新富士駅 (北海道)

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ファイル:JR北海道新富士駅構内.jpg
駅構内。駅の上を通るのはの原料である木材チップを運ぶベルトコンベアである。


新富士駅(しんふじえき)は、北海道釧路市新富士町3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線JR北海道の駅番号K52

同所にある日本貨物鉄道(JR貨物)の駅は、釧路貨物駅(くしろかもつえき)と称する。

歴史

ファイル:ShinFuji (Hokkaido) eki.jpg
1977年の新富士駅と周囲約1.5km範囲。右が根室方面。基本的に貨物扱いが主体の駅であったため、駅舎からホームまで本線を含めて5本の軌道を跨ぐ跨線橋で連絡している。その他駅舎横の帯広側に1本、釧路側に3本の側線がある。駅裏側にも2本の留置線があり、さらに釧路側には7本からなる操車場のヤードを有している。帯広側から分岐していた貨物支線(鳥取支線)は既に撤去されてカーブ状の軌道跡が残されている。
また鶴居村営軌道は中央左側上より駅前のT字路左角の青い屋根の民家の裏へ向けてカーブした後、道を横切り、T字路右角の民家の密集した辺りにホームを持っていた。軌道はそのまま右へ直進して、次の小道の右角の水色屋根の民家裏辺りに転車台と車庫を有していた。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

駅前にある製紙工場の専用線を分岐させるために開業した駅である。既に富士駅が開業していたために富士駅となった。駅名にある「富士」とは、1920年(大正9年)6月13日付けで操業を開始した「富士製紙」(現・日本製紙釧路工場)に由来する。

富士製紙釧路工場は、当初原料の木材を阿寒湖畔や阿寒川上流域から阿寒川と仁々志別川を流送し、工場取水口付近の陸揚網羽から構内馬車軌道で搬入していた。また製品についても仁々志別川河口(現・新釧路川)の専用鉄橋を渡り現在の浜町臨港通とほぼ同ルートを通って釧路川河口(現・南浜町辺り)の倉庫まで馬車軌道にて搬出していた。これには莫大な時間と労力と経費が掛かった為、新たな駅と専用線の設置の必要に迫られ、1921年(大正10年)6月8日に「停車場設置変更願」を本省に提出して度重なる陳情を行ったところ、用地及び全ての資金を富士製紙が持つ事等を条件に1922年(大正11年)12月18日に許可が出され、1923年(大正12年)12月の当駅及び専用線開設となり、阿寒川流送や馬車軌道は廃止された。また同時期に、雄別炭礦鉄道が開通すると、阿寒川流域原木の搬入の為の専用線敷設を当鉄道へ申込み、大正15年5月契約締結、同年11月鳥取信号機及び専用線(鳥取岐線)1692mの開設となった。なお富士製紙釧路工場は、吸収合併により王子製紙釧路工場、戦後の財閥解体により十条製紙釧路工場、さらに合併により日本製紙釧路工場と変遷している。

かつては、釧路開発埠頭線の起点として、駅の南東に小規模な操車場が置かれていた。

  • 1923年大正12年)12月25日国鉄の駅(一般駅)として開業[1]。富士製紙釧路工場専用線3014m運用開始。
  • 1929年昭和4年)11月簡易軌道(後の鶴居村営軌道)雪裡線開業。
  • 1946年(昭和21年)2月10日:釧路埠頭倉庫株式会社、当駅から釧路港北埠頭へ埠頭線(後の釧路開発埠頭北埠頭線)を敷設。運用開始。
  • 1948年(昭和23年)5月28日:雄別鉄道本線から製紙工場へ向かう鳥取岐線(大正15年11月運用開始)へ、当駅から鳥取支線が接続。後に両方を併せて「鳥取側線」と呼称。鶴居村営軌道と平面交差。
  • 1949年(昭和24年)
    • 1月:釧路埠頭倉庫埠頭線、雑貨線及び木材線増設。貯炭場に高架桟橋設置。
    • 9月:釧路埠頭倉庫埠頭線、当駅構内にて鳥取側線と接続。雄別炭の埠頭貯炭場直送開始。
  • 1951年(昭和26年)7月1日:釧路埠頭倉庫の鉄道部門を雄別炭礦鉄道に譲渡し、埠頭線(専用鉄道)となる[1]
  • 1952年(昭和27年)9月11日:雄別鉄道埠頭線、国鉄と連絡運輸開始。
  • 1967年(昭和42年)8月20日:鶴居村営軌道(新富士 - 温根内)廃止。
  • 1968年(昭和43年)1月21日:雄別鉄道鶴野線が開通し、鳥取側線廃止。(市側からの市街地を縦断する鳥取側線廃止要求が出ていたことと、鳥取側線から雄別埠頭線への渡り線が根室本線と平面交差していたため、根室本線側の運用密度増大に対処しきれなくなってきたことから、代替として市街地から離れた場所を通り根室本線を跨ぐ鶴野線が設けられた。)
  • 1970年(昭和45年)4月16日:雄別炭鉱閉山により鶴野線廃止。埠頭線は釧路開発埠頭に譲渡。
  • 1977年(昭和52年)12月1日西港臨港線開通[1]
  • 1979年(昭和54年)7月15日:専用線発着を除く車扱貨物の取扱を廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:北埠頭線と十條・本州各専用線が廃止[1]、同時に荷物・貨物の取扱も全廃(旅客駅となる)。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:運転取扱要員のみ配置。
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、国鉄駅は北海道旅客鉄道(JR北海道)が継承。
  • 1989年平成元年)8月1日日本貨物鉄道(JR貨物)の駅が開業し、貨物の取扱を再開。
  • 1997年(平成9年)3月22日中斜里駅との間でトラック便運行開始。
  • 1999年(平成11年)9月10日:西港線廃止。
  • 2011年(平成23年)3月12日:貨物駅を釧路貨物駅に改称[2]

駅構造

島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームの南北には貨物列車用の線路があり、構内北側にある出入口からホームへ向かうには跨線橋を使用する必要がある。列車接近ランプとブザーがある。ホームは北側から2番線・3番線となっている。旅客列車は通常、一線スルーとなっている2番線に発着し、交換する場合のみ3番線を使用する。

JR貨物の駅員が配置されているが、旅客窓口業務は行わないため、旅客営業に関しては無人駅となっている。自動券売機などは設置されていない。 テンプレート:-

釧路貨物駅

テンプレート:駅情報 JR貨物の釧路貨物駅は、旅客駅北口の東側にある。1面1線のコンテナホームがあり、コンテナ荷役線は着発線荷役方式(E&S方式)を導入し着発線(0番線)となっている。その他、荷役線の南側にも着発線(1番線)、旅客ホーム南側に側線2線(4・5番線)がある。営業窓口のJR貨物釧路営業所が駅構内に置かれている。

当駅は、釧路東港にあった浜釧路駅の機能を、1989年(平成元年)8月に移転させて開業したものである。また、分割民営化前の1984年(昭和59年)までは、駅の北側の日本製紙釧路工場へ続く専用線が存在した。当時、現在コンテナホームが置かれている場所には貨車仕分線が引かれていた。

取扱う貨物の種類

ファイル:新富士駅コンテナホ-ム.jpg
コンテナホーム(2005年5月)

当駅は、コンテナ貨物および臨時車扱貨物の取扱駅である。

コンテナ貨物は、JR規格の12ft・20ft・30ftコンテナと、ISO規格の20ft・40ft海上コンテナを取り扱っている。取扱品は、発送貨物では乳製品砂糖魚介類などが主なもの。タンクコンテナによる生乳の発送も行われているほか、苫小牧駅からタンクコンテナで釧路ガス向け都市ガス液化天然ガス (LNG) が到着している。

また、産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の取扱許可を得ており、それらが入ったコンテナの取り扱いが可能である。

貨物列車・トラック便

2013年3月16日現在の運行状況は以下のとおり。

コンテナ車で編成された高速貨物列車は、1日3往復帯広貨物駅札幌貨物ターミナル駅方面との間に運行されている。専用貨物列車の発着はない。なお当駅は定期の貨物列車発着が日本最東端の駅である。

トラック便は、1日2往復中斜里オフレールステーションとの間に運行されている。

利用状況

  • JR貨物
    • 2005年度の発送貨物は、コンテナ貨物が96,647トン、車扱貨物が400トン、到着貨物は、コンテナ貨物が87,841トン、車扱貨物が400トンだった。

駅周辺

駅周辺には工場や流通センターが林立している。駅の上空には隣接する釧路西港から日本製紙釧路工場へチップを送るベルトコンベアC重油を送るパイプラインが通っている。

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
テンプレート:Color根室本線
新大楽毛駅 (K51) - 新富士駅 (K52)/(貨)釧路貨物駅 - 釧路駅 (K53)

かつて存在した路線

釧路開発埠頭
北埠頭線
新富士駅 - 北埠頭駅
西港線
新富士駅 - 西港駅
雄別鉄道
鶴野線
鶴野駅 - 新富士駅

関連項目

参考図書

  • 「雄別炭礦の鉄道 50年の軌跡」 雄別炭礦編 大谷正春著 昭和59年7月発行
  • 釧路叢書 第25巻 釧路の製紙(上)釧路市 昭和62年発行
  • 十条製紙釧路工場 30年のあゆみ 昭和55年発行

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「kushiro-history-list-2006」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 「MONTHRYかもつ」2011年3月号 VOL.61(鉄道貨物協会)19ページ

外部リンク

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