佐野元春

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox Musician 佐野 元春 (さの もとはる、1956年3月13日 ‐ )は、日本歌手ロックミュージシャンシンガーソングライターギタリスト作詞家作曲家音楽プロデューサーラジオDJ詩人

概要

1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」で歌手デビュー。詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップスポークン・ワードなどの新しい手法を実践し、さまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的ヒットに関係なく高い評価を得ている。現在は独立系レーベル「Daisy Music」を主催し、インターネットを通じた音楽活動などでも先駆的な試みを続けている。

経歴

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デビュー以前

東京都千代田区神田生まれ(出身は台東区浅草寺に近い下町[1])。父は会社の経営者で、母は元新劇女優で青山のレコード喫茶店のマスター[2]。中野区立第四中学校入学前後に、友人からトランジスタ・ラジオをもらい、HOT100系のポップスやブリティッシュ・インヴェイジョン系のロックに傾倒[3]。中学1年の夏にザ・フーピート・タウンゼントのギター姿に憧れ、のちにバイトで金をためてギターを購入[4]。この時期に詩にもはまり、ランボーマラルメなど愛読。中学2年の初夏にヘルマン・ヘッセの「赤いブナの木」にメロディを付けたものが初の自作曲になる。

立教高等学校(現・立教新座高等学校)1年の夏にボブ・ディランを知り、強い影響を受ける。ディランが影響を受けた文学を探っているうちにジャック・ケルアックを知り、ビート・ジェネレーションに傾倒。15の時の3大ヒーローはボブ・ディラン、サリンジャー、ジャック・ケルアックだったという。高校2年になってやっと音楽部に入部、ピアノを始める。この頃、吉祥寺の「ジョージ組」なるバイク集団に所属[4]、この頃無謀運転で2回交通事故を起こしている[5]。高校3年の7月、実家の引っ越しに同行せず一人暮らしを始め、夏休みに横浜で出会ったモダン・ダンサーに強い影響を受ける[4]。同年12月、音楽部が母体のバンド「バックレイン元春セクション」を結成。結成当時は5人編成だったが、まもなく同級生の妹MANNAが加入し、6人編成になる[4]

1974年4月に立教大学社会学部に入学。バックレイン元春セクションの活動は続き、初夏にヤマハポピュラーソングコンテストに応募する際にホーンセクションが4人加入。ボーカル・ピアノ(佐野)、キーボード(MANNA)、ツインギター、ドラム、ベース、ホーンセクションという10人編成の大所帯バンドになる[4]。ポプコンでは「Bye Bye C-Boy」を歌い杉真理らを抑えて関東・甲信越地区代表になるが10月の本選会では無冠で、同時にバンドの維持が不可能になったために解散(一説には主催者を誹謗する発言をしたためにノミネートから外されたと言われている)。同年11月に慶應義塾大学の学園祭のミニコンサートに出演した時に佐藤奈々子と知り会い、彼女にボブ・ディランを聞かせるなどの音楽的教育を施す。この時期に全くの別メンバーでバックレイン元春セクションを再度立ち上げようとしたが、ハイ・ファイ・セットにドラムとベースを引き抜かれた[4]ことをきっかけに自然消滅し、翌1975年冬からは佐藤と共に音楽活動を始める。同年末に佐藤が大学主催の女性シンガーソングライターのコンテストに出場した際に「鋼渡り」という曲を共作し、翌1976年3月に優秀賞を受賞[6]。同年秋に佐藤のデビューが決まってからは自身の音楽活動の他、佐藤の裏方としてプロデュース・マネージメント活動を行う[4]。1977年、佐藤奈々子のアルバム『Funny Walkin'』、『Sweet Swingin'』にも参加。この時期、佐藤の所属事務所の代表小坂ペン(小坂忠夫人)の紹介で小坂忠と知り合い、CM音楽の録音、ブレッド&バターのテレビライプでのコーラス、「ムキムキマンのエンゼル体操」の録音(キーボードで参加)などを手伝う[4]

1978年に当時使用していたスタジオのエンジニアの薦めで再びヤマハポピュラーソングコンテストに出場。「Do What You Like-勝手にしなよ」を歌い、関東・甲信越地区代表になり、5月の本選会では優秀曲賞を受賞。同年秋に生活費・学費を稼ぐため広告代理店に入社、間もなく真野響子のラジオ番組の制作担当になる。1979年に立教大学を卒業し、この時期からEPIC・ソニーのプロデューサー小坂洋二から熱烈な勧誘を受け始める。同年秋、真野のラジオのためのアメリカ取材旅行の直後に制作担当から外されて間もなく退社。この時期に小坂の勧誘を受諾してデビューが決まる。同年末に小坂の紹介でフォーク・ニューミュージック系の芸能事務所ヤングジャパンと契約。ヤングジャパン初のロック・ミュージシャンとなる[4]

デビュー直後

1980年2月からレコーディングに入り、そこで伊藤銀次と知り合う。同年3月21日にシングル「アンジェリーナ」(EPIC・ソニー)でデビュー。同年4月7日から始まった音楽番組『ファイティング80's』(TVK)のレギュラーに抜擢される(デビュー後の初ライブはこの番組で、日本電子工学院ホールにて収録)。同年4月21日にアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。6月から横浜舶来屋で定期的に、7月からルイードで月一で『ファイティング80's』のバックバンドとともにライブを始める。8月にマネージャーが交代したことを機に、ヤングジャパン所属ミュージシャンの前座(アリス岸田智史ばんばひろふみなど)の仕事が増える[4]。10月6日のワンマン・コンサート(横浜教育会館)の打ち合わせの際にバックバンドの名前を「THE HEARTLAND」に決定[4]。同年末にプロデューサー小坂洋二の元同僚木崎賢治からの依頼で沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』に楽曲提供したことを皮切りに他ミュージシャンへの楽曲提供も幅広く行うようになる[4]

1981年4月から『サウンドストリート』(NHK-FM)の月曜日担当になり、同番組の枠で『元春レイディオショー』を開始。同年6月にシングル「SOMEDAY」を発表。これが大瀧詠一の目にとまり、大瀧のプロジェクト「ナイアガラ・トライアングル」に杉真理とともに参加。3人の所属レーベル・事務所(大瀧と杉はレーベルのみ一緒)が違い、関係者間の調整が長引くことを嫌がった大瀧は7月24日の杉のイベントライブ(ゲスト:大瀧、友情出演:佐野)のステージ上で、ファンに『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』の制作をゲリラ的に発表し、既成事実を作って関係者間の調整を縮めるという裏技を使った[7]。自らのアルバムと『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』のレコーディングを並行して制作、大瀧から多くのことをインプットしながら自作にアウトプットしていった。同年11月には大瀧の「ヘッドフォンコンサート」(渋谷公会堂)に参加、ナイアガラファンクラブのハワイ旅行にも参加するなど、ナイアガラとの交流を深めた。

初期三部作の完成と方向転換

BACK TO THE STREET』『Heart Beat』と2枚のアルバムを発表していたが、なかなかセールスには結びつかなかった。しかしラジオDJとして、あるいはライブパフォーマンスの凄いロックミュージシャンとして、大瀧詠一のお薦めミュージシャンとして、徐々にファンが付くようになり、そのファン達が自主的に会場を押さえてそこでライブを行う[4]などファンに支えられながら、背水の陣(これで売れなかったら最後だ)と自分の全てを投じたアルバム『SOMEDAY』を1982年5月に発表。サウンド・エンジニア吉野金次を迎え、フィル・スペクター並みのウォール・オブ・サウンドを導入したことで、シングルでは注目されていなかった「SOMEDAY」が注目を浴びるようになり、アルバム『SOMEDAY』はオリコンアルバムチャートで最高位4位を記録。

前ツアーからほとんど間を開けず、1982年9月から1983年3月までコンサートツアー『Rock & Roll Night Tour』を全40ヶ所で行い全国的に成功を収める。ホールクラスで行われた同ツアーは軒並みソールドアウトを記録。このツアーを観た吉川晃司尾崎豊は感銘を受けたと後に語っている[8]。ツアーの最終公演である東京・中野サンプラザのステージで、ニューヨーク行きを発表。渡米直前に編集盤『No Damage (14のありふれたチャイム達)』がオリコンで1位を記録し、佐野元春ブームが起きる中で同年5月に渡米。

この時期に事務所のヤングジャパンが解散しており[9]テンプレート:要出典範囲、プロデューサーやマネージャーの仕事(アルバムのレコーディングの手配やスケジュール管理など)を全て自ら行った。また弁護士を雇い、音楽ビジネスについて一から学んだとしている[10]。渡米直前の『新譜ジャーナル」のインタビューでは「ニューヨークに行くことに目的はない。同時代の世界中のアーティストと同じ呼吸をしたい」「ニューヨークにいる期間は未定です。ヴァイブレーションが合えばいますし、合わなければすぐに帰ってきます」と述べている[11]

ニューヨークでアパート生活をしながらクラブシーンのミュージシャンや前衛の映像作家などと交遊関係を築き、現地のミュージシャンとともにラップを取り入れながらもそれを換骨奪胎した「新しいサウンド」で新曲をレコーディングし、アルバム『VISITORS』を製作。完成の達成感からか帰国してからも長い間状態に悩まされたという。

1984年5月にアルバム『VISITORS』を発表し、翌6月に帰国。数曲でラップを取り入れたことや、前作までのナイアガラ系に通じるサウンドから一変したことで、賛否両論が巻き起こったもののオリコンで1位を記録する。メジャーレーベル系ミュージシャンとしては初の日本語によるラップとして扱われることもある。また「COMPLICATION SHAKEDOWN」のPVは前衛の映像作家ジョン・サンボーンが担当するものの、ラディカルすぎるという判断で20年近く[12]お蔵入りすることになった。また、全国70カ所におよぶコンサートツアー『VISITORS TOUR '84〜'85』では、ナム・ジュン・パイクの影響でTVモニターを何十台も積み重ねて不規則な映像を流すなど、アバンギャルドなステージを展開。コンサートの形態にも新たな試みを取り入れた。同年、松田聖子の「ハートのイアリング」をHolland Rose名義で作曲した。[13]

初のトップ10ヒット『Young Bloods』

1985年2月に国際青年年のテーマ曲として「Young Bloods」を発表。佐野自身初のトップ10ヒットとなり、同曲の印税はアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付された。同年に行われた「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にも出演。5月にはエレクトリックサウンドにのせた自作詩の朗読(スポークン・ワード)と詩集・写真集・ストリートアートなどが複合的にミックスされたカセットブック作品『ELECTRIC GARDEN』を小学館から発表。続く7月には、ライヴエイドに日本代表として参加。アフリカの飢餓状況を映した映像とライブでの演奏シーンをミックスした「シェイム─君を汚したのは誰」が、歌詞の英語訳テロップと共に世界に発信された。

『M's Factory』の設立

1986年、それまで培ってきた音楽制作やビジネスのノウハウを元にして自由な表現フィールドを獲得するために、自身によるプライベートレーベル「M's Factory」を立ち上げる。責任編集の季刊誌「THIS」を扶桑社より発刊するなど多岐にわたるメディア活動を展開。またライブ活動においても、東京・日本青年館で月に一度のペースで定期ライブを行う「Tokyo Monthly」を開催。チケット申し込みの電話回線がパンクする事件がおきるほどの人気を博す。ちょうど次作アルバムの制作中ということもあり、レコーディング前の未発表曲を演奏するなどのアクションも頻繁に行われた。

UKムーブメントへの接近

1986年12月には、先に発表されていた「Young Bloods」「Christmas Time In Blue -聖なる夜に口笛吹いて-」を含むアルバム『Café Bohemia』を発売。アルバムに先駆けてシングル発売され、チャートトップ10入りを果たしていた「WILD HEARTS -冒険者たち-」「STRANGE DAYS -奇妙な日々-」なども収録。イギリスフランスを旅しながら作られた楽曲群は、ジャズソウルスカレゲエなどの多彩なリズムが採り入れられている。これは当時イギリスでムーブメントとなっていた、ブラックミュージック第三世界の音楽をUKポップ音楽に融合させたスタイル・カウンシルなどのアプローチであり、この流れを主導していたロンドンサウンド・エンジニアアラン・ウインスタンレイを起用している。

『Café Bohemia』のリリースと前後して、10月から翌年9月までの約1年間で約80公演にも及ぶ「Café Bohemia Meeting」と題された全国ツアーを決行。ストレートなロックンロールから、複雑なポリリズムによるダンスサウンド、ソウルフルな演奏が披露され、THE HEARTLANDの演奏力が確立することになる。1987年9月に初の単独スタジアムライブが横浜スタジアムで行われ、この日の演奏を収録したライブアルバム「HEARTLAND」(オリコン1位を記録)が発表された。

この頃、国内で大きな議論となっていた原子力発電所の建設問題について自身のラジオ番組「AJIスーパーミクスチャー」で特集を組む予定が、地方局からクレームが来て頓挫。急遽シングル「警告どおり 計画どおり」を発表。一方、同番組内で、M'sFactoryのレーベルの主催者として、自身の偽名ユニット「ブルーベルズ」やTHE HEARTLANDの別名義のバンド、インディペンデントで活躍するアーティストのプロデュース活動も開始。最終的にはコンピレーションアルバム『mf Various Artists Vol.1』としてまとめ、1989年8月に発売となった。

1988年、次作のアルバム制作をスタート。初期段階ではTHE HEARTLANDとのレコーディング作業を重ね、ラディカルなロックサウンドが最終形に近い形で完成していった。しかし、より明快かつポップなサウンドを求め、それまでのセッションを白紙に戻して単身渡英。エルヴィス・コステロなどを手がけたプロデューサーであるコリン・フェアリーを陣頭指揮とし、ブリンズレー・シュウォーツ、アトラクションズ、ピート・トーマス等、UKパブロック周辺のミュージシャンとレコーディングセッションを開始する。

こうしたセッションを経て、先行シングルとなった「約束の橋」や、「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」、「ジュジュ」などを収録したアルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』が完成。1989年6月にリリースされる。サウンド面では、伝統的なUKロックと、オリエンタリズムが融合。60年代のF-Beatサウンド的な疾走感をもつタイトル曲から始まり、アフリカンビートやスキッフル、シャッフル、ロックンロールといった様々なリズムが取り入れられている。詩においてはそれまでの英語やカタカナ語でビートにアクセントをつけていく、いわゆる「佐野元春文体」とは一線を画すものとなっている。啓示的な内容をもつ現代詩を元に、カタカナ語を廃し、語数も少ない。抽象的かつ象徴的な言葉の組み合わせによってイメージを聞き手に喚起させる手法は、佐野元春の作品におけるひとつのターニングポイントとなった。

本作のプロモーションツアーである「ナポレオンフィッシュ・ツアー」を1989年6月から12月まで決行。ステージ背景には荒涼とした砂漠の写真が映し出され、そうした映像を背にして、これまでのキャリアの中でもっとも攻撃的な演奏を展開した。二度目となる横浜スタジアムでのライブを間に挟み、年末まで続けられた本ツアーの最終公演のステージ背景には「Good by 80's, so don't look back」と記されていた。

デビューから10年目となった1990年には今までのシングル曲とカップリング曲一部を収録した「Moto Singles」を5月に発売。並行して新作アルバムの制作をスタートさせ、佐野元春 with THE HEARTLAND名義としては『Café Bohemia』に続く2枚目となる『Time Out!』を11月にリリースした。アルバムタイトルが示すとおり、過去作品に見られる大上段から振りかざすような音楽のダイナミズムは一旦休憩となり、全面アナログレコーディングと、少数編成のバンドサウンドを核とした素朴な音作りの曲が並んだ。詩も「街に暮らす少年少女」が成長した様子を平易な言葉を選んで描きながらも、時代が狂乱のあとで疲弊していく様子を見つめながら「家に帰ろう」(収録曲「空よりも高く」より)と歌う。

『Time Out!』のプロモーションツアーの最終公演である大阪フェスティバルホールでは、ステージにオノ・ヨーコと子息のショーン・レノンが登場。ジョン・レノンの生誕50周年を記念したイベント『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』(G・O・W)の趣旨に賛同して、佐野が作詞作曲し、三人でレコーディングした「エイジアン・フラワーズ」をステージで披露した。なお、東京ドームで開催された『グリーニング・オブ・ザ・ワールド』でも共演を果たしている。

1991年、過去のバラードの再アレンジも含めたアルバム『Slow Songs』発売。その一方で、佐野本人が「空白の一年」と呼ぶように、この時期はしばらく音楽活動から離れている。その後、新作レコーディングをスタートする前に、ノンプロモーショナルな全国ツアーとして「See Far Miles Tour PartI」を1992年1月から4月まで決行。オーディエンスとのコール&レスポンスを通じて、創作的な悩みやスランプを断ち切ったという。

『Sweet16』、『The Circle』

1992年には、2年ぶりのオリジナルアルバム『Sweet16』を発売。このアルバムは第34回日本レコード大賞の優秀アルバム賞を受賞した。また『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録の「約束の橋」がドラマ「二十歳の約束」の主題歌に選ばれたことから、カップリングに「Sweet16」を伴って再リリース、オリコン4位を記録。急遽、「VISITORS」以降「約束の橋」を含む『No Damage II』もリリースされる。『Sweet16』を携えての全国ツアー「See Far Miles Tour PartII」が1992年9月から翌年1月まで行われた。

さらに1993年11月には、佐野元春としては異例の短いインターバルでアルバム『The Circle』がリリースされる。これは前作『Sweet16』と、音楽的にも感情的にも表裏一体となるもので、ソウルゴスペルリズム&ブルース色が色濃い作品となっている。なお、収録曲「レインガール」はトヨタ・カルディナCMソングに起用され、佐野自身もCMに登場した。シングル「彼女の隣人」はローソンのCMソングに使用された。

THE HEARTLANDの解散

1993年12月から1994年4月まで「The Circle Tour」が行われる。このツアーに先立ち、1993年10月には東京・渋谷公園通りで突然のシークレットライブを決行。その後も学園祭でのライブや「Act Against Aids '93」でのステージアクトをこなすなど、さまざまな規模のライブ活動が行われた。このツアー中の1994年4月、バンドの解散が発表された。同年9月に解散ライブ「Land Ho!」を、所縁の地である横浜スタジアムで行う。

1995年3月、バンド解散後の初めて、阪神・淡路大震災被災者チャリティ・コンサートに出演。3月13日にはインターネット時代の本格到来に先駆けて国内初のアーティスト公式ウェブサイトMoto's Web Server」を開設。ファン有志によって作られたこのWebサイトは、オフィシャル・ファンサイトとして、現在もボランティアスタッフにより運営されている。

1996年には、新しいバンドやアーティストとのコラボレーション活動も積極的に展開している。8月には佐野が主催するロック・イベント「THIS!」を東京・赤坂BLITZで開催。1996年から1998年まで3回開催されたこのイベントは、優秀な新人のショーケース・ライブとして、山崎まさよしDragon AshTRICERATOPSCoccoなど後に第一線で活躍することになるミュージシャン・バンドが多数出演した。また、トリビュートアルバムブームの先駆けとも言うべき佐野のトリビュートアルバム『BORDER』が発売された。これは佐藤奈々子が企画したもので、彼女の呼びかけに応えたザ・グルーヴァーズ川村かおりGREAT3ヒートウェイヴプレイグスらが参加。それぞれ佐野楽曲の新解釈を披露している。

The Hobo King Bandの結成

新作のレコーディング作業を続けていたこの時期、レコーディングセッションを通じて集まったメンバーのよる新バンド「INTERNATIONAL HOBO KING BAND」(その後何度か改名の後「The Hobo King Band」という名称になった)が結成される。1996年1月に「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」が行われ、7月にはTHE HEARTLAND解散後初のアルバムとなる『FRUITS』をリリース。それまでのオリジナルアルバムの中でもっとも多い収録曲数となる全17曲は、もともと指向が広い佐野の音楽性に彩られながら、いずれも2分から3分のポップソングとなっている。THE HEARTLAND解散後の新しいスタイルが早くも提示された。また、このアルバムはミュージック・マガジン誌で年間ベストアルバムNo.1に選出されるなど、現在も評価の高い作品である。

1996年9月から年末にかけて、The Hobo King Bandとともに全国ツアー「Fruits Tour」を行う。さらに12月には日本武道館大阪城ホール横浜アリーナというアリーナクラスの会場で「Fruits Punch」を敢行。中でも特筆すべき点として、日本武道館では国内初のインターネット・ライブ中継を実施した。

「FRUITS」プロジェクトを終えた佐野とThe Hobo King Bandは、さらに音楽的結束を固めるため1997年夏に渡米。ザ・バンドジャニス・ジョプリンの出世作を手かげたプロデューサーであるジョン・サイモンを迎え、ウッドストックにてアルバム『THE BARN』を製作。1997年12月にリリースした。

アルバムタイトル「Barn」が示すとおり、アルバム制作はウッドストックのベアズビルにある納屋を改造したスタジオに住み込み状態でレコーディングが進められるという、ウッドストックのマナーに沿ったものであった。近くに住むガース・ハドソン(ザ・バンド)、ジョン・セバスチャン(The Lovin' Spoonful)、エリック・ワイズバーグらがスタジオに訪れてはセッションに参加した。アルバムは、その完成度もさることながら、アメリカン・ロックに対するリスペクトの念に溢れたものであり、また1990年代後半に台頭してきたオルタナティブカントリーという新しい流れに呼応した姿勢は、音楽評論家筋から高く評価されることになった。

翌年初頭である1998年1月から4月にかけて「The Barn Tour」を行う。中でも3月29日に行われた大阪フェスティバルホールでのライブでは、この日のためにジョン・サイモンとガース・ハドソンが来日し、サイモンはタンバリンで、ハドソンはアコーディオンで演奏に参加した。また、ステージ袖で佐野のパフォーマンスを見ていたサイモンは、ステージ上にあるプロンプターに「Elvis loves you」というメッセージを演奏中の佐野に贈ったという。

デビュー20周年

デビュー20周年を目前とした1999年、佐野は「どうしても20周年前に一枚アルバムを作っておきたかった」という思いから、プライベートスタジオを作り、MacPro Toolsを核としたデジタルレコーディングシステムを構築。そこでさまざまな楽曲のレコーディングを始める。

こうして出来上がっていった作品群が結実したアルバム『Stones and Eggs』を1999年8月にリリース。ほぼすべての楽器演奏やプログラミングを自身で行った。一方、詩の面では、次第に混乱していくこの国の現実と、その中でサバイバルする人々を表現した作品が増えた。この視点は後の『THE SUN』『COYOTE』に脈々と繋がっていく。また、「GO4 Impact」ではDragon Ash降谷建志とコラボレーションした。

1998年8月には、国内初の有料インターネットライブ「The Underground Live」を開催。まだナローバンド回線だった時代にアンプラグドライブをThe Hobo King Bandと共に演奏された。なお、この模様は当時開局したばかりのCS局「Viewsic」(現MUSIC ON! TV)にても生中継された(ただし、途中で放送が打ち切られた)。

続く12月には、ファンへの感謝を込めたメッセージ曲「イノセント」がソニー・ミュージックエンタテインメントより国内初の有料音楽ダウンロードとして販売。数年後に活発化する音楽のネット販売を見据えたアクションとして注目を集めた。

デビュー20周年となる2000年は、それまでの活動を総括する作品が多くリリースされた。まず1月には、それまでの代表曲32曲をリミキシングリマスタリングしたアルバム『The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music』がリリースされ、1月から3月までは20周年記念の「The 20th Anniversary Tour」を全国で9公演行う。9月には主要なクラブミックス、ダンスミックス・ヴァージョンを集めたコンピレーション・アルバム『Club Mix Cllection 1984-1999』をリリース。続く11月には、コンピレーション・アルバム『GRASS』をリリース。さらに12月にはスポークン・ワード作品を集めた編集版『Spoken Words Collected Poems 1985-2000』を発売した。

また、初期の主要作品を発表してから20周年にあたる年に、20周年記念盤をリリースするというアクションも行われている。2002年5月にはアルバム『SOMEDAY』の発売20周年を記念した『Someday Collector's Edition』を発売。デモトラックなど未発表音源と当時の詳細な資料がパッケージされた。その後も80年代に発表した重要なアルバムである『VISITORS』『Café Bohemia』『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』がそれぞれ20周年記念盤としてリリースされ、ニューヨークで制作された「COMPLICATION SHAKEDOWN」の未発表PVや、『Café Bohemia』制作時に訪れたパリでのプライベートフィルム、横浜スタジアムで行われた「ナポレオンフィッシュツアー」の模様など、その時々の貴重な映像がDVDの形で収録されている。

新たな変革期

2001年、21世紀最初の作品となるべく新作のレコーディングをThe Hobo King Bandとスタートする。バンドにはザ・ハートランド時代からの旧友、古田たかしがドラムで参加。サックスに山本拓夫が参加。レコーディングの模様は逐一「Moto's Web Server」でレポートされていった。

2001年3月、坂本龍一の呼びかけの元、地雷廃絶を訴えるキャンペーンに参加し、TBS50周年特別企画番組「地雷ZERO 21世紀最初の祈り」に出演。坂本龍一による地雷除去のためのチャリティーソングZERO LANDMINEの制作にも参加する。

9月11日アメリカ同時多発テロを受け、すぐさま「光 - The Light」を書き下ろす。祈りと慈悲と癒しが交差するこの曲は、プライベートスタジオで多重録音され、ラフミックス後すぐにMoto's Web ServerからMP3無料ダウンロードでネット配信された。この動きに異を唱えた所属レコード会社との交渉の末、9月18日〜30日までの期間限定配信となったが、一週間で約10万ダウンロードされることとなった。9月21・22日には、井上鑑らとスポークンワーズライブ「In Motion 2001-植民地の夜は更けて」を鎌倉芸術館で行う。そのとき、観客を前に「光」を演奏した。

「Daisy Music」設立へ

2003年には、デビュー以来所属していたレーベル、エピックレコードジャパンの25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に参加するも、CCCD問題などでレーベルと対立が発生。翌年2004年6月にはエピックレコードを離れ、自主レーベルDaisy Musicを発足する。原盤制作および管理は自主レーベルで行い、宣伝と流通はメジャーレコード会社に委託するという、世界的に進むアーティスト主体のメジャーインディペンデントな考えを実践したレーベル形態となっている。

2004年7月21日にはデイジーミュージックからの第一弾アルバムとなる『THE SUN』が、4年半ぶりの新譜としてリリースされる。曲毎にさまざまな人物の視点で描かれた短編集のような作りになっている。そしてそれらはすべて「2004年の日本」を生きる人々の歌であり、自由の追求、「連帯」がもつ陰と陽の部分、そして夢を見る力をもつことの尊さが歌われている。

2004年10月から2005年にかけて全国30公演で行われた「THE SUN TOUR 2004-2005」を行う。二部構成のステージとなったこのツアーは、The Hobo King Bandに古田たかし(Dr.)と山本拓夫(Sax)が加わったことで、一部の佐野元春クラシックではThe Heartland時代からお馴染みのライブアレンジが次々と再現され、続く第二部ではアルバム『THE SUN』がディテールを含めてライブで再現された。スィングしながら縦横無尽に演奏を繰り広げるジャムバンド的な側面も色濃くなり、現在まで続くThe Hobo King Bandのバンドサウンドが確立されたツアーとなった。

2005年夏には「ap bank fes '05」や埼玉県狭山市で開催された「ハイド・パーク・ミュージック・フェスティバル2005」など音楽フェスティバルに意欲的に参加。また、この年に日本上陸となったiTunes Storeへ、インディペンデントレーベルとして最初の参加表明をするなど、インターネット時代のレーベルとしてその基盤を着実に整備していった。

『COYOTE』の誕生

2005年9月から新作のレコーディング作業を開始する。バンドは盟友The Hobo King Bandではなく、ノーナ・リーヴスの小松シゲル(Dr.)、GREAT3の高桑 圭(Bass)、Mellowheadの深沼元昭(G.)という、佐野元春の音楽を聴き続けてきた若い世代のミュージシャンとのレコーディングセッションが続けられた。その最初の成果として2005年12月に3トラックEP「星の下 路の上」がリリースされる。こうした世代を超えたミュージシャンやソングライター同士の連帯は、翌年のポッドキャスト番組「MUSIC UNITED」を経て、深沼元昭、山口 洋(ヒートウェイヴ)、藤井一彦(ザ・グルーヴァーズ)の三人がボーカルとして参加した音楽プロジェクト「MusicUnited.」にまで発展していく。

新作レコーディングを続ける一方、全国ツアーも精力的に展開。The Hobo King Bandに女性コーラスグループ「T.T.Sisters」を加え、2006年1月から4月まで全国ツアー「星の下 路の上」を全13公演行う。千秋楽となった東京国際フォーラムの公演では3時間以上に及ぶステージを披露し、その模様は2枚組DVD「TOUR2006 星の下 路の上」でノーカット完全版として発表された。また、同年11月には「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2006」に出演し、ザ・ビートルズの「カム・トゥゲザー」を演奏。また、年末には音楽雑誌「ロッキング・オン」のイベント、「COUNTDOWN JAPAN 06/07」に出演した。続く2007年も新作レコーディングと並行して「札幌市民会館 最後の日」や東京・新宿コマ劇場での「サンボマスター vs 佐野元春」で演奏するなど、精力的な活動が続けられた。

続く6月には新レーベル体制になってから2作目となるフルアルバム『COYOTE』が発表される。前作『THE SUN』で見せた、さまざまな登場人物の喜怒哀楽をスケッチする手法から大きく転換し、「コヨーテ」と呼ばれるアウトロー的な男の視点で描かれた「架空のロードムービーサウンドトラック」というコンセプト・アルバムとなっている。収録された全12曲はいずれも、ビート・ジェネレーション的であり、サウンドの面でも今までの佐野元春作品とは違った形の現代性を持っている。特にタイトルトラックである「コヨーテ、海へ」という7分にも及ぶロックバラッドは、一定の評価を得た。

この「コヨーテ」というコンセプトはアルバムだけに留まらず、それまでのスポークン・ワード作品をすべて集めたボックスセット『BEATITUDE』、佐野元春の言葉と音楽について纏めた書籍「ビートニクス - コヨーテ、荒れ地を往く」でも共通のコンセプトとなっている。

デビュー30周年に向けた動き

新作アルバムを発表した直後には必ずアルバムプロモーションのツアーを行っていたが、『COYOTE』リリース後に同作品を主体にしたツアーは行われず、2008年1月から3月までThe Hobo King Bandと共に全国22カ所を回るツアー「Sweet Soul Blue Beat」が行われた。最近では演奏されなくなっていた80年代のレア曲やライブ定番曲、そしてThe Hobo King Band結成以降の楽曲から構成され、いずれの公演も3時間にも及ぶステージが展開された。

一方、母校である立教大学文学部客員講師として、詩作などに関する講義「文学講義412〜詩創作論2〜」を受け持つ。この活動は現在も形を変えて続けられており、70年代から活躍する国内のソングライターを招いて、それぞれの創作の核心に迫るというオープン講座が定期的に開催されている。

2009年3月31日には、佐野元春の主たる活動のひとつであるラジオDJがNHK-FMで復活。かつての「サウンドストリート」時代のサブタイトルであった「元春レイディオ・ショー」と銘打たれた音楽番組は、「サウンドストリート」時代から数えて実に22年ぶりとなる。2009年7月から9月,2010年7月から9月にかけては、NHK Eテレにおいて、毎回ソングライターたちをゲストに招いて、主に「歌詞」についてトークしていくテレビ番組『佐野元春のザ・ソングライターズ』を企画・出演。

デビュー30周年アニバーサリー活動

2010年の3月に東京と大阪のライブハウスで、「アンジェリーナの日」と題されたライブイベントが開催。これをきっかけにしてデビュー30周年の数々のアクションが提示されることになる。同年8月には初のスポークンワーズツアー「in motion 2010 僕が旅に出る理由」を全国5ヶ所で開催。また、「佐野元春のザ・ソングライターズ 2nd Season」がNHK Eテレにて放送される。続く9月にはベストアルバム「ベリー・ベスト・オブ・佐野元春 「ソウルボーイへの伝言」」をリリース、翌10月からは、全国クラブハウスツアー「ソウルボーイへの伝言」を全国21ヶ所で開催する。「ソウルボーイへの伝言」の初日の前の日にはWOWOW主催のスペシャルライブ「佐野元春30周年アニバーサリープレミアムライブ」も開催された。2011年1月3日には佐野のアルバム「コヨーテ」をBGMにした堤幸彦監督のロードムービー「コヨーテ、海へ」がWOWOWにて放送、同日には佐野の特番と、ビートを探求する番組も同時に放送された。1月からは大都市をめぐる「ALL FLOWERS IN TIME」ツアーが全国6ヶ所で開催、その合間にセルフカバーアルバム「月と専制君主」がリリースされる。3月に入り、ツアー・ファイナルを大阪で開催、大阪城ホールには佐野にゆかりのあるゲストが多数出演し、イベントを盛り上げた。大阪の後には東京ファイナルも控えていたが、東日本大震災の影響により公演が延期、一時は開催中止も視野に入れていたが、6月に振替公演が決定し、東京国際フォーラムでの2Days公演にて30周年アニバーサリーイベントを締めくくった。

揺るがぬ歩み、アフター30周年の活動

デビュー30周年アニバーサリーツアーの最終公演から半年後の2012年12月にホットスタッフ・プロモーションのイベント「L'ULTIMO BACIO Anno 11」(ルルティモバーチョ アンノ11)にCOYOTE BANDとしてライブを行い、珍しい曲を中心にライブを敢行する。同バンドには新たにギタリスト藤田顕が加わり、深沼とのツインギター体制になる。このバンドで「COUNTDOWN JAPAN」にも出演。2012年になってから更にこのメンバーで新曲のレコーディングを開始する。2012年3月から5月にかけてはビルボードライブ東京と大阪で、The Hobo King Bandによるライブを開催。新曲「トーキョー・シック」を含む20曲程度をチェロを交えたオルタナティブな演奏でファンを驚かせる。同6月から7月にかけては、COYOTE BANDとともにクラブハウスツアー「Early Summer Tour」を開催。新曲2曲を含む珍しい曲のオンパレードでファンを喜ばせる。特にライブ初演奏となる「警告どおり 計画どおり」はファンから意外性を持って迎えられた。

人物

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 英語交じりで翻訳調の、ボソボソとした口調で淡々と平板な、それでいてリズミカルな語り口が特徴。インタビューなどで「そうだね」と答えるのが口癖。
  • デビュー以前の話をすると年齢が数年ずれるのが特徴であり、ソングライターズの最終回で未来の詩人への感動的な訴えかけを行った際にもずれていた。近年は自虐的に「年齢は忘れた」と言うことも多い。
  • 晩年の諏訪優と交流を持ち、アレン・ギンズバーググレゴリー・コルソーゲイリー・スナイダーにインタビューを行うなど、ビートニクスへの造詣が深い。2007年の著書『ビートニクス』は、ビート派の作家・詩人たちについての本であり、ジャック・ケルアックが旅した地を再訪した文章や前述したインタビュー等が収録されている。
  • 株式会社ロッキング・オン社長の渋谷陽一は、ROCKIN'ON JAPANを刊行する際「第一号の表紙は絶対に佐野元春しかいないと思っていた」と語っている。一方で渋谷は、デビュー前の佐野に評論家の見地から苦言を呈してもいる[14]
  • 『Sweet16』は、日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。しかし、本人がこのことを知ったのは、受賞から2年後。マネジメント事務所の隅にひっそりと置いてあったトロフィーを見てはじめてその事実に気づいた。
  • エピックレコードの全盛期、同レーベルの大ボスとして、同所属歌手(渡辺美里大江千里など)から敬意を表されている。渡辺美里は自身のインタビューが編集者によって編集されて、自身の発言とまったく違った言葉が雑誌に載っていたことを悲しみ、佐野にその事を告げると、「あっ、そういう事がこれからあったら僕に言って」と渡辺に話した。
  • 「霧の中のダライラマ」の曲名が示すとおり「チベット自由と人権の集い」に賛同者として名を連ねており、中国によるチベット侵略に抗議しチベット民族に対する人権侵害に反対しているという。
  • 基本的にテレビに出演することは少ないが、そこでのトークは印象的で「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」に出演した時は松本人志に(トークについていけないので)「佐野さんホンマ勘弁してくださいよ」と泣きを入れられた。また、海岸を散策していた時に佐野を遠くから見つめる野生動物に向かって「こっちへ来いよ」と呼びかけたことをダウンタウンに激しく突っ込まれ、年末の特番では「動物愛護賞」を授与されていた。
  • 水泳が趣味で14歳から泳ぎ続けている。週に1、2回泳ぐのを習慣にし、ツアー先でも欠かさない。今でも週に1~2回ジムで泳ぐのが習慣で1度に1000m泳ぐこともある。[15]

主な使用楽器

ギター

デビュー当時から使っている1973年製のストラトキャスター。カスタムカラーのレッドが印象的でバックはバックルの傷がある。
30周年ツアーのファイナルでも常時使用していた定番モデル。
1960年製のジャズマスター。ドット・ネックのオールド・モデル。初期のロックンロール・ナイト・ツアー、ビジターズ・ツアーで使用していたが、一時期お目にかかることがなくなり、HKBのライブで復活している。
全世界で36本だけ限定生産されたアニバーサリー・モデル。ハイランダーのピエゾ・マイクが内蔵されている。
1972年製。「The Milk Jam Tour」や「星の下路の上ツアー」でも使用。
ヴィジターズのライブ・ビデオのなかでも使用しているギター。ギブソン社のジャズ・ギターの代表機種のひとつ。
通称フローレンタイン カッタウェイ(シャープド・カッタウェイ)と呼ばれているもので1960年1968年でしか製造されていない貴重なもの。
「The Burn」ツアーでも使用
  • Gretsch Duo Jet
忌野清志郎を追悼するトリビュートコンサート「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー日本武道館LOVE&Peace」に初出演した際に使っていたギターで、THE COYOTE BANDでも使用。

代表曲解説

「アンジェリーナ」

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「悲しきRADIO」

セカンドアルバム『Heart Beat』収録。チャック・ベリーバディ・ホリーなどが歌詞に登場する。初期よりライブの定番曲であり、コール&レスポンスなどを挟んで10分以上のパフォーマンスになることも珍しくない。この模様は「Truth'80〜84」他、多くのライブアルバムやビデオに収録されている。

「SOMEDAY」

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「Young Bloods」

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「約束の橋」

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「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」

1989年発表のシングル。同年に先行して発表されたアルバムの表題曲であり、結果として佐野元春が発表したアルバムとしては初めて日本語を含む表題を用いることとなった。同タイトルのライブツアー以降も幾度もライブで演奏されており、The Hobo King Band結成以降は編曲を大幅に見直した新たなバージョンが披露されている。オリジナルとなるシングル・バージョンは、強烈なドラムと派手なホーンが織り成すイントロと、抽象的な言葉をラップに類似した歌唱でビートに乗せる中間部分が強い印象を与えるポップチューン。なお、シングル盤[16]の歌詞カードで「奇妙なゼスチャー」、2008年発表の限定編集版[17]の歌詞カードで「奇妙なジェスチャー」となっている部分が、佐野元春公式サイトが公開している歌詞[18]では「奇妙なフェスタ」となっており、公的と言えるそれぞれの文書で明らかな違いが生じる状態となっている。

「ジャスミンガール」

1990年発表のシングル。このタイトルについて佐野は「当時著名なアーティストの中で『〜ガール』という曲に素敵な曲がいっぱいあったんだ。山下達郎さんの『高気圧ガール』のようにね。だから僕も、『 - ガール』という曲を作りたいと思ってね。でも、最初『ジャスミンガール』を作った時の仮タイトルは、『クレソンガール』というタイトルだったんだよ(笑)」と述懐している。

発表作品

シングル

 # テンプレート:Small テンプレート:Small
テンプレート:Small アンジェリーナ 1980年3月21日
テンプレート:Small ガラスのジェネレーション 1980年10月21日
テンプレート:Small Night Life 1981年2月25日
テンプレート:Small SOMEDAY 1981年6月25日
テンプレート:Small ダウンタウン・ボーイ 1981年10月21日
テンプレート:Small 彼女はデリケート 1982年3月21日
テンプレート:Small Sugar time 1982年5月21日
テンプレート:Small Happy Man 1982年8月25日
テンプレート:Small スターダスト・キッズ 1982年11月21日
テンプレート:Small グッドバイからはじめよう 1983年3月5日
テンプレート:Small TONIGHT 1984年4月21日
テンプレート:Small TONIGHT (Special Extended Club Mix) 1984年4月21日
テンプレート:Small COMPLICATION SHAKEDOWN 1984年6月21日
テンプレート:Small COMPLICATION SHAKEDOWN (Special Extended Club Mix) 1984年6月21日
テンプレート:Small VISITORS 1984年9月21日
テンプレート:Small NEW AGE 1984年11月21日
テンプレート:Small Young Bloods 1985年2月1日
テンプレート:Small Young Bloods (Special Dance Mix) 1985年3月21日
テンプレート:Small リアルな現実 本気の現実 1985年6月21日
テンプレート:Small Christmas Time In Blue -聖なる夜に口笛吹いて- 1985年11月21日
テンプレート:Small STRANGE DAYS -奇妙な日々- 1986年5月21日
テンプレート:Small SEASON IN THE SUN -夏草の誘い- 1986年7月21日
テンプレート:Small WILD HEARTS -冒険者たち- 1986年9月21日
テンプレート:Small 99 BLUES 1987年6月3日
テンプレート:Small インディビジュアリスト 1987年11月21日
テンプレート:Small ガラスのジェネレーション (LIVE) 1988年2月26日
テンプレート:Small 警告どおり計画どおり 1988年8月18日
テンプレート:Small 約束の橋 1989年4月21日
テンプレート:Small ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 1989年8月21日
テンプレート:Small シティチャイルド 1989年10月8日
テンプレート:Small 雪-あぁ世界は美しい 1989年12月9日
テンプレート:Small Home Planet-地球こそ私の家[19] 1990年8月22日
テンプレート:Small ジャスミンガール 1990年10月21日
テンプレート:Small ぼくは大人になった 1991年4月10日
テンプレート:Small また明日… 1992年1月22日
テンプレート:Small 誰かが君のドアを叩いている 1992年4月8日
テンプレート:Small 約束の橋 1992年10月28日
テンプレート:Small 彼女の隣人/レインボー・イン・マイ・ソウル 1992年10月28日
テンプレート:Small 十代の潜水生活/経験の唄 1995年11月1日
テンプレート:Small 楽しい時 -Fun Time 1996年1月21日
テンプレート:Small ヤァ! ソウルボーイ 1996年5月22日
テンプレート:Small ヤング・フォーエバー -Young Forever- 1997年11月1日
テンプレート:Small ドクター 1998年4月22日
テンプレート:Small 僕は愚かな人類の子供だった 1999年3月1日
テンプレート:Small だいじょうぶ、と彼女は言った 1999年7月23日
テンプレート:Small INNOCENT 1999年12月20日
テンプレート:Small Tonight (Live)[20] 2003年2月10日
テンプレート:Small 君の魂 大事な魂 2003年12月17日
テンプレート:Small 月夜を往け 2004年5月19日
テンプレート:Small 星の下 路の上[21] 2005年12月17日
テンプレート:Small トーキョー・シック[22] 2014年2月12日

配信限定シングル

 # テンプレート:Small テンプレート:Small
テンプレート:Small 光 -The Light 2005年8月17日
テンプレート:Small 星の下 路の上 2005年11月16日
テンプレート:Small 世界は誰の為に[23] 2007年4月18日
テンプレート:Small 君が気高い孤独なら 2007年5月30日
テンプレート:Small 月と専制君主 -Boys & Girls version- 2011年1月12日
テンプレート:Small トーキョー・シック[24] 2012年5月9日
テンプレート:Small La Vita é Bella (ラ・ヴィータ・エ・ベラ) 2012年8月29日
テンプレート:Small 世界は慈悲を待っている[25] 2013年1月30日
テンプレート:Small みんなの願いかなう日まで 2013年12月4日

オリジナル・アルバム

 # テンプレート:Small テンプレート:Small
テンプレート:Small BACK TO THE STREET 1980年4月21日
テンプレート:Small Heart Beat 1981年2月25日
テンプレート:Small SOMEDAY 1982年5月21日
テンプレート:Small VISITORS 1984年5月21日
テンプレート:Small Café Bohemia 1986年12月1日
テンプレート:Small ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 1989年6月1日
テンプレート:Small Time Out! 1990年11月9日
テンプレート:Small Sweet16 1992年7月22日
テンプレート:Small The Circle 1993年11月10日
テンプレート:Small FRUITS 1996年7月1日
テンプレート:Small THE BARN 1997年12月1日
テンプレート:Small Stones and Eggs 1999年8月25日
テンプレート:Small THE SUN 2004年7月21日
テンプレート:Small COYOTE 2007年6月13日
テンプレート:Small ZOOEY 2013年3月13日

コンピレーション盤・企画盤

 # テンプレート:Small テンプレート:Small
テンプレート:Small No Damage (14のありふれたチャイム達) 1983年4月21日
テンプレート:Small HEARTLAND 1988年4月21日
テンプレート:Small mf Various Artists Vol.1 1989年8月21日
テンプレート:Small Moto Singles 1980-1989 1990年5月12日
テンプレート:Small Slow Songs 1991年8月28日
テンプレート:Small No Damage II (GREATEST HITS 84-92) 1992年12月9日
テンプレート:Small THE GOLDEN RING Motoharu Sano with the Heartland Live 1983-1994 1994年11月1日
テンプレート:Small The 20th Anniversary Edition 1980-1999 his words and music 2000年1月21日
テンプレート:Small GRASS〜The 20th Anniversary Edition's 2nd〜 2000年11月22日
テンプレート:Small In motion 2001 - 植民地の夜は更けて 2001年12月
テンプレート:Small SOMEDAY Collector's Edition 2002年5月22日
テンプレート:Small THE LEGEND - Early days of Motoharu Sano 2003年1月1日
テンプレート:Small VISITORS 20th Anniversary Edition 2004年2月25日
テンプレート:Small in motion 2003 - 増幅 2004年5月28日
テンプレート:Small THE SUN STUDIO EDITION 2005年8月17日
テンプレート:Small THE SUN LIVE AT NHK HALL 2005年8月31日
テンプレート:Small THE SINGLES EPIC YEARS 1980-2004 2006年7月12日
テンプレート:Small The Essential Café Bohemia 2006年12月6日
テンプレート:Small ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 限定編集版 2008年6月4日
テンプレート:Small ベリー・ベスト・オブ・佐野元春「ソウルボーイへの伝言」 2010年9月29日
テンプレート:Small 月と専制君主 2011年1月26日
テンプレート:Small NO DAMAGE:DELUXE EDITION 2013年12月25日[26]

トリビュート・アルバム

 # テンプレート:Small テンプレート:Small
テンプレート:Small BORDER - A Tribute to Motoharu Sano - 1996年8月31日

映像(ビデオ・LD・DVD)

テンプレート:Small テンプレート:Small
Truth '80〜'84 VHSLDDVD
Visitors Tour '84〜'85 VHS・LD・DVD
Cafe Bohemia Live! 1986-1987 VHS・LD・DVD
THE OUT TAKES VHS・LD
MOTO CLIP VOL.1 VHS・LD・DVD
NAPOLEONFISH TOUR '89 自由への新しい航海 VHS・LD・DVD
LIVE TIME OUT! '90 VHS・LD・DVD
1992 See Far Miles Tour part I VHS・LD・DVD
1992-1993 See Far Miles Tour part II VHS・LD・DVD
Visual Expression of THE CIRCLE VHS・LD
They called the band "THE HEARTLAND" VHS・LD・DVD
FRUITS VHS・LD・DVD
THE INTERNATIONAL HOBO KING BAND FEATURING MOTOHARU SANO IN FRUITS TOUR '96 VHS・DVD
THE BARN TOUR '98-LIVE IN OSAKA VHS・DVD
THE 20th Anniversary Tour VHS・DVD
MOTOHARU SANO LIVE ANTHOLOGY 1980-2000 VHS・DVD
In Motion 2001-植民地の夜は更けて VHS・DVD
PLUG & PLAY '02 DVD
THE SUN LIVE and RECORDINGS DVD
THE VIDEOS EPIC YEARS 1980-2004 DVD
TOUR2006「星の下 路の上」 DVD
「COYOTE」 2009.07.26 LIVE at ZEPP TOKYO DVD
「ALL FLOWERS IN TIME」2011.6.19 東京国際フォーラム DVD・Blu-ray
「ALL FLOWERS IN TIME」30TH.ANNIVERSARY LIMITED EDITION DVD
LIVE ANTHOLOGY 1980-2010 DVD・Blu-ray

ラジオ番組

  • サウンドストリート「元春 Radio Show」(NHK-FM 毎週月曜PM10:00〜 1980年 - 1986年)
  • Heartland Hour(FM横浜 毎週日曜日AM10:00-11:00 1985年 - 1987年)
  • AJI FMスーパーミクスチャー(TOKYO FM 毎週日曜日PM3:00-3:55 1987年 - 1989年)
  • Asahi Beer Tasty Music Time(TOKYO FM 月曜〜金曜PM11:00-11:20 1990年 - 1991年)
  • Toyota Radio Fish(TOKYO FM 毎週土曜日PM8:00-8:55 2002年10月-2005年3月)
  • 元春レイディオ・ショーNHK-FM 毎週火曜PM11:00〜AM0:00 2009年3月31日 - )

TV番組

音楽番組
  • ファイティング80's(1980年、TVK
  • ライヴエイド(1985年、フジテレビ
  • 佐野元春ロックンロール・ポエトリー(1993年、NHK教育
  • MusiG(2006年-2007年、よみうりテレビ製作・日本テレビ系)
  • 佐野元春のザ・ソングライターズ シリーズ(2009年 - 2012年、NHK Eテレ)
    • 佐野元春のザ・ソングライターズ1(2009年7月 - 9月)
    • 佐野元春のザ・ソングライターズ2(2010年6月 - 9月)
    • 佐野元春のザ・ソングライターズ3(2011年4月 - 7月)
    • 佐野元春のザ・ソングライターズ4(2012年10月 - 12月)
  • 佐野元春のBack to the Roots〜ビートの原点を探す旅20,000キロ(2013年12月28日、BSジャパン) - ナビゲーター
  • 佐野元春×浦沢直樹 ~僕らの“ボブ・ディラン”を探して~(NHK Eテレ、2014年5月24日) ディランゆかりの地を浦沢直樹と訪れた。
トーク番組
  • 2000年のイノセント(2000年、テレビ朝日) - 野茂英雄、吉井理人と対談
  • SWITCHインタビュー 達人達(NHK Eテレ、2014年4月5日) - 浦沢直樹と対談
バラエティ
ドラマ

CM出演

楽曲提供

共作・コラボレーション

参加作品

エンディングの「All Together Now NO.9」のセリフで参加。
「I wanna be with you tonight, baby」のセリフで参加。また「佐野元春」という固有名詞が歌詞に登場する。
コーラスで参加。
  • Mellowhead
    • 「エンプティ・ハンズ」
    • 「Better days」
ボーカルとして参加。
イントロ部分のボーカルとして参加。
プロデュースと共にコーラス、アコースティック・ギターで参加。また、歌詞カードの「インスピレーションを有難う」という欄に、ボブ・ディランアル・クーパーと共にクレジットされている。元THE HEARTLANDの小野田清文西本明も参加。

著書・関連書籍

  • ハートランドからの手紙 スイッチ・コーポレイション書籍出版部, 1990.11 /角川書店(文庫版)
  • Diary-studio days making of“Fruits" レコーディング日誌 PARCO出版, 1996.9
  • ビートニクス コヨーテ、荒地を往く 幻冬舎, 2007.9

雑誌編集

  • THIS: 佐野元春による責任編集マガジン。発行時期や発行元、編集コンセプトの違いにより、3期に分かれる。
    • 第一期 1983.4〜1984.2 全4冊 CBSソニー出版
    • 第二期 1986.4〜1987.1 全4冊 扶桑社
    • 第三期 1994.9〜1997.5 全12冊 扶桑社

関連書籍

  • 路上のイノセンス 下村誠 JICC出版局, 1986.8 文庫版 シンコーミュージック1993.6
  • Scratch 伊島薫写真 CBSソニー出版, 1983.10
  • AS 10 YEARS GO BY 渋谷陽一編 ※インタビュー集 ROCKIN'ON JAPAN, 1990.12
  • 月刊カドカワ 5月号 「総力特集・佐野元春新しい夜明け」角川書店, 1991.
  • TheCircle of Innocence 佐野元春をめぐるいくつかの輪のなかで ぴあ, 1999.3
  • 時代をノックする音 佐野元春が疾走した社会 山下柚実毎日新聞社, 1999.3
  • 佐野元春語録 1980-1999 城山隆メディアファクトリー, 1999.9
  • 地球音楽ライブラリー佐野元春 吉原聖洋編  ※EPIC時代までのデータを網羅した解説本 TOKYOFM出版, 2004.8
  • ロック画報 20「特集・Individualist 佐野元春」ブルース・インターアクションズ, 2005.6
  • Mostly Motoharu we will be with you ロックンロールとセンチメンタリズムの間に 25th anniversary/from 1980 岩本晃市郎企画編集 ストレンジ・デイズ, 2006.12
  • 別冊カドカワ 総力特集 佐野元春 30th Anniversary スピリチュアル・メッセージ「音楽というカルチャーを求めて」角川書店, 2010.12

主な佐野ファンの有名人

  • 稲森いずみ - デビュー以来のファンで、1999年のクリスマスイブに放送された特別番組で、佐野と共演。今は無い世界貿易センタービルで対面を果たした。佐野は「テレビで見るよりもずっとお綺麗で、素敵な方でした」と振り返っている。
  • 江口寿史 -「ストップ!! ひばりくん!」に「佐野君」という、当時の佐野に酷似したキャラクターが数度登場。作中に「Happy Man」など楽曲が用いられてもいた。
  • 村上龍 -「SOMEDAY」をモチーフにした「サムデイ」という作品を書いている(「トパーズ」収録)。自らホスト役を務めたトーク番組「Ryu's Bar 気ままにいい夜」にも佐野元春をゲストとして招き、対談した。
  • 小川洋子 - タイトルを佐野作品から採った長編「シュガータイム」、佐野の楽曲を下敷きにした連作短編集「アンジェリーナ」を出版している。
  • 山本容子 - アルバム「Slow Songs」のライナーノーツに作品が用いられた。
  • 野茂英雄 - 渡米後、入場テーマソングに「WILD HEARTS -冒険者たち-」を用いていた。吉井理人と3人で、正月番組で対談を行ったこともある。住友生命のCM出演時には野茂自身のリクエストもあり、佐野の「経験の唄」がCMソングとして起用された。
  • 松本人志 - ダウンタウンがブレイクする切っ掛けとなった関西ローカルのテレビ番組「4時ですよーだ」で「Young Bloods」を歌唱。また、自身のラジオ番組で「(日本の音楽界への貢献を)もっと評価されていい人」と発言。ちなみに、コンビ創成期(「ダウンタウン」に改名以降)の舞台での出囃子には「ダウンタウンボーイ」が用いられていた。「ダウンタウンのごっつええ感じ」では「アンジェリーナ」をカラオケで歌ったことがある。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の「クイズ500のこと」の第8回目のゲストに佐野が招待され、優勝者の田中直樹にBARNツアーで使用したギターをプレゼントし、一同は驚愕した。
  • 沢田研二 - 初期から佐野に注目しており、自ら曲の提供を依頼。「Vanity Factory」を提供されると共に、本人も佐野のアルバムに参加。
  • 爆笑問題 - 大学時代の2人の共通の話題は、ビートたけしサザンオールスターズ、そして佐野元春だった。佐野は、彼らのラジオ番組「爆笑問題カーボーイ」にゲストで2回、さらに「爆笑問題の日曜サンデー」にも出演している。「僕らの音楽」でも対談を行った。
  • 尾崎豊 - 佐野のレコーディングスタジオに遊びに行ったり、88年5月1日にNHKホールで行われた佐野のライブを観覧。ライブ後の楽屋を訪れ、花束とアンティークのラジオをプレゼントした。そして、尾崎の日比谷野外音楽堂でのライブで、尾崎は「学校在学中は佐野元春や浜田省吾」を聴いて育ったんだ」と語っていた。
  • 吉川晃司 - 佐野のファンであり、デビュー当時偶然佐野に会った際、佐野にサインをもらおうと色紙を差し出したが、「僕はそうゆうのじゃないから」と断られたことがある。
  • 石橋貴明 - 日本テレビとんねるずの生でダラダラいかせて!!」の企画でバイクに乗った際、ごく自然に佐野の曲を歌った。この事が元で誕生したのが「FREEDOM」(ANDY'S名義、後に元春自身もセルフカバー)である。
  • 堂島孝平 - 2005年に、中野サンプラザで行われたライブに佐野をゲストとして迎え、全国ツアーでも競演した。
  • 小森まなみ - 自身のラジオで影響を受けた事を公言している他、愛犬に佐野の楽曲から「ハートビート」と名付ける。
  • 岡村隆史 -「ぐるナイ」の持ち歌企画で、自らの当時カラオケで歌っていた曲として「SOMEDAY」を披露。後にコンビで出演し、現在放送中の「オールナイトニッポン」にも岡村自身のリクエストとして、その曲を複数放送回流していたことがある。
  • 桑田佳祐 -「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」にて共演した他、自身のラジオ番組で尊敬の念を述べている。佐野も桑田の曲が好きだと語っており、相思相愛である。

脚注・出典

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • J-WAVESAPPORO BEER OTOAJITO」2011年1月15日放送分で本人発言。
  • 月刊カドカワ 1991年5月 総力特集:佐野元春
  • 相倉久人『日本ロック学入門』内ロングインタビュー
  • 4.00 4.01 4.02 4.03 4.04 4.05 4.06 4.07 4.08 4.09 4.10 4.11 4.12 下村誠『路上のイノセンス』
  • 月刊カドカワ 1991年5月 矢野顕子からの質問に答えて
  • moment 佐藤奈々子インタビュー
  • 文藝別冊『大瀧詠一』
  • CUT1994年2月増刊号、bridge、72ページ
  • ヤングジャパンから派生した事務所の元締めとしてのヤングジャパングループは現存する。
  • 別冊カドカワ 総力特集佐野元春(2011年)
  • 『シンプジャーナル・ベストセレクション'80s』自由国民社、2003年、p81-82
  • 数年後に米米CLUBが「FUNK FUJIYAMA」でパロディ化するものの封印は解かれなかった。
  • Holland Roseの由来は、佐野がDJを務めていたラジオ番組に小学生リスナーがホール&オーツ「ホーランド・ローズ」と書き間違えたことがきっかけ。
  • 『ロックは語れない』新潮文庫
  • INLIFE 男の履歴書/佐野元春
  • ナポレオンフィッシュと泳ぐ日(シングル、1989年8月21日発売、Epic、12.8H-3134)
  • ナポレオンフィッシュと泳ぐ日・限定編集版(アルバム、2008年6月4日発売、Sony Music Direct、MHCL 1325-6)
  • 佐野元春:オフィシャル・ファンサイト - Moto's Web Server >言葉・音楽 >ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 >歌詞(2008年9月20日閲覧)
  • 渡辺美里とのデュエット
  • オンライン販売のみでの発売。
  • オリコンではアルバム扱い。
  • 雪村いづみとのデュエット
  • 「佐野元春MusicUnited.」名義。
  • 「佐野元春 & 雪村いづみ」名義。
  • iTunes Store版アルバム『ZOOEY』からの先行配信につき、カタログコードのIDが『ZOOEY』と同じとなっているため、リンク先は『ZOOEY』である。
  • 当初は、2013年11月27日発売予定だったが、制作の遅れにより発売日が変更された。
  • 27.0 27.1 27.2 27.3 作曲のみ担当。Holland Rose名義
  • 作曲のみ担当。
  • 作詞のみ担当。Holland Rose名義 アルバム『Fight!』に収録
  • 30.0 30.1 30.2 30.3 30.4 30.5 作詞・作曲。後にセルフカバー
  • 31.0 31.1 31.2 31.3 31.4 31.5 31.6 31.7 31.8 31.9 作詞・作曲を担当。
  • 作詞・作曲・プロデュースを担当。MOTO名義
  • 作詞・作曲を担当。後に「シーズンズ」とタイトルを変えてセルフカバー
  • 作詞のみ担当。