  • 児島味野一丁目~六丁目
  • 児島味野城一丁目・二丁目
  • 児島味野上一丁目・二丁目
  • 児島味野山田町
  • 児島味野城山
  • 児島駅前一丁目~四丁目
児島地区
  • 児島稗田町
  • 児島柳田町
  • 児島小川町
  • 児島小川一丁目~十丁目
琴浦地区
  • 児島下の町
  • 児島下の町一丁目~十丁目
  • 児島上の町
  • 児島上の町一丁目~四丁目
  • 児島田の口
  • 児島田の口一丁目~七丁目
  • 児島唐琴町
  • 児島唐琴一丁目~四丁目
  • 児島由加
  • 児島白尾
郷内地区
  • 木見
  • 曽原
  • 串田
  • 福江
  • 尾原

隣接する地域

気候

テンプレート:Climate chart

瀬戸内海のほぼ中央に位置し、日本の気候区分では瀬戸内海式気候に属する。1年を通じて温暖で穏やかな気候で日本国内及び県内他地域と比べても降水量が少なく晴天日数が多いといえる。また、降雪積雪は極まれである。

気象庁の観測所は児島地域には設置されていないが隣接する倉敷地域と玉野市に設置されており、倉敷地域が内陸で盆地状の地形であるのに対して、同じく児島半島に位置し瀬戸内海に面することからより当地域の条件と近似すると考えられる玉野市の玉野地域気象観測所の観測値によると、年平均気温は15.7℃、年平均降水量は1021.6mmで、年平均日照時間は2131.9時間である。[5]

玉野地域観測所の観測データ[6]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温極値 17.2 19.1 21.5 29.0 30.3 33.4 37.1 39.0 35.7 30.1 25.2 20.9 39.0
平均最高気温 7.1 9.6 13.3 19.6 24.2 27.4 31.4 33.0 28.7 23.0 17.3 12.0 19.3
平均気温 5.4 5.3 8.3 13.3 17.9 21.8 25.8 27.6 24.2 18.3 12.8 7.8 15.7
平均最低気温 2.5 2.5 5.2 10.5 15.2 19.8 24.0 25.1 21.1 15.0 9.5 4.7 12.4
最低気温極値 -4.0 -6.4 1.7 0.1 5.7 10.4 17.5 18.3 11.6 5.8 1.7 -3.5 -6.4
平均降水量 33.5 43.4 84.4 83.9 110.5 158 132.9 78.6 144.2 79.4 49.1 23.7 1021.6
平均日照時間 141.4 145.3 166.3 199.3 207.1 165.3 213.4 243.8 164.1 174.9 156.0 154.8 2131.9
気温: (°C)、降水量: (mm)、日照時間: (h)、(2009年12月時点の平年値)


歴史

児島の位置する児島半島は古代、吉備の児島として知られる瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島の北側の本州と挟まれた海域は吉備の穴海または吉備の中海と呼ばれ、瀬戸内海の主要な航路の一つであった。

古代から中世以降の歴史を見ると、当初は中海をルートとする児島北側の航路(北航路)に面するなどの地域が開けていくが、北岸の中海は中世中頃には高梁川などの堆積作用により航路としての機能が低下し始める。その結果、それまでの北航路に代わり児島南側の航路(南航路)の重要性が高まっていき、それにつれ児島の重心も南航路に面する南岸、とりわけ、すでに中世から開けていた下津井などを中心とした地域に移動していったと考えられている。

近世には、中海の干拓により岡山平野と陸続きの半島となり北航路が消滅し、その流れは決定的になる。同時に、児島は四国に最も隣接する本州の一部としても重要性を高めていき、近世江戸時代には金比羅詣のブームを受けて全国から四国への旅人が往来する地となった。

海を通して人や物が多量に往来する地域となるこの時期には、先史時代からの産業であった製塩業や古くから発達した宗教施設や海運業がさらなる発展をとげ、その後の児島の基幹産業に発展する繊維産業も誕生する。

当時の先進地方であった上方を中心とする商人たちからもたらされた様々な文化や技術は、現在の児島を形づくるうえでの重要な基盤となった。現在では失われたものも多いが、建造物を始め、祭りや方言といった形で見ることができる。

先史

地域には先史時代の遺跡が数多く存在する。その量は小さな地域としてはまとまっているといえ、例えば瀬戸内海が陸地であった旧石器時代のものでは、西日本で最初期の発掘例である鷲羽山遺跡をはじめ、王子ヶ岳、竪場島、由加山、通生の宮の鼻など高地あるいは高台を中心に遺跡がみられる。

縄文時代に入ると瀬戸内海に水が入り淡水から汽水の状態になったと考えられ、やや数は少なくなるものの、北岸に貝塚が、南岸の鷲羽山や阿津からは土器や石器が発掘されている。

弥生時代の遺跡では、由加山などから銅鐸や銅剣などの青銅器が発掘されたほか、地域を特徴づける製塩土器が池尻(上の町)や仁伍(味野)などの遺跡から発掘されている。これらは、弥生時代の製塩遺跡としては西日本では最古の部類のものであり、弥生時代中期から後期にかけての瀬戸内海地域唯一の事例となっている。

製塩土器の出土では、古墳時代に入ってからも当地域の発掘量は飛び抜けて多く、工業用地として1960年代に埋め立てられる以前は児島でも最大級の砂浜であった塩生など、古墳とともに発掘される例も見られる。

古代~中世

ファイル:Kumano-jinja (Kurashiki)01.jpg
熊野神社本殿(重要文化財)

古代から中世にかけての島嶼時代は海路の要衝として交易や軍事のための船や人が往来していたと考えられ、島の南北に主要な航路を有する児島は戦略上も経済上も重要な場所であり、中海を舞台とした藤戸の戦いや南北朝の戦い(備中福山城の戦い)等が、戦国時代に入り高松城水攻めでも南岸の下津井は海路の拠点となるなど歴史の転換点にしばしば登場し、諸勢力が手にれようとしのぎを削った地でもあった。

古代の児島は、主要な航路であった児島北岸の中海に面した地域から開けたと考えられ、を中心とする郷内は、同じく北岸に面する児島半島東部の郡(岡山市)とともに大和政権の設置した吉備児島の屯倉の比定地とされる。林には、条里制遺構をはじめ様々な遺構が存在し、中世に児島山伏の本拠地として強大な勢力を誇った熊野権現は、熊野神社 (倉敷市林)五流尊瀧院として現在も残る。

林の熊野権現は一時期衰退するものの、承久の乱後に頼仁親王が配流されったことをきっかけに五流修験(児島五流)が再興され、地域最大の宗教勢力に成長するとともに、児島五流は社領とその権威を背景とした経済活動による財政基盤と併せて軍事力を蓄えていき、有力な武将が登場することのなかった倉敷地方の中で強大な勢力を誇ることになる。とはいうものの、台頭する武士勢力との抗争のなかで徐々に社領は荒らされ、秀吉の高松城水攻めへ加勢を要請された児島五流の山伏が参加を留保したなどもあって、戦国末期にはしだいにその勢力も衰えていった。

一方、南岸でも小規模ではあるがいくつかの遺構を見ることができる。琴浦地区の下の町には条里制の遺構が確認されており、周辺には後醍醐天皇の皇子宗良親王元弘の乱後に讃岐へ流される途中立ち寄り祈願し寄進したものとされている銘建武3年(1336年)の木製狛犬が一対伝わる鴻八幡宮や、在銘の石塔では最古の部類に入る総願寺跡宝塔[7]が存在する。また、現在の下津井や味野などを含む荘園(通生の荘)の拠点であったと考えられる通生(かよう)や長浜(下津井の旧称)が平安時代以降の文書に度々登場し、通生の港を見下ろす岬に立地する本荘八幡宮には室町時代初期の形式をのこす全国でも珍しい石造鳥居[8]が現存する。そして中世初期には既に地域の主要な港湾として認識されつつあった下津井は、中海の航路としての機能の衰退にあわせるようにして中世中頃から徐々に海運の拠点としての重要性を高めていき、発展をはじめていた。

近世

近世には、中海の新田開発によって児島は陸続きになり、航路が完全に児島南岸(外海)へと移動した結果、下津井は急速に成長し、地域の物資の集散地としての地位を確立する。戦国末期には宇喜多氏により下津井城が築城され、江戸時代に入ってからも池田氏のもとで拡張されるなど一国一城例が発せられるまでの期間は城下町でもあり、北前船の西廻り航路が開設されると幹線航路の湊としてさらにその地位を高め、廻船業を始め問屋や酒屋、金融業が興るなど、さらなる資本の蓄積が進んだ。そのような流れの中で、周辺の地域でも江戸初期には洲脇伝右衛門により、後代に進められる周辺の大規模な塩田開発の先鞭の地ともいえる阿津に塩浜(塩田)が開かれるなど、小規模ながら次第に開発されていった。

江戸時代中頃になると、当時流行していた金比羅詣りの旅人が立ち寄る港町として賑わい、すでに主要な港湾となっていた下津井の他にも、下村(現下の町)や田の口が四国への中継・渡海港となり開かれてき、岡山藩主池田家の庇護を受けていた瑜伽大権現(現蓮台寺由加神社)は、金比羅との両詣りを謳うことで金毘羅参りの参拝客を集め、門前町の由加には旅館や芝居小屋を有する門前町が開かれる。同時に、田の口と下村は由加山への参拝客を迎える港としても発展していき、元禄期に大規模に実施された児島北側に位置する児島湾の干拓地に大量に栽培された綿花の余剰生産物や金毘羅往来を行き来する旅人を媒体とする経済の影響で、それまでの主要産業であった製塩業に加えて織物業などの産業が田の口などに成立していった。[9]

そのなかで、江戸後期には地域の主要な産業の一つに発展した織物業による足袋の販売を通した資金を元手に後の塩田王野﨑武左衛門により行われた塩田開発をきっかけとして、地域の塩田は急速に大規模化していく。塩田野﨑浜のお膝元であり、以降児島の中心地となっていく味野が台頭する。一方、田の口や上村、下村では塩田開発に加えて、萌芽し始めた小倉織りなどの織物産業は家内制手工業が見られるようになるなど成長をつづけ、藩によって取引所である会所も開設されるほどの集積が進んでいく。

近代~現代

明治から昭和前期にかけては、既に地域の主要産業となっていた製塩業とともに、江戸時代に既に集積が見られた織物・縫製業が近代化の中でさらに高度化され、田の口上村下村を中心として多数の企業が興隆した。1882年には全国的にも最初期、県下でも岡山紡績に次ぐ下村紡績所が、塩業で財を成した渾大防(高田)埃二らによって開業・操業される。[10]その後、足袋の生産では大正時代には全国一の生産量を誇ったが、洋装化の流れの中で学生服へ品目を変え、その学生服でも1960年頃には全国シェア約70%に達するほど成長した。さらに、そのころに、日本で始めてジーンズの生産も手がけるようになり、現在では完成品メーカーの他に100社あまりの関連産業が集積するまでになっている。また近年では、オーダーメードのプレミアムジーンズのメーカーが拠点を構えていることでも知られる。


ファイル:Shimotsui moha103.jpg
下津井電鉄の車両

一方、児島の経済発展のもう一つの基盤となった製塩業は明治に入って以降も塩の専売制度の下で繁栄を続けるものの、1971年に製塩方式の変化のなかで廃止されることになり、一時代を築いた製塩業は以降イオン交換による工業製品として残るのみとなった。また、近世まで海運により繁栄を極めた下津井は、近代の動力船の登場により徐々にその地位を低下させ、地域で最大の人口を擁し、明治政府のもとでいち早く町制を敷いた下津井も次第に衰退していく。しかしながら、海運業などで資本を蓄えた者のなかからは他業種に投資・参入する者も現れ、下津井電鉄などの企業が生まれている。[11]

このような地域経済の発展の下で、第2次世界大戦直後の1948年には味野町や下津井町の合併により児島市が誕生する。その後、1956年には隣接するかつての下村や田の口村などからなる琴浦町と合併し、さらに郷内村の編入を経て現在の児島地域と一致する児島市域が、一応、できあがった。

都市としての児島は、丘陵と海に限られて市街地がコンパクトであったことに加えて、上記のような繊維産業や製塩業などからの収益による財政基盤などを背景にインフラの整備は比較的早く進み、味野湾沿岸の阿津・赤崎・味野・小川・下の町・田の口は物理的にも経済的にも次第に一体化していった。[12]人口・経済両面において最も発展したこの児島市時代には下水道が他地域と比べても早期に整備され[13][14]市民病院[15]も設立されるなど、現在の都市基盤の多くが作られた。

ファイル:Shimotsui-Seto Bridge.jpg
下津井瀬戸大橋と鷲羽山

児島市が最も拡張した時代と重なる1967年には、当時の三木知事のもとで岡山県南におきた岡山県南百万都市構想のあおりを受け、倉敷玉島と合併し新設倉敷市が発足する。さらに、1988年には瀬戸大橋が開通し、同時に整備されたJR瀬戸大橋線には新たに児島、上の町、木見の3駅が設けられた。これにより下津井電鉄の廃止により途絶えていた岡山との鉄道交通が復活し、さらに高松をはじめとする四国各都市と直接連絡され、児島駅からは岡山駅まで約25分、高松へは約30分で結ばれるなど両都市の鉄道通勤圏としての一面を併せ持つことになった。

年表

近代以降

明治
  • 1872年 - 下津井に郵便取扱所が開設される。
  • 1877年 - 下津井に浦役場が置かれる。
  • 1877年 - 倉敷警察署味野分署(現児島警察署)が置かれる。(翌年味野警察署と改称)
  • 1878年 - 児島郡の郡役所が味野村に置かれる。
  • 1882年 - 下村(現下の町)で下村紡績所が操業。(1903年閉鎖)。
  • 1888年 - 私設の児島群教育会設立
  • 1878年 - 味野、長浜(現 大畠)、本荘(現 通生)、鴻(現 下の町)に浦役場が置かれる。
  • 1889年 - 味野に岡山区裁判所味野出張所開設。
  • 1891年 - 味野に私設の電信郵便局開局。
  • 1896年 - 下津井村が町制施行。
  • 1896年 - 味野に児島銀行、下村に鴻村銀行が設立される。
  • 1898年 - 下村と岡山の間に馬車交通開通。
  • 1905年 - 味野の野﨑家で私設上水道布設。
  • 1908年 - 児島郡立児島商船学校設立(後の独立行政法人海技大学校・児島分校)
  • 1909年 - 味野町に電話開通。
  • 1910年 - 下村に琴浦女学校創立
  • 1911年 - 児島電気株式会社設立。電灯電力の供給が開始される。
大正
  • 1913年 - 下津井軽便鉄道(後の下津井電鉄) - 味野町~茶屋町間開通、翌年 - 味野町~下津井間開通。
  • 1915年 - 児島染色学校開校
  • 1919年 - 味野に六ヶ町村組合立竜王実科女学校設立(県立龍王高等女学校の前身、後の県立児島高校、現岡山県立倉敷鷲羽高等学校
  • 1925年 - 下津井〜岡山間のバス営業開始。(下津井電鉄)
  • 1925年 - 常磐座(劇場〜映画館)創業。
昭和

平成

  • 1989年 - 琴浦紡績(旧下村紡績所)解体
  • 1991年 - 下津井電鉄の鉄道が全線廃止 (児島:旧味野町~下津井間)。
  • 1991年 - 荻野美術館開館(下津井)
  • 1992年 - 倉敷ファッションセンター開設。
  • 1999年 - 第1回ファッションタウン児島トライアスロン大会開催。
  • 2004年 - 児島マリンプール開設、翌年「晴れの国おかやま国体」夏季大会主会場になる。
  • 2005年 - 岡山県立倉敷鷲羽高等学校 開校
  • 2007年 - 岡山県立児島高等学校閉校
  • 2007年 - 岡山県立琴浦高等学校閉校

経済

ファイル:TenmayaHappyTown Kojima shop.JPG
天満屋ハピータウン児島店

商業

古くは下津井に港と一体となった商業地が発達した。近世には在町である下津井に加えて味野、下村(現下の町)、田の口などの市街地が形成され、近代以降は味野と下の町を中心に商業の集積が見られた。現在、主な商業地としては下記の3地区が挙げられる。

味野地区
旧児島市の商業中心地区。野﨑家旧宅前から児島文化センターに至る旧街道(金比羅往来)の両側約400mの区間に形成された商店街と、隣接する敷島紡績工場跡地に開発された地区と併せて商業集積地区を構成する。下津井電鉄児島駅、児島バスターミナル、百貨店や映画館などが立地し賑わいを見せたが、1988年のJR児島駅開業、1991年には下津井電鉄線及び下電児島駅の廃止に伴い児島バスターミナルもJR駅前に集約されるなど、味野地区は都市機能が流出し衰えていった。軒を並べた商店の多くが廃業・移転した結果シャッター商店街と化し、現在ではアーケードも撤去され商店街としての機能の衰退が著しく進んでおり、2009年に「ジーンズストリート」として再生させる計画が立ち上がった。2014年現在、25店舗のジーンズ専門店が軒を連ねる通りになり、往時の賑わいを徐々に取り戻しつつある。
児島駅前
1988年の児島駅開業に合わせ野﨑家の塩田跡に整備された新興地区。旧市街である味野側に隣接して大型ショッピングセンターの「トピア」(天満屋ハピータウン児島店)が立地し、駅側にはショッピングモールの「ショッピングコート・パティオ」と「児島七番街」がいち早くオープンした。その後も、徐々に大小の専門店が進出し、駐車場の充実した自動車で店を巡ることのできる街として発展を続けている。一方、開発されたこれらの商業施設の立地は旧市街側に限定されており、開業から20年近く経ても駅前は未利用のまま駐車場や空き地となっている区画が目立っていたが、海側の国道430号側に店舗が開かれるなど徐々に変化も見られる。
国道430号沿線
児島駅から下の町にかけての国道430号沿線の塩田跡地には低層のスーパーマーケットなどのロードサイド型店舗が多く立地する。1990年代後半から大型の店舗の出店が盛んに行われ、2008年現在では、児島地域内の大型店舗の約半数[16]が立地するなど新たな商業の集積がみられる。

金融

地域内に支店を置く金融機関

繊維業

児島の繊維産業は近世の小倉織真田紐などの織物業に起源を持つ。近隣に先行して繊維業が興ったことから岡山県の繊維業の発展に果たした役割は少なくない。[17]明治以降の洋装化に伴い大正時代には主な製品を学生服へ転換、現在では全国の男子学生服の約70%が生産され大小さまざまな学生服メーカーがそろう。企業の制服やユニホームなどの生産も盛ん。かつては近隣地域だけでなく、四国・九州からも出稼ぎ労働者を集めたが、現在では、多くの企業が中国などの海外に生産拠点を持ち、国内に残る工場では中国からの労働者受け入れを行う企業も少なくない。隣の玉野市にはトンボ学生服で知られるトンボがある。

制服等で培った厚手の生地の縫製や染色などのノウハウと産業集積を生かして、現在ではジーンズも主要な製品となっている。国産ジーンズ発祥の地であり、ビッグジョンのような総合アパレルメーカーからプレミアムジーンズを扱う小規模の工房、事業所名を持たない縫製、染色等の小規模専門工房まである。また、県外の多くの大手ジーンズブランドや一部の海外有名ブランドが児島の企業に開発・生産を委託している。

学生服
  • 明石被服興業 - (富士ヨット)
  • 荻野本店 - (マルオ・ライオン)
  • オゴー産業 - (鳩サクラ)
  • 菅公学生服 - (カンコー、管公)2005年に岡山市へ本社移転。「OZAKI」のブランドでスポーツウェアも製造、ファジアーノ岡山2代目ユニフォームサプライヤー、bjリーグユニフォームパートナー。
  • コーソ - (ジョンカーター)
  • 児島(株) - (ディクショナリー)
  • サンアミ - (スリーライン)。2008年10月10日倒産
  • ニシキ - (ビック・パーサー)
  • 日本被服 - (HELLO STUDENT)
ジーンズ
  • ビッグジョン - (BIG JOHN)旧:マルオ被服、岡山市のボブソンの創業者はビッグジョン創業者の実弟。
  • ベティスミス - (Betty Smith)旧:大島被服、ビッグジョン・ガールズ事業部としてジーンズ業界に進出。「ジーンズミュージアム」を運営。
  • ジョンブル - (Johnbull)旧:カネワ被服
  • ドミンゴ - (Domingo)旧:内田被服産業
  • キャピタル - (KAPITAL)
  • バイソン - (BISON)※廃業
  • マエノ - (ETERNAL)
  • 藍布屋 - (MOMOTARO JEANS、JAPAN BLUE JEANS)
  • ダニアジャパン - (DANIA JAPAN)
  • 三野産業 - (SAIO)
  • ニワ縫製 - (Senio MADE BY 倉敷児島)
  • HIGH ROCK - (HIGH ROCK)
  • バンザイ帝国 - (カミカゼアタック)
  • Klax‐on - (倉敷天領デニム)
  • 正藍屋 - (pure blue japan)
  • Channel - (graphzero、グラフゼロ)
ユニフォーム、その他
  • 寅壱 - ワーキングウェア、特殊作業服。直営ショップ「ビックタイガ」を西日本を中心に展開。八名信夫悪役商会をCMに起用したことがある。
  • 大川被服 - (DAIRIKI)ユニフォーム。
  • 河合産業 - スクールウェア、スポーツウェア、介護ユニフォーム。ファジアーノ岡山の初代ユニフォームサプライヤー。
  • 神馬本店 - (セレクトステージ) 女性ユニフォーム
  • セロリー - ワーキングユニフォーム
  • つちや産業 - 下津井電鉄の系列。鉄道やバス等の公共交通、警備、消防・官公庁等の職員用制服
  • 日新被服 - (ラカン)男性用ワーキングウェア
  • バイストン - (倉敷帆布)国内の帆布の7割を生産する。

その他の業種

岡山県が先導して児島西部の水島を中心に計画された水島臨海工業地帯のうち、児島西部の塩生と宇野津の歴史ある砂浜を埋め立てて造成されたのがC地区である。全体から見ると小規模なエリアではあるが、主に石油化学系の事業所と造船所等が立地する。これら水島に立地する企業の関連企業のほか、域内には古くからの主要産業であった製塩業である製塩をおこなう企業なども立地している。

主な企業
  • ナイカイ塩業 - 国内産塩の3割を生産。
  • 下津井電鉄 - 倉敷から岡山にかけてのバス路線網を有する。(1965年に本社を岡山市へ移転)
  • 難波プレス - 自動車シートなどの製造
  • 中塚鉄工所 - 大型船舶用ディーゼルエンジン部品製造
  • 山県化学 - はがせるまな板を開発
  • 瀬戸埠頭 - 一般港湾運送業
  • 小田象製粉 - 小麦粉、各種プレミックス製造販売等
水島臨海工業地帯C地区の事業所等

漁業

岡山県下最大の漁獲量を誇る漁港である下津井は、タコイカナゴメバル、岡山県の郷土料理として知られるママカリサッパ)などの近海魚を扱う。回遊魚ではサワラやマナガツオなど。戦後はハマチブリ)などの養殖も行っている。江戸時代の下津井は北前船の寄港地として廻船問屋が立ち並び遊廓も置かれ、色町の豪華さは岡山の西中島を凌ぐと謳われたほどであった。

教育

短期大学
専修学校
  • 児島看護高等専修学校
高等学校
  • 岡山県立倉敷鷲羽高等学校 - 全日制、2005年に児島・琴浦の県立2高等学校を再編、2007年4月移行
  • 倉敷市立倉敷翔南高等学校 - 全日制・定時制、2003年に市立児島第一(全日制・定時制、2001年に市立南海高等学校と合併)・市立児島(定時制)の2高等学校を再編、2006年4月移行
中学校
  • 倉敷市立琴浦中学校
  • 倉敷市立郷内中学校

小学校
  • 倉敷市立味野小学校
  • 倉敷市立赤崎小学校
  • 倉敷市立下津井東小学校
  • 倉敷市立下津井西小学校
  • 倉敷市立本荘小学校

学校教育以外の施設

観光

ファイル:Old lighthouse of Nozakihama.JPG
旧野崎浜灯明台と児島観光港

名所・旧跡

市内
  • 野﨑家旧宅(天保年間から建築、重要文化財) と周辺の町並み- 野﨑家塩業歴史館を併設
  • たい暇堂(1896年建築の野﨑家別邸、3月のひなまつり期間中に一般公開されている。)
  • 下津井電鉄児島駅跡
  • 倉敷市瀬戸大橋架橋記念館
  • ジーンズストリート
  • ジーンズミュージアム
  • 鴻八幡宮(10月のだんじり祭りで知られる)
  • 総願寺跡宝塔(岡山県指定文化財、鎌倉時代初期建立の花崗岩製の宝塔、高さ280cm)
  • 旧下村港周辺の町並みと大鳥居(金毘羅参詣と由伽参詣で栄えた港町)
  • 田の口の荒神(倉敷市指定天然記念物の大楠と古墳がある)
  • 田の口港周辺の町並みと大鳥居(金毘羅参詣と由伽参詣で栄えた港町)
  • 吉塔寺(児島霊場本願所)
鷲羽山・下津井
由加山瀬戸内海国立公園
通生
  • 本荘八幡宮(石造鳥居は重要文化財に指定されている。)
  • 通仙園(ツツジの名所、瀬戸内海国立公園)と水島灘の景観
  • 通生港
  • 般若院
  • 梅荘(1905年建築の野﨑家別荘、うどん屋として営業している。)
郷内
瀬戸内海国立公園
  • 王子ヶ岳(花崗岩の奇岩で知られ、山頂からは瀬戸内海が見渡せる。パラグライダーや海水浴ができる。)
  • 竜王山(児島市街や瀬戸内海を一望できる。ハイキングコースがある。)
  • 六口島(海水浴場や象岩(国の天然記念物)、大阪城修築の際の石切場跡がある。)
  • 松島(古い集落や平安時代に朝廷と戦った藤原純友を祭る国内唯一の神社がある。)
  • 釜島(無人島、天慶2年(939年)頃築城の藤原純友城趾や塩釜神社がある。)
  • 竪場島(無人島、通称 くじら島、個人所有の島であるが一般公開されており海水浴場等がある。)

娯楽・アウトドア

  • 瀬戸大橋遊覧船 - 児島駅前の児島観光港を起点に、瀬戸大橋をめぐる観光船。
  • ジーンズバス - 縫製工場やジーンズショップ、観光施設などを巡る路線バス。
  • 鷲羽山ハイランド
  • 児島競艇場
  • 児島八十八カ所霊場巡り -児島柳田の吉塔寺の円明和尚により天保10年(1839年)開設された。四国八十八カ所の10分の一の距離で児島半島を右回りに一周する。児島地域には第19番から38番までの札所がある。
  • 王子が岳浜(海水浴場
  • 王子が岳 (パラグライダー
  • 王子が岳 (ボルダリング
  • 高州(潮干狩り場、瀬戸内海に浮かぶ干潟で王子が岳浜から渡し船がある)
  • 大浜海水浴場(下津井・下電ホテル前)
  • 六口島海水浴場

祭事・催事

  • せんい児島瀬戸大橋祭り

春・秋の年2回、児島競艇場で開催。地元アパレルメーカーを中心に即売テントが出店。

10月第2週の土・日、19基のだんじりが参道を登り境内へと向かう勇壮な祭。祭囃子である「しゃぎり」が岡山県重要無形民俗文化財。岡山三大だんじり祭りの一つ。

約1300年の伝統を持ち、旧暦1月23日夜から24日早朝にかけて全国各地から参集する山伏により燃え盛る火炉を囲み執り行われる山伏問答、護摩供などを見ることができる。

  • 瀬戸内倉敷ツーデーマーチ

3月。市内各地で行われるウォーキングイベント。

※ ファッションタウン児島国際トライアスロン大会は平成20年8月、第10回大会をもって終了した。

宿泊

  • 鷲羽ハイランドホテル
  • 鷲羽山下電ホテル瀬戸内海国立公園特別景勝地区内唯一のホテル)
  • せとうち児島ホテル
  • ホテル瀬戸大橋
  • 倉敷シーサイドホテル
  • 由加温泉ホテル山桃花
  • 国民宿舎 王子が岳
  • 鷲羽山 ユースホステル

特産品・名物

郷土料理・名物料理・銘菓
地酒

児島の酒は、同じ児島半島の郡(現岡山市)を中心に児島諸白として中世から知られ、市街の背後に控える花崗岩質の山から得られる地下水、良質な備前の米、備中杜氏などを背景として多くの酒蔵が立地する。児島地域内に現在も残るのは、偶然にも江戸中期から後期にかけて創業された酒蔵ばかりである。

  • 十八盛 :十八盛酒造株式会社(児島田の口)
  • 伊七 :熊屋酒造有限会社(林)
  • 三冠 :三冠酒造有限会社(児島下の町)
  • 雪嵐 :尾崎酒造場(児島田の口)
  • 秀峯連山 :株式会社永山本家酒造場(大畠)
  • 放駒 :放駒酒造有限会社(児島稗田町)
  • 松嵐 :前野酒造株式会社(児島阿津)
  • 児島鶴 :児島鶴酒造有限会社(児島菰池)

海産品

工芸品

交通

陸上

鉄道
路線バス
  • 下津井電鉄
    • 児島駅倉敷駅など児島地域を中心に多くの路線を持つ。児島循環バスの「ふれあい号」や下津井循環バスの「とこはい号」も運行。玉野市方面は両備バスは平成17年4月1日より玉野方面から乗り入れていた児島駅⇔宇野駅直通便を廃止したため、王子ヶ岳国民宿舎にて連絡(平日6往復・休日5往復)している。また、岡山市方面は瀬戸大橋線開通の影響で現在は僅かになっている。
    • 興除線(天満屋(岡山)ー興除ー下之町・小川7丁目ーJR児島駅)
    • 天城線(倉敷駅前ー天城上之町ー小川7丁目・下之町ーJR児島駅)
    • 塩生線(倉敷駅前ー塩生ー通生港口ーJR児島駅)
    • 王子ヶ岳線(JR児島駅ー下之町ー田の口浜ー王子ヶ岳国民宿舎前)
    • 鷲羽山線(JR児島駅ー田の浦ー鷲羽山第二展望台)
    • 王子ヶ岳線(JR児島駅ー田の浦ー吹上港前ー下津井)
    • 瀬戸大橋線(JR児島駅ー児島ICー櫃石島ー岩黒島ー与島)(与島で琴平バスの坂出駅前行きに連絡)
    • 下津井循環線(JR児島駅ー下津井港前ー吹上港前ー鷲羽山第二展望台ー大畠ー児島支所前ーJR児島駅)
    • 児島循環線(JR児島駅ー味野中学校前ー小川7丁目ー中山団地ーJR上の町駅ー新常磐橋西ー児島支所前ーJR児島駅)
高速バス
主な道路
主な橋梁
  • 瀬戸大橋備讃瀬戸
  • 大正橋(小田川
  • 昭和橋(小田川)
  • 平成橋(小田川)
  • 常盤橋(下村川)
  • 新常盤橋(下村川)
  • 郷内橋(郷内川)

海上

港湾

昭和34年の港湾法による指定以前には海に面する部落[18]ごとに港を有していたが、現在では港湾法上の港湾の一部として取り込まれた結果、表面的にはその固有名が失われている物も多い。

中世から海運業で栄えた吹上港、田之浦港、下津井港の3港からなる下津井以外にも、近世に発展した田の口港や下村湊(現堀江港)など四国への渡船場として栄えた港を始め、地域でつくられた小倉織などの商品の積出港として機能した港も多い。港名として残る地名は、住居表示の制定により失われた地域の固有名を現在に残す貴重な歴史遺産といえる。

近代以降は下津井港や琴浦港などで四国へのフェリーが運航され、1910年に隣接する玉野市宇野港が築港され宇高連絡船が開通した後も存続したが、いずれの航路も廃止された。

港湾法上の児島港は以下の港の集合によって構成される。
・味野埠頭(児島小川)
・児島観光港(児島駅前・児島味野・児島元浜町)
・味野港(児島味野)
・萱苅港(児島下の町)
・和井田港(児島下の町)
・沖熊港(児島下の町)
・堀江港(児島下の町)(旧下村湊 瑜伽大権現の大鳥居が現存)
・琴浦港(児島下の町・児島田の口)
・田の口港(児島田の口)(瑜伽大権現の大鳥居が現存)
・唐琴港(児島唐琴)
下津井漁港は次の3港から成る。江戸時代には北前船の母港でもあった。
・下津井漁港(下津井)
・吹上港(下津井吹上)
・田之浦港(下津井田之浦)
港湾法上の水島港は東部を児島側に接し下記の港がその港内に取り込まれている。
・ 大室漁港(漁港)(下津井)
・ 大室港(下津井)
・ 高島漁港(漁港)(児島塩生)
・ 高室港(児島塩生)
本太城跡の北側には本太港(児島塩生)がある。
航路
  • 児島(児島観光港)ー 本島(香川県)(4往復/日、所要時間約20分)
  • 下津井 ー 六口島(不定期、所要時間約10分)
  • 下津井 ー 松島(不定期、所要時間約10分)
  • 下津井 ー 釜島(不定期、所要時間約15分)

主な公共施設

郵便局

集配郵便局
児島郵便局
味野地区
・児島味野郵便局
赤崎地区
・児島赤崎郵便局
琴浦地区
・児島下の町郵便局
・児島上之町郵便局
・児島田の口郵便局
・児島唐琴郵便局
・児島由加簡易郵便局
児島地区
・児島小川郵便局
・児島稗田郵便局
下津井地区
・下津井郵便局
・倉敷大畠郵便局
本荘地区
・児島塩生郵便局
郷内地区
・郷内郵便局

メディア

新聞

地上波テレビ放送、FMラジオ放送

児島地域は電波銀座と呼ばれる瀬戸内海に突き出した形になっており、四方八方ありとあらゆる方向からの電波が飛び交っている。放送においては地元岡山県に加えてとりわけ香川県からの電波が容易に入る環境にあり、地形の関係で県内の送信所よりも良好に受信できる場合がある。

児島地域では神道山にある「児島中継局」を受信するが、同局はTSCテレビせとうちが電波を出していない(地上デジタルテレビ放送でも設置予定なし)ため、児島中心部では「高松局」(19ch、出力5kW、水平)を、木見地区では「岡山局」(23ch、出力20kW、水平)を受信している世帯が多い。その他、下津井地区の一部や本荘地区などの西海岸では児島中継局の山陰でエリア外になるため笠岡市の「笠岡中継局」もしくは香川県三豊市の「西讃岐中継局」を受信する。なお、この西讃岐局や高松局など香川県の電波を捉えての視聴では、デジタル・アナログ共にNHKの県域ニュース等エリア番組が岡山県及び中国地方のものでなく、香川県及び四国地方のものとなってしまう。

地上デジタル放送については、児島中継局のうち先発のNHK・OHK・RNC・KSBが2009年1月30日試験放送は前年2008年12月25日開始のため同日よりデジタル放送が視聴可能)に開局、残るRSKは2010年に開局予定である。その他、2010年には木見中継局が開局予定である。いずれの場合も岡山局や高松局など開局済みの近隣送信所の電波を受信できればデジタル放送が視聴可能である。

  • 偏波面が「垂直」となっているものについては、アンテナを通常の「水平」の場合から横に90度回転させることにより、大地に対して素子を垂直に立てる。
局名 NHK岡山 NHK高松 RSK OHK TSC RNC KSB 出力 偏波面 送信
場所
総合 教育 総合 教育
デジタルリモコン番号 1ch 2ch 1ch 2ch 6ch 8ch 7ch 4ch 5ch
児島 デジタル 32ch 45ch - - 21ch 47ch - 15ch 49ch 3W 水平 神道山
アナログ 1ch 12ch - - 7ch 61ch - 59ch 56ch V10W/U30W V垂直/U水平
高松 デジタル - - 24ch 13ch 21ch 27ch 18ch 15ch 17ch NHK1kW/民放500W 水平 前田山
アナログ - - 37ch 39ch 29ch 31ch 19ch 41ch 33ch NHK10kW/民放5kW
木見 デジタル 36ch 26ch - - 19ch 28ch - 34ch 29ch 0.3W 水平 天満山
アナログ 55ch 51ch - - 47ch 61ch - 49ch 43ch 3W
岡山
(北讃岐)
デジタル 32ch 45ch (24ch) (13ch) 21ch 27ch 18ch 20ch 30ch 2kW(200W) 水平 金甲山
アナログ 5ch 3ch - - 11ch 35ch 23ch 9ch 25ch V10kW/U20kW
西讃岐 デジタル - - 24ch 13ch 21ch 28ch 18ch 15ch 17ch 100W 水平 大麻山
アナログ - - 44ch 40ch 48ch 52ch 46ch 50ch 42ch 3kW
笠岡 デジタル 32ch 45ch - - 21ch 27ch 18ch 20ch 30ch 30W 垂直 栂丸山
アナログ 2ch 4ch - - 6ch 60ch 22ch 34ch 55ch V100W/U300W
  • この他、地域の東海岸はアナログ放送においてNHK高松が香川県内の島嶼部向けに設置している「小豆島四方指中継局」のサービスエリア内でもある。
  • ※児島デジタルRSK山陽放送21chは2010年に開局予定。
  • ※木見デジタルは2010年に開局予定でチャンネル及び出力は変更の可能性がある。
AMラジオ放送
FMラジオ放送

県外波


その他の放送

放送局
ケーブルテレビ

出身・ゆかりの著名人

児島市

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歴代市長

  • 初代 中塚元太郎(1948年〜1952年)
  • 2代 中塚元太郎(1952年〜1956年)
  • 3代 中村 純雄(1956年〜1960年)
  • 4代 中塚元太郎(1960年〜1964年)
  • 5代 中塚元太郎(1964年〜1967年)

沿革

市制施行〜現倉敷市発足までの略年表
  • 1948年4月1日 - 児島郡味野町(味野・阿津・赤碕・菰池)・児島町(小川・柳田・稗田)・下津井町(下津井・吹上・田之浦・大畠)・本荘村(通生・塩生・宇野津)の3町1村が合併し児島市市制施行。
  • 1956年4月1日 - 児島市と児島郡琴浦町(下の町・上の町・田の口・唐琴・由加・白尾)と新設合併。
  • 1959年3月1日 - 児島郡郷内村(曽原・林・福江・串田・木見・尾原)を編入。(植松を除く)
  • 1967年2月1日 - (旧)倉敷市・玉島市との新設合併により、(新)倉敷市の一部となる。

市域の変遷

児島地域は明治11年(1878年)郡区町村編制法施行時の児島郡91村のうちの25村からなる。25村は町村制施行後に11村に集約された後、まず下津井村と吹上村が明治29年(1896年)に合併して下津井町となり、さらに昭和23年(1948年)4月1日には下津井町と味野町など3町1村が合併して児島市となった。さらに、琴浦町との合併や郷内村の編入を経た後、市制施行からほぼ20年後の昭和42年(1967年)2月1日に、(旧)倉敷市・玉島市と合併し(新)倉敷市となる。倉敷市役所児島支所の管轄区域は合併以前の市域を継承している。

時代 明治22年6月1日-明治45年
(1889-1912)
大正
(1912-1926)
昭和1年-昭和20年9月1日
(1926-1945)
昭和20年9月2日-
(1945-)
明治22年
(1889)
明治29年
(1896)
明治33年
(1900)
明治36年
(1903)
明治39年
(1906)
明治40年
(1907)
大正4年
(1915)
昭和3年
(1928)
昭和10年
(1935)
昭和16年
(1941)
昭和23年
(1948)
昭和29年
(1954)
昭和31年
(1956)
昭和34年
(1959)
昭和42年
(1967)
通生村 本荘村 1948年
4月1日
児島市
1956年
4月1日
児島市
1959年
3月1日
児島市
1967年
2月1日
倉敷市
塩生村
宇野津村
下津井村 下津井村 1896年
2月28日
下津井町
1900年2月1日
下津井町
1907年10月1日
下津井町
吹上村 1900年2月1日
長浜村
田ノ浦村 長浜村
大畠村
赤崎村 赤崎村 1935年
1月1日
赤崎町
1941年
2月11日
味野町
菰池村
味野村 味野村 1906年3月28日
味野町
稗田村 小田村 1928年11月1日
児島町
柳田村
小川村
白尾村の一部 上加茂村 1903年4月1日
荘内村
1954年
4月1日
玉野市
1954年
11月1日
琴浦町
下村 鴻村 1907年
4月1日
琴浦村
1915年11月1日
琴浦町
上村
田ノ口村 田ノ口村 1906年
4月1日
田ノ口村
引網村
山村 木見村
尾原村 1906年4月1日
郷内村
木見村
林村 福岡村
福江村
曽原村
串田村

参考文献

  • 倉敷市史研究委員会編、『新修倉敷市史』全13巻、倉敷市、1996-2005。
  • 倉敷市総務局総務部総務課編、『倉敷市統計書(平成19年度版)』、倉敷市、2008。
  • 多和和彦著、『児島産業史の研究』児島の歴史第1巻、児島市味野「児島の歴史」刊行会、1959。
  • 角田直一著、『北前船と下津井港』、手帳舎、1992。
  • 倉敷の自然をまもる会編、『児島風土記』、日本文教出版、1983。
  • 岡山県児島教育会編、『岡山県児島郡誌』、文献出版、1977。
  • 十河直樹著、『倉敷市児島史年表誌』、岡山県方言研究会、1995。
  • 大谷壽文著、『児島の歴史散歩』、大谷壽文、2001。
  • 加原耕作/葛原茂樹著、『岡山の金毘羅往来』山陽カラーシリーズ13、山陽新聞社、1980。
  • 巌津政右衛門著、『岡山の港』岡山文庫65、日本文教出版、1975。
  • 山陽新聞社編、『岡山の街道』岡山文庫25、日本文教出版、1969。

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

脚注

  1. 倉敷市は平成23年3月に策定した「都市計画マスタープラン」[1]の「地域別まちづくりの方針<地域別構想>」[2]において、児島支所管轄エリアを児島地域と設定している。
  2. マルオ被服(現ビックジョン)によって始められたとされている。(『ヒストリー 日本のジーンズ』日本繊維産業新聞社編 P.39-40)
  3. 年間の観光客数は、倉敷美観地区320万9000人、鷲羽山173万9000人。(平成19年度版『倉敷市統計書』倉敷市総務局総務部総務課編 P.274)岡山県下でも倉敷美観地区、蒜山高原、玉野・渋川に次いで4番目に多い。(岡山県観光客動態調査(平成19年分))
  4. 人口集中地区の人口密度でみると児島地域は4165.9人/km²で、倉敷は5170.4人/km²、水島1706.7人/km²、玉島1677.5人/km²となっている。(平成19年度倉敷市統計 P.93)
  5. 気象庁統計[3] 、岡山地方気象台玉野地域気象観測所での2009年11月時点の平年値による。同じく、岡山観測所の年平均気温は15.8℃、年平均降水量1141.0mm、年平均日照時間2009.8時間。ちなみに、東京観測所では、年平均気温は15.9℃、年平均降水量は1466.7mm、年平均日照時間1847.2時間となっている。
  6. 月ごとの平年値 気象庁
  7. 建仁3年(1203年)の銘。在銘の石塔では全国では2番目に古いとされている。
  8. 応永28年(1421)銘 県下では2番目に古く、全国の同時代の石造鳥居の基準作となっている。
  9. 由加山の参拝客をめあてに始まった真田紐などの製品が児島の繊維産業の起源といわれている。
  10. 下村紡績所は経営の失敗により約20年後の1903年には倒産したが、当時のレンガ造の工場はその後も所有者を変えて残り、1989年に解体されるまで存続した。渾大防の東高田家に対する西高田家により1891年に建てられた近代西洋住宅は2009年現在では所有者を代え村山家住宅として残る。(下の町・非公開)
  11. 下津井電鉄は、1910年に同じ児島半島に開設された国鉄宇野線と宇野線宇野ー高松航路に対抗して、宇野線茶屋町駅と下津井間に開業し、下津井港からは四国丸亀への航路が就航した。路線はその後縮小され、児島と下津井を結ぶのみとなり、瀬戸大橋線が開通しその鉄道も廃止された。現在は岡山から倉敷までの地域をカバーするバス路線やホテルなどの観光産業を運営する企業として存続する。
  12. 都市計画にも市内で最も早くから取り組み、昭和8年に都市計画道路の決定をしている。(倉敷市都市計画課ホームページ 都市計画の沿革)
  13. 児島の下水道は、その計画は早く昭和27年に認可された。倉敷地域は昭和30年、水島同39年、玉島同50年、処理場の運転開始は倉敷下水処理場が昭和35年に対し、児島下水処理場は昭和45年である。ただし倉敷下水処理場の処理範囲は大原邸を中心に半径500m程度の旧市街に限られ、平成元年に処理が開始された児島湖流域下水道の処理区域となる倉敷郊外や西阿知、庄地区への普及は大きく遅れた。(平成19年度版『倉敷市下水道事業概要』倉敷市建設局下水道部P.2,6,7)
  14. 児島地域の下水道の普及率は平成18年度末で83.0%、倉敷地域は60.8%、水島76.1%、玉島50.7%である。ちなみに岡山市53.9%、岡山県平均では52.3%となっている。(平成19年度版『倉敷市下水道事業概要』倉敷市建設局下水道部 P.4-5)
  15. 倉敷地域では大原家の設立した倉敷中央病院が市民病院的な役割を受け持ち、現在も倉敷市一帯の中核病院としての役割を果している。
  16. 児島地区内の大規模小売店舗は20店あり、そのうち児島駅前に立地するのは6店舗、児島駅以東の国道430号線沿線には9店舗が立地する。(倉敷市産業振興課ホームページ『市内大型店舗の一覧』)
  17. 例えば、倉敷紡績創業前には当時の下村(現児島下の町)に創業していた下村紡績が従業員の研修を引き受けている。ちなみに、「錦莞莚」の発明で知られる磯崎眠亀の実父は田の口(児島田の口)の出身である。
  18. 児島地域では住居表示上のより細かい自治会組織の名称として現在も部落の呼称が使われており、町内会的なまとまりとして祭りなどの地域の行事や子供会などの活動の単位として生きている。一般的に連想されるような地区ではないのはもちろん、差別的な意味も当然ない。

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