爆笑問題

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テンプレート:Infobox お笑いコンビ 爆笑問題(ばくしょうもんだい)は、太田光田中裕二の二人から成る日本お笑いコンビ。所属事務所タイタン。略称は爆笑爆問など。数多くのテレビラジオ雑誌連載のレギュラーを抱えながらも、偶数月に行われる自社ライブ「タイタンライブ」には欠かさず出演し新ネタの漫才を行っている。チケットの購入が困難なため、最近では「タイタンシネマライブ」として全国TOHOシネマズ映画館で生中継をしている。

メンバー

芸歴

  • 日本大学藝術学部演劇学科の在学中に出会い、中退後の1988年3月に結成。
  • 暦年の年齢は同じだが、田中が先輩である。太田は大東文化大学第一高等学校から現役で、田中は東京都立井草高等学校から一浪で芸術学系の名門である日本大学藝術学部演劇学科に合格して、同期生となる。
  • 渡辺正行主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー。その場で太田プロにスカウトされる。ホンジャマカ浅草キッドなどと共に「お笑い第三世代と第四世代の狭間の世代の代表」と言われる。1988年7月12日放送のフジテレビ深夜番組笑いの殿堂』でテレビデビュー。以降順調にレギュラーを増やし、若手芸人のホープとなる。ショートコント全盛の時代に、「進路指導室」「東京の不動産屋」などの作り込まれたコントで注目を集めるが、次第に漫才を主体とするようになる。太田の毒に満ちたボケと田中のストレートなツッコミという正統的漫才で人気を集めた。
  • 1990年太田プロから独立。しかし、この独立は一方的に辞める形だったため、太田プロの怒りを買うことになり、一時的に仕事がなくなりテレビからも姿を消す。辞めた理由については、自分達のやりたい仕事がしたかったから、人気者となった2人を当時の担当マネージャーがそそのかした、など諸説あるが、このことについて自ら話したりネタにすることはなく、周りもその話題に触れることはない(2009年に『さんまのまんま』に出演した際、明石家さんまに「もう一度地獄見せたろか」とネタにされたことはある)。太田は当時のことについて「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」と語っている。この時期、田中は主にコンビニエンスストアミニストップ)のアルバイトで、太田は妻の太田光代のアルバイトやパチンコパチスロでの稼ぎで生計を立てていた。太田は暗算が非常に苦手で、レジのバイトをすると客から苦情を言われないようにと釣銭を多く渡す等、まともにアルバイトせず家に引き篭ってファミコン漬けの日々だった。また、田中が売れ残ったコンビニ弁当を届ける際にも顔を出さなかった。一方、田中は実家に住んでいたため生活に困る事はなく、アルバイトの方も「このまま社員にならないか」と声をかけられるほどの仕事ぶりであった。しかし3年間全く仕事がなかった訳ではなく、オムニバスドラマ番組『悪いこと』では脚本(太田)・出演(太田、田中)、オムニバス映画バカヤロー!4』(森田芳光プロデュース)の中の一本では監督(太田)を務めた。また、営業として数多くの予餞会でネタ披露をした。自称「日本一予餞会に出た芸人」。
  • 1993年に自らの芸能事務所タイタン」を設立。社長には太田光代が就き、同年NHK新人演芸大賞を受賞。1994年には、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり再ブレイクのきっかけを果たした。『タモリのSuperボキャブラ天国』(フジテレビ系)の「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に出演。この番組で、ネプチューン海砂利水魚をはじめとする当時キャブラーと呼ばれた若手芸人たちの出世頭となり、再ブレイクのきっかけをつかむ。『黄金ボキャブラ天国』では初代名人に。当時のキャッチフレーズは「不発の核弾頭」。
  • ネタは太田が書いているが、『ボキャブラ』のネタは田中が多く書いていた。もっとも、田中が作っていたのはダジャレの部分だけであり、そのダジャレを際立たせるコント部分は太田が作っていた。
  • 2008年、コンビ結成20周年。2月発売の『QuickJapan』76号(太田出版)に吉田豪によるロングインタビューが掲載。また、テレビ朝日系で同年6月25日26日に「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として、『今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王』および『爆笑問題の検索ちゃん』の2時間特番が放送され、様々なコンビ結成以来の映像や、秘話が紹介された。『検索ちゃん』SPでは司会の太田のテンションは最高で、2時間番組の収録に9時間を費やし、後半は太田の声が枯れてしまう程で、土田晃之ら出演者から「司会技術がない!」「いい加減に終われ!」とクレームが出る始末であった。番組の最後で、出演芸人達が答える「爆笑問題の弱点」が発表されたが、それは「太田の喋りが長すぎる」という「弱」点ならぬ「欠」点であった。

受賞歴

  • 1993年NHK新人演芸大賞受賞
  • 1994年GAHAHAキング初代チャンピオン
  • 1994年:日本映画プロフェッショナル大賞・新人奨励賞を太田光が受賞
  • 1997年国立演芸場花形演芸会 銀賞受賞
  • 1998年:国立演芸場花形演芸会 金賞受賞
  • 1998年ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞
  • 1999年:浅草芸能大賞新人賞受賞
  • 2000年:国立演芸場花形演芸会 審査員特別賞受賞
  • 2000年:笑芸人大賞 銀賞受賞、ちなみに金賞はビートたけし
  • 2001年:国立演芸場花形演芸会 特別大賞受賞
  • 2003年:リスクコンサルタントオブザイヤー 特別賞受賞
  • 2006年:万年筆が似合う著名人 芸能・ファッション部門を太田光が受賞
  • 2006年芸術選奨文部科学大臣賞放送部門受賞
    放送部門のバラエティージャンルからは史上初の受賞となった。理由は「タモリたけしさんま紳助の存在が圧倒的な中、10年以上もポジションを得て常に成長しながら抜群の安定感を見せている」とのことである。この受賞は、受賞発表の直前に急逝した久世光彦の強い推薦によるものという。2人が進行するテレビ番組『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ日本テレビ系、2005年12月10日深夜)に久世光彦がゲスト出演したことがきっかけで、久世が「あの二人にあげればいいじゃないか」と言い切ったといわれる。また、この時同時に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した人物に画家の和田義彦がいるが、その後和田は盗作疑惑で世間の耳目を集めることとなる。この盗作に関する一連のテレビ報道において使用された、受賞者が正装して勢揃いした映像では、和田のすぐ後ろにこの二人が立っている。
  • 2007年ゆうもあ大賞を太田光が受賞
  • 2008年:日本大学藝術学部 日藝賞受賞
  • 2012年喜劇人大賞特別賞受賞

エピソード

大学時代

2人の出会いは日本大学の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い込んで、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた[1])。その後、大学の合格発表時に偶然再会して田中が「え、こんな奴が日本大学合格しちゃったよ」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた(『笑っていいとも!増刊号』にて)。また、太田が入学後の最初の授業でも騒ぎ、他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。

日本大学時代の取得単位は2人合わせて17単位だった。しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった[2]。太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。

プライベート

プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「田中」と呼ぶのは、「小僧」では誰のことかわからないと感じているため[3]

また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と言っているが、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と反論している)。

2人とも自動車運転免許を持っていない(太田は過去にバイクの免許を持っていたが自損事故を起こしている)。また、2人とも酒を飲めない

嗜好

2人とも好きであるが、ペットのかわいがり方は異なり、可愛がり倒す田中に対して太田はほとんど構わない。その所為で互いの猫の性格も違い、来客に纏わりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。

2人とも酒が飲めないが、太田が眠れない時に焼酎を飲んで酔っ払い、翌日の仕事でまだ酔いが残っていたため、スタジオの照明を見て踊りだすことがあった。

2人は佐野元春サザンオールスターズの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかという話題でもめている。

芸能活動

コンビ名の由来はラテ欄でよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』(小学館)に記されている。「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である。

テレビ番組(2000年代頃より司会・MCが主)・ラジオ番組のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブや雑誌の連載、本の出版などもこなしている。漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。時事ネタや社会風刺を題材としたものが目立ち、「社会派漫才」などと呼ばれる。太田は時事ネタを扱うのは、ネタが枯渇しないからだと語っている。芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。漫才のネタ作りは「田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。そのことから太田は田中のことを「書記」と指した事がある。またこの作業は太田家のリビングで行われる。コントも披露することが、コントのネタは、は時事ネタにとらわれないネタが多い。

ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「王貞治」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。その時のことをBOOMERが目撃している(テレビ朝日『爆笑問題の検索ちゃん』より)。『水着でKISS ME』(テレビ東京)では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のホンジャマカが演じたこともあった。1999年4月から2006年3月にかけて、『ポンキッキーズ』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「爆チュー問題」としてレギュラー出演し、人気を得る。2006年5月からは『空飛ぶ!爆チュー問題』としてCS放送フジテレビワンツーネクスト(開始当時はフジテレビ721)で放送されている。

2005年高額納税者番付タレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。

お笑い芸人がトップクラスの域になると自分のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。また、『爆笑問題のニッポンの教養』『探検バクモン』(NHK総合)など、教養色の強い番組の出演も多い。

事務所公式サイトのプロフィール写真[4]は、1997年頃に撮影された宣伝用写真を使用し続けている。

ドラマ映画などには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。しかし、2000年代後半頃より田中が映画『感染列島』やドラマ『Q10』(日本テレビ系)、『恋愛ニート〜忘れた恋のはじめ方』(TBS系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。

「ピン」(1人)での仕事として、田中は『サカスさん』『S☆1』(ともにTBS系)で情報番組の司会を務めている。一方、太田は『マボロシの鳥』(新潮社)などの小説エッセイを多く執筆している。なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している(後述)。

BOOMER・プリンプリンとそのユニット「ブーマープリン」をはじめ、X-GUN古坂大魔王つぶやきシローら戦友とも言える「ボキャブラ世代」の売れていない芸人を自身の番組やタイタンライブに多く出演させている。冠番組を持たない東貴博土田晃之アンジャッシュとの共演機会も多い。一方で、同じボキャブラ世代のロンドンブーツ1号2号との共演は少ないが、田中が田村淳に料理を作らせようとしたりするエピソードがあったりするなどプライベートでは付き合いがあるようである。ラジオなどで付き合いの古い伊集院光(同世代だがキャブラーではない)との共演機会も多い。

1999年前後には『NHK紅白歌合戦』の白組司会の候補に挙がったことがあるとされる。

コンビ仲

太田は田中との比較において、絶対的な自信を持っており、様々な機会を捉えてはギャグの一つとして田中への非難・痛罵を繰り返す。テレビなどでは、太田が田中を非難することが多いが、田中が「キレる子供」と揶揄される位すぐに解散を口にするので、いつも太田が謝って収拾している。前述に基づくエピソードとして、新人時代に田中がネタをとちってしまい、ネタ終了後の楽屋で太田が田中を責めたが、田中が「次の舞台でネタを間違ったらコンビ解散!」と言い放ち、何故か逆ギレされてしまう。しかし太田は「こんなことで解散されちゃ、たまったもんじゃない」と田中を必死になだめたということがあった。

2000年9月11日、田中は片側の睾丸の摘出手術を行なった。その際、当時開会直前のシドニーオリンピックになぞって「田中、金とった!!」と言う見出しがスポーツ新聞を飾った。また、記者会見では太田が田中をネタにギャグを連発して笑いを取った。このネタは現在も継続して行われている。

著名人関連

2人は、後輩の萩原正人(キリングセンス)が肝硬変を患った際に、何とか彼の命を救おうと奮闘し、結果的に命を救っている[5]

デビューして間もない頃、2人の才能を見抜いた落語家立川談志は、太田に「天下獲っちゃえよ」と応援の言葉を送ったという。また、「こいつ(田中)だけは切るな。こう出来た奴もなかなか居ないもんだ」と、田中の相方としての重要性を説いている。

上岡龍太郎は立川談志との対談で「今のお笑い、バラエティには教養がなくなった、1つ救いなのが爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれるのだけが救いだ。彼らがそれを持ち続けてそれを次にどううつしていってくれるか。頼むよ爆笑問題」と発言した。

島田洋七は『GAHAHAキング』の審査で、「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている。漫才ブームの頃のレベルを彼らが初めて崩した」と評した。

2008年から当時の大阪府知事(現・大阪市長)で、タイタンに所属していた橋下徹の活動支援のために、2年連続で太田夫妻と田中は1000万円を大阪府へ提供している[6]

SMAPとはデビューした年が一緒であり(どちらも1988年デビュー)、『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の名物コーナー「BISTRO SMAP」の男性芸能人出演最多ゲストでもある(初来店の時はとあるメンバーの不祥事の影響でオンエアされていない)。また太田はSMAPの曲「We are SMAP!」の作詞も担当した。

また、同期である岡本夏生とも親交がある。バブルが過ぎ、仕事のない状態の岡本を最初に取り上げたのは、爆笑問題が司会を務める『サンデージャポン』(TBS系)である。

2010年代より『爆報! THE フライデー』(TBS系)などで田原俊彦と仕事をする機会が増えている。きっかけは『ハッピーボーイズアワー爆笑おすピー問題!』(フジテレビ系)での田原俊彦特集で共演したことである(ちなみに田中が大ファンである)。ちなみに両方とも一度芸能界を「干される」という経験をしている。

ダウンタウンとは1990年代半ば頃から度々ネット上などで不仲説が取り沙汰されており、この2組が番組で共演する事も無ければお互いの事を自身の冠番組などで話す事も無かった。しかし、2014年3月31日に放送された『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』にて、同じくダウンタウンとの不仲が噂されていたとんねるずと共に共演を果たした。とんねるずと共にダウンタウンと共演する予定ではなかったが、とんねるず・石橋貴明木梨憲武と爆笑問題を誘って乱入する。1990年の『初詣!爆笑ヒットパレード』や日本テレビ系列で放送されていたテレビ番組『LIVE 笑 ME!』にてお互い同じ回に「出演」した事はあった。

渡辺正行

爆笑問題が結成間もない頃、“関東のお笑い登竜門”とも言われている、渡辺正行主催の「ラ・ママ新人コント大会」に初出演したネタが大ウケして、その場で太田プロにスカウトされ、ライブ内で話題となった。渡辺は後にインタビューで「この瞬間に立ち会えたのは幸福なこと」と語っている。

結成当時から行っていた『いじめ』などの差別ネタや毒舌ネタなどが「テレビ向きではない」などと言われ出した際、渡辺は「今はテレビに出るよりも面白いと思えるものをやった方がいい」と擁護した。

その後、渡辺は『爆笑大問題』シリーズにレギュラーとして出演し、番組が終了した現在でも爆笑問題の番組にたびたび共演する機会がある。また、雑誌の連載で「師匠と呼べる存在」と呼ばれたこともある。

ビッグ3との関係

タモリ

タモリとはまだ無名だった頃にも共演しており、『タモリ倶楽部』『タモリのSUPERボキャブラ天国』の出演で世間に知られるようになった。以前に『爆笑問題カーボーイ』の中で、自分たちの実力が一番発揮できる番組として『タモリ倶楽部』を挙げていた。

たけし・さんまの有名人の集まる店』(フジテレビ系)出演時に太田は、同じくBIG3であるたけしとさんまに、トークではタモリに憧れを持っている、という発言をしている。

太田は『A-Studio』(TBS系)出演時には、普段おとなしいタモリが自分のギャグで笑うのが嬉しいという趣旨の発言もしている。

1997年頃からブレイクするようになり、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)の出演もこの頃から多くなった。その後、2000年4月から水曜レギュラー陣として正式に加入するようになった。

水曜レギュラー陣のリーダーで、『笑っていいとも!』のコンビとしての最年長レギュラーであり記録更新中だったが、2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移動したことでレギュラー13年目にして初の分離出演となった。

ビートたけし

太田はビートたけしの影響を強く受けており、「たけしさんが出てきた時から、本音を言うことがいかに面白いかを知った」と『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で語っている。太田が「コメディ映画を撮りたい」とたけしに相談した際、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた[7]。 たけしは、爆笑問題結成当初の頃にたまたまコントを見たことがあり、「こいつらは面白いと思った」「ネタの切り口がツービートと似ていた」と語っている。爆笑問題が『たけしの誰でもピカソ』でたけしの前で、直接漫才を披露した際には、「好きだな。自分と感覚が似ている。」と評した。

その一方で、たけしの弟子である浅草キッドとは仲が悪く、特に太田と水道橋博士は犬猿の仲として知られていた(爆笑問題が干される原因となった、『ビートたけしのオールナイトニッポン』代理時の太田の問題発言も原因の一つと語っている[8])。上記の通り、萩原正人が肝硬変で入院していた際、病院で爆笑とキッドが鉢合わせ(この時期、キッドも萩原の入院生活をサポートしていた)してしまい、萩原が寝ている病室で太田と博士が取っ組み合いの喧嘩を始め、病気で苦しんでいるはずの萩原がギャグでその場を取りなそうとしたこともあったという。その後、萩原の奥さんが一席を設けて、2人を一緒に酒を飲みに行き仲直りしたという[9]。ただし、『QuickJapan』76号に収録された、吉田豪による「爆笑問題ロングインタビュー」によると、活動初期は別として、後の「抗争」はお笑い芸人的な予定調和を崩すための「ネタ」であり、実際は不仲ではないと語っている。 玉袋筋太郎とはお互いの著書をやり取りしたり、太田がその著書をラジオで評価するなど仲は良いようである。

『爆笑問題の日曜サンデー』(TBSラジオ2011年12月25日)に浅草キッドがゲスト出演した。

明石家さんま

明石家さんまは、爆笑問題が太田プロに所属していた頃から高く評価しており、初めて共演した1990年頃の『初詣!爆笑ヒットパレード』で二人のネタを絶賛し、「爆笑問題の時代になる」と確信していた(『さんまのまんま』にて)。一方、2人も学生時代から『さんまのオールナイトニッポン』のファンであったと話しており、『ビートたけしのオールナイトニッポン』と共に「木曜日が楽しみだった」と語っている。

さんまがたまたま番組の打ち合わせをしていた時、隣のスタジオで『ポンキッキーズ』内の「爆チュー問題」のコーナーのリハーサルを見学して笑っていた。この話は『明石家さんまのフジテレビ大反省会』で取り上げられ、「お前ら、リハーサルし過ぎや!」と爆笑問題にツッコミを入れていた。

さんま自身が滅多に他人の番組のゲスト出演をしないため、『爆笑問題カーボーイ』にゲスト出演したことは異例とされている。また2014年1月12日『爆笑問題の日曜サンデー』でも300回記念ゲストとして14年ぶりに共演した。さんまが爆笑問題と共演すると、必ずと言っていいほど「田中の身長」をネタにしたり、二人が独立して苦労した頃の話をしたりする。特に独立して苦労した話に関しては、当時のさんまもかなり心配していた模様で、爆笑問題が再び売れ始めた1998年頃には積極的に自らの番組に出演させるなど、一役買っている。また、『たけし・さんまの有名人の集まる店』では、お笑いコンビとしては唯一ゲストとして出演をさせ、『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』(フジテレビ系)では、初めてスタジオに直接出演させるなど優遇している。

爆笑問題は、さんまがレギュラー時代であった金曜日の『笑っていいとも!』にも数回出演していたことがある(2002年4月7日放送の『笑っていいとも!増刊号スペシャル』にて)。2人は他事務所の人間であることもあり、太田はさんまを時々「あんた」と呼ぶことがある。

プライベートでは太田がさんまの楽屋を訪れ、光代の「酒癖の悪さ」を愚痴る関係で、共演時にはさんまがそのことをネタにしている。また爆笑問題が独立時に干されていたこともネタにしている数少ない人物。

現在の出演番組

コンビでの出演のみ。個別の出演は太田光田中裕二を参照のこと。

現在のレギュラー番組

過去に出演した番組

過去のレギュラー番組

特番・単発

ラジオ

CM

現在放送中のCM

過去の出演CM

テレビ・ラジオ以外の活動

出演番組やコントライブの一部は、DVDに収録され発売されている。

雑誌連載

出版

歴史時事問題などについて漫才形式で書かれているもの(「日本原論」シリーズなど)が多い。しかし、太田によれば、「爆笑問題」名義で、作中でも田中が登場するにもかかわらず、太田が1人で執筆することがほとんどで、田中は作業には参加していない。田中は「名前貸しみたいなもんです」と話している。また、原稿料は田中にも配分されている。

日本原論シリーズ
  1. 『爆笑問題の日本原論』宝島社(1997年2月)
  2. 『爆笑問題の日本原論2000』メディアワークス(1999年12月)
    • 『爆笑問題の日本原論 2』幻冬舎文庫(2002年12月)
  3. 『爆笑問題の日本原論世界激動編』幻冬舎(2002年5月)
  4. 『こんな世界に誰がした』幻冬舎(2004年1月)
  5. 『偽装狂時代 爆笑問題の日本原論5』幻冬舎(2006年5月)
  6. 『大恐慌時代 爆笑問題の日本原論6』幻冬舎(2009年9月)
日本史原論シリーズ
  1. 『爆笑問題の日本史原論』メディアワークス(2000年8月)
  2. 『爆笑問題の日本史原論 偉人編』メディアワークス(2001年8月)
  3. 『爆笑問題の日本史原論グレート』幻冬舎(2002年8月)
  4. 『昭和は遠くになりにけり』幻冬舎(2003年7月)
  5. 『日本史が人物12人でわかる本』幻冬舎(2004年7月)
  6. 『ニッポンの犯罪12選』幻冬舎(2005年7月)
  7. 『爆笑問題の戦争論』幻冬舎(2006年8月)
  8. 『日と米』幻冬舎(2007年9月)
  9. 『日本文学者変態論』幻冬舎(2009年3月)
  10. 『爆笑問題の太閤記』幻冬舎(2010年9月)
爆笑問題のきょうのジョー(漫画・西本英雄
  1. 『爆笑問題のきょうのジョー 1』(共著)講談社(2001年7月)
  2. 『爆笑問題のきょうのジョー 2』(共著)講談社(2001年9月)
  3. 『爆笑問題のきょうのジョー 3』(共著)講談社(2001年11月)
  4. 『爆笑問題のきょうのジョー 4』(共著)講談社(2002年5月)
世紀末ジグソーパズルシリーズ
  1. 『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』集英社(1999年12月)
  2. 『爆笑問題時事少年』集英社(2001年4月)
  3. 『爆笑問題の今を生きる!』集英社(2003年4月)
  4. 『爆笑問題のそんなことまで聞いてない』集英社(2004年4月)
  5. 『爆笑問題のふざけんな、俺たち!』集英社(2005年4月)
  6. 『風説のルール』集英社(2006年4月)
  7. 『爆笑問題の清き一票を田中に!』集英社(2007年5月)
  8. 『爆笑問題の(笑)』集英社(2008年5月)
天下御免の向こう見ずシリーズ
爆笑問題カーボーイシリーズ(『カーボーイ』のコーナーを書籍化したもの)
その他
  • ファミスタ64公認ガイドブック』小学館(1998年1月)※インタビューに登場。太田・田中が(編集部のほうで)作成したオリジナルチームで試合が行われた。
  • 『爆笑問題のピープル』幻冬舎(1998年6月)
  • 『爆笑大問題』講談社(1999年1月)
  • 『超爆笑大問題』講談社(2000年2月)
  • 『爆笑問題の死のサイズ 新聞の死亡記事で読み解く、20世紀人物列伝』扶桑社(2000年6月)
    • 『爆笑問題の死のサイズ 上・下』扶桑社文庫(2002年7月)
  • 『対談の七人』新潮社(2000年12月)
    • 『爆笑問題とウルトラ7』新潮社文庫(2002年12月)
  • 『爆笑問題・パックンの英語原論』(共著)メディアワークス(2001年8月)
  • 『爆笑問題のザ・コラム』講談社(2001年11月)
  • 『バクマン!』(共著)幻冬舎(2002年5月)
  • 『爆笑問題・パックンのニュースで英語を学ぶ本』(共著)幻冬舎(2002年11月)
  • 『爆笑新聞』角川書店(2002年12月)
  • 『爆笑問題の「文学のススメ」』新潮社(2003年10月)
  • 『爆笑問題が読む龍馬からの手紙』情報センター出版局(2005年8月)
  • 『だから言わんこっちゃない 崖っぷち会社信徒逆襲の手引き』小学館 (2008年12月)

映画

CD

  • ハッピータイム歳事記(アルバム、SPEビジュアルワークス
  • スーファミショー歌(シングル、セント・ギガ) 非売品。放課後の王様の企画で100枚限定で製作され、聴取者にプレゼントされた。

※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。

ビデオ・DVD

※「爆チュー問題」名義の作品は爆チュー問題の項を参照。

ゲーム

関連項目

注釈

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  1. 週刊文春「家の履歴書」より
  2. 『爆笑問題のきょうのジョー』『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』など。
  3. 1997年3月7日放送『金曜UP’Sスペシャルスプリング』
  4. 爆笑問題のプロフィール
  5. 奇跡体験!アンビリバボー』(フジテレビ系)より
  6. 爆笑問題が大阪府に1000万円寄付 御堂筋イルミネーションで - MSN産経ニュース 2009.5.14
  7. 伊集院光 日曜日の秘密基地』より
  8. 『JUNK座談会スペシャル2008』
  9. 『お笑い男の星座』(浅草キッド著、2001年、文藝春秋、ISBN 978-4163569703)

外部リンク

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