国鉄DD51形ディーゼル機関車
DD51形ディーゼル機関車(DD51がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて製造したディーゼル機関車である。
目次
概要
テンプレート:Sound 幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」を推進するため、1962年から1978年までの16年間に649両が製造された。
先行して導入されたものの幹線用としてはやや非力であった電気式のDF50形に代わる、本格的な幹線用主力機として開発されたもので、速度面では旅客列車用大型蒸気機関車C61形を、牽引力では貨物列車用大型蒸気機関車D51形を上回る性能を持つように設計されている。
本形式の登場後も、より大出力のエンジンを1基装備したDD54形や、軸重を軽減したDE50形など、幹線・亜幹線用のディーゼル機関車が開発・製造されたが、前者は不調続きで短命に終わり、後者は電化の進展で投入する機会が得られず、試作機のみで終わった。その結果、合理化推進のための車両「標準化」により、性能の安定したDD51形のみが長期量産・運用されることになった。
本形式は、最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化を推進した。しかし、電化の進展と客車・貨物列車の減少により、1987年のJR移行までに約3/5が余剰廃車され、JR各社には593号機以降の完全重連タイプのみの259両が継承された。
その後も客車・貨物列車のさらなる減少、DF200形など新型機関車への置き換え、加えて老朽化のため、少しずつ数を減らしつつある。しかし、本州以南向けの後継機の開発がないこともあり、日本貨物鉄道(JR貨物)所属車には延命のための更新工事が実施されるなど、本形式は当面継続して使用される見通しである。
基本構成
側面から見ると凸型となる車体全長中央部に運転台を備え、前後に合計2基のエンジンを搭載した大型機関車である。2軸ボギー台車3組を装備し、うち両端台車が動力台車とされ、無動力の中間台車によって全体の軸重を軽減している。
幹線用の大型機関車としては世界でも一般的とは言い難い、小型機関車と同様の中央部運転室を持つ凸型車体を採用したが、この形態を採用した理由は、最大軸重の制限による軽量化要請への優位性、エンジン回りの整備性の良さ、機器配置の容易さなどによるものである[1]。ただし、DD13形や後のDE10形、DD16形、といった小型機と異なり、運転台は前後方向に共通ではなく、機関士・運転士は進行方向側の運転台に前方を向いて座る。全長は大きいが、B-2-B軸配置による重量負担配分と、凸型車体運転台前後のボンネットとの間に緩衝ゴムを挟んだ柔結合としたことで、台枠自体の垂直強度をある程度落すことを許容し軽量化を実現している。
エンジンは、入換・支線用小型機DD13形で使用されていたDMF31S形をベースにして新開発されたDML61Z形ディーゼルエンジンで、気筒の数を直列6気筒からV形12気筒に変更[2]、排気過給機(ターボチャージャー)と中間冷却器(インタークーラー)を装備して、最大出力が1100ps / 1500rpmとなり、それを2基搭載して、総出力2200psを出すことができる。
動力伝達方式は、軌道の重量制限に対処する軽量化のため日本国外大型機関車の主流である電気式をやめ、日本での量産大型ディーゼル機関車では初めて液体式として製造された。液体変速機は3組のトルク・コンバータを内蔵した充排油式(フォイト式)のDW2Aで、新たに開発されたものである。動力伝達システムは、両端の動力台車2基4軸を、前後のボンネット内にある1エンジンに1変速機の組合わせの動力装置と、その動力により駆動する2軸駆動の1基動力台車の構成により動力が伝達されるシステムとなっており、エンジンと運転室側にある逆転機内蔵の液体変速機の間に第1推進軸、液体変速機と動力台車に内蔵された第1減速機(動力台車の運転室側)の間に第2推進軸、第1減速機と同じく内蔵された第2減速機(動力台車の先頭側)の間に第3推進軸がそれぞれ連結され、動力が伝達される。
また、エンジンの冷却系機器は先頭部分両側側面にラジエーターとその上部にファンを装備しており、エンジンの冷却水の冷却は、補機駆動軸[3]で専用の油圧ポンプを作動させ、各両端ボンネットの先頭部分上にある静油圧駆動方式のファンを駆動して、先頭部分両側側面のラジエーターの冷却を行っている。
車体中央にある中間台車(付随台車)は、開発当初、全体の軸重を亜幹線基準の14tに抑制する手段に過ぎなかったが、増加試作車ではライナー挿入、更に量産車では空気バネを搭載して空気バネ内の空気圧を調整することにより、動力台車の軸重を14tと15tとの2段階に調整できるようになった。これによって、亜幹線への入線能力と、規格の高い重幹線での動輪粘着力確保を両立可能としている。
番台区分
基本番台 (1 - 53)
製造時期:1962年 - 1966年
試作型及び初期の量産型で客貨両用。客車暖房用の蒸気発生装置 (SG) を搭載しているが、重連総括制御装置は搭載しておらず、非重連形と呼ばれる。0番台はJRに継承されることなく、1986年までに全て廃車された。
- 1
- 第1次試作型で1962年に日立製作所が製造。エンジンはダイハツディーゼル製DML61S (1,000ps) を2基搭載している。DD13形の後期型と同様の円形の装飾リム付きのシールドビーム式前照灯を2灯ボンネット前端に配置し、運転室屋根もヒサシ状とはなっていないため、2号機以降に比べて丸みを帯びた印象となっている。登場当初はぶどう色2号を基調に白帯を回し、帯が左右の前照灯間で斜めに切れ下がり突き合わされた独特の塗装色だったが、のちに2次試作機以降と同じくオレンジ色を基調に白帯の塗装に変更され、秋田機関区(現・秋田車両センター)に配置された。
- 当初は機関や変速機の特性不一致などで所定の性能が得られなかったが、そのデータは2号機以降に活かされることになり、本機ものちに改修され面目を一新した。
- 2 - 4号機が増備されると盛岡機関区に転属し、その後も東北地方を中心に運用されたが末期には再び秋田機関区に転属。1980年頃まで使用されていたがその後は休車となって秋田機関区に留置され、1986年に廃車された。その後は長らく当時の高崎第二機関区(現・高崎機関区)に保存されていたが、1999年以降に登場当初の塗装色に戻され、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。
- 2 - 4
- 第2次試作型で2号機は日立製作所が、3号機は川崎車輛が、4号機は三菱重工業がそれぞれ担当し、いずれも1963年に製造された。前照灯はボンネット前端にやや奥まった形態で配置され、凹んだ四角形のライトベゼルが付けられた。運転室屋根前後端は水平に延長され、ヒサシ状となった。中間台車は、コイルバネにライナーを挿入することで14t - 15tの間で軸重切替が可能である。燃料タンクの容量は3,000Lだったが、のちに700Lタンクがランボード上2箇所に設置され、4,400Lに増量された。
- 1号機のテストで得られた結果を元に改良されており、所定の牽引性能を確保した。また、技術的な問題も解決され、以後の量産車に反映された。
- 3両とも盛岡機関区に配属され、秋田から転入した1号機とともに、当初は東北本線御堂駅 - 奥中山高原駅間の十三本木峠越えに投入されている。
- 末期には2号機と3号機が秋田機関区に、4号機が岡山機関区にそれぞれ転属されたのち、4号機が1983年に廃車され、2号機と3号機がそれぞれ1985年に廃車された。
- 5 - 19
- 1964年に製造された先行量産型。長距離運用に対応するため、燃料タンク容量が4,500Lに増量された。中間台車は枕バネを空気バネとしたTR101A形で、空気バネ圧の変化で軸重を調整する機構に変更され、運転台から調整操作が行えるようになった。
- 盛岡機関区の他、吹田第一機関区(現・吹田機関区)・鳥栖機関区にも配置され、非電化幹線の旅客列車の無煙化を推進した。
- 1 - 19号までは正面の塗りわけが異なり、白帯はサイドと同じ高さでナンバープレートの下を通っており、末期には磐越西線などの運用で鉄道ファンの注目を集めていた(末期の2号機など、量産機と同じ塗り分けになったものも存在した)。
- 末期は吹田第一機関区と東新潟機関区に集中配置され、東新潟の車両は磐越西線で使用されていたが、他地区で余剰となったDD51形の転入により1984年頃までに運用を離脱し、1986年に廃車された。一方吹田第一の車両は、大阪近郊の貨物列車のほか、福知山線では普通列車も牽引していたが、1984年2月で運用を離脱し、1985年に廃車された。
- 20 - 53
- 1965年・1966年に製造された初期量産型。エンジンはDML61Z/DW2 (1,100ps) に強化された。
- 正面の白帯はナンバープレートの取付位置に合わせられ、以降の標準配色となった。
- ※20号以前の車両も後日DML61Zに換装され、従来使用されていたエンジンはDD16形に流用されている。
- このグループの一部は20系客車牽引のため元空気溜め引き通し管を増設した。
- 新製当初は、盛岡機関区、長野機関区、門司機関区、鳥栖機関区に配置されたが、盛岡機関区・長野機関区の車両は、電化工事の完成により他所に転属し、晩年は旭川機関区、東新潟運転所、吹田第一機関区、米子機関区、門司機関区へ配置されていた。その後、余剰により1985年から1987年にかけて廃車された。
500番台
製造時期:1966年 - 1977年
重連運転のための重連総括制御装置を搭載した区分で、重連形と呼ばれる。さらに、ブレーキの制御方式で以下のように区別される。一部を除いて蒸気発生装置を搭載したが、2013年現在は使用していない。
- 非電化幹線・亜幹線の無煙化促進のため多数が増備されたが、1970年代半ば以降は、同じディーゼル機関車で旧式化したDF50形や、故障に悩まされ信頼性が低いDD54形を代替している。
- この番台区分以降より、すべて外ハメ式の尾灯が用いられた。
半重連形 (501 - 592)
501 - 592号機が該当する。
釣り合い引き通し管を装備していないため、重連運転時に前位の本務機が単独ブレーキ弁(単弁)を操作したときは本務機のブレーキのみが作動し、次位の補機はブレーキが作動しない。半重連タイプはJRには継承されなかった。
548以降は、ブレーキ力増大のため中間台車にも基礎ブレーキ装置を装備したために台車形式はTR106形となる。ブレーキ装置のスペース確保のため、床下の燃料タンク容量が4,500Lから4,000Lに減少している。
587 - 592の6両は蒸気発生装置 (SG) 非搭載車として落成している。800番台のような本格的なSG非搭載車とは異なり、SG用ボイラを積載していないだけでSG機器室などの関連機器は省略されていない。
半重連形のうち、美濃大田機関区(現・美濃太田車両区)所属だった592は、国鉄名古屋鉄道管理局(当時)の12系欧風客車「ユーロライナー」の運用開始にあたり、塗色を「ユーロライナー」色に変更し高山本線・紀勢本線・参宮線などで同客車を牽引し、岡山鉄道管理局(当時)所属の「ゆうゆうサロン岡山」も牽引した。全重連形の791も「ユーロライナー色」に塗装されていたが、2007年5月に廃車となっている。
半重連形は、北海道の釧路機関区配置車の一部に1981年頃より余剰休車となる車両が現れ、その他の車両も1986年11月のダイヤ改正で全車運用を離脱し、1987年までに廃車された。 テンプレート:-
全重連形 (593 - 799・1001 - 1193)
593 - 799号機、1001 - 1193号機が該当する。
釣り合い引き通し管を装備し、重連運転時に次位の補機まで単弁が作動するように改良された区分である。一部の半重連形で釣り合い引き通し管を新設し、全重連形に改造されたものも存在した。
1001以降は、500番台が799まで達したため貨物用800番台との重複を避け1001へ飛び番となったグループである。JRに継承されたものはこのグループが多い。このグループからナンバープレートが切り文字式からブロック式に変更された。1010以降は運転室内前後の天井に扇風機が設置されたため、運転室屋根に突起が2か所ある。また1052以降はラジエーターカバーが2分割タイプに変更された。
北海道地区に配置された500番台は半重連形と全重連形とを区別するため、区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していた。2011年現在では北海道旅客鉄道(JR北海道)函館運輸所所属の重連形に「函」「重」の札が残るのみだが、国鉄時代は「築」「重」(小樽築港機関区)、「五」「重」(五稜郭機関区)、「釧」「半」(釧路機関区、半重連形)、「釧」「重」、「旭」「非」(旭川機関区、非重連形)などの組み合わせが存在した。
北海道内で使用された本区分のうち、1972年に前照灯をボンネット前端上に増設し、3灯化された車両が存在する。冬季降雪時の視界確保のためで、五稜郭機関区などに配置された5両 (710・716・741・742・745) に施工された。745は1986年に本州へ転属後も補助灯を存置し、東日本旅客鉄道(JR東日本)長岡車両センターに配置され2002年まで磐越西線などで使用された。また入換作業時の誘導掛への連絡用として、スピーカーを装備した車両も北海道地区では多く見られた。 テンプレート:-
800番台 (801 - 899・1801 - 1805)
製造時期:1968年 - 1978年
貨物列車の運用を主体とするため、SGを搭載せずに登場したグループである。SG関連機器やボイラ・タンクなどを省略し、運転室中央にあったSG機器室がなくなった[4]。運転整備重量は約6t軽くなり、各軸の荷重負担割合が変化したことから中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106Aとなった。その他は基本的には同時期に製造された500番台の完全重連タイプの仕様に準じており、ナンバープレートやラジエーターカバーも時期を同じくして変更された。また855以降は運転室内に扇風機が設置されたが、500番台と異なり運転室屋根の中央に大きな突起が1か所あるのみである。北海道地区へは一時的に投入されたのみで、A寒地仕様車は存在しない。
当初の計画では貨物列車用の新形式「DD52」を予定していたが、新形式の投入に際しては労働組合との間で難しい折衝を行う必要があったために、既存形式DD51形の仕様を変更する方針を採ったとされるテンプレート:要出典[5]。
JR東日本高崎車両センターに所属する842は非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、台枠側面の飾り帯やデッキ手すり・煙突カバーにステンレスが用いられている。なお、842はお召し列車運用の他、同センター配置の他機とともに管内のイベント列車などに使用されている。
1801以降は、800番台が899まで達したため1801へ飛び番となったグループである。成田線および総武本線での成田空港向けジェット燃料輸送のために製造されたが、将来の客車列車牽引への転用も考慮してSG搭載の準備工事[6]がされた。
気候条件に対する仕様区分
DD51形はほぼ日本全国に配置されたため、配置された気候条件によって以下の仕様がある。
- 一般型
- 気候が温暖な地域に配置された標準的な仕様である。スノープラウが装備されないものが多く、関東以西に配置されたものに見られる。
- A寒地仕様
- 気候が極めて寒冷な地域に配置された仕様である。おもな追加装備は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ホース類の凍結防止用加熱装置・つらら切り兼前面窓プロテクター(2011年現在は東新潟機関区のみ)である。北海道・東北地区に配置されたものと中部地区に配置されたものの一部に見られる[7]。
- B寒地仕様
- A寒地仕様程気候が寒冷ではない地域に配置された仕様である。おもな追加装備はA寒地仕様に準じるが、耐雪ブレーキ・旋回窓・つらら切り兼前面窓プロテクターは装備していない。山陰を中心とした中国地区に配置されたものに見られる[8]。
現状
運用
1987年の国鉄分割民営化に際しては、北海道旅客鉄道(JR北海道)25両、東日本旅客鉄道(JR東日本)29両、4両が東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)63両、九州旅客鉄道(JR九州)1両、日本貨物鉄道(JR貨物)137両の計259両がJR各社に継承された。すべて重連形の500番台および800番台である。
運転列車の設定の消滅やJR貨物に限られるが新型機関車への置き換え、老朽化などにより本形式は徐々に淘汰されつつある。九州地区では2005年1月をもって定期運用が消滅し、JR東海およびJR九州ではすでに全廃されている。2012年4月1日時点の在籍車は、JR北海道13両、JR東日本4両、JR西日本5両、JR貨物50両の計72両である。
2012年4月1日現在の配置車両は以下のとおり。
- JR北海道
- 函館運輸所:13両
- 以下の定期運用を有している。
- 全車が通称『北斗星』色となっている。
- いずれも区間は札幌駅 - 函館駅間(室蘭本線経由)であるが、「トワイライトエクスプレス」は函館駅に乗り入れない[10]ため五稜郭駅で付け替えを行っている。
- なお、20系・14系・24系客車編成による寝台特急列車(ブルートレイン)牽引は、1965年春の「はくつる」盛岡駅以北の前補機仕業を皮切りに40余年間継続しており、1形式では最長期間記録を保持している。
- JR東日本
- 高崎車両センター:4両
- 定期運用は無く、JR東日本管内で運転される臨時列車や工事列車の牽引に使用されている。このうち3両(842,888,895)はお召し列車牽引の対応工事を施している。
- JR西日本
- 定期運用は無く、JR西日本管内で運転される臨時列車や工事列車の牽引に使用されている。
- 後藤総合車両所:2両
- 2006年までは寝台特急「出雲」を牽引していたが同列車の廃止後は定期運用が消滅。現在は2両(1179, 1186)が残るのみとなり、いずれも臨時列車やお召し列車、工事列車の牽引および構内入換用として使用されている。
- 下関総合車両所:1両
- 臨時列車の牽引のほか、「SLやまぐち号」の補機や非常時牽引機としても使用されている。現在所属している1043号機は2011年9月に宮原総合車両所から転属した車両であり、それと入れ替わる形でかつて配置されていた844号機は廃車された。なお、1043号機はかつて亀山機関区所属時代に、側面の白帯が配置されていない唯一の特徴を有していたことで有名な機関車(現在は側面にも白帯を配した標準塗装になっている)。
- JR貨物
- 鷲別機関区:24両
- 愛知機関区:20両
- 門司機関区:6両
- 山陽本線、美祢線、山口線、山陰本線で運用されている。
- 一度は当形式の配置が消滅したが、2010年に幡生機関区厚狭派出の車両が全車転属したことで当形式の配置が復活した。なお、元幡生所属の車両は愛知機関区や吹田機関区からの転属車によって2012年までに全て廃車されている。所属する全機が未更新機で原色のままとなっている。
また、かつて九州地区に配置されていたものは、ナンバープレート部分に白帯が無く、車体の朱色であった。
更新工事
現役の車両も最終増備機の製造から30年以上が経過し、特に北海道地区のものは厳しい気候条件と過酷な長距離の運用により、著しく老朽化が進んでいるため置き換えとしてDF200形が投入されていたが、全面的に置き換えるまでには時間を要したうえ、DF200形は軸重制限で石北本線や根室本線釧路貨物駅以東への入線ができないとされていた。また、北海道地区以外のものは老朽化こそ進んでいるものの置き換えるには及ばず、かつ代替する適当な機関車もない。よって、延命のため、まず北海道のものから1994年以降本格的な更新工事が実施されるようになった。
- A更新工事
- エンジンは換装されず老朽部品や配管の新品への交換を中心としたもので、2002年以降北海道地区と本州で実施されている。青(青15号)を基調に前面点検扉をクリーム色(クリーム1号)、屋根を従来と異なるねずみ色(N4号)とした塗装になっているが、2004年に広島車両所で実施された愛知機関区の892以降、赤を基調の塗装デザインに変更された。
- B更新工事
- JR貨物北海道支社に配置されているものに見られ、エンジンがコマツ製SA12V170-1 (1,500PS/2000rpm)[11] に換装され、赤色とねずみ色のDF200形に準じた塗装になっている。
- JRF-DD51 1166.jpg
DD51 A更新車
2006年7月17日
根室本線 新富士駅
派生形式
本形式は本線用機関車として大量に製作され、汎用性の高さから基本設計を踏襲した派生形式も多数製作された。詳細は各形式のリンク先を参照されたい。
新製車
- DD20形
- 支線用・入換用車で、1963年から2両 (1 - 2) が製作された。
- DD21形
- ラッセル式除雪車で、1963年に1両が製作された。
- DD53形
- ロータリー式除雪車で、1965年から3両 (1 - 3) が製作された。
- 911形
- 新幹線電車の故障時救援および軌道検測車牽引用として開発された標準軌用の機関車で、1964年に3両 (1 - 3) が製作された。
- 時速160km/hで走行ができた。
改造車
- DD17形→DD19形
- ロータリー式除雪車で、1983年に1両 (1) が改造された。1992年の山形新幹線開業に併せて標準軌への改軌がなされ、DD19形に形式を変更した。
- DD51 507→DD17 1→DD19 1
- DD18形
- 山形新幹線・秋田新幹線用のラッセル式除雪車で、1991年 - 1996年に3両 (1 - 3) が改造された。DE15形の複線用ラッセルヘッドを転用し、機関車本体とともに標準軌へ改軌した。
- DD51 796・742・783→DD18 1 - 3
保存車
- DD51 1 - 碓氷峠鉄道文化むら
- DD51 548 - 三笠鉄道記念館クロフォード公園(DD51形初のお召し列車牽引機、半重連形から全重連形への改造例)
- DD51 610 - 三笠鉄道記念館
- DD51 615 - 小樽市総合博物館
- DD51 1040 - 並河駅鉄道歴史公園(山陰本線・並河駅近く)
- DD51 1187 - 津山扇形機関車庫(この機関車はお召し列車や出雲の牽引機であるとともに「みやび転落事故」当事機でもあり、栄光と負の歴史をあわせ持つ。)
- JNR DD51 548.JPG
DD51 548
三笠鉄道記念館クロフォード公園 - JNR DD51 610.JPG
DD51 610
三笠鉄道記念館 - 並河駅鉄道歴史公園.JPG
DD51 1040
並河駅鉄道歴史公園
日本国外への譲渡車
廃車となったDD51形のうち、数両が日本国外に譲渡されている。
- 2004年にJR貨物からミャンマー国鉄に譲渡されている。改軌[12]と車両限界の関係から運転台の高さが縮小されている。
- 以下の車両はミャンマーで運用を開始している車両である。
- DD51 823
- DD51 797
- JR西日本で廃車後ベトナムに譲渡される予定が流れ、その後秋田新幹線改軌工事で使用された保守用車両「ビックワンダー」と共にタイ中南部で路線重軌条化工事に使用された。タイでの工事の後、マレーシアでも重軌条化工事が行なわれることから一部が移動している。
- DD51 1101
- DD51 1106
- DD51 1032
- DD51 1132
脚注
参考文献
- 石井幸孝『DD51物語-国鉄ディーゼル機関車2400両の開発と活躍の足跡』(JTBパブリッシング、2004年) ISBN 453305661X
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』
- 2004年12月号 No.755 特集・DD51形ディーゼル機関車
- 2005年11月号 No.768 「ミャンマーへ渡った日本の車両」斉藤幹雄
- 2009年12月号 No.827 「変貌を遂げるマレーシア在来線と旧DD51の話題」塩塚陽介
- 交友社『鉄道ファン』2005年6月号 No.530 特別企画・DD51形
- 誠文堂新光社『鉄道画報』No.5 2006 SPRING 特集・至高のディーゼル機関車 いまこそDD51 ISBN 4416806213
テンプレート:国鉄のディーゼル機関車 テンプレート:JR北海道の車両リスト テンプレート:JR東日本の車両リスト テンプレート:JR東海の車両リスト テンプレート:JR西日本の車両リスト テンプレート:JR九州の車両リスト
テンプレート:JR貨物の車両リスト- ↑ DF50や車両メーカー系の試作大型ディーゼル機関車が軒並み箱形車体を採用していた1960年代初頭、敢えて新型機関車での凸型車体採用を指示したのは、当時の国鉄臨時車両設計事務所次長の近藤恭三であった。
- ↑ バンク角60°ボア180mm×ストローク200mm、排気量61.1L
- ↑ 充電発電機と空気圧縮機を駆動させ、機関潤滑油・変速機油・機関と中間冷却器の冷却水のポンプを駆動し循環させて油を潤滑・冷却し冷却水を冷却する
- ↑ このため、EF58形(新)電気機関車と同じ理由で運転室内が「相撲がとれる」と言われる程広くなっている。
- ↑ 同様な事例に電気機関車のEF64形1000番台やED76形500番台がある。
- ↑ SG関連電気配線の設置程度で機器室は設置されていない。
- ↑ 過去には山陰地区に配置されたものにも見られた。
- ↑ 過去には中央西線や磐越東線にも配置されていた。
- ↑ 編制両数及び運用時間帯としては単機運用で十分であるものの、重連運転が行われる場合は基本的に工場出入に伴う回送を兼ねている例が多い
- ↑ 大幅にダイヤが乱れた場合、乗り入れることがある。
- ↑ ただし、実際には1,100PS/1500rpmに落として使用されている。
- ↑ 1,067mm→1,000mm。車軸を削り車輪を再溶接する方法で行なっている。ミャンマー国鉄の走行速度が低いことから支障なく使用されているが、日本では安全上認められていない。