ポップジャム

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:基礎情報 テレビ番組ポップジャム』(POP JAM)は、NHK1993年4月4日から2007年3月16日まで、14年間にわたって放送された若者向けの音楽番組である[出典 1][出典 2]

総合テレビおよび、海外向け放送のNHKワールド・プレミアムで放送(ステレオ・字幕放送)。また地上デジタル放送ではハイビジョンで放送。通称PJ

番組タイトルの「ポップジャム」は、さまざまな音楽をジャムする(混ぜる)の意味を表している[出典 3]

概要

1993年4月4日に『ポップジャム'93(→'94)』として放送開始。東京渋谷NHKホールからの公開録画で、J-POPアーティストが数組出演し、ライブパフォーマンスを展開。番組のラストには司会者、ゲスト、ファンらが一体となって「せーの、ポップ、ジャムッ!!」の掛け声で締めるのも恒例だった。

1993年の開始当初は月1 - 2回ペース、夕方の1時間番組だった。1995年4月7日よりレギュラー番組に昇格し、放送時間も夕方から金曜深夜へ移動し、これまでの1時間から35分に短縮。また、この年よりタイトルから年号が取れ、番組名を『ポップジャム』に統一。1996年より放送時間を土曜夜11時台へ移動、1997年より時間枠を35分から40分に拡大。土曜日時代、6回に渡って放送時間を変更し、2004年4月2日より金曜深夜枠に再び移動[1]した。

『ポップジャム』としてのレギュラー放送を2006年3月10日で終了し、2006年5月から毎週月曜日22:00 - 22:30のレギュラーの単発特別番組枠である『プレミアム10』の企画の1つとして、番組名を『POP JAM DX』(ポップジャム・デラックス-POP JAM DELUXE)に変更、放送も年間8回予定の不定期放送となり、11年ぶりの単発番組化で再出発、5月1日より毎月第1月曜日に放送。しかしながら、第3回放送(7月3日)を最後に単発番組を中止。夏季集中編成明けの9月15日深夜[2]に新生『POP JAM』(ポップジャム)として、金曜日24:30 - 25:00[3]の週1回のレギュラー放送に復帰したが、2007年3月16日を最後に完全終了となった。

なお、14年間で12回も放送時間が変更され、また述べ14組16人[4]もの司会者が担当した。

2007年4月6日より、本番組の内容をほぼ引き継ぐ形で、『MUSIC JAPAN』(通称MJ)がスタートした。

2008年4月から2009年まで、CS放送第一興商スターカラオケにて、過去のポップジャムの放送分から厳選して再放送されていた。

ハイビジョン放送について
基本的にはNHK総合テレビでの放送だが、全てハイビジョン制作となっている。また、第1期レギュラーシリーズまではNHKハイビジョンでも放送されていた。アナログハイビジョンの実用化試験放送時代にも総合テレビの放送に先駆けて収録当日に生放送をしていたこともあったが、BSデジタル放送の開始後は総合テレビより数日遅れで放送していた。2006年3月を以ってハイビジョンでの放送を終了した。
ポッドキャスティングによる展開
2006年度には、番組ホームページにてポッドキャスティングを展開していた[5]

放送時間

基本編成。

ポップジャム'93(第1シーズン)、ポップジャム'94(第2シーズン)
  • 1993年4月 - 1995年3月:土曜17:00 - 18:00(月1 - 2回)[6]
ポップジャム(POP JAM)(第3 - 8シーズン)
  • 1995年4月 - 1996年3月:毎週金曜23:30 - 24:05
  • 1996年4月 - 1997年3月:毎週土曜23:35 - 24:10
  • 1997年4月 - 1998年3月:毎週土曜23:25 - 24:05
  • 1998年4月 - 2000年3月:毎週土曜23:00 - 23:40
  • 2000年4月 - 2002年3月:毎週土曜22:20 - 23:00
  • 2002年4月 - 2003年3月:毎週土曜23:10 - 23:50
  • 2003年4月 - 2004年3月:毎週土曜24:10 - 24:50
  • 2004年4月 - 2005年12月:毎週金曜24:15 - 24:55
  • 2006年1月 - 3月:毎週金曜24:25 - 24:55
POP JAM DX(第9シーズン)
POP JAM(第10シーズン)
  • 2006年9月 - 2007年3月:毎週金曜24:30 - 25:00[7]
特別編成、緊急ニュースなどによる対応
NHKの特集番組編成(夏季集中特番編成、年末年始特別編成など)や緊急ニュースなどの場合、放送時間が変更または休止になることもあった。以下、主な例。

収録

基本的にはNHKホールからの公開収録となっており、1993年の放送開始当初から第1期レギュラーシリーズ時代は全編にわたってホール公開収録(原則2本撮り)方式をとっていた。

#第8シーズン(2005年度)の公開収録からゲストの歌(演奏)部分中心となり、トーク部分はNHKのスタジオで別に収録していた[8]

なお、1999年ごろから2004年までは年に数回のペースで地方各地[9]での公開収録も行われた。2006年10月2日にはNHK大阪ホール5周年記念として『ミュージック・エクスプレス』(BS2で放送)との併禄による収録が行われた。

また、通常のレギュラー版以外にも、2003年より2005年まで3年間、毎年2月に地方での公開生放送も行ってきた[10]

2006年度(第9・10シーズン)は、NHKホールで行う公開収録もこれまで行われてきた2本録りが廃止され、放送3回分ならびに『ミュージック・エクスプレス』併録となり、出演アーティストの一部もスタジオ収録となった[11]。また、これまでのNHKホール収録を極力減らし、NHK・CT-101スタジオなどでの収録も増やしていた。

司会者など

歴代司会者

司会者
ナビゲーター
2006年度の収録時の司会は『ミュージック・エクスプレス』との併録のため、河辺千恵子と高山哲哉アナだった。

ナレーション

PJG(ポップ・ジャム・ガールズ)

単発番組時代の1993年 - 1994年に、番組のマスコットガール兼バックダンサーとして出演し、番組を盛り上げていた。ブレイク前の安室奈美恵や現MAXのメンバーも参加していた。

なお、メンバーは次の通り。 テンプレート:Div col

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各シーズン概要

単発番組時代

第1 - 2シーズン。

ポップジャム'93(第1シーズン)

初代司会者・本木雅弘時代。

第1回放送は1993年4月7日17:00 - 18:00。当時は月1 - 2回ペースの単発での放送だった。

オープニングムービーは青色のモノクロ映像で、本木の顔のアップが徐々に大きくなって行き、頬の部分に『ポップジャム'93』のロゴが表示される仕組みだった。当時は全体的に暗めの階段を模したセットだった。オープニングでは雷の演出の中でPJG(ポップ・ジャム・ガールズ)のダンスによって開幕。

ポップジャム'94(第2シーズン)

森口博子時代。

第2シーズンから森口が2代目司会者に就任。番組のロゴやオープニングムービー、テーマも一新。スタジオセットがトロピカルムードなものに変わり、明るい仕上がりとなった。第2シーズンのエンディングテーマは、WILD STYLE「とまどいを断ち切って」ほか。

レギュラーシリーズ(第1期)

第3シーズン以降。

第3シーズン

森口博子時代、1995 - 1998年。

第3シーズンより、単発番組から週1回のレギュラー番組に昇格。放送時間は単発時代の60分より35分に短縮され[13]、収録も放送2回分となる。番組タイトルも『ポップジャム』で統一[14]

司会の森口は前年から続投、1998年3月まで4年間務めた。

森口司会末期の1997年4月 - 1998年3月のオープニング・エンディングアニメーション映像はアニメーターの笹原和也が手がけた。

レギュラー初放送となった1995年4月7日の放送でaccessがテレビを通じて活動休止[15]を発表。これには事前に打ち合わせした森口曰く、収録終了後、NHKホールにいたaccessのファンの多くが泣き出すハプニングがあった[16]

第4シーズン

爆笑問題柘植恵水時代、1998 - 2000年。

司会者を単独制から複数制に変更。お笑いコンビ・爆笑問題と柘植恵水アナウンサー[17]を起用。初めてNHKアナウンサーが司会に起用された。2年目の1999年からは全国各地での公開収録が始まり札幌北九州大阪でそれぞれ行われた。

1999年3月20日の放送分は、3日前の3月17日沖縄で起きた安室奈美恵実母殺害事件に配慮して、安室の出演部分をカットして放送[18]

2000年3月の爆笑問題・柘植司会の最終回のゲストに、この年の春にいったん活動休止するSPEEDが登場した。

第5シーズン

堂本光一久保純子[19]時代、2000 - 2002年。

司会がKinKi Kidsテンプレート:独自研究範囲、第5シーズンはジャニーズ事務所所属タレントの出演も多かった。特に2001年度には、堂本がKAT-TUNジャニーズJr.のメンバー、または大物アーティストとジョイント、ミニライブを行う企画も行われた。なお、テンプレート:要出典範囲ライジングプロダクション(現・ヴィジョンファクトリー)所属の男性グループが出演する場合は久保の単独司会となっていた。

この時の公開収録は沖縄(2000年6月24日)、広島(同年7月22日、7月29日)、仙台(同年10月1日)、名古屋(2001年3月3日、3月10日)、松山(同年6月9日、6月16日)。

第5シーズンのオープニング・エンディングテーマは、小西康陽(2001年 OP)。

備考

第6シーズン

優香高市佳明時代、2002 - 2003年。

2002年3月23日、新たに優香と高市佳明アナウンサー[21]を司会に迎え『ポップジャム スペシャルプロローグ』と題した特別番組を放送。globeウルフルズ岡本真夜キンモクセイらが出演した。注目・期待のアーティストを紹介する「ブレイクレーダー」がスタート。優香がアーティストの素顔に迫る「優香のBack Stage Jam」のコーナーが新設される。このシーズンでの地方公開収録はなし。

2003年2月8日、10周年記念特番として『生放送!黄金の10周年!』を大阪城ホールより生放送(19:30 - 21:00)。このときの司会に優香・高市に加え藤井隆が参加。歴代司会者が登場する企画や、PJで披露された曲、セッション企画、初登場シーンを振り返る企画が行われた。2月15日には前週未放送部分を加えた完全版として放送された。

高市アナが別番組へ異動したため、第6シーズンは1年で幕。

オープニングテーマは1年間オリジナルのものを使用。また、エンディングテーマは以下の楽曲が使用された。

  • 2002年4月 - 6月:globe「ひとりごと」
  • 7月 - 9月、10月 - 12月:麻波25「A HAPPY DAY」
  • 2003年1月 - 3月:ポルノグラフィティ「ワールド☆サタデーグラフティ」

第7シーズン

つんく♂・優香・高山哲哉時代、2003 - 2005年。

第6シーズンの司会者のうち優香が続投のほか、新司会者にシャ乱Qのつんく♂と高山哲哉アナウンサー[22]を迎え3人で司会を担当というスタイルとなった。

また、第7シーズンからはブレイクレーダーが「ブレイクレーダーNEO」にバージョンアップした他、新たに地方人材発掘企画として「つんく♂のエンタメ情報局」なる企画も登場した。エンディングで、出演アーティストに毎回質問を出し、フリップに回答を書いてもらうのが慣例となった。

2004年5月より、アーティスト1組に焦点を当てて特集する新スピンオフ企画PJ PURE SIDE(ポップジャム・ピュア・サイド)がスタート。第1回目は175Rを特集(2004年5月14日放送)。以後、東京事変編(2005年6月24日放送)まで2回制作されたのみだった。

第7シーズンの地方での公開収録は4ヶ所で行われた[23]

エンディングテーマ
ED 「ブレイクレーダーNEO」で最高得票を獲得したアーティスト[24]の曲が翌週からEDとして流れる方式となる。得票数が更新されるごとに更新。

第8シーズン

西川貴教・アンジャッシュ・村上由利子時代、2005 - 2006年。

トーク部分が通常のNHKホールでの収録とは別録りになる。たいてい1 - 2組のアーティストがこのトーク部分に出演する。よってNHKホール収録は歌中心となる。

第8シーズンのオープニング・エンディングテーマは、いきものがかり[25]。EDは、 ユンナほうき星」、など。

備考

レギュラーシリーズ(第2期)

安めぐみナビゲーター時代。

POP JAM DX(第9シーズン)

2006年5月 - 7月。

ポップジャム第9シーズンとなるこの『POP JAM DX』は、1995年以来11年ぶりの単発化であった。2006年5月1日(月曜日)より「新生NHK」の一環の新枠『プレミアム10』(月曜22:00 - 23:30)内の企画として、不定期での放送となり、放送時間も最長の90分となった。NHKホールでのライブ収録はBS2で放送中の『サンデーヤングミュージック ミュージック・エクスプレス』(日曜18:00 - 18:50、不定期)と併録となった。基本的にはこれまでと同様NHKホールで収録。また、DXからは一部NHKスタジオでの収録となった。当初の放送予定は年8回のペースを予定していたが、実際には3回のみとなった。従来の番組内容とは一新。ドキュメンタリー色が強くなった。

収録時のホール司会は河辺千恵子高山哲哉アナ[27]が務めていたが、ここでは基本的に司会者を置かず、放送に登場するのはナビゲーターの安めぐみだけであった。出演者は基本的に『ミュージック・エクスプレス』と同じアーティストが一部出演。『POP JAM DX』のみ出演のアーティストも数組というスタンスとなった。

新コーナーとして、東京発の音楽、ムーヴメントを映像で紹介する「東京.NOWテンプレート:Smaller」、渋谷で行われているライブを紹介する「Live in Shibuya」が登場。第10シーズンまで継続された。ナレーションは山寺宏一[28]が引き続き担当のほか、松本まりかが新たに参加。POP JAM DXからオープニングアニメーションを吉浦康裕が担当。テーマ曲にはニュー・オーダーの「リグレット」を使用[29]

今回より新たに番組ホームページにてポッドキャスティングの展開を開始した。

POP JAM DXの出演者

POP JAM(第10シーズン)

2006年9月 - 2007年3月。ナビゲーターの安めぐみは『DX』から続投。

レギュラーシリーズ第2期目は、2006年3月以来半年ぶりのレギュラー復帰となる第10シーズン目である。2006年9月15日より、毎週金曜日深夜(土曜日未明)0:30 - 1:00の枠で放送開始。特番時代のタイトルから『DX』が取れ『POP JAM』(ポップジャム)となった。ただし、前回のレギュラー(40分)から時間が短くなり、1993年の番組開始以来最短の30分になっている[30]。番組史上最短の放送時間は同年12月1日の20分である[31]テンプレート:要出典範囲

NHKホールでの収録は引き続き『ミュージック・エクスプレス』(BS2)との併録ではあるが『POP JAM』は放送3回分の収録となった。

松本まりかが引き続きナレーションを担当[32]のほか、2003年から2年間司会を担当し、『ミュージック・エクスプレス』司会の高山哲哉アナが不定期でナレーションとして参加した。前作『DX』からの流れで、ドキュメンタリー色の強い番組となり、またアーティストの演奏部分についてはNHKホール収録部分を極力減らし、NHKスタジオでの別収録部分が新たに加わる形となった。吉浦康裕によるオープニングアニメーションを引き続き使用。

備考

最終回スペシャル

2007年3月の最終回スペシャルもって、PJは14年の歴史に幕を閉じた。

  • 放送時間:2007年3月16日深夜0:00 - 0:59(再放送:3月26日深夜(27日未明)3:25 - 4:30)
  • 司会:西川貴教、安めぐみ、高山哲哉アナウンサー

PJ最終回は2007年3月5日にNHKホールで収録が行われ、第8シーズンの司会も務めたT.M.Revolution西川貴教)をはじめL'Arc〜en〜CielTRFGLAYゴスペラーズ浜崎あゆみいきものがかりらが出演。最終回のNHKホール司会は安と高山アナが担当。このほか、TRFのDJ KOODJプレイを披露した。

NHKホール以外にも、スタジオで司会者と出演アーティストによるトーク[40]を展開し、PJ出演時のVTRを見たり、当時の思い出等を語った。また、森口博子爆笑問題といった歴代司会者も登場し、番組の思い出を語った。なお、浜崎あゆみは別収録で、インタビュー映像のほか、最新曲『No way to say』をそれぞれ紹介された。

なお、PJ最後の演奏となったT.M.Revolutionのメドレー[41]の後、西川の音頭とともに『ポップ、ジャムッ!!』が唱和され、同時にキャノン砲から発射された紙テープ紙吹雪がホール全体に舞い、盛大な終幕を飾った。

また、番組の最後の10分間は「POP JAM REPRISE(ポップジャム・リプライズ)と題した特別企画があり、PJにゆかりのあるアーティストとして安室奈美恵が登場、本人のトークと2曲[42]がスタジオで披露された。

なお、本編(50分)と「POP JAM REPRISE」の映像切り替えの合間には、4月新番組『MUSIC JAPAN』の告知を兼ね「PJからMJへ」として「PJ」のロゴが「MJ」に変わる映像が放送された。

PJ終了後、現在も『MUSIC JAPAN』などのNHK音楽番組内での出演アーティストのトークの中で過去のPJ映像が登場することがしばしばある。

主なコーナー

ポップジャムでは番組内で数々の企画が展開された。以下はその主な一例。

  • MUSIC WARP(第5シーズン)
    出演アーティストが懐かしのヒット曲を歌うコーナー。
  • POPJAM SUPERSTAGE(第5シーズン)
    堂本光一ジャニーズJr.らとミニライブを行う。
  • PJ NEXT BRAKERPJ BRIGHTEST HOPE
    ブレイクレーダーの祖にあたる新人アーティスト発掘コーナー。
  • ブレイクレーダー(第6シーズン)→ブレイクレーダーNEO(第7 - 8シーズン)
    #ブレイクレーダーを参照。
  • 優香のBack Stage Jam(第6 - 7シーズン)
    優香がアーティストの素顔に迫る。
  • PJ EXPRESS(第6シーズン後期)
  • つんく♂のエンタメ塾・情報局(第7シーズン)
    つんく♂司会時代の2003年、「つんく♂のエンタメ塾」のタイトルで、つんく♂のプロデューサーとしての手腕を生かし、全国各地から才能あふれる若いエンターテイナーを発掘するコーナーとして登場。毎回、視聴者の情報をもとに高山アナが現地へ出向きリポート。また投稿ビデオなども紹介。2004年より「つんく♂のエンタメ情報局」に改題、主に地域限定アイドル“ロコドル”を取り上げるなど、地方での人材発掘も積極的だった。
  • 教えて、○○[43]!3000人に聞きました
    第7シーズンで不定期に行われた企画で、NHKホール来場の3000人からの質問にアーティストが答えるというものだった。
  • PJ LIVE+(第7シーズン、2004年4 - 10月)→PJ LIVE GOLD(第7 - 8シーズン)
  • 東京.NOW(第9・10シーズン)
    PJ末期の企画。東京で生まれている音楽、ヴィジュアルを、アーティストなどのインタビューを交えながら徹底分析して紹介するものだった[44]
  • Live in Shibuya(第9・10シーズン)
    PJ末期の企画。渋谷で行われているライブを紹介するコーナー。このコーナーはテンプレート:いつ範囲の「MUSIC JAPAN」初期まで継続された。

ブレイクレーダー

2002年4月6日ポップジャムブレイクレーダー」として、今後注目されるアーティストが登場し、ブレイクするかどうかをNHKホールの観客に投票してもらうコーナーが登場。2003年4月からは「ブレイクレーダーNEO」とタイトルを変更。その後「ブレイクレーダー」に再変更し、2006年3月3日放送分まで4年間続いた。

このコーナーから、テンプレート:独自研究範囲多くのアーティスト[45]がブレイクを果たした。出場者は実力派から、人気アイドル、お笑い、さらには企画ユニットまで、幅広い分野にわたって領域が広く、女性アイドル[46]が参加。さらにお笑いタレントからも人気者[47]が歌手として参加した。また、mihimaru GTなど、1回目に敗退して後に再挑戦したアーティストも多い。[48]

システムは、2002年度は筆記式で投票箱に入れる方式だったが、2003年4月より「ブレイクレーダーNEO」と改題されたのに伴い、システムも機械式のものに変更。「レーダー君」と呼ばれる赤外線を放射するロボットに、観覧者が赤い団扇[49]で反射させ、ブレイクするかどうかを判定。また「NEO」では高山哲哉アナの「照明さん、暗転!」の掛け声も名物のひとつとなった。

2003年以降、コーナー集計得点1位のアーティストは番組でエンディングテーマとしても流れるほか、4週連続勝ち抜いたアーティストは再度、番組出演できるという権利が与えられる方式となった[50]。2004年度までブレイクレーダーには毎回2組のアーティストが登場していたが、2005年からは1組となり、得票数が80%を超えた場合は抽選会があり、主な賞品は番組エンディングテーマなどだが、特賞としてNHK紅白歌合戦の出場権などもあった[51][52]

ブレイクレーダーの最高得票は、平川地一丁目が記録した97.5%[53]。最低得票は、秘密博士とエンペラーズの14.1%[54]

2003年11月8日の放送では、いつものブレイクレーダーNEOを変更し、ダンディ坂野vsはなわによる「平成の歌う爆笑キング決定戦!」を開催[55]

2004年6月18日放送[56]において、集計マシン『レーダー君』の誤作動により、不正確な数字を表示するというミスがあった。NHKでは後日、その集計を無効としているが、その後Bean Bagは9月10日放送[57]でブレイクレーダーNEOに再度出演、82.3%という高い支持得点を獲得、5週勝ち抜いた[58]。また、安良城は10月22日放送[59]に出演し、70.6%という高い得点を出したが、同日出演のTRIPLANEに83.3%という得点を記録され敗れた。

2004年11月19日放送分に波田陽区が出演した[60]

今後の音楽界を担う若手アーティストがNHKホールに集結し、ブレイクするかを競うスペシャル企画として、「ブレイクレーダーNEOまつり ハッスルスペシャル」が2004年10月8日2005年1月14日の2回開催された。『ハッスル』のタイトル通り、大会委員長はキャプテン・ハッスルこと格闘家小川直也。特別審査員は小川(審査員長)のほか、優香が審査員を務めたほか、第1回では後浦なつみ、第2回では波田陽区も特別審査員を務めた。また、グランプリ獲得者以外にも、特別審査員から各1組ずつハッスル特別賞と称した特別賞も出ている。各2回とも、6組ずつが出場した。

スペシャル番組

ポップジャムとしてのスペシャル

ポップジャムとしても毎年、夏季やクリスマスなどに大型スペシャルが放送されていた。

スピンオフ企画

ポップジャムでは通常版以外にもスピンオフ企画として、さまざまなアーティストに密着したドキュメント企画や、アーティストの「個」の部分を生かしたスペシャル番組などが放送された。いずれも、テンプレート:独自研究範囲テンプレート:Main

スタッフ

  • 構成:関秀章井上知幸、山内浩嗣
  • プロデューサー:石原真 (制作統括、2005年7月 - 2007年3月)
  • 制作・著作:NHK

脚注

出典

テンプレート:Reflist

注釈

テンプレート:Reflist

関連項目

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外部リンク

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  1. 放送時間を3回変更。
  2. 実際の放送日は9月16日未明。
  3. 実際には土曜日0:30 - 1:00。
  4. このうち2組がコンビ、1人はナビゲーター。
  5. 後継の『MUSIC JAPAN』でも継続。
  6. 稀に、日曜日16:30 - 18:00の枠で90分スペシャルが編成されたこともある。
  7. 2007年3月2日、3月9日のみ25:10 - 25:40。3月16日(最終回)は拡大版のため24:00 - 25:00。
  8. テンプレート:独自研究範囲
  9. 札幌青森仙台浜松名古屋大阪広島松山福岡北九州沖縄
  10. 2003年(2002年度)は2月8日大阪城ホール2004年(2003年度)2月14日には千葉県幕張メッセ・イベントホール、2005年(2004年度)2月5日には神戸ワールド記念ホールで行われた。
  11. ただし月によっては『〜エクスプレス』の放送が休止になる場合もあり、その場合はPOP JAM単独収録となった。その場合もホール司会は高山哲哉アナ。
  12. 安は司会ではなくナビゲーターという形をとっており、出演歌手との絡みは無かったが、2006年11月3日放送分で安が歌手「リリメグ」としてNHKホールでの収録に参加して以降、まれに出演歌手1組とトークも行っていた(例:ザ・コレクターズ)。ただし、2007年3月16日の最終回スペシャルでは、司会者として登場した。
  13. 1997年から5分延長され40分に拡大。
  14. タイトルロゴナショ文字をあしらった感じの「(上段)ポップ(下段)ジャム」と表記されるようになる。
  15. ボーカルの貴水博之がソロ活動を宣言。
  16. この模様は司会者が4代目(爆笑問題柘植恵水アナ)のころ、3代目までの司会者を集めた総集編でも放送された。
  17. NHK東京アナウンス局在籍、当時。
  18. 放送時間をその分だけ削り、番組最後にテロップを表示)した(後日改めて、その部分を追加して放送された。
  19. 2001年9月29日に久保が産休に入るために降板。翌週10月6日から新司会にバトンタッチの間は堂本光一の単独司会となった。
  20. 北海道厚生年金会館にて収録。
  21. NHK東京アナウンス局在籍、当時。
  22. NHK東京アナウンス局在籍、当時。
  23. 福岡(2003年7月12、7月19日)、浜松(2004年2月28日、3月6日)、青森(同年6月18日、7月2日)、札幌(同年10月22、10月29日)。
  24. このときは森山直太朗BREATH朋ちゃん&コロッケ華原朋美コロッケからなるユニット)、平川地一丁目SweetS10,000 PromisesCOOL JOKEBEAN BAGTRIPLANE波田陽区らがEDを飾った(なお、波田の歌詞については後述する)。
  25. デビューする数日前にこの番組で初めてとなる音楽番組出場を果たした。
  26. 西川を含むMC4人で西川ゆかりの場所をバスでめぐる。西川の思い出のライブハウス訪問をはじめ、バス車内でDEPAPEPEのミニライブや、ゴスペラーズ黒沢薫の手料理「赤ワイン鶏肉カレー」を味わう。また、最後には西川が上京当時住んでいたアパート焼き鳥屋を訪問した。
  27. この両名はミュージック・エクスプレスも担当。
  28. なお、山寺はDXを最後にナレーターを降板した。
  29. POP JAM最終シーズンまで継続される。
  30. それまでは第3シーズン(1995 - 1997)の35分が最短だった。
  31. こちらを参照。
  32. 松本は後番組でも継続して担当。
  33. この模様は9月15日、22日、29日に放送。
  34. ちなみに初回放送(9月15日深夜、16日未明)は、木村カエラKōkuaSalyuタタ・ヤンAAAパク・ヨンハhitomiBEAT CRUSADERSが出演した。
  35. ことばおじさんこと梅津正樹アナがリードボーカル。
  36. なお、このバンドには高山アナもキーボード担当で参加しており、高山アナが自ら梅津ら他メンバーにインタビューし、曲紹介も自ら行った。
  37. このときは、ゆずがコメント出演をした。
  38. この模様は10月13日、20日、27日に放送。なお、今回の大阪収録には後藤真希小柳ゆきSOUL'd OUTDA PUMPTommy heavenly 6大塚愛川嶋あいゴスペラーズシャ乱QBoABEGIN等といったアーティストに混じり、当時ブレイク中だったお笑い芸人桜塚やっくんも登場した。NHK大阪ホールの公開収録以後、桜塚やっくんが準レギュラーとして数回登場し、まれに女性アイドルの出演部分でトークに加わって取り仕切っていた(もちろん、歌手としても出演した)。
  39. 1992年宮城県柴田郡村田町で行われた夏の野外ライブイベント『ロックンロールオリンピック'92』の映像(NHK仙台放送局が所蔵)も紹介された。
  40. トーク部分は西川がL'Arc〜en〜CielとGLAY、安がゴスペラーズ、高山がPJ出演の常連であるモーニング娘。卒業生の面々(中澤裕子飯田圭織保田圭後藤真希吉澤ひとみ)とそれぞれトーク。
  41. WHITE BREATH』→『HOT LIMIT』→『vestige-ヴェスティージ-』。
  42. FUNKY TOWN』、『Baby Don't Cry』。なお『FUNKY TOWN』部分は『MUSIC JAPAN』(2007年4月20日放送分)で再び使用された。
  43. ○○にはそのアーティスト1組の愛称が入る(例:あやや)。
  44. W+K東京LABが全面協力。
  45. 森山直太朗ORANGE RANGEスキマスイッチ大塚愛木村カエラなど。
  46. 市川由衣星井七瀬大沢あかね小倉優子ら。
  47. はなわダンディ坂野友近波田陽区
  48. mihimaru GTは2006年に「気分上々↑↑」が大ヒット、この年の紅白歌合戦出場も果たした。
  49. 団扇は収録当日NHKホール入口で観客に配布(終了後は返却)していた。
  50. 4週連続獲得の第1号は森山直太朗。
  51. 紅白出場権の獲得者はなし。
  52. ちなみに2005年、この年の最高得票92.3%を獲得したアンジェラ・アキ(このときの抽選商品はティッシュだった)は、自力で紅白出場を勝ち取り、2006年(第57回)に紅組で初出場を果たした。
  53. 2003年11月29日放送。
  54. 2004年10月8日放送「ブレイクレーダーNEOまつり」。
  55. 対決の結果、はなわが99.4%で勝利した。
  56. 青森市文化会館で収録。ブレイクレーダーNEOのゲストはBean Bag安良城紅
  57. 9月6日、NHKホール収録分。
  58. ちなみにBean Bagは9月6日放送分では小倉優子(56.1%)を大差で降している。
  59. 10月11日北海道厚生年金会館で収録。
  60. 「ギター侍のうた」で和田アキ子と司会者のつんく♂を斬った。さらに歌終了後のトークで優香をも斬った。そして、翌週放送から数週間エンディングテーマに採用され、つんく♂を斬ったネタが使用されることになる。また、波田は2005年1月14日放送の「ハッスルスペシャル」にも特別審査員でゲスト出演し「ギター侍のうた」で当時、「音楽戦士 MUSIC FIGHTER」の司会を務める青木さやかと司会のつんく♂を斬り、さらにトークでは大会委員長の小川直也をも斬って捨てた。
  61. 深夜枠で総集編を放送していた時期あり。
  62. なお、10周年生放送スペシャルはBS-hiで21:30まで完全生放送されたほか、翌週2月15日には総合テレビで完全版で放送された。
  63. なお、BS-hiで21:30まで放送されたほか、翌週2月21日には総合テレビで完全版で放送された。完全版には上記の出演者以外にnobodyknows+Mizが出演している。
  64. 番組随所で松浦が朗読を担当した。