山形空港
山形空港(やまがたくうこう)は、山形県東根市にある特定地方管理空港である。愛称は、「おいしい山形空港」である。
目次
概要
南北に長い山形盆地の中北部、最上川右岸(東岸)にあり、南北方向の滑走路を擁する。滑走路東側に沿うように国道13号やJR山形新幹線・奥羽本線(愛称山形線)が並走しており、県庁所在地の山形市から北に約20kmの距離にある。最寄ICは、東北中央自動車道・東根IC。
年間利用客数は、1991年に約70万人でピーク[注 1]となった後、ドル箱路線の東京便と競合する山形新幹線が山形駅まで開通すると1992年から減少に転じ、さらに1999年の新庄駅延伸でその傾向に拍車がかかり、国内117,047人、国際1,147人(2012年度)[1]と、ピーク時の4分の1以下となっている。利用者の減少に歯止めをかけるため、県は各路線利用客への運賃助成などを行っている[2][3]。
滑走路は開業当初1200mで、1973年に1500m、1981年に2000mと延長されてきた。国際定期路線誘致のため、県は滑走路の2500m延長を計画しているが、旅客数の減少に加えて仙台空港との旅客争奪競争テンプレート:Refnestもあるため、計画は凍結されている。
山形空港ターミナルビル([[[:テンプレート:座標URL]]38_24_38_N_140_21_59.1_E_region:JP&title=%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%A9%BA%E6%B8%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%AB 地図])の500mほど北側には、山形県消防防災航空隊([[[:テンプレート:座標URL]]38_24_55.8_N_140_21_59.9_E_region:JP&title=%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C%E6%B6%88%E9%98%B2%E9%98%B2%E7%81%BD%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A 地図]、防災ヘリ「もがみ」が所属)、および、山形県警察航空隊([[[:テンプレート:座標URL]]38_24_57.1_N_140_22_0.6_E_region:JP&title=%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E8%88%AA%E7%A9%BA%E9%9A%8A 地図]、県警ヘリ「がっさん」が所属)が位置する。
また、国道13号および奥羽本線を挟んで隣接する神町駐屯地([[[:テンプレート:座標URL]]38_24_6.9_N_140_23_56.5_E_region:JP&title=%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E7%A5%9E%E7%94%BA%E9%A7%90%E5%B1%AF%E5%9C%B0 地図]。陸上自衛隊東北方面隊隷下の第6師団が所在。南東北3県を管轄する)の第6飛行隊([[[:テンプレート:座標URL]]38_25_4.1_N_140_22_1.9_E_region:JP&title=%E9%99%B8%E4%B8%8A%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E7%A5%9E%E7%94%BA%E9%A7%90%E5%B1%AF%E5%9C%B0%E7%AC%AC6%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E9%9A%8A 地図])の飛行場としても使用されている。そのため、山形県村山市にある「大高根演習場」など、第6師団管区での訓練に参加する全国の自衛隊の移動でよく利用されている。
沿革
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Seealso 大日本帝国海軍・舞鶴鎮守府神山練習飛行場として設置された。戦後の占領期には米軍が使用し、その後は自衛隊などが利用する飛行場となった。1964年(昭和39年)に民間空港となり、山形空港(神町空港)の名称で供用されている。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年) - 名称を山形空港に変更。
- 1969年(昭和44年) - 陸上自衛隊第6飛行隊が空港施設を使用開始。
- 1973年(昭和48年) - 滑走路1,500m供用。
- 1976年(昭和51年) - 日本初となる滑走路のグルービングを行い、全日空の東京線にボーイング737就航(ジェット化)。
- 1979年(昭和54年) - 空港設備法施行令の一部改正により県管理の第二種空港に指定。東亜国内航空により大阪線・札幌線就航。
- 1981年(昭和56年) - 滑走路2,000m供用。
- 1984年(昭和59年) - 新ターミナルビルオープン。
- 1988年(昭和63年) - 県警ヘリ用誘導路の供用開始。
- 1996年(平成8年) - 中日本エアラインサービス(後のエアーセントラル、現:ANAウイングス)によって函館線が季節就航開始(2001年12月で路線廃止)。
- 1997年(平成9年) - 利用者1000万人達成。
- 2002年(平成14年) - 緑地整備により「ひこうき公園」完成。
- 10月31日 - 全日空が東京線を休止し、当空港から撤退する。
- 2003年(平成15年)
- 4月1日 - 日本エアシステムにより、東京線がMD-90およびMD-80シリーズの機材で就航開始。
- 2004年(平成16年) - 雄飛航空のヘリコプターが不時着しようとして墜落、搭乗していた男性社員が死亡。事故原因は燃料不足の注意灯が点灯したのに飛行を続けたことによる。その後、山形地裁で男性操縦士に禁固2年、執行猶予4年(求刑禁固2年)の有罪判決。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。当空港は被害が無かった[6]。
- 3月16日 - 山新観光により、当空港から仙台駅前へ向かう片方向の直行バスをツアーバス形式で26日まで運行[7]。
- 3月17日 - 日本航空インターナショナルの東京線に臨時便が運航開始。乗客の急増に対応するため、運航機材を平時のジェイエアのE70から従前の日本航空インターナショナルの小型ジェット機(MD-90など)へ切り替える。定期便と合わせ9便となった。
- 3月19日 - 日本航空インターナショナルが旅客需要拡大による座席供給の逼迫に対応するため、他路線で使われている中型ジェット機B767を機材繰りし、期間限定で東京線に導入[8]。
- 3月27日 - 近畿日本ツーリストにより、当空港と仙台駅前を結ぶ直行バスをツアーバス形式で運行開始[9]。
- 3月29日 - 全日本空輸が臨時で乗り入れ、中部・伊丹線を期間限定で就航[10]、後には札幌便も臨時開設した[11]。乗り入れは実に9年ぶりとなる。
- 4月1日 - 当空港と仙台駅前を結ぶ直行バスを路線バスに運行形式変更[12]。運行会社は山交バス。
- 4月8日 - 運用時間を通常より4時間延長(6:30-22:00)に変更[6]。
- 5月9日 - 当空港と仙台駅前を結ぶ直行バスの運行会社を、赤湯観光バス、庄内交通観光バス・ハイヤー、ヨネザワバス観光の共同運行に変更[13]。15日をもって、運行終了。
- 5月22日 - ANA(全日本空輸)臨時便であった中部国際空港・伊丹空港線をすべて終了させる。
- 7月 - 東京線・大阪線中型機から小型機CRJ・ERJ70運航に元に戻る。(JAL時刻表)
- 2013年(平成25年)
- 7月31日 - 山形空港利用拡大推進協議会はフジドリームエアラインズ(FDA)に名古屋線の定期便就航などを要望した[14]。
- 2014年(平成26年)
東日本大震災
2011年3月11日に発生した東日本大震災により花巻空港および仙台空港が閉鎖されたため、岩手県および宮城県に最寄りで損傷が無かった[6]当空港に各県の防災ヘリおよび各地の自衛隊輸送機が集中し[17]、両県被災地への災害支援の中継地として当空港が利用された。震災に対応するため24時間運用を行い[17](同震災における24時間運用化は花巻空港が3月14日 - 31日、福島空港が3月14日 - )し、アメリカ軍も使用した[17]テンプレート:Refnest。米軍は、当空港まで大型輸送機C-130で物資を運び、小分けしてヘリで各被災地に運んだり、ヘリの燃料補給地として運用し、当空港が空路の物資輸送の拠点の1つとなった[17][18]。
花巻空港はまもなく運用が再開されたが、仙台空港の閉鎖が続いた事に加え、震災直後から首都圏と宮城・岩手間の鉄道網(東北新幹線およびJR東北線)と東北自動車道が5日以上不通となった事情も加わり、定期便の運航がある当空港に旅客が集中し(宮城県からが9割)、旅客数は震災発生前の10倍以上となった。このため、需要減により路線削減や就航撤退をしていた日本航空と全日本空輸が臨時便を設定し、遠隔地間の旅客・民間貨物輸送に務めている[17][18]。同様の対応は福島空港においても実施された。
なお、首都圏から山形県への旅客輸送は新潟(下越)・庄内方面を結ぶ上越新幹線とJR羽越線の特急いなほの運行再開が早期であり、庄内空港もほぼ通常通りであったため、山形新幹線の再開までは村山地方・置賜地方ではJR在来線の陸羽西線や米坂線を利用して日本海側へと大迂回を余儀なくされたが、大きな混乱には至らなかった。
施設
就航路線
航空会社が2社以上の路線は、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便(コードシェア便)。
かつての定期就航路線
空港を使用する機関
- 山形県警察航空隊:アグスタA109E「がっさん」(JA80GT)。ベル型退役に伴いアグスタ機が導入された[19]。
- 山形県消防防災航空隊:AS365N2「もがみ」(JA98YA)[20]
- 陸上自衛隊第6師団第6飛行隊:OH-6D・UH-1
アクセス
2014年3月29日から山交ハイヤーによる山形駅東口~山形空港間のシャトルバスが運行されることになった[21]。
シャトルバス
- 山形駅東口~十日町角バス停(日本生命山形ビル前)~山形県庁前バス停~山形空港(山交ハイヤー)
- 予約不要。山形空港と山形市内を約25分、山形空港とJR山形駅を約35分でむすぶ。
乗合タクシー
- 山形空港ライナー:山形市(山交ハイヤー)・東根市(東根交通、神町タクシー)・天童市(天童タクシー、山交ハイヤー)・村山市(楯岡交通、村山タクシー)・寒河江市(中央タクシー、寒河江タクシー)・河北町(葉山タクシー)(予約制)[22]
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
自動車
その他
- 全日本空輸(現在は撤退)の東京国際空港線にナローボディのジェット機が多く投入された経緯もあり、ボーイング727のラストフライト(1990年4月27日)、エアバスA320のファーストフライト(1991年3月19日)、ボーイング737(初期型)のラストフライト(1992年8月31日)、と実に3年連続3度も同社機材に関するメモリアルフライトの舞台となった。
- 1992年、南西航空(現日本トランスオーシャン航空)が、拠点の沖縄県に発着しない唯一の、名古屋空港線を開設した。1995年に日本航空に移管され、以降日本トランスオーシャン航空は全便沖縄県発着となっている。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
テンプレート:Airport-info テンプレート:日本の空港
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- ↑ テンプレート:PDFlinkテンプレート:リンク切れ(国土交通省)
- ↑ 山形〜名古屋便、札幌便が2名以上の利用でお安くなります!(山形県)(インターネット・アーカイブ)
- ↑ 山形空港開港50年 震災時の代替機能再評価(河北新報 2014年6月30日)
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 6.0 6.1 6.2 テンプレート:PDF(2011年4月9日時点のアーカイブ)(142ページ。国土交通省 2011年4月8日(金)10:00)
- ↑ テンプレート:PDF(山形県企画振興部交通政策課 2011年9月)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 『山形空港〜仙台駅前直行バス』運行!!(2011年4月8日時点のアーカイブ)(山形空港ビル株式会社 2011年4月8日)
- ↑ 東北地方太平洋沖地震被害に対する追加対応について 全日本空輸株式会社 2011年3月25日
- ↑ 山形空港発着の臨時便に関するお知らせ 全日本空輸株式会社 2011年5月17日
- ↑ テンプレート:PDFテンプレート:リンク切れ(山形県)
- ↑ テンプレート:PDFテンプレート:リンク切れ(山形県)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 「山形空港」と「庄内空港」の愛称が決定しました! 山形県 2014年5月29日付
- ↑ 小型機用駐機場、救援に即応 山形空港、拡張完了し披露式
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 テンプレート:Cite news
- ↑ 18.0 18.1 テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 山形空港 ⇄ 山形市内・JR山形駅へのアクセス路線バスを運行開始いたしました。(山交ハイヤー)
- ↑ テンプレート:Cite news