児島郡

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児島郡(こじまぐん・こしまぐん・こしまのこおり・こじまのこおり)は、岡山県および備前国にかつて存在したである。

現在の岡山市、倉敷市、玉野市にまたがる児島半島を中心にした郡域であり、古くは島嶼であった児島とその周辺の島嶼が郡域であった。後に備中国浅口郡となる連島水島群島、また現在香川県となっている小豆郡香川郡直島諸島なども児島郡に属していた。

2005年3月22日灘崎町が岡山市に編入合併され、児島郡は消滅した。

なお、古くは漢字表記は「児」は兒・子・仔・などが、「島」も洲や嶋などと数種の表記が混在したが、明治初期に「児島」と表記が統一された。

概要

明治以降の旧郡域はほぼ現在の児島半島と一致し半島北西部で本州とつながる。北東側には児島湾を形成した干拓地の一部を含み、南側から西側にかけては瀬戸内海に面する。

2009年現在、旧郡域の東部北側の主に児島湾と児島湖に面する部分が岡山市に、北側の一部と南部は玉野市となっており、西部は倉敷市となっている。倉敷市側の南部には1948年から倉敷市と合併する1967年まで児島市が存在した。

明治以降の沿革

  • 1878年(明治11年)7月22日 郡区町村編制法施行:郡役所は味野村
  • 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行(31村)
    • 下津井村・長浜村・味野村・赤崎村・小田村・本荘村・鴻村・田ノ口村・福岡村・木見村(児島市倉敷市
    • 藤戸村・福田村・福田新田村・呼松村・粒江村(倉敷市
    • 玉井村・日比村・玉野村・田井村・山田村・秀天村・鉾立村・胸上村・下加茂村・上加茂村(玉野市
    • 甲浦村・大門村・東興除村・西興除村・灘村・彦崎村(岡山市
  • 1896年(明治29年)2月26日 下津井村が町制施行して下津井町となる。(1町30村)
  • 1898年(明治31年)1月1日
    • 玉井村が改称して八浜村となる。
    • 大門村が改称して小串村となる。
  • 1900年(明治33年)2月1日 下津井町吹上を長浜村に編入
  • 1901年(明治34年)2月6日 八浜村が町制施行して八浜町となる。(2町29村)
  • 1903年(明治36年)4月1日 (2町27村)
    • 下加茂村・上加茂村・秀天村(迫間・槌ヶ原)が合併して荘内村となる。
    • 秀天村大崎が八浜町に編入。
  • 1904年(明治37年)4月1日 福田村・福田新田村・呼松村が合併して福田村となる。(2町25村)
  • 1905年(明治38年)4月1日 東興除村と西興除村が合併して興除村に。(2町24村)
  • 1906年(明治39年)
    • 3月28日 味野村が町制施行して味野町となる。(3町23村)
    • 4月1日 (4町19村)
      • 福岡村・木見村(木見・尾原)・彦崎村(植松)が合併して郷内村に。
      • 木見村の一部(山村)が田ノ口村に編入
      • 灘村・彦崎村(彦崎・川張)が合併して灘崎村に。
      • 日比村・玉野村(玉)が合併して日比町となる。
      • 玉野村(宇野)・田井村の一部が合併して宇野村に。
      • 田井村の一部が八浜町に編入
  • 1907年(明治40年)
    • 4月1日 田ノ口村と鴻村が合併して琴浦村となる。(4町18村)
    • 10月1日 下津井町と長浜村が合併して下津井町となる。(4町17村)
  • 1912年(明治45年)4月1日 藤田村が児島湾干拓地第2区に設立。(4町18村)
  • 1915年(大正4年)
    • 11月1日 琴浦村が町制施行して琴浦町となる。(5町17村)
    • 11月10日 藤戸村が町制施行して藤戸町となる。(6町16村)
  • 1919年(大正8年)1月1日 宇野村が町制施行して宇野町に。(7町15村)
  • 1928年(昭和3年)11月1日 小田村が町制施行改称して児島町となる。(8町14村)
  • 1930年(昭和5年)8月1日 福田村浦田を倉敷市に編入
  • 1935年(昭和10年)1月1日 赤崎村が町制施行して赤崎町に。(9町13村)
  • 1940年(昭和15年)8月3日 宇野町と日比町が合併して玉野市となり、郡より離脱。(7町13村)
  • 1941年(昭和16年)2月11日 赤崎町が味野町に編入。(6町13村)
  • 1947年(昭和22年)12月9日 福田村が町制施行して福田町となる。(7町12村)
  • 1948年(昭和23年)4月1日 (4町11村)
    • 味野町・下津井町・児島町・本荘村が合併して児島市となり、郡より離脱。
    • 興除村の一部を都窪郡茶屋町に編入
  • 1949年(昭和24年)4月1日 灘崎村が町制施行して灘崎町となる。(5町10村)
  • 1950年(昭和25年)9月1日 粒江村が倉敷市に編入。(5町9村)
  • 1952年(昭和27年)4月1日 甲浦村が岡山市に編入。(5町8村)
  • 1953年(昭和28年)
    • 6月1日 福田町が倉敷市に編入。(4町8村)
    • 7月1日 山田村が玉野市に編入。(4町7村)
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月1日 鉾立村と胸上村が合併して東児町となる。(5町5村)
    • 4月1日 (5町3村)
      • 荘内村が玉野市に編入。
      • 小串村が岡山市に編入。
    • 11月1日 玉野市白尾の一部を琴浦町に編入。
    • 12月1日 (4町3村)
      • 藤戸町が倉敷市に編入。
      • 興除村の一部を倉敷市に編入
  • 1955年(昭和30年)2月1日 八浜町が玉野市に編入。(3町3村)
  • 1956年(昭和31年)4月1日 児島市と琴浦町が合併して児島市となる。(2町3村)
  • 1959年(昭和34年)3月1日 郷内村植松が灘崎町に編入、残りが児島市に編入。(2町2村)
  • 1967年(昭和42年)2月1日 児島市と旧倉敷市、玉島市の3市が合併し新倉敷市となる。(2町2村)
  • 1971年(昭和46年)5月1日 興除村が岡山市に編入。(2町1村)
  • 1974年(昭和49年)3月20日 東児町が玉野市に編入。(1町1村)
  • 1975年(昭和50年)5月1日 藤田村が岡山市に編入。(1町)
  • 2005年(平成17年)3月22日 灘崎町が岡山市に編入。(児島郡消滅)

明治以降の郡域の変遷

時代 明治
明治22年6月1日-明治45年
(1889-1912)
大正
(1912-1926)
昭和
昭和1年-昭和20年9月1日
(1926-1945)
昭和
昭和20年9月2日-昭和64年
(1945-1989)
平成
平成元年-平成21年3月31日
(1989-2009)
平成
平成21年4月1日-
(2009-)
M22 M29 M31 M33 M34 M36 M37 M38 M39 M40 M45 T4 T8 S3 S10 S15 S16 S22 S23 S24 S25 S27 S28 S29 S30 S31 S34 S42 S46 S49 S50 H17 H21
藤戸村 藤戸村 1915年11月10日
藤戸町
1954年12月1日
倉敷市
1967年
2月1日
倉敷市
天城村
粒江村 粒江村 1950年
9月1日
倉敷市
1953年
6月1日
倉敷市
粒浦村
黒石村
八軒屋村
福田村 福田村 1904年4月1日
福田村
1947年12月25日
福田町
浦田村
福田古新田村
東塚村 福田新田村
松江村
北畝村
中畝村
南畝村
呼松村 呼松村
広江村
通生村 本荘村 1948年
4月1日
児島市
1956年4月1日
児島市
1959年3月1日
児島市
塩生村
宇野津村
下津井村 下津井村 1896年
2月28日
下津井町
1900年2月1日下津井町 1907年10月1日
下津井町
吹上村 1900年2月1日
長浜村
田ノ浦村 長浜村
大畠村
赤崎村 赤崎村 1935年
1月1日
赤崎町
1941年
2月11日
味野町
菰池村
味野村 味野村 1906年3月28日味野町
稗田村 小田村 1928年11月1日
児島町
柳田村
小川村
下村 鴻村 1907年
4月1日
琴浦村
1915年11月1日
琴浦町
1954年
11月1日
荘内村白尾の一部を編入
上村
田ノ口村 田ノ口村 1906年4月1日
田ノ口村
引網村
山村 木見村
尾原村 1906年4月1日
郷内村
木見村
林村 福岡村
福江村
曽原村
串田村
植松村 彦崎村 1959年3月1日
灘崎町
2005年
3月22日
岡山市
2009年
4月1日
岡山市南区
彦崎村 1906年4月1日
灘崎村
1949年4月1日
灘崎町
川張村
片岡村 灘村
宗津村
迫川村
奥迫川村
児島湾干拓地第二区 存在せず 1912年4月1日藤田村(干拓により誕生) 1975年
5月1日
岡山市
内尾村 東興除村 1905年4月1日
興除村
1971年5月1日
岡山市
中疇村
東疇村
曽根村 西興除村
西疇村
郡村 甲浦村 1952年
4月1日
岡山市
1954年4月1日
岡山市
北浦村
宮浦村
飽浦村
小串村 大門村 1898年1月1日
小串村
阿津村
番田村 鉾立村 1954年3月1日
東児町
1974年3月20日
玉野市
北方村
上山坂村
下山坂村
胸上村 胸上村
梶岡村
東田井地村
西田井地村
山田村 山田村 1953年7月1日
玉野市
1955年2月1日
玉野市
東野崎村
沼村
後閑村
大藪村
日比村 日比村 1906年4月1日
日比町
1940年8月3日
玉野市
和田村
渋川村
玉村 玉野村
宇野村 1906年4月1日
宇野村
1919年1月1日
宇野町
田井村 田井村
(田井村の一部) 1906年4月1日
八浜町
八浜村 玉井村 1898年
1月1日
八浜村
1901年2月6日
八浜町
1903年4月1日
八浜町
波知村
見石村
大崎村 秀天村
槌ヶ原村 1903年4月1日
荘内村
1954年4月1日
玉野市
1954年11月1日
玉野市
迫間村
宇藤木村 下加茂村
用吉村
木目村
小島地村
長尾村 上加茂村
広岡村
長尾村
滝村
白尾村
(白尾村の一部) 1954年
11月1日
琴浦町
1956年
4月1日
児島市
1967年2月1日
倉敷市

古代〜江戸時代

近世までは瀬戸内海に浮かぶ「児島」という島で、『日本書紀』の国生み神話では吉備子洲(きびのこじま)あるいは子洲(こしま)と記され、これが初見となると同時に吉備の初見ともなっている。『古事記』では吉備兒島と記され本州や九州などの大八島の次に生まれたとし、古代日本列島の主要な島の一つとして認識されていたことが伺える。児島郡は、その児島と周辺島嶼から成っていた。

平城宮出土の木簡には「吉備国子嶋郡小豆郷」、「備前国児嶋郡賀茂郷」との記載がある。

児島北側の本州との間には吉備の穴海と呼ばれる海域が広がっており瀬戸内海を東西に結ぶ海上交通路の一部となっていた。吉備の穴海は吉井川旭川高梁川の3大河川による沖積作用に加えて、古代から続けられた中国山地でのたたら製鉄にともない土砂が流入・堆積していき、戦国末期には源平合戦の古戦場となった藤戸の瀬戸の干潟を干潮時には歩いて渡れるほどになっていたといわれる。その後、江戸時代初期の大規模な干拓事業により、まず児島北西部の浦田(倉敷市)付近で完全に本州とつながり、児島は児島半島となり、穴海東部は児島湾となった。

古代の律令制成立時から一貫して児島郡として存在したが、郡域は幾度かの変遷を経ている。設置当初は、後に備中国浅口郡となる連島水島群島、現在の香川県となっている小豆郡小豆島豊島など)や香川郡の一部(直島など)などを含んでいた。

小豆島は、一時児島郡から小豆郡として独立した。備前国内神名帳には小豆郡の名があり、少なくともこのころは児島郡から分立していた。その後小豆郡の名は消え、ふたたび児島郡に戻っている。その後も郡境は確定しなかったようで、江戸時代には小豆島は天領を経て津山藩領、直島は倉敷支配所管轄の天領の統治となったが、国境に関しては明確に決まっておらず、備前国として扱われることもあれば、備中や讃岐として扱われたりと一定していない。江戸時代、海域を含む国境争論が児島湾側では備中国と、瀬戸内海側では讃岐国や天領で自治が認められた塩飽諸島との間にたびたび起きたことが記録に残る。

明治初頭の廃藩置県直後では前出の3諸島は倉敷県北条県岡山県となるなどを経て、小豆島と豊島は小豆郡(しょうずぐん)に、直島は香川郡となり共に香川県へ編入され、児島郡は岡山県となり郡域が確定した。

延喜式神名帳には、児島郡から鴨神社田土浦坐神社が記載されている。

和名抄における郷

和名抄では以下の4郷が同郡に属している。

旧役所・郡衙等

参考文献

  • 永山卯三郎『岡山県通史 上巻』岡山県通史刊行会(1930年)
  • 永山卯三郎『岡山県通史 下巻』岡山県通史刊行会(1930年)
  • 池邊彌『和名類聚抄郷名考証』吉川弘文館(1966年)

関連項目

テンプレート:吉備四国の郡