IBM
テンプレート:Infobox IBM(アイビーエム、正式社名: International Business Machines Corporation)は、民間法人や公的機関を対象とするビジネス用途のコンピュータ関連の製品およびサービスを提供する企業である。本社はアメリカ合衆国ニューヨーク州アーモンクに所在する。日本法人は、日本におけるIBMを参照。
目次
概要
事業内容はコンピュータ関連のサービスおよびコンサルティングの提供と、ソフトウェア、ハードウェアの開発・製造・販売・保守、およびそれらに伴うファイナンシングである。ハードウェアメーカーと見られる場合が多いが、1990年代に企業向け市場に選択と集中を行った結果、総収入に対する主要なシェアはハードウェアからサービスとソフトウェアになり、2011年度では総収入のうちサービスの収入が約60%である[1]。長い間、IT企業としての売上高が世界最大だったが、2012年度の決算では、アップルやヒューレット・パッカードの売上高はIBMよりも大きくなっている。
米国に本社を置くが、各国に現地法人を設立し、世界規模で活動を行う多国籍企業(グローバル企業)でもあり、170か国に事業展開し、世界で8箇所の基礎研究所、24箇所の製造施設を持つ。現在は世界規模の連携・統合を更に強化したGIEへの変革を進めている。
コンピュータ産業の黎明期から携わり、現在でもコンピュータ関連企業の大手である。特に1970年代から1980年代は「巨人」とも呼ばれた。メインフレーム市場は世界的にIBMがほぼ独占状態である。また現在主流のパーソナルコンピュータは、IBM PCがベースとなったPC/AT互換機である。商用初の高級言語、オペレーティングシステム、ハードディスク、フロッピーディスク、RISCプロセッサ、RDBとSQL言語、TCP/IP以前にネットワークの標準規格であったOSIのモデルになったSNA、バーコードの標準規格UPC、などはIBMが開発した。
高収益と豊富な資金力を背景に基礎科学の研究にも力をいれ、ワトソン研究所やチューリッヒ研究所からはノーベル賞受賞者を輩出している。1993年~2013年の21年間、米国での特許取得件数は連続トップとなった[2]。
アメリカ東海岸を代表する企業とされ、保守的な社風でIBMの創始者トーマス・J・ワトソンの意向によりダークスーツに白のワイシャツ、レジメンタル・タイというスタイルがIBMマンの一般的な服装であった。これに対し西海岸のベンチャー企業の社員がジーンズにTシャツといういでたちで対照を成した。後には製品やロゴの色から本国アメリカでは「Big Blue」の愛称で呼ばれている。これに由来してIBMのプロジェクトには「Blue」を冠するものが多く、広告などのイメージカラーになっている。
IBMは、一時期自身のウェブサイトで Planet Wide Company との表現を使っていた。2008年11月6日からのコーポレート・ブランド・ビジョンはSmarter Planetである。
主な事業
各事業の比率は、サービスおよびコンサルティングが約4割、ソフトウェアが約4割、ハードウェアが約1割、ファイナンシングが約1割である。(2009年度税引前利益)[1]
サービス
- コンサルティング、システム構築(SI)、ITおよびバックオフィス業務のアウトソーシング、IT製品やシステムの保守サービスなど
ソフトウェア
- 企業向けミドルウェア(ソフトウェア事業部によるもの、以下の5ブランドで構成される)
- IBM WebSphere Software(Webアプリケーション基盤と統合)
- IBM Information Management Software(情報管理、データベースなど)
- IBM Lotus Software(グループウェア)
- IBM Tivoli Software(システム運用管理)
- IBM Rational Software(ソフトウェア開発)
- 企業向け(各サーバー事業部によるもの)
ハードウェア
- サーバー製品のIBM Systems。以下の製品シリーズの総称。
- メインフレーム の System z
- ソフトウェア、ミドルウェア、設計・運用機能を含めて一体化したPureSystems
- POWER系プロセッサ搭載のミッドレンジサーバーの Power Systems
- POWER系プロセッサ搭載ブレードサーバのBladeCenter
- x86系プロセッサ搭載のSystem x(2014年1月23日に中国企業である联想集团(レノボ)への事業売却が発表されている)[3]
- ストレージ製品のSystem Storage
- 半導体製品(POWER、Cellなど)(2014年6月現在半導体の製造事業については他社への売却が検討されていると報道されている)[4]
その他
- ファイナンシング
なお、HDD事業は2003年に日立製作所に、 パーソナルコンピュータ(PC)事業は2005年にレノボに売却された。
歴史
草創期
IBMの歴史は電子計算機の開発の数十年前に始まる。電子計算機の前には、パンチカードによるデータ処理機器を開発していた。1911年6月16日、ニューヨーク州エンディコットにザ・コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー (C-T-R : The Computing-Tabulating-Recording Company) として設立された。
CTRは3つの別個の企業の合併を通じて成形された。ザ・タビュレーティング・マシーン・カンパニー(1896年設立)、ザ・インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー・オブ・ニューヨーク(1900年設立)、コンピューティング・スケール・カンパニー・オブ・アメリカ(1901年設立)の3社である。タビュレーティング・マシーン・カンパニーの当時の社長は創業者のハーマン・ホレリスであった。この合併の鍵を握っている人物は資産家のチャールズ・フリントであり、彼は3社の創業者を集めて合併を提案し、1930年に引退するまでC-T-Rの取締役であった[5]。
IBMでは1911年を創立の年としている[6]。1917年、C-T-Rはカナダ市場に参入する際に International Business Machine Co., Limited の社名を使用し、1924年2月14日に本体の社名を現在と同じ International Business Machines Corporation に変更した。
トーマス・J・ワトソン・シニアはIBMの創立者と記述されることが多いが、1911年時点の社長は、ジョージ・W・フェアチャイルドである[7]。 トーマス・J・ワトソン・シニアは、1914年にNCRからC-T-Rの事業部長(ゼネラルマネージャー)として迎えられ、1915年に社長となった。彼は、 C-T-R が International Business Machines Corporation に社名変更した1924年の時点も社長の任にあった。
C-T-Rの元となった3社は様々な製品を製造していた。従業員勤務時間記録システム、計量器、自動食肉薄切り機、そしてコンピュータの開発にとって重要なパンチカード関連機器などである。時とともにC-T-Rはパンチカード関連事業を中心とするようになり、他の事業は徐々にやめていった。
1933年6月20日にエレクトロマチック・タイプライターズ・カンパニーを買収して、タイプライター事業にも乗り出した[8]。
第二次世界大戦
IBMロゴの歴史 | |
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ロゴ | 年 |
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1924–1946 |
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1947–1956 |
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1956–1972 |
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1972–現在 |
エドウィン・ブラック(IBMがOS/2販売方針をエンタープライズ向けに変更した結果、廃刊に追い込まれたコンシューマー向けパソコン雑誌『OS/2プロフェッショナル』『OS/2ウイーク』の編集発行人であった)の2001年の著書 IBMとホロコースト (ISBN 4-7601-2158-7) では、IBMのニューヨーク本社とCEOトーマス・J・ワトソンが海外子会社を通してナチス・ドイツにパンチカード機器を供給しており、ホロコーストの実行にそれが使われる可能性を認識していたと主張している。同書では、ニューヨーク本社の協力のもとでIBMジュネーヴオフィスとドイツ内の子会社 Dehomag がナチスの残虐行為を積極的にサポートしていたと主張している。ブラックはそれらのマシンを使うことでナチスの行為が効率化されたとも述べている。2003年のドキュメンタリー The Corporation でもこの問題を追及している。
IBMはこれらを証拠に起こされた訴訟で、それを裏付けるだけの当時の資料を保有していないとし、これらを退けた。IBMはまた、著者や原告によって提起された主張を真剣に受け止め、この件に関する適切な学問的評価を期待している、と述べている[9]。
第二次世界大戦期間中、IBMはブローニング自動小銃BARとM1カービン銃を製造した。同盟各国の軍ではIBMのタビュレーティングマシンは会計処理や兵站業務などの戦争関連の目的で広く使われた。ロスアラモスで行われた世界初の核兵器開発計画であるマンハッタン計画ではIBMのパンチカード機器が広く計算に使用された。このことはリチャード・P・ファインマンの著書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に記されている。同じく戦時中、IBMは海軍のために Harvard Mark I を開発した。アメリカ初の大規模な自動デジタル計算機である。
ホレリス統計機が国勢調査に用いられるようになってから事業が大幅に伸び、企業や政府の計算需要に目をつけて、第二次大戦後にコンピュータの開発と販売に乗り出す。
空軍と航空会社のプロジェクト
1950年代、IBMはアメリカ空軍の自動化防衛システムのためのコンピュータを開発する契約を結んだ。SAGE対空システムに関わることでIBMはMITで行われている重要な研究にアクセスできた。それは世界初のリアルタイム指向のデジタルコンピュータで、CRT表示、磁気コアメモリ、ライトガン、最初の実用的代数コンピュータ言語、デジタル・アナログ変換技術、電話回線でのデジタルデータ転送などの最新技術が含まれている (Whirlwind)。IBMは56台のSAGE用コンピュータを製造し(1台3000万ドル)、最盛期には7,000人が従事していた(当時の全従業員の20%)。直接的な利益よりも長期にわたるプロジェクトによる安定に意味があった。ただし、先端技術へのアクセスは軍の保護下で行われた。また、IBMはプロジェクトのソフトウェア開発をランド研究所に取られてしまい、勃興期のソフトウェア産業で支配的な役割を得るチャンスを逃した。プロジェクト関係者 Robert P. Crago は、「プロジェクトがいつか完了したとき、2000人のプログラマにIBM内で次に何をさせればいいか想像も出来なかった」と述べている。IBMはSAGEでの大規模リアルタイムネットワーク構築の経験を生かし、SABRE航空予約システムを開発し、さらなる成功を収めた。
1960年代から1980年代までの成功
1960年代のIBMはコンピュータ主要8社(UNIVAC、バロース、Scientific Data Systems (SDS)、CDC、GE、RCA、ハネウェル、IBM)の中でも最も大きなシェアを有していた。人々はこれを指して「IBMと7人の小人」と称した。その後、バロース、UNIVAC、NCR、CDC、ハネウェルだけがメインフレームを製造するようになり、企業名の頭文字をとって「IBMとB.U.N.C.H」と呼ばれることもあった。これらの企業はバロースとUNIVAC(スペリー)の合併で誕生したユニシス以外はIBMの独占するメインフレーム市場から事実上撤退した。そのころのIBMのコンピュータ製品群は名称を変更しながら今日も成長し続けている。IBMの System/360 として生まれたメインフレームは、今日では64ビットの IBM System z となっている。
1964年に最初の汎用メインフレーム・System/360の開発に成功し、他社を圧倒してメインフレーム市場をほぼ独占する。この成功により、アメリカ司法省は独占禁止法違反でIBMを提訴した(1969年1月17日)。IBMが汎用電子デジタルコンピュータ市場(特にビジネス向けに設計されたコンピュータ)を独占しようと謀り、シャーマン独占禁止法の2条に違反したとの訴えである。具体的には、CDC 6600 対抗機種を発表してCDC側の販売に打撃を与え、結局その対抗機種を発売しなかったという件である。訴訟は1983年まで続き、IBMに多大な影響を与えた。なお、同じ訴因でCDCからも訴えられ、CDC側に有利な条件で和解している。IBMはこれ以外にも度々独占禁止法違反で訴えられてきた。古くは1933年、パンチカード機器とパンチカードの抱き合わせ販売で訴えられた。
その一方で1970年代のパーソナルコンピュータの波には完全に乗り遅れ、主導権を取り戻すためにIBM PCを投入し成功を収める。その後IBM互換機メーカーのデルやコンパックに主導権を奪われた。収益の核となるOSとCPUはマイクロソフトとインテルに握られてしまった。
IBMエントリーシステム部門に雇われたフィリップ・ドン・エストリッジと "chess" と呼ばれるチームは1981年8月11日にIBM PCを完成させた。標準価格は1,565ドルで決して安くは無いがビジネスに使用可能であり、PCを購入したのも企業だった。しかし、PCを管轄していたのは同社のコンピュータ部門ではなく、PCはまともなコンピュータとは見なされていなかった。8ビットパソコンの革命的な表計算ソフト VisiCalc の同系統のソフト Lotus 1-2-3 がPC上で動作するようになると、企業の中間管理職層がその可能性を見出した。IBMの名前に保証され、彼らはPCを購入してビジネススクールで学んだ計算をPCで行うようになった。
1990年代の業績悪化と回復
1990年代にはダウンサイジングの潮流によりIBMの主力であったメインフレームは「時代遅れ、過去の遺物(レガシー)、滅び行く恐竜」と呼ばれ、IBMの業績は急速に悪化した。1993年1月19日、IBMは1992年度会計での49億7000万ドルの損失を発表した。これは単年度の単一企業による損失額としてはアメリカ史上最悪であったと言われた。
この損失以来、IBMは事業の主体をハードウェアから、ソフトウェアおよびサービスへと大胆な転換を進めた。また当時は水平分業モデルのマイクロソフト、インテル、サン・マイクロシステムズ、オラクルなどが好調であったため、米国のPC事業部 (IBM PC Company) やプリンター事業部など、IBM分社化の動きも進められた。ハードウェアは主力のメインフレームの低価格化を進め、複数のサーバーシリーズのブランド名や機能の共通化が進められた。IBMは伝統的に、日本で日本企業が採用する以前から、各国で終身雇用を行っていたが、これを方針転換しリストラの実施が開始された。後には最終的に、最盛期には全世界で40万人いた社員を22万人まで削減することになる。
1993年、ナビスコ社から引き抜かれたルイス・ガースナーがCEOに就任し、不採算部門の売却、世界規模の事業統合、官僚主義の一掃、顧客指向の事業経営を行い、独自システムと独自OSによる顧客の囲い込みをやめ、オープンシステムを採用したシステムインテグレーター事業へ戦略を大きく転換した。また顧客の要望を聞き、顧客はトータルなサービスを望んでいると考え、IBM分社化の動きを停止した。これによりIBMはLinuxを推進する大手コンピュータ企業の筆頭となった。1995年にはネットワーク・コンピューティング、1997年にはe-ビジネスを提唱した。
1995年、IBMはLotus Notesを持つLotusを買収した。以後も運用管理ソフトウェアを持つTivoli、データベースのInformix、ソフトウェア開発ツールを持つRationalなどを買収し、従来からのIBMソフトウェア(DB2、WebSphereなど)と統合した。この結果、2003年にはソフトウェア事業の5ブランド(Information Management、WebSphere、Lotus、Tivoli、Rational)を形成した。なお、それぞれのイメージカラーは緑、紫、黄、赤、水色である。
1999年、IBMはソフトウェア戦略を全世界で方針転換し、IBMは今後はアプリケーションパッケージは開発せず、ミドルウェアまでに集中し、各業務に強いアプリケーション・ベンダーとパートナーシップを組んで、ユーザーにソリューションを提供することを発表した。
コアと位置づけた事業の買収と投資を進める一方で、コモディティ化と価格低下が進みIBMの強みを活かせないと判断した非コア事業の売却を行い、「選択と集中」を進めている。1991年にはタイプライター事業、1998年にはネットワーク事業を売却した。
2000年以降
年度 | 成立した特許数 |
---|---|
2008年 | 4186 |
2007年 | 3125 |
2006年 | 3621 |
2005年 | 2941 |
2004年 | 3248 |
2003年 | 3415 |
2002年 | 3288 |
2001年 | 3411 |
2000年 | 2886 |
1999年 | 2756 |
1998年 | 2658 |
1997年 | 1724 |
1996年 | 1867 |
1995年 | 1383 |
1994年 | 1298 |
1993年 | 1087 |
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IBMはコンサルティングを含むサービス、ソフトウェアなどからなるビジネスソリューションに重心を移しており、ユーザー企業の業務分析、提案から構築、保守までのワンストップ型のサービスの提供を目指している。
2002年7月、IBMはプライスウォーターハウスクーパース(PricewaterhouseCoopers、PwC)のコンサルティング部門を39億ドルで買収し、従来からのコンサルティング部門と統合し、IBM ビジネスコンサルティング サービスとなった。(なお日本市場のみ、当初は別法人のIBMビジネスコンサルティングサービスが設立されたが、後に日本IBMと合併した。)
またコンサルティング以外のサービス事業(IBMグローバルサービス、IGS)では、システム構築(SI)に続き、ユーザー企業の情報システムの戦略的アウトソーシング(SO)、更には財務・人事・顧客サービス・購買など業務自体のリエンジニアリングと受託を含めたアウトソーシング(ビジネス・トランスフォーメーション・アウトソーシング、BTO)などを提唱している。
「選択と集中」によるコア事業への集中と、非コア事業の売却も続いている。ソフトウェア事業では、2006年にはコンテンツ管理ソフトウェアを持つFileNet、2007年にはBIツールを持つCognosなどを買収し、製品に統合した。また非コア事業として、2004年にはパーソナルコンピュータ事業、2006年には企業向けプリンター事業を、2010年にも、IBMの法人向けアプリケーション・パッケージ・ソフトウェアのビジネスとして唯一存続していたPLM事業(CATIA, ENOVIA)[10]を、それぞれ事業部門ごと(製品、施設、従業員など)会社分割し売却した。また、2012年にも、リテール・ストア・ソリューション事業(POSシステム関連事業)の東芝への売却が発表された[11]
IBMは着実に特許件数を増やしており、他社とのクロスライセンス契約時にも重要となる。IBMは1993年から2012年までの20年間連続で米国での特許取得件数で第一位となり、20年間の合計は約67,000件となった[12]。知的財産権の保護はビジネスとしても重要性を増している。この期間にIBMは特許使用料などで100億ドル以上を得た。2003年、フォーブス誌の記事でIBMリサーチの Paul Horn は、IBMが知的財産権のライセンス供与によって毎年10億ドルの利益を得ていると述べた。
2012年現在、IBMはコーポレート・ブランド・ビジョンとしてSmarter Planetを、またクラウドコンピューティングを提唱している。
2009年10月16日、ハードウェア事業の総責任者で次期CEOの有力候補の一人と見なされていた[13]上級副社長のロバート(ボブ)・モファットが、サン・マイクロシステムズとの買収交渉や仕入れ先のアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)などに関する情報をヘッジファンドに漏らしたというインサイダー取引への関与により、連邦捜査局に逮捕・起訴され[14][15]、モファットはその容疑を認めた[16]。
2010年5月 人事部門のトップであるティム・リンゴが「2017年までに、全世界で40万人いる従業員から30万人を解雇して正社員10万人体制とし、プロジェクト毎に契約社員を雇用するクラウドソーシングの雇用形態に移行する」と発言した事が報道された。IBMは公式にはこれを否定した[17]が、2013年に、ドイツIBMにおいて実際にこの雇用形態への変更を開始した [18]。
略歴
- 1911年6月15日 - 3社の合併によって、 The Computing-Tabulating-Recording Company (C-T-R) 設立(同社ではこの年を創立の年としている)。
- 1914年 - NCRのセールス部門を統括していたT・J・ワトソン・シニアが社長に就任。
- 1924年2月14日 - International Business Machines Corporation(IBM) に改称。
- 1974年 - 東京証券取引所外国株市場に上場(コード: 6680)
- 1991年3月27日 - タイプライター事業部門をレックスマーク・インターナショナル・インコーポレイテッド(Lexmark International, Inc.)としてスピンオフ。
- 1998年12月 - IBMグローバルネットワーク(IGN)部門をAT&Tに売却。AT&Tグローバル・サービスを設立。
- 2002年10月1日 - 米 PricewaterhouseCoopers よりコンサルティング部門を買収。本格的なサービス事業の強化を図る。
- 2002年12月31日 - ハードディスクドライブ事業部門を日本の株式会社日立製作所に売却。
- 2003年1月1日 - 同事業部門及び日立のHDD部門を統合した日立グローバルストレージテクノロジーズが発足。
- 2004年12月8日 - パーソナルコンピュータ事業部門 (Personal Computing Division) を中国の聯想集団有限公司 (Lenovo Group Limited、レノボ)に売却すると発表。
- 売却価格は6億ドルで、2005年3月に対米外国投資委員会が承認したことで2005年5月に取引が成立した。IBMはLenovoに19%出資し、Lenovoはニューヨーク州に本部を移転して経営陣にIBMの役員も迎えた。Lenovoは5年間、IBMの商標を使用する権利を有する。結果としてIBMの最も成功した製品のひとつであるThinkPadシリーズを引き継ぐこととなった。その後Lenovoの業績が買収前と比べて良くなってきたため2008年の北京オリンピックを前にIBMの商標使用を廃止した。
- 2005年2月7日 - 東京証券取引所の外国株市場廃止に伴い、同取引所第一部に指定。同年5月6日、上場維持費用などを考慮して自主的に上場廃止。廃止となっても株式保有者は米国本社の株主であり、株主としての扱いは何ら変わらないが売買時に米国株を取り扱っていない証券会社では売買できないようになった
- 2006年1月25日 - 周辺機器部門のひとつである法人向けプリンター事業を日本の株式会社リコーに売却することを発表。3年を掛けてプリンター事業から撤退。
- 2009年4月 - SaaSタイプのクラウドコンピューティングであるLotusLiveをサービス開始。
- 2010年4月 - ソフトウェア事業部のPLM事業部門 (Product Lifecycle Management Solutions) をフランスのダッソー・システムズ(Dassault Systèmes S.A.)に約6億ドルで売却。
- 2012年8月 - リテール・ストア・ソリューション事業(POS事業)を東芝テックに売却[19][20]。
- 2013年9月 - カスタマーケア・アウトソーシング(コールセンター請負)事業をSynnexに売却[21]。
主な企業買収
- 1933年 エレクトロマチック (電動タイプライターメーカー、IBMエレクトリックの基本特許はエレクトロマチックによるものだった、1991年にレックスマークとして分社化)
- 1985年 ロルム (PBXメーカー、IBMによる初の大型買収でデータ通信と音声通信の統合を目指したが、1993年にシーメンスに売却)
- 1995年 Lotus (グループウェア、IBMによる初のソフトウェア事業の大型買収、現在のIBMソフトウェア部門のLotusブランド)
- 1996年 Tivoli (運用管理ソフトウェア、現在のIBMソフトウェア部門のTivoliブランド)
- 1999年 Sequent (並列処理のNUMAテクノロジー、現在のSystem xなどに統合)
- 2001年 Informix (データベース、現在のIBMソフトウェア部門のInformation Managementブランドの一部)
- 2002年 PwCコンサルティング(コンサルティング、現在のIBMビジネスコンサルティングサービス)
- 2003年 Rational(ソフトウェア開発ツール、現在のIBMソフトウェア部門のRationalブランド)
- 2004年 キャンドル(主にメインフレームの運用管理ソフトウェア、現在のIBMソフトウェア部門のTivoliブランドの一部)[22]
- 2005年 Ascentual (データ統合ソフトウェア、現在のIBMソフトウェア部門のInfoSphereブランドの一部)[23]
- 2006年 インターネット セキュリティ システムズ (セキュリティソリューション、現在のIBMサービス部門などに統合)[24]
- 2006年10月 FileNet (ビジネスプロセス管理・コンテンツ管理、現在のIBMソフトウェア部門のInformation Managementブランドの一部)[25]
- 2007年11月 Cognos (BIツール、現在のIBMソフトウェア部門のInformation Managementブランドの一部)[26]
- 2008年4月 Telelogic (ELM分野のソフトウェア開発、現在のソフトウェア部門などに統合)[27]
- 2008年7月 ILOG (BPMマネジメント、現在のIBMソフトウェア部門などに統合)[28]
- 2009年7月 SPSS(同名の統計解析ツール、BIツール)[29]
なお2009年3月18日にはIBMがサン・マイクロシステムズの買収を交渉中と報道されたが、最終的にはオラクルが買収することとなった[30][31]。
日本におけるIBM
IBMの日本法人は日本アイ・ビー・エム株式会社(日本IBM)であり、更に複数の子会社と関連会社が存在している。
2002年以降はコンサルティング会社のIBMビジネスコンサルティングサービス(IBCS)が並存していたが、2010年4月に日本IBMに統合された[32]。
脚注
関連項目
- System/360
- トイレの使用を予約するシステム及び方法の特許
- IBM法
- IBM産業スパイ事件
- ディープ・ブルー (コンピュータ)
- Blue Gene
- World Community Grid
- Future Systems プロジェクト
- セレスティカ(1990年代にIBMの生産部門から分離して誕生したEMS会社)
- HAL 9000
- 江崎玲於奈
外部リンク
テンプレート:IBMテンプレート:ダウ平均株価テンプレート:MATvp- ↑ IBM>Information for>Investors>2011 Annual Report>Financial Highlights>Consolidated Financials>70p>Revenue>Services
- ↑ IBM、21年連続で最多件数の米国特許を取得
- ↑ Lenovo、IBMのx86サーバー事業の買収を計画
- ↑ 半導体事業売却、合意近づく IBM、売り上げ減少で不採算部門処分 (産経新聞)
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ IBMコーポレーション概要
- ↑ George W. Fairchild
- ↑ "Business Machine Deal", The New York Times, Vol.82, No.27572 (1933年6月21日), p.23, l.3.
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ PLM販売事業をダッソー・システムズへ統合する意向を発表
- ↑ 東芝テック、IBMのリテール・ストア・ソリューション事業取得で合意(日本IBM)
- ↑ IBM、20年連続で最多件数の米国特許を取得
- ↑ インサイダー取引関与で起訴のIBM幹部が退職 (CNET Japan)
- ↑ AMDのルイズ元CEO、GLOBALFOUNDRIESの会長を辞職-インサイダー取引事件の余波続く (eWEEK)
- ↑ 名門IBMを襲ったインサイダー取引事件-なぜ彼は彼女にリークしたのか (マイコミジャーナル)
- ↑ 米IBM元幹部、インサイダー事件で有罪認める (日本経済新聞)
- ↑ IBM Denies That It Will Cut 75% of Workforce by 2017 (IEEE Spectrum)
- ↑ IBM planning major job cuts in Germany: union(Reuters)
- ↑ 東芝テック、IBMのリテール・ストア・ソリューション事業取得で合意 日本IBM - 2012年4月20日閲覧
- ↑ IBM リテール・ストア・ソリューション事業の第一回取得手続の完了ならびに東芝グローバルコマースソリューション社の設立について
- ↑ IBM to sell its customer care business to Synnex
- ↑ IBM、キャンドルの買収で合意
- ↑ IBM、Ascential Software を買収
- ↑ IBM インターネット セキュリティ システムズを買収
- ↑ IBMがFileNetを買収
- ↑ IBMがコグノスを買収し「インフォメーション・オンデマンド(IOD)」戦略を強化
- ↑ IBMがTelelogic社を買収
- ↑ IBM、ILOG社の買収を完了
- ↑ IBM、予測分析のSPSSを12億ドルで買収
- ↑ IBMがサンと買収交渉、米紙が報道
- ↑ IBMがサン買収か、IT市場はどう変わる?
- ↑ 日本IBMとIBCSが4月に統合