T-72
テンプレート:出典の明記 テンプレート:戦車 T-72(ロシア語:Т-72テー・セーミヂェシャト・ドヴァー)は、1971年にソビエト連邦で開発された主力戦車である。
目次
概要
1960年代、ソ連はT-64を新たな主力戦車として配備を進めていたが、当時の最新技術を詰め込んだ結果、5TDFディーゼルエンジンをはじめ自動装填装置の不具合など数多くの問題点が露見していた。そして最大の問題はその生産コストの高さであり、充分な数を配備することが厳しい状態だった。
こうした中、T-64よりもより堅実で安価な戦車の開発が、1967年からT-62の車体をベースとした「オブイェークト172」[1]として始まり、「オブイェークト172M」としてプロトタイプが完成した。1971年から1973年にかけての各種試験を経て正式にT-72として採用され、1974年よりチェリャビンスク・キーロフ戦車工場にて、従来のT-55及びT-62の生産ラインから全面的に切り替えられ、生産が開始された。
技術的にはアメリカのM60パットンや西ドイツのレオパルト1、イギリスのチーフテンと同じ第2世代主力戦車にあたる。74式戦車と同じ低い車体や亀型の砲塔など、同世代の戦車の中では攻撃力・機動力・防御力のバランスに優れているとされる。今日の第3世代主力戦車と比べると見劣りはするものの、旧東側陣営で数多く生産された事もあり、現在も数多くの国々で使用されており、T-90などの改良型の開発も続けられている。
特長
T-72は、旧共産主義圏にて、1970年代からソ連崩壊の1991年までもっとも多く使われた戦車である。また、ワルシャワ条約機構加盟国以外にもフィンランド・イラン・イラク・シリアなどにも輸出され、インドやユーゴスラビアなど他の多くの国でもライセンス生産やコピー品が作られた。
当時ワルシャワ条約機構に所属していたポーランドとチェコスロバキアでもライセンス生産されたが、オリジナルより装甲面などで性能が低下した代物だった。例えば、ポーランドで生産されたT-72Gはソ連軍のT-72では複合装甲だった砲塔前半部が410 mmの通常装甲となっていた。
ソ連でも1990年までに自国製の輸出用モデルが開発され、アラブ諸国を中心に大量に輸出した。これらのモデルもやはり装甲や砲弾の威力などに大幅なスペックダウンを施したいわゆるモンキーモデルであった。
こうしたことから、外見は同じT-72であっても、ソ連モデル、ポーランドモデル、チェコスロバキアモデル、ソ連輸出モデルでは多くの部品が共有できず、補給・メンテナンスなどの兵站での問題を発生させる要因となった。
1980年代にはイラクに対しチェコスロバキアやポーランド、ソ連がT-72の完成品を輸出した。後には、半完成部品をイラクで組上げるノックダウン生産も行われ、自称「国産型」の"Assad Babyl"(バビロンのライオン)と命名された。また、イラン・イラク戦争で使用した直輸入品のT-72の砲身寿命が短く、ソ連からの交換部品の供給も滞ったことから、イラク国内に砲身工場を作ることになり、これがライセンス生産化の始まりであったという。なお、ユーゴスラビア型のM-84はクウェートに輸出され湾岸戦争でイラクに対する戦闘に使用され、後にイラク戦争後の新生イラク軍(イラク治安部隊)にも導入されている。
ソ連はT-72の採用後も数多くの改修を実施し、1979年にはT-64でも採用していた複合素材の装甲を車体前部を中心に取り付ける事により防御力の強化を実施、1980年代にはリアクティブ・アーマーが追加された。
1978年にレーザー測遠器を装備し始めるも高価だったため、1985年までは指揮官用のT-72Kを中心にしか普及しなかったが、それ以降に生産されたT-72AVではエンジンの馬力も780馬力から840馬力に強化、リアクティブアーマーやレーザー測遠器も生産当初から標準装備となり、主砲から対戦車ミサイルも発射可能となった。これによりT-64の後継であるT-80に、機能的に近くなるアップデートが施されたといえる。
以降も細かい改修が施されるも、1980年代末のワルシャワ条約機構下諸国の経済悪化や、1991年のソ連崩壊などにより一時その発展は停滞期を迎える。
ソ連崩壊以降は独立した諸国がそれぞれのT-72の生産技術を元に数多くのバリエーションを開発している。自国で生産したオリジナルタイプの輸出から既にT-72を購入した国への改修パッケージキットの販売など、その販売形態も広がっている。T-72自体が長期に渡り多くの国々に供給されたこともあり、ソ連から独立した諸国にとっては現在でも魅力的な軍事マーケットとなっている。
構成
主砲
125 mm2A46M滑腔砲は、西側の120mm/L44滑腔砲と比較しても遜色ない威力とされ、有効射程距離は1,800 - 2,000メートル。戦車砲弾以外にも射程5,000メートルの9M119または9K120対戦車ミサイルを発射可能であり、ガンランチャーとしての機能を持つが、射撃管制装置の仕様によっては対戦車ミサイルに対応できない場合がある。
また、回転装填式自動装填装置[2]である6ETs40(ロシア語:6ЭЦ40)を搭載する。T-64では水平に配置した弾頭と立てた姿勢の装薬筒をアームが拾い上げて装填する方式であったが、T-72では、弾頭と装薬筒の両方を水平に収納する回転ドラム式となった。当初は装填不良など信頼性に問題があったものの、改修型のT-90においては13秒間に3発もの砲弾を発射できるまでに改善されている。しかし、この装置のために車内の居住性は相変わらず悪いものとなった。砲弾は弾頭と半焼尽薬莢(装薬)が分離されており、各々戦闘室直下に円状に配置され、それらをホイスト式の自動装填装置が拾い上げて装填する仕組みになっており、ルクレールや90式戦車が採用している弾頭/薬莢一体型の弾薬を用いる自動装填装置とは根本的に異なる。
装甲
砲塔の部分は鋳造製で、最も厚い部分で280 mmであったとされ、先端部で80 mmの装甲が施されていた。後にT-72B(M)から砲塔前面部に当時では珍しかった膨らみのある複合装甲が取り付けられた。西側では当時、この独特の「膨らみ」は女性の豊満なバストをイメージさせた事から、グラマーで有名な女性歌手ドリー・パートンの愛称で呼ばれた。
車体自体の前面部は鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込まれ、その厚さは200 mm程度だが、独特の傾斜デザイン(避弾経始)によりその効果は実質500 - 600 mm厚の圧延装甲板に匹敵する強度を実現した。それ以降も防御力を増すため、前述のように成形炸薬弾(HEAT)に対し有効な爆発反応装甲が追加装備されている。
当初は履帯や車体側面を成形炸薬弾から守るためのサイドスカートが分割式の金属製であったが、破損しやすかったため、後に金網入りのゴム製に変更された。
エンジン
T-64のエンジン、及び足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、ディーゼルエンジンは信頼性が高い第二次世界大戦時のBT-7MやT-34のV-2、それをT-44で横置き式に改良したV-44を500馬力から780馬力に引き上げ、オブイェークト172ではV-45、T-72ではV-46を採用している。
ソ連崩壊以降の各国のT-72のバリエーションタイプではそれぞれ独自のエンジンを採用しているため、馬力やシステムは各々異なっている。
重量
生産当初のT-72は41トンと西側諸国の主力戦車と比べて非常に軽量であった。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。
車重が軽量なことから、780馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンでは調速機を解除することで110 km/hの路上最大速度を記録したと言われる。
その他
- 専用のシュノーケルをつければ渡河などの潜水移動も可能だが、搭乗員は潜水装備をつけなければならない。また、潜水時にエンジンが停止した場合は6秒以内に再始動しないと大惨事を招きかねない。
- NBC対策として砲塔部にはホウ素樹脂が組み込まれており車体にも空気浄化システムや加圧機能を搭載している。
弱点
125 mm滑腔砲や複合装甲を備えたT-72は前述のように攻撃力・防御力・機動力で同時代の他国の主力戦車を上回り、また、それらのバランスも優れていたが、一方でカタログデータには現れない弱点を内包していた。主な弱点は以下の通りである。
生存性
弾薬が戦闘室外のバスルに格納されている西側の第3世代戦車とは異なり、弾頭と装薬が別々に戦闘室直下にむき出しで円状に並べられるというレイアウトは被弾貫通時に非常に誘爆を起こしやすいものとしてしまった。実際、湾岸戦争やイラク戦争、チェチェン紛争やグルシア戦争において、砲塔が吹き飛び、弾薬庫が位置する車体中央下部が著しく損壊したT-72の映像や写真が多数公開されている。
なお、この欠点はモンキーモデル以外のT-72やT-64、T-80、T-90にも共通したもので、チェチェン紛争ではロシア連邦軍のT-72B(M)なども同様の破壊を受けている。
砲の仰角俯角
T-72に限らずそれ以前のソ連戦車にも共通する弱点ではあるが、T-72はそれまでのT-55やT-62から更に砲塔の小型化と長砲身化を進めた為、砲の上下の可動範囲が-5/+18度と狭く、山岳戦、市街戦になったチェチェン紛争ではビルや山の上に構築された陣地や、肉薄する歩兵への砲撃ができない状況が多々あり、戦力として機能することができなかった。
歩兵への支援任務が圧倒的に多くなる途上国の紛争では、T-72よりも仰角俯角の大きく取れるT-55やT-62が現場では好まれるという。この欠点もモンキーモデル以外のT-72やT-64、T-80、T-90にも共通したものである。
拡張性
上記の強化された装甲厚や装備品は車内に向かってスペースを占め、狭い戦闘室は新しい装備や機材を追加導入する際の障害となった。また、APFSDSは弾芯の長さに比例して貫通力が向上するため、他国は砲口径はそのままに弾芯の長さを可能な限り長くし貫通力を増すという手法で火力強化を行えるのに対し、T-72系列戦車は分離式砲弾であることと自動装填装置の機械的制約上、弾芯延長が困難である。これが後述する西側の120 mm砲との貫通力差の要因となった。
戦歴
T-72の最初の実戦投入は、1979年のソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻と考えられるが、ムジャーヒディーン相手のゲリラ戦であったため戦車同士の交戦の機会は全くと言ってよいほど無く、アフガニスタン政府軍に供与されていなかった(アフガニスタン政府軍にはT-55とT-62を供与していた)のでソ連撤退後のアフガニスタン内戦で使用されることもなかった。
西側の主力戦車(MBT)と戦火を交えたのは、1980年に勃発したイラン・イラク戦争においてソ連製戦車を中心とするイラク軍のT-72がチーフテンなどを装備するイラン軍と交戦したのが最初である(デズフールの戦い)。しかし、具体的戦果がはっきりとわかっていないため、あまり注目はされていない。
T-72の戦闘が初めて世界の注目を集めたのは1982年にイスラエルがレバノンへ侵攻した(イスラエル作戦名「ガリラヤの平和」)際にシリアのT-72がメルカバMk.1と交戦した時である。シリア第3機甲師団の装備するT-72はベッカー盆地南部で6月10日頃、従来型のAPDS弾を搭載したショット(イスラエル軍仕様センチュリオン)戦車一個大隊を攻撃し、これに損害を与え撤退させた。これに対しイスラエル軍のベンガル少将は翌日、第7機甲旅団の新鋭戦車メルカバを派遣。当時のメルカバMk.1の主砲は一世代前とされるL7 105 mm戦車砲であったが、イスラエルが独自に開発した完全タングステン合金弾芯のAPFSDSの性能やイスラエル軍とシリア軍の戦車兵の錬度の差、シリアのT-72がオリジナルより性能を意図的に劣化させたモンキーモデルであったことなどが原因でT-72はメルカバに遠距離からほぼ一方的に撃破された。
湾岸・イラク戦争において
1991年と2003年、二度にわたりT-72は西側の第3世代戦車である、M1エイブラムス、チャレンジャー1・2と激突した。アメリカ軍を中心とした多国籍軍の戦車は貫通力の高い劣化ウラン弾を採用した強力な砲弾と、同じく劣化ウランを織り込んだ防御力の高い装甲、夜間でも確実に標的を捕らえる事のできる射撃管制装置など最先端の装備で臨み、圧倒的な制空権のもとでエアランド・バトル戦を展開したのに比べ、イラク軍はT-72MやT-72M1といった輸出向けにスペックダウンされたモンキーモデルで対抗しなければならなかった。
本来複合装甲が施されている部分に普通の圧延鋼板溶接装甲が使用されていたり(一部だけのT-72M1が複合装甲を使用した)、徹甲弾もタングステン芯ではなく鋼鉄のものが使用されたと言われている。このためM1エイブラムスの砲塔に直撃弾を与えたにもかかわらず、全くダメージを与える事ができなかったケースもあった。
イラクが行った改良はレーザー検知器を加えた程度であったため、多国籍軍側戦車との性能差は明らかであり、T-72は一方的に撃破された。しかもT-72は砲塔下部に砲弾を収納する設計になっていたため、貫通した砲弾によりたやすく誘爆を招き搭乗員全ての命を奪う事となった。直撃を受けたT-72の砲塔が高々と吹き飛ぶ様を見てアメリカ軍の戦車兵達は「ジャック・イン・ザ・ボックス(びっくり箱)」と呼んでいた。
また、ソビエト連邦軍当時の主力であるT-72BもM1A1HAに比べものにならないものであった。たとえばT-72M、T-72B、M1A1HAの砲塔正面装甲対APFSDS防護力はそれぞれ380mm、530mm、680mmである。徹甲弾の性能では、2km先での徹甲力はイラク軍の3BM-15がせいぜい340mm、ソビエト軍の当時の主力3BM-32や3BM-42は500mm、アメリカ軍のM829A1は610-660mmである。また、現代戦車に不可欠なサーモグラフィ能力も、ソビエト軍は電子産業が貧弱で実用化できなかった。ロシア連邦軍初の戦車用熱映像装置は、1996年にフランスから輸入したものであった。
湾岸戦争での戦車戦の記録映像が世界中に流された事もあり、T-72の兵器としての商品価値は一気に下落した。T-72の全面改修タイプであるT-90はこの失墜したロシア製兵器のブランドイメージ回復を目的に開発されたと言われる。
2008年9月、ウクライナからケニア軍向けに海上輸送中の33輌のT-72は、ケニア沖でソマリアの海賊にベリーズ船籍の貨物船ファイナ(さらにファイナに積載されていた大量の兵器)もろとも強奪され、ニュースになった(多額の身代金により解放)[3][4]。
バリエーション
- T-72S
- 輸出向けの派生型。155基のコンタークト1を装備。
- T-72M
- ソ連、ポーランドとチェコスロバキアで生産された輸出モデル。T-72Aのモンキーモデル。
- T-72M1
- ソ連、ポーランドとチェコスロバキアで生産された輸出モデル。装甲を厚くしたモデル。
- MTU-72
- T-72ベースの架橋戦車。
派生型
- TOS-1「ブラチーノ」
- T-72の車体に30連装サーモバリック爆薬弾頭ロケット弾発射機を搭載した、自走式多連装ロケットランチャー。
- BMP-T
- T-72の車体に30mm連装機関砲及び9M133 ATGMを装備した新設計の砲塔を搭載した戦闘車両。BMP-Tとは「戦車支援戦闘車」の意味で、戦車を歩兵の近接対戦車攻撃から援護するための車両。
- T-72CZ M3/T-72CZ M4
- ビロード革命により戦車製造工場を失ったチェコが、第025軍修理工場(VOP025)を中心に開発した近代化改修型。射撃管制装置に伊ガリレオ社製TURMS-Tを装備し、環境センサーやNBA-97 GPS航法装置、DITA-97自己診断装置を追加装備したほか、砲管制装置と弾道コンピュータを一体化。主砲の操作はジョイスティック式になり、主砲の2A46には砲口照合装置を追加して、シンセシア社製APFSDS-T弾を発射可能。砲塔には、ポーランド製の「ダイナ」爆発反応装甲を装着し、POC SSCiレーザー警報装置と独製キッデ・ドイグラ自動消火装置を装備。さらに、磁器反応式の対戦車地雷を無力化するというメトラ・ブランコスSPシステムを車体に装備する。車体全体には、赤外線映像へのカモフラージュになるというエナメルU2500が塗布されている。
- M3とM4の違いはエンジンで、M3にはオリジナルのV-46にターボ圧縮機を追加した858馬力のV-46TCエンジン、M4には1,000馬力の英パーキンス社製CV-12エンジンと米アリソン社製XTG-411-6全自動トランスミッションが装備され、パワーパック化されている。チェコ陸軍が250両のT-72M1からの改修を発注している。
- PSP T-72MP
- チェコのPSPボヘミアAS社がフランスのSAGEM、ウクライナのハリコフ・モロゾフ機械設計局、マリシェフ工場と共に提案した近代化改修型。車体前部と砲塔に爆発反応装甲を装着し、APSであるシュトーラ1、SEGAM SAVEN 15MPデジタル射撃管制装置を装備。射撃サイトにも仏製のレーザー測距機・パッシブ暗視装置付きのタイプに換装。主砲は改良型の2A46M-1に換装され、サーマルスリーブと砲口照合装置を標準装備する。エンジンは1,000馬力の6TD-1または1,200馬力の6TD-2に換装。
- T-72M1「モデルナ」
- スロバキアのZTSテース・マルチン社による近代化改修型。車体前部と砲塔に爆発反応装甲を装着し、射撃管制装置を電子化。さらに射撃サイトを換装した上にエリコン・コントラバス製KAA-001 20mm機関砲を砲塔左右に1丁ずつ装備。
- T-72M1-A
- T-72M1「モデルナ」の改良型。射撃管制装置を国産のEFCS-72Aコンピューターに換装し、車長サイトをSGS-72Aスタビライズ・パッシブサイトに換装。レーザー警報装置を追加装備。エンジンは850馬力のS12Uに換装し、トランスミッションも改良されている。その代わり、対空機関砲は撤去されている。
- T-72M2「モデルナ2」
- T-72M1「モデルナ」の改良型。射撃管制装置と射撃サイト、弾道コンピューター、CRTディスプレイをリンク化。さらに2A42 30mm機関砲を砲塔右側に独立して装備。
- ズザナT-72M1
- スロバキアのズザナ社製の自走砲。T-72M1の車体にズザナ 155mm自走榴弾砲の砲塔を搭載。インド軍に提案されたが不採用となった。その後、スロバキア陸軍、キプロス陸軍が採用している。
- M-84
- ユーゴスラビアでライセンス生産された型で、約500輌生産。輸出型はクウェート軍に200輌配備され、イラク戦争後の新生イラク軍でも使われている。
- M-84A1
- ユーゴスラビアで生産。射撃管制装置の強化。エンジンを1,000馬力に強化。
- M-84A4「スナイペル」
- クロアチアで生産。コンピュータ類を強化。
- M-92「ヴィホル」
- クロアチアで生産。
- M-95「デグマン」
- クロアチアで生産。M-84Aをベースにした発展型。改修版の爆発反応装甲・レーザー誘導型対戦車ミサイル発射機能など。
- M-95「コブラ」
- クロアチアで生産。M-84A4をベースにした発展型。
- M-84AS(M-2001)
- セルビア・モンテネグロで開発。T-90に準じる仕様。
- Lion of Babylon(「バビロンのライオン」の意)
- T-72のイラクモデル。1988年のバグダッドの兵器ショーで、国産型と称して展示発表された。実際は半完成品の輸入部品をくみ上げた、T-72Gのノックダウン生産品であった。
- PT-91「トファルディ」
- ポーランド製のT-72M1の改修型。自国オリジナルの射撃管制装置・爆発反応装甲・パッシブ型夜間映像装置を装備。主にアップグレード・キットとして提供しており、ポーランド陸軍とマレーシア陸軍が採用した。
- T-72MIZ
- ポーランドが自国製のT-72M1に南アフリカのデネル社製「タイガー」射撃管制装置、爆発反応装甲、レーザー警報装置を装備し、エンジンをS12Uに換装するなど、PT-91に準じた改修がされている。
- TC-90
- ポーランド製の戦車橋で、最大19mの間隔に20mのシザース式戦車橋を架けることが可能。
- WTZ-3
- ポーランド製の装甲回収車。車体上にTD-50 15tクレーンやドーザー・ブレード、ウインチなどを装備。ポーランド陸軍のほか、インド陸軍が採用している。
- MID
- WTZ-3を基にした装甲工兵車両。試作車3両のみが製造された。
- TR-125
- ルーマニア版T-72。エンジンやサスペンションを改良。プロトタイプが数両のみが製造された。
- T-72AM
- ウクライナで配備されたT-72Aの改修型。T-72BMに準じた規格であるが、装備品の一部をウクライナ製のものに換装している。コンタークト5と自動制御式の射撃管制装置が特徴となっている。
- T-72MP
- ウクライナのKMDB社のT-72の近代改修キット。T-80UDやT-84の技術をベースにT-72をアップグレード。エンジン出力強化、射撃管制装置の改修・装甲の強化。チェコとの共同開発で、フランスの会社の技術も織り込まれる。
- T-72AG
- ウクライナのKMDB社のT-72の近代改修キット。主砲の有効射程が延長されている他、対戦車ミサイルの運用が可能。砲手用サイトをスタビライズを強化した1G46に換装し暗視装置を強化。車長用サイトにはオーバーライド機能を追加した。射撃管制装置は1V528自動入力式弾道コンピューターに換装。装甲はT-84と同等の爆発反応装甲とゴム板が追加され、エンジンはT-84と同じ6TD-12に強化。
- T-72-120
- ウクライナのKMDB社のT-72の近代改修キットで、同社の開発したヤタハーンに準じた性能を保証している。NATO規格の120mm滑腔砲対応の主砲、および自動装填装置を装備。120mm砲対応の対戦車ミサイルも発射可能。
- アジェヤMK-1
- インド版T-72。1993年にT-72M1と同性能に改修。
- アジェヤMK-2
- インド版T-72M1。GPS機能、爆発反応装甲・レーザー警報機能・射撃管制機能の強化・赤外線型夜間暗視装置・ポーランド製1,000馬力エンジンを搭載。
- TANK-X
- インド製。T-72の車体に自国開発のアージュン戦車の砲塔を搭載。プロトタイプのみ。
- T-72BM「ロガートカ」
- 2006年に初公開されたロシア軍のT-72最新改修モデル。愛称は「投石器」のこと。第三世代の爆発反応装甲「レリークト」、1,000馬力のV-92エンジン、新型射撃管制装置「ソスナー」、赤外線型夜間射撃暗視装置などを装備する。T-72Bとも呼ばれた。
- T-90
- T-72の車体とT-80の砲塔を組み合わせた、湾岸戦争で失墜したT-72の名誉挽回を目指した型。1993年より生産に入り、T-80より低コストのため、ロシア軍でも多数導入されている。
- BMT-72
- ウクライナのKMDB社で開発された歩兵戦闘車型。姉妹型車輌にBTMP-84がある。
使用国
- 現在使用していない国
- テンプレート:Flagicon フィンランド - レオパルト2A4に交換され退役。
- テンプレート:GDR - 東西統一後、レオパルト2が主力になり現在は使用されていない。
- テンプレート:ROM - T-72ベースのTR-125を開発していたが計画が中止となり、採用はしていない。
主な戦歴
- イラン・イラク戦争(1980-1988年)イラク軍が使用。
- レバノン内戦(1982年)シリア軍が使用。
- ソ連のアフガニスタン侵攻(1979-1989年)ソ連軍が使用。
- 湾岸戦争(1990-1991年)イラク軍が使用。主に共和国防衛隊で運用された。
- ユーゴスラビア紛争(1991-1994年)
- 第一次チェチェン紛争(1994-1996年)ロシア軍が使用。チェチェン・イチケリア共和国軍も鹵獲した物を運用。
- ユーゴスラビア・コソボ戦争(1998-1999年)ユーゴスラビア軍が使用。
- 第二次チェチェン紛争(1999-現在)ロシア軍が使用。チェチェン・イチケリア共和国軍も鹵獲した物を運用。
- イラク戦争(2003年-2011年)イラク軍が使用。主に共和国防衛隊で運用された。
- 南オセチア紛争(2008年)ロシア軍、グルジア軍双方が使用。
- リビア内戦(2011年)カダフィ派、反カダフィ派双方が使用。
- シリア騒乱(2011年-)シリア軍が使用、自由シリア軍も政府軍から鹵獲した物を運用。
脚注
- ↑ オブイェークトは物、物体の意味で、英語のオブジェクトに相当する
- ↑ なお、日本の文献ではT-64より採用されたソビエト/ロシア戦車の自動装填装置は"コルジナ"及び"カセトカ"の名称で記述されていることがあるが、これらはどれも砲弾の収納方式や装填方式からつけられた通称であり、そのような制式名称の自動装填装置が存在しているわけではない。「コルジナ(корзина)」は"籠"、「カセトカ(кассетка)は"小箱のようなもの" "個別に分けられたもの"を意味する(カセータ(кассета)の縮小辞形)ロシア語で、それぞれ「弾薬を砲塔バスケットに搭載する」「装薬カートリッジを個別に装填する」ことから生まれた通称と見られる
- ↑ Somali pirates 'seize 30 tanks' BBC News 2008年9月26日
- ↑ BBC NEWSSomali pirates 'free arms ship' 2009年2月5日
関連項目
外部リンク
- Vasiliy Fofanov's Modern Russian Armour Page—T-72B(M)
- テンプレート:YouTube生産ライン・自動装填システム・様々な演習シーン、終盤T-90登場